誰かに呼ばれたような気がして、オレは目を開けた。


飛び込んできたのは目一杯の青空。漂う雲。鳥の囀ずり。


少しして、オレは寝ぼけているのだ、ということに気付いた。


今、オレの名が呼ばれるはずなどない。


ここには誰もいない。


いや、ひとりいるにはいるのだけれど、あの人は今ここにはいない。いたとしてもオレの名前を呼ぶことはしない。いや、呼ぶけど。


あの人がオレの名を呼ぶのは月に一度だけ。しかもそれはつい最近あったことだ。


オレは名を呼ばれたいのだろうか。少し考えて、すぐに結論を出す。呼ばれたいと。


幻聴が聞こえるほどだ。きっと呼ばれたい。あの人に。獄寺と。


思うだけで、あの人の声を脳内で呼び起こし、オレの名を呼ばせるだけで、なんだか気恥ずかしいような、嬉しいような。そんな気分になる。


名を呼ばれると、存在を認められたかのような、そんな気分になる。生きてていいぞ。ここにいていいぞと言われたかのような感覚を覚える。


きっとオレはあの人の許可があってようやく生きている。存在している。


オレはぐっと伸びをし、気分を切り替える。


さて、夢心地はここまでだ。


あの人が帰ってくるまでに掃除をしておこう。別に散らかっているわけではないけれど、それがオレの仕事だ。少なくともオレはそう思っている。


あの人…リボーンさん。


人はリボーンさんのことを血を吸う鬼。


吸血鬼と呼んでいる。





掃除を終わらせる。


うむ。我ながら完璧な仕上がり。どこを見ても、どの部屋を見てもぴかぴかだ。


夕暮れになったので夕食を作る。今日はシチューだ。ひとりで作り、ひとりで食べる。


リボーンさんはまだ帰ってこない。いつものことだ。リボーンさんはいつも朝早くにふらりと出ていき、夜遅くに帰ってくる。


一体リボーンさんは外で何をしているのだろうか。まったく気にならない…わけではないが、わざわざ聞いてまで知りたいとも思わない。


まぁ、それはともかく手が空いてしまった。時間が出来てしまった。暇だ。退屈だ。


こんなときオレはいつも地下の書庫に行く。本を読んで知識を増やし、時間を潰す。


地下への階段を降り、ランプを点ける。日の光の届かないこの場所では、このランプの光だけが灯火となる。


さて、今日はどれを読もうか。


オレは本棚に仕舞われた本のタイトルを流し読む。


植物図鑑、料理のレシピ、動物の飼い方、政治の仕組み。


色んな本がある。どれも勉強になる。


本棚を見上げながら、壁の端まで歩いて行くと。


「………?」


目を引くタイトルの、一冊の本を、見つけた。


「吸血鬼の生態」


吸血鬼の住んでいるところに吸血鬼の本があるとは。


人間の家に人間全集があるようなものか。またはうさぎ小屋にうさぎ図鑑があるような感じか。ところで人間全集ってなんだ。


まぁ、それはともかく吸血鬼の生態だ。それはつまり、リボーンさんの生態。


ふむ。興味がある。興味深い。


これを読めばリボーンさんのことが分かるのだろうか。例えばいつも朝から晩までなにをしているのか、とか。


思えばオレはリボーンさんのことをなにも知らない。それでいいのだろうか。いいや。よくない。


オレは嬉々としながら本に手を伸ばし、ページを開いた。


だが、オレの気持ちは数十ページも読まない内に萎んでしまった。本の内容とリボーンさんとでは全然違うのだ。違いすぎるのだ。



曰く、吸血鬼は夜活動し朝に眠る。


まったく逆だ。リボーンさんは普通に朝起きて、夜眠る。



曰く、吸血鬼は日の光を嫌う。


そんなことない。日の光の中を普通にすたすた歩く。



曰く、吸血鬼は棺桶で眠る。


ベッドで眠っている。



曰く、吸血鬼は流れる川を渡れない。


いや、渡ってた。この目で見た。



…ううむ。これは困った。この本にはでたらめのことしか書いていないのだろうか。挿絵の吸血鬼も黒いマントだし。リボーンさんはいつもスーツだし。


一応リボーンさんと共通しているところも見つけた。まず城に住んでいる。それから、血を吸う。


共通点はたったこれだけだ。他にオレには判断出来ないものもあるが。不老長寿である、姿を霧や蝙蝠に変える、十字架とニンニクが苦手、銀に弱い、心臓に木の杭を打たれると死ぬ…



…リボーンさんが、死ぬ。



そんなの考えたくもない。


リボーンさんはオレのすべて。オレの命。オレの心。


リボーンさんが死ぬのならオレも死ぬ。というか、出来ることならリボーンさんを庇って死んでしまいたい。


そんなことを思いながらページを捲る。



「吸血鬼は使い魔を使役している」



………。


使い魔。使役。


そういえば、リボーンさんにとってオレはなんなのだろうか。この使い魔とやらになるのだろうか。


だとするととても嬉しい。まぁ、たぶんきっと、違うだろうけど。


…リボーンさんはひとりでなんでも出来るからな…


少し寂しい気分になりつつ、その日は終わった。





ある日の昼下がり。穏やかな午後のこと。


「獄寺」


名前を呼ばれて、オレは立ち上がる。


今度は幻聴などではない。本物の声。あの人の声。リボーンさんの声。


たった一息程の声はオレの耳から脳内に入り体内に染み渡る。


あの人に呼ばれた。リボーンさんに呼ばれた。その事実がオレをこれ以上ないほど興奮させる。


だってリボーンさんに呼ばれるということは、リボーンさんがオレのことを必要にしているからに他ない。


あのリボーンさんが。このオレを。必要としている! これ以上嬉しいことが果たしてこの世界に存在するのだろうか!!


オレはすぐにリボーンさんの前まで赴く。リボーンさんはいつもと同じ無表情で、相変わらず何を考えているのか分からない。ううむ、クールだ。


リボーンさんはおもむろにオレを抱き寄せる。リボーンさんの香りがオレを包む。


ああ、リボーンさんとこんなに近い距離にいれるなんて。ドキドキする。このまま時が止まってしまえばいいのに。


リボーンさんはオレの肩を掴む。首もとをはだけさせ、口を寄せた。


チクリと、首筋に痛みが走る。リボーンさんの牙がオレの皮膚を破ったのだ。


力が抜ける。オレの身体から血液が失われていく。リボーンさんの体内に入っていく。


オレの身体の一部がリボーンさんの血肉となるのだ。その事実にぞくぞくする。オレが唯一、リボーンさんの為になれる行為。


リボーンさんは月に一度だけ血を吸う。オレの血を吸う。これがリボーンさんの食事だ。


いつも出掛けているリボーンさんだけれど、この日だけはずっと城にいる。リボーンさんといれて、オレはとても嬉しい。


頭がくらくらしてきて、身体が冷えてきたところでリボーンさんはオレを離した。


ああ残念。出来ることならもっとずっとリボーンさんと繋がっていたかった。軟弱なオレの身体が怨めしい。


立つことすらままならなくなったオレをリボーンさんは抱き抱えてベッドまで連れて行ってくれる。至福の一時。時よ止まれ。いやマジで。


ベッドの中からリボーンさんを見上げる。リボーンさんはもうオレを見てはおらず、部屋の出口を見ていた。



「リボーンさん」



気付いたら、オレはリボーンさんを呼んでいた。血が少なくなってるせいか、その声は自分でも驚くほど小さかった。


リボーンさんの耳に入らなかったかも知れない。とも思ったがリボーンさんは一瞬止まってオレの方を見た。リボーンさんの目にオレが写る。


リボーンさんは黙っている。なんだ? ともどうした? とも言わない。


リボーンさんは必要最低限の言葉しか…いや、それどころか必要最低限の言葉すら言わないときもある。


ああ、もちろんそんなあなたも素敵ですともリボーンさん。


「リボーンさんは、吸血鬼なんですよね」


構わずオレは言葉を続けた。リボーンさんがこちらを見ているということは、リボーンさんはオレの話を聞いてくれるということだ。


しかし我ながら変な質問だ。血を吸われた直後に聞くなんて。これで吸血鬼でなければなんだというのか。


しかしオレの頭の中ではこの間読んだ本の内容が気になっていた。吸血鬼の生態。リボーンさんのそれとまるで違うその本の内容が気になった。


リボーンさんはといえば、一瞬だけ間を置いて、


「そうらしい」


と答えてくれた。リボーンさんがオレの名以外を発音したのをオレは久し振りに聞いた。


しかし、そうらしい? どういうことだ? 確定してないのか?


こちらが黙ったままではリボーンさんは何も言わない。オレは再度質問する。そうらしい、とは?


「雲雀がそう言っていただけだからな」


「雲雀?」


雲雀。一応知っている。確か鳥の一種のはずだ。雲雀は喋るのか。知らなかった。あるいはリボーンさんが鳥の言葉が分かるのだろうか。


まぁ、それは置いておこう。オレは本の内容を思い出しながら更にリボーンさんに質問をする。



「リボーンさんは夜なにしているんですか?」


「寝てる」



「リボーンさんは日の光を浴びるとどう感じますか?」


「気持ちいい」



「リボーンさんは棺桶で眠らないんですか?」


「寝ない」



「リボーンさんは流れる川を渡れますか?」


「渡れる」



…あの本、紛い物なのかな………


オレは更に質問を投げ掛けた。


リボーンさんは不老長寿ですか? 姿を霧や蝙蝠に変えますか? 十字架とニンニクが苦手ですか? 銀に弱いですか? 心臓に木の杭を打たれると死にますか?


