「行ってくる」
そう言って、背を向けたあなたを追い掛けなかったのが…今でも悔やまれる。
オレも連れて行って下さい。
そう言えばよかったと…今でも思ってる。
あなたはあれから戻って来なかった。
いつまで経っても…帰って来なかった。
オレがあなたへの想いに気付いたのは、皮肉なことにあなたが消えてから。
そのとき、狂おしいまでの衝撃がオレを襲ったのを…よく覚えている。
あなたのいない世界。
そんな世界に、オレの身体は何を思ったのか…視力を消し去ってしまった。
だからオレは現実を見ず、夢の中であの人を追い駆け続けていた。
それは逃避でしかないことは知っていた。
逃げでしかない、その日々を変えてくれたのは…
小さな小さな。小さな命。
マフィアと子犬
サァァァァ、と静かに雨が降っている。
窓の外から聞こえてくるその音に、薄っすらと目蓋を開いた。
けれど…オレを待ち受けていたものは、闇。
部屋の電気が点いていないからではない。今が真夜中なわけでも。
単に、オレの目が見えなくなっただけ。
盲目の身では仕事をすることすら出来ず。毎日を無気力に過ごしている。
…ずっと。ひとりで。
「獄寺くん。…起きてる、かな」
そのはずだった。
けれど。
ノックの音と共に聞こえてくる10代目の声。
扉を開ける音。
そして…
「あ。獄寺くん起きてたね…。って、あ」
頬に何か、あたたかい感触。
…舐められている?
そっとそれに手を触れてみると、小さなぬくもりがあった。
さらさらとした肌触り。
これは…
多少なりとも混乱、動揺するオレを見かねてか、10代目が苦笑交じりに説明してくれる。
「…えとね。獄寺くんにお土産。ずっとひとりだと気も滅入っちゃうでしょ? その仔も獄寺くんに懐いてくれたみたいで嬉しいよ」
…お土産。
あの人がいなくなってからずっと続いていた日常が、ある日いきなりあっさり壊れた。
10代目の贈り物…小さな子犬が壊してくれた。
「…リボーンさん」
控えめに。小さく呼んでみれば…駆け寄ってきてくれる小さな命。
「…その仔の名前。リボーンにしたんだ」
「あ…10代目。―――はい。すいません…」
「いや、謝らないでいいけどさ。…でもなんでその名前に?」
「…笑わないで、聞いてくれますか?」
「うん?」
「その…ですね」
「うん」
「………オレ、リボーンさんが出てくる夢を見ちゃったらしく寝言でリボーンさんの名前を言ってしまってたみたいなんですよ。それで…この仔、それが自分の名前だと勘違いしちゃったらしくて…」
「…直せないまま今に至ると」
「…はい」
「………くっくっく」
「あ、10代目、笑うなんて酷いです。笑わないでって言ったじゃないですか」
「いや、ごめんごめん。…でもこの仔にもぴったりだと思うよ?」
「そうですか?」
「うん。それに………色々芸とか覚えさせれば物凄く笑える光景になるね。あのリボーンにお手とかお座りとかハウスとか出来るってことだよね!!」
「………10代目…」
オレそんなつもりで名前付けたわけじゃないんですけど…
「…あまりリボーンさんで遊ばないで下さいね」
「てか獄寺くん。犬相手なのに敬語なんだね」
「え、えぇ…そうだって分かってるんですけど」
でも…
「その…どうしてもリボーンさんを思い出しちゃって…思わず…」
「………獄寺くん」
分かってる。これが弱さだってことぐらい。
オレはこの仔にあの人を重ねているのだろうか。
そうだとして…なんの解決にならないと。知っているはずなのに。
それから数日経った、ある日のこと。
窓際に座り、そっと「リボーンさん」の頭を撫でると、この仔はオレの指を舐めてきて。
それはゆったりとした、穏やかな時間。
いつもなら、このあとずっとオレの膝の上で大人しくしている。…けれど最近は少しばかり暇みたいで。
ぐいぐい、ぐいぐいとオレの袖を引っ張ってくる。
「…お散歩でしたらひとりで行って来て下さい。オレはここにいますから…」
