それは、寒い寒い冬の朝。
太陽が顔を少しだけ見せ出した時間、仄かに雪が舞う中を一人の女が歩いてた。
早朝、仕事に行く途中……なんて。そんなどこにでもある、ありふれた風景。
けれどそんな風景も、
「………?」
あっという間に終わりを告げる。
彼女が目の端に捉えた、赤いもの。
点々と続くそれは、普段から誰も近付かない路地の裏へと向かってた。
その路地へ、彼女は何の躊躇もなく足を向ける。
世界が変わったかのように一気に暗くなる視界。それでも赤の道標ははっきりと見て取れた。
そして、やがて彼女は辿り着く。
赤の終着点。
どこに繋がるかも分からぬ道の途中、壁に背を付け、座り込むように、黒尽くめの少年が倒れていた。
その身体は血で汚れ、その肌は血の気がなく、その身体は触れてみると冷たく、気を失っている少年。
彼女は服が汚れるのも構わずに少年を抱きかかえると、来た道を戻った。
少年が目を覚ますと、そこは暖かなベッドの上。
視界に入るのは少し汚れた天井、肌に感じるのは柔らかい陽射し。
近くにはストーブが置かれ、辺りの冷たい空気をその場だけ和らげていた。
少年はぼんやりとした頭で、身体を起こす。その時痛みを感じ、怪我を負っていることを知った。
その部位を手で触れてみると、白い包帯が巻かれていることに気付く。なんとなく、そこをさする。
そこへ。
「目が覚めましたか?」
若い女の声が聞こえた。そちらへ目を向ける。
最初に目が向いたのは、銀の髪。続いて、翠の眼。
珍しい色だ。と思っている内に女はどんどん近付いてくる。
「大丈夫ですか?」
「……お前は…」
「ああ、失礼しました。オレは獄寺。このスラム街に住んでます」
「スラム…街……」
「ええ。路地裏で倒れているあなたを見つけて、オレの家まで運んで…怪我をしているようでしたので手当をさせて頂きました」
「………」
少年はぼんやりとしながら聞いている。獄寺は更に声を掛ける。
「あなたの名前を、教えて頂いてもよろしいですか?」
「…リボーン……」
「リボーンさん。ですね。…リボーンさんは何故あそこにいたんですか?」
「なぜ…?」
聞かれて、初めて少年は気付いた。
自分の中に、名前以外の何もないことに。
「…わからない」
「…わからない?」
「オレは…誰だ……?」
「…それって…記憶がない…って、ことですか?」
「………」
無言で自分の手のひらを見つめる少年に、獄寺は優しく声を掛ける。
「…起きたてで、頭の中が混乱しているだけかも知れません。大丈夫です。オレはあなたの味方です」
「………」
「お腹空いてないですか? スープを作ったんです。持ってきますね」
獄寺はそう言って、退室した。
一人になり、リボーンは考える。自分のことを。
けれど何も思い出せない。
リボーンはベッド近くにある机の上に置かれた帽子が、自分のものであることすら分からなかった。
「暫く、ここで身体を休めてください」
夕食を持ってきた獄寺は、何も思い出せず影を落とすリボーンにそう告げた。
「獄寺…しかし……」
「右も左も分からない子供を治安の悪い外に放り出すほど、オレは鬼ではないつもりです」
きっぱりとそう告げて、獄寺は優しい笑顔を見せる。
「オレからもリボーンさんのこと、調べてみます。…まあ、知り合いに聞く程度なので何も分からないかもしれませんが」
「だが…オレはお前に何も出来ないのに…お前の迷惑に……」
「今のリボーンさんにして頂きたいのは、早く怪我を治すこと、です。それにこのスラム街では困ったときはお互い様っていうルールがありますから。気にしないでください」
「だが……」
獄寺の言葉に戸惑いながらも、なおも遠慮がちなリボーンに獄寺は更に言葉を重ねる。
「それともオレが信用出来ませんか?」
「そんなことはない」
リボーンはきっぱりと答えた。
治安の悪いスラム街の一角。子供とはいえ怪我人を助ける余裕があるほど裕福とは思えない。
なのに獄寺はリボーンを助け、貴重であるはずの薬と食料、そして寝床を分け与えた。
記憶のない厄介者を。何の見返りも用意出来ない、何の関わりもないにも関わらず。
記憶がなくとも、知識として知っている。
こんな状態の子供、見捨てられて当然のはずなのに。
厄介事など、誰も引き受けたくないに決まっているのに。
「なら、いいじゃないですか。子供は大人を頼るものですよ?」
少し悪戯っ子っぽい笑顔を見せながら、獄寺は当たり前のようにそう言った。
「…いいのか?」
「そう言ってますよ。…少し前ならともかく、今は本当に治安が悪いんです。一人には出来ません」
「何かあったのか?」
「さて。何があったのか、どこからともかくごろつきが現れて居座ってるんです」
「そういう問題事をどうにかしてくれる奴とかいないのか?」
「…一応、この街をシマにしているファミリーがいるにはいるんですけど…ね」
獄寺は少し遠い目をする。
「…いるにはいるが…どうした?」
「やる気があるのかないのか、それとも間が悪いのか…どうにも対応がどこかズレていたり遅かったりするんですんですよね」
「そうなのか…」
