リボーンは獄寺に何も言わなかった。
言っても、何も変わらないのだ。
何をしても、意味はないのだ。
リボーンはこれまでに多くの―――あまりにもの多くの亡骸を踏み付けてきた。
それが、今更、救おうなどと、助けようなどと―――虫がいいにもほどがある。
何より、自分は死神なのだ。
死なせる事しか出来やしない。
死を引き延ばす事ぐらいは、出来るかも知れない。
だが、死なせない事は出来ない。
どう足掻いても、獄寺は死ぬだろう。何があっても、死んでしまうのだろう。
何せ、今獄寺の目の前には、死神がいるのだから。
死を司る神が、死ぬ事が決定した人間の前にいるのだから。
これで、こんな状況でどうやって救えよう?
無理に決まってる。
なら、もういいじゃないか。
誰かの声が聞こえる。それが誰の声なのかは分からない。
ただ、諦めた声だ。酷く疲れた声だ。とても重い声だ。
この声の主は一体何を諦めて、一体何に疲れて、一体何を背負っているのだろう。
考えてもリボーンには分からず、獄寺も黙るリボーンを見て会話が終わったのだと思いキッチンに引っ込んだ。
その日、獄寺はリボーンを町に案内し、リボーンは時折相槌を打ったり質問をしたりして時間を潰した。
食事の際は店には入らず、屋台や出店の軽食を獄寺に買って貰った。そうしないとややこしい事になるのだ。本当に、色々と。
そして、やがて陽が沈みまた夜が訪れる。世界は暗くなりほとんどの動物は眠りにつく。
獄寺にとっては、最後の夜だ。
それでも時間はいつも通りに進み、月もいつも通りに沈み太陽もいつも通りに昇ってくる。
何をしても、何もせずとも、何も変わらない。
獄寺はバスの始発に乗るため早朝に出発した。リボーンも付き合い、獄寺は朝早くに起こしてしまったリボーンに何度も謝罪をしていた。
やがて二人はバス乗り場に着き、他愛ない会話を繰り返す。
リボーンは知っていて、獄寺は知らない。
これが最後の会話になる事を。
そうして、時刻通りにバスが出発する。リボーンは乗らず、獄寺を見送る。
「夕方には帰ってきます。その時まだリボーンさんがこの町にいるのなら、また会いましょう」
「まだいたらな」
いるわけがない。リボーンはその事を知っているが、伏せていた。わざわざ言うべき事柄でないと、知っていた。
バスが出発する。バスという名の巨大な棺桶が、獄寺を乗せて死地へと向かう。
獄寺は窓から身を乗り出して、リボーンに向けて手を振っていた。まるで知らぬ内に棺桶から逃れようとしているように―――リボーンに助けを求めているように見えた。
だが、残念ながらリボーンは獄寺を助けない。
リボーンこそが、獄寺を殺しに来たのだから。
見逃すわけがない。
彼は死神なのだから。
バスが見えなくなり、リボーンは息を吐き、その時を待つ。
バスが事故を起こす時間。獄寺が死ぬ時間。
×月×日。今日この日。
××時××分。あと少し。
そして―――
獄寺は一人、バスに乗っていた。
窓際の席に付き、頬杖を突いてぼんやりと窓から見える景色を眺めている。
やがて―――まるで予定調和のように、踏まれる急ブレーキ。
車内全体が激しく揺れる。
悲鳴が上がり、何人かは座席から放り出された。獄寺もその中の一人だった。
バスは急激に掛けられたブレーキにより横転した。人も荷物もぶちまけられ、バスの中皆平等にシャッフルされる。
そして空の方角から、鉄柱が降ってきて―――
バスを、中にいる人物ごと、貫いた。
いつの間にか、そこにリボーンはいた。
まるで最初からそこにいたかのように、リボーンは佇んでいた。
バスが事故に遭う瞬間から、リボーンはその場に存在していた。
その顔は無表情で無感情で、何も読み取れない。
ともすれば、その姿はまるで精巧に出来た人形のようにすら見える。
だがリボーンが歩き出した事で、彼が人形でない事を世界が思い出させてくれた。
リボーンはバスに近付く。バスを踏み付ける。
足元を見る。
そこには、獄寺の―――もう動かない、獄寺の―――その眼に何も映さない、獄寺の―――ころころと変わっていた表情には痛みと怯えが貼り付けられ、それがもう変わる事のない獄寺隼人の亡骸が―――――あった。
リボーンが獄寺の亡骸に触れる。すると触れた部分から光が溢れ出し、やがて形を持ち、獄寺の亡骸から出てきた。
光の鳥。
獄寺の魂。
リボーンは獄寺の魂を無造作に掴む。まるで物のような扱い。獄寺の魂が急な出来事に驚き、暴れる。
しかしリボーンが押さえつける力の方が強く、やがて観念したかのように大人しくなった。