そう言うも、袖を引っ張られる感覚は消えることはない。…このまま腕を水平に上げたらぷらーんてぶら下がるんじゃないだろうかこの仔は。
「………どうしても、ですか?」
呟くと、肯定の代わりかオレに………細長い何か。革紐…だろうか? を持ってくる。
一体どこから…そういえば前10代目がよかったら使ってとか言っていたような。これか。
「あなたがオレの目の代わりになってくださるんですか?」
なんの期待のなしにそう言ってみれば、一度だけ鳴いたあなた。
この仔が鳴くのは珍しい。というか、初めて鳴いたかも。
「…しようのない方ですね。あなたは」
革紐をつけると、待ちきれないとばかりに引っ張られる。扉の付近に来たのか、かりかりと爪で引っ掻いて開けろとせがむ。
何だか微笑ましくて。少しぐらいなら付き合うのもいいかなと思えて。
けれどその思いは…部屋の外に出た途端に一転する。
…冷たい風が頬を切り、周りの広さを感じる。
思えば目が見えなくなってから初めて部屋から出た気がする。
ああ…そうか。
これが"外"か。
遠くへ飛びかけたオレの思考はまた引っ張られる感覚で引き寄せられる。
…あ、そうか…オレ、散歩をしようとしてて…散歩と言うことは辺りを歩いて……
―――戻ってこれないって。
この場で三回ぐらい回ったらもう部屋に戻れない確信すらあるというのに。
「…リボーンさん…提案があります。今日はこの辺で終わりにしましょう。なんでしたらリボーンさんだけでお散歩に行って来ても…」
ぐいぐいぐいぐい。
…駄目っすか。
「その…えっと…うわ!?」
引っ張る力は意外と強い。
オレの両手にすっぽりと納まるだけの体積しか持ってないはずなのにどこにそんな力があるのか、引き摺られてオレは一歩。また一歩と進んでしまう。
いや無理怖いって。怖い怖い怖い…
「ちょ、その…リボーンさん…っ!?」
床に段差か何かあったのか…オレは取っ掛かりに躓いて、重力に従い、下へ―――
堕ちた。
意識が戻った時、オレはどこかの寝具の中にいた。
ずきずきと痛む頭と。それから…
頬を舐められる、感触。
「…リボーンさん?」
「ってお前…本当にこんな犬っころにあいつと同じ名前付けてるんだな…」
聞こえてきたのは、幼き頃からの付き合いの医者の声。
「あー…お前頭打ってるから無理して起きるな。まだ寝てろ…ったく。無茶しやがって」
最後のは独り言のつもりだったのか、かなり小さめに言っていた。聞こえたけど。
「落ち着いたら部屋まで運んでやるから。それまで起きようとはしないで横になってろ。分かったな」
起き上がるなと何度も釘を差して。シャマルは一旦室外へ出たようだった。気配がひとり分消える。
…寝るか。
オレのすぐ横で申し訳無さそうにしている一つの気配があったけど。何か声を掛けるよりも前にオレは眠りに堕ちた。
次に目が覚めたとき。シャマルの宣言した通り肌に覚えのあるオレの部屋の中だった。
だるい身体を動かして。起き上がる…と、足元に小さな存在を見つける。
「………」
きゅんきゅん鳴いているその仔を持ち上げて…自分でも頼りないと分かるほどのふらふらとした足取りで扉を開けて。
あの仔を外に置いた。
扉を閉める。
かりかりと、扉を引っ掻く音。
かりかり、かりかり。
………。
オレはその音には応えず、そのまま扉を背もたれにして座り込む。
…今は。少し。…ひとりになりたかった。
俯いて、膝に額を付ける。
かりかり、かりかり。
「…リボーンさん…」
思わず呟かれた声の人は、いない。
あの人は…ここにはいない。
かりかり、かりかり。
かりがり、がり…
………。
どれほどの時間、そうしていただろうか。
背中に伝わる引っ掻き音はいつしか途絶えていた。…どこかへ行ってしまったのかも知れない。
そっと扉を開けてみる。
すると…もぞもぞと、近付いてくる小さな…気配。
「あれ…いたんですかリボーンさん………って…」
何かどこかがおかしい気がした。
いつもならこんなにゆっくりと近付いてきたりはしない。それにこれは…鉄錆の臭い?
