まるで申し合わせたかのように、二人はそこに立っていた。

一人は漆黒のスーツに身を包んだ小柄の男。…年齢的には少年と呼ぶべきなのだろうがどうもその呼び名は違和感がある。それほどの威圧感。

もう一人もまた黒のスーツを着こなした長身の男。銀髪の彼は驚いたように男を見ていた。



「随分と手間取らせやがって。お前隠れるのと逃げるの巧過ぎだ」



やれやれ、とため息を吐きながら。けれどその視線はもう逃がさないとでも言うようにしっかりと碧の目を睨んでいた。

睨まれている男はその刺すような視線に冷や汗を掻きながら。けれど平静を装って。



「…それは――…すいませんでしたね」



澄ました顔をしながらも、彼は古傷が痛むのを感じていた。トラウマみたいなものだろうか。ずきずきずきずきと―――







そこにないはずの、目の前にいる彼にもぎ取られたはずの。右腕が痛んだ。













































亡き右腕






























事の始まりは数年前。

沢田綱吉が紆余曲折の末にボンゴレ10代目となって。それから数年が経過したある日だった。



「は―――? 今なんて言ったの? 雲雀」

『何度も言わせないで。聞こえてたんでしょ? ―――隼人が味方メンバーを殺した。…裏切ったんだよ』

いきなりの抗争に出ている雲雀からの電話。報告には早過ぎると不審に思いながら取ってみればまさかの言葉。



「…雲雀。一体何の冗談? エイプリルフールはもうとっくに過ぎたと思うけど」

『僕だって冗談だと思いたいさ。でも彼は殺した。抗争に混じって仲間を撃ち殺した。誰だと思う?』

雲雀が告げた名は、ボンゴレファミリーの中でも古株で。以前獄寺から聞いた話によるとその獄寺をファミリーに入った時から可愛がってくれたという人物だった。



「うそ…でしょ…? ―――そうだ、獄寺くんは!? 話がしたい!」

『残念だけど逃げた。僕らが仲間殺しに唖然としている間にね。今彼を追うかそれとも帰るかで揉めてる…追って話をするか、殺すかどうかもね』

「な…!」



ツナは耳を疑う。殺す? 誰を…?