「ええ。なので、このスラムでは住民同士で身を守るようにしてるんです。意外かも知れませんが、結構結束力あるんですよ? ですから、リボーンさん一人ここに置くぐらいなんてことありません」
「…分かった。……なら、すまないが…頼む」
「ええ、頼まれましょう」
くすくすと笑いながら、獄寺はパンをちぎってスープに浸した。
リボーンも同じようにして、食べた。
なお、その後二人はひとつしかないベッドを譲り合って盛大に揉めた。
片や怪我をしている子供のリボーン。片や家主であり女性である獄寺。
寒い冬の夜を、ソファですまさせることを二人はよしとしなかった。更にストーブもひとつしかなかった。
激しい言い合いになったあと、妥協案で同じベッドで眠ることとした。
獄寺はリボーンの怪我の回復が遅れると反対したが、結局は折れた。その夜は獄寺の予想以上に冷えたからだ。
小さなベッド、それでも小さな子供と華奢な女性はどうにか入り、二人は身を寄せながら眠った。
とても寒い冬の夜、けれどそのベッドの中はとてもあたたかかった。
三日後。
「リボーンさん、調子はどうですか?」
「身体の方はだいぶ楽になった。だが…記憶の方は……」
「そうですか…」
口を噤み、何かを考える獄寺。
「…すまない」
「いえ、そうじゃなくて……」
「ん…?」
「……………」
「獄寺…?」
リボーンが獄寺を見上げると、そこには少し思いつめた顔をした獄寺。
「リボーンさん…あなたは……」
獄寺はそこまで言って、言葉を途切らせる。
暫く沈黙を作ったのち、獄寺は力のない笑みを浮かべた。
「いえ…なんでもないんです」
「………?」
「すみません。本当に、なんでもないんです。気にしないでください。…ああ、そうだ。林檎を貰ってたんです。切りますね」
「ん? ああ…」
獄寺がナイフを取り出し、赤く熟れた林檎の皮を剥く。
獄寺の様子が少しおかしい。
一体どうしたのだろうか。
そういえば、獄寺は自分のことを調べてみると言っていた。
何か分かったのだろうか。
………。
リボーンがそんなことを考えていると、
「―――あいたっ」
そんな獄寺の声が聞こえた。
「ご、獄寺。大丈夫か?」
リボーンが慌てて顔を上げると、獄寺が指をくわえていた。
「あいたた。…すみません。ちょっと指切っちゃいました」
苦笑を浮かべながら獄寺は指先を見せる。
「…どうしたんだ? 普段の獄寺はそんなミスは……」
台詞の途中、獄寺の傷口が目に入り、リボーンの言葉が途切れた。
それはなんてことはない、小さな一筋の傷。
そこから赤い液体がつうっと流れた。
赤。
血。
命の雫。
赤い液体。
朱。
赫。
紅。
緋。
―――――赤。
リボーンの目が見開かれる。
「…リボーンさん? どうなさいましたか?」
獄寺の声に、リボーンはハッと正気に返った。
「…いや、なんでもない」
「…? そうですか」
「ああ」
それからふたりは林檎を食べ、眠った。
そんな日々が、数日続いた。
そんな、ある朝。
その日は唐突に訪れた。
「今日の帰りは夕方頃になると思います。昼食はシチューを作ってますので、それを」
「ああ…いつもすまない」
「いいえ」
獄寺は笑いながらそう言って、フードを目深に被り髪と目を隠す。獄寺は出掛けるときはいつもそうしている。
「面倒そうだな」
「え? …ああ、これですか。もう慣れっこなので、そう思ったことはありませんが」
聞く限り、ずっと昔…幼子の頃からそうしているらしい。なんでもその髪と目の色のせいでさらわれそうになった時があったとか。
「安全のためとはいえ、勿体無いな」
「え?」
「そんなに綺麗なのを隠すなんて」
素直に、さらりと紡いだその言葉。
それを聞いた獄寺は一瞬止まり…そして笑みを作った。
「まあ、リボーンさん。…オレを口説いてるつもりですか?」
「いや、そういうわけでは」
「でもごめんなさい。オレ、今のところあなたをそういう目で見ることは…」
「オレの話を聞け、獄寺」
告白してもいないのに振られるリボーンであった。
「でも」
「ん?」
「嬉しかったですよ。ありがとうございます」
小さな声でそう言って、獄寺はいってきますと部屋を出た。その後、玄関から出て行く音。
「……なんだ? あいつ、褒め慣れてないのか? …ん?」
ふと、リボーンが机の上を見ると獄寺の鞄が目に入った。出掛けるとき、いつも手にしているものだ。
「忘れていったのか…」
リボーンは呟き、身を起こす。
傷は未だ完治しておらず、身体が痛むがまったく動けぬというわけではない。
リボーンは覚束無く立ち上がり、鞄を手に取る。
獄寺は出掛けたばかりだ。今から追いかければ届けれるだろう。
リボーンはそう考え、家を出た。
リボーンは、記憶喪失故に忘れていた。
自分が、誰かに襲われた存在であることを。
辺りを見渡しても、獄寺の姿はどこにも見当たらない。
…意外なことに、褒められたことに照れて走っていってしまったようだ。
しかしそれで諦めるリボーンではなく、獄寺がどこに向かったかを適当に勘で決めると迷うことなくそちらへと走った。
リボーンも中々に凄い行動力だった。
けれどその先にいたのは獄寺ではなく。
今までの平和な日常を壊す、裏の世界の人間。
