朝。
獄寺は鳥の囀りで目が覚めた。
「………」
ゆっくりと目を開ける。
真っ暗だった。
…ああ、まだ夜なのか。最初、獄寺はそう思った。
だが、どこか様子が違うことをすぐに悟る。
朝の鳥の囀り。腕に当たる陽射しの暖かさ。一向に暗闇に慣れない目。
獄寺は手探りで電気スタンドを付けてみた。カチ、という音がして電源が入る。
だが、世界は闇のままだった。
続いて獄寺は枕元に置いてあるはずの携帯を探す。折りたたみ式のそれを開けた。
ディスプレイに光が宿る…はずなのだが世界は闇のままだ。
「………」
獄寺はそのまま携帯を操作する。ボタンを押すたび音が鳴る。携帯の充電は切れていない。
あの人に、最後に電話した人に電話を掛ける。暗闇の中でも意外と何とかなるものだ。と獄寺は感心した。
程なくして、電話は繋がった。
『なんだ』
「リボーンさん、オレ、目が見えなくなりました」
『そうか』
淡々とした口調に、獄寺は思わず笑った。
『それだけか?』
「………」
リボーンが言葉を続ける。獄寺も続くべきか少し悩んだ。
だが、すぐに答えは出た。多分、自分はこっちの方をリボーンに告げたかったのだ。
「実は、オレ」
『………』
リボーンは黙って聞いている。獄寺は告げる。
「多分、近いうちに死ぬと思うんですよ」
『そうか』
返ってきた言葉はやはり淡々としていた。獄寺はまた笑った。
それは直感というより、確信に近かった。
自分は死ぬ。近い将来、確実に。
不思議と恐怖感はなかった。落ち着いていた。冷静だった。
実感がないわけではなかった。ただ、事実として受け止めていた。
獄寺はため息を吐いた。
「あー…」
獄寺は天を仰ぐ。
「10代目の右腕になりたかったなー、ちくしょー」
そんな言葉が、虚しく室内に響いた。
鳥の囀りが、やけにはっきりと聞こえていた。
それから暫くして、誰かが訪ねてきた。
誰だろう。まったく心当たりがない。
獄寺は壁に手を付きながら玄関に赴く。手探りでドアを開けると聞きなれた声が飛び込んできた。
「獄寺くん!?」
「ああ、10代目」
君主の声を聞いて、獄寺は嬉しくなる。右腕の座は諦めても忠誠心は変わらない。
「どうなされたんですか? こんな朝早く」
「え? えっと、その…獄寺くん、目が……見えなくなったって、聞いて……」
どうやら話を聞いて来てくれたらしい。誰に話を聞いたのか。リボーンしかいない。
そういえばリボーンに話したはいいが、敬愛する10代目には話していなかった。何だかんだで気が動転していたのだろうか。
ともあれ、と獄寺はツナに言葉を返す。
「そうなんですよ」
肯定すれば、正面から息を呑む音が聞こえた。
「何も見えないんです」
目の前から動揺する気配。獄寺は言葉を続ける。
「困ったものです」
本当に困ったものだ。10代目にこんなに心配を掛けてしまうなんて。死ぬ前に自分を殺したいぐらいだ。
「暫く学校は休みますね。10代目の護衛も出来そうにありませんし」
「う…うん」
言いながら、獄寺は自身の言葉の白々しさに笑ってしまいそうになる。何が暫く休むだ。二度と行かないくせに。護衛も二度と出来ないくせに。
ふと、柱時計が鳴る。時刻を告げる。そろそろ学校が始まる時間だ。
「10代目。学校に行かなくて大丈夫ですか?」
「…うん。そろそろ時間だ。じゃあオレ、もう行くね。放課後また寄るから…」
「ええ。楽しみにしています」
気配が去り、獄寺はまた一人になる。自室に戻る。
何をするわけでもなく、一人ぼんやりとしているとまた来客が現れた。
掛けていた鍵が勝手に開かれ、入り込んでくる気配一つ。この家の鍵を持っているものは自分の他にあと一人しかいない。
「リボーンさん?」
「邪魔するぞ」
予想通り、来客はリボーンだった。思わず獄寺の心が躍る。肩に重圧。間近に気配。リボーンが飛び乗ったらしい。
「来てくださったんですね」
「ああ」
耳元から聞こえる短い声。それだけでも獄寺は喜ぶ。
「嬉しいです」
幸せな時間が過ぎる。二人きりの時間。幸福だった。
そんな時間を享受していると、ふと、インターホンが鳴った。何回も、何回も。
「…?」
獄寺は立ち上がり、玄関に向かう。その間もインターホンは鳴り響いている。
「誰だよ」
「隼人!!」
聞こえた声はシャマルだった。まさかの人物に獄寺は驚く。
「何か用かよ」
「何か用ってお前………目が…」
獄寺は思わず見えぬ目でリボーンを見た。
