じわり、と血が滲み出した。


皮膚を突き破り溢れる血液は服から漏れ布地に広がりやがて身体を伝い地に落ちる。


傷口を抑えても止めきれず指の間から赤い液体が零れ落ちる。


傷とは別に額から流れるは汗。頬を流れ首筋を伝い血と交わる。


そんな彼の前で、顔を青褪めさせながら立ち竦む少年が一人。


少年は震える声で、その人の名を呼んだ。


「り…ぼーん、さん……」


リボーンと呼ばれた、その名を呼んだ彼より少し年下に見える彼は、少年の名を呼ぼうとした。


けれどその呟きは声にならず。


空気を震えさせることしか出来なくて。


膝を付き、手を付き、その身を地面へ倒れさせる。


「リボーンさん!!」


獄寺は身を弾けさせたかのようにリボーンの所へと駆け寄る。地面に赤い染みが広がる。


震える身体で、パニックを起こしかける頭を抑えて、獄寺はシャマルに連絡を取る。


シャマルは最初、獄寺が深手を負ったのかと思ったらしい。それほど獄寺の口調は頼りなかった。


ああ、笑ってしまう。


自分は…リボーンが庇ってくれたおかげで、傷一つないくせに。


自分が未熟だったせいで、リボーンが死にかけているくせに。





リボーンに傷を負わせた凶器にはどうやら毒が塗られていたようで。


リボーンは毎日高熱に苦しみ、苦痛に呻き、衰弱していった。


そして、必死の治療も虚しくリボーンの症状は悪くなっていく。


ああ、嗚呼―――どうしてこんなことに。


こんなことが起きるのは間違っているのに。


呪いに掛けられた身体で、いつどうなってしまうかも分からぬ状態で生きてきて。


それがようやく解けて、これから……何の気兼ねもなく生きていけるはずだったのに。


自分のせいでと獄寺は己を責めた。


何度もリボーンに謝り、気が狂わんばかりに嘆いた。


それをリボーンは何か言いた気な目で見て、しかし何も言えぬまま、何も告げられぬまま、そのまま―――





「―――リボーンさん!!」


叫んだ先は教室だった。


夕暮れ。放課後。微かに残っていた生徒が何事かと獄寺を見ている。


その生徒の中にはツナも含まれていた。


「ど…どうしたの獄寺くん」


「あ…」


夢を見ていたらしい。それも飛び切り悪い夢を。


流れる汗をそのままに、荒い息を整えることに専念する。


…ああ、嫌な夢を見てしまった。


リボーンが…あのリボーンが死んでしまうのだ。


しかも自分を庇って…自分なんかのせいで。


獄寺は夢であったことに今一度安堵の息を吐く。目の前には心配して来てくれたらしいツナの姿。


「うなされてたけど…大丈夫?」


「…ええ、大丈夫です」


力なく笑う獄寺。


説明をせねば。嫌な夢を笑い話に変えてしまわねば。


そう思って、獄寺は夢の内容を話す。


「オレがどこかからの刺客に襲われる夢を見まして」


「それは…うなされるかもね」


「ええ、でも攻撃を喰らう直前にリボーンさんが助けてくれまして」


「リボーン…?」


「ええ。だけどリボーンさんは敵の毒を食らってしまい倒れ…解毒出来ぬまま、苦しみぬいて死んでしまうんです」


「………」


「おかしいですよね。いくら呪いが解けたからといって、あのリボーンさんが死ぬなんて…ありえないのに」


「いや、あの、獄寺くん…?」


「はい?」


獄寺は笑ってツナを見上げる。同じように笑ってほしくて。


しかし視界に見えるツナは怪訝顔だ。


おや、と獄寺は思う。どうしたのだろうか。


よもや夢の中とはいえみなの敬愛する恩師リボーンを殺してしまったことを怒っているのだろうか。


「え、ええと、」


「あのさ」


獄寺とツナは同時に声を出した。獄寺はツナに発言を譲る。


ツナは少し躊躇ってから、改めて口を開く。



「リボーンって―――誰?」



―――獄寺は、


自分はまだ夢の中にいるのだと、


そう―――思った。



「じゅ、10代目…そんな冗談よして下さいよ」


