枷せられた道
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「まぁ仕方ないね。じゃあオレ行くけど、また来るから」

その子は何も言わない。ただオレをじっと見ているだけだった。

「オレ、沢田綱吉って言うんだ」

その子の目が、少しだけ見開かれた――ような、気がした。

「キミの名前…次に逢ったときに。教えてね」

それだけ言って、オレは眩しい光の差す元いた場所に戻っていった。

だから…


「そっか…あの人が…」


オレが去ったあと、あの子がとてもとても小さな声でそう呟いたなんて。オレは知らない。



知っていた。あいつがオレを興味深そうに見ていたことは。

だってオレがここに来てから。あんなにも大きく動くものは、他になかったから。

オレが今まで見てきた動くものといえば、それは木々の揺らめきとか、鳥の羽ばたきとか。そんなものばかりで。

だからあいつが来た日は。覚えてる。オレが今まで見てきて景色が一気に変わった日だったから。

…ああ、そうだ。あいつの正体を知ったからにはあいつなんて言ってはいけないか。じゃあ、あの人で。

とにかく、オレはあの人を見ていた。ずっと見ていた。ただ目線だけは合わせずに。それでぼんやりと見ていた。それだけだった。

別に、他には何も望んではいなかった。…でも、あの人はきっとオレの事を知らなかったのだろう。とにかく、あの人はオレの所へと来た。

そして話しかけられた。…人間扱いされたのは、久しぶりだった。

…というか、惚けていてオレはあの人に気付けなかった。ああ、あの時は本当に驚いた。

でも。オレはなるべくそれに気付かれないように素っ気無く話し返す。

オレに対する興味を失わせるように。

―もう、来ないように。

…言葉を発するのは久しぶりだった。ここ数年、オレはたぶん何も言ってはいない。だから一つひとつ言葉を発するのに、実は苦労していた。

オレはオレを幽霊と言った。別に間違ってはいない。

―何故なら。オレはもうすぐ――…

それに、周りの人間はオレをまるで見えてはいないのかのような対応を取るから。時には、本当にオレが見えてはいないかのように。

だからオレは幽霊なのだと。あの人にそう言って、初めて自覚が持てた。オレは幽霊だと。

オレがここに幽閉されて。唯一許された自由…窓の外の世界を見る事。それを、それだけを毎日やっていたら。やって来たあの人。

沢田綱吉。…マフィアの全てを束ねるボンゴレファミリーの、時期10代目。

オレとは世界が違う。だからオレの元へはもう来れないと思う。…来るべきではない、とも。

だってオレは、オレは…

ぽたりと、頬を何かが伝う。

手に取ってみると、透明な液体だと分かった。…知識としてだけで知っている涙だった。

初めて流したそれにオレは驚く。今までこいつを流したことなんてなかったのに。

いきなり親元から引き剥がされた時も。

突然ここに幽閉された時も。

あいつらに * * * と言われた時だって。オレは無感情に聞き流したのに。受け入れたのに。何故、今頃…

何が原因なのだろうか。何がオレをここまで弱くさせたのだろうか。それともオレの限界が近いのだろうか。

分からなかった。何もかもが、分からなかった。


オレ、沢田綱吉って言うんだ――


ふと思い出された、あの人の名前。


キミの名前…次に逢ったときに。教えてね――


ふと思い出された、あの人の言葉。

オレは次なんて来ない事を分かっていながら。それでも自身の名を思い出そうとして――

そしてオレは、長い間 * * * としか呼ばれていなかった事に、有ったはずの名を忘れてしまっていた事に気づいて。


言葉を、失った。