リボーンは人差し指に力を込めた。

あと少しで引き金が全て引かれる―――というところで。



「Bon soir」(こんばんは)



声が、聞こえた。





- 小さな村の物語 -





「お久し振りですね。…アルコバレーノ」



リボーンが振り向くと、そこには…マフィアとアルコバレーノを嫌う男。六道骸が立っていた。



「骸か…一体ここに何の用だ」

「何の用だ?」



鸚鵡返しに骸は問うた。そして笑う。



「クックック…あなたこそここに一体何の用なんです? こんな寂れた、辺境の地に」

「それは…」



言おうとして、リボーンは口噤む。骸には関係のない話だとして。自分だけの話だとして。



「お前には関係のないことだ」

「僕には関係のない!」



また骸は言い返して、笑った。愉快痛快と言わんばかりに。



「…何がおかしい」

「これがおかしくないのだとすれば、一体何に笑えばいいのでしょうね。頭の悪い僕には分かりません」



ククク、と骸は更に笑ってから、

「僕には分かりませんから、聡明なあなたに是非ともご教授頂きたいものですね。先生」



―――先生。



その単語は、久しく聞いてなかった言葉だ。それを最後に聞いたのはいつだっただろうか。

それはこの場所での話で。リボーンがあの日、あのマフィアたちに付いて行ったとき、最初の生徒のひとりが放った言葉で…

リボーンはそれに、何かの取っ掛かりを覚える。何かが引っ掛かった。



そんなリボーンにまったく目もくれず、骸は骸で話を進める。それはもう楽しそうに。



「では僕は質問に答えましょう」



骸は礼儀正しく一礼して。



「僕はここで、ある人を待っています」



一言告げる。



「僕はずっと待ってます。だけどその人はまだ来ません。…酷い人ですよね? ―――――先生」



はっと、リボーンは骸を見る。だけど骸はリボーンを見てない。見ているのは、きっと過去。



「さぁ、僕は質問に答えました。あなたも答えて下さい? あなたも仮にも先生だというのなら。…この、寂れた辺境の地まで。一体何しに来たんですか? 関係のない僕に教えて下さいよ」



リボーンは骸を見る。いや、骸という男に執り憑いた禍々しく鈍く光る赤い目玉を見る。

目玉は、リボーンを見て笑っていた。

それはもう、楽しそうに。



「お前……まさか、」

「クフフ…」



骸は笑う。既に死した屍は笑う。死んだ男に執り憑いた目玉が笑う。

そして、



「Bon soir」(こんばんは)



骸は今一度、声を放つ。…その声は、よく聞けば聞き覚えのあるものだった。


「お久し振りですね…親愛なる在りし日の先生」


その声は、リボーンがもう二度と聞けないと思っていた声。


「―――リボーン先生。ずっとお待ちしておりました」





けれどそれは、彼にとって救いか報いか。





リボーンが連れ去られたあと、残されたのは十数名の子供たち。

壊された家。殺された家族。唯一自分たちを引っ張ってくれる信頼出来る大人であるリボーンも子供たちを助けるため消えてしまった。


残されたのは、気休めとも取れなくともない彼の言葉。



すぐ戻ってくるから、それまで待ってろ。



けれども、その言葉があったから頑張れた。

無力な子供たちは、それに縋りながら生きていった。



嗚呼、けれど。もしも。



…あの時リボーンがそんなことを言わなければ。あるいは「すぐにこの場を離れろ」と言ってくれれば。

あるいは―――



子供たちは自らの先生を待ち続けた。

だけれど先生はいつまで経ってもやってこない。

それでも子供たちは待ち続けた。

先生は絶対に約束を守るからと。絶対に来てくれると。そう信じて。



だけど…



来たのは、先生ではなく別の大人たち。

来たのは、あの日とはまた別の怖い大人たち。

人を人とは思わない黒服の大人たち。

人を殺す道具をあっさりと使う大人たち。



今度は誰も守るものがいない中、子供たちは連れ攫われた。

…実験体として。



小さな村の子供たちがひとり。またひとりと動かなくなっていく。

その中で、子供たちは思った。

ああ、先生もきっと同じことをされたんだ。そして*んだんだ。



小さな村の子供たちが消えていく。ひとり、ひとりと*んでいく。

最後に残った少年も目玉に何かを入れられ激痛のあまりショック死した。



いや、死んだと思った。



けど、少年はまた目覚めた。身体は動かず言葉を発することも出来なくなっていたが意識も視界もあった。

その中で、聞こえてきた声は。





     ―――――成功だ。





その声が聞こえてから暫くして。少年は久し振りに身体の自由を得る。

だけど自分の身体は別人になっていた。一つだけ自分だといえる箇所は、右目だけ。

赤く鈍く濁く光る右目だけが、唯一自分だと言えた。

そして少年は自分たちを殺し壊し蹂躙した彼らを*して外の世界に出た。



けれど…どこへ行く?



