- 沢田編 -





「………はぁ」


ハヤトの口から漏れるは、重いため息。


どんよりとした暗い雰囲気を漂わせて窓の外をじっと見ている。


「……………はぁ」


更にため息。そこにいつもの明るさはなくて。


ハヤトの脳裏に昨日の出来事が蘇る。





「…その感情はだな、ハヤト。…オレに対するものじゃないだろう」


「―――え?」



それはハヤトの想定してなかった言葉。


振られるとは思っていたけど、まさか違うと言われるなんて。



零れるため息が止まらない。受け入れてほしいとまでは言わないけど。でも…自身の気持ちの行き先を分かってほしかった。


…それとも。


まさか本当にリボーンの言う通り…自分の想いは彼への想いじゃなくて、勘違いか何かなのだろうか。


あの人が言うことはいつだって正しい。だから今回も…そうなのだろうか。


だとするならば彼にはとんだ迷惑を掛けてしまった。でも、本当にこの気持ちは彼へと向かっていないものなのだろうか。


分からない、分からない。気持ちが落ち着かなくて。整理が付かなくて。落ち込んで。…またため息。


「―――そんなに沈んで。どうしたの?」


聞こえてきた声に振り向けば、そこにはいつも笑ってて。いつも優しい、沢田綱吉の姿。


「…社長。………いえ、なんでもないんです」


ハヤトは無理に笑って返答する。沢田社長は苦笑しながら。


「悪いけど、全然大丈夫そうには見えないよ。………ね。今日は何か用とかある?」


「え…?」


用。…特にない。そもそも今日は普段通り仕事の日だったのに、何故だか社長がいきなり今日は休暇だと知らせてきたのだ。


「何もないならさ。これからオレと町に出ない?」


「社長と…ですか?」


社長は微笑みながら問い掛けてくる。ハヤトは少し悩んで。…でも。


何もないまま休日を過ごして。ため息を吐くだけというのも勿体無いし。何より社長の行為を無下にも出来ない。


「分かりました。ご一緒させて頂きます」


先程よりも無理の取れた笑みでハヤトは社長にそう言って、一緒に町へと出た。





どこに行くのだろうと一緒に着いて回れば、社長とて特にどこに行くかなんて決めてなかったらしく共にあちこちを回って。


例えば、アーケード内のショッピングセンターでウィンドウショッピング。


社長はハヤトに欲しいものはない? と聞くがハヤトは首を横に振るばかり。頑ななハヤトに社長は苦笑。


しかしそれも仕方なくて。


少し前、社長がハヤトに「なんでも一つ欲しいものが手に入るとしたら?」と聞いてきて。


それにハヤトは少し恥ずかしそうにしながら、


「…街中に飾ってあるクリスマスツリーがあるじゃないですか。あれの天辺のお星さまがずっと前から欲しくて」


何て言ってから数日。ハヤトの所に本当にお星さまがやってきた。


目を丸くするハヤトに社長はただ一言。


「最近頑張ってたから、そのご褒美」


なんていとも簡単に言ってきて。しかも社長は「簡単なもので拍子抜けしちゃったから次はもっとランクの高いものをリクエストしてね」とか…


恐れ多くてそれ以降例え冗談でも社長には「あれが欲しい」なんて言えないハヤトなのであった。


それは今日まで尾を引いているらしくて。社長はそんなこともあったと思い出してはまた苦笑していた。


「そんな遠慮しなくていいのに」


「そんなの無理ですって。社長と買い物なんて出来ません」


「なんで?」


本当に不思議そうに言ってくる社長にハヤトは少し考えて。


「例えば…ハヤトが、あのお店のお人形が欲しいです、って言ったらどうします?」


「店ごと買ってあげるよ」


「駄目ですー!!!」


基本的に価値感の違う社長であった。





アーケードを抜けて、そこに飛び込んできたのは映画館。


「丁度いい。見て行かない? ハヤト」


「何の映画なんですか?」


「さぁ…でもきっと。面白いよ」


そう社長に促されて、ハヤトは映画館へと入っていった。


客は上々。ざわざわと静かに騒いでいて、上映時刻を今か今かと待っている。


ハヤトは暗いのが苦手なのでぎゅっと隣に座っている社長の服の袖を握って。それに気付いた社長は「大丈夫だよ」って笑ってハヤトの頭を撫でてくれた。


ハヤトがその手の感覚にぽーっとなってきた頃。映画開始を告げるブザーが鳴ってハヤトはゆるりと視線をスクリーンへと向ける。


幕が割れて、画面に映像が映りだされる。


ホラーモノだった。


客席にハヤトの悲鳴が響き渡った。





「あはははははははは!」


「は、はぁあああああぅ…無理です。駄目です。あんなの人が見てはいけません……」


満面の笑みで笑っている社長と対照的にげっそりとしているハヤト。一人では立てないのか社長に支えてもらっている。


「はは、は…あー笑った。まさかハヤトがあんなに怖いのが苦手だったとはね」


「あ、あぅ…だって…怖いじゃないですか。あ、あぅぅぅぅぅぅ」


大声で叫びまくったのが原因か喉が痛い。そして脳裏にはそれほどショックだったのか先程の映画のシーンが映し出されていて。あうあうと首を振って追い出す。


「あはは。でも、少しは元気になったんじゃない? 少なくともため息はもう出ないでしょ」


「え…?」


言われて…そうして気付く。確かにもう、会社の中にいたときの欝な気分はどこかへといっていた。


「あ……」


「さて。大声出したからお腹も空いてきたでしょ。食事に行こうか」


「ま、待ってくださ…まだ、歩けな……」


「ん。大丈夫」


社長はそう言うと。


「―――――へ?」


ハヤトの肩とふくらはぎを掴んで―――…そしてひょいっと。持ち上げた。


