海に行きましょう。
なんだ、突然。
いいじゃないですか。行きましょうよ。
一人で行ってこい。
オレはあなたと一緒に行きたいんです。
そうは言うがな…
今日は休みで、特別用事もないんでしょう?
それはそうだが。
実は奇遇なことにオレもなんです。
知ってる。
なら、いいじゃないですか。
…わかったわかった。行けばいいんだろ。行けば。
はい。行きましょう。
そう言って笑った獄寺は、自分の身体がどうなっているのか。数時間後、自分がどうなるのか分かっていたのだろうか。
何も知らなかったに違いない。いつも通りの時間が過ぎると信じて疑わなかったに違いない。
獄寺だけじゃない。誰一人として疑っていなかっただろう。オレも含めて。
何も理解してないまま獄寺と二人、海まで歩いた。
眩しい日差し。汗が身体を纏う。
オレはさっさと目的地に着こうと、足早に歩いていた。その後ろを獄寺が歩く。
海までもう少し。というところで後ろから声がした。獄寺の声。オレを呼ぶ声。
「リボーンさん」
なんだと答えて、続きの言葉を待った。
しかし、いくら待っても声は聞こえない。代わりに音が聞こえた。
どさりと、誰かが、何かが倒れたような音。
思わず振り返れば、獄寺が地に伏していた。
駆け寄ってみてみれば、獄寺はまるで眠っているかのように意識を失っていた。
それからのことは、正直よく覚えていない。
病院に搬送される獄寺。
慌しく走り回る医師たち。
集まるボンゴレメンバー。
それらの様子を、オレはどこか他人事のように見ていた。
獄寺はそれから丸十日眠り続けた。
そして、獄寺は意識を失ったときと同じように唐突に。何の前触れもなく目覚めた。
獄寺が起きたと聞き、獄寺と親しい者はすぐに病室へと駆け込んだ。
涙を流し、喜ぶ奴らを目に獄寺はただただ困惑していた。
嫌な予感がした。
心の中で冷や汗が流れる。
やがて、獄寺は遠慮がちに口を開いた。
「あの…」
獄寺の言葉に、周りが静まる。獄寺に視線が集中する。
それを受け止めながら、獄寺は続きの言葉を放った。
「…どちら様ですか?」
嫌な予感は当たるものだ。
獄寺は目を覚ました。意識を回復させた。
だが、記憶を失っていた。
周りは獄寺が目覚めたことを喜んだし、獄寺の記憶を諦めようともしなかった。
写真を見せ思い出話を聞かせる。獄寺は黙って話を聞いていた。言われたことは一度で覚えた。
ただし、あくまで覚えただけだ。思い出したわけではない。
その様子を見ていると、なんだか獄寺にそっくりな別人を獄寺に仕立て上げようとしているような、そんな雰囲気を感じた。
そんな日々が暫く続いた。成果は一応あったのか、獄寺は一見、以前通りに戻った。
だがそれは見せかけだ。獄寺はただ求められるままに以前の自分を演じているだけに過ぎない。
過去のトラウマも消え、ビアンキを見ても腹痛を起こさない。過去の衝突を忘れ、骸や雲雀を見ても敵意を感じない。
…ツナに助けられた記憶を失い、ツナに対する敬意が以前より薄れた。
別人だ。あいつは獄寺じゃない。
そう思い、オレはあいつを見限った。接触を避け、会話もしなかった。
しかし周りはそれが気に食わなかったらしい。会うたびに文句を言われた。そして最後には会え、会話しろ、接触しろと言う。
まるで、オレがあいつを避けているから記憶が戻らないんだと。そう言われているようだった。
馬鹿げている。
オレ一人が話して全てが解決するのなら、誰も苦労などしないのに。
などと思っていたある日、偶然か誰かのお膳立てか。あいつと会った。
あいつは少し目を見開き、息を呑んだ。しかしすぐにその色を潜ませる。
「こんにちは、リボーンさん」
「ああ」
笑顔で挨拶するその姿は、あの獄寺と変わりない。
だからだろうか。
「獄寺」
「え?」
「海に行かないか?」
気紛れを起こしたのは。
あいつは驚いた顔をしていた。それはそうだろう。今までろくに交流もなかった人間からいきなり誘われたのだから。
しかしあいつは即決した。
「はい。喜んで」
オレはごねたのにな。
数週間前のことを思い出す。まるで数十年も昔の出来事のように感じられた。
海へと続く道のりを二人で歩く。
天気は快晴。あの日のように暑い日だった。
あいつは何故自分が海に誘われたのか分からないだろう。
何も知らないあいつと二人、海まで歩いた。
眩しい日差し。汗が身体を纏う。
オレはさっさと目的地に着こうと、足早に歩いていた。その後ろをあいつが歩く。
海までもう少し。というところで後ろから声がした。あいつの声。オレを呼ぶ声。
「リボーンさん」
場所まで同じだった。あの日、獄寺が倒れたところ。オレは思わず振り返った。
あいつは倒れなかった。丁度獄寺が倒れた場所で立ち止まっている。あいつは笑っている。
「今日は、いい天気ですね」
「………ああ、そうだな」
頷くオレに、あいつは歩き出す。あの日の獄寺が超えられなかった一線を、あっという間に超えてみせる。
あいつがオレの隣に立つ。
「オレ、リボーンさんといると、落ち着きます」
「…そうか」
「以前のオレも、そうだったんですか?」
「知るか」
そんなこと、獄寺は一言たりとも言わなかった。オレも気にしたりはしなかった。
あいつはオレを見上げている。言葉を出すべきかどうか迷っている顔だ。
「…別に、オレはお前に獄寺を演じろとは言わない。好きにしていい」
「………ありがとうございます」
消え入りそうな声だった。
獄寺であることを命じられ、獄寺として振舞うことを宿命付けられ、獄寺よりも獄寺であることを願われた獄寺でない誰か。
それがこいつだった。
あいつは俯かせていた顔を上げ、歩き出す。
波の音が聞こえる。
海までの距離が、近い―――――
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潮の香り、かもめの声。
隣のお前は気持ちよさそうに風に吹かれていた。