昔々、あるところに狂った機械がありました。


狂った機械は頭がいかれていて、思考が歪んでいて、だけどそれが正常でした。


だから狂った機械は、可哀想なことに自分の修理の仕方さえわかりませんでした。





―――ならばいずれ壊れるのは、当然のことで。





狂った機械は人間から生まれました。


狂った機械は人間の身体を持っていました。


だから狂った機械は、愚かしいことに自分も人間なんだと盲信しておりました。





―――そんなこと、あるはずがないのに。





狂った機械は故障品でした。


狂った機械は失敗作でした。


狂った機械は、本来ならば廃棄処分されて、それで物語はおしまいになるはずでした。





―――そうならなかったのが、悲劇の始まり。






























獄寺家、という城がある。


それはイタリアの山奥にひっそりと建てられており、無関係者の侵入を拒む。


そのせいか、近くの街の人間ですらそんな城があることすら知らない。


けれど、一部の業界では獄寺家といえば有名だった。


武器商人。


中でも特に人気なのが、子供の武器。


子供用の武器ではない。子供を、武器として売っている。


事前に購入者の情報を子供に入力、刷り込みの要領で絶対に裏切らない手駒の出来上がり。


製作の時点で武具の扱い、言語の習得、身体能力の上昇等を施され、売られ、使われ、消耗し、特攻し、死ぬのを待つばかりの子供たち。


護衛に使うもよし、情報収集に使うもよし、陽動に使うもよし、地雷に使うもよし、暗殺に使うもよし、何でもござれの人間兵器。


売り上げは上々。研究も進み、今までよりも更に質のいい商品が作られるはずだった、獄寺家。


しかしそんな獄寺家の栄光も長くは続かなかった。


研究と実験と発売を繰り返すほどの、大量の子供たち。


一体どこから集められたのか。


基本的には、善良なる市民の皆様との、清らかなる賃金交換としている。獄寺の名は使わず、適当な俗称を名乗って。


たとえば、飢えを凌ぐために泣く泣く我が子を手放した親自身。血を分けた子は子供を望む親のところへ行くと聞きそれを信じて。


なるほど、嘘は言われてない。確かにその子は子供を望む人間の元へ行くだろう。ただ、人間扱いされるかとなると話は別だが。


たとえば、自分のいる孤児院の経営難を救おうとした孤児自身。自分の行動が小さな弟妹とシスターのためになると信じて。


なるほど、一時的とはいえ、経営難は救われたかもしれない。ただ、その後その子らが愛した弟妹が同じ道を歩もうとしたとき、どう思うのか。


たとえば、自身の能力上昇のため名乗りを上げた子供自身。収入の少ない家のため、手に入れた能力で入手した金を両親に贈れることを信じて。


なるほど、確かに下手な学校へ行くよりも能力は苦もなく得られるだろう。ただ、知らなかったとはいえ愚かとしか言いようがない。


何故なら、売られた子供たちの平均寿命は一年ほどしかないのだから。


そうして売られた子供たちが、親に、兄弟に、身内に、友達に、誰一人として見られないということがあるだろうか。


売られる以前の記憶は消され、今の主にのみ従うよう刷り込まれた人間兵器。


その異様な姿。それを見てしまったら。


そしてそれが起こってしまい、目撃してしまった彼らは眼に見せられた事実に困惑し、混乱し、そして事態を悟った。


許せるものではなかった。自分たちはもちろんだが、愛する子供たちを改造し洗脳し平気にしてしまった奴らが。


だから彼らは、奴らを殺してもらうことにした。


そうして依頼されたのが、とある最強のヒットマン。


名を、リボーンという。










目を開くと、そこは薄暗い部屋の中。


薄目を開けたまま、少年…というよりも、幼子とも言える小さな子供は椅子に座った状態のまま身動ぎ一つしない。


彼は動かない。まるで置物のように。


やがて、誰も来ないまま時間ばかりが過ぎていき……辺りに爆発音と、地響きが鳴った。少し遅れて、鼓膜が破れそうなほど大きな音の警報。


それらを聞いてるはずなのに、体感しているはずなのに彼は反応しない。彼だけ時間が止まっているかのように、あるいは本当に物なのかのように。


やがて、部屋のドアが乱暴に…という言い方はまだ優しい。蹴破られ、血と硝煙の臭いを纏った殺し屋が入ってくる。


そこで初めて、彼は反応を示した。顔を上げ、現れた人物に目を向けようとする。


