その日は、その季節にしては気温が高くて。


いつも通りに穏やかで、平凡で、退屈な一日だった。





朝。ひとつの道をひとりの少女が歩いてる。


近くの中学校の制服を着て、指定鞄を持って。てくてく、てくてくと。


家を出て三つ目の角を曲がった先に、ひとりの少年が立っている。


その姿を認めた少女の口元が、少しだけ綻んだことに……本人は気付かない。


自分の胸の奥が少しだけ弾んだことも、心の奥底から湧き上がる想いも…少女は気付かない。


気付かないまま、少女は少年に声を掛ける。


「おはようございます、リボーンさん」


「獄寺」


空を見上げていた10歳程の…リボーンと呼ばれた少年は声を掛けた少女…獄寺の顔を見て笑顔を浮かべた。


「ああ、おはよう。今日も可愛いな」


なんて。小学生とは思えないような台詞を軽々と言ってのける。


対して、言われた獄寺はというと「はいはい」と言いながらあっさりかわす。


リボーンはこの手の台詞を随分と昔から獄寺に言っており、獄寺はすっかり慣れてしまったのだ。


しかしながら、残念なことにリボーンの台詞が冗談などではなく、本気で言ってることには未だに気付いてはいない。


「行きましょうか。リボーンさん」


「ああ」


いつも通りの挨拶を交わし、二人は中学校と小学校を分かつ道まで並んで歩き、別れた。


これが二人の朝。


これが二人の日常。





「好きな人?」


その日の昼休み。


獄寺が友人と昼食を取っていると、いつの間にやら色恋沙汰の話になっていた。


「そう。獄寺くん、好きな人って、いる?」


「……………」


考えたことすらなかった。


年頃の乙女としてそれは少しどうなんだと獄寺は少し落ち込んだ。


「ご、獄寺くん!?」


「なんでもない…」


しかし好きな人…好きな人。


………ふむ。


「いない」


「いないの?」


「いない」


「へえー…獄寺くんもてるのに」


「あれは珍しがってるだけだ」


「ツナくんは? ツナくんは獄寺くんの内面を見ているって感じだけど」


「いや、あの人は確かに尊敬出来る方だけど沢田さんはそんなんじゃ……」


そしてそれ以前に今話題に上がった沢田綱吉氏は今獄寺の眼前にいる笹川京子に好意を抱いているのだった。どうやら笹川本人は知らないようだが。


「何のお話ですか?」


「あ、ハルちゃん。獄寺くんの好きな人の話だよー」


「オレだけ?」


「獄寺さんの好きな人っていったら、リボーンちゃんなんじゃないんですか?」


「いや、待てよ」


「ああ、リボーンくん。可愛いよねー」


「だから待てよ」


「「え?」」


「お前らな…リボーンさんは10歳の小学生だぞ」


「私たちだって14歳の中学生だよ?」


「4歳差です! 有りです! 大有りです!!」


「それにリボーンくん、すっごい大人びていてこっちより年上に見えるときあるしねー」


「いや、まあそれは認めるが……しかしなあ…」


暴走する乙女二人をなだめる獄寺。


同時、教室の中では無心を決め込みながらもクラスのアイドルにして並中高嶺の花獄寺隼人に恋する男子生徒諸君は必死にその会話を聞いては勝手に期待して勝手に玉砕していた。





「獄寺。今度の日曜日、オレと出掛けないか?」


「日曜日…ですか?」


獄寺がリボーンからそんな話を持ち掛けられたのは、例の恋バナ騒動から数日後のことだった。


あれから、獄寺はリボーンを前にするとあの話題を思い出しては何故か気不味くなりリボーンに対してどこか素っ気ない態度を取ってしまっていたのだが…リボーン本人はまったく気にしてないらしい。