リボーンさんの答えは総じて「知らない」だった。オレはリボーンさんにも知らないことがあるのか! と驚いていた。


「ああ、まあ、最後のだけは分かるが。言うまでもないな」


最後の。心臓に木の杭を打たれると死ぬか。か。


なるほど。確かに言うまでもないことだ。誰であれなんであれ、心臓を杭でもなんでも打たれたら死ぬな。恥ずかしいことを聞いてしまった。


恥ずかしさを誤魔化すように、オレはさらに質問する。


「リボーンさんはどのくらい生きているんですか?」


リボーンさんは少し考えた。一瞬ではない。驚くなかれ、なんと数秒だ。


「数えたことはないが、だいたい数千年ぐらいだと思う」



あ。この人不老長寿だわ。


オレはそう確信した。



他にも色々聞いてみたい問いはあったのだが、身体が限界だと、もう寝なさいと言っている。


ええい忌々しい。オレはもっとリボーンさんと語らいたいのに。まぁこれが語らいかと言われれば疑問だが。


視界が白くなり、リボーンさんの姿も消える。目よ仕事しろ。オレにリボーンさんの姿を見せろ。


仕方ない。この質問で最後だ。オレは少し前から気になっていた問い掛けをリボーンさんに投げ掛けた。


「オレの血って、おいしいですか?」


リボーンさんの答えはすぐに来た。



「極上」



ああ、リボーンさん。


オレ、もう死んでもいいです。





オレはベッドの中でリボーンさんとの一時の語らいの余韻に浸っていた。


リボーンさんと僅かな時間ではあるが話すことが出来る。


そのことに感動し、更には味をしめたオレはそれから機会があればリボーンさんに話かけるようになった。


当然朝早くに城を出ていき、夜遅くに帰ってこられるリボーンさんには話しかけられない。


オレが話かけるのは月に一度のリボーンさんの食事の日だけだ。あの日、リボーンさんに話しかけてから数ヶ月が経っていた。つまり、オレは数回リボーンさんと話した。


といっても他愛のない話だ。やれ昼頃に犬が迷い込んできた、とかやれ食事の支度がうまく出来た、とかやれ壁のしつこい汚れをようやく落とすことが出来た、とか。


そのたびリボーンさんは相槌を打ってくれたり、またあるときは打開案を示してくれた。


リボーンさんと会話出来る。リボーンさんの声が聞ける。


なんて素晴らしいんだろう。


ああ、こんなことならもっと早く話しかけておけばよかった!


ちなみに一度、どうしても気になってリボーンさんに「オレが話かけるのは迷惑ではないですか?」と聞いたことがあった。


リボーンさんはやはり一瞬間を置いて、「いや、そんなことはない」と言ってくれた。


正直、オレはほっとした。


これがもし迷惑であったのなら、オレはリボーンさんに申し訳がたたない。


自分の為だけにリボーンさんに負担を強いていたなどと、仮にリボーンさんが許してくださってもオレが許せない。


けじめと、詫びで二度と話かけるなどという愚行をせぬよう喉を潰していたところだ。もし迷惑であったなら。


しかしそうではないということで、オレは胸をときめかせながらリボーンさんに話しかけていた。それがつい数日前のことだ。


オレは血を吸われると、数日動けなくなる。貧血だろう。


オレがもっと血の気があったなら。もっと身体が大きかったなら。もっとリボーンさんに血を吸ってもらえるのに。


ベッドの中でオレはいつもそう思う。リボーンさんが極上と言ってくれたオレの血。もっともっと差し上げたい。


しかしオレに出来ることといえば動けるようになってからほうれん草やレバーをなるべくたくさん食べることだけだ。それと栄養バランスの取れた食事。規則正しい生活。全てはリボーンさんの為。


あと少ししたら身体も動けるようになるだろう。そうしたら書庫に行って血の増えるレシピを探してみよう。そうしよう。


わくわくする。早くその時が来ればいい。


眠ってしまおうと目を瞑る。寝たらきっと身体も回復すると信じて。


しかし一日中寝ていたオレの身体はまったく睡魔を運んでこない。困ったものだ。


窓の外を見れば、煌々と月が輝いていた。星がきらびやかに光っている。


…今度星座の本も見てみよう。そうしよう。それともリボーンさんに聞いてみようか。リボーンさんとふたり、夜空を眺める…それが出来たのなら、それはなんて素敵な夜だろう!


笑みが止まらない。眠気はこない。そうだ、もうすぐリボーンさんが帰ってこられる時間だ。眠れないのならお迎えしよう。


リボーンさんはいつもオレが起きる前に城を出ていき、オレが眠ったあとに帰ってくる。


お迎え、出迎えをしなければならない、と思うがどうしても無理なのだ。眠ってしまう。起きれない。


前に一度、無理して城の門の前で待っていたときがあったのだが、結局眠ってしまったのだ。外で。門の前で。


しかもそのときは丁度冬で、オレは風邪を引いてしまった。その月、リボーンさんは食事が出来なかった。今思い返しても自分の不甲斐なさに腹が立つ。


それ以降、オレはリボーンさんを出迎えることを諦めたのだが…今日は出来るかも知れない。いや、きっと出来る!


オレはリボーンさんを待つことにした。


そう決意してから、数時間が経過しただろうか。


…風の動きが、変わった。


空気がざわめく。オレの産毛が逆立つ。


誰かが、来た。


リボーンさんではない。リボーンさんでは、決してない。リボーンさんが帰ってきたのなら空気はこんな風には絶対にならない。


知らない奴だ。心当たりもない。


不意に、この間書庫で読んだ本の内容を思い出す。吸血鬼の話。人間に狩られる話。


人間は吸血鬼を嫌うらしい。少なくとも、本の中では、そうだ。そして、退治する。


嫌な話だ。いけすかない。吸血鬼が、リボーンさんが一体人間に何をしたというのだ。いや、もしかしたら何かしているかも知れないけど。


相変わらずオレはリボーンさんが昼間外でなにをしているのか知らない。聞こう、聞こうと思っているのだが、いつも忘れてしまう。


それはともかく、今はこの侵入者だ。とオレは気を改める。


誰だか知らないが、リボーンさんの城を荒らす奴はオレが許さない。


オレはベッドから降りる。頭がくらくらし、身体がふらつくがしっかりしろと叱咤する。


侵入者の居場所は分かる。風の動き。臭いで分かる。早く追い出さないと。


とある部屋の前に着く。嗚呼、なんということだ。よりにもよってここは、リボーンさんの部屋ではないか!


怒りに身が焦げそうになる。ここはリボーンさんの部屋だ。リボーンさん以外が勝手に入っていいわけがない。あと掃除するときのオレ!!


扉を開ける。中には見知らぬ奴が、こともあろうにリボーンさんの椅子に座っていた。


「…誰、キミ」


そいつは椅子に座ったままそう言う。その目は気だるげで、なんというか、宛が外れた。とでも言いたげだった。


「お前が誰だ」


質問に答える気はない。オレの方が、立場は上だ。


そいつはオレの声が聞こえなかったかのように辺りを見渡し、また声を出す。


「リボーンはいないの?」


「リボーンさん?」


リボーンさんの名前が出て驚いた。リボーンさんの知り合いか? まさか客人なのか?


いや、それでも来て早々この城の主であるリボーンさんの部屋に我が物顔で来ることないだろう。たぶん。


混乱するオレを尻目に、そいつはまるで独り言のように声を出す。


「彼を咬み殺しに来たんだけど」


殺す?


聞こえた言葉に、オレは耳を疑った。


殺すと、そうこいつは言ったのか?


誰を? リボーンさんを?



リボーンさんを、殺しに来たのか?



オレの身体が熱くなる。


きっとオレの身体の中を流れる血が、怒りのあまりに沸騰したからに違いない。


こいつは、敵だ。


こいつはリボーンさんに危害を加えようとしている。


許せない。


オレの目線に気付いたのか、そいつはオレに目を向ける。


「ん? なに? どうしたの?」


なにもどうしたもない。こいつは敵だ。殺す。殺してやる。そいつは何故だか笑う。


「いい目だね。心地いい殺気だ。でも、まさかキミ、僕とやりあう気?」


そいつは笑う。笑っている。それがオレの神経を逆撫でする。


「やめておいた方がいいと思うけど。キミ弱そうだし。具合も悪そうだし」


そんなことわかってる。


オレは弱い。喧嘩などしたこともない。身体だって不調だ。


だけどそんなこと関係ない。


リボーンさんに危害を与えようとするのなら、黙って見ているわけにはいかない。


この命に代えてでも、こいつを殺してやる。


怒りのあまりに、今まさに飛びかかろうとした、そのときだった。





「獄寺。何をしている」





リボーンさんの声が、後ろから聞こえたのは。


オレは不意のことに驚き、固まる。振り向けば、当たり前のように当然に…リボーンさんがいた。


リボーンさんはオレを見たあと、あいつを見て。


「誰かと思ったら雲雀か。どうした」


と言った。


え。これが雲雀なんですか。


オレは驚いた。


これこう見えて鳥なんですか。知らなかった。雲雀を見たのは初めてです。


それにしてもリボーンさん、今日は饒舌ですね。素敵です。





リボーンさんの登場により、先ほどまでのオレの怒りはまるで針で突かれた風船のように四散してしまった。


オレはリボーンさんと向き合う。そして、前々から言ってみたかった言葉を口にした。


「お帰りなさいリボーンさん」


「ん? ああ、ただいま」


きゅん。


オレはときめいた。


こんな一言二言だけの会話に、これだけの破壊力があるなんて。驚きだ。


今度、絶対、いってらっしゃいも言おう。絶対言おう。言おうったら言おう。


「僕を無視しないでくれる?」


背後から声が聞こえた。そういえばこいつがいるんだった。ええと、なんていったっけ。そう、雲雀だ。


振り向けば雲雀は真っ直ぐにリボーンさんを見ている。もう椅子には座ってなくて、立っていた。


「リボーン、なに、その子。飼ってるの? 愛玩動物?」


それはもしかしてオレのことか。


そういえばリボーンさんにとってオレは一体なんなのだろうか。小間使いか。食料か。


「獄寺か? 獄寺はオレの―――」


…オレの?


その言葉の続きを待っているオレがいた。


しかし、その先の言葉は出てこなかった。


雲雀が、なにやら棒のような物を持って、リボーンさんに突撃していったから。


風が横切る。雲雀がオレを飛び越えたのだ、と理解した頃には雲雀は棒をリボーンさんに振りかぶっている。


当たる。


危ない、と思ってオレは息を呑む。しかし予想は当たらず、リボーンさんは少し首を動かしただけで雲雀の攻撃を避けてみせた。


雲雀の動きは止まらない。次から次へとリボーンさんに殴りかかる。襲いかかる。


しかしリボーンさんには当たらない。リボーンさんは雲雀の攻撃をひょいひょいと、いともあっさりと避けていく。


「逃げてばっかり。反撃しておいでよ」


「前も言ったと思うんだが、オレにはお前を攻撃する理由がない」


どうやら前にも似たようなことがあったらしい。


雲雀の攻撃は止まることを知らない。リボーンさんはずっと避け続けていて、なんだかまるで二人は踊っているようだと思った。


そんなことを考えて、部屋の真ん中でぼけっと突っ立っていたのがいけなかった。


恐らく狙ったわけではないのだろうが、雲雀の持ってる棒がオレの顔面目掛けて、それはそれは物凄い勢いで、襲いかかってきた。


当たる。


どこか他人事のようにそう思った。


当たったら痛いどころか死んでしまうかも知れないとわかっていながら、オレは特に危機感も持たず瞬きもせずにただ黙ってそれを見ていた。


いや、まぁただ単純に何かを思うだけの時間がなかっただけなのだろうけど。


当たる直前、目の前に大きな手が現れた。細くて長い指。リボーンさんの手だ。


リボーンさんの手が大きく揺れる。棒が、雲雀の攻撃がオレの前に現れたリボーンさんの手に当たったのだ。今まで避けていたのに何故? オレに当たりそうになったから? リボーンさんがオレを庇った?


