それは…ある、寒い冬の日だった。


帰路へと着いてた夜の道。その途中で―――オレは、薄汚れた一人の人間を見つけた。


それは一人の少女だった。身に纏っている服装は所々破けており、血を流していた。


その少女は倒れていた。けれどその目は真っ直ぐにオレを見ており―――そして救いを求めるかのように拙い動きで手を前に…オレに伸ばして、


「助けて…ください……」


そう、呟いた。


そしてその手は冷たく硬い地面へと落ちる。微かに上がっていた頭も。どうやら気を失ってしまったようで、起きる気配はない。


オレはため息を吐いて、少女を抱きかかえた。


小さな少女の身体は予想以上に軽く、そして氷のように冷えていた。


それが、オレがこの少女―――ハヤトとの、初めての出会いだった。










少女はオレの知り合いの医者に診せた。結果は衰弱しているが命に別状はないとのこと。怪我も大したことはなかった。


暖かいところで安静にさせて、起きたらスープでも飲ませてやればそれでいいと言われ、その通りにした。空き室の暖炉に火を焚いて、寝具に寝かせる。


暫くして、少女は起きた。自分がどのような状況下にいるのか分からないらしく、寝たままで顔を動かして辺りを見ていた。そしてその目が、オレを捕らえた。


「起きたか?」


「あなたは……」


言って、少女は身を起こそうとした。…が、まだ体力が回復し切れてないのか途中で腕が折れ、再びシーツに沈んだ。


「…まだ寝ていろ」


「はい…」


小さくそう呟いて、少女はまた眠りについた。次に起きたのは、翌日だった。


身を起こせるぐらいには回復したらしい。彼女にスープを渡した。


次いで、彼女は自分の有様にようやっと気付いた。ボロボロの衣服。オレは少女にシャツとズボンを渡した。オレの昔の服だ。オレが女物の衣類など持ってるわけがないからな。


彼女はそのことに感激でもしたのか、何度も何度もオレに礼を言った。それはオレが「もういい」と言うまで続いた。


「…ありがとうございます、親切な方」


「だから…もういいって」


「でも、それではハヤトの気が済みません!! でも、何故こんなにハヤトに親切にしてくださるのですか? ハヤトはお金など持ってはいませんよ?」


「なに言ってるんだ」


「え?」


「お前が昨日、オレに「助けて」って言ったんじゃないか」


「え…えぇ!?」


「覚えてないのか?」


「それは、覚えてます…けど、でもたったそれだけで!?」


「悪いか?」


「………」


少女は暫く呆然とした表情を作った。そして、深く深く頭を下げた。


「あの、ハヤトに出来ること…なんでも言ってください!! なんでもします!!」


「なんでもって…そうだな、じゃあ事情でも聞かせてもらおうか。どうしてあそこで倒れていたんだ?」


「はい、それは……………」


少女の動きがそこで止まった。


「……………」


…なんだ?