そっと手を伸ばせば…何かぬっとりとした手触り。粘りのあるこの液体は…
「まさか、血…? リボーンさん怪我してるんですか!?」
慌てて抱き寄せて。ひとまず医者の…シャマルのところへと足を伸ばそうとするが。そこまでのルートが一瞬で出てこない。
それでも行くしかないと、壁に手を付き歩き出した所で…
「隼人…? 何してんだ…って、どっか怪我したのかお前!?」
聞こえてきたのは今まさに必要な声。
「シャマル…! リボーンさんやっぱり怪我してるのか!?」
「あ…? ………ってなんだ。お前じゃないのか…びっくりした…」
「シャマル! リボーンさんを診てくれ!!」
「オレは獣医じゃねーって…ていうかこのぐらいつば付けとけば………」
シャマルの声が、途中で途切れる。
「シャマル…?」
「…こいつ一体何したんだ? 前足の爪が剥げてるぞ…? つったく痛そうに…」
前足の…爪が?
「………あ」
「ん?」
思い出す。
部屋の外に出して。それで…あの仔がずっとしていたことを。
かりかり、かりかり。
ずっと前足で、きっとこの扉を開けろって。せがんでいた。
この仔はずっとオレを呼んでいたのに。なのにオレは…
「シャマル…頼む。リボーンさんを…」
「あー分かった分かった。そう泣きそうな顔をするな。もっとしゃんとしていろ」
オレの腕の中からぬくもりが消えて。代わりに背中を押される。
「こいつは預かっておくから。お前は部屋にいろ」
「………シャマル」
「何だよ」
「…その、我侭だって分かってるけど…リボーンさんの傍に…いたい」
「………」
「…シャマル…」
「ったくお前らは揃いもそろって…」
「え?」
「はいはい特別コースだ。一緒について来い。ここに置いて行ってもお前こいつが心配だーって言って部屋を飛び出しかねないからな」
「む…そこまでは…」
しない。とは言い切れなかった。
シャマルがオレを抱き寄せて。歩き出したから。
「はぁ…また戻るのかよ。もう面倒だからお前ら今日は医務室に寝ていけ。どうせこいつの怪我は朝になったら包帯を替えないといけないからな」
ついでにお前の検査もしてやる。と言いながら医務室へと進むシャマル。
…オレはもう、あまりシャマルの話を聞いていなかった。
このときはただ、リボーンさんが心配で心配で…
医務室に着いてからも、オレの頭からリボーンさんが消えることはなくて。
ただじっと。見えない目で治療されるリボーンさんをずっと見ていた。
…あまりに見すぎて、シャマルに「…集中出来んだろうが」と突っ込まれたぐらいだ。
手当ての終わったらしいリボーンさんをシャマルに手渡される。
眠っているのか、規則正しい呼吸を感じた。前足には包帯のようなものが幾重にも渡って巻かれている。
………。
「…そう黙って見ていても、怪我は治らんぞ。隼人」
「いや…分かっているけど」
気不味さからか、ごにょごにょとそう呟いてしまう。それに被せるように、シャマルの呆れたような声が。
「…本当お前ら似たもの同士だな…」
「へ?」
似たもの同士? 誰が?
「お前とそのわんころだ。まったく同じことしやがって」
同じこと? いつ? どこで?
「ついさっき…お前がぶっ倒れているとき。そいつずっとお前を見ていたぞ。よく分からんがそいつなりに責任も感じてたんじゃねーの?」
………。
リボーンさんが…そんなことを…。
「別に…怒ってないのに」
「ならきっとそいつも怒ってないだろうよ」
「いや、…オレがリボーンさんを見ているのはそういうだけの問題じゃなくて…」
「じゃあそいつもそうなんだろうな」
…む。
「ま、お前もそいつも。暫くは大人しくしていろ。特にわん公はなるべく歩かせようとさせるなよ」
「…分かってる」
その日は。オレはリボーンさんを抱いて眠った。
その日から。オレたちはずっと同じ距離で眠った。
起きているときも、眠っているときも。オレたちはいつも一緒に過ごした。
部屋の窓を開けて、風を感じながら日の光を浴びる。
オレの膝元には、まだ包帯の取れないリボーンさん。
でももうじき完治するってシャマルは言っていた。そうしたら…そのときは。
「そのときは…今度こそお散歩に行きましょうね。リボーンさん」
そう言うと、ぱたぱたと尻尾を振って応えてくれる。
この仔もきっとたくさん歩きたいだろう。なんて言ったってあれから移動はずっとオレが抱きかかえてのものなのだから。
そしてそれから…暫くが経って。
オレたちはゆっくりと外を歩いている。
視界に頼れない現状で、目の代わりを務めるものは細い杖と。長いリード。
ゆっくりと歩きながら、頭の中ではボンゴレの内部を思い出す。
幸いにもオレの目が見えなくなってからも大きな変化はないらしく、多少は負担を軽減出来た。
…この分なら、慣れたらもっと早く歩けるかもしれない。
なんて。心に隙を持ってしまった報いだったのだろうか。
きゃん、と鳴き声。気付けばリードを引っ張る感覚は消えており、あの仔が止まっていたことを知る。
「っと…」
爪先に、何かの取っ掛かりが引っ掛かる。けれど早めに気付けたから、持ち堪えられる!!