だが当然ながら殺し屋の行動の方が千倍も早かった。殺し屋は彼の存在を認めると、手にしていた拳銃を彼に向けて引き金を引いた。


しかし銃弾は発射されず、乾いた音が響くのみ。


不発。


殺し屋は慌てず別の拳銃を取り出す。その間にも彼との距離を詰め、取り出した拳銃を彼の眉間に突きつけた。





「…何か言い残すことはあるか?」





殺し屋が静かにそう言う。冷たい、感情のない声。


彼はそこで、やっと顔を上げ終える。殺し屋の顔を見上げる。その底の見えない目を見つめる。


殺し屋もそうだが、彼の方にも感情は見えない。


銃口を突きつけられているのに、いつ殺されてもおかしくはないのに。いいや、そもそも、彼は既に一度、死んでいるはずなのに。


その目には恐怖も、怯えも、怒りも、悲しみも、諦めも、出し抜きも、悪あがきも、刺し違えも、覚悟も、意思も、何もかもがなかった。


その彼が、口を開く。静かで、感情のない声を出す。





「あなたが、オレを処分してくださる方ですか?」


「…何?」





殺し屋が怪訝そうな声を出す。感情のある声。


彼は言葉を続ける。濁った目を向けて。焦点の合ってない目を向けて。感情のない声を出して。





「オレは故障品の、欠陥品の、失敗作です。ですから今日、オレは廃棄処分されるのだと告げられていました。」


「………」


「あなたが、オレを処分してくださる方ですか?」





殺し屋は依頼内容を思い返す。


獄寺家の全ての「人間」の殺害及び獄寺家内にいる全ての「兵器」の破壊。


殺し屋の目の前にいる「それ」は、「人間」と呼ぶには足りなさすぎて、「兵器」と呼ぶには欠けすぎていた。


この城の「人間」は逃げまとい、泣き叫び、命乞いをして兵器を使い殺そうとする。


この城の「兵器」は悪意を放ち、殺意を持ち、身を挺して人間を守ろうとする。


けれど目の前の「それ」は、そのどちらでもない。感情がない。意思がない。自分がない。心がない。何もない。


殺し屋は銃を下げ背を向ける。彼は黙って見ている。


殺し屋は入口まで歩いたところで一旦足を止めた。





「悪いが、オレはお前を処分する奴じゃない。だが、恐らく待っていてもお前を処分する奴は来まい。お前の行きたい場所に、自由に行くといい」





殺し屋はそう言って、部屋から消えた。


彼は黙ったまま動かず、目を閉じる。


そのまま全てが終わるのかと思いきや、そうはならなかった。


彼はまた目を開けた。そして動き出す。


椅子から立ち上がり、ドアの外れた入口から部屋の外へ。


辺りは散々たるものだった。


焼け焦げ、燃え広がり、噎せ返る臭いが立ち込め、赤い液体が染みを作っている。


そしてあたりに散らばる、人間だったものと兵器だったもの。


彼にとって人間だったものは親のようなもので。


彼にとって兵器だったものは兄弟のようなものだった。そのはずだった。


けれど彼はそれらをやはりなんの感情もない目に写しながら歩き出す。



探索。探索。熱量探索。感知感知感知。熱量感知。遮断。探索。感知。―――生命熱量感知。



彼は歩き出す。


故障品でも欠陥品でも失敗作でも、機械は機械。


機械は人のために作られる。


人の役に立つために。人のためになるように。


機械は人を求める。


彼は歩き出す。


人の所へ。










殺し屋は城の外に出ていた。


仕事の仕上げをするために。


依頼内容は人間は殺せ。兵器は壊せ。そしてもう一つあった。


獄寺の城を潰せ。


徹底的に破壊して、破壊し尽くして、二度とこんなことが起きぬように、起こらぬようにしてほしいと。


城を破壊した程度でこんなこととやらが二度と起こらないとは思えないが、受けた仕事はきっちりこなすのが彼だ。


爆薬を仕掛け、あとは仕掛けを作動するのみ。城の中であらかじめ支柱を傷めておいたので、最低限の爆薬で済む。


確認作業をしていると、城の入り口から歩み寄る影。


殺し屋はそちらを見遣る。人間も兵器も、全て動かぬようしたはずだが。


…ああ、いや。


殺し屋は思い出す。一人、だか、一つ、だか。逃したものがあることを。


影はゆっくりと歩いてくる。山を降りていくのかと思いきや、影は彼は殺し屋のすぐ傍まで来て、停止した。


彼は殺し屋を見上げる。相変わらず感情のない目。しかし焦点は合っており、濁っていた目も多少ましになっていた。