「おい、獄寺」
「…?」
リボーンが獄寺と思い、声を掛けた相手は別人だった。お互いに驚く。
「ああ、すまない人違いだ」
あっさりと謝り追い抜くリボーンに、声が掛けられる。
「り、リボーン!?」
「ん?」
名前を呼ばれ、リボーンが振り向く。相手――どうやら女のようだ――は狼狽していた。
「な、な、な…!!」
「…オレを知っているのか?」
「なに冗談言ってるんだよ!」
「すまないが、今のオレには記憶がないんでな」
「は…!?」
「お前はオレの知り合いか何かか?」
「………」
ローブに身を包む女は顔に手を当て重いため息を吐く。
「リボーンが死ぬとは思ってなかったけど…まさか、こんなことになってるなんて…情報屋に会う手間が省けたのはいいけど、こんなの……」
女はブツブツと呟き、またため息を吐くとリボーンの手首を掴む。
「ん?」
「帰るよ」
「帰る?」
「そう。仕事が馬鹿みたいに溜まってるんだから。…ああ、記憶がないんだっけ? まあアジトに戻ったら誰かがどうにかしてくれるでしょ…」
勝手に話を進める相手に、リボーンは待ったの声を掛ける。手には獄寺の鞄。
「待て。オレにはやることがある」
「やること…?」
「ああ。ごく…オレが世話になってる奴に忘れ物を届けなきゃならん。それにオレに帰る場所があるなら、あいつに挨拶をしたい」
当然とばかりにそう言うリボーンに、女は固まる。手首を掴む手が強ばる。
「リボーンがこんな…こんな、まるで人間みたいになってるなんて……」
「はあ?」
呟かれる言葉の意味が分からない。人間みたいもなにも、人間なのだが。
「いいかい? キミはね…」
女が手を離し、リボーンと向き合う。何かを告げようとして、そしてそこに乱入者が現れる。
それは…
「……リボーンさん?」
リボーンが追い掛けていた相手、獄寺。
「獄寺。鞄を忘れていたぞ」
「ええ。ですから取りに戻ったんですけど…ああ、届けに来てくださったんですね」
「ああ」
「すみません。でもリボーンさんは怪我人なんですから、外に出てはいけませんよ。傷は開いていませんか?」
屈み、リボーンの傷の具合を見る獄寺。
その様子を、リボーンの知り合いという女が見ている。憎しみの目を持って。
「…お前か」
「ん?」
「お前が僕のリボーンを人間にしたのか」
「…リボーンさん、この方は……」
「オレの知り合いらしいんだが…」
「………」
獄寺の目に警戒の色が宿る。
けれどそれに何の意味もなく。
赤が、舞った。
血が踊る。
血が滲む。
血が飛び散る。
血が吹き出す。
血が流れる。
どくどくと。
だらだらと。
血が。
血が。
血が。
血が。
血が。
獄寺の身体が、赤く染まる。
「死ね」
女が冷たい目で獄寺に告げる。
獄寺の身体の力が抜け、目から光が消える。
そしてその頃には。
リボーンは相手の背後を取り、その首を爪で貫くように突いていた。
「―――――っ!?」
女の首筋から物凄い勢いで血飛沫が舞う。
リボーンの視界には、その映えるような赤以外はモノクロに映っていた。
風もなく。音もなく。思考はただただ、相手を殺すことだけに向けられている。
そしてそんな中、リボーンは確かに女の首を抉り切ったはずなのになんの手応えも感じ取れずにいた。
女の姿がまるで霧のように薄れて消える。地面に濡れた血も、リボーンが浴びた返り血も。
『―――ああよかった。リボーン、記憶はなくても身体は覚えているんだね』
どこからともなく、今消えた女の声。
『待ってて。すぐに迎えに行くよ』
その声を最後に、女の気配が消えた。
同時に風が吹き、音が戻り、世界に色が付く。
自分を取り戻したリボーンの視界に映ったのは、
その身を赤く染めた、獄寺の姿。
「―――獄寺!!」
リボーンは獄寺へと駆け寄る。獄寺はうっすらと目を開いて、リボーンを見る。
「リボーンさん…」
獄寺は何かを言いかけ…そのまま目を閉じ、意識を失った。
リボーンは獄寺を抱きかかえ、来た道を引き返す。
リボーンは獄寺の家へと急いだ。
獄寺が意識を取り戻したのは、リボーンの手当が終わって少ししてからだった。
「…ん……」
「獄寺…? 獄寺!!」
必死な声が聞こえてそちらを見れば、今にも泣き出しそうな顔をしたリボーンがいた。
「リボーンさん……オレは…」
言いながら、獄寺は身を起こそうとして…身体に生じた痛みに顔をしかめた。
「起きるな、獄寺」
「ええと…オレ……」
「…すまない」
「リボーンさん?」
「オレのせいだ…オレのせいで、お前は……」
「……リボーンさん。そう、自分を責めないでください。オレも油断してました」
言って、獄寺は身を起こす。生じる痛みは無視した。
「獄寺、だから起きては…」
「いえ。事情はよく分かりませんが、あいつはまたリボーンさんの前に現れるでしょう。一箇所に留まっておくのは危険です」
「なら、オレだけ出ていく。お前は怪我をしてるんだし、ここに…」
「怪我をしているのはリボーンさんもですよ。ここに戻る途中、傷は開きませんでしたか?」
「…大丈夫だ。オレのはもう治りかけだし、それに……お前の怪我はオレの…」
「リボーンさん」
リボーンの台詞を獄寺は遮る。
