「獄寺」
「はい?」
「そのバスには、乗らない方がいい」
「え?」
「………」
「リボーンさん?」
「…いや、何でもない。気にしないでいい」
「はあ…」
獄寺は釈然としない顔を見せながらも、頷いた。そしてコーヒーを入れてきます、と言ってキッチンに引っ込む。
残されたリボーンは深く息を吐いていた。
―――何故、オレはあんな事を言った?
自分で自分のした行為の理由が見つけられない。
獄寺が死ぬのは決定された事であり、獄寺の死を見届け、その魂を回収するのがリボーンの仕事である。
なのに何故、それを邪魔するような事を自分でしてしまったのか。
リボーンには分からなかった。
やがて獄寺がコーヒーとビスコッティを持ってきて、二人で摘んだ。
10時にハウスキーパーが来るから、と獄寺はリボーンを外へ連れ出した。余程会いたくないらしい。
「リボーンさん、この町には初めて来たんですよね? なんでしたら案内しましょうか」
「…そうだな」
町の情報などリボーンには必要なかったが、頷いた。
リボーンは己の内側が変わっていくような変化に戸惑っていた。
生き物が死ぬのは自然の摂理であり、それを邪魔する事は死を司る神であっても許されるものではない。
たとえその死因がどのようなものであったとしてもだ。
その事はリボーンも知っている。知識としてではなく、死神としての本能が知っている。
にも関わらず、リボーンは獄寺の決められた死を邪魔するような事をした。
一体、何故。
リボーンは獄寺の説明も半分に、その事ばかり考えていた。
「リボーンさん、オレの説明…下手ですか?」
昼下がり、公園のベンチで休んでいると獄寺が申し訳なさそうに聞いてきた。
上の空のリボーンの態度を、退屈していると思われたらしい。
「ああ、いや、そんなんじゃない―――」
目の前に獄寺がいる。
生きている。
だけど死ぬ。
もうじき死ぬ。
あと2日。
×月×日。
××時××分。
交通事故に遭い死ぬ。
これはもう決められた事。
誰にも覆せない。
どう足掻いても。
だからこそ、リボーンが、死神が目覚めた。
獄寺の魂を刈るために。
獄寺の死を見届けるために、二人は出会った。
リボーンは嫌な汗を掻く。
気持ち悪い。
苦しい。
「―――リボーンさん?」
獄寺の声に、正気に返るリボーン。
正面を見上げれば、獄寺が困った顔をしている。
「気分が悪いんですか? それとも具合が…? すいません、オレ、全然気付かないで……」
「いや、そういうわけじゃ……」
陽射しが強い。
遠くで誰かの視線を感じる。
恐らくは、傍目には獄寺が一人でぶつぶつと呟いているだけに見えるのを、不審に思っているのだろう。
あと2日。
いや、2日ももうない。
×月×日。
××時××分。
タイムリミットまであと―――
リボーンは獄寺を見る。
獄寺は不安げな表情でリボーンを見ている。心配しているのだ。
獄寺が死ぬのを知っていながら、それを黙っている自分を。
獄寺が死ぬのを待っている自分を。
獄寺の魂を回収しに来た、死神を。
「ちょっと用事を思い出した」
リボーンはそう獄寺に告げる。
獄寺が聞き返すも、リボーンはそれに答えない。答える余裕などない。
ベンチから立ち上がり、踵を返す。背後から獄寺の声。リボーンを呼ぶ声。
無視してすたすたと歩きだす。曲がり角に消える。
慌てて追い掛けて来た獄寺がリボーンの曲がった角に足を踏み入れた時、もうリボーンの姿はどこにもなかった。
リボーンは死神の世界に帰って来ていた。
早足で通路を進む。
向かう先は主の部屋ではない。自室でもない。リボーンと同じ死神、同僚の部屋だ。
あの日、感じた気配は知ったものだった。リボーンが会話をした事のある、同僚の気配だった。
ドアをノックもせずに開け放つ。中にはあの日感じた気配を持つ人物が予想通りに存在していた。
「聞きたい事がある」
「え…な、な……」
部屋の主は困惑し、驚いていた。同僚とはいえ、然程交流もない人物がいきなり現れたのだから当然かも知れない。
「昨日、お前は魂を回収したな」
「し、したけど、それが?」
突然の事に同僚は展開に付いていけてない。ただどもりながらも聞かれた事を答えている。
「時間は情報通りだったか? 事前に聞いた通りの時刻にそいつは死んだのか?」
「え―――ああ、そうそう聞いてよリボーン! 違ったんだよ! 少し早かった…何なのあれ。死因も違ったし。おかげで僕のスケジュールが狂って…ってリボーン! 急に来たと思ったらどこ行くんだよ!!」
リボーンは「違った」という言葉を聞いて踵を返していた。予想した通りの、そして望んでいた答えだった。