バランスを取りながら、大きく足を踏み出せば…地面とはまた何か違う。柔らかい何かを踏み付けた。
キャン!!
…そしてまた。甲高い声。それはさっきよりも高く近く。痛そうに…オレの足元から聞こえてきた。
「え…もしかしてオレリボーンさんの足踏みつけました!? す、すいませんリボーンさ…あ、」
慌てて足をどけると…せっかく整えていた体勢がまた崩れ、オレの身体がまた倒れる。あ、やばい。
またシャマルの世話になるのかな…とかどこか冷静に考えながら重力に身を任せていると、衝撃。
ただそれはオレが想像していたよりも遥かに軽く。そして…何か柔らかく、あたたかいものが下にあった。
「え…えぇ!? あれ!? もしかしてリボーンさん!? まさかオレを庇いましたか!?」
慌てて抱き寄せれば…どこかぐったりとした小さなぬくもりが、きゅーきゅー鳴いていた。
「す…すいません…」
謝りながらオレは、もう少し落ち着きを持とうと決心した。
本当すいません、リボーンさん。
そんなことがありながらも、オレはリードと杖を片手に外出する時間を増やしていった。
前までの生活からは考えられなかった日常。
目が見えなくなって…それからまた、こんな風に出かける日が来るなんて。
ゆるく流れる時間に満足していたけれど。どうやらそれはいけないことだったようで。
…また。固定しかけていた日常は崩れることとなる。
それはある、いつもと違う空気の日のこと。
足元から聞こえる唸り声に気付いたのが先か、それともオレが咄嗟に右に動いたのが先か。
頬を掠める鋭い風。誰かの気配。敵意。そして殺意。
…こんなことされる覚えが…ありすぎて分からないな。
でも、覚悟は最初からしていた。
こんな日が来ることは…分かっていた。
まぁ、それでもただで終わる気はさらさないのだが。
この辺りの…というか、ボンゴレの内部は頭に叩き込んである。実際歩き回ってどこに何があるのかも分かっている。
動きを止めず、右に走る。直線に撃たれて来る銃声のようなもの…というか銃声だろう。を肌で感じながら大幅な敵の配置を予測。
大きな柱の影に隠れながらオレも応戦。懐から筒を取り出して、投げる。何かが吹き荒れる音。それは筒から煙幕が吹き出た音。
動揺する気配。あぁ…オレを舐めすぎだ、馬鹿。盲目だからって簡単に殺れると思ったか。
と、足元から唸り声。オレの頭には警報。気付けば気配は一瞬で冷静を取り戻しており、すぐそこまで来ていて…
向けられたのはナイフか銃口か。
けれどそれはオレに当たることはなく。代わりに吠える声と………それから「邪魔だ」という声と。
何かを思いっきり蹴ったような音と。
何かが思いっきり壁にぶつかったような音と。
そして何かの悲鳴のような…とても甲高い犬の鳴き声が聞こえてきた。
嫌な汗が背を伝う。
目が見えないから、何が起ったのかは明確には分からないけど。
頭の中では…何故か壁に赤い模様を描き、そのすぐ下で二度と動かない子犬の姿が浮かんでいた。
嫌な汗が頬を伝う。
今すぐにでも、駆け寄りたかった。
けど…気が付けば何故か片腕が熱い。
後ろにいる誰かに、何かで刺されたのだと知った。
邪魔だ。
オレを突き刺していたものを辿ると、人間の腕。それを掴んで、至近距離で…常に携帯していた銃を―――
「…馬鹿みてぇに突っ込んでくるんじゃねぇよ。オレは目が見えねぇんだから遠くから撃ってればよかったんだ」
―――撃った。
乾いた音が聞こえた。
