その昔、オレは過ちを犯した。


守らないといけないものを、守れなかった。


何一つとして罪を犯してないのに、何も悪くないのに、冷たい目で見られていたあいつを。


あいつがずっと―――恐らく死ぬまで―――気にしていた、あいつの子供を。


隼人を。


オレは守れるはずだったのに、守れなかった。


そのとき、たまたまオレはその場にいなかった。…なんて、そんなの何の言い訳にもならない。


あいつが…自分の母親が死んでいたということを知った日。


そのときあいつは一人だった。


絶望の淵に立たされ、けれど誰も手を差し伸ばさなかった。周りは自分ではない誰かが、きっと傍にいてくれているのだろうと何の根拠もなく勝手に信じていた。


そしてオレが獄寺の城に戻ってきたとき。


隼人は既に城を出ていた。







隼人が城を飛び出してから数年。何の奇跡か、偶然にもオレたちは再び会えることが出来た。


隼人は自分の夢を目指して、頑張っていた。自分の仕えるべき君主を見つけだし、どうやら友と呼べる人種も出来て。


何より城にいた頃のように、髪や目のことで何かと奇異の目で見られることも格段に減っていたようだった。(それでも目立ってはいたようだが)


隼人はたくましく成長していた。頼れる存在もおらず、たった一人で頑張って。


だけどやはり今まで無理をしてきた分か、隼人は心が弱かった。そして隼人はそんな自分が嫌らしく、徹底的にそれを隠そうとしていた。


…オレから見れば、バレバレなわけだが。


だからオレは、隼人の心が弱まっているときには声を掛けて、よく相談に乗っていた。あいつは自分から弱みになるような話をするはずがないということは分かっているから、やや強引に。


そうでもしないとあいつは全てを溜め込んで、どれだけ辛くても呑み込んで倒れてしまうから。


あの日も、そんな時だった。


普段通りに振舞ってるくせに、ふとした瞬間に憂い顔になったり、ため息を吐いたり。


また何か悩んでいるのか、と思いオレはいつものように隼人に話しかけた。


そして、そのときの悩みというものが…まぁ一言で言えばだ。リボーンに叱られた、というものだった。


流石のオレも、それを聞いたときは顔をしかめた。それはオレが解決出来る問題じゃなかったからだ。


リボーンのスパルタ指導は最初からだし、それは別に隼人にのみ冷たく当たっているというわけでもない。…まぁ、元からマフィアであるという立場からか、一般人のガキどもと比べたら厳しいようには感じられたが。