獄寺は笑っている。そこに陰りは見えず、リボーンがこの家で初めて起きたときと同じ笑みだった。
「…オレは、右も左も分からない子供を治安の悪い外に放り出すほど、鬼ではないつもりですよ」
口にする言葉まであの日と同じ。
しかしベッドに座っているのは獄寺で、獄寺を見守るのはリボーンと、あの日とは立ち位置が逆だった。
「…何故だ」
「え?」
「何故、お前は見ず知らずのオレにここまでする。もしかしたらお前は死んでいたのかも知れないんだぞ!!」
心配のあまりに怒り、怒鳴るリボーンに獄寺はきょとんとした顔を向けた。
「何故…ですか。そうですねえ……」
獄寺は暫し考え、言う。
「まず、オレはリボーンさんを見つけた時から、関わったらある程度の危険が身に纏うことは分かっていました」
「何…?」
「泥棒を招き入れたら盗まれ、詐欺師を招き入れたら騙されましょう。同じように、裏稼業の人間を家に招き入れたら……まあ、この程度の怪我ぐらいはするでしょうね」
「獄寺…?」
「すみません。オレ、あなたの正体が何なのか大体分かってました。…でも、言いませんでした。その結果がこれなら…まあ、因果応報でしょうか」
「…オレの…正体……?」
「ええ。それは後で話しましょう。オレがあなたを放っておけない理由は…二つあります。一つは……母を思い出しまして」
「母?」
「ええ。オレの母親は、あなたを見つけたあの路地裏で…死にました」
「………」
「とあるマフィアに見初められて共になったはいいですが……色んな敵に狙われ、このスラム街まで逃げ込み…しかし逃げられず、父と同じマフィアに殺されました」
獄寺は顔を伏せる。
「オレは母の知人に預けられ、母は…一人逃げ、そして…誰の目にも止まらないようなあの場所で息を引き取りました」
血の跡から察するに、深手を負ってからあの場所に向かったようだと、獄寺は言った。
まるで誰の迷惑にもならぬようにと、自ら助けを放棄したかのようにと。
「そんな理由がありまして、いつもあの路地は気に掛けてるんです。そしたら血の跡を見つけて、追ったら血塗れのあなたがいて…」
「そうだったのか…」
リボーンは理解する。
自分は、助けられなかった獄寺の母の代わりに助けられたのだと。
けれどその解釈は、
「まあ、それは何故オレがリボーンさんを見つけられたかであって、リボーンさんを助けた理由は別にあるんですが」
顔を上げた獄寺にあっさりと否定される。
「…そうなのか?」
「ええ。リボーンさんを助けた理由なんて、至ってシンプルなものです」
獄寺はリボーンを見て、笑う。
「目の前で子供が傷を負って倒れてたんです。助ける理由なんて、それだけで十分でしょう?」
「…それだけ? たったそれだけの理由で、お前はオレに薬と食料を与え、傷を負ったのか?」
「まあ、そうですね」
リボーンはため息を吐く。
「助けてもらった手前、今まで黙っておいたが…馬鹿だな。お前」
「あっはっは。耳が痛いです」
本当に呆れたような顔をして言うリボーンに対し、獄寺は朗らかに笑ってみせる。そしてその笑みを抑え、
「…少し話しすぎましたね。続きは場所を変えてからしましょう」
「…本当に、まだオレと関わるつもりなのか?」
「ええ。…そう心配しないでください。スラム街の女ってのはタフなんです。この程度の怪我じゃへこたれません」
言いながら獄寺は立ち上がり、新しくローブを纏う。フードを被る。
「早めに移動しましょう。あいつがいつここを嗅ぎつけるとも分かりません」
「ああ…そういえば、あいつ情報屋がどうこうって言ってた気がするな。そいつからここがバレる可能性もあるのか」
リボーンが呟いた一言に、獄寺の動きがぴたりと止まる。
「……………情報屋?」
「ん? ああ。確かにそう聞こえた。この街にはそういう奴がいるのか?」
「……ええ、まあ…」
獄寺の歯切りが悪い。心当たりでもあるのだろうか。
「どうした? 知ってる奴か?」
「…知って……ますね。一応」
「…? そいつはこの場所を知っているのか?」
「知ってますねえ」
「そいつは聞かれたら、ここを教えるか?」
「教えないでしょうねえ」
「なら、何を心配してるんだ? そいつが痛めつけられることか?」
「いえ、その辺も全然……その話も後で。今はここを出ましょうか」
「? ああ…」
「…ああ、そうそう。リボーンさん。そこの机の上の帽子、実はリボーンさんのですよ」
「ん? 何だそうなのか」
「ええ。…それで…その帽子の下に……」
「帽子の下?」
リボーンが帽子の置いてある机に向かう。
その様子を獄寺が目で追いかけ……
その時扉が荒々しく開かれる音がした。
二人が振り向くと同時、数人の男が部屋に入り込み。
二人に銃器を突きつける。
獄寺は瞬時にリボーンの前に立ち。
それに反応するように、男たちの指先に力が入り。
リボーンの手が帽子に触れ。
そして―――――
リボーンが気が付いたとき、その場に動くものは存在しなかった。
ただただ、赤い世界が広がっていた。
目の前には、先ほど銃器と殺気を向けてきた男たちの死体。
リボーンの手には、帽子の下に置かれていた一つの拳銃。