「獄寺くん…まだ寝惚けてるの? 顔洗ってきたら?」


「10代目、オレをからかってるんですか? オレならまだしも、リボーンさんに知られたら怒られますよ」


「だからリボーンって誰? 獄寺くんがさん付けする人なんて初めて知ったけど…イタリアでの知り合い?」


「………」


獄寺から見て、ツナが嘘を付いていたりこちらを騙そうとしている素振りは見えない。


けれど、なら矛盾が生じる。自分たちが知り合えたのは何を隠そうリボーンのおかげだというのに。


「10代目、オレが所属しているファミリーは?」


「? …ボンゴレでしょ? それが?」


それが? ではない。そこまで言って、どうしてリボーンの名だけ消してしまうのか。


「10代目は、今時期ボンゴレ10代目として鍛えられていますよね」


「そうだけど…言っとくけど、オレはボンゴレは継がないからね!」


知ってる。困った奴だと笑いながら愚痴るリボーンと何度か話したこともある。


「あいつは、どうしてもオレに継がせたいらしいけど」


「あいつ…」


そのあいつとは、リボーンのはずだ。それ以外考えられない。


だけどツナはリボーンを知らないと言う。なら、聞かなければならない。リボーンの代わりに居座っているその存在の名を。


「あいつ、とは…」


「? …何言ってるの獄寺くん」


またも怪訝顔に戻るツナ。何故そんなことを聞いてくるのか分からないとその顔に書いてある。


「コロネロのこと、忘れちゃったの?」


コロネロ。


リボーンと同じくアルコバレーノの一人。リボーンとは腐れ縁の中だと言っていて、会う度頭突きに始まり銃火器の応酬をしていた。


リボーンの代わりに、コロネロがその位置に収まっている?


どういうことだ?


獄寺は心中でそう思い、席を立つ。確認せねばならない。


「獄寺くん? どこ行くの?」


「ちょっとコロネロに用が出来ました。先に行ってます!」


口早にそう言って、獄寺は教室を去る。


学校から出る途中に幾人か知ってる顔と会った。そいつらもリボーンを知ってるはずだった。


獄寺はリボーンのことを聞いてみたが…結果はツナと同じだった。


誰もリボーンの存在を知らず。


リボーンがいたはずの位置に、コロネロがいる。


これが獄寺を驚かせようと計画されたドッキリでないことは雲雀と話したときに確信した。雲雀がこういう嘘を付くはずがない。


ドッキリであれば、まだ笑い話で済ませれたのだが。


獄寺はツナの家に行き、上がらせてもらう。


ツナの部屋に入ると、そこにはなるほど、確かにみんなの言う通りにコロネロの姿があった。


「獄寺か。どうしたんだ、コラ」


「………」


コロネロの姿は獄寺と同い年ぐらい。呪いが解けてきたのか、その姿は日に日に成長…というか、呪われる直前の姿に戻っている。


リボーンも、そうだった。


呪いが解かれ、身体の不調も解消し、次の日会うと数年分成長した姿で会うリボーンに驚いて。


こんなんで驚くな。完全に元の姿に戻ったオレは超格好いいんだぞ。その時お前、オレに惚れるなよなんて、そんな会話をしていて。


笑い合って、いたのに。


「リボーンさんはどこに行ったんだ?」


「リボーン?」


コロネロは首を傾げる。


「そりゃ誰だ?」


そう反応するコロネロに、嘘の様子は見えない。


消えたリボーンの席に無理やり座らせられただけで、コロネロも関係ないのか。


それとも…


みんなの言う通りにリボーンなんて人は最初からいなくて。


全部自分が見た夢を現実と履き違えてるだけなのでは…


一瞬でもそう思ってしまい、獄寺は頭を振る。考えを捨てる。


「どうした?」


「何でもない」


獄寺は落ち着けと念じる。馬鹿なことは考えるなと脳に命令する。


会って、話して、指導してもらって、見守られて、今日まで散々世話になって。


それを全部夢でしたで済ませる気か? 誰も覚えてない程度で?