だからってリボーンに「隼人にもう少し優しくしろ」とは言えないしなぁ…


悩みつつ、ふと隼人を見れば隼人は叱られたときのことを思い出したのか肩をしょんぼりと落として、俯いていた。よっぽど堪えているみたいだった。



「シャマル…オレ、リボーンさんに嫌われたかな…」


「いや、それだけはないから安心しろ」



隼人の弱々しい言葉に、オレは即答で答えていた。が、別に慰めで言ったわけじゃない。


リボーンは誤解を受けやすいが、実はああ見えて意外と(本当に意外と)生徒思いだったりする。厳しく接するのも嫌っているからでは決してない。



「あいつの愛情は分かりづらいんだよ。むしろあいつは下手に優秀な奴よりも少し覚えが悪い方が好きだから気にすんな」


「……そうなのか…?」



オレの言葉に、どこか隼人は安堵しているように見えた。


……ああ、そうか。と、オレは思い当たった。


そういえば隼人はリボーンを尊敬してるんだったな。と。



ああ、なんだ。なんかさっきからやけに落ち込んでると思っていたらそれか。リボーンに嫌われないかとはらはらしていたのか。


で、その心配はないってオレが言ってやったから安心したと。


そんだけか。別にスパルタが嫌じゃないのか。なんだそうか。


となればオレもほっと一安心だ。


変に心配してしまった分、それが空回りだと分かると安心からか悪戯心が沸いてくるというものだ。


どれ、ちょっとからかってやるか。



なんて、そんな事を思ったのが間違いだったんだ。



「なんだ? 嫌われないかと落ち込んだり、好かれているといえば浮き上がったり。お前はリボーンに恋でもしているのか?」


「んな…!?」



隼人は瞬時に顔を真っ赤にさせた。


オレはそのまま隼人が怒鳴り散らしてくるかと思った。それか殴りかかってくるか。


だけど隼人は目を見開いてから……それ以上は何も言ってこなかった。


何も言わない代わりに、更に更に顔が赤くなっていく。



「………隼人?」



らしくない反応に、戸惑ったのはオレの方だ。


これでは、まるで……



「オレが…リボーンさんに…恋って……好き……って、」



オレの背を、冷や汗が流れた。



「―――…やっぱりそうなのかな、シャマル」



少し気不味そうに、照れを隠すようにそっぽを向きながら、隼人はそう言った。


男に言うべき言葉ではないだろうが、まさに恋する乙女の顔で。








そのときのことを思い出して、舌打ちをする。


結局、本当に隼人はリボーンに惚れていた。ただ自分の気持ちに自信が持てなかっただけで。


自分の感じている思いが、尊敬の念なのか、それとも恋と呼ばれるものなのか、ただそれが分からなかっただけで。


それが恋の方だと、それを気付かせたのが他の誰でもない自分自身ということが一番腹立だしかった。


そりゃあ、隼人だって人の子だからいつかは誰かに恋をしたりもするだろう。


だけどその相手が、まさかのリボーンかよ。


そのときの衝撃といったら。いや参ったね。それまでなんちゃって保護者を気取ってはいたけど、馬鹿みたいにショックを受けた。


たぶん、娘に男が出来たと聞いたときの父親の反応がこれなんだろうな。


ともあれ、今まで相談役というポジションを得ていたせいか、それとも想いを気付かせたせいか…それからの隼人の恋の悩みまで受けることになった。


正直な話…思い留まるよう、ただそれだけを言っていた気がする。


その成果もあってか、隼人はリボーンを想いこそすれ告白までは至ってなかった。ずっと片想いをしていた。(オレとしては出来れば諦めてほしかったんだが)


だけどそれも、つい最近までの話だ。


この間、隼人がオレのところに来て、嬉しそうに報告してきた。



「シャマル!」



隼人のその顔を見て、そのときオレは単純にボンゴレ坊主にでも褒められたのかな。なんてそんな暢気なことを考えていた。そのときまでは。


だけど。



「オレ…リボーンさんと付き合ってもらえることになった!!」



そのときのショックといったら、隼人がリボーンを好きだというのに気付いたとき以上だった。



「これも…シャマルがオレの気持ちを気付かせてくれたからだな。…ありがとな。シャマル」



そのときのオレは、それどころじゃなくてなんて言ったのかは正直覚えてないのだが…まぁ、適当に相槌を打っただけだろう。


というか、それから暫くは本当に放心状態で正直記憶が曖昧だったりする。


が、流石に数週間も経つと少しは落ち着いてくる。


無意味にリボーンに怒りも沸いてくる。


つか、あいつ隼人の告白を受け取ったってのか…? あいつも隼人に教え子以上の感情を持ってたってのか!?


ていうか付き合うったってどんな関係になったんだ? 愛人つったらぶっ飛ばすぞリボーン。


ああ、駄目だ。じっとなんてしてられるか。


親馬鹿上等。オレはまだ子離れ出来ねぇぞ。


オレは廊下に飛び出した。








































リボーンさんをじっと見ていたら、リボーンさんもオレを見てきた。



「…獄寺。どうかしたのか?」


「え? いえ、なんでもないです」


「……ならいいんだが」


「本当に、なんでもないんです。…ただ……」


「?」


「ただ……幸せだなって…」





オレは未だに、目の前の現実が信じられないでいる。


………リボーンさんと恋仲になれたという事実が。告白してから数週間経った今でも。


あの日の事を思い返して、照れる。


絶対に、振られると思っていた。


その確信があったからこそ、今まで何も言えないでいた。シャマルの言ってた通り、リボーンさんはオレを生徒以上には見てくれないだろうって思っていたから。


けど、もう自分ではどうしようもないほど―――想いが爆発しそうなほど、気持ちが溜まってしまって。


振られてもいいから、想いを告げて、すっきりしようって。思った。


なのに。


まさか受け入れてもらえるなんて!!





「…意外と恥ずかしい事を平気で言うんだな。お前は」


「そうですか? でも、本当に嬉しくて。オレなんか、絶対リボーンさんと釣り合い取れないし、でも」


「こら」



と、リボーンさんに頭を軽くはたかれる。



「なんか、なんて言うな」



と、妙に真面目な顔で言われる。が、オレにはどうして言ってはいけないのか分からない。


オレなんて、なんかで充分なのに。



「お前を大事に思っている奴が、気を悪くするだろう」



ああ、なんだ。そんなことですか。


でしたらご心配なく。



「そんな奴、いないから大丈夫です」



と、きっぱり断言すると、リボーンさんはやや憮然とした表情になって。


「どうしてそう、言い切れる?」



………?


