要は。彼は少し疲れていた。


それは度重なる任務が原因か、それとも愛人の一人がこの間死んだことが原因か。


それは休みなき日常が原因か、それとも仲間の一人がこの間死んだことが原因か。


どれが要因で、どれが心労になったのかは不明だが…ともあれ、もう何の意味もない。


要は。彼は少し疲れていた。


らしくなく。休憩用のソファで眠ってしまうぐらいには。


らしくなく。同僚の一人に少し…ほんの少しだけ、愚痴を言ってしまうぐらいには。


彼は少し。疲れていた。



口は災いの元



「リボーンさん」


静かな声に、彼の意識が浮上する。


「獄寺か」


声で既に確信していた人物を、焦点を合わせて視界でも確認する。


「こんな所で寝ていたら、風邪を引きますよ」


「オレはそんな軟な奴じゃねーぞ」


「でも、お疲れのご様子です」


最強のヒットマンと謳われる彼を心配するような人間はそうはいないのだが、目の前の人物はそれの例外に当たるようだ。


「平気だ。てかお前、よくオレが寝てるって分かったな」


「分かりますよ。それぐらい」


リボーンの瞳は、閉じることを知らない。


故に眠る時だって目は開かれたままで。だからリボーンは眠ることを知らないとすら信じ込んでいる部下もいるぐらいだ。


「…それで、話は戻るんですけど。お休みになられるなら部屋に戻った方が…」


「オレはこれから仕事だ。ツナに呼び出しを喰らってる」


「でも…、貴方はここ最近ずっと働き詰めじゃないですか」


余程リボーンが心配なのだろうか、敬愛して止まないボンゴレ10代目の名を出しても彼は怯まかった。


「オレはアルコバレーノなんだ。お前らとは身体の作りの時点でまず違うんだよ」


しかしリボーンはそんな獄寺を一蹴する。


「…アルコバレーノだからって、ずっと起きていれば眠くもなるでしょう」


けれど獄寺はそれでも食い下がらなかった。


「…なに?」


「貴方がどんなに強くとも。何も食べなければ空腹になるし、働き詰めならば疲れもするでしょうと言ってるんです」


アルコバレーノも普通の人間なのだと獄寺は言う。


その台詞に、リボーンは笑った。


「は…っ」


「なんですか?」


「お前は何も分かっちゃいねぇ」


その口から出た言葉はいつもと同じトーン、いつもと同じ温度の口調の癖に…なにか。どこか違和感を残した。


「アルコバレーノは化け物なんだよ。普通の人間と同じことは通用しねぇ」


「なに言ってるんですかっ」


自身を化け物と言うリボーンに獄寺が声を立てる。しかしリボーンはそれすらも気にせずに。


「それにだ。オレはこの世界で生まれてこの世界で死ぬ。これはもう決定されてることでオレの意思なんて関係ねーんだ」


いつものように淡白に言い放つリボーン。


しかしその端々には…諦めの色が入っていた。


「リボーンさん…?」


らしくないリボーンに獄寺が思わず声を掛ける。けれど当のリボーンは既にいつも通りに戻っていて。


「ま。お前の気持ちだけは受け取っとく」


それだけを言って、リボーンは部屋から出ていってしまった。


「………」


あとに残されたのは、獄寺隼人のみ。


…確かに、リボーンの過ごしている日々は重かろう。


生まれながらにしてマフィア界最強のヒットマンの称号を受け。日々を飽きる事なく。休む間もなく血と硝煙を浴び続けて。


そうして生きて。そうして死ぬことが初めから決定している人生。


それは過酷というのものだろうか。


それともアルコバレーノと謳われる彼には本当になんともないことなのだろうか。


きっとそうだろう。そう思おうとした。


けれど…



―――オレの意思なんて。関係ねーんだ―――



その言葉が、何故か獄寺の脳にこびり付いて離れなかった。







「…次は南のファミリーの壊滅か」


「うん…悪いね。次から次と」


「なんだお前まで」


「あれ? 誰かにも言われた?」


「まぁな。…それはそうと、これはオレひとりで行くのか?」


「いや、何人か部下付けてくれていいよ。何人要る?」


「………一人だけでいいが、中距離射撃がほしいな。火力の有る奴だ」


「なら…」



「―――ああ。獄寺を借りてくぞ」







そんなことがあったのが、ほんの数分前の出来事。


「つーわけだ獄寺。準備しとけ」


「…はいリボーンさん。ご指名に預かり光栄です」


「ああ。期待している」


「はい」





ボンゴレアジトから遠く離れた南の街。


そこにリボーンと獄寺は来ていた。


昼間の内から街の中にはいたけれど。彼らが行動するに相応しいは深夜。そこからが彼らの時間だ。


お互いが無言のままに闇夜を走り抜いていく。事は迅速に。何よりも早く。もっと速く。


と。急に二人が立ち止まる。暗い深い闇の向こうから隠しきれてない殺気が視えた。


「…そういえば昼に視線を感じましたね…あれでしょうか」


「まぁ、オレたちは顔が隠せない程度に有名だからな」


軽口を叩く間にも殺気の数は増えていく。それは前方に四つ。後方から三つ。…囲まれていた。


「…ま、」


リボーンが殺気の一つに銃口を向けた。


「オレたちの敵じゃねーけどな」


リボーンが引鉄を抜いた。


それが戦闘開始の合図になった。



幾つかの時を裂いて。やがて二人を残して動くものがいなくなる。


「片付いたか」


「はい。リボーンさ…」


言葉を言い終える前に、突如獄寺の背後に現れた殺気。


(まだいやがったのか…!)


突然の事に一瞬頭の中がフリーズする。その一瞬の内に攻撃するのか避けるのかを決定しなくてはいけなかったのに。


相手の得物は銃ではなく鈍器だった。月明かりにそれが鈍く光って…獄寺がそれを確認すると同時に小さく舌打ちが聞こえた。そして後ろに強く。引っ張られる。


それと同時に振り下ろされる鈍器。それの直撃を受けてしまったのは…


「リボーンさん…!」


信じられない。そんな思いで獄寺は叫ぶ。


あのリボーンが獄寺を庇うことも。あのリボーンがどこの馬の骨とも知れないマフィアの攻撃を喰らうことも。


そしてあのリボーンが獄寺の目の前で無様に倒れていることも。…全てが信じられなかった。


けれどそれは事実で。そしてそれは…獄寺の責任だった。


獄寺は咆哮を上げながら引鉄を引いた。


相手が肉片になってもまだ撃ち続けていた。


獄寺が正気に戻ったのは銃弾を全て撃ち出してから。そうしてこんな事をしている場合ではないことも悟る。


「リボーンさん…!」


慌ててリボーンの下へ駆け寄る獄寺。リボーンは頭から血を流しながら気を失っていた。


「どうしよう…オレのせいだ、リボーンさん…」


ひとまずは彼の手当てが先だった。獄寺は自身の服を破いてリボーンの止血を施すと、彼を抱きかかえて闇夜の中を戻って行った。


しかし一体どこへ行く? 手配している宿など行けるはずがない。この街は奴らのテリトリーなのだから。


けれどリボーンを早くどうにかしないといけなくて。ジレンマに苛まれながら獄寺が着いた先は…海だった。


海なんかに来てどうする! と獄寺は自身を叱咤する。海のどこで休ませろというのだろうか。海に宿などあるわけがなくて。…宿?


