獄寺ハヤトの暴走



「ほら、ハヤトあまり動くな」


「は、はぅ、ででで、でも…」


「でもじゃない」


「はぅ」


仕事が終わり、みなが帰るときハヤトは自らのマネージャーであるリボーンにあることをしてもらっている。


それをしてもらわないとどうにも落ち着かなくて。けれどこのかなり近い距離は実は毎日どきどきモノで。


(かかかかかかかか顔ー! 顔近いです近い!!!)


そっと、慎重にリボーンはハヤトの顔に指を近付ける。


ハヤトは思わず目を瞑ってしまいそうになるがそれは行為の先延ばしになることにしかならないことも充分理解している。


そして…


「―――よし、ハヤト。コンタクト取れたぞ」


「はぅー、あ、ありがとうございますリボーンさん」


代わりにと差し出されたいつもの愛用の眼鏡を受け取りつつ、ハヤトはリボーンに礼を言う。



ハヤトは現在人気絶頂中のアイドルだ。とりわけその癒し系スマイルに心洗われる人は多々いるという。


しかしその素顔をさらすのはアイドルの時だけ。それ以外のときはアイドルになる前から身に付けている分厚い眼鏡を使用していた。


ハヤトは現役の学生であったが、その眼鏡のおかげで誰もハヤトの事をトップアイドルと結びつける人はいない。


ただ…問題はハヤトはコンタクトにどうにも馴染めないらしく。付けている間はいつも目を擦ったり瞬きを繰り返したりと落ち着いていなかった。


どういうわけか厚い信頼を置いているリボーンが付け外しをするときにのみ、どうにか馴染めるらしくて。


だからアイドルハヤトの一日はリボーンにコンタクトを付けてもらうことから始まり。そして今のようにコンタクトを外してもらうことで幕を閉じる。


「えへへ。お疲れ様でした、リボーンさん」


「ああ。お前もな」


正確にはまだ二人は別れないのでその台詞を言うのには早いのだが、一先ず区切りというわけでコンタクトが外されると毎回この台詞は言われている。


「明日はステージで撮影だったな」


「あ…はい。ちょっと恥ずかしい…です」


「そういえばあの服を用意したのはツナだったな。…あの露出の多さはあいつの趣味か…? まったく」


「はぅ、ぴちぴちの衣装ですー。でも社長が用意する衣装っていつもサイズぴったりなんですよね。…なんででしょう?」


そんな雑談をしながら、このあと二人は迎えに来た雲雀の車に乗って寮へと戻った。





そして翌日。ハヤトが目を覚ますと何故だか寒気が襲ってきた。


「…?」


ふるっと身体を震わせる。はて。どうしてしまったのだろう。


ベッドから立つと軽い立ちくらみも感じたが、我慢出来ないほどでもない。


ハヤトの休みはカレンダーによると明日となっていて。…今日一日を乗り越えれば休めるのだから頑張ってみようと思った。


(皆さんに…リボーンさんにご迷惑をおかけするわけにもいかないし…)