リボーンさん、何を怒っているのだろう。


疑問に思いつつも、オレは簡単すぎるその問い掛けに答える。



「実際、誰もオレを大事に思ってはくれませんでしたから」








幼い頃を思い出す。


そこでは、オレはずっと一人だった。


どれだけ手を差し伸べても、その手は誰にも届かなかった。


だから。


"オレなんか"のところには、誰も来てはくれないんだと思った。








「………あ、なんか変な話をしてしまいましたね。忘れてください。それよりも―――」



別の話題を出そうとしたオレの声が、途切れる。


リボーンさんに軽く腕を引かれ、その胸元に引き込まれ―――抱きしめられたから。


あたたかな体温と、鼓動の響きを感じる。



「―――すまない」


「……?」



リボーンさんの声が、耳に入る。


けれど…どうしてリボーンさんは謝っているのだろう?


それがオレには分からない。


リボーンさんは辛そうな顔をしていた。


その顔をオレがさせたのだとしたら、とても申し訳なく感じる。



「リボーンさん…? あの、気にしないで下さい。こんなのなんでもなくて、もう慣れて……平気ですから」



なんとかそう言うも、リボーンさんの顔は晴れない。


…それどころか、更に暗くなったような…



「…獄寺」


「は、はい?」



硬い声を出すリボーンさん。


…こんなリボーンさんは、今までも何度か見掛けてきた。付き合うようになる、その前からもずっと。


でも、今まではなんでもないと言って。それ以上は言わなかったのだけれど…


リボーンさんはどこか、何故か思いつめたような表情をして…そして、やがて。口を動かす。



「……実はな、獄寺。ずっと前から、お前に話しておかなければいけない事があったんだ」



リボーンさんが? オレに? 話?