そういえばと獄寺は思い出す。こういった所には金持ちが道楽で立てた別荘があるものだと。


獄寺の屋敷にもそういうものが幾つかあった。もしかしたらここにもあるかもしれない。


そう思ってそれらしき場所を探して…すると本当に見つかった。街から少し離れた海と森の間にひっそりと。見る限り長年誰も使ってなさそうなのが。


「…邪魔するぜ」


鍵の掛かっていた扉を銃で壊そうとして…そういえば自身の持ち弾は逆上したときに全て使い切ってしまったことに気付いた。


獄寺は多少の申し訳無さも感じながら…リボーンの懐に収められていた彼愛用の銃を取り出して一発だけ撃った。


鍵の意味をなくした扉を押して開けて中に入る。埃が溜まっていたがこの際贅沢は言ってられなかった。


誰かが使っていた寝室。その室内にあったベッドの埃を出来るだけ叩いて取って。そこにリボーンを寝かせる。


いつもは開けられているはずの瞳が、目蓋で閉じられていた。


敵の返り血以外で染まるはずのない身体が、リボーン自身の血で汚れていた。


「リボーンさん…」


その事実に獄寺は胸が締まるような思いになる。いつもの彼ならそんな事になるわけがないのだから。


「オレが…油断したから」


獄寺は夜通しで看病していたが、リボーンは目を覚まさなかった。



朝になって。獄寺は止血の為巻いていた布が汚れているのに気付いた。


やはりちゃんとした医療具が必要になるだろう。町にまで戻らなくてはいけない。この別荘に医療具があったとしてもそれは使いたくないし。


幸いにもこの別荘には電気水道はまだ通っていた。暫く身を隠す場所としてはここは中々の好条件ともいえる。


「………すいませんリボーンさん…。すぐに戻ってきますので」


意を決めて、獄寺は町へと戻ることにした。ひとまずは医療具。幸いなことに獄寺は師とも呼べる人物にこの手のことは教えられていた。


「…これ、お借りしていきますね」


そして獄寺はリボーンの帽子に手を伸ばす。


自分の髪はどこにいても目立つ。が、ここでは目立ってはいけない。


これで全てが隠せるとは思ってないが、それでも何もしないよりは遥かにましだった。



街で医療具と食料。それから弾丸を買い込んできた獄寺は即行でリボーンのいる別荘へと戻る。


彼が気を失っている間、ひとりでいさせることは危険だということぐらい…誰にでも分かることだ。


誰にも見つからないように隠れながら。やり過ごしながら…そうして別荘へと向かって。急いで。リボーンの下へと走る。


やや乱暴に。寝室のドアを開けるとそこには。


「………」


リボーンがベッドの上から身を起こしていた。



「―――リボーンさん、お気付きになられたのですね!!」


気付けば獄寺は声を出していて。駆け出していた。


対して呼ばれたリボーンは…起きてまだ間もないのか、どこかぼんやりとしながら獄寺を見ていた。


「よかった…もう目を覚まさなかったらどうしようって、ずっと思ってて…よかった、よかったですリボーンさん…」


「………」


「…? リボーンさん?」


「一つ聞きたい」


口を閉ざしていたリボーンがようやく口を開いた。しかしその雰囲気というか態度はどこかいつもと違ってて…


「? はい」


獄寺もそのことには気付いているのだろうが、どうにも言い出せなかった。しかしその疑問の問いはすぐに答えられることとなる。


「お前。誰だ?」


…おおよそ、望まれない形で。





「………」


「………」


気不味い沈黙が痛かった。


「…リ…リボーンさん。こんな時に冗談なんて笑えませんよ…?」


「冗談なんかじゃねーぞ。つーか、それがオレの名前なのか?」


嗚呼、獄寺は嘆息する。


この口調も態度もいつもと…そう、いつもと何も変わらないリボーンは。今。


らしくもないつまらないジョークをかましているのではないならば…一体どこに落としてきてしまったのか、記憶がないらしい。


ともあれ、こうなっては仕方ない。予想外のことが多すぎた。一旦ボンゴレに緊急連絡をする必要がある。


あそこなら設備も整っているし、リボーンの記憶もすぐに回収出来るだろう。しかしその前に彼に一応説明しなくてはならないだろうか。


「えーと…貴方の名前はリボーンさんで…オレは獄寺と申します」


「そうか」


「それで、オレたちは…」


実はイタリアンマフィアを牛耳るボンゴレファミリーの一員で、貴方はボンゴレ10代目の家庭教師兼お抱えのヒットマン。そしてオレはボンゴレ10代目の右腕です。


今回、オレたちはこの街のファミリーを潰す為にコンビを組んでやってきたのですが…不意打ちを喰らいオレの代わりに貴方は負傷。


奴らの手の内である街に戻るわけにもいかず、こうして人里離れた朽ちた廃屋に今身を潜めています。


今からオレたちのファミリーに連絡を入れて増援を呼びますので、貴方は少々お待ちを。



………と。言えばよかったのだが。



どんなに信じがたい事柄でも、事実は事実。


無理にでもアジトに連れて帰れば嫌でも信じざるをえないことになるだろうし、そこから先は獄寺の管轄外だ。


暫くしたら記憶の戻ってきたリボーンがやってきてもう一度この街に来ることになるのだろう。今度こそ壊滅する為に。


そんな軽い未来視。それが正しい未来視。


…それを選ばないといけなかったのに。



オレはこの世界で生まれて、この世界で死ぬ。



頭を過ぎったのは、数日前の彼の言葉。


諦めの入り混じっていた、彼の言葉。


「オレたちは…」


事実を伝えようと獄寺は唇を開く。けれど何故かそれ以上の声が出ない。


リボーンは黙ってじっと獄寺を見ている。獄寺の言葉を待っている。


その瞳にはいつもの鋭い眼光はなく…実際の年齢よりも幼くすら見えた。


獄寺は、意を決して―――…



これはもう決定されていることで、オレの意思なんて関係ねーんだ。



…言葉を紡いだ。







「オレたちは…観光客ですよ。リボーンさん」





結局獄寺は、偽りの言葉を吐いてしまった。


自身とリボーンの関係は知人。この地には旅行として訪れたが強盗に襲われリボーンは負傷…そのような嘘八百を獄寺は並び立てた。


これでよかったのか。そう聞かれれば首は横を振るだろう。これは許されることではない。


自責の念は止まないが、それでも時は進んでいく。


気が付けば、夕日が沈もうとしていた。


獄寺の手の内にはリボーンの拳銃が一丁。


自身の銃が使えるようになった今、この拳銃はリボーンに返すつもりだった。


けれど…"一般人"であるリボーンが持つには。それはあまりにも不釣合いで。


獄寺はリボーンの部屋のすぐ隣にあった部屋で寝泊りすることにして、その部屋のタンスの中にリボーンの拳銃を仕舞った。


その拳銃を持ち続けるには、それはあまりにも重くなっていた。


と。そのときノックもなしにいきなりドアが開けられた。獄寺の身体がびくりと跳ねた。


「獄寺」


「リ…リボーンさん! 貴方は怪我してるんですから歩き回っては駄目ですよ!!」


「悪いな。腹が減ったんだ」


なんの悪びれもなく自身の欲求を告げるのは記憶がなくなっても変わらないようで。けれどそういえば獄寺も今日はまだなにも口にしてはいなかった。


「あ…すいません。すぐに用意をしますね!」


「お前が作るのか?」


「はい!」


「………」


何故かリボーンは一歩身を引いた。


「…なんですか。オレの手料理に何か文句でも」


「喰えるのか?」