そう決意を固めたあとにくちゅんと可愛らしいくしゃみが漏れたがハヤトは気にせず。そうと決まればと着替えに取り掛かった。



ちなみにこの数分後、雲雀がいつものように眠っていると思い込んでノックもしないまま部屋に入り込んできて。


…数秒の沈黙ののち、マッハの勢いで土下座して謝ったとかなんとか。





「ん…ふ、ぁ…」


そうして出社したはいいが、状態は酷くなるばかりで。今では歩くだけでふら付きを感じるほどで。


「ぅ…ぁう」


とうとうハヤトはその場にしゃがみこんでしまって。その拍子に眼鏡を落としてしまって。


「あ…だめ…めがね…」


眼鏡がないと数センチ先すらもぼやけて見えてしまう。それは精神的にも辛くて。ハヤトは慌てて眼鏡を探す。


「めがね…めがね…」


ぺたぺたと床を手探りで探していくが見つからない。見当たらない。


と、ハヤトの後ろの方からこつこつと誰かが歩いてくる音がして。ハヤトは振り向く。


視力の悪い目で誰だろうと模索する。ええと、あの背格好。そして髪の色と長さから考えて…


「えーと、山本さんですか?」


「!?」


違ったようだ。だって物凄くショックを受けている。


「あ、山本さんじゃないなら雲雀さんですか!?」


「…キミって眼鏡ないと本当何も見えないんだね…ていうかその二択だったんだ…」


雲雀は物凄く物凄く悲しそうだった。


「あ…ごめんなさいです雲雀さん。ハヤト…」


と、またもこつこつと靴音が響いて。ハヤトはそちらの方を向く。そこには…


「………パイナップルさん?」


「クフフ。物凄く真面目な顔から出てくる台詞とは思えませんが、とりあえず違います」


「あ、その声は骸さん。おはようございます」


「はい。おはようございます」


本来ならばライバル同士のはずなのにどうして本人達はこうも朗らかなのか。


「それよりもハヤト。また眼鏡落としちゃったの? …はい」


雲雀はハヤトの足元に落ちていた眼鏡を拾い上げて渡してあげた。


「あ、ありがとうございます、雲雀さん」


ハヤトは力なくそれを受けとって。掛けて。…すぐ間近に骸の顔があった。


「わ…」


「んー? なんだか顔が少し赤くないですか? ハヤトくん」


「え…? あ、これは…」


なんでもないんです、そう言いながら立とうとするが、身体は上手く動かずにそのままぺたりと床へ舞い戻ってしまう。


「…ハヤト?」


雲雀がハヤトを覗き込んでくる。しかしそれに注意を払う間すらなく。


どさ…


「ハヤト? ハヤト!」


「ハヤトくん…!?」


雲雀と骸が自分を呼んでいる。しかしそれに受け応えることも出来ない。


火照った身体には冷たいフローリングの床は逆に心地良いんだな、なんて少し場違いなことを思いながら。


ハヤトは意識を手放した。





目が覚めると、そこは白いシーツの上で。


ハヤトは夢心地でやはり白い天井を惚けながら見ていた。


「目は覚めたか?」


その声に、自分の近くに誰かがいることを知る。その声は知っていた。それは…


「リボーン、さん…」


それは自分のマネージャーで…そして自分の想い人でもあるリボーンで。


「お前、いきなり倒れたそうだぞ。…まったく、自己管理も出来ないのか。お前は」


「あ、ぅ…」


なんの反論も出来ない。それに自分はみんなに…何よりも彼に。迷惑を掛けたくないと出社したというのに結果的にただ休むよりも迷惑を掛けている。


「ごめ…ん、なさい」


「…まあ、いい。そういえば最近満足に休みも取れなかったしな。いい機会だと思って暫く休んでろ」


言って、リボーンはハヤトの頭を撫でてくれる。


その感覚はとても優しくて心地良くて。ハヤトはこの手が大好きで。


「じゃあ、オレは仕事に戻るが…お前はしっかりと休養に励めよ」


「あ…」


手が、彼が。離れる。遠のいてしまう。


それは寂しくて、淋しくて…思わず縋るように手が伸びてしまって。


「…? どうした。ハヤト」


思わずきゅっとリボーンの服の袖を掴んでしまったハヤト。不思議そうに聞いてくるリボーンに慌ててしまう。


「ぁ、いえ…な、なんでも…ないんです。リボーンさん…」


本当は行ってほしくない。本当は傍にいてほしい。だけどそれは言えなくて。


ハヤトは自ら掴んだその手を開放しようとする。手の中に入れた温もりを自ら手放そうとしている。


すると…


「…まぁ、いい」


「はぅっ!? リボーンさん?」


手を離して、リボーンはそのまま部屋を去るのかと思ったら開放された手はハヤトの頭にまた伸びてきて。撫でて。


「暫く傍にいてやるから。そんな顔をするな」


「リボーン、さん…」


ハヤトはリボーンさんを困らせてしまったという思いと、自分の気持ちが分かってくれたという想いに切なさと嬉しさが募って。


目を瞑るとすぐに夢の中へとハヤトは落ちていった。



ハヤトが夢の中にいる間も、その手の平の温もりは消えることがなくて。


暫くしたのち、ハヤトが薄っすらと意識を取り戻してぼんやりと目を開けたときにも。そこには寝る前と変わらぬ黒いシルエットがあって。


眼鏡がなくても自分が彼を間違えることはない。彼だけは。何があっても。


でも間違えるはずのないその人がいることがハヤトには信じられなかった。だってもうその人は仕事に戻っていると思っていたから。


(リボーン…さん…? なんで…)