「…なんだ?」


「………」





彼は答えない。


ただ見上げるのみ。





「オレを殺しにでも来たか?」


「………」





彼は答えない。


何の反応も返さない。





「行く場所は決めたか?」


「はい」





彼が言葉を返した。反応を返した。


それは殺し屋にとって予想だったのか、少し驚いた顔をした。


彼は真っ直ぐに、ひたむきに、殺し屋を見ている。





「オレの行きたい場所は、あなたのところです」





真っ直ぐな視線。真っ直ぐな言葉。


それを避けることなく受け止めながら、殺し屋は、まずは仕事を遂行することにした。





「…ひとまず、ここを爆破する。離れるからお前も来い。ここにいたら死ぬぞ」


「はい」





彼は笑って殺し屋についていく。


やがて誰もいなくなったその城は爆発し、獄寺家の歴史は幕を閉じた。










「それで、そのまま連れ帰ってきたのか?」


「そうだ」


「置いてくればよかっただろ」


「子供の体力では山から抜けれない。見殺しにする訳にもいくまい」


「は! 生ける伝説、最強の殺し屋とは思えない台詞だな。お前そんな人間みたいな奴だったのか?」


「一度見逃したんだ。見殺しにするよりは助けるさ」


「………」





彼は黙って殺し屋と、殺し屋と話している相手を見ている。


殺し屋がいる場所なんぞに幼い子供が(それもひたすら無防備な)いるなど異彩異色極まりなく、視線を集めているが本人はまったく気にせず二人を見ている。





「それより、報酬を貰いたいんだがな」


「ああ…ちゃんと全部始末したんだろうな」


「ああ。生き残りはいない」


「ま、お前に限って情けをかけるなんてことはないだろうしな。そいつは……例外として」


「言ったろ。こいつは依頼内容から外れている」


「わかったわかった。ああ、あの城の兵器…子供を全滅させたことは黙っておけよ。「本当の依頼」では、殺害対象はあくまであの城の大人だけで、被害者たる子供たちは出来る限り保護となってたんだから」


「オレが受けた依頼には、そんなのなかったがな」


「当たり前だろう。人間兵器なんて危険な物、野放しに出来るわけがない。どうにか言いくるめて攻撃してきた場合は反撃、時と場合によって殺害もやむなしと納得させたんだ」


「なら、やっぱりこいつは殺さないでよかったんだな。こいつ以外は全部オレを殺しにかかってきたぞ」


「ああそうかよ…それで? そいつどうするんだ? まさか育てるのか?」


「まあ、今のこいつは常識もなにも分かっちゃいないからな。ある程度分かるようになるまで近くに置くぐらいはしてやるさ」


「常識…ねえ。殺し屋の傍にいて一体何が学べるのやら」


「さあな。嫌になったら自分から出ていくだろ。…行くぞ。獄寺」


「はい。リボーンさん」





殺し屋に呼ばれ、嬉しそうに返事をしてパタパタと付いていく彼。


獄寺の城にいたから、獄寺。


安直なネーミングセンスに呆れた顔をしながら、殺し屋と話していた男は二人を見送った。










「リボーンさん」


「ん?」





移動中。


獄寺がリボーンに話し掛ける。


その目からは濁りは消えていた。嬉しそうな顔。弾む声。





「名前、ありがとうございます」


「ああ、呼び名がないと不便だから適当につけただけだ。礼を言われるようなことじゃない」


「でも、嬉しいです。初めての貰い物です。…大切にします」


「そうか。…なら、これもやろう」


「え?」





リボーンが獄寺に手渡したのは、無骨で幼い獄寺の手には大きな拳銃。


安全装置は外され、いつでも撃てる状態。





「この辺りは物騒だからな。自分の身は自分で守れ」


「分かりました」


「使い方は分かるか?」


「はい」





頷き、拳銃を掲げ見る獄寺。


くるりと後ろを向き、路地の影に向けて引き金を引く。


小さな悲鳴が上がり、誰かが倒れる音がした。


獄寺はリボーンに向き直り、無邪気な笑みを浮かべる。





「こうやって使うんですよね」


「ああ。…なんだ、気付いていたのか」


「はい。ずっとオレたちを見ていて、付いてきてましたね。重火器を持ってましたし、殺気……って言うんですか? そんな視線も感じましたので撃ちましたが…いけませんでしたか?」


