声がする。声がする。
愛しいあの人の、声がする。
声が聞こえる。声が聞こえる。
それはオレの名を呼ぶ声。
それはオレの身を案ずる声。
それはオレに呼び掛ける声。
それはオレを起こす声。
それは大好きなリボーンさんの声。
声がする。声がする。
暗闇の中、身体の自由もない世界であの人の声だけが聞こえる。
痛くて寒くて辛い世界。長くいれば、いつか屈してしまいそうな、そんな世界。
そんなところに、オレはいた。
そんな世界の唯一の救いこそが、あの人の声だった。
優しい声。
だいすきな声。
その声が聞こえている間だけは、暗闇の世界も辛くはなかった。どれだけ痛くとも、どれだけ寒くとも。
その声のところに行きたかった。けれどオレの身体は動かない。だけど、行きたかった。
行きたい。動け。そう念じてみる。
最初は全然動かなかった。どれだけ力を入れようとも、見えない穴が空いているかのようにそこから込めた力が抜けていってるみたいで。
その度に諦めそうになった。挫けそうになった。
だけど、また声が。あの人の声がオレを勇気付ける。
呼んでる。
呼んでくれている。
このオレを、他の誰でもない、あの人が。
応えたかった。
その呼び掛けに、返事をしたかった。
頭上から聞こえてくる声に手を伸ばして。声が聞こえていることを伝えたかった。
オレは何度も何度も腕を伸ばそうとする。何度も何度も繰り返すうち、本当に少しずつだがオレの腕が上がっていった。
声が聞こえる。声が聞こえる。
あの人がオレを呼んでいる。あの人がオレを呼び掛けている。
応えなくてはと。そう何度も思った。
伸ばす伸ばす。手を伸ばす。腕を頭上に、指を真っ直ぐに。
もう少しもう少し。あと少し、本当にあと少しで手が届く。変わらず何も見えない世界だけど、そもそも声に手が届くのか? という疑問が今更ながらに湧いたりもしたけど、届くんだ。オレには分かる。
だけど、もう少しで届くというところで………
あの人の声が、聞こえなくなった。
声がしない。
声が聞こえなくては、オレは一体どこへと手を伸ばせばいいのか分からなくなって。中途半端に腕を伸ばしたところで停止している。
声が聞こえない。
あの人の声が聞こえない。
オレを呼ぶ声が。オレを呼び掛ける声が。前はあんなに聞こえていたのに、もう全然聞こえない。
ああ、嫌。嫌ですリボーンさん。
戻ってきて下さい。
もう少し、もう少しなんです。もう少しで手が届くんです。あなたの声で照らして下さい。何も見えなくって、怖いです。
せっかくここまで持ち堪えたのに、また諦めそうです。挫けそうです。ここで折れたら、オレは絶対に戻って来れません。
リボーンさん、リボーンさん、リボーンさん。
声を上げる。声を上げる。
あの人を呼ぶ。あの人を呼び掛ける。リボーンさん、戻ってきて下さい。
痛い。心が痛い。寒い。辛い。
血が流れる。
身体がびりびりと裂けて、そこから赤い液体が、どろどろと、流れてく。体温を持って逃げていく。ただでさえ寒いのに更に寒くなる。
リボーンさん、リボーンさん、リボーンさん。
オレは呼ぶ。呼び掛ける。リボーンさんに呼び掛ける。戻ってきて下さい。あと一声でいいので声を掛けて下さい。オレの名を呼んで下さい。
痛いです、寒いです。ここは辛いですリボーンさん。
気付けばオレの身体から流れた血は溢れ溜まり込みオレの胸元まで溢れていた。更に量が増す。あっという間に首、顔まで上がってくる。口の中にオレの血が入ってくる。溺れる。
リボーンさん、リボーンさん、リボーンさん…
自分の血で溺れる。自分に殺される。苦しい、辛い。手は有らぬ所へと伸ばされている。
獄寺くん。
声が聞こえた。
オレはその声が誰のものかとも考える間もなく、その声の方へと手を伸ばした。
眩しい。
目を開けて、思わず怯む。世界の明るさ、その白さに。
「………獄寺くん?」