『ま、裏切り者には死をってここに来る前から散々言われてたしね。…奇しくも彼に』

「…っ」



ああそうだ。彼はよく言っていた。裏切り者の罪深さを。裏切り者末路を。

『それで? 僕たちはどう動けばいいのかな? ボンゴレ10代目?』

ずるい質問をぶつけてくる。無論彼を追ってほしい。しかも出来る限り無傷で。けれど彼らは任務で疲労しているし、それに…



「…分かった。雲雀、全員引き連れて戻って来い。みんなに文句は言わせるな」

ツナは戻らせることを選んだ。恐らく探させても彼は見つかるまい。



『へえ。ちょっと意外かな。なに、キミお得意の勘ってやつ?』

「そうだ。だから戻って来い」

『はいはい』

ツー、ツー。電話が切れる。ツナは受話器を戻す。



深く、息を吐く。…駄目だ気を抜いては。

ふとここにはいないリボーンのよく言っていた言葉を思い出す。――曰く。如何なるどんな状況でも思い浮かばせておくこと。

けれどこれは流石に思い浮かばなかった。無理だ。ありえない。



―――しかし、起きてしまったのだ。

何か理由があるのか知らないが、一波乱ありそうだった。







雲雀は戻ってきたあとすぐにツナの執務室へ来てくれた。

疲れているだろうにそれでもこうして赴いてくれたことに感謝しながら、けれどツナは何と言えばいいのか迷っているようで。

だからか雲雀は口早に言葉を紡ぐ。不機嫌そうに。



「隼人が彼を殺したのは本当。そのあと逃げたのも本当。見間違いなんかじゃないから。彼が殺したあいつの一番近くにいたの僕だしね」

あっさりとそう言い放つ雲雀。けれどそれに納得出来ないのもまた心情。しかし。

「信じる信じないは勝手。僕は僕がこの目で見たことを言うだけだから」

ぴしゃりとそう言い放って。あとは知らないとばかりに苛立ちを隠そうともせずに黙る雲雀。





彼とて信じたくはないのだろう。


あの彼が。あの仲間を愛する獄寺が。裏切ったという事実を。


けれど現実というものは残酷なものなのだ。


…特に、この世界においては。





―――――いきなり、銃声が響いた。





「!?」

聞こえてきたのは階下の部下の部屋。…殺されたとされる、仲間と同期の部屋。

「まさか…!」



信じたくない。信じられない。来るとしても早過ぎだろう。

けれどタイミングがよすぎるのもまた確か。とにかく確認せねばとツナたちは走る。

そして、その銃声の聞こえた部屋へ向かうと―――








「―――――」





辺りは、血の海だった。







部屋の主は全て無残にも殺されていた。

硝煙の匂いがまだ消えきれてなく。惨殺はついさっきに行われていたことを現していた。



「割れてるね」

独り言のように雲雀。見ると確かに窓ガラスが割られていた。強風に煽られてカーテンが舞っている。そこから逃げたのだろうか。





「一体…誰が…」

「隼人なんじゃない?」

確かにその可能性は高い。けれどタイミングが合い過ぎるような気もする。



「―――いや、まだ決め付けるわけには…」

「…いえ、獄寺氏です」

どこかから声。散らばった家具の下から這い出てきたのは牛柄の服を着た少年。



「ランボ。…ここで一体何があったの? キミは一体何を見たの」

尋ねるツナにランボは弱々しく…

「ごく、でらしが…」





ランボの話を要約するとこうだ。





突如聞こえてきた銃声。

驚いて走ると、そこにいたのは銃を持つ獄寺。

まさか襲われているのかと思ったランボは思わず部屋へと駆け込むが中にいたのは部屋の主。…つまりは仲間。

混乱するランボに獄寺は小さく舌打ちをして。そしてランボを蹴り離した。

ランボはクローゼットにぶつかって、更に銃声。そこに家具が落ちてきて、ランボは気を失ったらしい。

最初の銃声が聞こえてきてからまだ五分も経っていない。その話が本当ならこの惨状も獄寺のものだろう。





「一体…なんで」

呟きは誰にも応えられず。虚しく溶けていった。





けれどそれに浸る間などなかった。



時は常に動き続けている。それは誰にも止められるわけもなく…





――――――――――タァン!





