朝日が昇り始めた頃、ふと寝具を見てみればそこに獄寺がいた。


その姿はあまりにも自然で、さも「何年も前からこうしていました」とでも言わんばかりに、当たり前のように存在していて。


微かに寝息を立てている獄寺を何となく眺めていたら、朝日に照らされてか、獄寺は身じろぎをした。


目蓋を開き、身をゆっくりと起こし、寝惚け眼で辺りを見渡す。


やがて、その眼がオレを捉えた。


獄寺は寝惚け眼のままオレを見て、そして、やがて―――何故だか、微笑んだ。





「リボーンさん」





獄寺が、オレの名を言う。



「おはようございます」


「ああ」



素っ気ないオレの言葉にも獄寺は怯むことなく、その笑みを崩すこともなく、つまり全く気にせず、身支度を始めた。


あれは一体誰が用意したのだろう。少なくとも、オレは知らない。


オレは獄寺の支度が終わるのを待ってから、問い掛けた。



「腹は減っているか?」


「え―――ああ、はい」



なら、ひとまず食事にするかとオレは支度を始めた。





オレの眼前、獄寺が飯を頬張っている。


オレの前にはコーヒー一杯。それを飲んでる間に、獄寺はクロワッサン、サラダ、スープと次々に胃袋の中に収めている。


生きるために、必要不可欠な食事をしている。


美味しいですね、なんて、そんな呑気な感想を零しながら。





「それで―――リボーンさん」


「なんだ」



獄寺が聞いてきたのは、食後の紅茶を飲みながらだった。


オレの言葉は、相変わらず冷たく、素っ気ない。


獄寺はといえば、こちらも変わらず気にした様子を見せず、ビスコッティに手を伸ばしながら続きの言葉を放つ。



「お聞きしたいことがあるのですが」


「言ってみろ」


「もしかしたら、オレが寝惚けているだけで、とんでもなく間抜けなことを言ってしまうかも知れませんが」


「お前が間抜けなのはいつもの事だ」



なんてオレの暴言にも獄寺は「それもそうですね」と納得すらして、オレに問う。





「確かオレって―――死んだんじゃ、ありませんでしたっけ」





それは、その問いは、獄寺本人が言った通りあまりにも間抜け過ぎた。


何を馬鹿なことを言っているんだと、なら今オレの前にいるお前は誰なんだと、そう言ってやりたくなるような質問だった。


だが―――



「ああ、その通りだ」



オレの口から出るのは、肯定の言葉。



「お前は確かに、死んだ身だ」



獄寺は驚くことなく、悲観することもなく、ああやっぱりと納得した顔すら見せた。



「お前は既に、この世の住人じゃない―――獄寺」



事実を突き付けてやれば、獄寺はそうですよねえ、と頷きながらオレを見る。



「…こう言ったら、もしかしたらお怒りになるかも知れませんが…大きくなりましたね、リボーンさん」


「お前は変わらんな」



この世界は獄寺が死んでから既に10年もの月日が流れていた。


その時間分オレは成長し―――


獄寺は10年前の、死んだ頃の、14歳の姿のままだった。





「それで、これって一体どういう事なのか…リボーンさん、お分かりになりますか?」


「オレもこれまで色んな経験をしてはきたがな、流石に10年前に死んだ奴がいきなり現れる現象に心当たりはない」



オレがそう言えば、獄寺はそうですかと落胆した様子すらなく呟く。



「しかし、流石ですねリボーンさん」


「何?」


「死んだオレがこうして現れたのに、取り乱さず慌てないなんて」



とはいえ、そんなリボーンさん想像すら付きませんが。と言いつつ獄寺は笑う。


対して、オレは変わらず仏頂面の突き放した口調で言う。



「夢で見たからな」


「夢…ですか?」


「ああ。―――こうして、オレとお前が向かい合って話している夢だ」



その通り、言った通りにオレは夢を見た。


朝、死んだはずの獄寺が何故かオレの寝具で寝ており、起きて、オレと話す。


今、まさにこうしているように。



「予知夢…って奴ですかね。凄いですね、リボーンさん」


「どうだろうな。…そして、まあ、ついでに言っておくが、」


「はい」


「夢では、日が落ちる頃お前は消えた」



そう言われても、獄寺はやはり特に狼狽える感情も見せず、



「おやまあ」



なんて、そんな間抜けな感想を漏らすだけだった。


獄寺が最後のビスコッティを頬張る。





「それで、どうしたい?」


「はい?」



食事も、しておかねばならぬであろう話も終わり、オレは獄寺に問い掛ける。



「10年振りのこの世界で、何かしたいことはあるかと聞いてるんだ」


「何か…ですか」



獄寺はオレを見る。



「オレよりも、リボーンさんはどうなんですか? お仕事とか」


「今日はオフだ」


「でしたら、何か用事とか」