「な…! 酷いです、あんまりですリボーンさん! ていうか今何も覚えてらっしゃらないんですよね!? なんでそんなこと言えるんですか!!」


「いや、なんとなく」


「独断と偏見ですか!?」


ガーンとショックを受けた獄寺に更にリボーンが追い討ちをかける。


「つーかマジで大丈夫なのか?」


「…そ…そんなにオレが信用なりませんか…」


がっくりと項垂れる獄寺。ちょっと可哀想だった。


「…分かった悪かった。だからそう落ち込むな」


「うー…いいですオレなんて。実際に料理を作って見せて名誉を挽回して見せます!!」


「そうだな。頑張れ」


「はい! 任せて下さいリボーンさん!!」


獄寺は意気込んでキッチンへと向かった。





ガシャン。


「………」


「………」


…そう、獄寺が張り切ったのも束の間。


「獄寺。皿は割るものじゃねーだろ」


「…分かってます」


どうにもやることなすこと、獄寺の行動は裏目に出ていた。


それが更に獄寺に焦りを産ませ、悪循環として回ってゆく。


調味料を間違えるのは基本として一番得意だったはずの刃物の扱いでも失敗続きだった。皿も割るし。


「…いた、」


そして食器の破片を拾う時も指先を切ってしまう。とうとうリボーンが見かねて手を出した。


「もういい。お前はじっとしていろ」


「リボーンさん…?」


一歩下がって傍観を決め込んでいたリボーンだったが、とりあえず獄寺の手を掴み水で傷口を洗う。それが済むと割れた食器を手早く集めてゴミ箱に詰め込みキッチンに立った。


「オレがやる」


「リボーンさん…料理なんて出来たんですか?」


「覚えてねーな。だがお前よりはましだと思うぞ。もしもお前並かお前よりも酷かったら大人しく餓死だな」


さらりと凄いことを言い放つリボーンだった。


しかしそんなリボーンの手際はいいもので、あっという間に食材が料理へと変わっていった。


「…しかも美味しいです…」


「そうか。喰えるのならば問題はないな」


完全敗北の獄寺の心情など露知らず、リボーンは黙々と自身の料理を腹の中に収めていた。





片付けを獄寺に任せ、一足早くリボーンは自分へと当てられた部屋へと戻った。


獄寺は今度は取り分けなんの失敗もせずに仕事を終える。食事が遅かったこともあり、全てが終わった時には辺りは暗くなっていた。


一言リボーンに挨拶をしてから部屋へ戻ろうとした獄寺だったが、既に電気が消えていたのでそれはやめて獄寺もすぐ隣の部屋に戻った。


ため息を吐きながら、獄寺はベッドに倒れこむ。


ひとりになると、することがなくなると。獄寺の頭には後悔の念で一杯になる。


ここから。これから。どうすればいいのだろうか。


今からでも遅くないから、ボンゴレに連絡を入れればいいのだろうか。


それともリボーンの記憶が戻らぬよう、マフィアの世界から逃げてしまえばいいのだろうか。


無言の問答は延々続き…それは朝になっても答えが出ることはなかった。


無論獄寺は、一睡も出来なかった。





「―――おはようございます、リボーンさん!」


「…ああ。って獄寺。それはなんだ?」


朝。獄寺はリボーンの部屋へと訪れる。


その手には盆を持って。


「これはリボーンさんの朝食です」


「オレに死ねと?」


「今度は大丈夫です! 今度こそ名誉挽回です!!」


そう言って獄寺がお盆をリボーンに見せると確かに。簡単なものとはいえちゃんとした料理がそこには並んでいた。


「…昨日はなんだったんだ?」


「オレにもよく…」


獄寺が一人で台所に立ち、一人で料理を作った時には特になんの失敗もしなかった。そもそも本当に獄寺は料理ぐらい出来る。


ただ…昨日は少し。調子が悪かったみたいだが。


その後昼に晩にと獄寺が食事を作ったが、取り分けなんの問題も起こさなかった。





その晩…というか深夜。


リボーンは喉の渇きを覚えて水を飲むため階下へと降りていた。


ぎしりぎしりと古びた廊下が軋む音を上げる。


ふと、近くに誰かがいるような気がした。まるで隠れているように。潜んでいるように。


しかし何故? 誰にも何もそうする理由などない。少なくともリボーンが持っている情報の中には。


ならば気のせいなのだろう。けれどそれでも消えない気配。不審に思ってリボーンが背後へ振り返ると―――


「ってなんだ。貴方でしたか。こんな時間にどうしたんです?」


「獄寺か。喉が渇いてな…お前こそどうしたんだ?」


「オレは人の気配がしたので様子を見に来ただけです。ていうかリボーンさん、水ぐらいオレに言えば持ってきますよ!」


明るく振舞っている獄寺だが、リボーンは確かに見た。


獄寺が振り返ったリボーンをそうだと認識する一瞬前。


何よりも冷たい…無慈悲で残酷な獄寺の眼差しを。


「………」


「どうしましたか? リボーンさん」


「…なんでもない。だが水ぐらい自分で飲みに行けるぞ?」


「何言ってるんですか! 貴方は怪我してるんですよ!? もっとご自分の身体を労わって下さい!!」


「そうは言うが…」


「駄目って言ったら駄目です。あ、言っておきますけど暫く外出も禁止ですからね!!」


「それほどか?」


「それほどです。安静にしていて下さいリボーンさん」


有無を言わせない口調の獄寺。リボーンは獄寺を見ながら頷いて。


「…分かった。じゃあなるべく動かず、じっとしていよう」


「ありがとうございますリボーンさん」


ほっと安心したように笑う獄寺。それから二、三言葉を交わして二人は別れた。


「………」


ひとりになったリボーンが思い出すのは、先程見えた獄寺の表情。


一瞬だけしか認識出来なかった、彼のもう一つの顔。


しかし不思議なことに、リボーンには恐怖や怯えなどの感情は芽生えてなかった。


むしろ…そう。


(オレは…知っている気がする)


彼のあんな一面を、何度も見ているような気がした。


けれどそれからいくら考えても、リボーンは何も思い出すことは出来なかった。





そんなことを考えたからだろうか。その日。リボーンは夢を見た。


そこには自分がいて、獄寺がいて…それから更に何人かの人間がいて。


広い部屋に書類か何かを持って走る誰か。


どこかのオフィスだろうか。けれどそうかと思った途端に世界にノイズが走り、場面が変わる。



血。


硝煙。


銃声。


動かない人間。


千切れた手足。



そしてそれらの上に無表情で立っている…返り血を浴びた、自分自身。



"彼"と目が合った瞬間に、リボーンは眼が覚めた。


起きたときには夢の内容…特に後半の部分をほとんど忘れていた。





「夢を見たぞ」


獄寺がリボーンの包帯を巻き直しているときに、ぽつりとリボーンは今朝のことを話した。


広いオフィスと覚えていない誰か。それは失った記憶と何か関連のあることなのだろうか。


「それは、ただの夢ですよ」


かと思ったが、獄寺は淡白に切り捨てる。


「…ただの夢ですよ…リボーンさん…」


「…そうだな」


何度もそう言う獄寺に、リボーンは肯定をしてこの話は終わった。


それから二人は無言だった。ただ獄寺がリボーンに静かに丁寧に包帯を巻く音だけが小さく響いていた。



「終わりました」


「ああ…ありがとう」


リボーンが礼の言葉を言うと、何故か獄寺はぴたりと固まった。


不審げに見上げえてくるリボーンの視線にも気付く事無く、獄寺は先程のリボーンの言葉を脳内で反復していた。


ありがとう。


ありがとうとな。


あの…あのリボーンが、記憶がないとはいえ獄寺にありがとうとな!!


