実のところ。
あいつが裏切り者だということには、最初から気付いていた。
見逃していたわけじゃない。
泳がせておいただけだ。
すぐに始末しても、まぁよかったのだが…
ツナの、いい経験になると思った。
身近な人間の裏切り。
酷く思い傷を負うことになるだろうが、それだけの価値はあるだろうと。
その価値のためだけに、いずれツナ自身に―――無理なら、オレが殺そうと思って、生かし続けてきた。
10代目の右腕になるという夢を語る、獄寺隼人を。
実のところ。
あの人にはばれてるだろうなって、思ってました。
見逃されたわけではないでしょう。
泳がされていただけです。
すぐに始末されるのかな、とあの人に呼ばれて思ったけど…
何故か、そのまま生かされた。
きっと、あの人はオレすら次期10代目育成計画の部品にしたのでしょう。
身近な人間の裏切り。
なるほど、オレみたいな奴はオレだけではないですからね。
オレには、価値があった。
その価値が一番あるときに、オレは10代目か…あの人はとてもお優しいから無理ですかね。
10代目に見逃されたあと、きっとリボーンさんに殺されるのでしょう。
そんな日が来ることが分かっていながら、それでもオレは任務通りに次期10代目…沢田綱吉に愛想を振る。
裏切り者との生活が暫く続いた。
お互い、気付いているくせに気付いてない振りをするのはなんだかとても白々しくて、逆に笑いさえ出てくるものだった。
まぁ、オレもあいつもあまりお互いに近付かないようにしてたから、笑い合ったりすることもなかったか。
周りには、どこかオレたちの関係は素っ気無く見えただろうな。
オレはあいつだけ、相手にしなかったし。
だけど、誰だってそうするだろう?
裏切り者と馴れ合いなんて、ごめんだ。
…そう、思っていたのに―――――
―――――一体、いつからでしょうね。
あなたを意識するようになったのは。
あなたを視界に納めておかないと、落ち着かなくなったのは。
…オレが、ここの雰囲気に馴染んできた頃でしょうか。
自分が裏切り者だと。その事実すら忘れる時がふと訪れるようになった頃でしょうか。
日本という国はゆるすぎて。
彼らといったらあたたかすぎて。
最初はそれがむずがゆくてむずがゆくて。
…けど。
人というのは、どうやら慣れるように出来てるらしくて。
オレもいつからか、そのむずがゆい生活に慣れてきて。
ああ、きっとその頃ですね。
貴方のオレを見る目が…いつもの険としたものではなくて。
何故だか…どこだか。少しだけやわらかいものになっていることに、気付いたのは。
でも、そんなことあるわけないですよね。
あなたはオレが、ボンゴレに不利益をもたらすことを知っているはず。
そんなオレに、あなたが優しくするはずなんて、あるわけがありません。
芝居、なんですよね。
オレは一応、仮にも「仲間」なわけなんですから。
冷たく当たることはあっても、見捨てるわけには行きませんから。
全ては、つまり、そういうことなんですよね?