あの村の子供たちは自分を残してもう誰も残ってない。先生だって、きっとみんなと同じように*んでしまったに決まってる。

…自分も行こう。みんなの所へ。

みんなに会いに行こう。この世界は醜すぎるから捨ててしまおう。

そうして少年は五つの世界を回り…そしてまた人間の世界に戻ってきた。



理由は二つ。



一つは、再会した共に……仇を頼まれたから。

そしてもう一つは…先生を見つけるために。



五つの世界のうちに、村の子供たちは全員いた。それぞれの世界で再会を喜び合った。

だけれど、ひとりだけ…ある意味最も重要な人がいなかった。先生だけが、いなかった。



全てを探してないのは、人間界のみ。

だからきっと、先生はあの醜い世界に未だいる―――



戻ってきた人間界では、変わらずあの黒服たちが我が物顔で醜く世界を支配していた。

次の少年の依り代となったのは…まるでいつぞやの日の再開のように。あるマフィアの施設で実験体となってた子供。

永い時が過ぎたはずなのに、何もかもが変わっていなかった。



嗚呼、やっぱりこの世界は醜すぎる。



先生を見つけて、こいつらを殺しつくさないと。

少年は在りし日と同じようにその施設の大人たちを殺した。



残ったのは、いつかの自分たちのようにどこかから連れてこられた子供たち。

縋るような視線に晒され、苦笑を一つしたのを覚えてる。そして、



一緒に来ますか?