「リボーンさん!」


オレは思わず声をあげていた。オレは混乱する。リボーンさんがオレなんかのために傷を負う? そんなこと、あってはならないのに。


「へぇ、その子のことそんなに大事? じゃあその子殺そうか? 僕を攻撃する理由をあげるよ」


「そんなつもりもないくせに、下手な挑発をするな。オレにその手は効かんぞ」


「………そういえば、そうだったね。忘れていたよ」


雲雀が棒をおろした。攻撃をやめた。先ほどまでの激しい動きが嘘のよう。


「もういいのか?」


「興が削げたよ。その子がいないときにまた襲うから」


嫌な宣戦布告だった。


しかしリボーンさんはその言葉を聞いても一言、そうかと呟くだけだ。


「リボーンさん、大丈夫ですか?」


「ああ。大事ない」


リボーンさんの言葉にオレはほっと息を吐く。そして雲雀を睨み付けた。


「なに」


なに、ではない。というか、それはこちらの台詞だ。なんだお前は。鳥のくせに。


「いや、獄寺。雲雀は雲雀という名前であって、鳥ではない」


「あ、そうなんですか」


オレは認識を改めた。


「キミたち面白いね」


なんだとコラ。


「で、何しに来たんだ雲雀。まさか本当にオレを殴りにきただけなのか?」


「ああ、そう。忘れてた」


雲雀はぽんと手を打ち、そのまま言葉を放つ。


「最近、吸血鬼狩りしてる奴がいて。リボーンなら大丈夫だと思うけど一応言いに来たんだった」


吸血鬼狩り。


なにやら物騒な響きだ。とオレはまた他人事のように考えていた。





六道骸。


最近出没した吸血鬼狩りで、その被害は百を越える。


人間なのだが、中々に強い。狙われた吸血鬼はみな一様に心臓を突かれて殺されたらしい。


「かくいう僕も狙われてね」


「あ、そう」


骸に狙われて、生き残っているのは今のところ雲雀だけらしい。他は全滅。恐ろしい話だ。とぼんやりと思う。


骸は吸血鬼を憎んでいる。とは雲雀談だ。


骸に狙われた吸血鬼の中には、人間に危害を加えず、ひっそりと暮らしていた奴もいたらしい。が、殺された。骸にとって、吸血鬼とは害虫のようなものらしい。


不愉快だ。リボーンさんも害虫だと言われた気分だった。


「まぁ、リボーンなら不意に襲われても大丈夫だとは思うけど。かれこれ数千年会ってないし、話の種ついでに会いに来たんだよ。戦いたかったし」


迷惑な話だ。


「…で、」


「ん?」


「いつまでここにいるんだよ。骸とやらの話はしたし、リボーンさんとの戦いも終わったろ」


オレは雲雀を睨み付ける。リボーンさんの城に部外者がいるのは違和感しかなく、オレは苛立っていた。


「だってまだリボーンを咬み殺してないし」


雲雀はあっさりといい放つ。だって貸した本返してもらってないし。と似た言いようだった。


「それはそうと僕は客人だよ? もてなしてよ」


「リボーンさんに危害を加えようとしている奴をもてなすつもりはない」


きっぱりとそう言って、オレは歩き出す。掃除をするのだ。数日寝っぱなしで、埃が溜まっている。早く綺麗にしなければ。


「よく働くね」


「うるさい」


そもそも、とオレは振り向く。


「ん?」


「そもそも、お前、吸血鬼なんだろ?」


「うん」


「なんで昼間に出歩いてんだよ」


雲雀が城にやってきてから夜が明けた。リボーンさんはいつものように出掛け、オレは留守番。そうしていると、昼前にどこからともなく雲雀がやってきたのだ。お天道様の日の下を歩いて。


「吸血鬼ってのは、日の光を嫌うんじゃないのかよ」


「リボーンだって歩くけど」


「リボーンさんは特別なんだよ」


きっと。


「よく分かっているじゃない」


当たったらしい。本当にそうだったのか。特別な吸血鬼。流石はリボーンさんだ。


「僕も特別なんだよ」


本当かよ。


オレは疑った。


とはいえ普通の吸血鬼ではないことはわかっていた。リボーンさんが少しだけ雲雀の説明をしてくれたのだ。


雲雀はリボーンさんが初めて会った吸血鬼で、更に言えば初めて襲いかかってきた奴らしい。


どうにも、雲雀とは変わった奴で、血の吸い方も他の奴と違う。戦って、返り血を浴びてそれで吸収するのだと。


変態め。


雲雀は何よりも戦いを好むらしい。そして強い奴の血を好む。こういう奴をなんていうんだったか…オレは以前読んだ本の内容を思い出す。確か、そう、バトルマニアだ。もしくはバトルジャンキーだな。


リボーンさんを襲ったのもリボーンさんの血に興味があったから。雲雀は強い奴の血なら相手の年齢も性別も種族も関係ないらしい。


迷惑な話だ。雲雀は迷惑な奴。それで全てだ。


掃除をある程度こなし、オレは城の外まで歩き出す。雲雀は何が楽しいのか着いてくる。


「どこ行くのさ」


「街」


オレは振り返らずに答えてやる。立ち止まったのか、追いかけてくる気配はなかった。





リボーンさんの城はとある街の外れにある。


少し歩けばにぎやかな街中に着くのだ。緩やかな坂を進んでく。


少し横を向けば海が見える。いつ見ても綺麗だ。オレは海を見るのが好きだった。


穏やかに気持ちになりながら、オレは街につく。買い物だ。金はリボーンさんが好きに使えと言った金庫の中にある分を。


街中ではオレはフードを目深く被る。オレの髪と目の色は珍しい。らしい。


一度何も被らず街に出て変な目でじろじろ見られた。そのことをリボーンさんに話すと、リボーンさんはどこからともなくこのフードつきの服を持ってきてくれたのだ。ああ、なんてお優しいリボーンさん。


食材、日用品。必要最低限のものだけを買っていく。好きにしていいと言われてもこれはリボーンさんの金だ。無駄遣いは出来ない。


帰り道、人が賑わう道の真ん中、誰かにぶつかった。


思わずよろける。転ぶことは避けられたが、荷物から買ったばかりの果物が落ちてしまった。


慌てて拾おうとしたが、それより前に誰かの手が果物を拾い上げる。オレに差し出す。


「大丈夫ですか?」


「あ…ありがとう」


見かけぬ顔だった。物腰穏やかな男だ。


「………」


男がじっとオレを見る。なんだ?


よく分からなかったが、オレは早々とその場を去ることにした。街中は落ち着かない。城の中が好きだ。オレは。


「………」


背後から視線を感じたが、気にせず立ち去った。





城に帰ると入口から雲雀が現れた。オレの眉間に皺が寄る。


「お帰り」


「まだいたのか。お前」


「ご挨拶だね」


「いつ帰るんだ?」


「これ、キミが育ててるの?」


雲雀はオレの質問には答えない。庭にある植木鉢を指差して聞いてくる。


「…ああ、そうだ」


以前、リボーンさんが服に種を着けて帰ってきたことがあった。そのときのだ。


「今度はオレの質問に答えろよ。いつ帰るんだ?」


「リボーンを咬み殺したら」


こいつは…


苛立ちながら雲雀を見る。見れば、雲雀もオレを見ていた。


「…なんだよ」


「リボーンから聞いたんだけど、キミの血、極上なんだって?」


「らしいな」


「ちょっと飲ませてよ」


「誰が」


オレの血は、身体は。リボーンさんのものだ。他の誰のものでもない。


背を向けるオレを雲雀が追いかける。


「本当に美味しいかどうか確かめてあげる」


「大きなお世話だ」


「リボーンはキミの血しか吸ってないらしいじゃない」


「そうだな」


光栄だ。


「キミの血の味しか知らなくて、どうして旨いと言えるんだろうね。比べる対象がないのに」


「知るか」


「もしかして、本当は不味いんじゃない?」


むか。


「リボーンさんが嘘をついているってのか?」


「いいや。そうは思わない。そうじゃなくて、だから彼は知らないのさ。キミ以外の血の味を」


オレ以外の味を知らないから。


だからうまいも不味いもわからないと。そう言いたいのか。


「だから僕が評価してあげるよ」


大きなお世話だ。


さっさと城の中に入ろうとするオレの首筋に、ひんやりとしたものが触れる。


雲雀の棒だ。確かトンファーという武器らしい。


トンファーから刺のようなものが生えた。


「キミの意見は聞かないよ」


ああ、もう。最悪だ。


刺はオレの皮膚を破る。皮膚から血が吹き出す。


それを口にした雲雀は驚いた顔をした。


「嘘」


何が。


「本当に極上」


ああそうかよ。


早く城の中に入ろう。傷の手当てをしよう。そう思うが雲雀がオレを捕まえる。


「なに」


用はもう済んだだろ。


「キミの血。全部頂戴」


やれるか。


って、こいつ。なんか様子がおかしい。目がなんか、どっかいってる。どうしたものか。


雲雀が迫ってくる。


オレの眼前まで迫ってきた雲雀だったが、すぐに身を翻した。


直後、オレと雲雀の間、更に言えば先ほどまで雲雀の頭があった場所に何かが飛んできた。巨大なフォークのようなものだった。


「そこのあなた、大丈夫ですか!?」


どこかで聞いたことのあるような声。しかし思い出せない。


声のした方を見れば、誰がいた。物腰穏やそうな男。ああ、そうだ。先ほど街中で果物を拾ってくれた奴だ。


雲雀はといえば、忌々しそうな顔を男に向けていた。


「骸…」


そうか。あいつが骸か。


「雲雀くん、こんないたいけな少年に襲いかかってどういうつもりですか。あなたは強い方の血しか興味ないと言っていましたが、やはり嘘でしたか。これだから吸血鬼は信用出来ない」