またも響く…銃声。

「は…!?」

その音はここより更に階下から。響く響く。一度響いたそれは鳴り止まない。



「逃げたんじゃなかったんだね。隼人」

しれっと言う雲雀に、慌てて走るツナ。今度こそ彼の姿をこの目に納めなければ。





…しかし。


彼の姿を見たとして。そこからどうすればいいのか。


彼が味方を殺していたとして。それからどうすればいいのか。


殺すのだろうか。彼を。







―――――裏切り者を。








迷う思考と裏腹に足は止まらない。


自分の身体なのにまったく従ってくれない。


現場へと向かう。足が動く。身体が止まらない。





そして。そこには、





白い肌は血に塗れて、



碧の瞳はどこを見ているのか虚ろで、



弱々しくも、けれど銃を片手に持っているのはボンゴレ10代目の右腕の、



獄寺隼人の姿があった。







―――――彼は死体の山の中心に佇んでいた。







咽返るような血の臭い。彼は黒のスーツで分かりにくいが全身――…誰の血かは知らないが血塗れで。

…いや、彼自身も怪我をしている。片手は拳銃を握っているが、もう片方の手は脇腹へと向けられていて。そこから赤い液体がぽたりぽたりと雫を垂らしていた。

それだけじゃない。傷を押さえている手にも、白い頬にも首筋にも。獄寺のあらゆる所を朱が染めている。





それもそうだろう。彼は今まで抗争の最中にいて。そして…油断していたとは言え、古株のボンゴレメンバーを二グループもあっという間にこうして壊滅させて見せたのだ。

これで無傷で済むわけがない。

ただ、一つの…そして最大の疑問は。



どうして、こんなことを。



「…ごく、でらく―――」

必死にからからの喉からどうにか声を絞り出して。その疑問をぶつけようとすると。



「…一体何の騒ぎだ?」



その強い声に、遮られた。

遮ったのは漆黒のスーツに身を包んだ小柄の男。

リボーンだった。








ツナは冷や汗を流す。不味い。この状況は不味い。

リボーンは鬼だ。まさしく血も涙もない。言い訳なんて通用しない。

獄寺に如何なる理由があろうとも。リボーンは獄寺を殺すだろう。裏切り者として。


「リボーン、これは…」



「―――リボーンさん」



ツナの声を遮るのは獄寺。その声は無感情。


「オレ…みんなを、殺しました」

告白。それは告発。言い訳の一切ない、ただの事実。



「見れば分かる」

リボーンのその言葉に獄寺は初めて人間らしい表情を浮かべる。…弱々しく、笑ったのだ。

一歩。リボーンは歩く。もう一歩。部屋へ踏み入る。ツナを通り越して。更に一歩。



「早過ぎだ」

「そうですね…すいません」

「ま…お前の方で何か動きがあったと推測するが」

「………」



二人の会話にツナは不審を覚える。一体何の話をしているのか。

「リボーン? 何の話…? 何か知ってるの?」

リボーンはツナの問い掛けには答えず。教え子の名を呼んだ。ツナ、と。




「…教えたよな。いつ如何なるどんな状況でも常に思い浮かんでおけ、と。その上で対策も考えておけと」



ああ、それは確かに教えられた。ついさっきもそれを思い出したばかりだ。で、それがどういう…ツナがそんな顔をすると。



「だったら、こんな状況も思い浮かばせておくんだったな」




リボーンはまた一歩、歩いて。腕を水平に持ち上げて。

…その腕には、いつの間にか短めの…スプレー缶のようなものが握られていて。

ぱっと、リボーンはその手を離す。缶は重力に従って堕ちていく。また一歩。リボーンは進む。



ツナにはそれまでの過程がやけに遅く感じられた。缶が堕ちていく今この瞬間もまるでスローモーションのように。

ツナは動かない。獄寺も動かない。リボーンだけが一歩一歩ゆっくりと動いている。獄寺の元へと。





そして、缶が。



―――華、蘭と



音を立てて。堕ちて。





ピンが、その時の衝撃でか抜けて。そして白い煙が噴き出して。

ツナは思わず口と鼻を押さえて。その判断は一瞬。

けれどその一瞬で充分だった。何かが割れる音。そして強風が向かい風で吹き込んでくる。更に煙がツナを包む。



「んく…―――ゲホっ」





そして数十秒後。煙が晴れた頃―――


その場には二人はいなかった。


ただただ階上と同じように窓が割られていて。カーテンがはためいていた。










「…一体いつまでそうしているつもり?」

声を掛けられる。時が流れているのを知る。



ツナが力なく振り返るとそこには仁王立ちしている雲雀と、心配そうにこちらを見ているランボ。

「まったく、それで仮にも10代目? 隙だらけですぐに殺せそうだよ?」

「殺されてもいいよ…」



ツナの力なく吐き出された言葉に流石の雲雀も驚く。ランボは目を見開いている。



「ちょ…何言ってるんですか!」

「へぇ。なにを見たのさ。裏切る彼を目の当たりにでもした?」

何故か楽しそうに言う雲雀と。それを咎めるランボ。ちょっと、雲雀さん。



そんな二人を見ながらツナはぽつり、ぽつりと、先程の出来事を話す。





部屋の中で血に塗れた獄寺。


やってきたリボーン。


虚ろな目での獄寺の告発。


そして―――





二人の、逃走。





ツナの話に二人は再度驚いて。そして…何故か納得した。

「なるほど、ね…」

「これで話が繋がりましたね」

「…?」



怪訝顔で見上げてくるツナに雲雀はやれやれといった仕草で答えてくれた。

「実はね…戦場で彼が殺される直前、僕ちょっと違和感を感じたんだ」

「違和感?」

「そ。殺気をね」



殺気を感じて。そして死者が出て。



「…それは獄寺くんの?」

「それもあるだろうね。僕も戻ってくるまではそうだと思ってた」

「―――?」



「ただね、一つ納得いかない事があるんだ。…あの殺気は僕に宛てられてた」



は? とツナは雲雀を見る。それはつまり狙われていたのは雲雀だったということになる。

「それって…じゃあ彼が雲雀を庇って死んだってこと?」

「その可能性もあるね。戻ってからずっとそこのとこ考えてた」



ぐるぐるぐるぐると頭の中で考えて。そうしていたら今度はアジト内で獄寺が暴れて。

「最初は隼人が狂ったんじゃないかって思った。ここはこんな世界だし。彼は特に精神が弱いし」



狂人になって、仲間殺し。

ぞっとする話だが有り得ない話でもない。何より信じたくない話だが。



「任務中でのは数の不利で、とかまだ最後の良心が残ってたからとか。色々推測のしようもあったけどアジトでの一件でそれは消えたね」

もしも彼が。獄寺隼人が狂ってしまって。仲間殺しとなってしまったとしたら。

そうなったら殺されなくてはいけない人物がいる。けれど生き残った人物が。



「…そっか。ランボ」

ランボ自身の話だと獄寺はランボを蹴り離して。そして家具を倒したという。

確かにそれでも当たり所によっては死ぬだろう。しかし可能性は低い。現にランボはこうして生きている。



…獄寺はランボを殺すつもりはなかった。ということになる。



ならば彼は狂ってはいまい。何かしら理由と目的があって行動している。

「だから彼が殺した奴らについてちょっと調べてみた。中々に面白いことがあったよ」





雲雀は奴らの使用していたネットワークを調べて。奴らの通じてた施設を辿って。

各人のデータベースをハッキングして情報収集。もちろん犯罪だが咎める者はいない。



「そしたら…ね。いやもうびっくりした」

「何が…? もったいぶらないで早く教えてよ」

「裏切り者は殺された方だったんですよ!」

「は…?」



ランボの興奮したような一言にツナは着いていけない。

だって彼らは、獄寺に殺された彼らはツナが…いや、あの獄寺がボンゴレに入る前から既にファミリーに籍を置いていた。

途方もない年月だ。それなのにそんな彼らが裏切り者…?

彼らにツナは、いやツナだけにあらずファミリーの人間は彼らに随分と世話になっていた。それこそ雲雀もランボも獄寺も。



そんな彼らが…裏切り者?



くらり。気が遠くなる。



「…って雲雀。その情報に信憑性はあるの?」

「ワオ。キミが隼人よりも彼らを取るって凄いね。彼らは隼人よりも勝ったというの?」

そんなことはない。ツナは獄寺も大事だ。…けれど、



彼らは彼らで、大事なファミリーだったということも。確か。



「ま、いいけどね。信憑性はあるんじゃない? 調べたデータ、全部一度消されてた形跡があったし」

「消されてたって…それを修復したってわけ? 雲雀にそんな技術あったっけ?」

「残念ながらないよ。僕の前に同じようなことをしてた奴がいて。それを辿っただけだから」

それはそれでそれなりの技術が必要なのだが雲雀はなんでもないことのように答えて。



「…そう。でもよくこんな短時間でそれだけ調べられたね……」

「―――は? 何言ってるの? あれから何時間が経過したと思ってるのさ」

怪訝顔で言ってくる雲雀にツナも思わず固まる。え? 何時間?



