正直に話すのなら。


オレは、彼の人の話を聞かないところがあまり好きではなかった。



周りと歩調を合わせられないところも。


空気を読めないところも。


常識を知らないところも。



オレはあまり好きではなかった。


しかも本人としてはきちんと出来ているつもりらしかったから、なおさら。



だけど。



それでも彼は、決して悪気があるわけではなかったし、悪い人でもなかった。


勘違いから始まったとはいえ、オレを慕ってくれた。



オレが馬鹿にされたら、怒ってくれた。


オレが怪我をしたら、心配してくれた。


オレを庇って、オレの代わりに怪我をしたこともある。



それに。



オレと一緒に登校してくれた。


オレと一緒にご飯を食べてくれた。


オレと一緒に帰ってくれた。


オレと一緒に宿題をしてくれた。



オレと一緒にいてくれて。


オレと一緒に笑ってくれた。



これが日常の人から見れば、何を当たり前のことを。と思ったかもしれない。


だけど、それまでオレはずっと一人だった。



だから最初は分からなかった。


一人ではないということの、有り難味が。


他愛のない話が出来るということが。


「また明日」を言えるということが。



友というものが、どういうものなのか。





そう。





彼は、オレの友達だった。


とても大切な人だった。



だから。






出来れば、幸せになってほしいと、願ってた。










彼の目線の先にいるのがあいつだと気付いたのは、どれだけの年月が経ってからだっただろうか。


初めはその意味が分からなかった。



その意味が分かるまで、更に長い年月を必要とした。


けれど、分かったところでオレにどうすることも出来なかった。



というか、絶対無理だと思った。


諦めた方がいいと。



だって、あいつは彼に見向きもしていない。


あいつはまったく彼に興味を持っていない。



まったくの無関心。



だから、彼の願いは叶わないと思った。


だけど、彼は諦めなかった。



いくらあいつに冷たくされても、無碍に扱われても、ずっと笑顔を向けていた。


オレから見れば、それは痛々しいだけだったけど。



あいつと会うたび、彼の心は磨耗していったように思える。


あいつの言葉はいちいちナイフのように鋭くて。それでいて反論のしようもないほど正しかった。


彼はその言葉を全て、無防備に受け止めていたように見えた。


避けるなり防ぐなり、彼ならどうとでも出来ただろうに一番きつい受け止め方をしていた。



駄目なのに。



言葉のナイフは見えない凶器。


刺されば当然痛いのに。


見えないからって、傷が出来ないわけないのに。


見えないナイフに刺されたら、見えない傷が出来て。そこから見えない血がだらだらと出てしまうのに。



見えないから、手当ても出来ないのに。


見えないから、誰も心配出来ないのに。



なのに彼はずっと見えないナイフを受け続けて、見えない血を流し続けた。



痛くて。


苦しくて。


辛かっただろうに。



だけど彼はいつも笑っていた。



だからオレは大丈夫なんて思ってしまったのだろうか。


そんなわけないのに。


痩せ我慢に決まっているのに。


彼の笑顔が、あまりにもいつも通りだったから、平気なのだと決め付けて。



彼は傷を負い続けた。


彼は血を流し続けた。



慣れることなんて、きっと出来てなかった。


そんなときだった。





あいつが死んだのは。





外傷はなかった。


まるで眠っているようだった。


だけどその身体は冷たくて。



あいつの心臓は止まっていた。



呪いが身体を内側から蝕んで、それで死んだのだとあいつの仲間が教えてくれた。


あいつがそんな状態なのだと、全然知らなかった。



あいつが死ぬなんて、誰もが思わなかったからそれはもう周りに衝撃が走った。


しかし、こう言ってはなんだがオレは少しだけ安堵していた気持ちもあった。



勘違いしないでほしい。



オレはあいつを嫌っていたわけではない。


あいつはオレの先生だ。あいつなしに今のオレは語れないし、あいつには感謝していることもたくさんある。



ただ、もう彼が、これ以上傷付かないで済むのだという気持ちがあったことも確かだった。



もう彼は傷付かない。


見えない血を流さない。





そのことを、オレは喜んでいた。





そしてあいつのいない生活が始まった。


不思議なものだった。


あいつが死んだという気が、いなくなったという気がしない。



それはあいつの死体があまりにも綺麗だったからだろうか。


せめてあいつが凄惨な血の海に沈んでいたら、オレたちもあいつの死をあっさりと受け入れられたのだろうか。



まるであいつが長期の出張に行ってしまったかのような気分だった。


時が来れば、そのうちいつかひょっこり帰ってくるだろうという思いさえあった。



それは、彼があまりにもいつも通りだったからということも関係しているだろう。


彼だけあいつの死を知らないというわけではない。



むしろ、あいつの死体を発見したのは彼だ。



通路に座り込んで、俯いているあいつに気付いて。近付き声を掛けたのは他でもない彼だ。


なのに、その彼がいつも通り。



不思議な空間だった。



明らかに一人欠けたというのに、見えないだけでまだいるように感じられた。