声が聞こえた。どこかで聞いた声…っていうか10代目の声だった。オレの馬鹿野郎、10代目の声を忘れてどうする。
「………っ…、」
じゅうだいめ、とそう言いたかったのだが思いは声になってはくれず、ただ息が漏れただけだった。
「ああ、無茶しないで獄寺くん。落ち着いて」
きゅっと手を握られる。あたたかい手。でも前、また別の手に握られていたような気がする。誰だろう。誰だっけ。大切な人だった気がするのだけれど。
というかオレはどんな経緯を持ってこのような状態になっているのだろうか。記憶を辿る。最後の記憶を見てみる。
……………。
「―――リボーンさん! リボーンさんはご無事ですか!?」
「わ、獄寺くん、無茶しないでって」
「リボーンさん、リボーンさんは………っ、ゲホ、ゴホ、」
声が途中から出なくなり、咽る。何度も咽るうち、喉を通って口から血が出てきた。…なんか嫌な思い出が、あるような、ないような…
いや、そんなことはどうでもいい。今はリボーンさんだ。何はともかくリボーンさんだ。
オレの最後の記憶。リボーンさんと任務。路地での戦闘。撃たれるリボーンさん。オレはリボーンさんへと走り寄って。…そしてそこで記憶は終わっていた。
あのあと一体どうなったのだろう。オレはぶっ倒れたとして、リボーンさんは?
「リボーン? リボーンは…」
10代目は口を開いたが、言葉は出なかった。
何かが振動する音。10代目が懐から携帯電話を取り出して。「ごめん」と一言言って、取った。
「はいはい? どうしたの?」
10代目が誰かと話をする。
「ん…うん、落ち着いて?」
室内が静かなせいか、10代目の電話口の声も聞こえてくる。内容は分からないが、相手はかなり早口で…動揺しているみたいだ。
「え―――あ、そうなんだ、うん」
10代目が一瞬だけ驚いたような、呆けたような顔をする。
「ついさっき? そう、うん。分かった」
10代目は最後に「あとでね」と言って、電話を切った。そしてオレに向き直る。
「獄寺くん、リボーンなんだけど、」
「は、はい」
何故か背筋がピン! と伸びる。そしてそれに身体が着いていけず、痛みに怯む。
「…だから無茶しない獄寺くん。…まぁ、リボーンなんだけど、」
「はい」
10代目は少しだけ間を置いて。オレの方を見て。
「死んだって」
一言。あっさりと。そう言ってのけた。
「さっきの電話で、オレも今知ったんだけど、」
10代目が自分の携帯電話を見る。
「ついさっき、死んだって」
オレはなんとも答えることが出来なかった。
リボーンさんが死んだ。
オレの目の前で、死んだ。
オレの目から熱いものがぽろぽろと流れる。それは目蓋の閉じられたリボーンさんの顔に掛かった。
オレの手には力の抜けたリボーンさんの手が収まっている。オレが死なないで下さいと懇願しながら、手を握っていたからだ。
リボーンさんは、死んでしまった。
もう長くないと、告げられてはいたけれど。
だからこそ、オレはリボーンさんを騙す決意を固めたのだけれど。
偽者のオレが、本物に成り切る決意を決めたのだけれど。
別れは辛かった。
とても痛かった。身体の内なる部分、胸の奥の辺りがとても酷く痛んだ。それこそ涙が出るほど。
「リボーンさん…」
呼び掛けても、もうリボーンさんは応えてくれない。オレを「獄寺」と呼んでくれない。
閉じられた目蓋が開かれることもない。笑ってくれない。オレをからかうことも、もうしてくれない。
「リボーン、さん…」
と、後ろでドアが開いた音がした。ノックもなしに。誰だろうか。
後ろを向くと、そこには10代目がいた。
「じゅ…だいめ……」
「やぁ」
10代目は片手を挙げて、挨拶してくる。
オレは立ち上がるどころか、会釈すら出来ず、ただ10代目を見ている。
ぽろっとまた目から熱いものが零れた。
「あのね、」
そんなオレのことなどまるで気に掛けず、10代目は声を出す。
「"キミ"に報告があるんだ」