向こうも撃ってきた。
オレの肩が。腕が。頬が。首筋が―――抉れる感触がした。
でもオレだってやめない。
撃てるだけの銃弾を、全て目の前のこいつに。
オレの銃弾が切れたのが先か、奴の銃弾が切れたのが先か…ともあれ、少ししたら音は消えて。…辺りは静かになる。
聞こえてくるのは、オレの呼吸音だとか、オレの心音だとか、オレの血の流れる音とか。
オレの下にいる奴は動かない。そして冷たくなっていて、心音も消えている。
「…リボーンさん…」
小さく呟いて…オレはずるずると足を引きずって。移動する。
あの仔の下へと。
多少動いて、今自分がどの方向を向いているのかも知れないが…でも、大丈夫。分かる。
自分が動いた所から計算して…なんて、理由のあるものじゃないけど。もっと漠然とした…勘のようなものだけど。それでもきっと、あの仔はこっちに。
そして…小さくて、冷たくなった…あの仔をみつける。
ついさっきまで元気に走り回れていたのに…もう出来なくなったあの仔。
…オレは弱い。
こんなに小さな命すら守れないんだから。
それどころか…守られてしまった。
そっと胸に抱くと微かに動く、気配が。
「!? …生きてる?」
弱々しい鳴き声が聞こえる。
生きてる。
けれど同時に悟ってしまう。
…この仔は。もう長くないと。
………。
「…ありがとうございます」
―――…ならばせめて。安心して旅立ってほしいと願った。
「あなたがいたから、オレはどこへだって行けました」
きゅーきゅーと鳴き声が聞こえる。ぎゅっと少しだけ抱き締める力を込めた。
「だいすきです、リボーンさん」
あなたがいたから、オレは強くなれました。
だけど…もっとオレは強くならなければいけない。
オレが強かったら…オレの目が見えていれば、この仔は死ぬこともなかった。
…オレの目を診たシャマルは言っていた。
お前の失明は、心意的なもの。
あの人を失ったショックから、オレは光を失った。
だけど…いい加減、立ち直らないといけない。
そうじゃないと、この仔が浮かばないしそれに…
最後に。この仔の姿が見たかった。
今すぐに光が欲しい。
最期を看取りたい。
ゆっくりと…恐る恐る、オレは目を………開く。
暗闇は既になかった。
あったのは、眩いばかりの光。
久々の光は暗闇に慣れきっていたオレの目を直撃し、焼き尽くさんばかりの痛みと熱を与える。
けどやがてその痛みも引いて…
改めて目を開いたオレの目の前には。
………。
………あぁ。
なるほど。
ひとり、納得する。
道理で…あの人と同じ名前を付けても反論が来ないと思った。その理由が分かった。
今までオレがリボーンさんと呼んでいたその仔犬は。
あの人と同じ色の…黒の毛皮で覆われていた。
…もしかしたら、本当にあの人の生まれ変わりだったのかも。
なんて、そんな馬鹿げたことすら思い付いてしまうほどに。
黒い仔犬はいつしか体温を失い、ぴくりとも動かなくなっていた。
その姿が急に、ぼやける。また見えなくなる。
泣いているのだと気付いたのは、どれぐらい経ってからだろうか。
拭っても拭っても溢れるそれに、オレが苦戦していると。
「獄寺」
聞き覚えのある…そしてもう二度と聞くことの出来ないだろうと思っていた声が………
「リボーンさん!?」
目を開けると、そこは自室。
時間にして三秒ほど停止していただろうか…オレは状況を把握しようとする。
「…夢…?」
いつから? どこから? どれから?