「お前を一人にしておけるか。誰かに見つかりでもしたらどうなると思う」



そう言えば、獄寺は大騒ぎになるでしょうねえ、とまるで他人事のように呟いた。


オレは大騒ぎどころじゃ済まないだろうよ、と内心で言う。


死んだはずの獄寺が、死んだ当時の姿で現れでもしたら―――しかも、恐らく夕暮れ時には消えるとまで知られたら。



想像すらしたくない。



「でしたら、まあ、一人隠れてますから、リボーンさんはどうかお好きになさって下さい」


「気を遣わないでいい。特に用事も入ってない」


「ですが…オレの相手など、したくないでしょう?」



そんなことはない。そう言ってやるのは簡単だし、そうでしたかと頷かせるのも簡単だろう。


とはいえ、こいつは信じないのだろうが。


オレはオレで、今までの…今まさに相対している態度の悪さで、まさか信じてもらえるなど思っちゃいないが。


勉強会の名目で二人、軽食を取ったことはある。何らかの集まりで大勢と共に食事会に出席したこともある。


が、先程のような、本当に純粋に…二人きりでの、ただの食事など、今日までしたことすらなかったというのに。


だからオレは別の名目で、こいつを納得させることにした。



「死んだはずの人間と過ごすのは、いい経験になりそうだ」


「ああ―――なるほど。リボーンさんはこうして伝説を作っていかれたのですね」



リボーンさんの武勇伝の一つになれて光栄です、なんて獄寺はあっさりと納得した。


オレが共に過ごしたいのは、価値があるのは自分ではなく、死んでいるのに今こうしている不可思議な現象の方なのだ、と言わんばかりに。





「話は戻るが、何かしたいことはあるか?」


「リボーンさんが見られた夢では、オレはどうしていたんですか?」


「オレとセックスしていた」



獄寺が飲んでいた紅茶を噴き出し、咽、カップを落とした。続いて陶器の割れる音。



「………とでも言えば、お前はオレに足を開くのか?」


「え、あ、ああ、か、仮の話でしたか…って、しませんよ! 何言ってるんですか!!」



今まで何を言われてもろくに感情を動かさなかった獄寺が取り乱す。頬を紅潮させ、汗を掻き、眼球は意味もなく辺りを見渡す。恐らく体温は急上昇している。


…この程度の発言で動揺するとは、どれだけうぶなんだ、こいつは。



「ま、こういうことを言われたくなかったら自分のやりたいことぐらい自分で考えろ」


「わ、分りました…ああもう、すみません、カップ割っちゃって…掃除掃除」


「いいから、放っとけ」



獄寺はなおも気にしていたが、やがて謝罪と同意の言葉を言い、考え始める。


あと、ここまで夢の通りだ。


考える獄寺は、しかしすぐに顔を悩ませ、困った顔をしてオレを見た。



「すみません。特に思い付きません」


「あいつらに会いたくはないのか?」


「オレの姿、見られるわけにはいかないでしょう?」


「陰からこっそりとなら行けるだろ。お前が望むならオレがフォローしてやる」



オレがそう言っても、獄寺は頷かない。困った顔のまま、否定する。



「そういうのは…恐らくは、してはいけないんですよ」


「会いたくないのか?」


「会いたいですよ。でも…オレだけみんなの姿を見ても、オレの姿を誰かが見ても、オレと誰かが話をしても……結局いいことは、起きないと思うんですよ」



言ったあと、獄寺は、あ、リボーンさんは別ですからね。と言った。別にどうでもいいが。





「なら、自分の墓にでも行くか?」


「線香持ってった方がいいんですかね」



自分に手を合わせるつもりなのか。こいつは。



「墓を掘り返したらやっぱりそっちにもオレがいるんですかね」


「多分な」


「…オレこそがドッペルゲンガーなのかも知れません。どうしましょう。本当のオレが死ぬ!」


「もう死んでるけどな」



そしてそもそも自分の墓を荒らそうとするな。





「そういえばお前」


「はい」


「死に際は覚えているのか?」



聞けば、獄寺は表情を変えぬまま、



「実はあんまり」



と答える。



「知りたいと思う気持ちはあるか?」



問えば、獄寺は表情を変えぬまま、



「不思議なことに、特にないんですよね」



と答える。



「知りたくないのか? 自分が誰に殺されたのか」



言えば、獄寺は表情を変えぬまま、



「ああ、オレって殺されたんですか」



と、答えた。



「自分が死んだことは覚えているのに、死因は覚えていないのか」


「お恥ずかしながら」



最後に覚えているのは、「死んだ」という感覚だけらしい。



「どこまで覚えている?」


「日本ではなかったですね」


「そうだな」



その通り、獄寺の死に場所は日本ではなかった。


イタリアに呼ばれ、向かった先で殺された―――





らしい。





「らしい、とは?」