違和感を覚えた。
どことなく、いつもと違うものを感じた。そしてそれが正しいものであることを、すぐに知らされた。
「獄寺くんが目を覚ました」
オレははっとする。目が見開かれる。
「…本物の、ね。ついさっき起きたんだ。タイミング的に…クク、神サマも粋な計らいをするよね。きっとリボーンが死んだのと同時だよ」
10代目がリボーンさんを指差して、オレもリボーンさんを見る。
リボーンさんは酷い熱を出していて、意識も朦朧としているであろう中…一言、「先に行く」とだけ言って、死んだ。
リボーンさんを見ている横で、10代目の声がする。
「というわけで、ごめんね」
ちっとも悪びれてない様子で、10代目の声。
「本物の獄寺くん起きたから。キミ、廃棄」
………リボーンさん。
どうやらオレ、すぐにあなたを追えるみたいです。
目が覚めたらそこは小さな室内で。オレは椅子に座らせられていた。オレの目の前には丸い椅子が向き合うように一つ置かれている。
暫くぼんやりしているうちに、視界が前よりも広まっていることに気付いて。そして分かった。
…オレの頭…直ってる…?
以前までは、少なくとも10代目と最後に話したあの時までは確かに負傷していた。包帯がオレの顔に巻かれていた。リボーンさんは最後までそのことを気に病んでいた。
………リボーン、さん。
オレの目頭がまた熱くなる。リボーンさん。死んでしまった。亡くなられた。
このままだと本当に泣き出してしまいそうだったので、オレは意識を別のものに向ける。この殺風景な室内に向ける。
…はて、ここはどこだろうか。ここがオレの最後の記憶になるのだろうか。ここでオレは死ぬのだろうか。
…機械が死ぬってのは、おかしいか。やっぱり壊れるか。
まぁ、何でもいい。ここでオレは終わる。全てが終わる。
早くオレを壊してほしい。酸の雨が降ってくるでもいい。天井が落ちてくるでも何でもいいから早く早く。
…早くリボーンさんを追いかけたい。
と言ってもオレが壊れたところでリボーンさんのあとを追いかけられるかは不明だが。でも少なくともここにはリボーンさんはいないし、どっちでもいいか。
まだかまだかと思っていたら、ドアがノックされた。どうぞ、と言う前に誰かが入ってくる。
鏡が入ってきた。
いや、違った。鏡が入ってくるわけがない。まずオレとそいつではポーズが違う。
そいつは人間だった。最初鏡と間違えたのは、あまりにも姿形がオレとそっくりだったからだ。
って、違う。
そっくりなのはそいつじゃない。オレの方じゃないか。
「獄寺……隼人………?」
「…本当に…そっくりなんだな」
そいつは本物の獄寺隼人だった。リボーンさんが呼んでいた、リボーンさんが愛した、本物の獄寺隼人。
「10代目から話は聞いた」
静かな声だった。聞き慣れた―――オレの口から出るのと同じ、声。
「勝手に作られて勝手に壊されるらしいな…その辺は、まぁ同情する」
話を聞きたいと、本物の獄寺隼人はそう言った。
自分が倒れてからの話。オレが作られてからの話。………それまでのリボーンさんの話。
オレは包み隠さず全てを話した。リボーンさんは足を悪くして、オレがずっと補佐をしていたこと。リボーンさんは偽者であるオレに嫌悪を抱いていたこと。全てだ。
…無論、オレがリボーンさんを騙し、偽者であるオレが本物の獄寺隼人を演じたことも。全て話した。
獄寺隼人は黙って聞いていた。オレがリボーンさんの足を取ったことを聞いたときは眉を跳ねらせたが、結局黙ったままだった。
全てを聞き終えた獄寺隼人は、暫し考えて………やがて、ふぅと息を漏らした。
「オレって、なんなんだろうな」
え? と思わず聞き返すが獄寺隼人はオレを無視する。
「お前、作られて何年だ?」
「二年と四ヶ月だ」
つまりそれだけの時間、獄寺隼人は眠り続けていたことになる。そんな状態で動かす身体は体力が必要そうだが大丈夫だろうか?