リボーンの足元には、気を失い倒れている獄寺。
「………」
リボーンは獄寺を見遣り…
「記憶は戻ったかい?」
響いた声に、動きを止めた。
その声は、あの時のフードを纏った女のもの。
いつの間にかあの女が現れていた。音もなく、動きもなく。
それに対してリボーンは驚きの感情…どころか、何の反応も見せず。
「ああ」
と、頷いただけだった。
「こいつらはお前の計らいか?」
「まあね。文句ある? 元はといえばリボーンが取り逃がしたのが原因だと思うんだけど」
「………」
リボーンは何も言わず、部屋から出ようとする。
その後ろから、女の声が投げられる。
「彼女、生きてるみたいだけど。殺さないの?」
「そいつは一般人だ。わざわざ殺す必要はない」
「キミの顔、覚えられたと思うけど」
「それがどうした。その程度で何の不都合が?」
「………まあ、そうだね。うん、その通りだ」
女が微笑み、リボーンの隣に立つ。
「死体。処理しておけよ。オレは仕事の続きに戻る」
リボーンは女に冷たく言い放ち、歩き去る。
女はやれやれと肩を竦め、死体を見遣る。すると死体はたちまち霧のように消え去った。
女はリボーンの後を追う。
「まったく、聞いてよリボーン。本当はもっと早く迎えに来れるはずだったんだけどさ、情報屋がいつまで経っても来なくって―――」
女の声が遠くなる。
後に残ったのは、気を失った獄寺と。
床に落ちた、黒い帽子。
その翌日。
一日掛けて検査と治療を終え、リボーンは今主たるボンゴレ10代目の前に立っていた。
「具合はどう? リボーン」
「問題ない」
「そう…仕事の方は?」
「全員殺した」
淡々と告げるリボーンに、10代目たる沢田綱吉は疑問を覚えない。
それほどまでにリボーンはいつも通りで。それをマーモンは後ろから満足気に見ていた。
マーモンはリボーンが好きだった。特にその人間離れした強さと戦闘センスに惹かれていた。
最も、リボーンはマーモンの気持ちには気付いてないし、マーモンも思いを告げるつもりはなかったので二人の関係はあくまで同僚だったが。
「リボーン、マーモンにお礼言っときなよ。リボーンが行方知れずって聞いて、捜索に志願して一生懸命探してくれたんだから」
「そうなのか?」
「別に。たまたま暇だったし、しょうがないから探してあげただけだよ」
そっぽを向き、何でもないという風に言うマーモン。
「リボーンがいないと僕がリボーンの仕事しなくちゃいけなくなるし? どうしても礼がしたいなら、働きで返してくれればいいよ」
「そうか。分かった」
マーモンの言葉を正面から受け止め頷くリボーンに、事情を分かっているツナは何とも言えぬ気持ちになる。
「…復帰はいつから出来そう?」
「今からでも」
「怪我してるんでしょ」
「かすり傷だ」
「ああ…そういえば医療班から聞いたよ。適切な処置が施されてたって。リボーンがお世話になった人のおかげだね」
「………」
「オレからも是非お礼を言っときたいんだけど、ええと、その人の名前は…」
「ツナ、その話は…」
獄寺の話を思い出させるかとばかりにマーモンが声を出す。
だが、その話を打ち切ったのは他ならぬリボーンだった。
「あいつは、マフィアは嫌いだそうだ」
「それは残念」
その言葉を最後に、この話題は終わり。
これ以降この話題は出ることはなく、次からは仕事の話が続く……はずだった。
はずだったのだが。
「沢田」
リボーンの同僚であるラルが扉を開き、主の名を呼び。
「獄寺と名乗る女が来てるんだが、どうする?」
「突然の訪問であるにも関わらずお会いして下さり光栄です。ボンゴレファミリー10代目沢田綱吉さん。あいにく教養がないもので、無作法があってもどうかご容赦願います」
「いえいえ。うちのリボーンが世話になった方を無下に追い出すようなことは出来ません。オレからも是非お礼を言いたかったですし」
実際には、リボーンは何も言っていない。
だが、獄寺の名が出てぴくりと動いたリボーンの反応を見て、ツナは大体を察した。そして、獄寺をここまで通した。
リボーンは黙って獄寺を見ている。
マーモンも黙っているが…その目は険しい。
獄寺はその目にも怯むことなく、逆に見据えてみせる。
「その節はどうも」
「一体何の用? リボーンを助けたことをネタに金でもせびりに来た? こっちは頼んでもないのを勝手に助けたくせに、これだから卑しいスラムの女は」
「おい、マーモン」
流石にリボーンが窘める。しかしそれはマーモンの機嫌を更に歪ませるだけだった。
「部下の躾が出来てなくて申し訳ない。あとできつく言っておくのでご容赦を。…それで獄寺さん。話の前にひとつ聞きたいことが」
「なんでしょう」
ツナの目が鋭くなる。
「どうしてこの場所が? ここを知る人間は限られているのですが…まさかリボーンが?」
「そうだよ怪しい奴。それに、人と話をする時は顔を出すものだよ。なのにフードなんて被って顔を隠して。真面目に話する気あるの?」
お前だけはそれを言うな。
今、三人の心がひとつになった。
しかし獄寺はそんな心の声を欠片も表に出さず、
「…そうですね。すみません、自宅以外はいつもこうしているもので」