「リボーンさん?」
「オレは知らねーぞ」
リボーンはつまらなさそうに呟く。なら10代目か。と獄寺は思う。本当に10代目に心配を掛けて、申し訳ない。不甲斐ない。
シャマルは獄寺の目をじっと見て、やがて諦めたように言った。
「…嘘じゃねーんだな」
ふと、抱きしめられた。煙草と酒の臭い。獄寺は顔をしかめる。
「何すんだよ」
「病院だ馬鹿。こんなところにいちゃ治るもんも治らねーよ」
病院に行っても治らねーよ。
獄寺は思わずそう言い掛けたが、黙っておいた。何故かと問われて説明出来るものでもない。
外に止めてあったらしい車に押し込められる。車が動く。シャマルが何か言っているのが聞こえる。電話をしているらしい。
検査とかさせられるのかなー。やだなー。金と時間の無駄だ。と獄寺はぼんやりと思っていた。
病院に着くと、案の定様々な検査をさせられた。だが原因は分からないという。
仮に分かったところで、解決策はないだろうけどな。と、獄寺は内心でそう思っていた。
焦っているシャマルに、獄寺は言ってやった。
「シャマル」
「…なんだよ」
「オレは日本から…ここから出るつもりはないからな」
「んな…馬鹿なことを言うな!!」
この場所で原因が分からない以上、他の場所に連れて行かれるのは想像に固くなかった。たとえば、イタリアとか。
だが、どこに行こうと同じなのだ。どこに行ってどんな検査を受けてどんな薬を飲もうとも。自分は死ぬのだ。
そのことを特別にシャマルに告げてやった。シャマルは苦虫を噛み潰したかのような顔をしていた。獄寺には見えなかったが。
―――どうせ死ぬなら、日本がいい。
10代目の、そしてリボーンさんのいるこの日本が。
徒労に終わった検査を乗り越え、病室に案内される。ベッドに案内される。人の気配が消え、獄寺はほっと息を吐いた。
「戻ったか」
「え? リボーンさん!?」
聞こえた声に獄寺は驚いた。リボーンさん、一体いつからいたのだろうか。まさか検査の間ずっと?
「うわ、す、すいません! 待っててくださったんですか!? 退屈だったでしょう!?」
「気にするな」
そう言われても気にするのが獄寺だ。だがリボーンに寄りかかられる気配を感じ、思わず笑みをこぼす。
「ああ、そうだ」
リボーンは何かを獄寺に押し付けた。手に取ってみればそれは本。ただの本ではない。ざらざらしている。点字の本だ。
「やる」
「わ…ありがとうございます」
早速開いてみた。点字の本など初めて読むが、一緒に貰った早見表を頼りに少しずつ読んでいく。
それはどうやら童話のようだった。おとぎ話。塔の中のお姫さまの話。ラプンツェルとはまた違う。
塔で眠る綺麗なお姫さま。彼女のもとに連日色んな人が訪れる。皆彼女の美貌に心を奪われる。
見世物みたいだ。と獄寺は読みながら思った。
意外に獄寺は熱中していった。時間が経つのも忘れて本を読み進めていく。
そんな時だった。
獄寺の携帯が鳴った。この音は敬愛する10代目の音。
獄寺は指を止め、音源に手を伸ばす。着信ボタンをなんとか探り当て、押す。
「10代目?」
『獄寺くん! 今どこにいるの!?』
やばい。獄寺は思った。
そういえば朝、帰りに見舞いに来てくれると言っていたことを今思い出した。すっかり忘れていた。やばい。
「ああ…すいません。実は今、病院にいまして」
『病院?』
「ええ。なんかオレ、入院することになりまして…」
ツナの心配そうな声が聞こえる。獄寺は務めていつも通りの口調で答えていた。大丈夫と伝えたくて。
大丈夫。大丈夫ですよ10代目。
ただ、死ぬだけですから。
電話が切れて暫くして、ツナと山本が獄寺の病室に現れた。
獄寺はドアの開けられた音に反応してそちらを向いた。だがそれだけだ。ツナは狼狽する。
「ご…獄寺くん」
ツナが声を出して、ようやく獄寺は来たのが誰かを知る。
「あ、10代目。来てくださったんですか。先程はすいませんでした」
「い、いや、オレの方こそ…」
「大丈夫か獄寺」
山本が声を出す。獄寺は眉間に皺を寄せる。お前はいいんだ。お前は。
「チッ、なんだ、てめーも来たのかよ」
「来ちゃ悪いのかよ」
口を尖らす山本を無視して獄寺はツナに話し掛ける。
「あのあとシャマルが来て…ここに連れ込まれちまいました」
「シャマルが…」
「大袈裟ですよね」
まったく、10代目に心配を掛けてしまった。シャマルの馬鹿野郎。