「別にいいんじゃないか? オレも似たような理由でよく殺してる」


「よかった」





…彼らの名誉のために言っておくが、別に彼らの頭がいかれ、狂っているわけではない。


狂っているのだとしても、それは別に彼らだけではない。


ここはそんな、そういう世界。


人が人を殺し、人が人に殺される。それが日常的に起こっている世界。





金銭のために。


食物のために。


悪意に従い。


憎悪に従い。


欲望のままに。


むしゃくしゃして。


手にした武器を試したくて。


意味もなく。


理由もなく。





この世界の住人は、人を殺す。





ここはそんな、そういう世界。


そんな世界の片隅で、


獄寺の生活が始まった。










獄寺がリボーンのセーフハウスに置かれてから早数ヶ月が経った。


獄寺の一日は掃除に始まり掃除に終わる。


夜明けよりも前に目を覚まし、まずは主たるリボーンより授かった拳銃を分解・掃除・手入れ。


続いて部屋の掃除をしているとどこからともなく悪意有り人種の接近を察知。撃ち殺す。


掃除の再開。途中で昨夜の食事の残りを摘んで、また掃除。


途中、悪意有り人種の接近を感知。撃ち殺す。


掃除を終わらせ、死体の処理。家の中も外も綺麗に、綺麗に。


最後に夕食を作り、主の帰りを待つ。


リボーンは基本的に家にいない。いつも外に出ている。恐らくは、仕事で。


いつ帰ってくるかはわからない。数日戻らない時もある。戻ってきても、すぐに出ていくこともある。


でも、いつか。


いつか、食べてもらいたい。


一応、食材については自由にしていいと許可は頂いている。あと弾丸も。


今日の夕食はミネストローネにカルパッチョ。それからブルスケッタ。レシピは本屋でさっと立ち読みした時に頭に叩き込んだ。


冷めていく料理を眺めていると、獄寺の気持ちも落ちていく。


今日も帰らない。今日も食べてもらえない。


もっとも、帰ってきたところで食べてもらえないかもしれないけど。


獄寺はただただ主を待つ。主のためになるよう考える。


リボーンは食事に無頓着で、いつも携帯口糧と水ばかり口にしている。


それを悪いと言うつもりは毛頭ないが、やはりいつもそれでは味気ないのではなかろうか。


リボーンは別に味のある食事を嫌っているわけではない。依頼人に一緒に食事をと誘われれば普通に応じるし、好き嫌いがあるわけでもない。


ただ、いつも用意するのが面倒なのだというだけのこと。


ならば。と獄寺は思った。ならば、自分が用意すれば、それを食べて頂ければ、それを美味しいと言ってくれたなら。


それは獄寺にとって歓びだ。嬉しいなんて、そんな言葉で言い表すことが出来ないくらい。


日付が変わろうとしている。今日もリボーンさんは戻らないのだろうか。とぼんやりと思っていたら―――



熱量感知。


足音パターン照合。―――…一致。


相手ヲリボーンデアルト断定シマス。



獄寺はすぐにドアの前まで移動する。程なくして、扉が開く。現れるのは獄寺の主―――リボーン。





「リボーンさん!!」


「いい匂いだな」


「あの! オレ作ったんです!! もしよかったら、あの、その……」


「………そうだな。頂くか」


「はい! あ、オレ温め直してきますね!!」





くるくると回り、パタパタと駆ける獄寺。


まるで子犬のようだと、リボーンは思い……


……少しだけ、微笑ましく感じた。





「どうぞ! リボーンさん!!」


「ああ…」





温め直し、湯気の立つミネストローネがリボーンの前に置かれる。


食べようとするリボーンの一挙一動をじっと見つめる獄寺。


普通ならば、見られる側としてはなんとなく居心地が悪くなりそうだが流石のリボーン。まったく気にしなかった。そして一口。





「ど…どうですか?」


「美味いな」





リボーンの一言に、獄寺の顔がぱっと明るくなる。


本当ですか? などと聞き返えすことはしない。リボーンが言うことに間違いなどあろうものか。


幸せ恍惚な表情を浮かべる獄寺に、リボーンが訪ねる。





「お前は食わないのか?」


「え?」





主の何気ない一言に、獄寺はきょとんとした顔をする。


一拍置いて、意味を理解して、驚いた。


リボーンは一緒に食事を取らないのか、と言っている。





「………ああ、お前はもう済んだのか」


「い、いえ、まだ…」





主よりも先に食事を取るなど、獄寺に出来ようはずもない。


というか、獄寺は基本一日一食だ。昼間に一度。最低限。それでいい。