そう言いながら、獄寺はフードに手を掛けた。
現れたのは、リボーンには見慣れた獄寺の顔。
しかしツナとマーモンは同時に息を呑んでいた。
「これでよろしいでしょうか。それで…ええと、どうしてここがボンゴレファミリーのアジトだと分かったか、でしたっけ。それは…」
「いや、もういい。もう分かったよ。そうか…キミが自らリボーンを匿っていたのなら、ここまでリボーンの発見に遅れたのにも納得がいく」
どうやら獄寺を知っているらしいツナに、リボーンは疑問を覚える。獄寺はそんなに有名な奴なのだろうか。
「おい、マーモン。獄寺って何なんだ?」
「…あのスラム街にいる銀髪碧眼の女といえば、街全てのことを知っているという情報屋のことを指すんだよ。僕もあの日会う約束をしてたんだけど、まさか彼女だったなんて…」
情報屋。その言葉を聞いた獄寺は顔をしかめていたのをリボーンは思い出した。
色々複雑な思いを抱いていたようだが…なるほど、こういう理由だったのか。
「別に、オレはあの街全てのことを知ってはいませんし…そもそも、オレは自分を情報屋なんて思っちゃいませんよ」
「盗み聞きしないでよ」
「すまないな。オレは耳がいいんだ」
「情報屋じゃないなら、どうしてこの場所を特定出来たんですか?」
「なんてことはありません。ただ、人に聞いただけですよ」
「…人に……聞いた?」
「ええ」
あっさりと答える獄寺。
「知りたいことがある時、ちょっとだけ愛想よくして周りに聞くんです。あとは…日頃の行いがよければ、向こうから来てくれます」
人の口に戸は立てられぬ。たとえボンゴレの人間がガードを固めていても、その家族、恋人、親友。心許せる相手は誰にでもいる。
話は聞けずとも、たとえばどこかで見かけたり。噂話を聞いたり。店からは商品の納付先だって知れる。
そういった情報を集め、纏め。答えを導き出すのが獄寺だった。
「なるほどね…」
「でもこれにも限界がありまして。誰も知らない情報は当然掴めないんですよね。ですからリボーンさんがボンゴレの人間だとは分かりませんでした」
拳銃を持っていたことから、リボーンが堅気でないことは分かっていた。
情報を集めた結果、リボーンが現れてから街のごろつきが少しずつ消えていったことも分かった。
リボーンを目撃した数少ない人間の証言によると、現れる時間はいつも夜。目付きは鋭く立ち振る舞いに隙はなく。すぐに闇夜に溶けて消えたらしい。
誰も見たことのない少年の暗殺者。
どこの人間か分からず、リボーンを匿いながらも獄寺は四苦八苦していたらしい。
「ま、当然だね。リボーンはボンゴレの特殊部隊アルコバレーノの一人なんだから」
「アルコバレーノ…噂程度なら聞いたことがありますね。極秘、秘密裏に依頼された任務を遂行する幻の部隊。どんな無茶な仕事であれ任せたなら達成率100%のボンゴレの切り札」
「…なんでそこまで一般人にバレてるの……」
ツナは頭を抱えた。
「ご安心ください。情報はみんな小出しにしか知りませんし、そもそもアルコバレーノなんて夢物語や御伽噺の類だと思ってますから。…オレも、まさか本当にあるとは今まで思ってませんでした」
さて。と獄寺は一息吐き、リボーンに向き合う。鞄の中に手をやり、目当ての物を取り出し、リボーンに捧げる。
それは……
「忘れ物ですよ。リボーンさん」
「…わざわざ届けてきてくれたのか」
獄寺の手にあるもの。
それは、結局リボーンが被ることのなかった、あの帽子。
少し戸惑いながらも、リボーンは帽子を受け取る。獄寺は微笑みながら渡す。
「…何故だ?」
「え?」
「お前は…オレたちが、マフィアが憎いんだろう? なのに、何故…わざわざ、ここまで……」
「確かに母を殺した奴はマフィアですし、そいつは許せませんが…別にオレは、全てのマフィアを憎んでいるわけじゃありませんよ」
「………」
「リボーンさんのことは、普通に好きですしね」
「獄寺…」
その獄寺の言葉に、リボーンは少し救われた顔をする。
その光景を、マーモンは怒りの表情で見ている。
せっかくいつもの、まるで機械のようなリボーンに戻ったというのに。またリボーンが人間のような顔をしているのが気に食わないのだ。
「用件はそれだけかい? だったら…」
短く、冷たく言い放つマーモン。その身に殺気を纏わせる。
マーモンは獄寺を生かして帰すつもりはない。私怨もあるが、獄寺はボンゴレの情報を知りすぎている。アジトの場所、アルコバレーノの存在。他にも何を知られているか。
リボーンの恩人だといっても知るものか。咎めならあえて受けよう。だから殺す。
マーモンがそんな決意を固め、幻術を使おうとローブの中で構えを取る。
今まさに殺されんとしている獄寺は、そんなことも知らず飄々と答える。
「用件…か。ああ、これで終わり…のはずだった。だけど、話をしているうちにもうひとつ出来た」
「もうひとつ?」
「その前に確認ですがリボーンさん…あなたはアルコバレーノで、裏の仕事をしている。…そうなんですね?」
「そうだ」
「……どうして、アルコバレーノに入隊したんですか?」
「…明確な理由はないな。気が付いたらアルコバレーノにいて仕事をしていた。そんなところだ」