一体なんだろう。オレには皆目見当も付かない。


小首を傾げるオレに、リボーンさんは、



「実は、オレはお前の母と知り合いで…お前の事を頼むと言われていたんだ」


「―――」



突然の台詞に驚きながらも何とか声を出そうとした直前。





「―――今の話は本当か!?」





後ろから何故かシャマルの声が聞こえた。


振り向けば、予想と違わぬシャマルの姿が。


いや、なんでシャマルここにいるの。


シャマルはそんなオレの視線には気付かない様子で、リボーンさんを引き摺ってどこかへと行ってしまった。



…いや、シャマル。


たぶん、一応オレ、当事者なんだけど。せめてオレに状況を整理するだけの時間と材料をくれ。








































オレと彼女の出会いは、小さなピアノのコンサートだった。


彼女の生み出す、その音色に惹かれた。


彼女の音色を聞いてから、彼女のコンサートがある度足を運んだ。


聴く度、心が癒された。


そういえば、演奏中の彼女と一度、目が合った事があった。


恐らくオレは、このとき既に……もしかしたら、初めて彼女の音色を聴いたときから。彼女の顔すら見ぬうちから。彼女に惚れていたのかも知れない。


そうでなければ、目線が合わさったという、たったそれだけの事実に。


オレの心がああまでも揺さぶられるわけがないのだから。


けれど、だからといってオレは彼女に近付く気にはならなかった。


オレは演奏者と、それを聴く者という、ただそれだけの関係で満足していた。彼女の方はオレの事を知らなくても、それでいいと思った。むしろそれが理想的な関係だ、とも。


裏舞台の役者である殺し屋のオレが、表舞台の役者であるピアニストの彼女に近付いてはならないと思った。


だから、オレと彼女の距離は近付くことはないだろうと思っていた。



彼女が悪漢に襲われているのを、オレが目撃さえしなければ。



路地に引きずり込まれようとしている彼女の声が聞こえて。必死に抵抗して、男を拒絶している彼女が視界に入って。


オレは思わずそこに駆け込んでいた。








男をオレ流のやり方で追い払ったあと、オレはへたり込んでいる彼女に向き直った。


男に襲われた直後だったためか、彼女は急に現れたオレに緊張しているようだった。


けれどそれも一瞬で、彼女はすぐに険の表情を解いて…代わりに現れたのは、まるで街中で偶然友人に出会ったかのような、そんな場違いとも思えるあたたかな笑顔。



「あなた…いつも私のコンサートに来てくれている……」



どうやら、オレのことを覚えていたらしい。いつも遠くから見ていただけなのに。


彼女がオレのことを知っていた。それだけの事実に恥ずかしくなるほど内心嬉しがりながらも、その心を隠して平常を保つ。



「大丈夫か?」


「ええ。あなたのおかげで」



なら、とオレはすぐその場を去ろうと思った。オレが彼女といるのはなんだか場違いのようにも思えて、相応しくないと思って。


だが。



「あの…申し訳ないのだけれど、」



いつまで経っても立とうとしない彼女に、オレは彼女が足を挫いて動けない事を知った。


ここの治安は決していいとは言えない。そんなところに動けぬ彼女を置いてきぼりにすることに何の意味もない。



「…家の近くまで送ろう」


「助かるわ」



彼女は安心したように笑って、何の躊躇いもなくオレに手を差し伸べてきた。


オレはその手を取った。





それから、オレと彼女は少しずつ同じ時間を過ごすようになっていった。


初めは、彼女が助けれくれたお礼にとやや強引にオレを誘ったり、コンサートが終わると同時、彼女が急いで走ってオレの所まで来てくれて、「今いいかしら?」と断れることを想定してない顔で言ってきたり。


………コンサートが終わると同時、すぐにその場を発たないオレもオレだが。


そうして、最初こそ何かと理由を付けていたが、やがて何も言わなくともオレたちは一緒にいるようになった。


ピアノを弾いている彼女しか知らなかったオレは、プライベートの時の彼女とのギャップに驚いた。


ピアノを弾いている時の彼女は、慎み深く大人しく。思慮深くて繊細な感じがしたのだが…



「…何よ。私の顔に何か付いてる?」


「いや、なんでもない」



…今現在の。プライベートの時の彼女は…それはそれはオレの抱いていた幻想を打ち砕いてくれた。


意外に行動的で、しかも早とちりが大得意。その上よく転んでは身体のあちこちに擦り傷を作っていた。



「落ち着きがない奴だなって、思ってたんだ」


「悪い?」



むっとした表情で言われる。…彼女は怒りを結構長引かせるタイプだ。



「いや、悪くはない」


「じゃあ何よ」


「面白いって意味で言ったんだ」


「面白い? 本当? そんなこと言われたの初めてだわ」


「本当だ。お前といると退屈しない。それはいいことだ」



というと、彼女は、



「…いいことかぁ……」



と、すぐに怒りを引っ込める。世辞には弱い。素直。…単純、とも言うか。



「今何か言った?」


「いや、別に」





…彼女との時間は幸福だった。本当に。


彼女の演奏を聞けるだけでよかったのに、こうして話まで出来るだなんて。本当に幸せだ、と。


だけど。


そんな時間は、すぐに終わりを告げた。


その時オレは長い任務に就いていて、彼女と暫く会えなかった。


そしてそれから帰ってきたとき、彼女の影も形もなくなっていた。


コンサートにも彼女の姿はなかった。オレはコンサートの人間に彼女の行方を聞いた。


そうしたら。


彼女は、ある金持ちの人間に見初められて。愛人にされたということだった。








オレは彼女に会いに行った。


彼女はオレが来たことに大層驚いていた。まぁ、それもそうだろう。深夜に突然、いきなり現れたのだから。


だけど、喜んでくれた。



「もう…会えないかと思った」


「オレもだ。…まったく、驚いたぞ。帰ってきたら何の連絡も取れなくなってたからな」


「ごめんなさい。急な話で…私もわけが分からないまま連れてこられたから」


「わけが分からないまま? お前、一応仮にも当事者だろう」


「そうね。でも話はほとんど家族がしてたから」



…そういえば、と思い出す。彼女の家庭は裕福とは言えなかった。


そこに転がり込んできた金持ちの愛人の話。例えば娘を差し出す代わりに多額の金を払うと言われれば………



「どうやら私、売られちゃったみたい」


「…軽く言うな…」



意味分かっているのか? こいつは。


「大体、それでもお前本人の話なんだから嫌なら嫌といえばよかっただろうに」


言ったところで聞くとも思えないが、彼女はそれすらしてないように見えた。


「うーん、でも、私は別にどうでもよかったから…」


「…あ?」



どうでもよかった?


なんだそれは。



「私にも、愛してくれる人がいたら嫌がったかもしれないんだけど」


彼女はいつもと代わらぬ口調で言う。


「私なんて、誰も愛してくれないし、私がここに行くことで家族が救われるのなら。それはそれでありかしらって」


「お前を誰も愛してないなんて、そんなことあるか」



誰も愛してくれない?