「お前はオレの十分の一すら生きていないというのに、」
獄寺隼人が右手を振るう。その手には拳銃が収められていた。
ああ、あれでオレを撃つのか。そう思った。銃声が鳴った。弾が飛び出た。
しかし獄寺隼人が撃ったのは床だった。放たれた弾丸はそのまま床にめり込む…わけでもなく、なんと床やら壁やらを跳ねて飛んで、やがてあるものを貫いて止まった。
けれどそのことに獄寺隼人はまったく動じてなかった。むしろ考え通りだったのかも知れない。獄寺隼人が放った弾丸が貫いたのは監視カメラだった。
「周りはお前をオレだと認めたわけだな。あのリボーンさんですら」
「…そうだ」
獄寺隼人が膨れて見えた。殺気だとか、怒気だとか。そういうもので膨れたんだ。きっと。
殺される…そう思った。偽者は本物に殺される。同じ存在は二つも要らないから、片方は消える。それだけだ。
獄寺隼人は立ち上がる。オレも立ち上がらせられる。なんだ? なにをするつもりなんだ? この本物。
「立ち位置、変われ」
獄寺隼人はそう言った。オレが動くよりも前にオレの腕を引っ張り、オレを前へと押し出す。
すとん、と獄寺隼人はオレが座っていた椅子に座った。座れ、と目で言われたから座る。
「…これでこの拳銃お前に持たせたら、これからここに来る連中はオレが分かるかな」
分からねぇよな、と笑う獄寺隼人を前に…背筋に嫌なものが流れる。
監視カメラは壊れてる。壊れる前の画像はオレたち二人が向かい合って座っていて、獄寺隼人が床に弾を撃ったところだ。
完璧に作られた偽者。起きたばかりの本物。何の冗談か来ている服も同じ。何の因果かオレの顔の傷は綺麗さっぱり消えている。血液反応だって同じはずだ。見破るにはどうすればいい?
「聞いた話、古傷の場所すら一緒なんだってな」
獄寺隼人が偽者の位置で独り言のように呟いている。オレは頷く。
「そんで怪我すりゃ血も出るし汗だって掻く。周りに溶け込める程度には記憶だってある」
獄寺隼人が拳銃をいじりながら呟いている。オレは頷く。
「ああ、なら、じゃあ、」
獄寺隼人は自嘲気味に笑って言う。
「オレ、必要ないな」
あっさりとそう言い放つものだから、ああ、そうなんだと納得しかけてしまう。
「って、そんなわけ…」
「あるだろ。オレが普段から無意識にしている癖や仕草。思考パターンに銃の腕。火薬の知識。信じたくはないが10代目への忠誠心。そんなあらゆるものがオレとまったく同じ奴がいるってんなら」
獄寺隼人は真っ直ぐにオレを見る。
「オレは、必要ない」
がっかりだ。と獄寺隼人は呟いている。
24年間、必死に生きてきたつもりだったのに。なのにオレって奴は二年と四ヶ月で追いつかれる程度だったなんて。
「オレは偽者だ」
オレは否定する。本物と偽者の境目をはっきりと付ける。この世に不要なのはオレの方だと。
「オレが認めてやるよ」
だというのに、獄寺隼人は信じられないことを言う。
「お前は、いや、お前"が"獄寺隼人だ。よかったな。本物に認められる機会なんてそうそうないぜ」
だから、と獄寺隼人は続ける。続けながら、拳銃をオレに持たせる。
「だから、オレが偽者になる」
重い拳銃がオレの手の平に乗る。人を壊す道具。ここにいる偽者を殺すための道具を。
「お前、オレが起きたって聞いて。廃棄されるって決まって。安心しただろ?」
銃を手放したい。銃を捨てたい。けれど獄寺隼人がオレの手を押さえ込んで離さない。
「リボーンさんのあとを追えるって。喜んだんだろ?」
獄寺隼人の力が強くなる。ぎりぎりとオレの手と拳銃が押さえつけられて痛みを感じる。