信用出来ないのは雲雀だけにしてくれ。リボーンさんは信用出来るから。


骸はオレに叫ぶ。


「もう大丈夫ですからね! すぐにそこの憎き吸血鬼を退治してさしあげますから!!」


ああそうしてくれ。


「へぇ随分と大きく出たじゃない。今まで僕を何度も襲って、一度も倒せてないのに」


お前は負けろ。早く負けろ。


「あなたが規定外過ぎるんです。吸血鬼のくせに十字架もニンニクも効かない。銀の武器も気休め程度にしかならない。今だって日の下を歩いてる」


ふむ。どうやらあの本に書かれていたのは正しい情報らしいな。


「僕は特別なんだよ」


それはさっき聞いた。


「あなただけですよ。そんな吸血鬼は」


いや、リボーンさんもだ。


お互いに何かを言いあっている。しかしよく聞こえない。


眠い。どういうわけか。


首筋に手をやる。ぬるりとした感触。


見てみると、紅葉があった。


いや、違う。


紅葉じゃなかった。赤く濡れた、オレの手だった。



―――眠い。



目を開けると、見慣れた天井があった。


思考が停止する。


目を瞑る前との景色が違いすぎる。確か、さっきまでオレは、外にいたはずなんだが。


「気が付かれましたか」


声がした。見ればそこには人がいた。ええと、確か、そう、骸だ。


「勝手にお邪魔してすみません。でもあなたを手当てしなくてはなりませんでしたし、雲雀くんがまた来るかもしれませんでしたし」


聞きながら、オレは首筋に手をやる。何かが巻かれていた。包帯だろう。


「あいつは雲雀という恐ろしい吸血鬼です。今まで何人の人間が犠牲になったかわかりません」


でもあなたを救えてよかった。と骸はほっと息を吐いた。


「ところでおうちの方はどこですか? まさか一人暮らしというわけではありませんよね?」


おうちの方。つまり親という奴か。


「…親は、いない」


「おや…では保護者の方は?」


保護者…リボーンさんにあたるだろうか。


しかし、さて、どうしたものか。助けてもらったとはいえ、こいつとリボーンさんを鉢合わせさせるわけにはいかないだろう。


どうにか帰らせないとな。


まぁ、まだリボーンさんが帰ってくるまで大分時間があるだろうし―――


「もう随分と遅い時間ですけど、いつもこんな時間なんですか?」


「え?」


思わず間抜けな声が出た。慌てて起き上がり窓の外を見れば、星空が窓からこんにちはしてた。月の傾きから見て、いつものオレがとっくに寝ている時間に思えた。


これは。もしかしてヤバい状況なのではなかろうか。


しかも。更に気付いた。ここはオレの部屋ではない。リボーンさんの部屋だ。


慌ててベッドから降りようとするも、骸に押さえつけられる。


「ああ、まだ寝てなくては駄目ですよ」


ここにいる方がもっと駄目だ。ああ、早くシーツを替えないと。あとこいつを早く追い出さないと。


問題は山積みだった。しかも時間もない。頭を抱えたくなる。


「途方に暮れたような顔をして、どうしましたか?」


お前のせいだよ。


そう言ってやりたいのをぐっと堪える。言っても多分、ややこしいことにしかならない。


その時だった。


風に乗って、覚えのある香りがやってきた。落ち着く匂い。リボーンさんだ。


ヤバい。どうしよう。


「…骸。悪いが部屋を…」


移動しよう。そう言おうとしたとき、扉が開いた。現れたのは当然リボーンさんだ。


お早いお帰りで。そんなところも素敵です。


「お…お帰りなさい、リボーンさん…」


「? ああ。ただいま」


リボーンさんは部屋にいるオレを咎めない。リボーンさんの目線が、オレからオレの隣の骸に移る。


「彼の保護者の方ですか? 僕は六道骸。彼が極悪な吸血鬼に襲われていたので、助けさせて頂きました」


「極悪な吸血鬼?」


「ええ。名を雲雀と言って…今まで遠い地にいたのですが、何故かこの地まで。恐らく僕から逃げてきたのでしょう。しかしご心配なく。僕が追ってきましたから。必ず退治してみせます」


こいつが来たの雲雀のせいかよ。あの疫病神め。


オレははらはらしながら二人を見ていた。リボーンさんが吸血鬼と知られればリボーンさんが襲われてしまう。


幸い、今のところ骸はリボーンさんが吸血鬼であるとは気付いていないようだが…このまま気付かないでいてくれると嬉しい。そして雲雀と骸が共倒れになればいい。是非そうなってくれ。墓なら作ってやるから。


「雲雀は吸血鬼だが、極悪ではない」


「「え?」」


オレと骸が声を出す。リボーンさん、一体何を言い出すつもりで?


「雲雀は知り合いだ。お前から逃げたんじゃない。オレに会いに来ただけだ」


「………まさかあなた。吸血鬼ですか?」


「そうだが、それが?」


ああ、リボーンさん。素敵です。素敵過ぎます。一生ついていきます。


そう思うオレの隣。骸の目の色が変わる。気配が豹変する。敵意、殺気、悪意が満ちる。


「…それはそれは…」


骸は巨大なフォーク……近くで見ると槍だとわかった。を手にする。オレはその手を掴む。


「あなた?」


「リボーンさんは悪い吸血鬼じゃない」


オレはそう口にする。リボーンさんには襲われる理由はない。


骸はどこか哀れむような、そんな顔を向けた。


「…いいえ。それは違います。吸血鬼は倒すべき存在。根っからの悪なんですよ」


「そんなことない!」


オレは声を張り上げる。リボーンさんは悪じゃない。断言出来る。


「可哀想に…あいつに洗脳されてるんですね」


「違う! オレの意思だ!」


骸は聞く耳を持たない。リボーンさんを睨む。


「あなたは今まで血を吸った方の気持ちを考えたことがありますか?」


「いや、ないな。どうなんだ? 獄寺」


「え?」


骸が驚いた目でオレを見る。オレは本心から答える。


「…幸せです。オレはリボーンさんに血を吸われているときが、一番満たされます」


「…あなたは、彼に血を吸われたと?」


「そうだ」


「牙を突き刺されて?」


「そうだ」


「ふむ」


骸は少し考えた。そして。


「じゃあ、あなたも吸血鬼だったんですね」


そういうと骸は、槍をオレの腹に突き刺した。腹と背に穴が空く。槍が貫通したのだ。


「かふ…っ」


空気を吐き出しながら、オレはあの、吸血鬼の生態という本に書かれていた一文を思い出していた。



曰く。吸血鬼に血を吸われた人間も吸血鬼になる。



腹と背と口から血が溢れだす。リボーンさんのベッドが汚れる。


なんとなしにリボーンさんを見ると、リボーンさんもオレを見ていた。目が合う。


リボーンさんは黙ってオレを見ていた。


オレの意識は、そこで落ちた。




























男の人がいる。


その隣に、女の人。


二人の間に女の子。


三人、楽しそうに、笑ってる。


オレはその様子を遠くから、じっと見ている。


…オレも。


オレもその中に、入りたい。


輪に入ろうとすると、三人がオレに気付いた。表情が曇る。


…ああ、そうだった。


オレは、入っちゃいけないんだった。


慌てて引き返す。


周りには仲のよさそうな人々。


オレはひとり。


…オレも。


オレにも、―――が、欲しい―――――




























目を、開ける。


「………」


なんだ今の。


ううむ、と頭を捻る。確か、こういう現象をなんとかと言うんだ。なんだったか。


…ああそう、そうだ、夢だ。


そうか今のが夢という奴か。初めて見た。


…というか、それはそれとしてだ。


「…ここはどこだ……」


見慣れぬ景色に戸惑う。オレは確かリボーンさんの城にいたはずなんだが。


ああ、しかもだ。しかもオレはこともあろうにリボーンさんの部屋にいた。それが今や見知らぬ部屋である。なんの心当たりもない。


それで、どうなったんだっけ? 記憶を探る。


骸に腹を貫かれたのを思い出した。


腹に手をやると、包帯が巻かれていた。…なんか気を失う度に包帯巻かれてないか? オレ。次はミイラになるかもしれない。


…あれから、どうなったのだろうか。


リボーンさんは無事だろうか。いや、無事だ。無事に決まっている。…無事だよな?


少しだけ不安になったところで部屋のドアが開いた。そこからリボーンさんが出てきた。


「リボーンさん! 無事だったんですね!!」


「ああ。起きたか、獄寺」


リボーンさんの声がじんわりと脳内に入り込む。身体に浸透する。幸せを感じる。ああ、生きるって、きっとこういうことだ。


「目が覚めたのかね?」


急に第三者が現れてオレは驚いた。リボーンさんの後ろから見知らぬ人が出てきた。柔和な顔をした老人だ。


「目が覚めてよかった。もう三日も寝ていたんだよ」


「え…」


三日!?