なんだそれは。一体何の冗談だ?



「でも…あなただって、私の事を愛してはいないでしょう?」



彼女が言う。


無垢な表情で。



愛してすらいない女のところに、夜中不法侵入までして誰が行くか馬鹿。


言わぬ、告げぬと決めていた想いをこの場にぶちまけてしまおうかと思う、その前に。



「だって」



彼女が真っ直ぐとオレの方に目線を向けて。



「あなた、私に触れようともしないじゃない」


「…それは……」



オレは思わず言葉をなくした。


…それは確かに、その通りだったから。


オレはあの日。足を挫いた彼女を安全なところまで届けるために指し伸ばされた手を取ったあの時以来。彼女に触れてない。


だけどそれは、彼女を愛していないからではない。


むしろ、その逆だ。


もう一度でも触れたら、想いに歯止めが利かなくなるような気がして。


それに何より、薄汚れたオレが彼女に触れたら、彼女まで汚れてしまいそうなそんな気がして。



…だけど、その行為が彼女を"愛されてない"と、そう思わせてしまっていたのか?


彼女は傷付いていたのか? オレのせいで? オレの我侭のせいで?



「…ごめんなさい。せっかく会いに来てくれたのに、こんなこと言っちゃって…」


気が付けば彼女は、俯いてすまなさそうにそう呟いていた。


「いや…オレのほうこそ……」


「いいえ。私…あなたがわけありの人だって。気付いてたの。だから私の分からない事情があるってことも分かってた。なのに八つ当たりしちゃったの。ごめんなさい」


「……………」



彼女はここまでオレのことを分かってくれていたのに、どうしてオレは彼女のことを理解出来なかったのだろう。


オレの勝手な自己満足の行動が、酷く彼女を傷付けていたのだと何故分からなかったのだろう。



「………好きだ」


「え?」



想いは一度口から出たら、止まらない。



「愛している。お前のことを」


「………遅いよ。バカ」



幸せそうに、けれど悲しそうに彼女は微笑んだ。


そっと優しく腹を撫でる仕草に、それだけで…オレは事情を察してしまった。



「その言葉は、この子に言ってあげて」


「………」


「お願い。この子は…私の子なの。私の始めての、子供なの。たぶん、この子を愛せるのは私と……私を愛してくれる人だけなの」



ここの人たちは、色々と複雑なの…と彼女は呟いた。


入ったばかりの、愛人である彼女の立場は低いだろう。その子供となればなおさら。



「きっとこの子は…たくさん辛いことを味わうと思うの。その時に…誰かに支えてほしいの」



その誰かを、オレに頼むという。


初めての我が子を、愛する我が子をオレに託してくれるという。



「………分かった」



ただでさえ、彼女のために今まで何も出来なかったのだから。


彼女の願いは、出来るだけ叶えたいと思った。



「…触れても、いいか?」



彼女の腹を見ながら、オレは言う。彼女は嬉しそうに頷いた。


オレはそっと、彼女の腹を撫でる。そのまま顔を寄せた。



「聞こえるか?」


「聞こえているわ」



彼女が面白がって答える。オレは苦笑した。なんだこれは。まるで父親みたいだ。



「お前を愛しているよ。そして、オレはずっとお前を守っていく」


「ありがとう」


「お前もだ」


「え?」



急に矛先を振られてか、彼女が素っ頓狂な声を上げた。オレは顔を上げる。



「オレはお前の子供も愛して、守るけど。それだけじゃない。オレはお前も愛しているし、守るんだ」


「………」



彼女は急に黙り込んだ。外したか? と思ったと同時、彼女は泣き出した。



「お、おい」



女の涙が苦手なのは男なら万物共通だ。好きな女の涙なら、なおさら。



「ご、ごめんなさい」



彼女は涙を拭いながらそう言うも、涙は一向に止まる様子を見せない。



「嬉しくて」


「嬉しい?」



嬉しくて嬉しくて、それで涙が出るのだと彼女は言った。