「ああ。聞いて驚け。なんとひょんなことから遊園地のペアチケットが当たったんだ。これはもうお前と行くしかあるまい」


「ひょんなことって…どんなことをなさったんですか?」


「うむ。商店街のくじ引きだ」


「なるほど」


本当にひょんなことだった。


そういえばリボーンさんは昔からくじ運がよかったなぁ…と少しばかり思い出に浸る獄寺。実は結構色んなものを貰っている獄寺なのであった。


「それで、どうだ? 無論お前に何か他に用事があるってんなら…」


「…いえ、大丈夫です。特に予定も入ってませんし……そうですね。せっかくですから、行きましょうか」


「いいのか!?」


獄寺の言葉にリボーンがパッと顔を輝かせる。


そのあまりにもの喜びように獄寺の方が驚いたぐらいだ。


「…随分と嬉しそうですね」


「ん? 当たり前だろ? 久々にお前と出掛けられるんだぞ?」


「はあ…」


よもやこの方。本当にオレのことが好きなのだろうか。なんてことを今更思う獄寺。


しかし残念なことに今はまだそれが本意であると至れない。


ふたりは待ち合わせの約束をして別れた。





そして当日。





獄寺が待ち合わせ場所に着くと、リボーンはすでに来ていた。


「すみませんリボーンさん、待ちましたか?」


「いや、今来たところだ」


傍目からでも分かるほどリボーンはうきうきしていた。


「では、行きましょうか」


獄寺が苦笑しながら手を出し、二人は手を繋いで歩き出した。


それから二人は事故もトラブルもなく無事に遊園地に着いて。


落ち着いていても、大人ぶっていても獄寺はまだ遊びたい年頃の中学生。


なんだかんだで楽しみにしており、目をキラキラと輝かせて遊び狂った。


様々なアトラクションに挑戦しては子供のように笑う。


太陽が大きく傾いた頃、ようやく休憩しようとベンチに座って一息ついた。


「ほら、獄寺」


「あ…リボーンさん。ありがとうございます」


獄寺はリボーンからジュースを受け取り口に含む。冷たい液体が喉を通り抜けた。


「随分とはしゃいでたな」


リボーンにそう突っ込まれて獄寺ははっと正気に返った。


「い、いや…その、これは……っ」


「いや、別にいいんだが。そうして子供っぽく笑っている方が、ずっと可愛い」


「可愛いって……」


相変わらず大人びた口調で小学生らしからぬ言葉遣いをするリボーンに獄寺は苦笑する。


「本当のことだからな。まあお前ぐらいの年の頃は美人と言われたいかもしれないが…実際美人だが、でも昔馴染みのオレとしてはやっぱり可愛いイメージがなあ…」


「わ、分かった分かりましたから、それ以上言わないでください」


照れながらもそう言って、獄寺は会話を打ち切る。明後日の方向を向いて、赤く染まった顔を見られないようにする。


…そこで、ふと。気付いた。


どうしてオレは今照れた?


何故オレは今赤くなった顔を見られないようにした?