冗談ではない。


その程度で諦めきれるわけがない。





獄寺はリボーンを探す。


宛てもなく。


最初に来たのは出会いの場。並中の中庭。


当然ながらいない。誰もいない。


学校といえば、と獄寺は壁に寄り消火栓を調べる。


その昔、学校の空きスペースを利用して作られたリボーンのセーフハウスで色々とためになる話を聞かせてもらった。


…紅茶を淹れてもらったな……


そんなことを思い出しながら獄寺は消火栓を開く。


そこには消火ホースが収められてるだけだった。


「………」


場所を間違えてるわけではない。確かにここで合ってる。


獄寺は走る。





いない。


リボーンがいない。


その面影すら見当たらない。


どうしていないのか。何故こうなってしまったのか。


分からないまま、獄寺は走る。


様々な所を駆け抜け、何も見つからないまま得られぬまま最後に辿り着いた場所は…何の変哲もない道端。


しかしそこは忘れられない場所。


リボーンが、獄寺を庇った場所。


「………」


アスファルトには、分かりづらいが血の跡が残っていたはずなのに。


それも今や見つからない。


獄寺は力なく項垂れ、呟く。


「一体…どこに行ってしまったんですか……リボーンさん」


その呟きは小さくて。


自分すら聞き取れなかったのに。





「―――呼んだか?」





聞き覚えのある、何故か懐かしく感じる、ずっと探していた声が返ってきて。


獄寺が顔を上げ振り向くと、一つの大きな木があって。


その影から、黒い誰かが顔を出していた。


少し疲れた顔をしているその人こそ、紛れもなく…


「リボーンさん!」


獄寺は慌てて駆け寄る。自分以外の誰からも忘れられた、その存在を消されたその人の所へ。


近寄り、息を整え、今までの不安をぶつけるように叫ぶ。



「一体これはどういうことですか!!」「一体これはどういうことなんだ?」



二人の声は同時で、獄寺はリボーンすら事態を把握していないと知る。


「オレにも何がなんだか…起きたら誰もリボーンさんを覚えてなくて、リボーンさんのセーフハウスもなくなってて…」


「オレも気付いたら外にいてな。誰もオレを知らないし携帯電話も使えない。戸籍もなくなってた」


…戸籍があったのか。


そんなことを思いつつも獄寺は安堵していた。


今、リボーンが目の前にいる。


そのことが、嬉しかった。





「ではリボーンさん、早速10代目たちの所へ行きましょう。リボーンさんを思い出してもらわないと!」


「ああ…」


「どうしました? 気が進まなそうですが…ああ、先程誰にも知られてないと言ってましたね。オレからも説明しますから」


「それはいいんだが…」


「…何か心配事でも?」


「………何かを忘れてる気がするんだよな…」


なんだっただろうか、とリボーンは顎に手を当て考える。


けれど暫く考えても、リボーンはそれを思い出せなかった。


「うーん…」


「…リボーンさん、お疲れでしたら一度どこかで休みますか?」


「…いや、いい。…行くか」


言って、リボーンは自分から歩き出す。


獄寺はその後を追った。





「あ、獄寺くん、用は終わったの……って、」


「10代目、こちらが先程お話したリボーンさんです」


「………」


早速見つけたツナに獄寺はリボーンを紹介する。リボーンは獄寺の少し後ろからツナを見上げている。


ツナは暫し、じっとリボーンを見つめ……


「……………リボーン?」


名を呟く。


それは何かを思い出すように。


「10代目、思い出して下さい!! リボーンさんです! オレたちに色んなことを教えてくれて、指導してくれた!!」


必死の獄寺の説明に、ツナの目が見開かれていく。


「リボーン…そうだ、オレ……なんで…」


「10代目…!!」


リボーンを思い出し掛けてるツナを見て獄寺は期待の声を上げる。


大丈夫だと、よかったと思いリボーンを見る。あと一押しをしてもらおうと思って。


しかし…


「……………」


「…リボーンさん?」


リボーンの様子が、どこかおかしい。


顔色を悪くし、胸を抑え、脂汗を掻いている。