あの日、獄寺を襲っていたごろつきはもっと遅く死ぬはずだった。
だがリボーンが介入した事により未来は変わった。時刻はもとより、死因すら。
未来は、変えられる。
ごろつきには特に意識してなかったから、時刻と死因しか変えられなかったが、助けようと思い行動すれば、きっと―――
と、通路の先、この世界の主がいた。少し寂しげな表情で、リボーンを見ている。
―――見透かされているな。
リボーンは瞬時に悟った。自分がターゲットを生かすつもりである事が、ばれていると。
リボーンは主の前で立ち止まり、対峙する。
「オレを止めるつもりか?」
「…いいや、止めない。好きにしなよ」
咎められる、あるいは閉じ込められ、罰を受けるとすら思ったリボーンだったが、主の返答は予想外にも行動の肯定。
主は身を壁側に寄せ、通路を開ける。
「…どういうつもりだ? オレがしているのは仕事放棄…死神失格もいいとこだろ」
「そうかも知れない。だけど、オレは止めない」
主の表情に悲しみが追加される。
リボーンにはその意味がよく分からない。
だが、時間がない。リボーンは主を通り抜ける。
背後で主の声が聞こえた。
その声はこう言っていた。
「ただね、リボーン…キミは今の今まで、仕事を失敗した事はないんだよ」
だからなんだ、とリボーンは心中で返した。
今までがどうであれ、仕事はこれから失敗しに行くんだ。
獄寺の住む屋敷に戻った時には、もう陽は落ちていた。
人間の世界においてはこんな時分に訪ねるのはマナー違反だとは知っていたが、構わずリボーンは門を開けた。
結論から言って、獄寺は歓喜してリボーンを歓迎した。
何か自分に不手際があって、それでリボーンが立ち去ったのではないかとずっと自分を責めていたらしい。
そうじゃないと、本当に用があったのだと告げると獄寺は心底安心したように息を吐いた。
「ところで、獄寺」
「あ、はい。何でしょうリボーンさん」
「明日、お前は用がありバスに乗る。そうだったな」
「ああ、ええ、そうです」
「オレも一緒に行っていいか?」
「え?」
リボーンがそう言えば、獄寺はきょとんとした顔をした。
続けて、複雑な顔。更に、考える顔。
いけなかっただろうか。ならとリボーンは行き先が同じだけだと、そう獄寺に告げようとする。
しかしそれより前に獄寺の方が早かった。その言葉は「いいですよ」という肯定の言葉。
「いいのか?」
「ええ。…母も、喜んで迎えてくれると思います」
どうやら母親の所に行くらしい。やはり別居しているのか。
そんな事を考えるリボーンの前、獄寺は「じゃあ、明日は早起きしなくちゃなりませんし、もう寝ましょうか」と告げた。
遠い地にいるのだろうか。そんな事を思ったが、追及はしなかった。今はそれどころではない。
夜は時間通りに過ぎ去り、太陽も時間通りに昇る。そして時間通りに出発の時刻が訪れた。
行きましょう、と獄寺に促され、リボーンはバスに乗り込む。始発だからか、他に客はいなかった。
獄寺は窓際に座った。リボーンは通路側。
そして時刻通りにバスは動き出す。
停留所に停まる度、ぽつぽつと人が乗り、降りていく。席に空きがあるからか、誰も獄寺の隣、リボーンのいる席に座ろうとはしなかった。
獄寺はリボーンに度々話し掛ける。母親は病気で入院しているとか、前はピアニストだったとか、自分もそれに影響してピアノを嗜むとか。
リボーンはそれに相槌を打ちつつ、その時が来るのを待つ。
その時。獄寺が死ぬ時刻。
バスは時刻通りに事故を起こすだろう。出発時刻に狂いがなかった以上、リボーンが絡んでいるとはいえ変化が訪れるとは思えない。
だが、事故など起きてもいいのだ。リボーンにとって、重要なのは獄寺を生かす事なのだから。
そしてその時が目前に迫ってきた。獄寺は姉の極悪非道さを力説していた。
「獄寺」
「ね? 酷いでしょうリボーンさん」
「獄寺、しっかり捕まっていろ」
「え?」
リボーンは黙って獄寺の手を取り、席の前にある掴み棒を握らせる。獄寺は困惑しながらも握った。
その時だった。
運転席で何があったのだろう、甲高く響き渡る急ブレーキ。激しく揺れる車内。不意を突かれた乗客が悲鳴を上げ、バランスを崩し転ぶ。
席に収まったままでいたのは、こうなる事を知っていたリボーンと掴み棒をしっかりと握っていた獄寺だけだった。
「な―――!?」
突然の出来事に固まる獄寺。リボーンは辺りを注意深く警戒している。
この程度で終わらない事を、リボーンは知っている。
上空より、風を切る音。
ほらきた。
天井をぶち破り、鉄柱が獄寺目掛けて―――まるで意志があるように、獄寺に恨みがあるかのように―――真っ直ぐに襲い掛かってくる。