お姫様抱っこの完成だった。


「はわ―――――!? しゃしゃしゃ、社長ー!?」


「ああ、喉を痛めるといけないからそれ以上叫ばないで」


そう言っている間にもどんどん進む。ずんずん進む。人にはばっちり見られてる。


「お、おおおおおおおおお、お降ろして下さいーっ」


「お店に着いたらね」


「はぅー!!!」


結局降ろしてもらえたのはお店に着いて中に入って。そして席に座らせてもらえてからだった。





「ねー、いい加減機嫌治してよー」


「し、知らないんですっ社長なんか知らないんです!」


流石にお姫様抱っこは恥ずかしかったらしい。ハヤトは顔を真っ赤にして社長のばか、と繰り返していた。


「オレが悪かったって。ちょっと悪ふざけが過ぎました! …あ、料理が来たみたい。食べよ?」


ウェイターが社長の頼んだ料理を運んでくる。やってきたそれは豪華に山と海の幸を使った高級料理。


「ちょっとテーブルマナーが必要なんだけど美味しいんだよね…ハヤト。食べ方分からなかったらオレが―――って」


「はい?」


ハヤトは長い指先でナイフとフォークを使って。優雅な仕草で既に食事を始めていた。社長の見る限りテーブルマナーに問題はない。いやむしろ…


「やば…オレより上手いかも」


ハヤトにテーブルマナーを教えてあげようと検討していた社長はちょっとがっくりしていた。





「…意外だなぁ。高級レストランでの食事法なんて一体いつの間に学んだの?」


食事をしながらの会話。ハヤトの機嫌は美味しい食事にかそれとも時間の経過でか治まっていた。ハヤトは儚げに笑いながら、


「―――実は、リボーンさんに…」


実はハヤトは、毎晩明日、または来週の打ち合わせをリボーンとしていた。そのときついでにと食事も行いながら。


「マナーはそのときに教わったんです」


「へえ…ていうか毎晩ハヤトとディナー? リボーンもよくやるよ…」


オレの用事も蹴ってまでとは本当によくやる。とツナは内心毒付く。無論表には出さないが。


「―――そろそろ出ようか。お腹も膨れたしね」


「え…あ、はい…?」


どことなく不機嫌そうな社長に不思議がるハヤトだった。





お店の外を出て、今度は二人でゆっくりと歩いていく。


ゆっくりと、ゆったりと。まるで時は無限にあるかのように。何も気にせず風に吹かれながら。


けれどそんははずもなく時はゆっくりと流れてく。一日が終わっていく。


気が付けば空は青から紅へと変わっていって。社長はハヤトを小高い丘のある公園とへ誘う。


…そこで夕日を見て。そうして帰ろうというのだ。


ハヤトはそれに了承して。丘へと登っていく。


そこにはなるほど、社長が見ようと誘うのも頷けるほどの綺麗な夕日が広がっていた。


「わ…社長! 凄いです! 凄い凄い! あんなにまん丸です!」


「うん。…ハヤト。そんなに走らないで。転んじゃう」


平気ですよー! と笑っているハヤト。もう朝の落ち込んだ様子はどこにもない。


「………ね。ハヤト」


「はい? なんですか社長」


「―――名前で、呼んでくれないかな」


「…? 綱吉…さん?」


ハヤトのその言葉に、社長はうんと満足げに頷いて。ハヤトを呼び寄せる。


「ね。…ハヤト」


社長はハヤトの肩に手を置いて。その顔を真っ直ぐに見て。


ハヤトは初めて見た社長の真剣な眼差しに何事だろうと模索する。けれど何も分からない。


「オレ…さ。最初はキミのこと。子供だって思ってた」


最初はそうでもなかったのに、気が付くと目が離せなくて。放っては置けなくて。


いつからか何かと用事を無理矢理にも付けて。彼女の様子を見に来たりして。


ハヤトを中心に騒ぐ周りを見て。そして笑ってひっそりと帰って。それで満足。


…たまに、騒ぐみんなの渦を更に乱して帰るときもあったけど。


「でもね。それは違った。―――キミは子供じゃなかった」


当たり前のことなんだけど、でもそれに気付けなかった。


彼女は一人のか弱い女の子なんだってことに。気付けなかった。


「キミはとても魅力的な女性だった」


そのことに気付いたら。…気付いてしまったら。まるで急に波が来たかのように感情が爆発して。


くるくる変わる表情が可愛らしい。


いつも一生懸命な仕草が愛おしい。


この自分の気持ちに気付いたのは、皮肉なことに…彼女が想い人に振られてから。


彼女の気持ちは知っていた。けれどあいつは仕事の鬼だから。ハヤトに見向きもしない事だって理解していた。


他人の気持ちはこれ以上なく分かるのに、まさか自分自身の感情に気付くのにこんなにも時間が掛かるだなんて…


まったく、不覚だと社長は笑う。


―――沈むハヤトは見ていて辛かった。


この分だと仕事に行かせても上手くいかないだろうと判断して無理矢理にも仕事はキャンセルした。彼女には休暇を。


そうしてハヤトと共に町を出歩く。…少しずつ元気になっていく彼女を見るのが楽しかった。


そして。…ゆっくりと時をかけて彼女を見て。自分自身にずっと自問していた。


本当に自分は彼女のことが好きなのかと。


ずっとずっと考えて。そうしているうちに日が暮れて。…そして。結果がようやく出た。


「ハヤト」


短く放った彼女の名前。彼女はこちらを見上げている。


手から伝わる細い肩。細い身体。きっと抱き締めたら折れてしまう。そんな華奢な身体。


「―――――好きだよ」


社長はそう言うと、何か言葉を発そうとしていたハヤトを引き寄せて。


その唇を奪った。




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