「なら、一緒にどうだ?」


「は、あ、あ…はい、恐縮です…!!」





カチコチになりながら、獄寺は自分の分の食事も用意した。


向かい合って、一緒に食事。まるで家族のようだった。


食後になり、リボーンが一息ついていると獄寺がさっと動き珈琲を淹れて持ってくる。





「どうぞ。リボーンさん」


「ああ…ありがとう」





感謝の言葉を言われて、獄寺は背中がくすぐったくなる。


獄寺にとっては、ただ当たり前のことをしているだけで、感謝されるいわれはない。


いわれはないが……でもなんだか、すごく、すごく―――なんとも言えない、身体が浮くような気分になる。


リボーンが珈琲を一口飲んで、獄寺を見る。





「獄寺」


「はい」


「これはなんという飲み物だ?」


「エスプレッソです」


「そうか」





頷き、リボーンはもう一口飲む。





「美味いな、これは」


「いつでもお作りしますよ」





リボーンさんの好物。エスプレッソ。


獄寺は脳内にインプットし、美味しい淹れ方を死ぬ気で勉強しようと誓った。


そしてリボーンは、食事とエスプレッソが得られるのならばここに戻る回数を増やしてもいいな。と少し思った。










それから、更に数ヶ月が過ぎた。


獄寺は幸せの絶頂にいた。


あれからリボーンはセーフハウスに帰る回数が増え、よく獄寺と食事を取っている。


それ以外の時間では武器の手入れをしたり、本を読んだり、昼寝をしたり。


今まで仕事一筋だった……というか、仕事しか知らなかったリボーンは、初めて世界の別の見方も知った。


娯楽の楽しみ方を、知った。


と言っても、やはり基本的には毎日仕事をしているし、その量も大層なものだが。


そしてその日も、リボーンは外に出ていた。


獄寺は庭に広がる落ち葉を箒で掃いていた。


楽しそうに、幸せそうに、鼻歌交じりに。


その様子はとても―――人間らしい。


ああ、今日の夕食は何にしよう。最近は毎日のように帰ってきてくれるリボーンさん。その理由がオレの料理にあるのなら。これ以上喜ばしいことは何もない。


家にある食材から出来る料理を考えている。―――と。



熱量感知。



誰かの接近に、獄寺の動きはぴたりと止まる。


ああ、また誰かが殺されに来た。


すっかり手に馴染んだ拳銃を取り出すが、しかし構えない。


悪意・敵意・殺気がない。見えない。


今までの彼らは、すべからくこちらを殺そうとしてきた。悪意を、敵意を、殺気を持っていた。


それが、感じられない。


リボーンが人を殺すのは、ある条件に当てはまった者だけだ。



一つ。依頼された者。


一つ。自分に攻撃してきた者。



後者の条件に限って言えば、リボーンは完全にイニシアチブを相手に譲っている。後手に回る。いや、まあ獄寺の場合出会い頭に引き金引いてきたけど、まあそんな日もあるさ。


ともあれ、最近は獄寺もそれに倣っている。故に、攻撃されず、殺気も持ってない相手を撃つことはしない。


獄寺は黙って相手が来るのを待つことにした。距離二時の方角より約2000。


暫く待つと、相手は現れた。


相手は獄寺よりやや年上に見える幼い少女。


顔には微笑。背中までの長い髪。上等そうな服を着こなし、真っ直ぐに獄寺の元まで歩いてくる。





「止まれ」





セーフハウスの敷地内に入る直前で獄寺は彼女に言う。彼女はその言葉にぴたりと止まる。


向き合う二人。髪の色、目の色、顔立ち。どこかふたりは似ていた。





「誰だ? ここになんの用だ」


「久し振りね、隼人」


「ああ?」





彼女は獄寺をまるで身内のように馴れ馴れしく話す。


しかし獄寺にはまったく身に覚えがない。





「人違いじゃねぇのか? オレはそんな名前じゃねえ」


「人違いなんかじゃないわ。あの城で、二人一緒に過ごしたじゃない」





あの城、と言われて思い出すのは無論獄寺の城だ。忘れられない、リボーンと出会いの場所。


だが、正直獄寺はあの日より以前の記憶はもうほとんど覚えていない。どう過ごしたのか、誰と過ごしたのか。思い出せない。





「忘れちゃったの? 私よ。ビアンキ―――あなたの姉よ」


「姉…?」


「そう。私たちはあの城で唯一、獄寺の人間の子供なのよ」


「へえ…」





検索。検索。獄寺の城について。…なるほど。


どうやら目の前の『姉』が言うには、自分たちはあの城の人間たちが村や街で買ってきた子供ではなく、あの城の中の人間の、特に有能な人間が交じりあって生まれた子供らしい。