今の今までそんなことがなかった獄寺は思わず硬直してしまった。


「………オレは一体どんな奴だったんだ」


リボーンの小さな囁きは誰にも聞かれることなく風に溶けて消えてしまった。





…緩やかに、穏やかに。時が流れていた。


けれどその最中でも、獄寺は罪の意識で悩んでいた。


特に夜。主に独り。その時間になるとまるで見えないナイフで心を滅多刺しにされているような。そんな痛みすら感じた。


引き返せないのだと、意を決めようとする。リボーンの前では全てを隠して過ごすことが出来る。


でも…独りになると。途端に駄目になる。苦しい。苦しい。苦しい。


リボーンの記憶が戻ったら、いっその事自分を殺してくれないだろうか。そんなことすら願ってしまう。しかもかなり本気で。


よくも今まで騙してくれていたなとあの冷たい瞳で。自分の息の根を止めてくれないだろうか。


そんなことを切に願う獄寺。


当然のように、今日も眠れなかった。





「―――おはようございます、リボーンさん!」


獄寺がリボーンに食事を持ってくる。


が、リボーンはただ獄寺を見上げているだけだ。


「…? どうしましたか? リボーンさん」


「お前…少し休んだらどうだ?」


「え?」


予期せぬリボーンの言葉に、思わず声を上げる獄寺。


「寝てねーんだろ?」


「っ、」


「事情はよく分かんねーが…そんな生活だといつかぶっ倒れるぞ。休め獄寺」


「な…オレは平気です! と言いますか怪我人の貴方に心配される言われは…」


獄寺の言葉が終わらぬうちだった。


足の力が抜け、ふらりと―――重力に従い獄寺の身体が堕ちてゆく。


来るべき衝撃に備え、獄寺は硬く目を瞑ったが…いくら待ってもそれは現れなかった。


代わりに強く。その身を抱かれる感覚。


「…だから言っただろうが」


呆れたようなリボーンの声が、獄寺のすぐ近くから聞こえてきた。


獄寺が地に倒れるよりも前に、リボーンが獄寺の身体を自身へと引き寄せ抱き締めた結果だった。


「あ…すいません、リボーンさん…」


慌ててリボーンから離れようとする獄寺だが、どうにも力が入らない。


「無理するな」


いつもよりも近い距離で囁かれる声。今まで感じることのなかった彼の温もり。何故か獄寺の鼓動が高く跳ねた。


「リボーンさん…」


「寝ていろ」


リボーンは獄寺を抱きかかえたまま移動して、今まで自分が使っていたベッドへと獄寺を寝かせる。


部屋から出ようとするリボーン。思わず眼で追い掛ける獄寺。その視線に気付いたリボーンが振り返った。


「…なんだ? 一人じゃ寂しくて眠れねーってか?」


「な…! 何を言っていますか貴方は!!!」


思いも寄らなかった言葉に獄寺は顔を赤めらせて否定する。何故に20代の男が一人で寝れぬというのか。子供でもあるまいし!!