「………そうですか」
獄寺はツナと向き合う。目を向ける。鋭い目付き。まるでナイフのよう。
「ふざけるな!!!」
獄寺の怒号が響いた。
突然の大声に周りが呆気にとられる。獄寺は構わず続ける。
「こんな子供に死ぬかも知れない仕事を押し付けやがって!! 恥を知れ!!」
「ご…獄寺」
「なんですか!?」
獄寺の剣幕に驚きながら、リボーンは一応のフォローをする。
「別にオレは、現状に不満は…」
「なら満足してるんですか!? 今の仕事が楽しくて楽しくてしょうがなくて、人を殺すのが生き甲斐なんですか!?」
獄寺に聞き返され、リボーンは少し考える。そして気付いた。
「……いや、それはないな」
「でしょう!?」
元よりリボーンは感情の起伏が希薄だ。
殺しだろうが拷問だろうが、淡々とこなし、終わらせる。
そこに嫌悪の感情はないが…その逆もまたない。生き甲斐などと感じたこともない。
「それなのに…周りの人間がそれを止めず、それどころか押し付けるなんて! これが大人のやることか!!」
獄寺に睨め付けられ、怒鳴られ、しかもその内容が正論であるため言い返せず、ツナはその身を縮こまらせる。
「す、すみません!!」
これがボンゴレ10代目の姿でいいのか。という光景ではあるが、これはツナが情けないのではなくそれほどまでに獄寺の気魄が恐ろしく、怖かったのだ。
その様子をぽかーんとしながら見ているリボーン。
あんなに優しい獄寺が、恐ろしい形相でツナに怒鳴り込んでいる。
獄寺が一体何に対して腹を立てているのか、リボーンには分からない。
「…で、キミはリボーンをどうしたいの」
呆れたような声を出したのはマーモンだ。その目は冷たい。
「アルコバレーノを辞めさせたいの? それともこの仕事そのものから足を洗ってほしいの?」
「オレにはリボーンさんの行く道を決める権利はない。リボーンさんの道はリボーンさんが決めればいい。今の道がいいならこのまま進めばいい」
「進んでるじゃないか。一体何を怒ってるんだい」
「リボーンさんが他の道を知らず、また他の道を見る目を奪われている現状に腹を立ててるんだ!!」
恐らくは…いや、間違いなくリボーンには才能があったのだろう。裏社会で生きていくための才能が。
そして周りはその才能を褒め称え、伸ばすことのみに専念した。人を殺す道具を与え、人を殺す場所を与え、そして疑問を覚える隙間を与えなかった。
その結果が今の…機械のように正確に人を殺し、人形のように無表情なリボーンである。
「…獄寺。気持ちは有り難いが、オレはこの道以外では生きていけない。だから…」
「…本当に、そう思いますか?」
「……?」
獄寺がリボーンに笑みを向ける。リボーンの記憶がないとき、あの家で、獄寺がいつも浮かべていたあの笑顔だ。
「オレと暮らしていたときのリボーンさんは、リボーンさんが未だかつてない生活だったと推測しますが」
「あれは…記憶がなかったからで……」
「記憶がなくて出来たことが、記憶があって出来ないとはオレは思いません」
「だが……」
「それとも…オレとの生活は楽しくありませんでしたか? 嫌で嫌で仕方がありませんでしたか? 殺しの方が楽しかったですか?」
「………」
無言のリボーンが告げる答えは、否定。
「リボーンさんは今まで歩んできた道以外の、別の道をひとつ知りました。他にも色んな道があります。オレは、リボーンさんに一番楽しいと思える道を歩んで頂きたいだけですよ」
「…まいったね。こりゃ」
ツナが降参とばかりにため息を吐く。ツナは鬼ではなく、非情でもない。あるいは…ツナも心のどこかでは気にかけていたのかもしれない。
「ちょっと、ツナ!?」
マーモンが慌てるが、ツナの心は揺らがない。
「確かに獄寺くんの言う通りだね。オレたちはあまりにもリボーンに頼りすぎた。オレたちはいつの間にか、リボーンを都合のいい道具のように使っていたのかもしれない」
「かもじゃなくて、そうなんだよ」
獄寺にまた睨み付けられ、ツナはまた謝った。威厳もへったくれもなかった。
しかしマーモンはなおも噛み付く。獄寺のような新参者にリボーンをさらわれてたまるものか。
「リボーンはボンゴレに必要な人材なんだよ。抜けられたら困るんだけど」
「子供一人抜けて困り果てるマフィアってどうなんだよ。どれだけリボーンさんに依存してるんだお前。自分で言ってて情けねえと思わねえの?」
「ぐ……」
マーモンは言葉を詰まらせ、代わりに怒気を膨らませる。
なんでこんな唐突に現れた女にここまで掻き乱されなきゃいけないのか。
こいつさえいなければ。
そんな思いがマーモンの心中を満たし、殺気を隠すこともせず獄寺へ向ける。
獄寺はマーモンに攻撃された時のことを思い出しながら、
「まあ落ち着けよ。別にオレはリボーンさんをお前から取ろうと思ってるわけじゃないんだ。いくらリボーンさんのことが好きだからって、がっつきすぎると嫌われるぜ?」
「なっ……!?」
突然の言葉に、マーモンの力が霧散する。
「ん? そうなのか?」
リボーンに無垢な眼を向けられ聞かれ、マーモンが更に動揺する。