実験の一つだ。有能で優秀な人間から生まれた子供なら、より大きな実験の負荷にも耐えられうるのではないか、という。


その結果自分は失敗し、彼女は成功した。リボーンが城を落としたのはビアンキが売られた次の日だ。





「で? それがどうかしたか?」


「私はあなたを迎えに来たのよ」


「はあ?」


「私のご主人様はあなたも欲しいと、そう希望しているわ」


「知らねーよそんなこと。オレの主はリボーンさんだけだ」


「まあ」





ビアンキが少し驚いたように口に手を当て、目を開かせる。


けれどすぐに悪戯っぽい笑顔に変えて、鈴の音が鳴るようにコロコロと笑う。





「じゃあ―――その人を殺せばいいのね?」





ビアンキがそう言い終わった瞬間、ビアンキの頭部に衝撃が走り、気付いた時には地に伏せていた。


何が起こったのか分からず、目を白黒させるビアンキの視界に獄寺の足が見える。目線を上げれば、拳銃を持つ獄寺。そのグリップは赤く染まっている。


ああ、自分は獄寺に一瞬で距離を詰められ、そしてあの銃で殴られたのだ、とビアンキが気付いた時には獄寺は酷く冷たい目をしてビアンキを見下ろしていた。





「面白くない冗談は言わない方がいいぜ、『姉貴』」


「冗談なんかじゃないわ。私は本気で―――」





ビアンキが全てを言い終わらぬうちに、獄寺は拳銃をビアンキの口内へ無遠慮に突っ込む。


辺りの温度が急激に冷える。今この時、この瞬間、この場所はまるで別世界のように変貌した。





「ピーチクパーチクうっせぇよ。庭に小鳥が来るのは構わねぇけど、それならせめて愛らしい姿と心地いい歌声を披露してもらいたいね。そうすりゃこっちもパンの耳ぐらいはやってもいいと思えるもんだ」


「……………、」


「さて、覚えてないとはいえ、データを調べたところどうやら母親も違うとはいえ、それでもテメーはオレの姉貴みたいだ」


「……………、」


「交渉に来ただけみてーなのに殴っちまって悪かったな。そこで提案だ。先程の言葉を撤回し、二度とオレの前に現れず、リボーンさんに危害を加えないと誓うのなら―――見逃してやってもいい。どうする?」





そう言って、口内から拳銃を取り出し眉間に構える獄寺。


ビアンキは地に伏せたまま暫し考え……やがて少し寂しそうに、ふっと笑った。





「魅力的な提案ね。是非とも呑みたいところだわ。だけど…あなたも知ってる…いえ、分かるでしょう? 私たちは、ご主人様に逆らえないの」


「そりゃ、残念だ」


「ええ。本当に」





獄寺は笑い、ビアンキも笑った。


それが最後。


パン、と乾いた音が響き、


獄寺は自分の姉を、自分の手で殺した。





「あー…汚れちまったよ。あとで綺麗にしなきゃな……」





血と唾液に塗れた銃を手にため息を吐く獄寺。


その足元には、もう動かない人間兵器が一つ。


それが目に入らないかのように、獄寺は掃除を再開する。その頭の中には既にビアンキの存在など欠片もない。あるのは唯一つ。


さて、今日の夕食は何にしよう?