「…目の、原因は分かったの?」
「いいえ」
ツナが息を呑むのが聞こえた気がした。獄寺はそれに気付かないふりをする。
「分からないそうです。原因不明。色々検査させられたんですけどね」
「そう…」
ツナの気落ちした声が聞こえる。獄寺は少し申し訳なく思う。
「まあまあ、すぐによくなるって!」
よくなんねーよ馬鹿。
獄寺はそう言うのを内心で必死に堪えた。
お姫さまのもとに来客はひっきりなしに訪れる。
時には声を投げられる。時には贈り物を渡されることも。
けれどお姫さまは何も言わない、手を付けない。
ただ静かに微笑んでいるだけだ。
そんなある日のこと、お姫さまのもとにひとりの来客が訪れる。
それは旅の途中の旅人で。
初めてお姫様の心が動く。
「どうか私を連れていってください」
「いいだろう」
お姫さまが言い、旅人は頷いた。
こうして、お姫さまは塔を抜け出して旅人と旅をすることになったのでした。
めでたし、めでたし。
獄寺はそこまで読んで、ふとリボーンを見た。リボーンの位置は分かる。自分に寄り掛かってくれてる小さな重み。
「どうかオレを連れていってください」
「いいだろう」
唐突に放った台詞に、リボーンはあっさりと答える。獄寺は笑った。
その、次の日のこと。
獄寺が目を覚ますと、そこは無音の世界だった。
何も聞こえない。あんなにうるさかった時計の音すら。
なるほど、こうやってゆっくり死んでいくのか。と獄寺は妙に納得した。
耳は聞こえずとも指は動く。獄寺はそれで満足だった。
本を手に取り次の話を読む。
二人の旅人の話。
旅人は当然ながら旅をする。ひとりは宛てのない旅。ひとりは目的のある旅。あてのない旅人は目的のある旅人に着いて行く。
目的のある旅人は、幸せを探していた。様々な情報を聞いて、様々な場所へと赴いていく。
幸せの青い鳥みたいだ。と獄寺は思った。
その時だった。
なにやら大小の硬いものがたくさん降ってきた。香りからするとそれは果物。
何しやがんだてめー!!
思わず獄寺は叫んだ。こんなことをするのは跳ね馬だ。そうだ、そうに違いない。
怒ったのでそれ以降は相手にしてやらなかった。ざまあみろ。いい気味だ。
暫くして、気配は去った。
その後、また来客が訪れた。獄寺はふと腕を触れられて誰かに気付く。
嗅いだ事のある匂いだ。常日頃から。ふと、手を握られる。震えている。その手の大きさ、その持ち主は……
…10代目?
恐らくは、だが、ツナだ。獄寺はそう理解した。そうだということにして言葉を紡ぐ。
手の震えが強くなる。もしかしたら、もしかして、まさか、泣いてくださっているのだろうか。ありえる。10代目は優しい方だから。獄寺は内心で狼狽える。
と、唐突に手が離れ、別の手に握られる。先程の手とは違う手だ。大きさが違う。指の長さも違う。華奢な手だ。それに漂うこの香りは…まさか……
……姉貴?
ビアンキだ。と獄寺は思った。腹に痛みを感じて、顔をしかめる。
ビアンキの手も震えている。抱きしめられる。心配してくれているらしい。自分は大丈夫だと告げるが、それが逆効果だったのか水滴が落ちてきた。―――泣いているのだ。
やめてくれ。オレの、オレなんかのために泣かないでくれ。心配しないでくれ。
ただ、死ぬだけなんだから。
幸せ探しの旅は今日も続く。
ある日、旅人のひとりが大きな怪我をした。宛てもない旅をしている方の旅人だ。
「大丈夫か!」
「私はもう駄目。ここから先はあなただけで行って」
「馬鹿なことを言うな!」
「私はあなたの足手纏いにはなりたくないの。あなたの迷惑になるぐらいなら、ここで死ぬわ」
「オレはお前のことを迷惑なんて思ったことはない!」
「ありがとう。私はあなたといられるだけで幸せだった。今度はあなたが幸せになってね。さようなら」
そこまで言うと、宛てのない旅人は息絶えた。目的のある旅人は涙をこぼし、理解する。
自分もまた、彼女がいるだけで幸せだったのだと。
彼は後悔し、泣いた。
その後その場所に、別の旅人が現れた。
彼が見たのは二つの死体。
彼は死体を埋葬して、その場を後にした。
こうして二人は、いつまでも一緒にいることが出来たのでした。
おわり。
獄寺はそこまで読んで、ふと言葉を発した。
オレもあなたといられるだけで、幸せですよ。
答えは、なかった。
ある日の食事のこと。獄寺は顔をしかめた。
…味がしない。
しかも、まるで砂を噛んでるような感じだ。