今までもこんなことはあったのに。


これではまるで…リボーンさんを意識しているみたいじゃないか。


「どうした? 獄寺」


考え込む獄寺にリボーンが声を掛け、それに驚いた獄寺は器官に飲み物を入れてしまう。


咽る獄寺にリボーンは慌てて獄寺の背をさすった。


「おい、大丈夫か?」


「……大丈夫です」


「疲れたのか? 具合が悪いんだったら今から帰るぞ」


「い、いえ、そうじゃなくて…」


言いながら、獄寺はリボーンとの近さに驚き鼓動が高鳴るのを感じた。理由は不明。それでもなんとか平常を取り繕って。


「大丈夫ですリボーンさん。ちょっと慌てて飲んじゃっただけですから」


「そうか。それならいいんだ」


リボーンは安心したように笑った。


「…休憩は終わりです。次のアトラクションに行きますよ!」


獄寺はリボーンの顔を見ないよう立ち上がり、歩き出す。


「なんだ、もう行くのか?」


「ええ、昼時の今こそあまり並ばないで済むチャンスなので!!」


赤い顔を誤魔化すように叫んで、手近なアトラクションに並ぶ。


リボーンも隣に並ぶが生憎そのアトラクションはジェットコースターで。


リボーンは身長制限に引っかかり乗ることが出来なかった。


獄寺がジェットコースターから帰ってくると、そこには多少へこんだリボーンが待っていた。


リボーンは低身なのを気にしていた。


「…その、リボーンさん……」


「………」


「あの、オレだけ楽しんでしまって…その、」


「…いや、いいんだ。お前が楽しかったのなら、オレは満足だ……」


多少影の入った顔で、それでもリボーンの第一は獄寺なのであった。


「この身長だからオレは獄寺に弟程度にしか思われないんだ…!!」


リボーンは蹲り、地面に拳を叩きつけていた。


「り、リボーンさん、リボーンさん!! 落ち着いてください!! ほら、昼食にしましょう!! ひとまずあそこの店に!!」


獄寺は落ち込むリボーンを引きずって軽食屋に入った。





「…すまない獄寺。見苦しいところを見せちまったな」


「いえ、いいんですよ」


獄寺はそう言って笑うが、リボーンはまだ落ち込んでいる。


「オレ、リボーンさんのそういうとこ結構好きなんですけど」


ぽつりとそう呟けばリボーンの動きがぴたりと止まる。


「……………クッ」


しかしリボーンは悔しげに肩を震わせた。


「り、リボーンさん…?」


「オレとしてはお前の前ではいつも格好良くいたいんだ…!! でも好きって言ってくれてありがとう!!」


複雑な男心だった。


「…見てろ。10年後のオレはそれはもう…凄いからな」


「凄いんですか」


「ああ。身長が2メートルぐらいある」


「それは…凄いですね」


「ああ。そして物凄い男前になってる。何でも出来る。お前に苦労はさせない」


ずいっと身体を乗り出してそう断言するリボーンに、落ち着いたはずの獄寺の心がまたざわめき出す。


「ま…また、リボーンさんそんなこと言って…同年代の子とかどうなんですか? リボーンさん、もてるでしょう」


「んなこと言われてもな…オレはお前にしか興味ないし」


「ああ…その年の頃は年上に憧れるらしいですからね」


「いや、オレはお前がたとえ10歳ぐらい年下だったとしてもお前に惹かれていただろうな」


「…それはそれで問題発言のような」


「まあ、お前がまだ子供のオレを恋愛対象に見れないのも仕方ない。だがまあ…時間の問題だな。すぐに馬鹿みたいにいい男になって、お前をオレしか見れないようにしてやるよ」