その日の夕食はハンバーグにした。


肉を捏ねるところから作る手作りハンバーグ。無論、味もばっちりだ。





「そういえば、リボーンさん」


「なんだ」


「今日、オレの姉貴が来たんですよ」


「姉? お前には姉がいたのか」


「ええ。自分の主のところに来てほしい、と言ってきました」


「受けたのか?」


「いえ、撃ち殺しましたけど」


「そうか。それで?」


「ええ…姉貴の主は、隣町を治めるマフィアのボスみたいなんです。それで…もしかしたら、報復で、リボーンさんに危害が……向かうかもしれません」


「そうか」


「申し訳ございません!! 短気を起こして姉貴を殺しちまって……こうなることは予測出来たはずなのに…」


「その程度の相手になら、しょっちゅう狙われている。別に気にしないでいい」


「リボーンさん……」





きらきらとした視線をリボーンに向ける獄寺。


ああ、なんと頼もしいお方か。ていうかマフィアのボス相手にその程度て。どれだけ命狙われてるんですかリボーンさん。


そしてその数日後、やはり夕食中にリボーンが「例の、お前の姉の飼い主だった奴を仕留めたぞ」と告げ、獄寺を更に陶酔させた。










そのようなことがありつつも、世界は、獄寺の時間は緩やかに流れていた。


それはさながら川のせせらぎのように。空を流れる雲のように。ゆったりと。ゆるやかに。


平和だった。毎日血と硝煙の臭いがし、銃声が鳴り響き死体の処理をしていたとはいえ―――それでも、獄寺にとっては平和で、心穏やかな毎日だった。


愛する、敬愛する、尊敬する、憧れの、大好きな、主のために毎日料理を作り、共に食事をする。


幸せだった。獄寺はあまりにも幸せだった。


幸せなまま、時間だけが過ぎていった。


一年経ち、二年経ち。世界は回る。


五年経ち、十年経ち。幼き子供は青年に。


そしてとうとう二十年が経ち―――ついにその日は来てしまう。


別れの時。


故障品で、欠陥品で、失敗作である彼が、本当に壊れてしまうその時が。










結論から先に言ってしまえば、その日。リボーンは死んだ。


周到に、念入りに、長きに渡り計画され、ただただ彼を、リボーンを殺すという、それだけの思い、それだけの願い、それだけの情熱をもってして組み込まれたプロジェクト。


そのど真ん中に放り投げられつつも、まさに周りは―――街中歩く通行人ですら敵だという事態の中で、それでもリボーンは攻撃を躱し、死角を付き、死線を潜り抜けてきた。


もしもリボーン一人であったなら、リボーンは難なく―――とまでは言わずとも、それでも生きて帰り、敵を殲滅し、また新たな伝説を作り上げたことだろう。


もしもそこにいたのがリボーン一人であったなら、リボーン一人であったならば。


もしもリボーンの隣に、二十年前より仕え続ける従順なる下僕獄寺さえいなければ。


結論から先に言ってしまえば、リボーンは、獄寺を庇って死んだ。


リボーンを噂だけで知る者は――…リボーンを直に知る者ですら、彼らはリボーンを感情のない、まるで機械のような人間だと思っている。


それは間違いだ。


ただ単に、単純に、リボーンは感情の受け皿が周りのそれより極端に小さいというだけで、感情は確かにある。人間である。


リボーンの伝説を知る者は、リボーンは殺すことでしか生きられない――…殺戮中毒者だと思っている。


それは誤りだ。


リボーンは依頼で受け持った者と自身を殺そうとしてきた者しか殺さない。リボーンは確かに物心付いた時から殺し方に長けていて、その生き方しか知らないが殺さなければ生きていけないというわけではない。


リボーンは依頼とあらば、どんなに幼い子供でも殺すし、どれほど罪なき人でも殺すし、どれだけ残虐な方法でも実行する。


その行為に嫌悪感が湧いたことなど一度もない。


悲鳴を聞いても、哀願されても、肉を抉っても、身体を切り刻んでも、命を奪っても、恨み言を言われても。リボーンは罪悪感すら感じない。


そして、それと同じように「楽しい」などと思ったこともまた一度もない。


けれどそれが周りの連中に分からないのも、また当然だった。


リボーンは仕事をしているときは、外に出ているときは仮面を付けているかのように無表情で。会話すらほとんどしないのだから。


リボーンが表情を出すのは家の中。


獄寺と―――家族と、いるとき。


本人すら気付かぬうちに、少しずつ、ゆっくりと。その絆は作られていった。何年も掛けて。


だからリボーンは獄寺を庇い、獄寺を生かし、自分は死んだ。





それはただ、それだけの話。


リボーンにとっては、そこで終わる話。


問題は、獄寺の話。





獄寺は、リボーンのために生きてきた。


獄寺の世界の中心はリボーンで、リボーンのためになることが獄寺の喜びだった。


なのに。


リボーンが死んだ。


自分を、自分なんかを、自分ごときを庇って、死んだ。


自分がいるから、リボーンは死んだ。


獄寺は叫んだ。叫ばずにはいられなかった。


そうせねば狂ってしまいそうだった。…いや、既に獄寺は狂っていた。


叫んで、叫んで―――ひとしきり叫んで、獄寺の目が濁り、虚ろなものに変わる。





リボーンさんが、死んだ。


いいや、死んでない。死ぬはずがない。


オレがいて、リボーンさんが死ぬはずがない。


オレが生きて、リボーンさんが死ぬ未来などあるわけがない。


オレが死んで、リボーンさんが生きる未来しかあるはずがない。


この死体は、オレだ。


なら―――オレは? オレは誰だ?