そんなに寝ていたのかオレは。驚いた。


「…あの、」


「ん?」


「あなたは…? それにここは…」


「私は9代目。そしてここは私の屋敷だよ。獄寺くん」


名前を呼ばれる。なんだかむず痒い。


オレはむず痒さから逃れるために質問する。


「ええと、骸はどうしたんですか?」


「追い払った」


流石ですリボーンさん。


「ここはどこですか?」


「私の家だよ」


リボーンさんでなく9代目が答えた。


「どうしてここまで?」


「城にある道具だけでは、お前の手当てが出来なかった。だから設備の整っているここにきた」


「なんだ、私を頼りにしてではないのかね」


9代目がリボーンさんを小突き、笑う。


「…お二人はどのようなご関係で?」


「友人、かな。そうだろう? リボーン」


「オレたちは友人だったのか?」


リボーンさんが真面目な顔で言って、9代目はまた笑った。


「しばらくはここにいなさい。また襲われては敵わんだろう」


「あ…ありがとうございます。…あの……」


「うん?」


「9代目は…リボーンさんのことを……」


「ん? ああ、知っとるよ。リボーンは吸血鬼だね。そしてキミも」


オレも。そうか。そうだったのか。


「9代目も吸血鬼なんですか?」


「いや、私は人間だよ。しかし人間も吸血鬼も関係ない。心が通じ会えば仲良くなれると私は信じておるよ」


「………」


こんな人間もいるのか…


吸血鬼は人間に嫌われていると思い込んでいたオレは何故だか安心していた。


その横ではリボーンさんが9代目に、


「オレたちはいつ心が通じ会ったんだ?」


と問い掛け、9代目はまた笑った。





オレが9代目の屋敷で目を覚まして、早くも三日が経った。


傷口はすっかり塞ぎ、動き回っても問題ないと言われたのだが外に出てはまた襲われるかも知れないと外出は禁止されていた。用心のために厚手のカーテンが閉められ、外の様子も分からない。


それは別にいい。不満はない。


また骸や雲雀に襲われてリボーンさんのお手を煩わせてしまうぐらいなら死んだ方がましだ。


まぁ、それはそれとしてだ。


「………」


暇だった。


退屈だった。


することがなにもなかった。


城にいたころは、食事を作ったり掃除をしたり。なんだかんだですることがあった。


だが、今は、なにもない。


食事は時間になれば使用人が持ってきてくれるし、掃除などしたいと言えば「お客さまにそんなことさせられません!」と言われてしまった。


ちなみに最初食事として輸血パックをもらった。オレはそれはそれは困った。オレは血など飲みたいと思ったことは一度もない。パンやシチューの方が好きだ。


食事が終われば次の食事の時間までなにもすることがない。屋敷の中は自由にしていいと言われたがなんだか居たたまれない。なんだか物凄く居心地が悪かった。


そういえばやきもきするオレを見かねてか、9代目が昨日苦笑しながらこう言っていた。


「今度私の孫が遊びに来るのだがね。よければ話し相手になってやってくれないかな」


その孫とやらはオレより少し年上らしい。話し相手。遊び相手。果たしてオレに務まるのだろうか。多少気後れしながらもオレは頷いた。


その孫とやらを待っていると、扉からノック。


はいと声をかけると、扉が開かれる。


「初めまして! オレおじいちゃんの孫で―――って、獄寺くん!?」


「はい?」


現れた、オレより少し年上の少年が自己紹介をする前にオレの名前を呼んだ。





目の前のその人は、忙しそうだった。


驚いて、止まって、考えて、困惑する。


そして、一言。


「…どういうこと?」


さあ。


と言いかけたが、どうやらその人はオレに言ったのではなく自分自身に言ったらしい。あるいは自然に口から出ただけか。


「………いや、うん、ごめん、オレの早とちり。勘違い」


はぁ。


その人は何かを勝手に納得する。その口は何かをぶつぶつと呟いている。聞く気はないが、言葉は勝手に耳に入ってくる。あるわけないあるわけないこんなこと。なんのこっちゃ。


「ご、ごめんねいきなり。驚かせちゃったでしょ」


「いえ、別に」


「改めて。オレは9代目の孫で時期跡継ぎの綱吉。沢田綱吉って言うんだ。キミは?」


「獄寺」


「はい!?」


その人は…綱吉さんはまた驚いた。


「オレの名前は、獄寺と言います」


もう一度名乗る。綱吉さんは「不可解」という顔をしている。


「し、下の名前は!?」


「下の名前?」


「そう! 獄寺って名字でしょ!? 下の名前は!?」


「ありません」


「ない…?」


「はい」


リボーンさんがオレを獄寺と呼ぶ。だからオレは獄寺だ。オレの名前はそれだけだ。上の名前も下の名前もない。


「じゃ、じゃあ五年前! 五年前何してた!?」


「五年前?」


急にそんなこと言われても。多分リボーンさんの城にいたのではないかと。いつも通り。


ああ、リボーンさんといえばリボーンさんは今頃何をしているのだろう。リボーンさんは変わらずどこかへ出掛けている。


…て、いかんいかん。今は人前だった。話し相手をするのだった。


「五年前、何かあったんですか?」


「…うん」


綱吉さんは暗い顔で頷く。


「オレの友達が、ね。家族で旅行に行って………そのまま行方不明になったんだ」


「それはお気の毒に」


「その友達の名前は獄寺…獄寺隼人って言って…」


綱吉さんは一度言葉を区切った。そしてオレの目を見据えて言う。


「そして獄寺くんは、キミにそっくりなんだ」


「………」


真面目な顔でそう言われても、オレにはまったく心当たりりはない。


しかし真剣に言われているのだ。オレも真剣に対応しなければならない。ような気がする。


オレは五年前を真面目に思い出す。といってもあの城にはカレンダーどこらか時計すらない。時間の流れは掴みにくい。


まぁ、季節を数えればいいのだろう。昔を思い出す。時を遡る。花が咲き雪が降り虫が鳴き暑くなる。それが何度あったか。


指折り数えて、五年前を思い出す。


ふむ。


五年前といえば、丁度オレが目覚めたときだった。


これは濃厚だな。


「それでね、」


綱吉さんが言葉を続ける。


「キミは…キミの姿は、五年前の獄寺くんとまったく同じなんだ。年の頃、背格好、全てが…」


綱吉さんの言葉に思い出されるのは、例のあの本。吸血鬼の生態。


曰く。吸血鬼になった人間は、血を吸われたときから年を取らない。


目の前の綱吉さんの年の頃は14、5程。


対してオレは、外見は10にも満たない子供の姿だった。


そしてオレの身長は、一ミリたりとも伸びたことは、ない。


オレの頭はこの繋がりを偶然で片付けるほどめでたくはない。きっと綱吉さんのいう友達の獄寺隼人とやらはオレのことなのだろう。


どうやらオレは、元は人間で、家族がいて、友達もいて。


けれど五年前旅行に行った際に何かがあって、リボーンさんに血を吸われて。そのまま吸血鬼になった。っぽい。


オレとしてはそんな事実どうだっていいが、綱吉さんの顔を見るに、今日にでもリボーンさんに事情を聞き出そうと考えているようだった。


リボーンさんの迷惑になるのは困るなぁ。と、オレはぼんやりと考えていた。





困ったことになった。


綱吉さんはリボーンさんにオレのことを聞き出すらしい。


それそのものは問題ないが、問題は綱吉さんの感情だ。


綱吉さんはどうやらオレがリボーンさんに襲われたと思っているらしい。五年前、リボーンさんはオレとオレの家族を襲い、家族は殺し、オレを小間使いにしたと。


…これが人間の一般的な吸血鬼の認識か…9代目が特殊なのだろう。綱吉さんは悪くない。悲しいけど。


けど、リボーンさんが人間を襲う?


ない。絶対にない。


五年前の家族旅行とやらは記憶がないが、それでもリボーンさんに襲われたなどと考えられない。


リボーンさんは人間を、いや人間に限らずなんであれ誰であれ襲わない。雲雀に攻撃されたときですら「理由がない」と言ってただひたすら防戦していたのに。あ、骸は知らないけど。


それに小間使いと言っても、リボーンさんはそれを必要としていない。オレが勝手にそうしているだけだ。


オレは特に、リボーンさんに必要とされていない。


そう自覚するとなんだか凄く虚しくなる。悲しくなる。が、事実だ。仕方ない。


リボーンさんがオレを傍に置いて得られるメリットは………


…あ。


ない。と思いかけてひとつ思い当たった。


血?


リボーンさんはオレの血を極上と言った。雲雀も言った。これはメリットと言えるか? オレを傍に置く理由になるか?


ううむと考える。時間ばかりが過ぎていく。夜にはリボーンさんが帰ってくる。





リボーンさんはいつもよりも早く帰ってきた。いつもなら睡魔にあえなく敗れているオレだが、今日は起きれていた。頭の中では思いっきり船を漕いでいたが。


綱吉さんがリボーンさんのところに行こうとする。オレも着いていく。


「待ってください綱吉さん…」


「獄寺くんは寝ていたら?」


「いえいえオレの問題ですから…」


目を擦りながらそう言うオレに、綱吉さんは苦笑した。


「分かったよ。一緒に行こう、獄寺くん」


「もちろんです…」


「でも、その前に顔洗ってこようか」


綱吉さんのアドバイスを受け、オレは顔を洗い意識をシャキッとさせた。


よし、これで大丈夫だ。


綱吉さんと二人、リボーンさんのところまで赴く。


リボーンさんはリビングにいた。ソファーに腰かけていた。


リボーンさんがオレたちに気付く。視線を向けてくる。


「お…お帰りなさい、リボーン、さん…」


胸をときめかせながらそう言えば、リボーンさんは「ああ、ただいま」と言ってくれる。


くうぅ、生きててよかった!!


嬉しさのあまりに顔がにやける。胸の中が暖かくなる。きっとこれが、幸せという奴だ。


オレが幸せを噛み締めていると、綱吉さんが一歩前に踏み出した。


「リボーン、さん」


「リボーンでいい」


リボーンさんにそう言われ、綱吉さんは一瞬言葉を呑み言い直す。


「…そう。じゃあ、リボーン。聞きたいことが…」


「獄寺とは五年前に会った」


綱吉さんが台詞をいい終える前に、リボーンさんは答えを返した。オレの感想は、ああ、やっぱりそうなんですか。程度だ。それより今日もよく話されますね!! 胸きゅんです!! の割合の方が大きい。


「………っ」


リボーンさんの言葉に綱吉さんは怯む。しかし次なる質問をしようとし、そして今度は言葉が発せられるよりも前にリボーンさんが答えを言う。


「オレが歩いていると、倒れている馬車を見つけた。中には死体が三つ。生きているのは獄寺だけで、獄寺もまた死にかけていた」


ほら見たことか。オレは自慢したくなった。ほら、リボーンさんは誰も襲ってなんかいなかった!


綱吉さんはもう何も言わない。ただ黙ってリボーンさんを睨み付けてるだけだ。リボーンさんは綱吉さんの目を見ながら言う。


「オレは獄寺に名前を尋ねた。次に獄寺にどうしたいか尋ねた。獄寺は海が見たいと言った」


「え…?」


昔自分がしたであろう発言に驚く。そんなことを言ったのか。オレは。


死にかけたオレ。そんな身体で海が見たいと言ったオレ。その姿を見たリボーンさんは…なるほど。


「それで、オレを吸血鬼にしたんですね」


思わず呟いたオレを見て、リボーンさんはまぁ、そうだなと頷いた。


なるほど。


リボーンさんはオレの命の恩人だったんだな。嬉しい発見だ。


そんなオレの隣で、綱吉さんは、釈然としない顔でリボーンさんを見ていた。おそらく、なんでオレが口を開く前から質問が分かるんだ! と思っているのだろう。


それはオレも気になった。どうしてだろう。


「ん? …ああ、すまない。気を付けていたんだが」


「え?」


「オレは人の心が読めるんだ」


普段は読まないよう気を付けてるんだがな、とリボーンさんは事も無げに言い放つ。


オレはすごいなぁ、流石だなぁと思った。


横では綱吉さんが、複雑そうな顔をしていた。


…なら、今のオレが考えていることも分かるのだろうか?