リボーンは迷いもなく獄寺を引き寄せ、自分の席へ。そしてその反動で、自分は今まで獄寺がいた―――今まさに鉄柱が襲い掛かってきている―――席に座る。
「リボーンさん!?」
獄寺の悲鳴のような声が聞こえる。
リボーンは、ひとまずこれで獄寺は助かると息を吐いた。
その時だった。
お前は死を司る存在。
声が、聞こえた。
お前は死を運ぶ存在。
その声はリボーンにのみ聞こえている。
お前は魂を刈る存在。
その声はリボーンに告げている。
お前は死に様を変える事は出来ても、生かす事は出来ない。
お前のした事は無駄だと、お前のする事は無駄なんだと、その声が嗤う。
衝撃を感じた。
重い―――とてつもなく重いものが、何かを貫くような衝撃。
それはリボーンの隣から感じた。
リボーン自身には何もない。確かに鉄柱の向う先にいたというのに。
代わりに、
リボーンの隣。
リボーンが守りたいと思った獄寺が、
リボーンが救いたいと思った獄寺が、
リボーンが死なせたくないと思った獄寺が、
何故だか、鉄柱を、その腹から生やしていた。
「―――――」
獄寺が、驚きの表情で鉄柱を見ている。
そして、首を動かし、隣にいるリボーンを見る。
獄寺はリボーンの身に何も起きてないと知ると、
「―――――」
安心したように、笑った。
その身から、鉄柱を生やしているにも関わらず、無傷であるリボーンを見て安堵していた。
「―――……」
獄寺の口が開き、何かを言おうとするも言葉が出ない。代わりに口元から赤い液体が流れた。
それもそのはずだ。人間は肺と喉が正常に機能していないと喋る事が出来ない。
獄寺の腹を貫いた鉄柱は、間違いなく獄寺の肺を二つとも破壊してしまっているだろう。
ただ、獄寺が何を言おうとしたのかはリボーンには手に取るように分かった。言葉など必要なかった。
獄寺は自分に向かい、「無事でよかった」と、そう言っているのだ。
リボーンは獄寺を守れなかったのに。
リボーンは獄寺を救えなかったのに。
リボーンは獄寺を死なせてしまうのに。
リボーンは獄寺の元に現れた、死神だというのに。
やがて獄寺の目から光が失われ、力が抜ける。
獄寺の身体が、亡骸となる。
獄寺の肉体から、光が漏れている。
光が形となり、獄寺の肉体から抜け出る。
光は鳥の形をしていた。白い、光の鳥。
これが魂。
この鳥が、獄寺の魂。
光の鳥は羽ばたいてどこかへ行こうともせず、リボーンの肩に止まった。
そこから、どう行動したのかはリボーンは覚えてない。
ただ、気付けば死神の世界へと戻って来ていた。
獄寺の魂を持って。
リボーンは主の部屋へと向かう。回収した魂は主へと渡す。それでリボーンの仕事は終わり。魂がどうなるのかは知らない。
主の部屋では主が椅子に座り、リボーンを待っていた。
「今回も仕事は完璧だね。リボーン」
「………」
リボーンは答えない。黙って回収した魂―――腕に止まっている光の鳥―――を主へと差し出す。
魂は主の元へ向かおうとしない。リボーンの腕から飛び立とうとしない。
「…相変わらず、魂に懐かれるね。リボーンは」
「………」
リボーンは答えない。空いている片手で魂を掴み、腕から引き剥がし主の机の上に置く。
光の鳥はリボーンをじっと見ている。リボーンは光の鳥を見もしない。
リボーンは黙って退室し、部屋には主と光の鳥だけが残された。
薄暗い部屋、光の鳥の輝きが増して見える。
主は光の鳥を撫でる。
光の鳥はリボーンの消えた扉の先を見ている―――
リボーンは自室に戻り、帽子を無造作に机の上に投げ捨て、ベッドに倒れこんだ。
その眼に光はない。魂の抜け出た人間のように。
リボーンは目を閉じる。仕事は終わった。するべき事はもう終わった。何もかも終わってしまった。
もうない。やる事はない。する事はない。眠ってしまおう、次の仕事が舞い込むまで。
そしてリボーンは眠りに付き、次に起きた時には全てを忘れている。
そしてまた、思うのだ。ターゲットを相手にしている内、また思いが芽生えてしまうのだ。
殺したくないと。
生かしたいと。
けれどそれは無駄で。
その思いはいつだって無意味で。
リボーンはどう足掻いても、どうもがいても、相手を救えない。
彼の名はリボーン。
死神の中で唯一、仕事の成功率100%を誇る死神だ。
その異様なまでの魂の回収率は、まるで呪われているようだと、誰かが呟いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
END No.2「悲しい程に、いつも通り」
全ては決められた、運命通り。