どうやら、今度は味覚が死んでしまったらしい。
やれやれだ。
味覚がなくとも指は動く。獄寺はそれで満足だった。
本を手に取り次の話を読む。
墓の話。
ある森の奥に、ひとつの墓があった。
誰もものかはわからない。
その場所は湖の畔で、とても美しい場所だった。だから旅人がひっきりなしに訪れていた。
最初の話に少し似ている。と獄寺は思った。
静かだった。
寄りかかられる小さな重み以外、誰もいない。
誰もいない、はずだ。
そのはずなのだが、獄寺は他にも誰かがいるような気がして不思議に思う。
誰だろう。
気のせいかもしれないが、そうじゃないかもしれない。
ううむ、と獄寺は悩んだ。
暫くして、獄寺に触れる指一つ。
この手は、指は、香りは。ツナだ。覚えた。獄寺は思わず笑みをこぼす。
10代目。
獄寺はそう言う。自分にはもう聞こえないが、言えてるはずだ。多分。恐らく。
ツナの手は震えている。獄寺は困った顔をする。
心配なんて掛けたくないのに。
ある日、獄寺はいつものように身を起こそうとするが、何故か上手くいかなかった。苦労しながらようやく身を起こす。
そしていつものように本を読もうとして、そこで気付いた。
腕が動かない。
おお。ついにここまで来たか。獄寺は少し感動した。
腕が動かなければ当然指も動かない。獄寺はそれが不満だった。
本が読めない。たったそれだけのことがこんなにもストレスの溜まることだったなんて。
本の続きが気になる。あれからどうなったのだろう。どうなるのだろう。自分でも驚くほど獄寺は本にはまっていた。
本を読んでいたときは時間はあっという間に過ぎていた。だが、本が読めなくなると実は一日は長いものなのだと気付いた。
ゆったりとゆっくりと時間が過ぎる。獄寺は何もしない、何も出来ない。
ただ、時間が来ると無駄な検査を受け、味のしない食事を押し込まれる。それで今が何時なのかを知る。
それ以外はただぼんやりとしている。だが獄寺は幸せだった。こんな自分にずっと寄り添ってくれる人がいてくれたから。
終わりの時が刻一刻と近付いていた。
獄寺はそのことに、当然気付いている。
ある日、獄寺は身体に力が入らないのに気付いた。
起き上がれない。
それどころか、まるで自分の身体ではないみたい。
そろそろだな。と獄寺は悟る。
そろそろ、自分は死ぬ。
みんなに心配や負担を掛ける日々も、もう終わりだ。
検査の数が、ぐんと減った。
食事の時間もなくなった。不思議と腹は減らない。
堪えたのは感覚も薄れてしまったことだ。寄りかかってくれるリボーンの感覚も、分かりづらくなっている。
長い一日を過ごす。退屈なら眠ってしまえばいいのだろうが、眠気はないのだ。
時間ばかりがただ過ぎていく。
時折来る見舞い客。獄寺はそれに笑って歓迎する。
触れられる手はあたたかい。それはつまり、逆に考えれば自分の手が冷たい、ということだろうか。
触れられる手は震えている。心配してくれているのだろう。きっと、自分が死なない限り止むことはない。
その時はもうすぐだ。
ある日、獄寺は強烈な睡魔に見舞われた。今まで眠くなかった分が、まとめてやってきたかのような眠さだった。
ああ、その時が来たのだ。獄寺は悟った。
次に寝たら、もう目覚めない。
次に寝たら、自分は、死ぬ。
その前に。死ぬ前に。やっておきたいことがある。
ずっと自分に寄り添ってくれていたリボーン。
彼に何か一言を。
獄寺はリボーンがいるであろう場所を見る。もう感覚はなくなってしまったので、その場所は勘だ。
リボーンさん。
彼の名前を呟いて、獄寺は最後の一言を考えてなかったことに気付いた。
さて困った。なんと言おう。なんて言おう。睡魔は確実に獄寺の意識を奪っていき、時間はもうない。
ぐるぐると思考が回る。今までありがとうございました? 月並みだ。愛しています? そんなことを言ってどうする。
色んな台詞が獄寺の脳内を駆け巡る。そして選んだ台詞は、結局月並みな一言だった。
お元気で。
そう言うと、獄寺の意識は睡魔に飲み込まれ、そのまま沈んでいった。
それから浮かび上がることは、二度となかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それが短い、彼の生涯。
リクエスト「リボ獄前提獄総受けで獄寺君の死にネタが見たいです!」
リクエスト、ありがとうございました。