分かってます。
当たり前じゃないですか。
…なのに。
あなたに初めて触れられたとき。
あなたに初めて優しい声を掛けられたとき。
そのとき感じた思いは…一体どういうことなんでしょうね。
あなたを見て高鳴る胸を、あなたを見て沸き起こる感情を…オレは認めるわけにはいかない。
だって、
それは、
オレが本当に、裏切り者になる。という意味なのだから。
結局裏切り者を殺す機会のないまま、10年という時が経った。
…機会がなかった、わけではないか。
機会なら、それほど山のようにあった。ただ、あいつはまだ裏切る素振りを見せなかった。
裏切らないのなら、殺す理由もない。
そう思っていたら、もう10年だ。
…どこか、このままでもいいと思っている自分がいることに気付く。
あいつはこの10年で、変わった。
オレもあいつが10年前のままならば、とっくに殺していただろう。
だが。
あいつは今や演技ではなく本当にツナに敬意を評し、右腕であることを誇りに思っているし、仲間のために命を差し出すことすら惜しくは思っていない。
…何度か、それで死に掛けたしな。
それでまさか、オレが手当てをすることになるとは思わなかったが。
…変わったのは、あいつだけじゃないのかもしれない。
前までのオレなら、このままでもいいだなんて、思うはずがないのだから。
このまま終わるわけが、ないのだから。
戻っておいで。
連絡が来たのは、唐突だった。
これまで10年。怪しまれないようにと何の音沙汰もなかったのが、いきなり。急に。
それはつまり、時は満ちたということで。
それはつまり、オレの仲間がボンゴレを襲うということで。
それはつまり―――オレはもうここにはいられないというわけで。
何故か、ぐらりと足元が不安定になったような気がした。
単に、オレの足が崩れ落ちてただけだった。
それだけ、衝撃を受けた。
ああ―――オレには、この仕事は向いてないな。
だって分かっていたはずなのに、こんなにも辛い。
心が折れてしまいそうなほど、辛い。
だけど。
行かなければ。
帰らなければ。
オレの本当のファミリーのところへ。
ある日、獄寺とすれ違った。
その時、あいつの顔色はとても悪かった。
そして、あいつがオレを見てきた表情で―――全てが分かった。
来るときが、来たのだと。
その時が、来たのだと。
オレはとても残念だと思いながら―――…
懐の銃に手を伸ばした。
ボンゴレを出て間もないところに、獄寺はいた。
何かを待っているのだろうか?
そう思うと同時、獄寺が振り向いた。
その目には、覚悟が宿っていた。
と、
「―――リボーンさん」
不意に。獄寺が口を開く。
「…あなたでしたら、きっと来てくれるって、信じてました」
そう言う獄寺は、隙だらけだった。
「…オレを、殺しに来てくださったんですよね?」
そう言う獄寺は、笑顔だった。
その顔には、安心と呼べるものすら浮かんでいた。
「…あなたでしたら、気付いていたでしょう? オレは裏切り者です」
獄寺は聞いてもないのに勝手に話し出す。
まるで、懺悔をするかのように。
「オレは今から本当のファミリーに戻って、あなた方のことを報告します」
笑いながらそう言う獄寺に、オレは…苛立ちが募った。
「さっきからうっせぇぞ。お前」
「…リボーンさん?」
オレはそんな言葉を聞くために、獄寺を追いかけてきたわけじゃない。
ああ、追いかける最初こそは、殺さなくてはいけないと思っていたさ。
だが…
こいつは、死を望んでいる。
オレたちの情報を元いたファミリーに渡さないために、自分に出来るケジメを付けるために、死を望んでいる。
そんな奴、誰が殺せるか。
「裏切り者? 本当のファミリー? 何のことだ?」
「え…?」
「お前は知らないかもしれないが、この辺りは最近物騒なんだ。何の用かは知らないが、出掛けるなら明日にしろ」
「リボーンさん…?」
「帰るぞ」
この人は今一体、なんて言った?
帰るぞ?
誰と?
…オレと?
オレは混乱した。
この人は、オレを殺しに来たんじゃないのか?
まさかオレが裏切り者だと気付いてなかったとか?
そんな馬鹿な。ありえない。
大体、オレは自分から裏切り者だと告発したのに。
それすら無視して、帰る?
……ああ、もう、やめてくださいよ。
オレ、こう見えていっぱいいっぱいなんですから。
虚勢を張ってるだけで、内面はもう…倒れてしまいそうなんですから。
こんな時だけ、優しくしないでください。
甘えさせないでください。
オレはやっとの思いで気を絞って、ここを出る決意を固めたのですから。
あなたが殺してくれるからって、それだけを希望に、ここを出たのですから。
それなのに、何を言ってるんですかあなたは。
オレは裏切り者なんですよ?