きっと事が急すぎて、誰もが着いていけてないのだと思った。


起こりえないと信じていた事が起きて、理解と納得に時間が掛かるのだと思った。


時間が経てば、自然とみんなあいつの死を受け入れるだろうと思った。オレも含めて。



それは恐らく正しかった。


たった一つだけのことを除いて。


オレたちの中で、彼一人だけが、あいつの死を理解していたということを除いて。





―――そんなことを、オレは血の海の中、血塗れの彼に抱きしめられながら思っていた。


なんてことはない。


ただ、また彼に助けられただけだ。


オレの命を狙うどこかのファミリーの回し者からの攻撃を、彼が庇ってくれただけだ。



こんなことは、情けない話、度々よくあることだった。


一つだけ、いつもと違う点があったとするならば。


彼の負った傷は、致命傷だということだろうか。



夥しい鮮血。



きっとこの中には、あいつに付けられた、見えない傷から流れる、見えない血も含まれていると思った。


それぐらい、多かった。



「どうして…」



思わず、口から言葉が漏れていた。


彼が少しだけ身じろぎする。



避けきれない攻撃ではなかった。


こんな傷を負わなくてはいけない敵ではなかった。


なのに今、オレの目の前で彼は死のうとしている。



彼は死にたかったのだろうか。


あいつを追いたかったのだろうか。


今までいつも通りだったのに。


あいつが死んでからも、笑顔だったのに。


心の奥底では、あいつの後を追いたくて追いたくて仕方がなかったのだろうか。


オレの呟きをどう捕らえたのか、彼は小さく言葉を放った。



「だって…オレは貴方を守るよう、あの人に言われてましたから」



ああ、そうか。


そうだった。


そもそも、彼を名指しして日本に呼んだのはあいつだった。


彼にとって、最初に受けたあいつからの任務なんだ。


死ぬのなら、オレを庇ってでもないと、駄目なんだ。



「…それなら、避けれる攻撃をあえて喰らうのは…駄目なんじゃない?」



別にこれは意地悪で言ったわけではなくて。


仮に死後の世界があるとして、そこであいつと彼が会えるとして。そこでこのことを言われたらどうするのかと気になっただけだった。


だけど。



「それは、オレを買い被りすぎてますよ」



なんてことを、彼は言う。


そんなことはないと、思うのだけれど。



「今までのオレなら、そうだったかもしれませんけど」


「今のオレでは、これが精一杯です」



なんてことを、彼は言う。


その意味がよく分からない。



「駄目なんです」


「あの人が死んでから、オレはおかしくなってしまった」


「何も分からなくなってしまった」


「感情が消えてしまった」


「あの人が死んで、悲しいも切ないもない。悔しいも怒りもない。何も感じない」


「他の奴等にも、何も思わない」


「空腹感がない。食事を取っても味が分からない」


「眠くない。薬を飲んで寝ても寝た気分がしない」


「音楽を聴いても。本を読んでも。仲間が死んでも何も感じなくなった」


「地に足が着いてる感触すら曖昧で」


「生きているのか死んでいるのかすら分からない」


「…死んだあの人がいないのだから、生きているんだろうな、と思ってましたけど」



と、彼はそこで大きく咽て、血の塊を吐いた。



「…もういいよ」



オレはそう言って、彼を止めた。


ああ、オレはボス失格だ。


あいつだけでなく、彼にも気付いてやれなかったなんて。



彼はいつも通りではなかった。


彼はただ、昔の自分を真似していただけだったんだ。


まだあいつが生きていた頃の自分を。



あいつが死んで、オレは一体何を安心していたのだろう。


彼がもう傷付かないで済むなんて、そんな馬鹿な。


少し冷たくされるだけで傷付く彼が、あいつの死に何の傷も負わないわけがないのに。



きっと彼が受けた衝撃は誰よりも強くて。


その衝撃は、彼の心を壊してしまったんだ。



あいつが死んだ時。あいつの死を知ったとき。彼もまた死んだんだ。



心が死ねば、やがて身体も衰える。


だから本来避けれるはずの攻撃でさえ喰らってしまった。


…あるいは、死んだ心に身体が合わせたのかもしれない。


今やっと、彼は正しい姿になれたのかもしれない。


オレは彼を抱きしめる。



「…もういいよ。休みなよ」



小さく、そう呟く。


彼はもう何も言わない。


ただ浅い呼吸が、心音が。だんだん遠くなっていく。体温が下がっていく。


それを感じながら、オレは遥か昔、あいつに言われたことを思い出していた。





   いいか、あいつは弱い。だからお前があいつを守ってやるんだぞ。





オレはそれを聞いたとき、お前が守れよと思ったんだけど。あいつは自分の命が長くないことを知っていたんだろう。


だからオレに託した。


自分に出来ないことを、オレに頼んだ。


なのに結果が、このざま。



「…ごめん」



動かなくなり、力の抜けた彼に。死んだあいつにそう呟く。



…願わくば。


死後の世界があるとして。


そこで彼等が出会えるとして。



せめてそこでは、幸せになれますように。





オレの大切な友達が、好きな人と共にいても傷付かず、心の底から笑えますように。





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そう ありますように。