「ここにオレを置いて、自分はリボーンさんを追おうとしたわけだ」
獄寺隼人の唇だけが動く。読まずともなんて言ったかなんて分かる。ゆるさない、だ。
「本物の称号ぐらい、オレがやるから」
獄寺隼人がオレに銃を向かわせる。本物のもとへと。
「リボーンさんのあとを追うのは、オレに任せてくれ」
任せられるわけがない。
「冗談だろ?」
本気だということは分かっていた。が、そうでも言わないとやってられない。
「いくらお前がオレを本物だって言い放っても、オレは偽者だ。オレが知ってる」
「なんの関係もねぇよ」
「偽者は本物に殺される。いくら偽者が本物だと言っても、最後にはばれて終わる」
「そうじゃない時もある。ドッペルゲンガーとかな」
ドイツの妖精がまさかのイタリア出張かよ。と思わずオレは毒付いた。ドッペルゲンガー。もうじき死ぬ人間の前に現れる、自分そっくりの化け物。
「…お前がリボーンさんの補佐、か…」
「ああ…」
「ずっとリボーンさんの傍にいたんだろうな。羨ましいぜ」
殺したいぐらい。絶対今そう思ったに違いない。
「そうしろよ」
言うが、獄寺隼人はオレの言うことを無視して、
「リボーンさんを看取ったのもお前なんだな」
「………そうだ」
「なんて言ってた?」
リボーンさんの最後の言葉。リボーンさんの最後の思い。…出来れば誰にも言わず、オレの胸にだけ秘めておきたかったが…
けれどこいつの前ではそれは不可能だ。オレに拒否権なんてあるわけがない。
「………"先に行く"」
獄寺隼人は少し驚いた顔をした。そして遠い目をして、微笑んだ。
「そうか」
獄寺隼人の指が、オレの指の上から引き金に力を掛ける。
「今行きます」
それは、少なくともオレに向けられた言葉ではなかった。
獄寺隼人は、もうオレなんて見てなかった。
獄寺隼人は、自殺した。
偽者として。本物の立ち位置をオレに押し付けて。
オレは獄寺隼人が死んで、めでたく。
本物に―――成ってしまった。
周りはオレに気付かない。
オレが偽者であるということに、気付いていない。
いいや、そもそも彼らにとって本物という定義は、今まで寝ていたかそうじゃないかとか、誰と誰の間に生まれて誰にいつ忠誠を誓って…とか、そんなんじゃないんだ。
彼らにとって本物とは、今、目の前で歩いている方。
なんてシンプル。なんて単純。今まで必死に獄寺隼人を演じていた自分が馬鹿みたいだ。
だって仮にオレが獄寺隼人らしからぬ行為をしたとして、だからと言って誰もオレを「偽者!」なんて指差して責めたりしない。
調子が悪い、そんな時もある。それで終わりだ。
獄寺隼人が感じたであろう絶望を感じる。
ずっと眠り続けていて。
そしていざ起きたと思ったら、そこには自分がいて。自分そっくりの、自分とまったく同じ動きをする奴がいて。
周りのほとんどは、そいつが偽者だって気付いていない。今まで寝ていた自分は取り残された気がして。
そして、好きだった人すら、そいつを本物と思っていて。
しかもその人はそいつを本物だと思ったまま、死んでいた。
訂正はもう出来ない。取り返しももう付かない。
絶望だ。希望が絶たれた。もうどうしようもない。
だからこそあいつは死んだ。死んでも誰も困らないから。いや、唯一困るのはオレだが。
しかしそれこそあいつにとってはしてやったりだろう。オレを恨んだだろうから。憎んだだろうから。それこそ死ぬほど。
あいつは死んだ。リボーンさんも死んだ。オレは何故だか生きている。
リボーンさんには墓が立てられた。あいつには墓は与えられなかった。オレは死んだら墓は与えられるのだろうか?
