Roman - 恋人からの返答 -
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オレが彼女と出会ったのは、まだお前が生まれる前。…いや、お前もいたな。彼女の腹の中に。

その頃のオレは少しささくれていた。だけど、そんなオレを癒したのが…彼女だった。


彼女は優しく、強かった。

ピアニストである彼女の演奏は美しく、歌声も綺麗だった。


「もうじき子供が生まれるのだから、そのときの練習」と言ってはオレを抱いたりして。こんな呪われた身に愛情を与えてくれた。

「呪いが腹の子に障るぞ」と脅しても、まったく怯まなかった。「あなたなら大丈夫!」と笑って言ってくれた。


彼女は命を狙われていた。オレに出来ることと言えば、そいつらの始末ぐらいしかなかった。

そいつらの元凶を絶てないままに…彼女は出産日を迎えた。命を狙われたまま。

だからオレも出産に立ち会った。医師も…彼女はどこのコネクションなのか、あのシャマルを呼んでいた。


そういえば、シャマルはオレを知ると露骨に嫌な顔をしていたな。当たり前の、普通の反応だった。

当たり前じゃない、普通でもない反応をしでかしたのは彼女だ。オレを後ろから抱きしめ、シャマルを睨み、「リボーンを悪く言うのは止めて」と言っていた。

オレとシャマルは面食らっていた。「下ろせ!」と言ってもオレを抱きしめたままで。


…微笑み、オレに触れる彼女はあたたかかった。

彼女は陣痛に苦しむまでそうしてくれていた。


―――思えば、出産に立ち会うのなんて初めての経験だった。

命を奪ってばかりだったオレは、命を生む現場に立ち会うことなどなかった。

だから痛みに耐え、苦しむ彼女を見て驚いた。命を生むということはこれほどまでに大変なのかと。


…命を奪うことは、あれほどまでに簡単なのに。


彼女はオレに「手を握って」と訴えた。オレは思わずシャマルを見た。シャマルは顎をしゃくって促した。オレは手を握った。

…本来ならば、これはオレの役目じゃない。彼女の夫でありこれから生まれてくるお前の父である男の役目だ。

だがその男はこの場にはいない。多忙なのだとか聞いた。……だから愛人なんて作られるんだ。


そして…長い時間を掛けてお前が生まれた。お前は元気に泣いていた。

彼女から手を離して、それまでずっと手を繋いでいたということに気付いた。手を離されて、オレは自分が疲労していることに気付いた。汗を掻き、肩で息をして。


彼女は暫しお前を抱いていた。幸せそうに、まるで宝物のように。

だけど、彼女は何を思ったのかお前をオレに差し出してきた。


「おい」


咎める声は同時だった。オレと、シャマル。

彼女は口を尖らせた。お前は不思議そうに彼女を見ていた。そんなお前を見て、彼女は「ならこの子に決めてもらいましょう」と言ってお前をオレに近付けた。


…無駄だと、オレは冷めた心で思った。


呪いの身に寄る命はない。特に動物には徹底して嫌われている。…生まれたばかりの赤子がオレに近付くことなどない。

なのに。


「な―――」


お前は、迷うことなくオレの手を握ったな。

その手の、なんと温かかったことか。

そしてお前は、オレに無垢に笑い掛けたな。


その笑みの、なんとあたたかかったことか。


…そしてそこで、彼女を狙う刺客が沸いて出てきた。

オレはいつものように「すぐ戻る」と言って、奴等を屠るためにその場を離れた。

そして全ての刺客を始末したが……オレはいつものように彼女の所へと戻ることはなかった。


…この血に濡れた姿で戻ったら。

人を殺したばかりの身でお前の前に姿を晒したら。今度こそお前に拒絶されるような気がして。


結局オレは、彼女の所へと戻ることはなかった。


オレはまた約束を破った。

そしてお前の母は死んだ。

暗殺されて、死んだ。


オレが彼女の傍に居続けたなら。…きっと守れたのに。

お前は家庭の愛も満足に知れずにあの広い城の中にいた。あの時オレに見せてくれた笑みも消し去って。


―――オレは、一度お前に会いに行こうと思って城まで赴いた。


お前の母について。謝ろうと。

だけどそれが叶う前に追い払われた。シャマルに。

あいつの面倒はオレが見るからと。お前に会わせるつもりはないと言われて追い払われた。


お前が寄ると危険が付き纏うからと。確かに追い払われる途中に火の粉が掛かった。じゃあオレはやっぱりお前に近付かない方がいいのだろう。

それきりだ。それきりになるはずだった。会えないのも守れないのも残念ではあったが呪いがお前に障るよりはましだと信じて。

なのに。