つまりはそれほどショックだったということだろうか。ツナにとってはまだ数十分ぐらいしか感じていないのだが。

「…はぁ。まぁいいけど。―――で、その僕が辿ったIDの持ち主が…」

「リボーンだったんですよ」

パン、と雲雀はランボを殴る。僕の台詞取らない。



「…そういうこと。最初は隼人かと思ったんだけどね。事情を聞こうと思って探してもいないし…」

「そうこうしているうちにここに着いたんです」

ガン、と雲雀はランボを殴る。だから僕の台詞取らない。…すいません。



ともあれそれで二人はツナの話を聞いて。全ての糸を合わせて…なるほど、辻褄が合う。

「…そう。獄寺くんとリボーンが共犯だった。そして殺された彼らこそが裏切りものだった。そうだとして」



そうだったとして…そうだったとしたら。一つ疑問が残る。



「だったらなんで、獄寺くんとリボーンは逃げたのさ」

やましいことがないなら逃げる理由もなく。けれど逃げた二人。

「そこがね。僕たちも気になってたところ。でも大丈夫でしょ。彼らは裏切ってないのだからそのうち戻ってくる。そのときに話を聞けばいい」



雲雀がそう言って。一呼吸置くと。

いつものように傍若無人で。自分勝手な。けれどどこか酷く疲れているような。



「…そこまで分かってんなら話がはえーじゃねーか」



そんなリボーンの声が聞こえて。そして雲雀たちが来た扉の方から姿を現した。







「話が早いって…どうせ説明する手間を省かせるためにわざと残しておいたんでしょ? まったく…」

「まぁな」

いつものように応えるのに、いつものような覇気がない。彼らしくない。おかしい。



違和感を覚えつつも何も言えないツナ。というかもう戻ってきたのか。ついさっき逃げた気が…ああ、そうか。あれから何時間も経っているのだった。

「…リボーン。聞きたいことは色々あるけど…獄寺くんは?」

そう。まずはそこだ。そこを聞かなければならない。



そこに立っているのは彼だけだ。リボーンだけだ。獄寺の姿がない。

リボーンは片手で帽子を深く被り直して。



「―――悪い。ツナ」



誰もが耳を疑った。今なんと言った? あいつは。リボーンは。

彼が謝る。有り得ない。何故ならリボーンが間違ったことをするはずがないのだから。彼のすることはいつだって正しいのだから。

唖然とする三人にリボーンは構わず。それを放り投げた。無造作に。



それを視界に入れて。―――思考が凍る。脳が麻痺する。頭がそれを理解するのを拒否する。

だってそれをそうだと認識したら。それは必然的に連鎖的に―――認めてしまうことになる。



「オレがやった」



リボーンの言葉に誰も反応しない。誰もがそれから目を逸らせない。

リボーンが無造作に、無遠慮に放り投げたモノ。



「―――――悪い」



それは嵐のリングを装着している、獄寺隼人の右腕だった。








リボーンはそれ以上の事を語ろうとはしなかった。


どれほどの時が経って、問い詰めようとも謝罪をするだけで。


その時の様子があまりにもいつものリボーンと違うものだから誰も何もそれ以上言えず。


今回の事件の後始末も大部分はリボーンがやった。


おかげでそれほどの騒ぎにならなくて済んだが…それでもしこりは残って。




そうこうしているうちに早くも数年の月日が流れて。


その間にリボーンは任務の片手間に何かを調べていた。


そんな最中。何かが分かったのかリボーンはどこかへと発って。


そして――…










まるで申し合わせたかのように、二人はそこに立っていた。

一人は漆黒のスーツに身を包んだ小柄の男。…年齢的には少年と呼ぶべきなのだろうがどうもその呼び名は違和感がある。それほどの威圧感。

もう一人もまた黒のスーツを着こなした長身の男。銀髪の彼は驚いたように男を見ていた。



「随分と手間取らせやがって。お前隠れるのと逃げるの巧過ぎだ」



やれやれ、とため息を吐きながら。けれどその視線はもう逃がさないとでも言うようにしっかりと碧の目を睨んでいた。

睨まれている男はその刺すような視線に冷や汗を掻きながら。けれど平静を装って。



「…それは――…すいませんでしたね」



澄ました顔をしながらも、彼は古傷が痛むのを感じていた。トラウマみたいなものだろうか。ずきずきずきずきと―――







そこにないはずの、目の前にいる彼にもぎ取られたはずの。右腕が痛んだ。









「獄寺」

名前を呼ぶ。もう数年誰にも呼ばれる事のなかった本名を。



「なんでしょう。リボーンさん」

名前を呼ぶ。もう数年誰かの名を言うなんてしなかった口で。



「帰るぞ」



あっさりとそう言うものだから獄寺は驚いて。…けれどすぐにまた表情を戻して。

「出来ません」

お返しとばかりにあっさりとそう言い返す。それに応じるリボーンでもないが。



「うるさい。お前に拒否権なんてねぇ。散々このオレを振り回しやがって。帰ったら仕置きだ」

「怖いですね。でもオレは貴方に振り回された経験はあっても、貴方を振り回したことはないと思うんですけど」

「認識がないってのは困ったものだな。そこら辺もあとでたっぷりと言い聞かせてやる。だから」



「―――戻れません」



きっぱりとリボーンの言葉を遮って。獄寺は真っ直ぐにリボーンを見て言い放つ。