オレはオレの罪を知る。あの日、犯した罪の重さを知る。
リボーンさんを騙した罪。リボーンさんの世界を変えた罪。
獄寺隼人の、居場所を奪った罪。
オレは偽者でよかったはずだ。いいや、偽者でなくては駄目だったはずだ。
何が獄寺隼人になりきるだ。違うだろう。オレの役目はそんなのではない。
オレの役目は、あくまで獄寺隼人のなりそこないで。
周りの連中に"ああ、やっぱり偽者は駄目だ。本物をどうにかして起こそう"って思わせることじゃないか…!
本物の位置に無理やりオレが居座って何がどうなる。実際何がどうなった。本物が絶望し死を選んだだけじゃないか!
本物を殺してどうする。オレが作られたぐらいなんだ。代わりを作られるほどあいつは周りから愛されていたに違いない。リボーンさんにだって!
そいつを殺した。オレが殺した。オレの存在が、オレの罪があいつを殺してしまった。
オレは獄寺隼人を殺すために作られたわけではないのに。オレの役割は獄寺隼人が目覚めるまでの代理品。ついでにリボーンさんの補佐。それだけだったのに。
オレは苦しむリボーンさんを救いたかった。助けたかった。今考えるとそれはなんて傲慢で自分勝手なことだったのだろう。
そんなこと誰が頼んだ。いつ願った。結局は自分の為に動いただけじゃないか。仮初めでもリボーンさんと親密になりたかっただけじゃないか!
そうとも。本当にリボーンさんを救いたかったのなら。助けたかったのなら。もっと別の方法があったじゃないか。
たとえば、そうとも。オレを眠っている獄寺隼人とまったく同じ状態にして、そこから目覚めさせる実験をする、とか。
電気ショックなり開発したての薬なり、なんでもいい。たとえそれが人道に反していたとしても問題はない。オレは人間じゃないのだから。そして失敗してもオレは作り物なんだから何度だって作り直せば、やり直せる。
そうして実験を繰り返して。何体目か何十体目か何百体目かのオレが目覚めて。それを獄寺隼人にすればよかったんだ。そうしたら獄寺隼人は無事にリボーンさんと会えたんだ。
それが一番の幸せな結末だったはずだ。リボーンさんが喜び、獄寺隼人が喜び、周りのみんなだって喜ぶ。満足する。オレは廃棄される。それが…
それが…ベストだったはずだ。そうするべきだったんだ。オレは選択を、道を踏み外してしまった。
周りがオレを「獄寺隼人」と呼ぶ。それがオレには苦痛でたまらない。
違う。オレは違う。オレは作り物で、偽者で。けれど本物はもういなくて。
いっそ作られてから今日までの記憶を削除してしまったら楽になれるのだろうけど、それだけは絶対に出来ないと叫んでいる自分がいる。
オレの中には獄寺隼人の記憶、仕草、癖。思考パターンに銃の腕。火薬の知識に10代目への忠誠心から…リボーンさんへの愛情まで全てが刻まれている。
そして。それから。
オレが生まれてから、あの日、あの時まで。リボーンさんと過ごしてきた思い出が刻まれている。
本物の獄寺隼人すら持っていない、オレしか持っていない、リボーンさんとの思い出。
…消したく、ない。
これは、これだけはオレのものだ。
罪の身で、なんておこがましい。自分でもそう思う。けれど消せない。消したくない。これがなかったらオレは死んでしまう。だからきっと、この思い出こそがオレなんだと、そう思った。
オレには獄寺隼人が使ってた部屋が宛がわれた。そこは初めて入る場所のくせに、どこに何があるのか手に取るように分かった。
…もうじき夜が明ける。また朝が訪れる。苦痛が始まる。
オレは頭を振る。息を吐く。己が役目を思い出せ。今ここにいるオレの、周りに望まれているその役割を思い出せ。自分の名前を思い出せ。
…オレの名前は獄寺隼人。ボンゴレファミリーで作られた。
オレの隣には獄寺隼人を望む人たちがいて。
けれど本物の獄寺隼人はもういなくて。
オレの役目は、死んだ獄寺隼人の代わりに獄寺隼人を演じること。獄寺隼人に成り切ること。
それがオレの日常。
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いったい誰が、どこで間違えた?