リボーンは帰る。この世界で、自分のするべき事―――仕事は終わったのだ。
死神の世界、リボーンたちの主の部屋。そこにリボーンは来ていた。リボーンの目の前には死神の世界の主。リボーンの手には回収した魂。
「ご苦労様、リボーン」
「………」
リボーンは何も言わない。何も言わないまま、魂を手から離す。
鳥の形をした魂は羽ばたき、光の翼を数枚落とし―――それもすぐに粒子となって消えてしまった―――主の元へと真っ直ぐと飛んだ。
魂が主の机の上に到着する頃、リボーンは既に踵を返していた。そしてそのまま退室した。
それを見ながら、主はリボーンの姿が見えなくなってから、息を吐いた。
「―――とうとう、キミは諦めてしまったのか」
その声は残念そうな、だけどどこか嬉しそうな、矛盾を孕んだ声色。
主の声は続く。
「―――よかったね。もうキミは苦しまないでいい。もう失敗する事はない。もう悲しまないでいい。もう嘆かないでいい。…いいんだよ、リボーン」
その声は労っているような、だけどまだ頑張ってほしそうな、二つの思いを孕んだ声色。
主の声は続く。
「―――キミは死神であるには優し過ぎて、そして死神としての才能が有り過ぎた」
その声色には、もはや矛盾は孕まれてない。
主の声は続く。
「―――一体、どんな気持ちなんだろう。救いたいと思う相手が、眼の前で死んでしまうのは」
光の鳥が主の言葉に耳を傾けている。
主の声は続く。
「何人もの人間を救いたいと思い、その度に失敗し続けてきたリボーン。…だけど、もう終わったんだね。もう、いいんだよね」
光の鳥が羽ばたき、部屋を出ようとする。しかし扉は閉まっており、出る事は叶わない。
光の鳥はドアに体当たりし、出ようとする。しかし、無駄だ。出られるわけがないのだ。
鉄の扉は脆弱な小鳥の力では開かないし、部屋の主もまたそれを許さないのだから。
「駄目だよ」
主が光の鳥を捕まえる。光の鳥は暴れる。だけど、抜け出れない。
主の手の力が強くなる。光の鳥は暴れる。
「リボーンの所に行って、またあの感情を思い出させちゃ、駄目だよ」
力が強まる。光の鳥は暴れる。羽が折れる。
力は弱まらない。光の鳥は暴れる。力が強まる。光の鳥は暴れる。力は弱まらない。光の鳥は、力は、光の―――――
何も知らないリボーンは、自室で一人、ベッドの中で横になっていた。
何故だか、非常に疲れていた。それにどこか落ち着かない。大切な何かを、どこかに置き忘れてきてしまったかのような。
だがリボーンは眼を瞑り、全てを忘れる選択を選んだ。
大切な何かなど、自分にあるはずがない。
何かを置き忘れてきたなど、そんなわけがない。
ああ、けれど。
暗闇の中に見える、彼らは、彼女らは、何なのだろう。誰なのだろう。
どうして、彼らと接触する自分が見えるのだろう。
あの人間たちは、今まで自分が殺してきたターゲットたちだろうか。
ああ、けれど、けれど。
どうして、自分はあの人間たちを助けようとしているのだろう。
死神たる自分が、何を思って人間を救おうなどとしているのだろう。
一体あいつ―――あれと自分を混合したくなかった―――は、何を勘違いしているのだろう。
死神は、殺す事しか出来ないというのに。
生かす事など、出来るはずがないのに。
なのに何故、あいつは人間の為に、必死に、走り回っているのだろう。
そして、当然のように失敗した結果、何をあんなに嘆いているのだろう。
当たり前の結果だろうに。
分かり切った結末だろうに。
何悲しんでるんだか。
何苦しんでるんだか。
馬鹿馬鹿しい。
何でもない映像だ。自分とは全く、何も関係ない、無関係の光景だ。
何故だか、自分の姿が投影されているが、それだけだ。
それだけなのに―――
―――何故だか、胸の奥が、酷く痛んだ。
急に睡魔が襲ってきた。
今の痛みを、光景を、記憶を―――全てを、消し去るように。
…眠ろう。もう、眠ってしまおう。
仕事が終わり、やるべき事が終わった今次の仕事が来るまで眠るしかない。それしかする事がない。
ただでさえ暗い部屋の中、目を閉じれば完全な闇が広がり視界以外がクリアになる。
―――どこかで、何かがつぶれる音がした。
その音を最後に、リボーンはスイッチが切れたかのように眠りについた。
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END No.1「任務完了」
回収した魂の行方など、死神は知らない。