「あれから何年経ったと思います? オレ、全然訓練とかしてなくて…ブランクがとんでもないです。戻っても役立たずです」

「関係ねぇ」

「それに右腕もありませんし…とても戦力にはなれませんよ?」



「………」

リボーンは帽子を深く被る。獄寺は慌てて

「あ、いえ…貴方のせいにするってわけではないのですけど…」

「そうか」



獄寺は苦笑いをして。

「それに―――言ったじゃないですか」



その目は遠くを見ていて。

「あのときに」

今このときではない、あのときを見ていて。






その情報を獄寺が知ったのは、獄出が行動を起こすほんの少し前。


リボーンに頼まれていた仕事を片付け、その報告に来たときだった。







渡されていた合鍵で部屋に入り。けれど主の姿はなく。ただ彼専用のパソコンのディスプレイだけが光っていた。

覗き見るつもりなどなかった。資料を机に置く時にふと眼の端に捕らえただけで。それ以上を見るつもりなんて。

ただその時見えた仲間の名前。そして敵対ファミリーの名称に思わず――見てしまった。

そこには古株のボンゴレメンバーと敵対マフィアとの相互関係が表されていた。



ショックで、思わず力が抜けたところで後ろから抱き支えられる。リボーンだった。



「大丈夫か?」

「あ…はい、……いえ」

立とうとしても上手く力が入らない。気が付けば身体が小さく震えてた。



「大丈夫じゃ…ないです」

「そうか」



リボーンは獄寺を椅子に座らせる。ディスプレイの明かりを消す。

「…すいません、見るつもりじゃなかったんですけど……」

「いい。付けっ放しにしてたオレにも積はある。それにいつか言うつもりでもあったしな」



リボーンは獄寺の持ってきた資料のチェックをし始めて。

「あの、リボーンさん、…さっきのデータは―――」

「ああ、最近要らぬ噂を聞きつけてな。放っておくつもりだったが少し気になって調べてたら…当たりだった」

「そう…ですか」



それきり獄寺は黙り込む。リボーンが調べたのだ。間違いなどどこにあろう。

獄寺の頭では同じことがぐるぐると回り続ける。彼らと初めて会った日から今日まで。そして先程のデータ。



全てはボンゴレを、自分たちを裏切るためだったのか。全ては嘘だったのか。



「獄寺」

リボーンが短く名前を呼ぶ。獄寺が顔を上げるとリボーンの射抜くような視線に貫かれる。



「あまり深く考えるな。この問題はオレが一人で片付ける」

「………」

獄寺は弱々しくリボーンを見上げる。納得しかねている様子だ。



「不服か?」

「…その、話が…したい、です」

「駄目だ」

言い切られる。それもそうだ。ここまで来てどんな理由があろう。



「実行する前にツナにも報告する。お前は何もしなくていい」

「……………はい」



暫くして身体が落ち着いて。獄寺は部屋をあとにする。元々資料を渡しに来ただけだ。

「失礼しました…」

「ああ、…そういえば今度の抗争。裏切りが一人混じっているな。まだ奴らも動かないと思うが…一応気を付けておけ」

「―――はい」





そうして獄寺は任務へ出た。裏切り者の混ざった仲間たちと共に。


どうしても獄寺は意識してしまって。視界の中にどうしても入れてしまって。


それで奴にからかわれもした。なんだオレに気があるのかと。むきになって否定して。それでみんなに笑われて。



何も変らない、いつも通りだった。いつも通り優しい彼で。…裏切り者だなんて信じられなくて。


それでも視界に入れてた。どうしようもなかった。全ては嘘か、なにかの間違いであってほしかった。



そして、抗争中。


戦いの最中でも、獄寺は見ていた。ずっとずっと。


無論自分も戦いながらだが、それでも―――見ていた。


そして。戦闘もこちらの流れになってきた頃。


獄寺は見た。見てしまった。


彼が。いつも通り優しかった彼が。いつも通り笑っていた彼が。


とても冷たい瞳で、雲雀を見ていて。


その手に持っている拳銃で、雲雀を―――





――――タァァァアアアンッ





身体が、腕が、指が。勝手に動いた。


彼を撃った。今まで散々世話になった彼を。撃った。



撃ってしまった。



撃ったあと、そんな自分が信じられなかった。


血を噴き出しながら彼は倒れた。


唖然としてしまった。


周りのみんなも茫然としている。


嫌な汗が流れる。気持ち悪くて吐きそうになる。


それら全てが耐え切れなくて。獄寺はその場から逃げた。


泣きたくなった。


話をしたいと言ったのは自分なのに。結局それをする事なく撃ち殺してしまった。


何か理由があったのかもしれないのに。


もしかしたら万人全てが納得出来るような、仕方ない理由があったのかもしれないのに。


ことによれば自分にもなにか手伝えることがあって。それで万事解決出来たのかもしれないのに。


分かっている。そんなことはこんな世界で起きるはずがないと。


知っている。どんな事情があったとしたにせよこの世界ではそれこそ言い訳にすらならないと。



…でも。



獄寺は理由を聞く方法を取る事なく殺してしまった。


一人逃げ延びて頭を抱える。誤解も何もない。まるで自分は仲間殺しだ。間違いではないが。


まだリボーンは誰にも説明をしていないだろう。彼に負担を掛けてしまうな。困った。