鋭い目で見つめられて、獄寺は思わず息を呑んだ。


だけどそれに呑まれるのはなんだか癪なので。


「そうですね。じゃあ次二人で遊園地に行く時は、一緒にジェットコースターに乗りましょうね」


「う…うむ」


リボーンは先ほどのダメージを思い出し、また少し落ち込んだ。





夕暮れになり、赤に照らされながら二人は帰路に着く。


「今日は楽しかったです。リボーンさん、誘ってくださってありがとうございました」


「ああ、いいんだ。オレもお前と出掛けられて楽しかった。…家まで送ろうか?」


「…いえ。むしろオレが送りますよ」


何度も言うが、リボーンは小学生である。


「そうか? だがそうしたら帰り道お前がひとりじゃないか」


「いえ…まだ明るいですし、大丈夫ですよ」


「うむ…仕方ない。間を取って待ち合わせ場所の公園で解散することにするか」


「…そうですね。そうしましょうか」


本来なら獄寺が責任をもって送るべきなのだろうが、どう考えてもリボーンが納得するとは思えなかった。


そうするうちに公園に着き、二人は別れる。


「じゃあな獄寺。また明日」


「ええ。リボーンさん、また明日」


二人笑って、それぞれ歩き出す。


それはあまりにもいつも通りで。


だから二人とも、ずっとずっと、いつまでも。


こんな日々が続くんだろうと、思う間もなく信じれた。





その日は、その季節にしては気温が低くて。


いつも通りに穏やかで、平凡で、退屈な一日だった。





朝。ひとつの道をひとりの少女が歩いてる。


近くの中学校の制服を着て、指定鞄を持って。てくてく、てくてくと。


家を出て三つ目の角を曲がった先に、ひとりの少年が立っている。


その姿を認めた少女の口元が、少しだけ綻んだことに……本人は気付く。


自分の胸の奥が少しだけ弾んだことにも、心の奥底から湧き上がる想いにも…少女は、気付く。


想いに気付いて、どこかくすぐったいような、照れるような感情を自覚しつつ、少女は少年に声を掛ける。


「おはようございます、リボーンさん」


「獄寺」


空を見上げていた10歳程の…リボーンと呼ばれた少年は声を掛けた少女…獄寺の顔を見て笑顔を浮かべた。


「ああ、おはよう。今日も可愛いな」


なんて。小学生とは思えないような台詞を軽々と言ってのける。


対して、言われた獄寺はというと少しだけ言葉を詰まらせる。


いつものことなのに。いつものことだと。もう受け流せない。


だけどそれを気付かせないように精一杯の演技をして見せて。


「行きましょうか。リボーンさん」


「ああ」


いつも通りの挨拶を交わし、二人は中学校と小学校を分かつ道まで並んで歩き、別れた。


これが二人の朝。


これが二人の日常。


ただ、ひとつだけいつもと違ったことがあるならば。挨拶したあとの会話とこの行動。


「リボーンさん」


「ん?」


「…手。繋いで歩きませんか? …その、昔みたいに」


意識しているのを悟られないようにと、咄嗟に台詞を付け足してみればリボーンは疑う素振りも見せずに手を差し出す。


「なんだ、昔が懐かしくなったか?」


「ええ…まあ」


「オレとしては昨日の一件でお前が多少なりともオレのことを意識してくれれば嬉しかったんだがな。まあそう上手くはいかないか」


「あはは…」


あながち上手くいってないとは言えないですよ。


なんて。思っても口にはまだ出せない獄寺であった。


握ったリボーンの手のひらは、昨日握った時よりもやけに冷たく感じたのが印象的だった。





そしてその次の日から。


リボーンがいつもの場所にいることはなくなった。


獄寺と別れたあと、事故にあったのだと獄寺が知ったのは、事故から三日後のことだった。





「リボーンさん!?」


リボーンが事故にあったのだと知り、慌てて病院を聞き出して駆けつける。


病室にいたのは、患者服に身を包みこんだリボーンだった。折ったのか片腕と片足には包帯が幾重にも巻かれていた。


「獄寺?」


「リボーンさん! 大事無いですか!?」


獄寺の剣幕にかリボーンは驚き、どうどうと獄寺をなだめる。


「ご…獄寺。落ち着け」


「だって…だってリボーンさん、車に轢かれたって…!!」


「そうだが、大丈夫だ。骨は折れたが命には別状はない」


「リボーンさん…」


「泣くな…獄寺。オレはお前に泣かれると弱い」


言われて、初めて獄寺は自分が泣いていることに気付いた。手のひらで拭うが、意味はないのだというかのように次から次へとあふれてくる。


「…ほら」


「んっ」


リボーンがハンカチを獄寺の目に当て、ようやく少し落ち着く。今、リボーンがここにいて、生きている。リボーンの手を、ぬくもりを、優しさを感じる。