今までのが夢だとすると、とんでもなく長い夢を見ていた事になる。
何故ならオレは…目が見えているのだから。
「気付いたか、馬鹿」
聞こえてきた声に、ぴくりと身体が揺れる。
その声の元を確かめたい衝動と、確かめたくない衝動に駆られる。
…もしかしたら、まだこれが夢の延長な気すらして。
もしその声の方向に目を向けたら…また全てが消えてしまうような気がして。
………。
って、馬鹿かオレは。
もっと強くなるって…誓っただろうが。
ゆっくりと…顔を横に向ける。と、そこには…
「どれだけ寝てれば気が済むんだ。いい加減お前を叩き起こそうかと思ってたところだぞ」
思ったとおりの。想っていた人が―――
「リボーンさん!!」
思わず抱き付いた。
リボーンさんの身体が震えたような気がしたが、多分気のせいだ。
「リボーンさん…リボーンさんリボーンさん!! 生きていたんですね!! よかった…!」
「ああ…つーかお前、はなれ…」
「やです」
即答してしまった。
この人の言葉を遮るなんて。しかもこの人の意見を否定するなんて本来してはならないけど。でも反射的に言ってしまった。
リボーンさんも困っているのか、少し固まっている。
でもその…許してほしい。
「オレ…リボーンさんが行方不明になったって聞いて凄く不安になって…状況から死んだ可能性が高いって言われてずっと塞ぎこんでて…」
「…知ってる」
「え…?」
唖然とした表情で見上げれば、昔を回想するようにリボーンさんは遠い所を見ていて。
「…あの日。お前を見たときは驚いたぞ。弱々しくていつ死んでもおかしくなさそうで…」
そんなことを…言ってきて。
………ちょっと…待って下さい?
「何かくだらないこと考えてるなと思えば落ち込むし、袖を引っ張ってこっちに意識向かせてもすぐにまた項垂れるし」
いや、ですから…待って下さい?
「だからあの日は気晴らしになればと無理矢理出歩かせたんだが…悪かったな。お前を怖がらせた」
それは…その日々を過ごしたのは…
「でもオレも爪が剥げるまで頑張ったんだからそれで許せ。あといきなりオレの名を呼ぶからびっくりしたじゃねーか。思わず何故か自分の尻尾を追いかけたぞ」
その姿は是非とも一度見ておきたかったです。じゃなくて。尻尾って…
「そういえばお前…あのときはよくもオレの足を踏み付けたな。………あれは痛かったぞ」
あれは本当すいませんでした。…って、だからその思い出を共有しているのは。
「あと、お前はいつだって詰めが甘い。だから後手に回るんだ。フォローする身も大変だ」
「リボーンさん…さっきから何を言って…」
「だから、犬の姿だったときの獄寺くんとの思い出話じゃない?」
オレの言葉を遮るようにして現れたのは。
「10代目!」
「ツナ」
注目すると、10代目はくすくすと笑う。
「よかったじゃんリボーン。人間に戻れて」
「お前…気付いていたのかよ」
「まさか。でもリボーンが消息を経った先のアジト内で見つけられた生まれたばかりと思われる…黒い仔犬。何か関連性はあると思ったよ。勘だけど」
…10代目の勘はほぼ当たるじゃないですか…
「あの…」
「…なんだ」
小さく声を掛けてみれば、ぎろりと睨みつけられる。
「…本当にあの仔が…リボーンさん? でもどうして…なんで…?」
「―――…オレが直前に受けた任務の内容は知ってるか?」
「ええと、聞いた話では…その、あるファミリーの様子見。場合により交渉、あるいは…壊滅。と」
「そうだ。で、オレがなんでその任務を引き受けたかというと…」
「ちょっとね。そのファミリー禁弾を開発してるって噂が立っててさ。リボーンに見てきてもらったわけ」
結果として噂は真実。交渉は決裂。リボーンさんは相手ファミリーを無力化していき…そしてそのファミリーのボスと一騎討ちになった。
リボーンさんの撃った銃弾は相手の心臓に。そして相手の撃った銃弾も………リボーンさんへと当たり…
「そして気付いた時にはあの姿だった。以上」
「いや、いえ、以上って…なんで黙っていたんですか!」
「黙ってるも何も、犬の姿じゃ喋れん」
「そんな大変な時だったっていうのに…オレなんかの面倒を見て!!」
「お前がああなった原因がオレにも関係あるってんなら放ってはおけんだろう」
「だからって…! ……でも、よかった…です」
オレは一気に力が抜けて…またぎゅっと。リボーンさんを抱き締め返す。
「生きていてくれて…本当によかったです。…リボーンさん…」
ああ、また目から熱いものが、ぼろぼろと、ぼろぼろと…
「…ふ、くくく、」
堪え切れない、といった感じの笑い声が聞こえてくる。
「く、くくく………あっはっはっはっはっはっはっは!!!」
聞こえてきた笑い声は、10代目のもの。
きっとオレはぽかんとした、間抜けな顔で10代目を見たと思う。
「あ、ごめん獄寺くん。くくっ…や、でも…あのリボーンがあまりにもおろおろしてて…おかしくて…」
…おろおろ?