知っていることを告げれば、獄寺が問い掛けてくる。



「オレは全てが終わった後に話を聞いただけだ。オレはお前の件に何一つとして関わっちゃいない」



獄寺が殺された頃、丁度オレも別件の用があり日本を離れていた。獄寺が向かった先のイタリアとも違う場所。


日本に戻ってきた頃には、もう全てが終わっていた。


それでも聞けた話の、その断片から見えるのは…



「お前の死の真相は、未だに分かっちゃいないようだ」


「なんと、まあ」



それは、それは。と獄寺はやはり他人事。



「オレは殺されたと言ったが、それはあくまでもその可能性が一番高いだけでもしかしたら事故かも知れないし…何か事件に巻き込まれたのかも知れない」


「はっきりしてないんですね」


「そうだな」



噂だけは、未だに様々なものが流れている。


ボンゴレに恨みのある暗殺者の犯行、獄寺本人を憎んでいるマフィアの犯行。


マフィアを嫌っている一般人の犯行、銀髪碧眼を好む変質者の犯行。


他殺、事故、病死、自殺。馬鹿馬鹿しいものからどうしたらそんな発想が出るのだと呆れてしまうものまで獄寺の死因は枝分かれしている。


そんな中、オレが最も可能性が高いと思うものは…





「オレは、お前はツナの右腕の座を狙う人間に…今、ツナの右腕をやってる人間に殺されたんじゃないかと、睨んでいる」


「―――――」





オレの発言に、獄寺は無言。


烈火の如く怒り出すことも、嘆くことも、悲痛に呻くこともせず、表情すら変えず、オレを見据える。


そして、やがて。獄寺は息と共に言葉を吐き出す。



「リボーンさんがそう思うのなら、きっとそれが真実だとは思いますが、」



その声は、静かで。



「しかしまあ、そんな奴に殺されたんだとすれば、」



その声は、真っ直ぐで。



「所詮オレは未熟者で、右腕の器じゃなかったってことでしょうね」



その声に、揺らぎはない。



夢で見た通りに進んでいるとはいえ、それでも違和感を拭えない。


あれほど右腕に、ツナの役に立つことに執着していたというのに。


オレの視線から何を読み取ったのか、獄寺はまた淡く笑う。



「オレとしても、自分の変わりように少しは驚いてるんですから、そんな顔しないで下さいよ」



オレは今どんな顔をしているのだろうか。あるいは、こいつにオレの顔はどんな風に見えているのだろうか。


こいつに読ませられる程度の表情など、していないと思うのだが。


そんなオレの胸の内など知らず、獄寺は続ける。



「なんだか、感情が、あまり湧かなくなって」



ツナに対する執着心も、生への渇望も、自分を殺した奴への怒りも、あまり感じないらしい。



「もちろん、10代目への恩を、忘れたわけでは、ないのですが」



会いたいと思う気持ちも本物で、それに嘘偽りはないと言う。



「でも、まあ、だからこそなのかも知れませんが」



獄寺は言う。





「あなたと話している今が、とても楽しい」





淡く笑う顔からは、嘘を見いだせない。


本当に、そう思って、言っている。



「―――生前、オレと話すのはつまらなかったか」


「緊張してました。自分の未熟さを片端から指摘されやしないかと」



実際していたし、それでこいつが傷付いていたことも知っていた。


それでもそのことを隠そうと表面だけは平然を保とうとし、会話を合わせてきていた。



「でも―――まあ、今この感情のあまりない身体では、何を言われても、別に」



何を言われても平気だし、逆に何でも言えるような気もします。と獄寺は笑う。


だから、と獄寺は言う。


リボーンさん、とオレの名を呼ぶ。



「暇で、オレの相手をして下さると言うのなら、話し相手になってくれませんか?」



10年分。生前の頃、話せなかった分も含めて。と獄寺は笑いながら言う。


ツナや他のメンバーに会う事よりも、自分を殺した奴や死の真相を暴く事よりも、オレと話したいと、獄寺は言う。


構わないとオレは言い、対面する獄寺と話す。



全ては夢の通り。予定調和。



だからきっと、夢の通りに話と時間は進み。


夕暮れ時、こいつは跡形もなく、煙のように、まるで最初からどこにもいなかったかのように消えるのだろう。


夢の中、オレは幾度となくこいつに「悪かったな」と謝罪の一言を言おうと思いつつも言えなかったが、


きっとその通りに、時間は進むのだろう。





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気が付けば、朝になっていた。

部屋の中にはオレ一人。

朝日が昇り始めた頃、ふと寝具を見てみてもそこには誰もおらず。

確認してみたが、あいつが消費したはずの食材も、オレが飲んだはずのコーヒーも、あいつが割ったはずのカップでさえ、全てが元通りになっていた。