オレはリボーンさんを見てみた。視線を感じたのかリボーンさんもオレを見て、目が合った。…なんだかものすごく気恥ずかしくなった。


(…リボーンさんがオレを傍に置くのは、置いてくれるのは……オレの血を、飲むためですか?)


一瞬の間。そしてリボーンさんが口を開く。


「いや、それは違う」


「え…」


まさかの否定に胸が詰まった。ならオレの存在価値は、いや、でも、オレは……


(でも、オレの血、必要ですよね? リボーンさんオレの血しか飲みませんもんね? 血がないと、生きていけませんよね?)


「いや、そんなことない」


オレの頭に衝撃が走る。本当に、頭をガツンと殴られたかのような気分。


(オレ以外の人の血も、飲んでるんですか?)


「いや、オレはお前の血しか飲んだことはない。他の何も口にしたことはない。ただ単に、オレに食事は不要なだけだ」


言葉を失う。けれど同時に納得する。


そうだ、リボーンさんは、数千年も生きていて。オレと出会うまでは何も食べてなくて。それで平気で。


オレの血を飲んだのだって、オレの血を飲みたいと思ったんじゃなくて、死にかけたオレが海を見たいだなんて言ったからで、それで生き長らえさせるために―――仕方なく飲んだのであって。


じゃあなんでそれからもオレの血を飲んだのかって、それは、ああ、ああ。そうだ。


思い出す。五年前。オレが吸血鬼になって、初めての朝。


目の前にリボーンさんがいて…オレは何故だかリボーンさんの名前が分かって、心からリボーンさんの役に立ちたいと思って。





おはようございますリボーンさん。なにかオレに出来ることはありますか?





そんな言葉が口から出て。でもリボーンさんは暫く沈黙していた。今思えば、リボーンさんは少し困っていたのかもしれない。海を見たいと言って、起きて、これなのだから。


リボーンさんは暫し考えて、じゃあ、掃除。と言った。それからオレの仕事は掃除になった。


暫くして掃除を終わらせて、またリボーンさんに同じ問いをしに行った。リボーンさんは特にないと言ったが、オレは気が済まなかった。なにかしたい。リボーンさんの役に立ちたいと思った。


何でもいい、どんな些細なことでもいい。リボーンさんのために、オレに出来ることはありませんかと必死に言った。


それで、リボーンさんは…





嫌なら構わないんだが、お前の血を飲んでもいいか?





と、そう言ったんだ。


オレの血がうまい。というのは本当なのだろう。でなければ飲むわけがない。


それでもリボーンさんは、嫌なら構わないと言った。つまり、本当は…飲まなくてもよかった。ということだ。


ああ、そっか。なんだ。


オレ、いてもいなくても、どっちでもいいんだ。


それはそうだ。だってリボーンさんは、ずっとひとりで生きてきて。


そこに転がり込ん出来た、何も出来ない、邪魔なオレ。


それどころか、リボーンさんに負担をかけ、迷惑をかける始末。


ああ、オレ、いない方がいいんだ。


綱吉さんが怪訝な顔をしてオレとリボーンさんを見ていた。





それから、そのあと9代目が現れて、オレたちは「もう寝なさい」と部屋を追い出されてしまった。


「…寝ましょうか、綱吉さん」


「…うん」


綱吉さんは釈然としない顔で頷いた。


オレは寝室に進んだ。綱吉さんもオレと同じ方向に進んだ。というか、同じ部屋だった。いつの間にか部屋の中にベッドがひとつ増えていた。


部屋に着き、綱吉さんがカーテンを開ける。


あ、とオレは小さく声を出した。綱吉さんはオレが何故ここにいるのか知らないのだろうか。オレはカーテンを閉めようとして、けれど外の景色を見て身体の動きを止めた。


窓の外は、一面の海だった。


「海が見たい…ね」


綱吉さんが呟く。


海は大きかった。暗かったが、月明かりで海があると分かった。耳をすませば波の音まで聞こえてきそうだった。


「海を見れた獄寺くんは、満足したの?」


問い掛ける綱吉さんはオレでなく海を見ている。オレは何も答えられないでいた。


海を見たいと言ったことを、オレは覚えていない。


オレが何を思って、何を望んで海を見たいと言ったのか、今のオレには分からない。


「獄寺くんは今の生活に…リボーンに満足してるの?」


綱吉さんが続けて質問した。オレは安心した。その問いになら答えられる。


「満足してますよ」


穏やかな声が喉から出た。綱吉さんが振り向く。


「今の生活にもリボーンさんにも満足してますよ」


満足していましたよ。幸せでしたよ。オレは。本当に。


「…そう」


綱吉さんは顔を俯かせて答えた。


「眠りましょう。綱吉さん。オレは眠いです」


「…わかったよ」


綱吉さんは顔を上げて答えた。


何故かは分からないけど、その顔は苦笑していた。


カーテンを閉めて、隣り合わせのベッドで眠る。オレの意識はすぐに落ちていった。





そして起きたとき、隣のベッドに綱吉さんはいなかった。


…寝過ごしてしまっただろうか。


身を起こし、着替える。洗濯物を持って洗面台に向かった。


その途中でも綱吉さんの姿を見ることはなかった。


…もしかして、帰られた?


だとしたらお別れの挨拶ぐらいしたかったな…と思っていると、使用人の一人とばったり出くわした。


ちょうどいい。綱吉さんのことを聞こう。


そう思って声を掛けようとしたら、逆に向こうから声を掛けられた。


「綱吉様がどこにいるか知りませんか!?」


「…え?」


今まさに聞こうとしていたことを聞かれ、オレの思考が停止する。使用人はオレに構わず言葉を続ける。


「どこを探しても見つからないんです! ああ、綱吉様…」


「………」


オレは使用人に、綱吉さんは寝る前まで同じ部屋にいたが、起きたらいなかった。いつ部屋を出たのかは分からないと告げて別れた。


周りを見てみると、どこか落ち着きがないような、慌ているような雰囲気を感じる。


ああ、みんな、綱吉さんを探してるんだ。


オレも探そうか。とはいえオレよりも周りの方が屋敷の中も外も詳しいだろう。というかオレは外出禁止だ。下手に動くとかえって迷惑になりそうだな。


屋敷のみんながどたばたと駆けている。綱吉さんのために。


「………」


オレはそんなみんなの様子を、どこかぼんやりした顔で見ていた。


…おそらく。


おそらく、オレが今の綱吉さんと同じことになっても。誰も探さないのだろう。


そんなことを、何故か思った。


酷く、虚しい気分になった。


そのときだった。


コンコンと、後ろから音。


振り向くも、そこはカーテン。音はその向こうから。


オレはそっと、少しだけカーテンを開いてみた。


そこにいたのは、一羽の梟。音は窓を嘴で突いた音か。


…梟って夜行性じゃなかったか…? なんで朝っぱらからいるんだ?


疑問を覚える中、梟と目が合う。オッドアイ。どこか見覚えがあった。


少し考えて、思い出す。骸だ。


『沢田綱吉は預かりました』


梟が喋る。というか声が頭に響いてくる。その声は骸のものだった。


『返してほしくば、ひとりで、誰にも何も言わずにあの城まで帰ってきなさい』


梟はそれだけ言うと、羽ばたいて行ってしまった。


「………」


どうやら綱吉さんをどこかにやったのは骸で、その原因がオレらしいな。


綱吉さんには悪いことをしてしまった。


オレはすぐに向かうことにした。





誰にも見つからないように気を付けながら、オレは屋敷を飛び出した。分厚い雲が辺りを覆っている。風が生温い。近いうち雨が降ってきそうだ。


外に出て分かったのは、ここはあの城の近くの街だったのだ。ということだ。


…ああ、ここはあの街一番の屋敷だったのか。


街の位置を確かめながら、オレは歩き出す。


街中にはまばらにだが人がいた。


視線を感じる。


じろじろと。しかし目を向けるとばっと反らされてしまうような。


…ああ、そうだ。フード。


いつも街に行くときオレはフードを被っていた。髪と顔を隠すように。


今の服にはフードは付いてない。困った。


しかし今更戻るわけにもいかない。視線は気にしないようにして、早く城に向かうとしよう。


歩く歩く。歩き続ける。裏道とか知っていればそちらを通ったのだが、行きつけの店以外オレは道を知らない。ああ、オレは五年間何をしていたのか。


天気は曇り。湿っぽい風が吹いていた。雨が近いのかも知れない。


視線を感じる。視線を感じる。


奇異の視線。奇異の目線。髪の色が不吉だと、目の色が不気味だと、その目が言っている。


…前にも、こんなことがあった気がする。


不意に、目の前の風景が切り替わる。ここではない、どこか知らない町。


歩けば石を投げられた。話しかければ無視された。盗みがあれば疑われた。


笑顔を向けられたことはない。名前を呼ばれたことがない。憎まれ、嫌われ。悪意の中を生きていた。



馬の嘶きが聞こえて、はっと我に返った。



…なんだ? 今の。


今のは…よもや五年前までの、人間だった頃の…オレか?