彼らを前に口から出たのは、まるで指導者のような言葉。まるで教育者のような、教師のような……先生のような言葉。

マフィアを、黒服の男たちを殺していこう。

彼らは世界に不必要だ。

そう思い、少年は宣言通りに殺していった。その片手間で先生を探しながら。



だけど。なのに。



少年は然程の時を待たずに先生を見つける。姿形は変わっていたが、少年には分かった。



だけど。なのに。



先生は、少年の憎む―――マフィアになっていた。黒服に身を包んでいた。



どうして―――



少年には分からない。何故先生が殺し屋になっているのかなんて。



     きっと全てはマフィアのせいだ。



少年はそう思った。



     マフィアが先生を変えたんだ。



それはある意味で正しかった。



     マフィアが先生を殺したんだ。



けれど推測は段々と横へ斜めへと逸れて行く。



     あそこにいるのは先生なんかじゃない。



そして結果的に、少年のマフィアに対する憎しみを増やしただけとなってしまった。



     マフィアは絶対にゆるさない。



彼の恨みはマフィア全域に。最強の殺し屋と謳われるリボーンを雇っているボンゴレに。そしてアルコバレーノ全員に。





許さない。


許せない。



―――殺してやる。





「お前が…首謀者だったんだな」

「クハハ…何を今更。僕は最初から言ってたじゃないですか。マフィアは嫌い。マフィアは滅ぼす。…アルコバレーノが弱まってたので、チャンスだと思ってですね」



10代続いた技術にも限界があったのか、リボーンを初めとするアルコバレーノはみな体調に異変を感じていた。

…恐らく、誰が何もしなくとも。いずれはそう遠くない日にみな息絶えていただろう。

リボーンは口を動かして言葉を放とうとする。それは在りし日の生徒の名前。最初の教え子の名前。…目の前の少年の本当の名前。


だけれど、目玉はそれを制する。



「止めて下さい。ここにいるのはこの村の子共ではありません。この村の子供はみな死にました。ここに者の名は六つの世界を巡り道を辿った亡骸…六道骸」



「……そうか。なら、骸」

「はい。なんでしょうか呪われし赤ん坊の生き残り。最後のアルコバレーノ」

「オレが憎いか?」

「そうですね。とっても」

「なら、殺しはもうオレで止めておけ。オレがお前の憎しみを受け取ろう」

「あなたは…」



骸は吐息を一つ。そしてその視線は遠い昔へ。



「そうして、自分だけが苦しみを背負って。…残されたものがどう感じるかと考えたことはありますか?」

「そうだな。いつも悪いことをしてると思ってる」

「思ったうえで、止めないと」

「そうだな」

「たちが悪いですね」

「耳が痛い」



「…分かりました。殺しはあなたで最後にしましょう。今日までたくさん殺しましたし、あんな一般人から成り上がった子供を殺しても楽しくもありませんしね」

「出来れば、ツナのサポートもしてやってくれ」

「お断りですよ。僕は彼が大嫌いですから」



「そう言うな」



言われた途端に、骸は顔を歪める。そしてその顔を見られないようにするためか、俯く。しかしすぐに顔を上げて。その顔には歪んだ形跡はもうなくて。



「随分と―――信頼してくれますね。僕はあなたの恋人を辱めたのに」

「なに…?」



眉をひそめるリボーンに骸が笑う。



「先ほどの電話。楽しかったでしょう。…あれは彼の身体に憑依した僕ですよ」

「お前…獄寺の身体に傷を付けたのか?」


クックと、更に骸は笑う。そんなことは重要ではないと言うように。



「―――死者に多少の傷を付けるぐらい、いいじゃないですか」



リボーンは目を見開き。息を呑んだ。


「実際の距離を置けば呪いも離れると思いましたか? 残念でした。それは何の意味もない行為でした」


そんなリボーンに、骸は容赦なく言葉を叩きつける。


「彼は死にましたよ。ずっとあなたを待っていたのに」


リボーンは無意識にか、一歩後ずさった。けれど骸は同じように一歩踏み込む。逃しはしない。

この世界にはもう、彼を愛した愛人はいない。

この世界にはもう、彼と同じ苦しみを共有した友はいない。



そして―――…小さな彼に恋をした、恋人も。



骸は笑みを強くして。手にした槍を構えて。リボーンに放った。

リボーンは抵抗らしい抵抗をもせず―――その身に槍を受けた。小さな身体を槍が貫通した。





小さな村の跡。そこに横たわる小さな死体。ただ静かに立つのは一人の青年。



「どうして……」



青年はひとり呟く。その表情に色はない。

…骸は確かに数十分前獄寺に憑依した。死体に傷を付けて乗っ取った。

そしてリボーンに電話を掛けて。出たなら恋人の声で酷い言葉を掛けて傷付けるつもりだった。

のに。



Bon soir ―――リボーンさん。



口から出たのは、自分が言おうと思ってたのとは違う言葉。

骸は慌てて操ろうとした。だけれど何故か上手くいかない。自分は死体に乗り移っているというのに。

なのに獄寺の死体はまるで生き返ったかのように骸の制御を利かず勝手に動き言葉を放つ。

しかもそれら全ては、リボーンを励ますもの。骸がしてやろうと思っていたことと真逆のこと。

そして電話が終わったのち。骸は死者の声を聞いた。既に死んだものの声。今まさに乗っ取っているはずの身体の持ち主の声。



ザマァミロ。



してやったり。そんな声だった。お前の思い通りになんかさせないと。オレがリボーンさんを傷付けてなるものかと。全ての想いを詰め込んだ声だった。

…死者のくせに愚弄してくれる。骸は怒りのあまりに電話を壊し、その身をリボーンを追ったクロームへと移した。

そして、今に至る。



―――そうして、永い時を経て亡骸の亡霊は決着を付けた。



けれどそれは……こんなにも、後味の悪いものなのだろうか。

目の前にいるのは長い時を生きた化け物の抜け殻。それ以上でもそれ以下でもない呪われた虹の赤ん坊。

決して、あの平和だった小さな村で教師をしていた人間などではなくて。




だけど。


その昔、この村で教師をしていた先生は頼み事をして、けれど断られたときはよく言っていた。先ほどリボーンが言ったままに、「そう言うな」と。



「あなたはあの人ではないのに…あの人はマフィアに……アルコバレーノに殺されたのに、どうして」



どうしてあんなにも酷似している。どうしてそんなにもあの先生を思い出させる。あの先生は死んだのに。



「……少し、疲れました…僕は休みます。後を頼みましたよ、クローム」



骸がそう言えば、その身体に異変が。青年のものから女性のものへと変わっていく。

瞬く間に骸はクロームへと入れ替わる。残されたクロームは虚空に向かって、



「…リボーンさんに任された頼まれ事は…いいんですか?」



…貴女に任せますよ。



「頼まれたのは骸様ですが」



僕がアルコバレーノと結んだ約束を守るような奴だとお思いで?



「はい」



骸の小馬鹿にしたような問いに、クロームの答えは即答だった。



「骸様は…リボーンさんとの約束は、守ります」



………やれやれ。あなたも随分と成長したものです。昔はお人形さんみたいで可愛かったのに。



「骸様…」



なんにしろ、僕は少し休みます。力を使いすぎたせいか非常に眠いんです。



「………分かりました。おやすみなさい、骸様」



ええ、おやすみなさい。クローム。





その言葉を最後に、何も聞こえなくなった。

小さな小さな村の跡。小さな小さな赤子の死体。そして佇む少女の影。

少女は小さく呟く。己の主の名を。



「骸様…」



少女は右目を押さえる。眼帯越しに何もない空洞を押さえる。



「私の"ここ"は、いつも空いてますから……いつでも、お越し下さい」



そこで同じ世界を見つめましょう。あなたが醜いと思う世界を。だけど私にとって掛け替えのない人たちがいる世界を。

その日が、早く来る日を願っています。祈っています。だってあなたは今ひとり。



「そこに救いはありますか?」



小さな呟きに答える声は、今はない。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それでも私は、あなたを待ち続けます。