暫くして、ようやく獄寺の涙が止まった。そして次に獄寺に湧いてくる感情は……怒りであった。


「どうして教えてくれなかったんですか!!」


「ご、獄寺。ここは病院だ。あまり大声を出すな」


「何も知らず呑気に三日も過ごして!! 情けないです、オレ!!」


「い、いや獄寺。オレが隠してたんだ。…お前に心配を掛けたくなくってな」


「なんですかそれ!! もしかしてリボーンさん、出来たならオレにずっと隠し通して退院するつもりだったんですか!?」


「う、うむ」


「馬鹿!!」


獄寺がリボーンの胸に飛び込む。止まった涙がまたあふれてくる。


「ご、獄寺…」


「馬鹿! リボーンさんの馬鹿!! 馬鹿馬鹿!!」


「………」


「あなたが事故に遭ったと聞いた時、オレがどんな思いをしたか…!! どれだけ心配したか!!」


「獄寺…すまない」


「リボーンさんに何かあったら、オレ…オレ……!!」


「…獄寺。オレが悪かった。謝るから、もうしないから…どうか、泣き止んでくれ」


「リボーンさん…」


リボーンの指が獄寺の涙を拭う。


獄寺は泣き顔を見られたくなくって、顔を伏せた。


やがて面会時間の終わりを告げられ、獄寺は退室する。


「明日もまた…来ます」


「ああ…楽しみにしている」


そしてその宣言の通り、獄寺は次の日も見舞いに来た。


その次の日も、そのまた次の日も。


毎日獄寺はリボーンの病室に通い続けた。時間の許す限り、ずっと。


リボーンの怪我は順調に治っていったが、何故か退院する話はいつまで経っても出てこなかった。


それどころか。


何故だか、獄寺の目にはリボーンの顔色が日に日に悪く、元気がなくなっていくように見えたのだった。


聞くべきか。聞かざるべきか。獄寺は悩んだ。


気のせいだったら悪いし、言うことで本当に具合が悪くなっても困る。だけど気になる。


そんなことを思いながら、獄寺は今日もリボーンの病室に入る。


その日、リボーンはベッドの上から窓の外を見ていた。


開かれた窓から風が入り込み、レースのカーテンとリボーンの髪を揺らしている。


「リボーンさん」


獄寺が声を掛けるも、リボーンは振り向かない。


「…リボーンさん?」


「…獄寺か」


二度目の呼びかけにやっとリボーンは答えた。だけどその声にはやはり覇気がない。


「…どうなされましたか?」


「いや…」


リボーンは獄寺の方を振り向こうとして…顔を伏せる。


「リボーンさん?」


「何でもない…何でもないんだ。獄寺」


「………」


いつもと様子の違うリボーンに、獄寺も黙り込む。


リボーンの存在が、獄寺にはいつもよりも小さく見えた。


「リボーンさん…その、元気出してください」


「ああ…」


話せば話すほど、近付けば近付くほど何故かリボーンが小さくなっていくような気がした。


だから獄寺は手を伸ばし、リボーンの手を握った。リボーンが消えてしまわないように。


リボーンの手は冷たく、そして震えていた。


「………リボーンさん?」


「………」


獄寺の問い掛けに、リボーンは答えない。


「リボーンさん、寒いんですか?」


聞くものの、しかし今日の気温は高く、薄着をしていても暑いぐらいだ。


「リボーンさん…? どうなされたんですか?」


「…なんでもない」


「本当ですか?」


「ああ…」


「………」


俯いたまま答えるリボーンを、獄寺はそっと抱きしめた。


「…獄寺?」


「リボーンさん。オレはあなたの言うことを信じます。ですからあなたがなんでもないと言うのでしたらそうなのでしょう」


「……………」


「でも…リボーンさん。覚えてますか? オレが初めてこの病室に来た日のこと」


「ああ…」


「泣いて取り乱すオレに、もう隠し事はしないと約束してくださいましたね。オレはそのこと…信じてますから。何かあったら……言ってくださいますよね?」


「……………そうだったな。獄寺」


「はい」


リボーンは獄寺の背中に腕を回し、抱きしめる。


「…悪い。獄寺。……約束したのに、またオレはお前に隠し事をしていた」


「…オレに…心配を掛けたくなかった、からですか?」


「それもあるが……今回はオレにも余裕がなくてな。そこまで頭が回らなかった」


「………リボーンさんが…ですか?」


「おいおい、オレを評価してくれるのは嬉しいんだがな。悪いが、こう見えてオレはまだ10歳の子供なんだ」


「…そうでしたね」


「………事故にあったとき、色々と検査をしたんだがな」


「…はい」


「その時…オレの身体から、病気が見つかったんだそうだ」


「………病気」


獄寺は思い出す。あの日、最後に一緒に登校した日。繋いだリボーンの手の冷たさを。