「そうか? …ま、でも折角だからお前が寝るまでここにいてやるよ」


そう言ってはベッドの近くにある椅子に座り、笑みを浮かべて獄寺を見下ろすリボーン。獄寺の顔に熱が集まって…止まらない。


「あの…」


「なんだ? てか目を開けてたら寝れねーだろうが。瞑れ」


言うが早いがリボーンの手が獄寺の目蓋に下りてきて。反射的に獄寺は目を瞑る。


作られた暗闇。その中で、何よりも身近に感じる温もり。


今まで眠ってなかった分、身体は休息を早急に求める。


抗うことも出来ないままに、獄寺は意識を手放した。



爆睡した獄寺が目を覚ましたのは、日が落ちてからだった。


「起きたか」


すぐ近くから聞こえてきた声に身が跳ねる。顔をすぐ横に向けるとそこには眠る前と代わらない位置にリボーンがいて。


「リ、リボーンさん!? もしかしてずっとそこに…?」


「いや。様子を見に来てみたら、丁度お前が目を覚ました」


ほらと器を差し出される。内容は獄寺の体調を気遣ってかリゾットで。


「あ…すいません、リボーンさん…」


「気にすんな。オレの方がお前に世話になってるからな」


出されたリボーンの言葉にちくりと痛む獄寺の心。


本当は騙しているのに。


自分は彼に気を遣われるような人間では、ないのに。


「獄寺?」


俯き急に黙り込んだ獄寺を、リボーンが覗き込む。慌てて獄寺は顔を上げた。


「な、なんでもないですリボーンさん!」


心情を誤魔化すように、獄寺はリゾットを掻き込んだ。





結局獄寺は、今日のところはとこのままリボーンの使っている部屋で夜を明かすことになった。


しかし…眠れない。


それは今まで眠っていたからでもなく、今までのように罪の意識に苛まれてでもなかった。


ただひとりの…リボーンのことが、頭から離れなくて。それで眠れなかった。


「リボーンさん…」


今日のことが頭に過ぎる。


抱き締められて。その体温を何よりも身近に感じて。そしてすぐ傍で囁かれた声。


思い出すだけで…心音が高くなる。体温も上がるのが分かる。


何故だろう。そりゃあ彼のことは嫌いではない。むしろ尊敬している。だが…苦手でもあったはずだ。


ああ、けれど。


苦手な人の為に、自分はこれほどまでの事をするような人間だっただろうか。


その場の勢いがあったとはいえ、あの10代目すら裏切るような行為を…するような人間だっただろうか。


「……………」


悩みは深まり、心中の問いの答えは出ない。


…それとも、答えは既に出ているのに目を背けているだけなのだろうか。


「…オレは…」


彼のことは、尊敬している。


「…オレ、は…」


彼のことは、敬愛している。


「リボーンさんのことが…」


もしかしたら、と獄寺は思う。


「………」


もしかしたら…自分は…自分の本当の気持ちは…





翌朝。


「獄寺。調子はどうだ?」


どちらが怪我人なのか分からないようなことを言いながらリボーンが獄寺の様子を見に来て。


「リボーンさん…」


獄寺は来訪者の名を呟くと、そのまま黙り込んでしまう。


「…? どうした?」


どことなく様子のおかしい獄寺に不審がってか、リボーンが獄寺に一歩。また一歩近付いていく。


「まだ具合が悪いのか?」


「あ、いえ…大分よくなりました。ありがとうございます…」


「そうか? ならいいんだが…」


しかしそういう獄寺はどこかぼんやりしており、頬も微かに赤くなっていた。


「…? 獄寺…?」


「リボーンさん…」


小さく、口を開く獄寺。


「オレ…、オ、レ……」


獄寺の唇が震えている。いつしか獄寺の目尻から涙が溢れて、零れて…それはきっと獄寺の感情の表れ。そしてその感情の正体は―――



「オレ、あなたのこと、…好きです」



暫しの間…沈黙が辺りを支配した。


けれどそれはあまり長くは続かなかった。涙が止まらず流し続けている獄寺の頬に、リボーンが手を掛けたから。


びくりと身を震わせる獄寺。その口から次に零れた言葉は…


「ごめんなさい、ごめんなさい…ごめ、んなさい…リボーン、さん…!」


「…何故謝るんだ?」


「だって…だって…!」


泣きじゃくる獄寺。色んなことが、色んな想いが混ざりすぎて全てを把握出来なくて。


先日のリボーンの言葉なんて。何の関係もなかった。


単に自分は…想い人と一緒にいたかっただけだった。独り占めしたいだけだった。


ああ、なんて…なんて酷い人間なんだ自分は。そんなことに、今まで気付かなかったなんて本当に愚か。


「…獄寺」


聞こえてくる声に、また震える身体。


「オレとお前は…そういう関係だったのか?」


ふるふると首を横に振る獄寺。もう罪悪感からリボーンの顔をまともに見ることも出来なかった。


「ずっと…片想いでした…っ、今までずっと…ずっと…!」


例えば、声を掛けてもらえるだけでも嬉しかった。


同じ任務に就けたときは、いつもと気合の入りが違った。


稀に…本当に稀に誉められたときなんか、あまりの嬉しさに一日中浮かれてすらいたのに。


なのにどうして気付かなかったのか。


同性だからだろうか。彼の人と…なんて、畏れ多いからだろうか。


ならばいっその事気付かなければよかったのに。よりにもよってこんな所で気付くだなんて。


暫くして獄寺の涙が止まって…落ち着いて。リボーンは口を開いた。


「獄寺」


「…はい」


「その…なんだ。今までのオレとお前の関係はしらねーがまだこの"オレ"とお前が知り合って日が浅いというかだな…」


「…分かってます。よ」


気を遣うようなリボーンの口調に、獄寺が笑いながら口を挟む。


「オレの想いには答えられない…そうでしょ? リボーンさん」


「…悪い」


「謝らないで下さいリボーンさん。そんなリボーンさん、らしくないです」


「…本当オレはどんな奴だったんだ?」


「ふふふ…秘密。なんですよ」


暫し笑っていた獄寺だったが、やがてゆっくりと身を起こして。部屋から出ようとする。


「獄寺?」


「すいませんリボーンさん…ちょっと、頭の中がごちゃごちゃしてますので整理してきます。…少しでいいので、一人にして下さい」


「…なんなら、オレが出ているが?」


「―――リボーンさん」


少し強めに、獄寺が口を開いた。


「お忘れかもしれないですけど、貴方は怪我をなさっているんですよ? 貴方はここで安静にしていて下さい」


「………」


では、と一言置いて。獄寺は部屋から去った。


残されたリボーンはひとりのあいだ、昔の事を思い出そうとしていたが…やはり何も思い出すことは出来なかった。





ひとりふらふらと街に出てきた獄寺。


リボーンの前では辛うじて平静を保っていたが、その心は荒れ果てたものだった。


気付いてしまった自身の想い。しかもそれをリボーンに打ち明けてしまった。


その想いが受け入れられなかったことによる安堵と切なさに、心が痛んでいた。それはボンゴレに対する罪悪感とはまた違う傷みで。


あらゆることを一気に、全部考えながら獄寺は街中を進んで行く。


ぐしゃぐしゃな思考の中、誰かに思いっきりぶつかった。向こうが睨みを効かせてくるがそこで獄寺の導火線が切れた。


元々、獄寺は気の長い方ではない。


様々なことを一気に考えて混乱している中に、無粋な声と視線を浴びればこうなることは明白であった。


もとより売られた喧嘩は買う主義だ。


それは幼少の頃より変わらない。…無論。今でも。





思いっきり人を殴ったらかなりすっきりした。


もしかしたら、自分は思っているよりも単純なのかもしれない。


あんなに張り詰めていた心も今は穏やかなもので。


…今ならきっと、平常心を保ったままであの人に会えると思った。


会ったらすぐに謝ろう。いきなりすいませんでしたと。


そうしたら今は記憶無きあの人のこときっと許してくれるだろう。


それで少し明るめに振舞おう。きっとそれぐらいで丁度良い。


そうだと決めたなら。帰ろうあの人の下へ。


そう思って獄寺はリボーンの所へと戻って行った。



…獄寺は動転していた。


無理もないかもしれないが、それではいけなかった。


この街は敵対マフィアの支配下にあって。


奴らは仕切りなしに死体の見つからないボンゴレの刺客を探していて。


それは漆黒のヒットマンと、銀髪の男。


この日。この時。獄寺はいつも被っているはずのリボーンの帽子を忘れていて。


そして何より。


今ここで殴り倒したチンピラこそ、その敵対マフィアの部下で。





戻ってきた獄寺は決心した通りに少し明るめに振舞った。


リボーンもそんな獄寺に気を遣ってかそれに合わせた。


そんなことがあった、翌日。獄寺はあることに気が付いた。


「あ…」


リボーンのための、換えの包帯がない。どうやら切らしてしまったようだった。


(…昨日街に出たときにでも、買って来ればよかったな…)