少女は暫く頭を捻ったり額に手をやったりして唸り考え込んでいた。


そして、


「…分かりません…」


と、力なく答えた。


「…分からない?」


「はい、分かりません…思い出せません……」


「思い出せないって…」


「昨日、あなたにお会いしたことは覚えています。倒れるハヤトの前にあなたが来て…ハヤトは手を伸ばして」


「何も覚えてないのに、オレに助けを求めたのか?」


「―――怖かったんです」


「怖かった?」


「はい。覚えているのは、それだけです。とても怖いところから…ハヤトは逃げてきました。覚えているのは、たったそれだけなんです…自分の名前すらも、覚えていません」


「………とりあえず、名前はハヤトだろう」


「えええ!? そうなんですか!? なんで分かるんですか!?」


「お前がさっきからそう言ってる」


「え…えええ!? あ! 本当です!! すごいです!! あっという間にハヤトの名前が分かっちゃいました!!」


あとお前が馬鹿だということも分かったな。


オレは一つため息を吐いた。


「で、どうするんだ?」


「え?」


「お前はこれからどうするんだ?」


「え…ええと、その…とりあえずここを出ます」


「そうか」


「はい。…これ以上あなたのお世話になるわけにはいきませんから」


少し寂しそうにハヤトが言った。


「えー勿体無い。そのままここに住んじゃえばいいのに」


と、声が聞こえた。入口の方から。


オレとハヤトが同時にそちらを見遣る。


そこにはオレの知り合いが立っていた。ニヤニヤとした表情を貼り付けて。


「あの堅物のリボーンがこんな女の子に興味があったとは…いや意外や意外」


「そういうのじゃない」


「あ、あの…?」


ハヤトが身を固くしてオレに問い掛ける。オレが答えるよりも先にあいつが自分で答えた。


「ああ、そんな警戒しなくても大丈夫。オレはリボーンの親友で沢田綱吉っていうの。よろしく」


「誰が親友だ誰が」


ハヤトを見れば、まだ少し怯えていた。ツナの自己紹介ではハヤトの不安を拭いきれなかったらしい。


「…まぁ、変な奴だが悪い奴じゃない。そう身構えなくても大丈夫だ」


「………はい」


「…人のよさそうなオレが滅茶苦茶怖い顔してるリボーンに負けるだなんて!! オレはショックだよ!!」


やかましい。


「それはそうと、なにリボーン。せっかくその子助けたのに追い出すわけ?」


「こいつが自分で出て行くと言ってるんだ」


「記憶がないんでしょ? ここらの治安ってよくないんだから、そんなか弱い女の子すぐに悪い大人に捕まるか野たれ死んじゃうよ?」


ツナの言葉にハヤトの肩が震える。


「…お前、一体どこから聞いてたんだ?」


「別に聞くつもりはなかったんだって。不可抗力って奴」


「………」


「そんな睨まないでよ。それより、今の話はその子の今後だよ」


「お前はこいつをずっとここに置いとけって言うのか? 流石のオレも、そこまでお人好しじゃないぞ」


ただ、と付け加える。


「ただ…まぁ、この屋敷をオレ一人で管理するのは手間だと思ってはいたところだ」


「お?」


「使用人の募集を掛けようかとも思っていた。だから―――」


オレはハヤトを見て、


「お前がここで住み込みで働くというのなら、置いてやらんでもない」


と言うと、ハヤトはぱぁあと顔を綻ばせ花も咲くような笑顔になり何度も何度も頭を下げた。


「し、死ぬ気で働きます!! ハヤトは死ぬ気でなんでもやっちゃいますから!!」


「いや、別にそこまではいい…」


「それに女の子が何でもとかぽんぽんと言っちゃダメだよーこの変態に一体何をされることやら!!」


「誰が変態だ誰が」


「まぁまぁ。ああ、それよりあれだよ。図らずとも聞き耳を立ててしまったお詫びにメイド服あげるから。あとでこの子に着せてあげるといい」


…言い忘れていたが、オレの住んでいるここはそこそこ大きな屋敷だ。で、目の前のこいつ…オレの悪友のツナもでけぇ屋敷に住んでいる。使用人もいるって訳だ。


「そうだな。そうしてくれ」


「服のほかその他もろもろ必要品日常品付けて届けさせるよ。リボーンはそういうところに気付かなさそうだし」


ツナはそう言うと「じゃあ早速荷物纏めに帰る」と告げて屋敷を後にした。あいつは一体何をしに来たんだ。


ツナの去ったドアから目線をハヤトに戻すと、ハヤトは泣きそうな顔になっていた。


「どうした?」


「あ、ああ…ごめんなさい…気が、抜けちゃって……」


「………」