「なんという名前の、病気でしょう…」


「さあな。そこまでは教えちゃくれなかった」


「そうですか……きっと、大したことないですよ。すぐに良くなるに決まってます!」


「…そうだといいんだがな」


明るい声を出そうと務める獄寺に、あくまでリボーンの声は冷たい。


「…何か、不安な点でも?」


「何の根拠もないし、確証もない。だけど…オレは、このまま死ぬんじゃないかって……何故だかそう思うんだ」


「リボーンさん!?」


「オレは…怖いんだよ、獄寺」


リボーンの、抱きしめる腕の力が強くなる。


「このまま…お前と別れなきゃいけない。お前と離れなきゃいけない」


「リボーンさん…」


「もうお前と登校することも出来ない。お前とどこかに出掛けることも出来ない」


「リボーンさん」


「大きくなることも出来ない。お前とジェットコースターに乗れない」


「リボーンさん!」


「オレは…もう、お前と会えない!!」


「リボーンさんってば!!」


自分を追い込むリボーンを呼び戻すよう獄寺はリボーンの名を呼び、抱きしめる。


「ごく…でら……」


「ずっと…そのことで悩んでいたんですね」


「………」


「リボーンさん、大丈夫です」


「何を…」


「オレがずっと、傍にいますから」


「獄寺…」


「きっと、良くなります。それでも不安でしたら、オレに当たってください」


「…いや、そういうわけには……」


「リボーンさんの不安が取れるならお安い御用です」


「………獄寺」


「はい」


リボーンは腕をほどき、獄寺の肩を押して距離を取る。


「お前。もうここに来るな」


「ええっ!?」


リボーンのまさかの一言に獄寺は仰天した。


「あ、あの、オレ何かリボーンさんの機嫌を損ねる事でも……」


「そうじゃなくて…本当にお前に当たりそうなんだ」


「オレがそうしてくださいって言ってるじゃないですか」


「流石にお前にそこまで迷惑は掛けられん。逆の立場なら…まあ、好きな奴相手だから喜んでお前に当たられるが」


「………ですよ」


「ん?」


「オレも……好きな人相手だから、言ってるんですよ」


「は?」


「弟だとか、幼馴染とか、そんな関係の方に、ここまでするほどオレはお人好しじゃありませんから」


「え…? いや、その…」


「では、今日はこの辺で…失礼します」


「お、おい獄寺、今のは……」


リボーンの言葉を聞かず、目も合わせず獄寺は退室した。


その顔を、真っ赤にさせて。





翌日、獄寺はまたリボーンの病室に訪れる。


扉の前で、ノックしようとして暫く静止する。


何だか、非常に気不味い。


昨日、元気付けるためとは言え、あんなことを言ってしまって…一体どんな顔して会えばいいのか。


告げた言葉に嘘はない。けれど、いざ対面するとなると気恥ずかしい。


だからといってこのまま帰るわけにもいかない。


ぐるぐると色んな思考が獄寺の頭を周り、目が回りそうになる中―――


「獄寺?」


後ろから、病室内にいるはずの声が聞こえた。


「うわあ!?」


思わず声を上げ、身体を震わせる獄寺。


「す…すまない。驚かせたか?」


「り…リボーンさん」


獄寺が後ろを向くと、そこには松葉杖で身体を支えながら立っているリボーンの姿。


「…本当に来たんだな」


「え、ええ…」


暫し、お互い沈黙する。しかしやがて獄寺がはっと正気に返り。


「す、すみませんずっと立たせちゃって…部屋に入りましょう」


「あ、ああ…」


獄寺がドアを開き、リボーンがぎくしゃくとした動きで部屋に入った。


「…………………………」


リボーンがベッドに腰掛け、獄寺が椅子に座り、後には気不味い沈黙が流れる。


何か言わなければ、と思いながらも何も思い浮かばない。


いつもなら、他愛のない話がぽんぽんと出てくるというのに、今日に限って、何も出ててこない。


またも思考の渦に飲み込まれそうになる獄寺の頬を、冷たい感触が支配する。


「んんんんーーーー!!」


突然の出来事に獄寺が目を白黒させる。目の前を見ればリボーンが悪戯っ子の目でジュースを獄寺の頬に当てていた。


「飲め。お前がそろそろ来るだろうって思って、買ってきたんだ」


「あ…ありがとうございます」


リボーンの優しい眼差しに見つめられ、獄寺は顔を赤らめさせる。ジュースの味も分かりゃしない。


ジュースを飲み終わり、一息つく獄寺にリボーンが声を掛ける。


「なあ、獄寺」


「は、はい!」


「そう、構えるな。……頼みがあるんだが、いいか? 嫌なら断ってもいいんだが…」


「な、なんでしょう」


リボーンは顔を少し俯かせて、小さな声で言う。


「その…なんだ。少しの間でいい。手を…握っていては…くれないか」