―――獄寺は暫し考えて、ボンゴレに戻ることを決意した。


…彼の仲間に。裏切りメンバーに会うために。



アジトに戻って真っ先に10代目以外の人物に会う日が来ようなんて思いもよらなかった。


ノックをして、入る。そこには事情を知らないのかいつも通りの朗らかなメンバー。


笑いながら語りかけてくる彼らに獄寺は言う。「殺した」


場が凍る。直後にピリッとした痛みを感じて。けれどそれも一瞬で。


彼らはあくまでいつも通りに。何のことだ何の話だと言って来るがそれでも獄寺は続ける。


リボーンが調べていたと。そのデータを自分も見たと。そして戦場で彼が雲雀を殺そうとしたから―――殺したと。


再び凍る空気。そしてそれは一気に熱を持って。そうかと。彼らは語る。


彼らは告白した。自分たちは裏切り者だと。自白した。


それに獄寺はショックと悲しみを受けて―――発砲した。


彼らだって獄寺を殺しにかかってきた。一人対複数。しかも相手は獄寺よりもかなりの場数を踏ん出来た者達だ。


けれど獄寺はここで死んでもいいとすら思っていた。ショックが大きすぎて何も信じられなくなる。



そしてそんな時。


「ご、獄寺氏! 大丈夫ですか!?」


突然の乱入者。…ランボ。



獄寺は正気に返る。小さく舌打ちをして、近付いたランボを蹴り離した。こいつの実力では殺されると。


蹴ったあと家具を撃って簡単なバリケードを作った。そして肉を切らせる戦法を取って彼らを殺した。自分は死んでもいいがランボを殺させるわけにはいかない。


血が滴る。座り込みたいと思ったところで複数の足音。…駄目だ。まだ見つかるわけにはいかない。まだ終わってない。


獄寺は窓ガラスを撃ち抜いてそこから移動した。…まだ一つ。あともう一グループ残っているから。


移動移動。奴らの部屋はここから少し遠のいている。


なるべく血のつかないようにと外から移動したので思ったよりも時間が掛かってしまった。


奴らは血塗れの獄寺の姿を見ると心配しながら部屋の中へと招き入れた。それが白々しくて獄寺は泣きたくなる。


手当てしようとする奴らを冷たい目で見て。また発砲した。


驚く彼らに獄寺は言ってやる。裏切り者と。奴らは驚いて…そして何かを悟って。撃ち返して来た。


撃って。撃たれて。痛覚なんてとっくに麻痺していて。仲間だった裏切り者が死んでいって。自分が殺していって。もう何もかもが分からなくなっていって。


そして最後の奴が倒れて。そしてそこに。


ツナが来た。やって来た。


ツナは驚きながら。茫然としながら獄寺の名前を呼ぼうとして。そして―――





リボーンが、そこに訪れた。





獄寺は告白する。殺したと。リボーンはなんでもないことのように答える。見れば分かると。

それから二人だけの会話をして。話に付いて来れないツナには申し訳なかったが獄寺には気を遣う余裕がなかった。

そうしてリボーンは獄寺を連れて外に出た。すぐ近くの廃墟で降ろしたが。







「…なんてこと、してますか。リボーンさん。…あれじゃ、みんなに…更に、誤解、されます…」

「あのままだとお前が発狂しそうだったからな。仕方ないだろ」



発狂。ぞっとしない話だ。確かにそんな感じはしたが。

「とにかくそこに座れ。まずは手当てしないとな。戻るのはそれからだ」

「…はい」





獄寺の傷口を見て。リボーンは珍しく顔をしかめる。傷の深い脇腹から応急手当をしていく。

「ったく。無茶しやがって…」



手当ての最中。リボーンは獄寺に事情を聴く。何があった。

「…あいつが…抗争に混じって、雲雀を撃とうとしていて。気付いたら、オレ……」

「―――そうか」



「オレ、撃ちました」



獄寺はまるで独白のように。まるで懺悔のように告白する。

「腕が勝手に動いて。勝手に標準を合わせて―――撃ちました」



止まらない。獄寺の言葉は止まらない。

「あいつは、オレがファミリーにいたときから既にボンゴレにいて、オレは沢山沢山世話になって…!」



「獄寺」

リボーンが短く言って獄寺を止めようとする。けれど止まらない。止まってはくれない。



「あいつには…あいつらには! 本当に世話になりました! オレに沢山のことを教えてくれました、オレを可愛がってくれました! なのにオレは撃ちました!!!」

「獄寺。おい、獄寺!」



「オレは…オレは。つまりそういうことなんです。オレは…―――相手が裏切り者なのなら、どんなに親しい奴でも殺せる奴なんだって」

「…獄寺。お前、少し休め」

「リボーン、さん…」



「―――今は何も考えるな。黙って、寝てろ」

「………は、ぃ」



呟いて。獄寺はずるりとその場に雪崩落ちる。リボーンは獄寺を抱き支えて、ため息一つ。

「だからオレに任せておけと―――何もするなと言ったのに」



獄寺はマフィアとしてやっていけるのか不安になるほどメンタルが弱いから。だから遠ざけようとしていたのに。

「結局裏目に出たか…」

オレもまだまだだなと、リボーンはもう一度ため息を吐いた。





獄寺が目を覚ました時、そこには獄寺だけだった。


身を、ゆっくりと起こす。


試しに右腕を持ち上げてみる。…寝る前はまるで麻痺したかのように動かなかったそれは痛みを発しながらも動いてくれた。


腰に手をやる。…使っていた拳銃がそこに変らず収まっていた。


