オレはリボーンさんに仕舞われるがままズボンのポケットの中に入った。いつもの場所。いつもの定位置。


そこでオレは考える。思い出そうとする。昔のこと。これまでのこと。


けれども頭に浮かび上がるのは、朝、机の上で待機していることや手紙を受け取ったり送ったりしたことだけだ。


リボーンさんとどんな会話をしただろう。リボーンさんはどんな顔をしただろう。オレはなんと返しただろう。


考えても、考えても―――思い出せない。


リボーンさんに買われたのはいつだっただろう。初めて会ってからどれくらい経っただろう。


………。


どれだけ頭を働かせても思い出せず、考えたくない、思い当たりたくない予想がオレを襲う。


寿命。


最近、すぐ疲れるし、眠くなる。


細かいことを忘れ、動きも鈍くなった。


ああ、ああ…どうしよう。


こんなこと、もしリボーンさんに知られたら、いや、聡いリボーンさんはもしかしたら気付いているかもしれないけど、どうしよう。


オレは棄てられるのだろうか。


使えぬ機械の末路など知れている。そしてきっと、オレもその道を行く。


怖い。


そうなるのかと思うと、その未来しかないのかと思うと怖くてたまらない。


そもそも、今の段階でだってオレはリボーンさんに不便を強いているのに。


人間の技術は凄まじく、日に日に生まれるオレの弟妹たちは今やオレが足元にも及ばないぐらい高性能で、スマートで、機能美に満ちている。


そう、それだけで。オレが棄てられる理由なんてそれだけで十分なんだ。


リボーンさんは、物をすごく大事にする方だけど。


でも壊れてしまったら。故障してしまったら、流石に買い換えるだろう。現に姉貴は既に三代目だ。


ああ、嫌だなあ、嫌だなあ。


オレは身を丸める。暗い。あたたかい。安心する。


このぬくもりが、この世界が、オレだけのものでなくなるなんて、オレ以外の誰かが感じるなんて、考えたくもない。


リボーンさん、リボーンさん、リボーンさん。


棄てないでくださいと、大きな声で言いたい。他の携帯を買わないで。オレだけを使ってくださいと。


オレは画素数は少ないし、メモリだって多くないです。


GPS機能も付いてないし、財布やカード代わりにも使えません。


大きなファイルは読み込めません。機微な操作も出来ません。


でも。


オレは、あなたが、好きなんです。


あなたの指が、あなたの声が、あなたの目が、あなたが。


好きなんです。


涙が出てくる。嗚咽が漏れる。堪えたいのに、気付かれたくないのに、身体が言うことを聞いてくれない。


「…獄寺? どうした?」


案の定、オレの異変に気付いたリボーンさんが声を掛けてくださった。


オレはなんとか平静を整える。涙を引っ込める。なんでもないふりをする。


「…なんのことですか?」


「お前、今何か言わなかったか?」


「何も言ってませんよ。ああ、でも、うたた寝してたので何か寝言を言ったのかも」


「…そうか」


どこか釈然としない声がした。話題を変えよう。


「リボーンさん」


「ん?」


「リボーンさんは、オレを買ったときのこと。…覚えていますか?」


言いながら、覚えていないのだろうな。と半ば諦めの思いを持っていた。


けれど。


「ああ、覚えているぞ」


すぐに返ってきた言葉に、目を見張った。


ポケットの中から顔を出せば、リボーンさんは笑っていた。


「あれは5年前の春だったな。店頭で売られていたお前に、オレは一目惚れした」


「え…?」


その時のことを思い出しているのか、リボーンさんがくっくと笑う。


「それまで携帯に興味なんてなかったんだけどなあ。お前の格好良さに思わず手に取って、そのまま買った」


リボーンさんの言葉を聞いて、脳裏に何かの映像が過ぎる。





桜が舞っていた。青い空に、薄い雲が敷かれていた。


眩しい日差しから逃げるように影に寄り、吹かれる風に身を任せていた。


そこに、一際濃い影が降ってきたんだ。


目を開けて、見上げるとそこには真っ直ぐな目線でオレを見るあなたがいた。


ああ、そうだった。そうでした。


そうだ。あの日。あなたと目が合って。そうかと思ったら、気が付いたらオレはあなたの手のひらの中にいた。


あなたの目はキラキラしてました。その少年のような目に、オレは思わず苦笑しました。


だってオレは、その時ですら既に型遅れで。売られている時すら廃棄処分セールだったのだから。


そのことをリボーンさんに告げると、リボーンさんは意外そうな声を出した。


「なんだそうだったのか? そういえば安かったな」


リボーンさんはオレが初めての携帯電話ということで色んなことを試してましたね。


時には取扱説明書を片手に一喜一憂していて、そんなあなたを見るのは微笑ましかったです。


ああ、オレを高いところから落としてしまって本気で心配してくださった時もありましたね。


思い出す。思い出せる。あなたと出会ってから、今日までの出来事、全部。


あたたかな思い出に包まれる。幸福を感じる。


…今なら。


今なら、聞ける。結果棄てられる未来となっても、受け入れられる気がする。


「…リボーンさん」


「ん?」


「オレ、最近よく眠くなるんですよ」


「そうか」


「それに疲れやすくて」


「電池もすぐ切れるようになったしな」


「ええ」


息が詰まる。声が震えそうになる。


それでもオレは口を開ける。


