遠くから、音楽が聞こえる。
それは古めかしい、アコーディオンの音。
この音だけが、オレの唯一の救いだった。
もしもこの音がなければ、オレはとっくの昔に無音の拷問に耐え切れず気を狂わせていただろうから。
…ああ、それとも狂っていた方が幸せなのだろうか。
ここに死ぬまで、あの人の慰み物としていなければならないというのなら、狂った方がいっそ楽だろうか。
なんて、何十、何百と繰り返した思考を更に繰り返す。
それぐらいしか、もうオレには出来る事がないのだから。
ここはどこだとか、どうしてオレがとか、それについてはもう飽きるほど議論して、そしてついに答えが出なかったからもういい。
というか、オレはもうここに来る前の事をうっすらとしか思い出せなくなっていた。
自分の名前ですら、あの人がオレを呼んでくていなかったらきっと忘れていた。それぐらい、オレはここにいる。
手足の自由を奪われ、目隠しをされて。
最初は、確か、暴れたような気がする。大声も上げて、あらん限り抵抗したような気がする。
それがどれだけ続いたのかは覚えてない。なんていったって時計の秒針の音すら聞こえないのだから。時間の感覚がないのだから。
何時間か、それとも何日か。あるいは何週間か―――…オレの抵抗は続いた。
けれど、そのどれをとってもあの人を喜ばせること以外の効果はないと分かってから…やめた。なんだか馬鹿らしくなって。
あるいは、暴れるのに疲れたのかも知れない。
あるいは、この状況に慣れたのかも知れない。
抵抗は、恐らく怯えの表れだったと思う。
あの人はオレが怯えている姿を見て、キットヨロコンデイタ。
それからオレは、それまでとは打って変わってだんまりを決め込んだが……それすらあの人は楽しんでいるように思えた。
だから、ああ、きっとこの人には、何をしても変わらないんだな、と思った。
あの人は心が読めるんだ。
だからきっと、表向きは黙っていてもオレの心を読んで。それで楽しんでいるんだ。
悪趣味ですね。
一度、そう口を利いた事があった。
生意気な口だ、と声帯を潰される覚悟ぐらいはあった。最低でも殴られるかな、とか髪を掴まれて壁まで投げられるかな、とか。
別にそれでもよかった。
自棄になっていた…と言われれば反論の余地はない。けれど正確には違う。
オレは、死にたかったんだ。
殺してほしかった。
苦しんでもいいから。
最終的に死ねれば、それでよかった。
だけど、
そうか?
って、あの人はそう言うだけで何もしなかった。
むしろ、微笑んでいた気配すら感じた。
今まで、オレにはそんな雰囲気を感じさせたことすらないくせに。
拉致監禁拘束なんてことぶちかましているのに、それとは比例して態度はとても優しい。
…それとも、よもやこれがこの人の愛情表現、とでも言うつもりなのだろうか……
―――いやいや。それはない。忘れよう。
例え万が一億が一。これがこの人の愛情表現だったと仮定しよう。
だけど、だからといってそれがオレに向けられるわけがない。
この人がオレを愛するだなんて、そんなことあるわけがない。
オレはこの人を愛しているけど。
―――ああ、駄目だ駄目だ。思い出すなそんなこと。
それは忘れた想いだ。それはなかった想いだ。それは消した想いだ。
ああヤメロヤメロ。オレの中に入ってくるな。失せろ消えろ。こんな時にそんな想い。あっても邪魔なだけなんだ。
ああ暑苦しい。いつも適温に感じる室内がなんだかとても暑苦しい。酷く熱くて苦しくて死んでしまいそうだ。
額から汗が出る。それが珠となり頬を伝い、首筋に落ちる。
汗が伝った痕が、痒くて痒くて仕方がない。
ばりばりと爪を立てて、血が出るほど皮膚を破るほど掻き毟ってしまいたい。
けれど出来ない。何故か。拘束されているからだ。指を動かすことは出来ても、腕は後ろ手に回され固定されていて、とても首まで届かない。
ああもう痒い痒い。掻きたい。苦しい。苛々する。
苦しい。呼吸が荒くなる。痛い。汗が身体を溶かして肉を血を骨を腐らせていってるみたいに痛い。なんだこれナンダコレ。
何とか暴れて、身体を壁や床に擦り付けてでも身体中を掻き毟りたくなる。けどオレの身体はがっちりと固定されていて身動きがまったく取れない。
オレの暴れる音(と言っても拘束されてるせいであまり音は出てないのだが)を聞きつけてか、誰かがここまでやってくる。
―――誰か、なんて考えるまでもないか。
ここに来るヒトなんて、たった一人しかいない。
「どうした? 獄寺」
やってきたヒトは、優しげな手付きでオレに触れる。と、オレの汗に気付いたのか、額を肌触りのいい何かで拭ってきた。
「…暑いのか?」
オレはかぶりを振る。違う。そうじゃない。そんな問題じゃないと。
「………てください」
「ん?」
そのヒトはとても優しげな声を出して、オレに顔を寄せてくる。
オレは顔を上げて、口を開く。
「リボーンさん。好きです。あなたを愛しているんです」
「―――――」
リボーンさんは何も言わなかった。だからオレは更に口を開く。唯一自由の声を出す。
「だからお願いです。どうかオレを殺してください。苦しいんです。苦しいんです。とても痛くて辛いんです。だからオレを殺してください。―――オレをここから出してください!!!」
リボーンさんはやっぱり何も言わない。その代わりにか、とてもとても優しくオレの頭を撫でる。その手付きはまるで幼い子供に向けるそれと同じだった。
違う。オレが望んでいるのは、オレが願っているのはそんな手ではない。
オレが望んでいるのは―――――
「殺してください。死にたいんです。殺してください。苦しいんです。ねぇリボーンさん。好きです。愛しています。お願いです。お願いですからオレを殺してください。あなたの手で、オレヲコロシテクダサイ!!!」
暗い視界が、何故か白く染まっていく。
頭がぼんやりとして、上手く思考が纏まらない。
オレの口はもうオレの思考とは何の関係もなしに勝手に動いて言葉を吐いている。それはきっとオレが今まで溜め込んでいた願いだろう。
遠くから、アコーディオンの音が聞こえる。
その音とオレの声が重なって、まるで歌っているような気分になった。
そんな中、リボーンさんは優しく、そっと。オレの身体を抱きしめて。
「悪いな」
オレの耳元で小さく呟く。
「それは出来ないんだ。すまないな」
その声色は、どこか楽しそうにも聞こえて。
ああ、やっぱりこのヒトはオレが嫌いなんだなって。そう思った。
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オレは正常。あなたは異常。だからあなたはオレを監禁する。
オレは正常。お前は狂った。だからオレはお前を保護する。