今まで愛されたことなどないと信じていた彼女は、たったこれだけのことで泣いてしまうほど愛に餓えていたのだと知った。


オレは彼女を抱きしめた。華奢な身体は強く抱きしめたら折れてしまいそうなほど頼りなかった。


彼女もオレを抱き返してきた。



「ありがとう、リボーン。私幸せよ」



そう、本当に幸せそうに言ってきた。


オレが彼女と会えたのは、それが最後だった。





彼女と別れた直後、オレは大きな任務に就かされた。何年もかかる、大きな任務に。


それがようやく終わり、オレが彼女と、その子供の様子を見に行こうとしたときには………


既に彼女は死に、子供は城を飛び出していたのだと聞いた。








































「…今の話は、本当か?」


「ああ…本当だ」



唐突に現れたシャマルに空き部屋まで引き摺られ、詳しく聞かせろと言われたので彼女…獄寺の母と知り合いで、彼女に獄寺を任されていたということをかいつまんで説明した。



「そうかよ…」



シャマルは弱々しく呟いている。シャマルはシャマルで獄寺のことを守ろうとしているみたいだったからか、このことを知らなかったことにショックを受けているのかもしれない。



「あいつに隼人を任されておいて、なんで…」


「あ?」


「なのになんで隼人がボンゴレに拾われるまで守れなかったんだ!!」


「………」



痛いところを突かれて、思わず黙り込む。


仕事があって、行けなかった。事情を知らなかったなどと、そんなことは何一つとして言い訳にすらならない。



「お前に…あいつを一人にさせたお前に隼人を任せられるか!」



怒鳴り声に、しかし返す言葉もない。まったくだ。本当にその通りだと心から思う。彼女に顔見せなど出来やしない。


…だが。



「それでも…獄寺はオレを望んでくれた」



獄寺がボンゴレファミリーに所属していると聞いたときは、本当に驚いた。写真を見せてもらって、彼女の面影を見て…間違いなく彼女の子供だと分かった。


オレは迷わず日本に呼んでいた。獄寺は本当に彼女によく似ていた。


あいつを日本に呼んで間もない頃、あいつに…真相を告げようと思った。


彼女について。彼女に託されたことについて。


だけど…


ふと、怖くなった。


彼女を、そして獄寺を守ると約束しておきながら、それが出来なかったことを怒られるのではないかと。拒絶されるのではないかと。


そう思ったら、情けない話だが怖くなって。全然関係のない話をしていた。



それからオレは、獄寺と接するのが怖くなっていった。獄寺に彼女のことが知れたら避けられるのではないかと思って。それが恐ろしくて真っ直ぐに対処が出来なくなっていた。


やがてオレは、思っていることと真逆の接し方しか出来なくなった。本当は優しく…彼女に出来なかった分優しく接したかったのに、気が付いたら辛く当たってしまっていた。



そうじゃない。そうしたいのでは決してない。だけどこれもオレの彼女への想いと同じく、伝わることはなかった。


幸いだったのは、それでも獄寺はオレを嫌うことなく。むしろ尊敬の念すら抱いてくれたことか。



…その思いが、逆に負担になったりもしたけどな。


オレはお前にそんなふうに思われるような奴じゃないんだと、何度言いたくなったか。



………そんなお前と会って、10年。


まさかお前から告白を受けるとは思ってもいなかった。


オレはお前も、お前の母も守れなかったのに。


オレの勝手な都合で、お前に冷たく当たってばかりだったのに。


なのにお前は、オレを好いてくれると言ってくれた。


オレは何度も過ちを繰り返してきた。


彼女を、オレのエゴで気持ちを伝えず傷付けた。


獄寺に、彼女とした約束を果たせなかったというやましさから冷たく当たり、傷付けた。


…オレはまた繰り返すのか? そう告げる声が聞こえた。


オレに獄寺の気持ちを受け取る権利はないと、相手のためを思っていると見せかけて…結局は自分のため以外のなんでもない、またもやエゴで。オレを愛してくれてる奴を傷付けるのか?