「そそそそんなわけないじゃないばっかじゃないの!? リボーンなんて大っ嫌いだよ勝手に好きに生きたらいいんじゃないの!?」
マーモン。自爆。
獄寺は予想外の成果に内心驚いていた。
ボンゴレに向かうにあたり、獄寺はある程度の危険は覚悟しており対策もしていた。
当然マーモン対策もしており、彼女が幻術使いであることも調べた。
幻術対策として術者の精神を乱すことが有効…と知った獄寺は実はそれらしいことを言っただけなのだが…どうやら当たりだったらしい。
驚きだ。少しでも気を逸らした瞬間に打とうと思っていた手が無駄になってしまった。
「…なんだ。お前、もうちょっと素直になった方がいいんじゃね?」
「うるさい!!」
マーモンはローブから湯気を出しながら退室した。リボーンは戸惑い、ツナは苦笑している。
「…あいつ、どうしたんだ?」
「さて。……それでリボーンさん。彼女からは好きに生きたらいいと言われましたが…」
「…そうは言われてもな。他の生き方など急に言われても、オレは……」
「でしたら…そうですね。ここでこんなこと言ったらこれが目的なんじゃないかって思われそうで嫌なんですが…」
言いながら、獄寺はまた鞄の中に手を入れる。
「よろしければ、どうぞ」
「これは?」
「実はオレ、ピアノの嗜みがありまして。今度演奏会を開くんです。その招待チケットですよ」
「ぴあの?」
「ええ。スラム街でピアノなんて珍しいですか? 娯楽が少ないからか、結構みんな楽しみにしてくれてるんですけど」
「………獄寺」
「はい?」
チケットをじっと見つめていたリボーンが顔を上げ、獄寺に問う。
「ぴあのって、なんだ?」
「……………」
獄寺はゆっくりと顔をツナへと向けた。
何も言わなかった。
だけどその眼は語っていた。
お前はリボーンさんにピアノの存在すら教えず、仕事ばかりさせていたのか。
「ごめんなさいすみません申し訳ありませんでした!!!」
ツナは謝った。
「…百聞は一見に如かず。でしょうか。よろしければ来てください」
「………ああ。構わないか? ツナ」
「是非行って来て下さい。見聞広めまくって来ちゃってください!!」
もうツナは卑屈だった。
「10代目も来てくださって構いませんよ? スラム街の無骨な演奏会でよろしければ、ですが」
「招待してもらえるなら是非行かせてもらうよ。…これを機に、街のみんなとの溝を埋めたいとも思う」
「……………」
ツナの突然の言葉に、獄寺が探るようにツナを見る。
「キミたちがオレたちを信用してないことは知ってる。それで防げるはずの事故が起きていることも知ってる。…信じてもらえないかもしれないけど、オレは街のみんなを守りたいんだ」
「…それで送り込んだのが、リボーンさんですか」
「そ、それは…」
「ああ、それはだ獄寺。オレが志願したんだ」
「リボーンさんが?」
「丁度仕事が終わって戻ってきてな。この街にならず者が増えてるって聞いて、オレから行くと言ったんだ」
「………」
確かに、街のごろつき退治だなんて特殊部隊アルコバレーノの仕事としてはあまりにも不似合いだ。
任されたとは考えにくいが、自分から志願したとあれば一応話は通る。
「…何故、志願したんですか?」
「お前ら、困ってたんだろ?」
「困ってましたが…」
「オレには助けられるだけの力があった。だから志願した。それだけだ」
「………」
事も無げにリボーンは言ってみせるが、それは長らくマフィアを頼らず生きてきた獄寺にとって衝動的だった。
困っている人がいて、自分には助けれる力があって、だから助ける。だなんて―――
それは、あのスラム街のルールとまったく同じもの。
それを、ずっと敵として見てきた、マフィアとして生きてきた人間も持ってるなんて。
マフィア全てを恨んでいないのは獄寺の本音だ。しかし信用するしないとなれば、また話は別。
だから自分たちは彼らをいない者として扱ってきたというのに。なのにリボーンは、そんな自分たちを助けるために来てくれた。
「…あはは」
思わず、獄寺は笑っていた。
なんて、心優しい少年。
いや、この人が優しいことなんて初めから知っていた。
どうして、アルコバレーノたるリボーンが記憶を失うほどの怪我をしたのか。
ツナもマーモンも知らないだろう。恐らくリボーンは自分からは言わないだろうから。
だけど情報屋たる獄寺は知っている。
リボーンは、スラムに住む子供を庇って怪我をしたのだと。
その子供は庇われたことすら知らない。獄寺は目撃情報と住民の立ち位置を推測して、その答えを導き出した。
間違いはないだろう。そうでなければあの程度のごろつきにリボーンが傷を受けるわけがない。その証拠に他のごろつきは瞬殺された。
「…何笑ってるんだ? 獄寺。オレは今、何かおかしなことを言ったか?」
「いいえ」
獄寺は笑い声を潜め、けれど笑顔で。
「思われるのが嬉しかっただけですよ。…ありがとうございます」
言って、獄寺はリボーンの頬に軽く口付けた。
これがボンゴレとスラム街の、交流の始まり。
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あなたはオレたちの架け橋ですね。