「お前。自分を裏切り者…とか言ったな」
「…ええ」
「お前は、不思議なことを言うな」
「え?」
「お前は、一体、いつ、どこで、誰を裏切ったんだ?」
「ですから、それはこれから―――」
って、まさかあなた…
「そう。これからだ。……まだ、お前は誰も裏切ってはないだろう?」
なんて、信じられないことを、あなたは―――
「だから、帰ってこい」
そう言って、リボーンさんはオレに手を差し出す。
「………」
なんて、甘い考え。
プロの殺し屋の思考とは到底思えない。
だけど…
その提案に、乗ってしまいたいと願っている自分がいることに気付いた。
だってオレの心は…
この10年で…
リボーンさんに………
「リボーン、さん…」
オレは一歩リボーンさんに近付いて。
差し出してくれてる手に、自分の手を―――
「ぐ…」
と、その時リボーンさんの様子が急変した。
呻き声を上げ、その場に膝を付いた。
そんなリボーンさん、オレは今まで見たこともなかった。
「リボーンさん!?」
オレは慌ててリボーンさんに近付く。
けれど苦しむリボーンさんに、オレは何も出来なかった。
「リボーンさん、リボーンさん!! しっかりして下さい!!」
「―――いやぁ、迫真の演技だね。隼人ちゃん」
「!?」
聞こえてきた声に、オレは思わず振り向いていた。
そこにいたのは予想と違わず…オレをボンゴレに送り込んだ、オレの本当のファミリーのボス。
白蘭だった。
「白…蘭……」
「やぁ。久し振り隼人ちゃん。迎えに来たよ」
朗らかに笑う白蘭は、胸を押さえ苦しそうに呻くリボーンさんに見向きもしない。
「…白蘭…リボーンさんを苦しめているのは…お前なのか?」
「ん? うん。まだ試作段階なんだけどね、アルコバレーノを始末するための装置を作ったんだ。上手くいったみたいでよかったよ」
「白蘭、頼む…やめてくれ……」
「やめる? どうして? アルコバレーノは僕たちの邪魔になる。早く始末しておかないと、足元掬われるよ?」
「いいから! 頼む!!」
オレが叫んでそう頼み込むと、白蘭は少し煩わしそうな顔をして…なにかをいじった。
けれど。
「ぐ…っああ―――!!」
リボーンさんの悲痛な叫びは、増すばかり。
「―――白蘭!!」
「…僕の可愛い隼人ちゃんを、誑かしてくれたみたいで…まったく、許せないね」
白蘭は、オレなんて見てなかった。
憎しみの目を、リボーンさんに向けてるだけだった。
「死になよ」
白蘭がそう言うと同時。
リボーンさんの身体が大きく跳ねて。
そして…リボーンさんは動かなくなった。
オレの背筋に冷たいものが走る。
「…リボーン、さん…?」
オレがそう呟くも、リボーンさんは無言。
まさか…そんな、あの人が………オレなんかのせいで、
オレはリボーンさんに近付いてみた。
リボーンさんの瞳孔が開いていた。
リボーンさんは息をしていなかった。
リボーンさんの心臓は―――止まっていた。
リボーンさんは、死んでいた。
「あ…あああ、あ―――!!! リボーン、さん…!!」
「だから、演技はもういいって隼人ちゃん」
「白蘭…!!」
白蘭はオレの方など見てはおらず、誰かと連絡を取っていた。
「ん? …ああ―――そうなんだ。ご苦労様。分かったよ。………隼人ちゃん」
「…なんだよ」
「ごめんね。戻って来いって行ったけど、それ取り消し。もう暫くボンゴレにいて」
「………?」
「時が来たらまた連絡するから。…じゃあね」
と言って、白蘭は去っていった。
残されたのはオレ一人。
オレは暫く、リボーンさんの亡骸を抱いて泣いていた。
…戻るボンゴレのアジトにて、
10代目が射殺されたと聞かされることも、知らないままで。
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待ち受ける悲劇の名を、報いとでも呼べばいいのか。
月虹さまへ捧げさせて頂きます。