そんなこと、もう出来なかった。


だから。





「獄寺が傷付くと分かっていて、その話は承諾出来ない」


「…お前は馬鹿か! お前なんかが隼人の傍にいる資格なんてないって言ってるんだ!!!」


「…さっきからそれは、一体誰に向けて言っているんだ?」


「!?」


「まるで別の奴に言ってるみたいに聞こえる。たとえば……」


「黙れっ」


「………お前の勝手でオレと獄寺を別れさせるな。それで満足するのはお前だけで、獄寺じゃない」



そうだ。そうとも。最初から決まっていた。逃げ回っていただけで、ずるずると先延ばしにしていただけで、当事者に話をしていなくて、それで問題が解決するわけがない。


オレはドアの外に声を掛ける。



「で、この話を聞いて………お前はオレと別れたくなったか? 獄寺」


「隼人!?」



シャマルが目を見開かせる。


ドアの向こうから、動揺する気配が伝わってくる。


そして、やがて…ドアのノブが、動く。








































オレは、ずっと誰にも必要とされてないのだと思っていた。


幼い頃から、自分はずっと要らない子なのだと信じていた。


父は自分の利益を上げるのに手一杯。姉は自分に毒を食らわそうとする。


使用人たちは表面上よくしてくれたが、所詮それも仕事だから仕えてくれているのであって、それは自分の求めるものとは違っていた。


誰も自分を見てはくれなかった。


誰も自分の欲しいものをくれなかった。


そのうち、"自分はその程度の存在なんだ"と思うようになった。


そう思ったら随分と気が楽になった。


だから、それが正解なんだって思っていた。


ずっとそうなんだと、信じていた。


だけれど、それが。


もしも、違っていたのなら。


ただ少しだけ、擦れ違いがあっただけで、本当は…



オレを思ってくれる人が、いてくれたとしたならば―――








































おずおずといった様子で、獄寺が入ってきた。



「隼人!?」


「あ…オレ…事情が知りたくて、それで………」


「着けて来たんだな。そして話を聞いた」


「お前、気付いていたのか!?」



よほど頭に血が上っていたのか、シャマルは本当に気付いていないようだった。伝説の暗殺者の影が微塵もない。



「すまないな獄寺。本当はもう少し落ち着いて…ゆっくりと話をしたかったんだが」


「いえ…」


「…聞いての通りだ。獄寺。オレはお前の母と知り合いで、けれどお前の母を守れず、お前の母と約束したお前も守ることは出来なかった。そしてそれをずっとお前に黙っていた」