…決まっている。この場所にいるのは二人だけ。そして、目の前にあるのが獄寺の死体ならば、残る答えは―――そうとも。





オレが、リボーンだ。





「彼」はリボーンであるために、不要な物を捨てる。


「彼」が懐から取り出したるは、年季の入った拳銃。


それは昔、「リボーン」が、「獄寺」に自分の身は自分で守るようにと渡したもの。


渡された当時は大きかった拳銃も、今や少し小さいぐらい。


それは数年前に壊れてしまったが、それでも「獄寺」は大事に大切に持ち続けていた。


それは「獄寺」にとって、それがとても大切なものだから。


「彼」はその拳銃を、無造作に、無遠慮に、床に叩きつける。


拳銃は落ちた衝撃に耐え切れず、壊れる。「彼」はそれを無感情な目で一瞥した。


「彼」は目の前の死体が被っている帽子を手に取った。それを自分の頭に被せる。銀の髪が闇に隠れる。


長身にスレンダーな体型。見るものを圧倒する威圧感。


そこには確かに、伝説の暗殺者リボーンがいた。


こうして「彼」は主の為に、主より初めて授かった、大切にすると誓った名前を棄て。銃を棄て。思い出を棄て。





―――リボーンを、復活させた。






























昔々、あるところに狂った機械がありました。


狂った機械は頭がいかれていて、思考が歪んでいて、だけどそれが正常でした。


だから狂った機械は、可哀想なことに自分の修理の仕方さえわかりませんでした。





―――ならばいずれ壊れるのは、当然のことで。





狂った機械は人間から生まれました。


狂った機械は人間の身体を持っていました。


だから狂った機械は、愚かしいことに自分も人間なんだと盲信しておりました。





―――そんなこと、あるはずがないのに。





狂った機械は故障品でした。


狂った機械は失敗作でした。


狂った機械は、本来ならば廃棄処分されて、それで物語はおしまいになるはずでした。






























―――そうならなかったのが―――………






























某月某日。


あの伝説の暗殺者、リボーンが暗殺されたという噂が裏社会に流れていた。


けれど、その噂はすぐにガセだと判明した。


何故なら、リボーンは生きていたから。


代わりに、リボーンを暗殺しようとした組織、関係者全員が殺害されたというニュースが流れた。


何故なら、リボーンが報復したから。


死んだのは、リボーンが飼っていた名もなき下僕。


リボーンを庇って死んだのだと、一部の情報通のみが知っている「事実」


それからもリボーンは変わらず仕事の依頼を受け、殺していく。


その手際、その腕前。まさに最強。まさに伝説。


ただ……何故かリボーンは以前より目深く帽子を被るようになり、その顔を、目を見ることはなくなった。


喋ることもなくなり、リボーンの声を聞く者もなくなった。


それを疑問に思うものも多からずいたが、すぐに興味を失った。誰も殺戮中毒者のことなどどうでもいいのだ。


誰もリボーンを疑わない。


それもそのはず。彼の実力は知られる通りだし、リボーン本人ですら知らない癖や仕草も完全にトレースしているのだから。


誰も彼を疑わない。


ただ、彼の信条を知る者が見れば、多少変わったのが見て取れる。


以前のリボーンは、依頼された者と攻撃してきた者以外は殺すどころか攻撃すらしなかった。


でも、今は違う。


毎回……というわけではないが、時たま、時折……例えば視界に入っただけで、例えば身体がぶつかっただけで。彼は人を殺す。


と言っても、この世界ではそれが普通で、当たり前のことだ。むしろそんな決まりを何十年も守り続けてきた今までの方が異常だった。


だからそんな変化も、彼を疑うに値しない。


そうして時が過ぎる。過ぎていく。










部屋に飛び込んだ瞬間、目に入った人影。


リボーンは躊躇なく引き金を引く。


だが―――弾は発射されず、乾いた音が響くのみ。


不発。


リボーンは慌てず別の拳銃を取り出す。その間にも人影との距離を詰め、取り出した拳銃を人影の眉間に突きつけ―――





そしてそのまま、撃ち殺した。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

リボーンなら、きっとあそこで子供を殺す。

リボーンが子供を助けるだなんてありえない。