オレはハヤトの頭を撫でた。


「…?」


ハヤトが不思議そうにオレを見上げる。


「…まぁ、なんだ。とりあえずここにはお前が怖がるようなものは何もないから、安心しろ」


ハヤトの目から涙が零れた。


「ひっく、ありがとう…ありがとう……ございます………はい、ハヤトは頑張ります!! ハヤトは立派なメイドになって見せますからね!!」


「ああ。期待している」


「はい!! お任せくださいご主人さま!!!」


「誰がご主人さまだ誰が!!!」


オレは思わずハヤトの額にチョップをぶちかましていた。


あとオレのことは名前呼びするように言った。


それがオレの、ハヤトにする最初の命令だった。










ハヤトが来てから、オレの生活は一転した。


まず、賑やかになった。


「リボーンさんリボーンさん、見てくださいお料理がとっても上手に出来たんです!!」


「リボーンさんリボーンさん、見てくださいお星さまがとっても綺麗です!!」


「リボーンさんリボーンさん、見てください今日はとってもいい天気です!!」


そんな日常の些細な…些細過ぎることをオレにいちいち報告してくるハヤト。


そんなハヤトにオレは毎回、「ああ、そうだな」と返すだけだったが、それでもハヤトは満足そうに微笑んでいた。


そういえば、ハヤトの使用人としての腕前だが…意外といってはハヤトに悪いかもしれないが、そこそこ優秀だった。


てっきり掃除も炊事も何も出来ないような奴だと思っていたのだが、なんでもそつなくこなしていた。


…ただし、人見知りがかなり激しく稀に来る来客の前ではオレの最初の予想通りの使用人になっていたが…あと買い出しに行かせたら100%迷う。





ハヤトと過ごす、最初の春。


ハヤトは春に咲く花に心奪われていた。


「リボーンさんリボーンさん、見てくださいお花がとっても綺麗なんです!!」


「ああ、そうだな」


ハヤトが心奪われている花は、この季節ならばそこらじゅうに咲く…誰もが知っているような何の変哲もない花だった。


ハヤトは、何も覚えてないと言っていた。


季節の花すら忘れてしまったのか…それとも、そんな花も見れないようなところにずっといたのかは分からなかった。





ハヤトと過ごす、最初の夏。


ハヤトは初めて見る海に心奪われていた。


「リボーンさんリボーンさん、見てくださいとっても大きくて青いんです!!」


「ああ、そうだな」


少し遠出をした帰り道。そこから見えた海にハヤトは歓喜の声をあげていた。


「あんなに大きくて綺麗なものがあるだなんて知りませんでした!!」


「そうか」


「はい!!!」


ハヤトはしきりにはしゃいでいた。その日はずっと機嫌がよかった。





ハヤトと過ごす、最初の秋。


ハヤトは虫の声に心奪われていた。


「リボーンさんリボーンさん、聞いてくださいとっても素敵な音がします!!」


「ああ、そうだな」


ハヤトは何が嬉しいのか、踊るようにくるくると舞っていた。その後足をもつれさせて転んだ。


「い、痛いです…」


「…何をやってるんだお前は…」


オレはため息を吐き、ハヤトに手を伸ばした。


「…ありがとうございます!!」


ハヤトは嬉しそうにオレの手を掴んで、身を起こした。


そのままハヤトと手を繋いで帰った。





ハヤトと過ごす、二度目の冬。


ハヤトと出会って、丁度一年。


…その日が来る、その前に。


ハヤトの身体に異変が生じた。


「……………」


「…ハヤト?」


「……………え?」


「…体調が悪いのか? なら、今日はもう休め」


「……………はい」


朝まではいつも通りだったのだが、オレが帰ってきてからハヤトの様子がおかしかった。


どこか、ぼんやりとしていて…反応が薄い。


「では…先に休ませていただきます」


「ああ」


「明日には…元気になっていますから」


「ああ」


オレはそう返して、ハヤトを見送った。


そして、それが最後だった。





翌朝…いくら待ってもハヤトは起きださなかった。


身体を揺すってみるも、何の反応もしない。呼吸はしている。体温もある。が…それだけだった。


これはオレの手ではどうにもならないと悟り…オレは初めてハヤトと会ったときにもハヤトを診てもらった医者のところへと連れて行った。


ハヤトの容態は軽いものであると…信じて。


そして、ハヤトを医者に診せた結果…


ハヤトは、病に掛かっているのだと告げられた。


そしてそれは、ここではない…もっと大きな病院でなければ治療することが出来ないとも告げられた。