見上げてみても…かなり不機嫌な表情のリボーンさんがいるだけで…
「ツナ…お前死ぬほど楽しんでるよな。そんだけ楽しんだなら今死んでも悔いはねぇよなぁ?」
懐から銃を取り出し、10代目に向けるリボーンさん。
………本当に撃つ気は…ないですよね?
「くっくっく…そういうリボーンだって二割ぐらい嬉しいくせに? ちなみに残り三割が戸惑い、二割が混乱、二割が居た堪れなさ、そして最後の一割が…」
10代目の言葉を遮るように、リボーンさんは引鉄を抜いた。
…本当に撃ったよこの人…
ていうか残りの一割はなんだったんだろう…
それを聞こうにも10代目は既に部屋にはいないし、仮にいたとしても…リボーンさんが言わせないだろう。多分。
「…逃がさん」
けれどリボーンさんの怒りは収まらないらしく、席を立ち10代目の後を追おうとする。
…オレから、離れる。
「あ…」
気付いた時には、腕を伸ばしていた。
気付いた時には、袖を掴んでいた。
…リボーンさんの。
「…お前は寝ていろ。言っておくがその怪我で歩き回ったりするんじゃねぇぞ」
怪我…?
そういえば…と、今更ながらに身体に痛みを感じた。…あちこちを撃たれていたんだった。忘れてた。
リボーンさんに無理矢理横にさせられる。リボーンさんはオレの頭を撫でて…部屋を出ようとする。
「リボーンさん…」
「なんだ?」
「その…」
口に出そうとして、口篭る。
まるで子供の我侭を言うような気分で…いや、実際その通りの事柄で…抵抗がある。
「…寝て。起きたらオレがいなくなってそうで怖いってか?」
「……………そうです」
少し恥ずかしかったが、この人の前では隠し事は出来ないし…事実その通りだったので肯定する。恥ずかしい。
「…分かった」
「え?」
見上げると、リボーンさんは笑っていて。
「お前が寝るまでここにいてやる。そしてお前が起きるときもここにいてやるよ」
「え…でもそんな、」
「嫌か?」
「滅相もない!!」
ほぼ即答で応えると、くつくつと笑われる。
「…リボーンさん…何だか優しいです」
「そうかもな。気持ち悪いか?」
「いいえ…その、………嬉しい、です」
あたたかい気持ちでそう呟けば…タイミングを見計らったかのように睡魔が襲ってきて。
そのままオレは眠りに付いた。
あたたかい、あの人を感じながら。
眠ってしまった獄寺を見つめながら、リボーンはため息を一つ。
更にこれからのことを思い、ため息をもう一つ。
「こいつは分かってねーだろうが…ツナには完全にばれてたな…」
先程のツナの狼藉を思い出し、また殺意が湧いてくる。
「とりあえず殺ってくるか」
かなり物騒なことをかなり本気で言いながら、リボーンは部屋をあとにしようとして…一度獄寺に振り向いた。
少しだけ、心音の高くなるリボーン。
………言えない。
この姿に戻る前。犬の姿だった頃。
だいすきです、リボーンさん…
最後に放たれた言葉。
あの言葉が自分に向けられていないのだと、知ってはいるけど。
それでも…そのとき。
数多くの愛人を持つ、最強の称号を持つヒットマンリボーンは。
獄寺隼人に…初めての恋を。してしまった。
思えば告白されることはあっても、自分からした覚えはない。
…いつか、そんな日も訪れるのだろうか。
けれどそんな未来の話よりも…ひとまずは目前の約束が果たせるよう、早めに獄寺のもとへと戻れるように。
リボーンは平静を取り戻す為の意も兼ねて、とりあえず先程逃げたツナを撃つ為に足を進めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
取り乱すなんて柄じゃないのにな。なんだこの感情。
ヒビキミトリ様へ捧げさせて頂きます。