思いながら、ハヤトはこれは夢なのだと悟る。こんな都合のいいこと夢でなくてなんであろうというのだろうか。


(でも…夢でも…嬉しい)


ハヤトは彼に想いを寄せていて。でも彼はハヤトの気持ちには振り向かない。…そう、ハヤトは思っていて。


だから夢の中だけでも。振り向かないはずのあの人がここにいてくれることが嬉しくて。それだけで十二分に満足で。


「リボーン、さん…」


「ん? なんだハヤト。起きたのか」


ぼんやりとしている意識。熱い頭と身体。纏まらない思考の中、ハヤトは自分の想いをそのまま伝える。


「…好き、です」


「………」


リボーンが少し驚いた顔をしている。けれどハヤトはそれに気付かぬまま言葉を続ける。


「すき…好きなんです。リボーンさんが…だいすき、なんです…」


「…そうか」


一呼吸置いて、リボーンはオレもだ、とハヤトに告げる。


(…ああ、やっぱりこれは夢なんだ)


だって。あの人がこんなこと言うわけない。だってこの人は自分になんかに興味ないから。


でもそれでも、この人は好きだと言ってくれた。夢の中だけど、自分の事を好いてくれていると。


「ハヤト…ずっと、リボーンさんと離れたくないです。…ずっと…いつまでも…傍にいたいです」



夢を見た。今この場も夢だけど、この夢の前の夢。


…リボーンさんのお嫁さんになってる夢。


自分とリボーンさんは大きな家を買って。そこに住んでる。


そこではいつも。一緒で。


朝起きたらすぐ隣にはリボーンさんがいてくれて。おはようのキスをしてくれる。


ご飯は一緒に食べて。一緒に出掛けて。


…リボーンさんにお弁当を持たせる。前の晩に下拵えをしておいたハヤトの手作り弁当。


まだまだお料理は勉強中だけど…でもリボーンさんはいつも残さず食べてくれて。それが嬉しくて。もっと頑張ろうって。


仕事を終えて帰ってきて。でも帰るのは一人じゃなくて。…すぐ隣に、リボーンさんがいてくれて。


いつまでも一緒。ずっと一緒。眠るときだって同じ布団で。リボーンさんは寝る前にお休みのキスをしてくれて。



…そんな夢を見て。


目が覚めたとき、なんだか切なかった。


とても幸せな夢だったのに、起きたらなんだか悲しくて。


…夢と現実との差があまりにも開きすぎていて、虚しくて。


いつしかハヤトの目には涙が溜まっていた。


「ぅ、…っく、ハヤトは…お仕事以外でもリボーンさんと一緒にいたい…です」


「ハヤト…泣くな」


リボーンはハヤトの流した涙を拭ってくれる。慈しむように、優しく。


「ずっと一緒にいてやるから。だから泣くな」


「リボーンさん…」


その優しい仕草と、言葉に。ハヤトは涙も熱も忘れて微笑む。


ああ、なんて都合のいい夢。なんて幸せな夢。でも…


(たまには…いいですよね。こんな夢を見ても…)


ハヤトは更に笑って。


「…はい。…ありがとう…ございます」


言い終るとハヤトはまた目を瞑る。暫しして静かな寝息が聞こえてきた。…どうやらまた眠りに着いたようだ。


それでもどこか不安げな表情。先程の幸せそうな様子とは一転した夢でも見ているのだろうか。


リボーンはハヤトの手を握ってあげて。そうすると先程までの様子が嘘のようにハヤトの顔が安らかなものに変わる。


その分かりやすすぎる変化に内心リボーンは苦笑しながら。


「…言っただろ。一生面倒見てやるって」


言って聞かせるような口調で囁かれたその言葉。


けれど残念なことに、ハヤトがそれを聞いたのは夢の中でのことだった。





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けれどその思いが伝わるのは、そう遠くない未来の話。


ヒビキミトリ様へ捧げさせて頂きます。