よう知らんが、苦労してたんだな。


人が集まってくる。


だが彼らはオレを見ていない。


馬が暴れて、馬車が壊れたらしい。


中に誰かが乗っていたのか、壊れた馬車の中から人の腕が伸びていた。



―――知っている。


その光景を、オレは知っている。


雨が降ってきた。


頬にぽつぽつと水滴がかかる。


知っている。


同じ光景を、昔、見たことがある―――



馬車の中。


ヒステリーに叫ぶ姉。


たしなめる母親。


運転を崩す父。





オレはその様子を、黙ってじっと見ている。





頭が重い。


気分が悪い。


腹が、痛い…


城までの道のりを歩く。


こんなにも重い足取りは初めてだ。


まったく、骸の奴も、嫌な日に綱吉さんをさらってくれたものだ。


とはいえ今日気分が悪いと言ったところで「それは大変ですね。では今日のところは彼は返してまた後日さらうことにします。ではお大事に」などと言うわけがない。まぁ、誰も言わないか。


ああ、いや、リボーンさんなら言うかも知れない。いや、リボーンさんはまずさらわないけど。


リボーンさんのことを思い出して、ふっと笑みがこぼれる。気分が少しだけ軽くなる。


ああ、リボーンさん、リボーンさん、リボーンさん。


思い返すだけで穏やかな気持ちになる。しかしその反面、オレの額からは汗がこぼれ腹の鈍痛は酷くなる。


骸にやられた傷でも開いたか、と思うがあの傷はとっくに癒えたはずだ。しかし痛みは収まらない。


ふと横を向けば、海があった。オレが見たいと言った海。


…何も感じない。


きれい、だとは思うがそれだけだ。


その理由を、今のオレは知っている。


ごめんなさい、リボーンさん。


あのとき、オレはあなたに海が見たいと言ったけど。


本当は、オレ、海なんてどうでもよかったんです。


あの言葉には……別の意味が、あったんです。





城の前に辿り着く。


主のいない城。招かざる客がいる城。綱吉さんが捕らわれている城。オレの向かう場所。


ここに綱吉さんがいる。あと骸。


止めていた足を踏み出そうとする。


するとそこに声が掛けられた。


「行かない方がいいよ」


振り替えれば、そこには雲雀がいた。


「あぁ?」


「城に骸がいる。行ったら殺されるよ。弱者は弱者なりに身の程をわきまえなよ」


「綱吉さんを見捨てろってのか」


「それが誰だか知らないけど、そいつのために命捨てるの?」


「綱吉さんはオレの友達らしい」


「覚えてないじゃない」


「それにリボーンさんがお世話になってる人のお孫さんだ」


「リボーン? 世話? なに? リボーンが人間に世話になってるの?」


「そうらしい」


「なんの世話さ」


「知らん」


無駄話をしている暇はない。オレは雲雀を睨む。


「オレはもう行く。着いてくるなよ。一人で、誰にも言わないで来るよう言われてるんだから」


「僕も群れるのはごめんだよ。じゃあ、行く前にさ」


「なんだよ」


「最後に血を吸わせてよ。一口でいいから。本当に美味しかった。正気を失うほどに。おかげであの日、骸に後れを取っちゃった」


「うるさい死ね」


オレはそう吐き捨てて城に入った。





「骸いるんだろ! 綱吉さんはどこだ!!」


高らかにそう叫ぶと、またあの梟が現れた。奥の部屋に消える。


来いってことか。ここはリボーンさんの城なのに我が物顔しやがって。むかつく。


嫌々梟に着いていくと、ある部屋に辿り着いた。その部屋の中には綱吉さんがいた。


ていうか、ああ、綱吉さんってあの人だったのか。


「獄寺くん…大丈夫?」


何故オレが心配されるのか。ああ、汗か? いや、でも雨で隠れて分からないはず…いや、それはともかく。


「お怪我はありませんか? 10代目」


「え…」


ぼんやりとしていた10代目の顔が驚きの表情に変わる。


「すいません、今、思い出しました」


「獄寺くん…獄寺くん!」


10代目が飛び付いてくる。前はオレと変わらない背丈だったのに…立派になられて。


10代目があの町に来たのは、オレが七歳を過ぎた頃。何故かは知らないけど、突然引っ越してきた。


…あの町で、周りがオレを信用しない中、10代目だけはオレを信じてくれた。オレの目や髪の色を見ても気味悪がらないでくれた。対等に接してくれた。


町を歩けば声を掛けてくれて。遊んでいれば誘ってくれて。疑われては庇ってくれた。


嬉しかった。


神さまみたいだって、そう思った。


ああ、だけど。


記憶は思い出したくないことまで呼び起こす。


ある日、10代目に家まで遊びに来ないかと、誘われた。


行かなければよかったのだ。断ればよかった。


けれど、なにも知らないオレは、なにも分からないオレは…二つ返事で了承した。してしまった。


10代目の家は、あたたかかった。


優しい母親。面白い父親。笑顔の絶えない家庭。


あたたかい食事。柔らかな毛布。清潔な部屋。


本当に現実か、信じ難かった。


夢じゃないかと思った。


こんな世界が、世の中に、こんな近くに、目と鼻の先にあるなんて…知らなかった。


知りたくなんて、なかった。


羨ましくなった。


妬ましくなった。


自分の汚さに、オレは泣いた。


「…獄寺くん?」


「10代目、ここは町外れの城の中です。場所、分かりますか?」


「う、うん」


「なら、早く屋敷にお戻りください。みんな心配してましたよ」


「獄寺くんは? 獄寺くんも一緒に…」


「オレは…ここで人と会う約束がありますので…」


梟がじっとオレを見ている。


オレがおかしな真似をしたら攻撃してくるのだろう。…10代目を。


10代目を城から出す。


やはり見られたくは、ない。


オレの死体はきっとグロテスクだろうから、見られたく、ない。





梟はある部屋の中にすっと消えた。そこはリボーンさんの部屋だった。


扉を開け放つとそこにはまるで自分の部屋のように椅子に座る骸の姿。


ああもう雲雀といいこいつといい、どうしてリボーンさんの部屋に来たがるのか!! 確かにその椅子座り心地よさそうだけど!!


「来ましたか」


「この部屋から出ろ」


骸は言われた意味が分からないのか、きょとんとした顔を作った。


「ここはリボーンさんの部屋だ。出ろ」


「おやおや…」


骸が含み笑いをこぼす。


「いい調教してますね。あなたの飼い主は」


骸が立ち上がる。


「せっかく人間だったときの記憶を呼び起こしてあげたのに、心は飼い犬のまま」


…ああ、急に昔のことを思い出したと思ったらこいつが一枚噛んでたのか。ならこの体調もこいつのせいかな。


「人間の頃の知り合いなら、見捨てるわけにもいかないでしょう」


10代目のことか。


別に、記憶なくても来たと思うけどな。てか、10代目思い出したのここ来てからだし。


「…オレを殺して、リボーンさんも殺すつもりか」


「そのつもりですが。命乞いですか?」


「オレもリボーンさんも、人間に危害を与えてないし、与えるつもりはない。…それでも殺すと言うのなら、オレだけにしろ」


「クフフ、嫌です。吸血鬼の言うことなんて信じられませんし、仮に本当でも未来は分かりません。吸血鬼は恐ろしい」


恐ろしい…ねぇ。


「…元人間のオレから言わせてもらえば―――…」



汚いものを見るような目で見て。


陰口を散々言って。


人を人と思わないような態度を取って。


そのくせ表向き私は虫一匹殺せません。と言う顔をしてみせる。



「人間の方が、よっぽど恐ろしい」


「おや。親御さんにも同じことが言えますか? お世話になったでしょう」


「はっ」


思わず笑いが出た。


どうやらこいつは、オレの記憶を呼び起こすだけ呼び起こしておいて、内容までは知らないらしい。


人間の生活は。親子は。みな幸せなものだと信じているらしい。


なんて、おめでたい。


…10代目が言っていた、オレが行った家族旅行。


あれは、実際にはそんなんじゃない。


確かに、周りには旅行だと言っていた。オレも旅行だと言われた。


疑うべきだった。


信じては、いけなかった。


…オレは昔からそうだ。反省をしない。なにも学ばない。


信じては、踏み躙られて。


縋っては、叩きつけられて。



妻しか愛していない父。


娘しか愛していない母親。


姉は…もしかしたらオレを愛していたのかもしれない。


だがそれは歪んだ愛だった。お手製の毒物を差し出される毎日。


それでもオレは、彼らを、家族を信じようとした。好かれようとした。


何度諦めて、何度また信じただろう。


結局オレは最後まで馬鹿なままだった。





―――今度、海に行くわよ。





出掛けるときは姉しか連れていかなくて、オレをいつも置いていった、オレと血の繋がってない母親がそう言った。





―――早速馬車を借りないとな。





オレがいくら話し掛けてもろくに反応しなかった父が、オレにそう言った。





―――楽しみね、隼人。





家族が、オレに笑い掛けてくれた。


それを、信じた。


だけど、違った。違ったんだ。





オレは、ただ、売られただけだった。





馬車の中で、何が切っ掛けだったのか、姉にその事が知られたらしい。姉は純粋に家族旅行だと信じていた。


ヒステリーを起こし、母親に詰め寄る姉。


何か言い訳を始める母親。その話の中ではオレが悪者。


黙々と運転をする父。姉が暴れ、バランスを崩す。


倒れる馬車。逃げる馬。


オレの腹に、突き刺さる破片。


気が付くと、骸がオレに槍を構えている。



「さようなら」



槍がオレに向かってくる。その先端はオレの顔面に。


ああ、ほら、やっぱりグロテスクだった。絶対そうだと思った。こいつ性格悪そうだからな。


10代目を帰してよかった。あのままここにいたら、きっとトラウマものになっただろう。


もうすぐ槍がオレの顔を貫く。トマトケチャップが飛び散って床に赤い絨毯が敷かれる。


まったく、誰が床を掃除するんだ? そんなことを思いながら頭の中には昔の映像が流れている。



雨が降っていた。


水滴が頬にかかる。


馬車の中からは姉の手が見える。


白い手をぼんやりと見ていると、雨が止んだ。


空を見上げれば、黒い影が見えた。


人だ。


黒い帽子。黒い服。黒い目。


真っ直ぐにオレを見ている。



「お前、名前は?」


「…獄寺……」



それ以上は言葉が出なかった。思い出せなかった。自分の名前が。


名を呼ばれることなんて久しくなかった。両親はおいやお前、姉は名前を呼んでくれたけど、オレは姉から逃げ回っていた。


そんなオレの事情を知るはずもなく、その人は言葉を淡々と続ける。



「そうか。獄寺。お前、どうしたい?」



どうしたい?