銃弾を確認すると一発だけ残っていて。


無用心だな、と獄寺は笑った。


そしてそれを、そのまま頭に宛がえて―――





「何してるんだ?」

「…惜しいです。あと三秒でも遅ければ…死ねましたのに」



「何で死ぬ? 理由がねぇだろ」

「あいつらを殺しました」

「それがどうした」



「仲間でした」


「裏切り者だ」



お互いに一歩も引かない。引くわけにもいかない。

「あいつらは…仲間でした。でも、オレは殺しました」

「まだ気に病んでいたのか」



「これは…つまり、オレは裏切り者なら雲雀でもランボでも…貴方でも撃てる、と言うことなんですよ?」

「結構なことじゃねぇか」

簡単に言ってのけるリボーンに獄寺は弱々しい笑みを返すだけだ。そう割り切れたらいいんですけどね。

「でも、オレはそれは嫌だと思いました。思ってしまいました」



例え裏切り者でも。あいつらを、貴方を殺すのだけは、それだけは……



「けれどそれは立派な裏切りです。さぁリボーンさん。裏切り者には?」

「死を、だ。しかし待て獄寺。そういった判断はツナに任せるのが定石だ」

「それは駄目です。あの人は、お優しいですから―――」



にっこり笑った獄寺にリボーンは銃を抜く。その判断は一瞬。



響く銃声。その音は一つ。血液が飛び散って―――――

獄寺の右腕が、すぐ後ろの壁に銃弾の衝撃で千切れて、叩きつけられた。



「………っ」

珍しく…リボーンの表情が変わる。まるで過ちを犯してしまったかのような。

獄寺はなくなってしまった腕を押さえながら。



「なに…しま、すか……」

「―――お前こそ何しようとしてるんだ? ツナが言ってたことをもう忘れたのか」





…それは、昔の話。


まだツナが正式な10代目になったばかりのとき。


彼は言った。


裏切りは許さないと。


そして自殺はもっと許さないと。


自殺こそを最大の裏切り行為だとして見ると。





「…そういえば…そんなこともありましたね。すっかり忘れてました…」

「そうだ。それほどお前には今余裕がないんだ。さっさと帰るぞ」



「嫌です」



即答する獄寺。獄寺は千切れて離れた右腕が握っている銃を左手で掴んで。それから右腕を振り払うようにリボーンに投げつけた。

リボーンは、一瞬。

ほんの一瞬だけ怯んで。ほんの一瞬だけその右腕に…先程、自分が撃ち抜いた獄寺の右腕に意識を持っていかれて。



そしてその間に獄寺はその場から離脱した。

リボーンは投げられた腕を払うことはせずに掴んで受け止めて。

生まれて初めて、大きな大きなため息を吐いた。





それからリボーンはボンゴレに帰って。己の罪だけを告白して。


そうしてそれから長い年月をかけて獄寺の行方を追っていた。


そしてやっと見つけた。これでどうして逃がせられよう。





「でも、あのあと追ってこなかったのはちょっと意外でした」

隙を作ってあの場から逃げても。貴方に追いかけられたらすぐに捕まってしまうことは目に見えてましたから。

ですからどうしようって、実は逃げながら考えていたんですよ。



獄寺は笑いながらそう言って。ようやくこちらを見て。

「何で見逃したんですか?」

「オレが追いかけていたら、お前どうしてた?」



そのリボーンの問いに獄寺はやっぱり笑いながら。

「そんなの決まってるじゃないですか」



10代目の命に逆らうのは嫌ですけど。


でも、こんなオレがボンゴレに戻るのはもっと嫌ですから。


逃げながら。走りながら。血を流しながら。慣れない左手で。けれどそれでも充分で。


弾が一つでも残っているのならば、引き金が引けるのならば。あとはもう簡単な作業。




パンって、撃ってしまえばいい。




「ああ。だから追いかけなかったんだ」

追って死なれるよりは、逃がして生かすほうが得策だとリボーンは踏んだ。

狂い掛けた思考が少しでも正常に戻ってから引き戻した方がいいと。



「ツナの命を覚えてさえいれば、自殺する可能性は低いと思ったからな」

「…正解です。もう、死ねない苦しみなんて懲り懲りです」



生の価値が見いだせなくて。


死にこそ希望を持って。


こめかみに銃を向けて。


あとは曲げた人差し指を引くだけなのに。


その度に…リボーンの声の、ツナの命が頭を過ぎった。



「狂うかと思いました」

「よかったな。狂わなくて」

「…出来ることなら狂いたかったです」


そうすれば死ねたから。


「そこら辺は賭けだったがまぁ結果オーライだ。計算外な事もあったが」

獄寺を見つけ出すのにこんなにも歳月が流れてしまったこと。それだけが予想外だった。

銀髪の片腕。それだけで範囲は絞れそうなのに獄寺は巧みに情報の裏を掻いて。逃げ回っていた。



「ええ。死に物狂いで逃げ回りましたから」

「皮肉だな」

それに集中することで。それを生き甲斐とすることで発狂を免れたとしたならば。ああ、まさしく皮肉とはこのことか。



「いい加減諦めろ獄寺」

「…嫌です。貴方こそいい加減諦めて下さい。オレを裏切り者として撃ち殺して下さい」

「お前が一体いつどこで誰を裏切ったってんだ?」

「ですから…!」



獄寺が苛立ったかのように叫ぶ。ようやくリボーンのペースになる。

「お前は誰も裏切ってなんかねー。だから殺さねぇ。それでも逃げるのは勝手だが、お前まさか本気でオレから―――」