医者はすぐに手続きをしてくれた。


だが…


医師はオレに告げた。


ハヤトは無事に助かる。


ただし。


…5割の確立で、ハヤトは記憶を失って帰ってくるだろう。と。


病魔が、ハヤトのどこを患わせているのか。それが問題だった。ここの施設ではそこまでは分からないらしい。


その箇所によっては、治療の副作用でハヤトは………これまでの記憶を失うのだと、告げられた。


オレは………それの同意書にサインをした。


…勘違いしないでほしいが、オレは決してハヤトの記憶がなくなってもいいとは思っていない。たった一年にすら満たない思い出だが、消えていいわけがない。


ただ同意書にサインせず、このままハヤトを連れて帰っても…意味などないのだ。オレの手ではどうにもならない。むしろここで手を打たなくてはもっと悪化する恐れすらある。


…オレは知っている。


ハヤトは強い奴だ。


だから信じている。


あいつが…ハヤトが、無事に帰ってくると。…あの屋敷で共に過ごした記憶を持ったまま、帰ってくると。


ハヤトはすぐに病院へと搬送された。その病院は遠く、とても見舞いにいけるようなところではなかった。…どっちにしろ、ハヤトは面会禁止だと言われたが。


オレは医者にハヤトを任せ、帰路に着いた。


冬の風が容赦なくオレに吹き付ける。


…今年は暖冬だと、誰かがそう言っていた。


嘘だな。


だってオレの身体は、あの日ハヤトを見つけた寒い冬の日よりももっと―――冷たくなっている。










それから、ハヤトのいない日々が始まった。


心にぽっかりと穴が開いたような感覚を味わい続けた。


ハヤトがいない。


それだけで…オレの生活は味気のないものになった。


…まぁ、事実ハヤトが来るまでそういう生活をしてはいたのだが。


ハヤトがいない。


ハヤトの声が聞こえない。


一人でする食事。それのなんと不味いことか。


オレの料理の腕の問題ではない。…ハヤトが、いるかいないかだ。


ハヤトの席にハヤトがいない。


…素直に、寂しいと思った。


ハヤトがいない。


ハヤトがどこにもいない。


ふと道端に咲く花を見つけた。


ハヤトが「綺麗」だと微笑んでいた花だ。


ハヤトがそう言うまで、オレはその花の存在にすら気付かなかった。


ふと夜空を見上げた。


ハヤトはよく夜空を見上げて星を見ては、やはり「綺麗」だと微笑んでいた。


ハヤトがそう言うまで、オレは空など見上げたこともなかった。


「…綺麗だな」


ふとそう呟くが、答える声は訪れない。


ハヤトがいない。


ハヤトが隣にいない。


そのことが…こんなにもショックだとは、思わなかった。


屋敷に帰り、そこでまずハヤトの姿を探してしまい苦い笑いをこぼす。


いるはずがないのに。


あいつは今病院なのに。


ついさっきまで、あいつの無事を祈っていたというのに。


屋敷に帰ると、駄目だ。思わず探してしまう。


「ハヤト…」


思わず呟く声に、答える声はもちろんない。










そして、それから暫くして…オレのところに知らせが来た。


ハヤトの治療が終わったから、引き取りに来てほしいと。


オレはハヤトを迎えに行った。


久々に見るハヤトに、オレはようやく安心を覚えた。


ハヤトは眠っていた。オレはハヤトを抱きかかえて帰る。


…ハヤトの記憶がどうなったのかは…聞く勇気がオレにはなかった。


結果が分からないままオレは屋敷に戻った。ハヤトを寝具に寝かせる。


ハヤトは暫くそのまま眠っていたが…やがて、その目を開かせる。ゆっくりと。


そしてその目が…オレを捕らえる。


「……………」


オレは拳を握り締め、ハヤトを見返す。


ハヤトの口が…開く。


「…リ………ボーン、さん……?」


ハヤトが小さく呟く。オレの名を。


「オレが…分かるのか? ハヤト」


「…? はい、リボーンさんです。ハヤトの命の恩人で、とっても親切で優しい方…実はチーズケーキとモンブランがだいすきで、照れ隠しに帽子を間深く被る癖があって、」


「そこまで言わないでいい」


ぺしん。オレはと軽くハヤトの額にチョップをして黙らせる。


そして内心…オレはほっと安堵の息を吐いていた。


覚えてる。


ハヤトが、オレのことを。


「…? リボーンさん、何か嬉しいことでもあったのです?」


「どうしてそう思うんだ?」


「…お顔にそう書いてあります」


そうか。そうかもな。