「……………」



獄寺は俯いて、じっと聞いている。



「お前をずっと騙していたことになる。嫌われても当然だ。………オレはこんな奴なんだ、獄寺。それでもまだ、オレと付き合いたいと言ってくれるのか?」


「……………」



母親譲りの、碧の目が揺れる。


獄寺は暫く無言でいて…だけどやがて、口を開いた。



「リボーンさんも…シャマルも。オレの母親と、知り合いだったんですよね…?」


「そうだな」


「そうだ」


「……じゃあ、」



獄寺が言う。意を決したかのように。



「今まで…オレのことを、何かと見てくれていたのは………オレの母親に、頼まれていたから、なんですか?」


「「違う」」



獄寺の言葉に、オレとシャマルが迷わず即答した。


獄寺の目が見開かれる。



「確かに、最初はそれもあった。お前を日本に呼んだのは間違いなくあいつにお前を頼まれていたからだ」


「………」


「だけど、次第にそれだけじゃなくなった。オレはいつからか、"お前"を守りたくて傍にいるようになっていた」


「え…」


「オレも似たようなもんだな。つか、"お前"は本当に弱いからな。目を離したらすぐに死にそうで。"お前"を守りたくなった」


「…リボーンさん…シャマル……」



―――獄寺は自分に自信がどうしても持てないらしく、己を過小評価する傾向がある。


彼女も、まったく同じだった。


良いところから悪いところまで、二人はよく似ている。


人に愛されないと思い込んでいるところまで本当にそっくりだ。


だからそんな奴には、ちゃんと言葉で言ってやらないといけない。回りくどいことも駄目だ。ストレートの直球じゃないと届かない。



「獄寺。オレはあいつの子供の願いなら断れないとか、約束を守れなかった罪滅ぼしにだとか、そういう理由でお前の告白を受け取ったんじゃない」



獄寺に近付く。





「オレが、お前のことが好きだからだ」





獄寺の顔が赤くなる。



「だから、オレは出来ればお前と別れたくない。だけどお前がどうしてもと言うなら…」



それ以上は言葉が出なかった。


獄寺がオレに抱きついて、ふるふると首を横に振ったから。


その反応に、オレは安堵して。なんだオレも緊張していたのかと息を吐いた。



「………シャマルも…?」


オレに抱きついたまま、獄寺がシャマルを見て言う。


「…ん?」


「シャマルも……オレのこと、好きでいてくれているのか?」


「…当たり前だろうが。つか、何でこのオレが誰かに頼まれた程度で10年も20年もお前の面倒を見るんだ? オレがそんなにお人よしに見えるのか? お前には」


と、シャマルも獄寺に近付いて獄寺の頭を乱暴に撫でた。いつもは子供扱いされると怒る獄寺だが、このときばかりは気持ちよさそうにされるがままになっていた。


「オレがお前の面倒を見ているのは、オレがお前が好きだからだよ。こんな当たり前のこと、わざわざ言わせるな」


「これからも、一緒にいてくれるのか…?」


「お前が望んでくれるのならな」


「リボーンさんも…?」



と、獄寺がオレを見上げて、上目遣いで聞いてくる。


……こいつは、これを本気で聞いているのだからすごいと思う。



「…どうしてお前が好きなのに、離れなくちゃならないんだ? もうオレはお前が嫌だと言っても離れねぇよ」


と言って、さらに強く獄寺を抱きしめる。獄寺は幸せそうに笑ってくれた。



「あ…ありがとうございます、嬉しいですリボーンさん…シャマル」



嬉しいのはオレの方だ。と、オレは小さく呟いた。








































「そうそう、リボーンさん」


「ん?」



あれから、数日。


獄寺が唐突に口を開いた。



「リボーンさん、オレの母との約束を守れなかったって言ってましたけど…」


「ああ…」


「そんなこと、ありませんよ」


「あ?」



思わず出た声に、獄寺が笑う。



「リボーンさん、オレと出会ってからずっと、オレを守ってくださってるじゃないですか」


「…守れてるのか分かんねーけどな。何度もお前を危険な目に遭わせた」


「それはリボーンさんのせいじゃありませんよ。この世界にいれば、死に掛ける目に遭うなんて日常茶飯事なんですから」



あくまで微笑んでそういう獄寺に、居心地が悪くなる。…どう言われても、オレは約束を守れてるとは思っていない。



「それに、リボーンさんいつもオレの事を心配してくださって。…オレが倒れる度、ずっと枕元にいてくれていたと聞いたときは本当に嬉しくて」


「ちょっと待て。なんでお前がそれを知っている?」



確かに、オレは獄寺が任務やら襲撃やらで大怪我を負って帰ってくる度、時間の許す限り―――獄寺の目が覚める直前まで、傍にいた。


だけど、それは獄寺には決して悟られないようにと注意していた。だから獄寺はそれを知り得ることは出来ないはずだ。…誰かが教えない限りは。



「10代目が、リボーンさんには内緒だとこっそり教えてくれました」


「………あのダメツナが…あとであいつ絞めてくるか…」


「でも、それを聞いて、オレはますますリボーンさんの事が好きになったんですよ」


「……………」


「リボーンさんがいなかったら、多分オレは、とっくの昔に死んでいたと思います。オレが今ここにこうしていられるのは、リボーンさんのおかげだって思ってるんです」


「…そう言ってもらえると、助かる」


「本当ですって」


「なんだお前らなにいちゃついてんだ?」



と、シャマルが乱入してきた。



「…シャマルも、ありがとうな」


「あ? なんだ? 何の話だ?」


「シャマルがいたから、オレは幸せなんだって言ってるんだ」


「………よく分からんが、お前が可愛いことだけは分かった。とりあえずリボーンから離れてオレの傍に来い」



と、シャマルが獄寺を引き寄せる。…あの一件から、シャマルは獄寺に更に甘くなったような気がする。獄寺も突っぱねることもしなくなったし。



「って、誰がそんなの許すか」



オレは獄寺を引っ張って自分の方に寄せた。獄寺はといえば、されるがままだ。ちなみにこの無抵抗状態がものすごく可愛い。



「おい、オレは隼人の保護者だぞ」


「奇遇だな。オレは獄寺の恋人だ」


「残念だが、オレはまだお前を隼人の恋人に認めたわけじゃない」


「なら、獄寺を連れて駆け落ちでもするさ」


「オレを甘く見るなよ。地の果てまでも追い駆けて隼人を連れ戻す」


「そっちこそオレを舐めるな。オレがそう易々と獄寺を渡すわけがないだろう」


「あ、あの…」



と、いい加減目が回ってきたのか獄寺がストップをかける。


オレとシャマルの動きがぴたりと止まった。



「………オレのためにそう言ってくれることはありがたいんですが…そういうのはやめて、三人で仲良くお茶とか、どうかと思うんですが…」



おずおずと、上目遣いで獄寺がそっと聞いてくる。



「…ダメですか?」



ダメじゃない。オレとシャマルは同時にそう答えていた。





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こうして今だけは、平穏な時間を。

そうして今だけは、平和な時間を。


リクエスト「シャマルとリボーンの獄を巡る三角関係なお話(十年後で)」
空の化石様方へ捧げさせて頂きます。
リクエストありがとうございました。