と、リボーンは何かに気付いたように笑った。いつもの、あの笑み。





「…いや、お前本気で―――――…オレたちから逃れられると思ってやがるのか?」





獄寺がその言葉の意味を噛み砕いて、怪訝顔する暇すらなく。



「ご、ご、獄寺氏ーっ!!」



そんな頼りない、そして数年もの間聞いてなかった情けない声。

振り向く間に抱きつかれる。そこには…あの頃とまったく変わっていない―――



「ラ…ランボ…?」



狼狽する獄寺。どうしてここに。何でここに。聞きたい疑問は言葉にならない。

「み、見つけた…! やっと見つけたようやく見つけた!! 見つけました見つけました見つけました!!!」

ランボは獄寺に抱き付いたまま見つけた見つけたと繰り返す。泣きながら。

ぼろぼろ泣き続けるランボの身体は震えている。その手はもう離さないとばかりにしっかりと獄寺の身体を繋ぎとめる。



「お前…なんでこんなとこに。…てか、離れろ」

「や…です! いやです! 離れません! 離しません!!!」

力の入りにくい左手でランボを追いやろうとするもランボは更に抱きついて。離れない。



「この、はーなーれーろー!」

「いーやーでーすー!!」



…駄目だこれは。埒が明かない。

「…はぁ、ていうかなんでお前ここにいるんだよ。まさかリボーンさんを着けて来たのか?」



「オレがそんな三下に着けられるわけねぇだろうが」

「………そうですよね」

「ひどい…」



先程の涙とまた違う涙を流すランボだった。



「でも…だとしたら、なんで……」

疑問符を浮かべる獄寺に、別の方向から声が投げかけられる。



「そんなの、決まってるじゃない」



ふっと風が吹いて。抱き寄せられる。

「彼とはまた別ルートで来たの。…苦労したんだから」

「雲雀!?」



気付けば左手を掴まれ肩を抱かれていて。逃げ場を失う。

「その節は僕を助けてくれてどうもありがとう。お礼とお詫びはきっちり果たすからよろしくね?」

雲雀の口が獄寺の耳元に寄せて囁く。くすぐったくて身が竦む。



「え…いや、そんな気にするな雲雀。オレはそんなつもりじゃ…」

唯一自由になる目線だけを明後日の方に向けて言う。なんだか今雲雀の目を見てはいけない気がする。



―――と。

目を逸らした向こう側から。ゆっくりゆっくりとこちらへ近付いてくる影。

獄寺の目が見開かれる。まさか。そんな。信じられない。

その影は姿を認識出来るほどまでに近付くと。驚いている獄寺ににこりと微笑んで見せて。



「久し振り。獄寺くん」



そう言ってみせた。

そこにいたのは我らがボンゴレ10代目。

沢田綱吉だった。





ふっと、獄寺の力が抜ける。見上げれないとばかりに俯く。

けれどそんなの許さないとばかりにツナは獄寺の肩に手を乗せて。



「顔を上げて?」



びくりと震えて。恐る恐ると顔を上げる獄寺。そんな獄寺にツナはぎゅっと抱きつく。

「探したんだから…」

獄寺はツナを押し返そうとする。自分なんかに触ってはいけないと。



「…駄目、です。10代目。オレは…」

「裏切り者? それを決めるのはオレ。分かった? 分かったら帰ろう?」

ツナが優しく言う。にこりと微笑んで手を差し伸べる。



「でも、オレ、もう…」

「数年のブランク? 片手のデメリット? どちらにしろ暫く戦場に出れないんだから気にしないでいいよ。何か言う奴がいたら僕が咬み殺してあげるから。だから帰るよ」

雲雀が頼もしく言う。凛々しく笑って手を差し伸べる。



「―――――オレは」

「みんな獄寺さんを待ってます。みんなが待ってるんです。だから…帰りましょう?」

ランボが獄寺を見上げて言う。それが当たり前とばかりに手を差し伸べる。



みなが手を差し出す。獄寺がそれを受け取るのを当然のように差し出す。



けれど獄寺は受け取らない。受け取れない。

獄寺はもう仲間を、少なくとも自分がそうだと思った人を殺したくはないから。

無意識のうちに後ずさる獄寺の背後から声が掛かる。



「―――お前が逃げるのは勝手だがな獄寺。お前、オレから逃げられるとでも本気で思っているのか?」



獄寺が振り向くとそこにはいつものように意地悪く笑っているリボーンの姿。

「一度見つけたんだ。逃げてもまた見つけてやる。今度は何年もかからせねぇよ」



確信的な笑みを浮かべているリボーンに獄寺は逃げられぬことを悟る。

それでも気丈に、どこか意地を張っているように獄寺は言う。



「―――それも…悪くなさそうですね」



背後で驚く気配を感じながら、けれど獄寺は悪戯っぽく笑って。

「でも、オレを追いかけるのにみんなの時間を割かせるわけにはいきませんから」

獄寺は左手を上げて―――両手があるのなら万歳をしているのだろうか、とにかく降参のジェスチャーをして。



「分かりました。オレの負けです。…捕まってしまいます」

「ああ」

リボーンは短くそう言って、獄寺の前に手を差し出す。



「ほら、―――帰るぞ」



「…はい」

言って、獄寺は目の前のリボーンの手を、

おずおずとしながら、ゆっくりと。



それでも残された左手で、確かに掴んだ。





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帰りましょう。