「ああ、飛び切り嬉しいことがあった」


「…それは、よかったですね」


「ああ。よかった」


本当に。


オレはハヤトの頭を撫でた。


「? …リボーンさん?」


「なんだ?」


「い、いえ…?」


ハヤトは自分の身に起こったことすら分かってないのか、釈然としない顔で…けれどされるがままだった。ハヤトは撫でられるのが好きだからな。


「…えへへ、リボーンさんがとってもお優しいんです」


「これからはもっと優しくしてやるさ」


「え?」


「使用人の体調管理も雇い主の仕事だからな」


「え…ええ?」


「なんだ、お前本当に何も覚えてないのか? お前は病気に掛かってて、ずっと目が覚めなかったんだぞ?」


「え…そうなのですか!?」


「ああ」


慌てて飛び起きようとするハヤトを制して、また寝かせる。


「あわわわわわ…き、今日は一体何日ですか!? どれほどのお時間が!? は…ハヤトは、ハヤトは!! きゅーきゅーきゅー!!」


ハヤトは余程ショックなのか取り乱していた。変な奇声上げたし。


「悪かったな。オレはお前の異変に全然気付かなかった。…雇い主失格だな」


「そ、そんなことありません!! ハヤトだって全然気付きませんでしたから!!」


マジか…


「まぁ、お前には負担を掛けっぱなしだったかもな。もう一人ぐらい誰か雇えばお前の負担も減るか?」


「えーーー!? だだだだダメですよそんなの!!!」


ハヤトのための立案だったのだが、他でもないハヤトに蹴られてしまった。


「…駄目か?」


「ダメです!! ハヤト、お仕事するの全然苦じゃないです!! とっても楽しいんです!!」


「そうは言うが…」


「それに…知らない人は怖いですし…」


…そういえばそうだった。


「…お前も、他人にいい加減慣れろ。そもそもお前の治療をしたのは"知らない人"だぞ」


「えーーー!!」


ハヤトがショックを受けた。


ハヤトが目に大粒の涙を浮かべた。


「ふぇ…ふぇええええ……」


ハヤトが泣き出した。


自分の身体を抱きしめて震える。


「………そんなに嫌だったか?」


「だって、だって……」


「…でも、今お前がこうしてオレと話せるのはそのおかげなんだ。大目に見てくれ」


「………」


ハヤトが涙目でオレを見上げる。…そんなに嫌だったのか…


「あー…じゃああれだ。お前の言うこと、オレがなんでも一つ聞いてやるからそれで許せ」


オレのその言葉に、ハヤトがぴくりと反応する。


「なんでも…? 本当ですか!?」


「あ? ああ…」


軽く言ってみたものの、ハヤトは一体なんて言ってくるつもりだ…?


「で、では…」


ハヤトが期待に満ちた目でオレを見ながら、


「は、ハヤトをぎゅーってしてください!!」


「……………。ぎゅう?」


「はい! ぎゅー!! です!!」


「………」


なんだ…ぎゅうって……


「だ、ダメですか…?」


「駄目というか…お前の言う意味がよく分からん。お前がオレにそのぎゅうとやらをしてみろ」


「きゅー!?」


「きゅーじゃなくてぎゅーだ」


「え、え、え…よろしいのですか!?」


そんな許可を取らないといけないようなことをさせるつもりなのか…


「…ああ。いいからやってみろ」


「きゅ…きゅ…では、失礼いたしまして…」


ハヤトがオレに近付く。


ハヤトがオレの首に腕を回し、身を寄せる。


そしてそのまま力を込めた。


「こ…これが! ぎゅー!! です!!」


ああ…なんだ、ぎゅーって、抱きしめるってことか。


「なんだ、そんなことでいいのか? 高級料理を食わせろと言ったら食わせてやるし、服や宝石が欲しいと言えば買ってやるぞ?」


「そ、そんなのハヤトはいりません!! それよりリボーンさんにぎゅーしてほしいです!!」


「だが…」


オレがそう言うと、ハヤトはまた涙を浮かばせた。そしてオレから離れる。


「どうした?」


「きゅ…やっぱり、リボーンさん…ハヤトをぎゅってするの、ダメですか……? 嫌…ですか?」


「いや、そういうわけじゃ、」


「分かって、ます…はい。リボーンさんの使用人であることだけでも恵まれた身なのに、更にぎゅーを要求するなんて…ハヤトはいけない子です。ハヤトは…とっても贅沢でわがままな子です…」


「いや、だから…」


「ごめんなさい…ごめんなさいリボーンさん…ハヤトのこと…嫌いになってしまわれましたか? こんなダメな子…要らないと思ってしまいましたか? ひっく、ごめんなさい、ごめんなさいリボーンさん…」