そんなことを思うも、今となっては後の祭り。それに昨日の精神状態を考えるにそれは無理な注文といえた。


獄寺はリボーンの帽子に手を伸ばし、一応リボーンに一言置いて行こうと彼の寝室へと足を運んだ。


「リボーンさん、ちょっと買い物に…」


行ってきます。


そう言おうとした言葉を、呑み込む。


けれどその行為は何の意味もなくなってしまった。横になっていたリボーンが眼を開けて身を起こす。そしてその視線で獄寺を貫いた。


「…なんだ?」


「あ…いえ、買出しに出て行きますので、一応断りを…」


「そうか…分かった。じゃあオレはもう一眠りすっかな」


そう言ってはリボーンはまた横になり目を瞑った。


「………」


「…なんだ。どうした?」


逸らされない視線にか、消えない気配にか。不審がったリボーンが獄寺に問い掛ける。


「あ…いえ、眠る時は目を瞑るんだな、と…」


「? 訳分かんねーな。普通人間は目を瞑って眠るもんじゃねーのか?」


「…そう、ですね」


獄寺は曖昧な笑みを浮かべて、今度こそ部屋を去った。


残されたリボーンは宣言した通りに眠るべくまた目を瞑った。





暫くしてリボーンが浅い眠りから目を覚ます。


決して短い眠りではなかったが、辺りに人の気配がないから獄寺はまだ戻ってはないようだった。


「…そろそろ包帯を替える時間だと思うんだがな」


どうしたものか、とリボーンは考える。


しかしそれも長くは続かず、静かに地に足を付けて歩き出した。


獄寺に世話になりっぱなしだから、包帯ぐらいは自分で換えようと思った。


それに昨日の一件の気不味さはまだ拭えてはなかったからこれぐらいは自分でやっておきたかった。


リボーンは包帯を探して部屋中を探して行く。けれど見つからずそしてとうとう…


「残るは…あと一つだな」


ある部屋を残してあらかたを探してしまった。そこにもなければ恐らくここにはないのだろう。


出来ればそこにあってほしい。傷口に塗る薬ならばもう見つけたのだが。


ともあれ、最後の部屋に行くことにしよう。そこは…



「獄寺の部屋か」



リボーンは自分が使っている部屋のすぐ隣の部屋に入りこんだ。


なんだか空き巣をしているような気分になるので、手早く済ませることにする。


タンスを漁って…探して。そして彼は見つけてしまった。


探していた白の包帯とは真逆の存在に当たるといってもいい―――黒の拳銃を。


「………?」


リボーンには見に覚えのないものだ。けれど…どこか、引っかかるものがあった。


無意識のうちに手が伸びていた。ずっしりと重い感覚。驚くほどそれは手に馴染んで。


気が付けばそれを懐に仕舞っていた。それを元の…引き出しの中に仕舞い直そうととは思わなかった。



結局収穫といえばそれだけで、リボーンはまた部屋に戻った。


それから暫くしてから獄寺も戻って来て。そこで包帯を替えてもらってその日は終わった。


最後の偽りの日が終わった。





前日に獄寺の帰りが遅くなったのには理由があった。


…街の警戒が強くなっていた。それはもちろん裏の面でのことだったが。


少しずつ場面は変わって行く。時は移ろって行く。


二日前に目撃された"ボンゴレ10代目の右腕"の隠れ家がとうとう…奴らに見つかった。


平和だと思い込んでいた時は終わる。


破壊の時は闇夜と同時に牙を剥いて。二人に襲い掛かる。


全てが…終わる。





時は、夜。


満月が照り輝いている、深夜。


唐突に訪れた侵略者。


階下にいたのは、獄寺。リボーンは自室で休んでいた。


突然の罵声と怒声。銃声と硝煙。そして…数の暴力。


予め決めてあったのか、なんの迷いもなしに数人が獄寺へ。その倍の敵がリボーンのいる上階へと走って行った。


止めろと獄寺の咆哮。けれどそれが聞かれる相手でもない。目の前の…敵という名の障害物を消し去らない限りは。


獄寺は自身の銃で敵を討つ。しかしそうしている間にもリボーンの元へ敵が、迫って行く。


倒す。殺す。自身も怪我をする。けれど怯まない。お互いに。


リボーンのいる部屋で銃声が聞こえてきた。獄寺の血の気が引く。だって彼はなんの武器も持っていない。戦う術を持っていない。


血を流しながら鉄の塊で無粋な奴らをぶち殺し、獄寺は急いでリボーンのいるはずの部屋へ走る。


もう何も聞こえては来なかった。ただ自身が走る音と喉から漏れる呼吸音だけが煩かった。


開けっ放しの扉から獄寺は室内を覗き込む。


リボーンの見るも無残な死体…すらも覚悟していた獄寺だったが、


「え…」


そこには…


「…獄寺」


月夜を背に、死体の山に佇む。


「これは一体どういうことだ?」


最強の―――ヒットマンがひとり。





「リボーンさん…貴方…記憶が…?」


「いや、だが…この雰囲気をオレは…知っている? いや知っていると言うよりもむしろ…」


最後はまるで独り言のように言葉が小さくなっていくリボーン。しかし唐突に…リボーンは膝を折った。


「ぐ…」


傷口が傷むのか、呻き声を上げながらリボーンは頭を押さえる。慌てて獄寺は駆け寄った。


「リボーンさん!? リボーンさん、しっかりして下さい!」


けれど程なくしてリボーンは気を失ってしまった。先程の騒ぎが原因か傷が開いたようで。頭からは血が流れていた。


「………」


獄寺は長い時間…考えて。考え続けて…そして。


「はは…っ」


笑った。力のない声だった。


正直に言おう。獄寺はこの室内の悲惨な惨状に佇むリボーンを見て。…月の光を背に受けて佇むリボーンを見て。獄寺は見惚れていた。


「どうしましょう、オレ…」


出来ることなら、連れ出したかった。叶うのなら、共にこの世界から抜け出したかった。…そう、思っていたときもあった。


「オレ…」


けれど。気付いてしまった。


「銃を持って敵を討つ。貴方が一番好きみたいです」


この人は本当はこの世界から出て行きたいのかもしれないのに。なのに自分はその逆の事を押し付けようとしている。


なんて…最低。


獄寺はリボーンをベッドに寝かしつけて。…この一週間使うことのなかった携帯端末を取り出して。指定の番号を打って。


「…10代目」


長く使ってなかった言葉を呟く。なんだか本当に懐かしく感じられた。


『獄寺くん…!? よかった、無事だったんだね!?』


スピーカーの向こうから安堵したような声。…それに獄寺は心苦しくなって。主語も何も告げずただただ今自分たちがいる場所を言って切った。


ボンゴレ10代目は未だかつてない自身の右腕の振る舞いに心底驚いていることだろう。けれどそれを心苦しくは思わない。…思えるだけの、余裕がない。


もうじきボンゴレがこの場所へとやってくるだろう。そうしたら本来有るべき姿へと戻る。全てはこれで元通りとなる。


…ただ一人の、欠如を残して。


獄寺は今まで無断借用していたリボーンの帽子を彼の枕元へと置いた。


「…これは、お返ししますね」


眠るリボーンにそう呟いて。獄寺は。



「…さようなら。リボーンさん…」



そのまま闇夜へ。姿を消した。


残ったのは死体の山と。その中で眠るヒットマンが一人。


みな平等に月光に晒されて、時折開いた窓から吹く弱い風に撫でられていた。





…気が付いた時には、身体が勝手に動いていた。


開け放たれるドア。流れるように入ってくる人間たち。


本来ならば硬直して動けなくなるような場面だろうに、足は跳ね身は翻しそして手は懐へと伸びた。


軽くはない引鉄を抜くたびに命が消えた。あるいは顔が拉げ。あるいは急所を貫かれ。それでも奴らは怯まなかったがそれは彼も同じだった。


暫くして…動くものが消えた。辺りにあるのは…


血。


硝煙。


銃声。


動かない人間。


千切れた手足。



そしてそれらの上に無表情で立っている…返り血を浴びた、自分自身。



「え…」


聞こえた声に眼をやれば、血に濡れどこか茫然とした…銀の麗人。


そこでリボーンの意識が浮上する。


聞き慣れない懐かしい声に、起こされて。





「…おいってば! リボーン起きろよ! シャレになんないから!!!」


「………うっせーぞ」


手に持ってたままの銃を目の前の人間に突きつけた。確か弾はあと一つ入っていたはずだ。


「ってうわ! い、生きてた…よかったリボーン…」


「勝手にオレを殺すんじゃねぇ」


「ごめんごめん。いやね、リボーンてば死体の山の上で目を瞑ってたから…あー、びっくりした。心臓止まるかと思った」


「そうか。…そー言えば獄寺が見あたんねーな。あいつどこ行った?」


「…分からない。今探してるんだけど…少なくともこの建物の中にはいないみたい。血の跡を辿ってもそこには奴らの死体の山しかなかったし…」


ぶつぶつと呟きながら考える青年に、リボーンが声を掛ける。


「おい」


「ん? あー…そうだ。リボーン、一体この一週間何があったのさ。連絡は取れないしあいつらも健在だしでまさかやられたのかとかも思っちゃったよ」


「取り合えずだ。まずはオレの質問に答えろ」


「何さ」


「お前。誰だ?」


「は?」





流れたのはいつかとよく似た沈黙だった。


「…リボーン…こんな時に冗談とかはさ…」


返って来た言葉すら同じだった。リボーンはため息を吐く。


「冗談なんかじゃねーぞ。どんな馬鹿げた話でも信じてやるからお前は正直に話しやがれ」



リボーンは獄寺が真実を話していないことは、初めから分かっていた。