「オレ…もしかしたら、もう、寿命……なのかも、知れません…」


「………」


リボーンさんが黙る。オレも黙る。二人の間に沈黙が流れる。


やがて、リボーンさんが頭を掻きながら呟いた。


「…なんとかなんねーもんかな」


「え…?」


「修理に出すとか、部品を変えるとかしたら復活しねーか?」


「リボーンさん…まだオレを使ってくださるんですか?」


「ん? お前は嫌か? もう休みたいか?」


「そんなこと! でも、オレ、もう、だいぶ古い型ですよ?」


「そうだな。それが?」


「画素数が少ないから、写真だって鮮明にも撮れません」


「別に今のままで十分だ」


「メモリが少ないから、あまりデータを持てませんし」


「今の状態でも容量が余っているぐらいだから、大丈夫だ」


「便利な機能も持ってませんし」


「どうせ使わない」


「…修理に出すより、新しいのを買ったほうが安上がりかもしれません」


「かもな」


初めてリボーンさんがオレに同意した。


「でも、」


でも、すぐに言葉を返す。


「でも、まあ、それでもオレはお前がいいな」


―――――。


ああ、もう、本当に、この人は。


どうしてオレが言ってほしいことを、オレの望むままに、言ってくれるのか。


オレがそれを尋ねる前にリボーンさんの指先がオレを撫でる。くすぐったくて、気持ちいい。


「オレはお前が好きだからな」


「リボーンさん…」


オレは嬉しさのあまりに感極まって。何かを言いたいのに言葉が出なくて。


ようやく落ち着いた時には、





空気が、


世界が、


一転していた。





冷たい空気。


針で出来ているかのような世界。


このままここにいたら触れられただけで壊れそう。


状況についていけず混乱する。いつの間にかリボーンさんの指はオレから離れ、その目はあらぬ方角を見ていた。


「り…」


「チッ」


リボーンさんが舌打ちし、地面を転がる。オレは放り出されないよう必死にしがみついていた。


乾いた音がいくつも聞こえ、変な臭いが辺りに立ち込める。オレには何が起こったのか、何が起きているのか分からない。


世界が回る。ぐるぐる回る。音があちこちから聞こえて。もう何がなんだか。


オレは頭を抱えて嵐が過ぎ去るのを待った。





どれほどの、時間が経ったのか。


気が付けば、何も聞こえなくなっていた。


ぎこちない身体をなんとか動かし、ポケットから顔を出してリボーンさんを見上げる。


リボーンさんは険しい目をしていて、怖い顔をしていた。


とてもではないが声を掛けれる雰囲気ではなく、オレが逡巡しているとリボーンさんの方からオレに気付いて声を掛けてくれた。


「ああ、すまない獄寺。驚かせたか?」


「ええと…」


オレがなんと言うべきか迷っていると、リボーンさんがまた険しい表情をしてあらぬ方角を睨んだ。


そしてまた、一際大きな、乾いた音。


オレの世界が、大きく揺れた。


世界が崩れる。世界が倒れる。オレの身体に衝撃が走り、オレは意識を失った。










目を、覚ます。


………?


ええと…なにがどうなったんだっけか。


起きる前のことがどうにも思い出せない。


ここは…リボーンさんのポケットの中か。この時間はいつもなら机の上にいるんだけどな。置き忘れたかなリボーンさん。


もぞもぞと身体を動かして、ポケットから顔を出す。なんと。ここは外ではないか。


リボーンさんが外で寝るとは珍しい。こんなこと初めてではあるまいか?


どうりで身体も冷たいと思いました。こんなところで寝てるから、すっかり身体が冷えてしまって。もう、いけませんよリボーンさん。


ともあれ、なんであれ、オレは仕事をしなければ。いつもの仕事。朝の仕事。


いつもは、いつもならリボーンさんが起きてオレの朝一の仕事は不発に終わるのだけれど、どうやら今日は初めてこの仕事が出来そうだ。



「リボーンさん」



リボーンさんに声をかける。リボーンさんはぴくりとも反応しない。


ふふ、もう、ぐっすりと眠ってしまって。寝起きはいい方だって、言っていたのに。



「リボーンさん、リボーンさん」



リボーンさんの身を揺する。声を掛ける。


けれども、リボーンさんは起きない。



「リボーンさん、リボーンさん、リボーンさん」



オレはリボーンさんに声を掛ける。リボーンさんが起きるまで。それがオレの仕事。


ああ、でも、けれど、そろそろオレの電池がやばいです。


昨日の朝、少し充電しただけですから、そろそろ残量がなくなります。


それまでに、リボーンさんが起きてくれると、いいのだけれど。


早朝の路地裏で、場違いなオレの声が小さく響き渡る。繰り返し、繰り返し。


ねえ、リボーンさん。起きて。早く。早く起きてください。


早く起きないと、オレの電池が切れて、あなたを起こす方がいなくなってしまいます。





   リボーンさん、起きて。



                    リボーンさん、早く、



          リボーン さん。



               リ  ボー     ン さ ん



         リボー  ンさ   ………





   ……………。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最後の最後までオレはあなたの名前を呼ぶ。

ああ、世界が白い―――