「…ああもう、」


オレは埒が明かないと悟り、ハヤトの腕を掴んだ。


「え?」


そしてそのままハヤトの身を寄せて…抱きしめる。


「これで満足か?」


「あ…」


ハヤトが少し身を強張らせる。


けれどそれも一瞬のことで、ハヤトはすぐに力を抜いてオレに身を任せてきた。


「…はい。ありがとう、ございます……リボーンさん」


ハヤトはとても幸せそうに、そう呟いた。


「…やっぱり使用人を新しく雇うかな…」


「きゅ!?」


オレの呟きに、ハヤトがすぐさま反応した。


「ですからそれはダメです!!」


「オレの話も聞けよ」


「…きゅ?」


「なぁ、ハヤト」


「はい」


「お前がいない日々は、オレにとってとても辛いものだった」


「う…ごめんなさい」


「別にお前を責めているわけじゃない。ただ…今後お前が、たとえば外の世界に興味を持ってここから出たがるかもしれない」


「そんなこと有り得ません!!」


「だといいんだけどな。けど、仮にそうなった場合…オレはお前を手放せないかもしれない」


「…?」


「お前を閉じ込めてでも、オレの傍に置きたいと思うかもしれないってことだ」


ああ、くそ。ツナがオレのこと変態だとか言っていたが、これじゃ否定出来んな。


「だから、出て行くなら今だ。今なら恐らく…オレは自分を押さえつけられると思う。ある程度の資金も持たせてやるし、何なら信用出来る人間を紹介してもいい」


「………」


ハヤトが真っ直ぐにオレを見ている…けど、すぐにまた笑顔に戻った。


「リボーンさんにそこまで思ってもらえるなんて、光栄です!!」


「馬鹿。これは冗談なんかじゃないんだぞ」


「だったらなおさら嬉しいです!!」


「………」


こいつ…正真正銘の馬鹿だな。


「しかしご安心くださいリボーンさん!!」


「ん?」


「ハヤトはお外はとっても怖いです!! ハヤトはリボーンさんのお傍がとっても安心出来ます!! リボーンさんがいてくださればお外も平気ですが、ひとりではとっても怖いです!! 知らない方も怖いです!! ですからハヤトはここから出たくありません!!」


「…オレがお前にぞっこんじゃなければ、ここから叩き出してやりたくなる台詞だな。それ」


「きゅ!? …って、ぞっこん!?」


…しまった。うっかり言ってしまった。


「あー…まぁ、お前を手放せないってのはつまりそういうことだ」


「きゅ…?」


「お前がいなくなって初めて気付いた。オレにとってお前は、なくてはならない…とても重要な奴なんだ」


ハヤトの顔が一呼吸置いて、赤くなった。


「ぞ、ぞっこんとか手放せないとかなくてはならないとか…そ、それはとても誤解を生みやすい表現ですリボーンさん!!」


「誤解じゃない。…こう言えば分かるか? ハヤト。好きだ」


ハヤトの顔が更に赤くなった。体温に至ってはかなり上がってる。


「す―――」


「まぁ、これはオレの個人的な感情で、なんだ…使用人と主の立場を使ってよからぬことをするつもりはないからそこだけは安心しろ」


「むしろしてください!!」


「なんでだよ!!!」


「き、きゅー!! ではなくてではなくて!! あの、あのあの、ハヤトも…ハヤトだって……!!」


「ん?」


「ハヤトも…ハヤトだってリボーンさんが…でも、リボーンさんはハヤトの命の恩人で、雇い主さんでそれだけで神様みたいな方なのに、なのに恋だなんてしちゃいけないって、好きになっちゃいけないって…思ってたの、に…っ」


「ハヤト…」


「冗談じゃ…ないですよね? 本当…ですよね? ああ、でも冗談でもいいです…ハヤトは冗談でもとても幸せに…身に余るほどの幸せを教授することが出来ました…ハヤトはとても幸せです…」


「…馬鹿。何勝手に自己完結してるんだ。つか誰がこんなこと冗談で言うか」


「え…じ、じゃあ…」


「オレは本当にお前が好きだ。…何度も言わせるな」


「リボーン、さ…」


ハヤトがまた泣いた。


あたたかな涙を流しながら、オレの胸の中で。


オレはハヤトを抱きしめ返した。


もう二度と手放せない、大事な人を抱きしめ返した。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もう手放さない。ずっとオレが守る。