少し突けばぼろが出そうな作り話。けれどそれでも何も言わなかったのは…彼は恐らくは自分の事を想ってそうしたのだと理解出来たから。


…その理由までは、分からなかったが。


けれど。まぁ目の前にいるこいつは嘘は付かなさそうだとリボーンは思った。なんとなくだが。





そうして、リボーンはボンゴレに戻ってきた。欠落したままの記憶を持ったままで。


でもそれも、長くない時間で戻ることとなった。


もとより戻り掛けていたのか、それとも長い間馴染み親しんだボンゴレに帰ってきたのが原因か。


なんにせよ、記憶の戻ったリボーンが一番最初に放った言葉は。


「あの馬鹿を見つけるぞ。ついでに奴らも潰す」


「…はいはい。最初から探してるって…ていうか二兎を追うものは一兎を得ずってことでどっちか片方にしなよ」


「あ? あほかてめーは。オレがそんな言葉に縛られるかよ」


は? とツナが言葉の意味を理解出来ずに振り返るのと。


「入るよ」


雲雀が室内に入ってきたのはほぼ同時で。


「どうした」


「…ああ、戻ったんだ。…例のマフィアを調べていたらなんか変な情報が寄せられてね。報告だよ」


「変な情報?」


「うん。なんでも―――」





身体が重い。


それでも彼は、立ち止まることを止めることも。手にした銃を捨てることも選ばなかった。


そうして生き延びることよりも、敵を一人でも多く屠りたかった。その結果相手の糾弾にやられるとしても悔いはなかった。


…あるいは。そうして死にたかったのかもしれない。


けれど彼は傷を得ながらも生き耐えていたし、こうしてまた、


―――タァンッ


…追っ手を撃ち抜くことで生き長らえていた。


あれから彼は外で待ち構えていたグループと応戦し合い。…それとはまた別に屋内に突入する予定だったであろうグループも全て完膚なきまでに殺し。


そうして。逃げおおせて見せた。


しかし…それからのことを彼はまったく考えてなくて。


途方に暮れかけたときに。また。命を狙われた。


…狙ってくれた。


殺し合いをしているときは、全てを忘れられた。大事だったはずのことも、本当にくだらないことも。全部。


それは彼にとって救いだったから。そのときだけは彼は無意識にか笑っていた。


もしくは。自棄になっていたのかもしれない。


なんにしろ…その姿は傍から見れば殺人狂。


冷たい目で。細い身体で。笑いながら。殺しを謳う彼は…そう。





「…銀の殺人鬼?」


「だってさ。何ていうか…はまり役だよね?」


とある町で広がっている小さな噂。子供の夜遊び、夜更かしを沈ませる御伽噺にすら使われそうなそれ。


「わざわざお前が持ってきたってことは、信憑性はありそーだな」


「まぁね。どうやらこの噂、一番広がってるのはそのマフィアのアジトみたいだし。あと確かに死亡者も増えてる」


一通りの報告を聞き終えると、リボーンは立ち上がった。


「ん? どうしたリボーン」


「どうしたもこうしたも。今あそこ多少なりとも混乱してるだろ。数も減ってんだから今のうちに潰すぞ。獄寺はその帰り辺りで拾う」


「また短絡的って言うか…。なんていうか、もう少し平和的に…」


「…ツナ」


珍しく低い声でリボーンは呟いた。


「分かってねーようだから言ってやるが。オレは実はとても機嫌が悪い。あいつらを全滅させるぐらいはしねーと腹の虫が収まらねーんだよ」


どうやら殴られたことを未だに根に持っている模様。彼の中で静かに燃えている怒りの炎はまだ尽きることを知らないらしい。


「…分かった。納得」


睨まれて思わず一歩引くツナ。立場がどうなろうとも彼らの関係に変化はないようだ。


「…納得ついでに、そういうことならオレも行くよ」


「デスクワークは終わったのか?」


「一通り。…そう睨むなって。残りは帰ってからします。…本当に。いや信じろって!」


リボーンはため息きを吐きながらも、止めはしなかった。





そして。二人がアジトに来たとき。そこは聞いていた話以上に混乱していた。


どうにも、賊が入った模様。


この街で。このアジトに。誰かが侵入するとしたらそれは…


「獄寺に先を越されたな」


「うー…獄寺くん無茶してそうで心配。ていうか間違いなくしてる…よね」


「だろーな。今まで街の中で殺してたのに、今日に限ってアジトの中。さては殉職覚悟で突貫しやがったな」


「なんてタイミング。良かったのか悪かったのか…って、リボーン速いよ! なんで急ぐの!?」


「なんでってお前。決まってんだろーが」


「は…?」


「もし獄寺がこのアジトの人間全員ぶっ殺しちまったらオレの怒りの矛先を向ける相手が獄寺しかいなくなるぞ。お前それでもいいのか?」


全然よくないです。


本気で納得したツナは、静かに急いでリボーンの後を着いていった。





目に付くものは死体、死体、死体、死体…。生存者。パン。…訂正。死体。死体死体死体…


「これ…獄寺くんが一人でやったのかな…」


「協力者とかいなければな。あー、小物相手にしてもつまんねー。とりあえずボス殺すか。ここのボス獄寺が殺してたらマジで獄寺撃とう」


「撃つなよ…」


そんな軽口を叩き合いながらも、目に付くものは血と死体。抵抗しながらの死。…きっと一矢報いろうとしただろう。憎ましげに開かれた目がそう訴えている。


「……………」


やがて、二人は一つの部屋に辿り着く。その部屋のドアは既に開け放たれていて。その中には…部屋の主であると思われるこのマフィアのボスと。


「え…10代目…? それに………リボーンさん…?」


現在銀の殺人鬼と街で噂されている、獄寺隼人氏の姿。





一言で言えば。それは間一髪。と言う所だろうか。色んなものが。あらゆる意味で。


ここのボスは今まさに殺される所だったのか、獄寺に銃口を突きつけられていた。でもまだ生きている。


よかった。ここで奴が死んでいたらリボーンは本当に獄寺を撃っただろう。危ない危ない。彼はすると言ったら本当にするのだ。


彼は負傷していた。血に塗れていた。


黒のスーツで分かり辛いが、濡れているのは敵の返り血だけではないだろう。右腕は折れたのかだらんと垂れ下がっており、片目も…赤く濡れていた。血の涙でも流しているようだった。


「なんで…」


呟かれた問いは誰に向けてのものなのか。暫く振りに出したであろうその声は、獄寺自身が驚くほど小さかった。


「なんだ。探す手間が省けたな。そいつ殺してここ潰してとっとと帰るぞ獄寺」


だと言うのにいつもとまったく変わらないリボーン。そう言われるなんて思っても見なかった獄寺は呆気に取られて。でもすぐに笑みを浮かべて。


「戻れません」


きっぱりと…はっきりと。リボーンを否定した。





「どうしてだ?」


それでもなお、静かに問い掛けるリボーン。


「お分かりでしょう。…オレは……。あなたを、騙しましたから」


「騙した? あの一週間のことか? 気にすんな、いい休暇が出来た」


「気にするなって…」


気にするな。だから戻って来い。と言うことなのだろうか。獄寺は少し頭痛を覚えた。


戻れるはずなんてない。


未だに冷めないこの想いを抱いたまま戻ることなんて。無理に決まっている。


そんな獄寺の心中を知ってか知らずか、リボーンはため息をひとつ。


「…何か勘違いしてねぇか? 獄寺」


「え?」


「お前は、オレに意見出来る立場の人間じゃねぇ。だからお前はオレが戻って来いといったらすぐに来るんだよ」


じーさす。なんということだ。獄寺にはまさかの人権が取り上げられていた!


「いやリボーン…それは流石にあんまり…」


「なんだツナ。お前もオレに意見か? ちなみにお前もオレに意見出来る立場の人間じゃねーぞ」


「オレボンゴレで一番偉い人なんだけど!? リボーン記憶戻ってから暴君レベルが上がってない!?」


「オレも…それは同感です10代目…。と言いますか、記憶のないリボーンさんの大人しさったらなかったです…」


「あ、確かに確かに! いやぁあのリボーンはよかった! いつもああならいいのにね!」


「お前ら…変に意気投合してんじゃねーぞ」


流れる空気にいつしか剣呑とした雰囲気は霧散していた。


けれども、それはいけない。


ここはボンゴレのアジト内ではなくて。ここは敵のアジトの中で。


「………ぐ…ッ」


呻く獄寺。


彼の横腹には突き刺さったナイフ。


刺したのは、彼のすぐ隣で銃口を押し付けられていたこのアジトのボス。


「―――の、」


響いたのは二発の銃声。


獄寺と、リボーンの放った銃の軌跡。


至近距離の獄寺と、早撃ちのリボーン。ほぼ同時に、それぞれが眉間と心臓にへと銃弾を向かわせた。


「あ…しまったぞ。一発で殺っちまった。ツナ、お前あいつ蘇生させろ。拷問死させる」


「やだよ。ていうか無理だよ。眉間と心臓を銃弾て完膚なきまでに死ぬから。あと獄寺くんの方心配してあげなよ。倒れてる倒れてる…あー、血が…」


「あいつは悪運が強いからぎりぎり大丈夫だろ。まぁ数日生死の境を彷徨うかも知れんが。…それよりも…あの野郎オレのもんに傷付けやがって。殺す」


「はいはいもう死んでるから。ていうかオレの分も残しておいてほしかったな…死体を痛めつける趣味とかオレないんだけど」


そんな二人の会話は地に伏した獄寺の耳にも届いていた。


出血の為か意識が朦朧としている獄寺が、気を失う前に思ったことは。


(リボーンさん…あの野郎のあと…なんて言いました…? オレの………?)