獄寺はリボーンのその言葉に少し息を呑み、だけどふっと笑って…身を寄せ、その手を握る。


「その程度のお願いでいいんですか? もっとわがまま言ってもいいんですよ?」


「獄寺…」


リボーンが顔を上げ、微かに笑みを見せる。


リボーンの手はもう震えてはいなかったが、やはり冷たかった。





暫く、そんな日々が続いた。


それは穏やかで、静かで、優しくて。





そして、束の間の平和な時間だった。





だんだんと、だんだんと。少しずつ、減っていく面会時間。


顔色の悪くなっていくリボーン。


心に暗い闇が落ちていく。


まさか、なんて。よもや、なんて。嫌な考えが胸を占める。


締め付けられる胸。不安と心配で心が壊れそう。





ああ―――今、あなたの声が、聞きたい。





けれどその望みは叶えられず。


世界は無情にも過ぎ、時間は無情にも流れ…


そして……





「獄寺」


「なんですか?」


久々の見舞いに訪れた獄寺に、リボーンが硬い声で言う。


獄寺も姿勢を正して、聞きの態勢に入った。


「オレたち…別れよう」


「リボーンさん…」


リボーンの言葉に、獄寺は少し困った顔をした。


「オレたち…そもそも、まだ付き合ってません」


「む…そうだったか?」


「ええ」


「そうか…しまったな。オレの中ではもう将来の約束すら済ませていたぞ」


「それはそれは……」


気の早い。というかやや暴走気味のリボーンであった。


「なら、もうここに来なくていい」


「はあ…嫌ですけど」


「………獄寺」


しかめっ面をするリボーンの手を、獄寺が握る。冷たくて、硬い手。


「オレは、もうお前に負担を掛けたくないんだ。お前、色々と無理してるだろ」


「ここに来るのをやめた方が負担になりますよ」


「そ…そうなのか?」


「ええ」


その言葉は予想外だったのか、リボーンはうーむと考え込む。


「オレのことなんて考えなくていいんです。甘えてください」


「今お前に甘えたら、溺れてしまいそうだ」


「…どうしたんですか? 今日は随分と弱気ですが……」


「…夢見が少し、悪くてな。不安になった。…それだけだ」


「そう…ですか」


「ああ。―――まあ、何にしろ明日はここに来ない方がいい。検査がたくさんあるらしくて、多分会えないだろうからな」


「そうなんですか。分かりました」


「ああ」


それから時間が流れ、面会時間の終わりの時刻となる。


今日はリボーンの調子もよかったのか、いつもよりもだいぶ長めで。


赤い夕日が窓から差し込み、室内を、二人を赤く照らす。


「じゃあ、今日はこれで。…また、来ますね」


「ああ―――獄寺」


「はい?」


ドアを開いたところで名を呼ばれ、獄寺は振り返る。


夕日で赤く染まったリボーンが、真っ直ぐに獄寺を見ていた。





「愛してる」





短く、放たれた言葉。


獄寺は笑って返した。





「オレもです」





退室し、ドアを閉める。


平常を保っていた獄寺は途端にその場にへたり込み、顔を抑えた。


耳まで真っ赤にさせた顔で、動悸のする胸に落ち着くよう命令を飛ばす。





「………反則ですよ、リボーンさん」


小さく呟かれた言葉は、獄寺自身にすら届くことはなかった。





翌日、獄寺はリボーンに言われた通りに病院には行かなかった。


その次の日の朝、獄寺のもとに、リボーンが亡くなったとの連絡が入った。


そして。


リボーンが病院に来るなと言った、リボーンの命日となったその日は。


聞いたところ、検査など、ひとつも入ってはいなかった。





「リボーンさんの、馬鹿」


墓参りを済ませ、獄寺は一人呟く。


「死に様を見せたくないとか、あなたは一体どこの猫ですか。本当にあなたはオレのことをちっとも考えちゃいない」


獄寺の口調も顔も、怒りの色に染まっている。


「あの日には既に悟っていましたね? だから別れようとか、来なくていいとか、そんなことを言って」


枯れたはずの涙がまた溢れ出す。それを拭ってくれる指先はもうどこにもない。


「最後の最後まで隠し事して。ああ、もう―――本当に、馬鹿です。あなたは」


堪えきれず、獄寺は空を見上げる。よくリボーンが病室の窓から見ていた空。





―――この日は、その季節にしては気温が高くて。


悲しいほどに穏やかで、平凡で…そして最愛の人と別れた日だった。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さようなら。大好きです。リボーンさん。


リクエスト「パラレルもののリボ獄で死ネタが見たいですッ」
リクエストありがとうございました。