急にそんなこと言われても、わからない。


したいことなんてない。ただ、別の思いが胸の中を占めていた。





今度、海に行くわよ。





そう、素っ気無く言った、母親の言葉。


嬉しかった。そう言われたとき、家族の一員に慣れたような気がして、本当に嬉しかったんだ。



「…海が…みたい……」



思わず言葉が飛び出した。


けれど嘘ではない。本心だ。


だけどその言葉の真意は。


海が見たい。


海を家族と見たい。





…一緒に海を見てくれる、家族が欲しい―――





槍がオレを貫く…その直前。


一陣の、風が吹いた。


窓が割れる。


誰かに抱き止められる。


見れば、そこには。


骸の武器を片手で受け止め、もう片方の手でオレを抱き止める―――リボーンさんの姿があった。





「またお前か。獄寺に手を出すのはやめてもらおう」


静かに響く声が、その人が本当にこの場にいることを教えてくれる。


この身を包む腕に力が込もる。


そのあたたかさの、なんと心地良いことか。


その眼差しの、なんと頼もしいことか。


けれど同時に、疑問も覚える。どうしてここに? 今日もいつもと同じく出掛けているはずなのに。


「屋敷の人間にお前が消えたと聞いて、探しに来た」


疑問の答えが出る。けれどそれは更なる疑問を呼び起こした。


どうしてオレが消えて、リボーンさんが探すのだろう。


オレはリボーンさんの邪魔者でしかないのに。


そんなオレの前、骸といえば武器を捕まれたまま静かに笑っているだけだ。


その笑みの、なんと暗いことか。


「かかりましたね」


骸の声が響く。


後ろから。


風を切る音。


リボーンさんの身体がぴくりと動く。


「避ければその子供を殺します」


オレがその言葉の意味を知るより前に。


リボーンさんの動きがぴたりと止まったと分かるより早く。


身体に何かが突き刺さる感触を覚えた。


自分の身体ではない。


密着している、リボーンさんの身体を何かが突き刺さっていた。


生暖かい何かが降ってくる。


赤い液体。


リボーンさんの口からこぼれている。


リボーンさんの身体に何かが突き刺さっている。


骸の槍だ。


骸の槍が、リボーンさんの身体を、胸を、心臓を―――貫いていた。


「り…ぼーん、さん…」


誰かがそう呟く。少しして、それは自分のかすれた声なのだと気付いた。


リボーンさんの口から、傷口から。赤が、血が溢れ出す。


オレはなにも出来ず、呆ただ呆然とリボーンさんを見上げる。


リボーンさんが、リボーンさんが、殺され、骸、槍、貫いて、血が、血が、血が…


急に理解したのか、理解したくないのに理解してしまったのか、オレの血の気が一気に引いた。心臓がばくばくと脈打っている。心臓? 心臓!? ああ、早く。早くオレの心臓をリボーンさんに差し上げなければ!!


槍がずるりとリボーンさんの身体から引き抜かれる。槍にはべっとりと血が付いている。誰の血だ? リボーンさんの血だ。


「クハハ。そんな顔しなくても、次はあなたの番ですよ」


骸が槍を振るう。


オレは動けない。


けれど、それでもその槍がオレに当たることはなかった。



「だから、獄寺に手を出すな」



リボーンさんが…心臓を貫かれたはずのリボーンさんが、また槍を掴んだから。


「リボーンさん!」


リボーンさんは血こそ流しているが、その目に揺らぎはない。


「大丈夫なんですか!?」


「ああ。大事ない」


事も無げに言い放つリボーンさんに、骸が初めて顔をしかめた。


「馬鹿な…化け物ですか、あなたは」


「ただの吸血鬼だ」


「吸血鬼とて、心臓を刺されたら死にます。何故死なない」


「何故も何も、心臓を刺された程度で死ぬわけないだろ」


いやいやいやいや。


それはない。流石にそれはないですよリボーンさん。普通、心臓を刺されたら心臓のある奴は死にますよ。


オレの心を読んだのか、リボーンさんが少し驚いた顔をした。


…ああ、そういえば前、リボーンさんに聞いたことがあったな。心臓を木の杭で打たれたら死にますかって。それに対してリボーンさんは言うまでもないって言ってたな。


なるほど、こういうことでしたか。オレの想像と間逆でしたか。本当に常識外れですねリボーンさん!!


リボーンさんは本当に驚いているようだった。


リボーンさんなりに何かしらフォローを入れなければいけないと思っているらしく、暫し思案を巡らせた。


「…ああ、流石に痛いぞ」


「痛いで済むんですか!?」


「まぁ、それはともかくだ」


リボーンさんは先ほどまで自身を貫いていた槍を骸から奪うと、ぺきんと、まるで木の棒のようにへし折った。


「あ」


続いてリボーンさんは骸の首根っこを掴み、割れた窓の外を見た。


「出直してこい」


リボーンさんが骸をぶん投げる。骸は海の向こうに消え、お星さまになった。


「獄寺、無事か?」


「は、はい…」


そう言うリボーンさんは口から胸から血をだらだら流している。


「リボーンさん…どうしてオレなんかを…」


確かにリボーンさんがいなければオレは死んでいただろう。


でも、代わりにリボーンさんは怪我を負ってしまった。なんの役にも立たないオレを庇ったせいで。


顔を俯かせる。すると上から声が降ってくる。それはいつも通りの声色のリボーンさんの声。



「どうしても何も、家族が危険な目にあってるんだ。そりゃ助けるだろう」



オレは一瞬、何を言われたのか分からなかった。


家族…?


誰が?


オレと、リボーンさんが…?


我ながら間抜けな顔をしていたと思う。


唖然とした顔でリボーンさんを見上げていると、リボーンさんは少し表情を変えた。言葉にするなら、「あれ?」という感じか。


「…お前はオレを…家族と思ってなかったか?」


少し自信のなさそうな声。心なしか少ししょぼんとしているような。


というか、どうしよう。オレリボーンさんを家族とか、全然思ってなかった。主とかそんな感じに思ってた。どうしよう。


家族? 家族? オレとリボーンさんが? なんで?


……………。


もしかして。


オレは元人間で、リボーンさんに血を吸われて吸血鬼になった。


つまりリボーンさんの血族が増えたというわけだ。吸血鬼は血を吸って仲間を増やす。


それは、人間に例えるなら子供を生むようなもの…だろうか。


オレは、リボーンさんの子供?


オレは…リボーンさんの…家族?


家族。


頭の中でその言葉を何度も反復する。


思わずリボーンさんの袖をぎゅっと掴む。リボーンさんはオレの頭に手を置いた。


その瞬間、視界がぼやけた。


目が熱い。


オレは、吸血鬼になってから、初めて泣いた。


悲しくなくて泣いたのは、人間だったときも含めて初めてだった。





あれから、一週間が過ぎた。


平穏で平和な日々が戻りつつあった。


骸からの襲撃もない。


恐らく雲雀だろう。あのあと雲雀が出てきて、「一戦交えてくれたらあいつをどうにかしておくけど」という提案をしてきたのだ。そしてリボーンさんは、それを飲んだ。


最初はそれでも渋っていたのだが、雲雀に骸がまた着たらオレが危ない目にあうと言われたのと、オレが雲雀に襲われたと言ったのを聞いて気持ちを固めたらしい。


リボーンさんと戦う雲雀はそれはそれは楽しそうだった。見ていてなんだか羨ましくなった。いや、別にリボーンさんと戦いたいわけではないが。ちなみに雲雀は負けた。ざまぁみろ。


それはともかく骸が来ないということは本当に雲雀がどうにかしてくれているのだろう。


10代目はどうしてあそこにいたのかと聞かれ、オレが起きるのを待っていると話す梟を見たのだ。と言った。骸のことだ。


梟を見たあとのことはよく覚えてないらしい。気が付いたらあの城にいたと言っていた。


10代目が骸になにかされてないかと心配したが、骸は人間に危害を加えるような奴ではないことを思い出した。骸が憎んでいるのは吸血鬼だけだ。


10代目は三日前に帰られた。「あまり遊べなかったね」と残念そうに笑っていた。


そういえば、リボーンさんが毎日なにをしていたのか聞いた。教えてもらった。驚いた。


リボーンさんは、仕事をしていたのだ。雇い主が9代目。仕事内容は9代目の護衛。


オレの食費や衣服などの雑貨を買うための金を稼いでいたのだ。


聞いたとき、オレは卒倒しそうになった。


オレのために、オレのせいで、リボーンさんが仕事を…


しかもリボーンさんは稼いだ金を自分には一切使ってないのだ。食事はオレの血だけだし、(しかもそれも本当は不要だし)服もどういうわけか汚れないし。


使ってください。どうか使ってくださいと懇願し土下座までしたがリボーンさんはいつも通りの表情で「オレには必要ない。お前が使え」の一点張りだった。


ならばとオレは自分にリボーンさんのためになにか出来ないかと聞いた。


オレのために仕事をするリボーンさんに、なにか酬いたかった。


リボーンさんは少し考えて、口を開いた。



「無理なら別にいいんだが、一日十六時間は起きてろ。寝過ぎは身体に悪い」



どういうことかと聞いてオレはまた驚いた。


オレは寝ると、丸一日起きないらしい。


オレが起きて、行動して、寝る。すると次の日は起きず、その日の翌朝にやっと起きるのだと言われた。


…全然気付かなかった…


オレは分かりましたと了承し、その日は寝た。


そして、今日、起きた。





「………」


朝、だ。


いつもよりだいぶ早い時間。


オレはどれほど寝たのだろうか。あれから二日経ってないだろうか。


部屋を出て通路を歩いているとリボーンさんと出くわした。これから仕事に行かれるのだろうか。


「起きたのか。獄寺」


「はい。おはようございます、リボーンさん」


「ああ、おはよう」


…きゅんきゅん。


朝の挨拶だけで胸がときめく。これからずっと早起きしよう。そうしよう。オレなら出来る!!


「…オレは、ちゃんと起きれましたか?」


「ああ。上出来だ」


頭に手を置かれる。大きな手がオレの髪を包み込む。


「これからお仕事ですか?」


「そうだ」


玄関まで二人、並んで歩く。


門を出る前でオレの足が止まる。リボーンさんの足は続く。オレはそうだ、とはっとした。声を出す。


「リボーンさん」


リボーンさんは呼ばれて振り向いた。その顔は「どうした」と告げている。



「…いってらっしゃい」



ずっと、その言葉を言いたかった。


家族に、言ってみたかった。


前の家族では、ずっと無視されていて、何も言えなかった。


リボーンさんが口を開く。



「ああ。行ってくる」



その顔は、いつも通りの無表情のはずなのに。


どこか笑っているように見えた。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ああ、そうだ、獄寺」

「はい?」

「今度、一緒に海を見に行こう」


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