不覚にも頬を赤くしてしまった獄寺であった。





打撲、擦り傷、切り傷、内出血、骨折、内臓破裂に栄養失調。ボンゴレに強制送還された獄寺は問答無用でシャマルの下に預けられた。


リボーンの推測通りに獄寺は数日意識不明の重態だったが…やがてそれも回復して。


目覚めた獄寺が一番最初に見たものは、白の天井をバックにした黒のヒットマンだった。





「「……………」」


お互い暫し見つめあったのち。獄寺はずざざざざーと壁際まで下がった。無理な動きだったので傷口が開いた。獄寺は傷みに悶えた。


「お前は…寝ているときは馬鹿みてーに大人しいのに起きてると相変わらず騒がしいな」


呆れているようなリボーンの声に反応することも出来ない獄寺。というか、獄寺はまともにリボーンの顔を見ることも出来なかった。


「あ、の…いつからそこに…?」


「ついさっきだ。そろそろお前が起きる頃だと思って様子見に来たら本当に起きた」


「そう…ですか…」


リボーンの読みが鋭いのか、それとも獄寺がそれだけ分かり易いのか。なんにしろ獄寺の心臓は現在進行形でとんでもないことになっている。…というか、前にも似たようなことがあったような…


「あ、の…。すいません、もうひとつ聞いても…いいですか?」


「なんだ」


「その…覚えて…ます、か?」


「なにをだ」


「ですから…その、」


リボーンが記憶を失ってから。それから過ごした一週間の日々。それまでの間の出来事をリボーンが覚えているのかいないのか。獄寺はそれが気になって仕方がないらしい。


「ああ、欠片も覚えてねーぞ」


「で、ですか…」


ほっと、息を吐く獄寺。ああ…ならば。ならばいいのだ。それならば何とか耐えられる…


「お前が落ち着いてやれば意外に料理が上手いことも手当て処置が意外に出来ることも無茶しすぎてぶっ倒れたことも全部忘れたから。安心しろ」


「リ…リボーンさん!!!」


…わけもなかった。リボーンはいつものあの意地悪な笑みを浮かべて獄寺を見ている。


「…で、なんであんな事しやがった?」


「う…」


リボーンが気にもするのは当然だろう。失った記憶に嘘の記憶を植えつける…しかも軽いものではなく今までの人生全てを否定したような記憶。


しかし言えない。言い難い獄寺。理由は可愛らしく気恥ずかしいから。…しかし全てを総合してそんなこと言えるわけもない。


「あの…黙秘権とかありますか…?」


「ん? 言いたくねーのか? 別にいいぞ」


なんと。言わなくてもいいとな。駄目元で言ってみた獄寺は意外にも受け入れられて感動した。リボーンに後光が煌いているようにも感じた。もちろん錯覚だ。


「じゃあ質問を変えるが…お前。オレがあのまま記憶が戻らなかったらどうしてた?」


「それは…」


もしも。あのまま…例えば、リボーンの記憶が戻らないまま怪我が回復したのなら。あの街のマフィアに勘付かれることもなかったならば……。


「…そんな都合のいいことは…起こり得なかったでしょうけど。でも、そのもしもが起きていたとしたら…」


記憶の消えたヒットマン。何も知らない彼の行く末をもしも自分が決めることが出来たとしたのなら…


「…もしかしたら。本当にあなたを連れて、この世界から逃げようとしたかも…知れません」


「お前がか?」


「………はい」


獄寺が肯定すると、リボーンは呆れたかのような顔をして。


「お前…なんでいきなりそんな………って、ん…?」


不意に言葉を止めるリボーン。そして…何かに思い当たったのか真っ直ぐに獄寺を見つめ直してきた。


「な…なんですか?」


「そういえば…あの任務の直前だったな。オレがお前にくだんねー愚痴を言ったのは。…お前。まさかそれが原因…とか言わねーよな?」


「……………」


「……………」


獄寺は思わず顔を背けた。


「お前は………本当に…本物の―――――馬鹿だな」


「う…」


心の底の底から出たような声に、獄寺は少なくないショックを受けた。


馬鹿なことをした…そんなことは分かってる。しかしそこまで言わなくともいいのではないのだろうか。


酷く落ち込み、項垂れる獄寺に次に降ってきたのは…堪え切れないような、リボーンの笑い声だった。


「おま…あんな、あんなのを真に受けてそんな…くくく、いくら機会があったからといって普通するか…? いや、するからこそお前なんだよな、く、くく…ははは、あはははははははは!!!」


爆笑しているリボーンにぽかんとするばかりの獄寺。


だって。静かに笑うリボーンならばまだしもこんなに大笑いする彼なんて初めて見た。きっとボンゴレ10代目だって見た事ないに違いない。


その証拠にこの医務室で聞こえてきたリボーンの笑い声は暫しボンゴレ内で噂になって。


更にこの時のことを度々思い出し笑いするリボーンを見たツナが獄寺に「どんな魔法使ったの?」と詰め寄ったりすることも未来の話だが一度や二度ではない。


ちなみに獄寺は敬愛するツナにも事実をはぐらかし、墓の中まで持っていった。


それはともかく今は爆笑するリボーンだ。気付けば彼の目尻には涙さえ浮かんでいる。


…この人が涙を流している姿も初めて見たな…と獄寺は遠い目で思った。なんかもうどうでもよくなってきた。


「くくく…お前…馬鹿だ馬鹿だとは思っていたがここまで馬鹿だとは思ってなかったぞ。オレの予想以上とは大したもんだ」


死ぬほど嬉しくないです。と獄寺は内心毒付いた。リボーンとは真逆の意味で泣きそうだった。


「くく…く、あー、笑った笑った。こんなに笑ったのは初めてだ。…気に入ったぞ獄寺」


「はぁ…それはどうも」


もうどうにでもしてくれと思う獄寺だった。だから次にリボーンに言われた言葉もあまり聞いてはいなかった。


「おめーみてーな奴がいるから。…この世界にいるのも悪くないと思えるんだぞ」


「は…? え? リボーンさん今何て言いました?」


「さぁな。…ああ、忘れてた。ツナからの言付けを預かってるぞ。…オレとお前、仕事が溜まっているから、暫く二人でコンビを組んで業務に取り掛かること。…だと」


「あ、はい…分かりました…って、え? リボーンさんと!?」


「そうだぞ。面倒だからお前に全部押し付けようかと思ってきたんだが…気が変わった。お前おもしれーからオレの傍に置くことにするぞ」


「傍に!? い、いえいえ結構ですから! リボーンさんの手を煩わせるわけにはいきませんから!! むしろ全部オレに押し付けて下さい!!」


慌ててそう言うも、リボーンにとってはそれすらも面白いと感じる要因にしかならないようで。


「なに、そう言うな。つーかんなこと言えるのも今のうちだぞ? 一週間分の仕事が終わった時にはお前オレから離れられなくなってるだろーからな」


「は…!?」


顔を赤くして口をぱくぱくさせる獄寺の姿にリボーンは満足げに笑って。


「あの日の答えだ。お前の気持ち、受け取ろう」


「あ、あの日!? あの日ってどの日のことですか!?」


「それくらい自分で考えろ。…じゃあな」


そう言ってリボーンは病室を去った。嵐のような時間だった。主に獄寺の心臓が。ていうか未だに嵐は去っていなかったが。


「あの日…あの日って…」


気持ち。受け取る…それが該当するような出来事は獄寺の中にはひとつしかなくて。


「これ…夢、なんですか…?」


そう呟く声も、どこか現実味がなくて。


リボーンが放った言葉が原因か、頭を中心に身体が熱かった。


それは気のせいではなくて、このときの獄寺の熱は40度を超えた。


獄寺が体調を整え、現場復帰するのはもう少し先の話―――





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彼がリボーンを前に平静を保てるようになるのも、もう少し先の話。


雨宮おねーさまへ捧げさせて頂きます。