一言で言えば、具合が非常に悪そうで。


「…リボーンさん…リボーンさん! どうなされたんですか!?」


「………」


リボーンは声を出すのも辛いのか、何も言わない。


「―――すみません10代目、またあとで!!」


「あ…」


獄寺はリボーンを抱き抱え、その場から離れる。


何が起きたか知らない。どうすればいいかも分からない。


一先ずは病院だろうかと、獄寺はまた走る。


けど、結局二人が病院に行くことはなかった。





「―――獄寺」


「なんですか! 具合が悪化しましたか!?」


「いや、治った」


「え、」


獄寺は走っていた勢いを踵で打ち消しながら停止する。荒げる息を落ち着かせながらリボーンを見る。


「な、治った?」


「ああ」


あっさりとそう言うリボーン。確かに汗は引いており、顔色もよくなっている。


獄寺は大きく息を吐いた。


「よかった…」


「…心配を掛けたな。悪い」


「いえ…リボーンさんが無事なら、オレはそれで」


安心したようにそう言い、笑う獄寺。


「じゃあ…どうしましょうか。10代目の所に戻って思い出してもらいに行きます?」


「………いや、それより前に考えたいことがある」


「そうですか…では……」


「暗くなってきたし、今日はホテルにでも泊まるか」


「リボーンさん、手持ちはあるんですか?」


「少しな。カードも使えなさそうだし、少し厳しいが…仕方あるまい」


「り、リボーンさん」


ホテルに向かおうとするリボーンに、獄寺はおずおずと声を掛ける。僅かに挙手もして。


「ん?」


「あ、あの。よければ…今日はオレの家に泊まりませんか?」


「お前の?」


「はい」


「………」


沈黙するリボーン。緊張する獄寺。


「…いいのか?」


きょとんとした顔を作って問い掛けてきたのはリボーンだ。獄寺は頷く。


「は、はい。もちろんです。大したおもてなしは出来ませんが…」


「……………」


再度沈黙するリボーン。更に緊張する獄寺。


「…じゃあ、甘えさせてもらうか。こんな姿でホテルに行っても家出と間違えられるかも知れないし、だからと言って野宿でもしようものなら警察に補導されるだろうしな」


おいたわしい、と思いつつ獄寺は手を差し出す。


「…ええ、甘えて下さい。リボーンさんにはいつもお世話になってますし、少しぐらい恩返ししないと」


「…そうか」


リボーンは小さな…獄寺にも聞こえないほどの声で礼を言って、獄寺の手を掴んだ。





共に二人、獄寺の家へ。


リボーンはずっと、何かを考えこんでいた。


夜も深けるまで目を瞑り腕を組んで考え込み、やがて結論を出したのか不意に顔を上げて獄寺を見た。


「獄寺」


「は、はい」


「どうにも記憶が曖昧で上手く思い出せないんだが…」


言いながらリボーンは自身の胸を指で軽く叩く。その場所は夕方、ツナと会った時急に痛み出した場所で、


そして……


「…確かオレは、死んだんじゃなかったか?」


…獄寺を庇った時に、傷を負った場所。


「……………」


…そう。


確かにその通り。


リボーンはあの日、獄寺の代わりに傷を負い、その結果死亡した。


だからこそ獄寺はまたリボーンと会えて死ぬほど喜んだ。リボーンが死んだことの方を夢と思った。


だけど…それが夢でないとしたら。


今目の前にいるリボーンこそが、間違いであるとしたら。


「そ、それは…」


獄寺は言葉を紡げない。


肯定してしまったら、今目の前に確かにいるはずのリボーンが消えてしまうような気がして。


しかしリボーンにとって獄寺のその反応だけで十分だった。情報を更新させ更に状況を把握していく。


「…理屈は分からんが…誰かがオレを思い出すとオレは本来の姿に戻るようだな」


「本来の…姿」


既に死した身体の、その本来の姿。


「恐らくツナはもうオレを忘れただろう。多分…オレの痛みが引いたときに」


もしもツナがリボーンを完全に思い出していたのなら、その認識の通り、リボーンの身に起きたことの通り…リボーンは死んでいたのだろうか。


そう思い至り、獄寺はぞっとする。知らなかったとはいえツナにリボーンを思い出させようとしたのは自分だ。


「なら…一体どうすれば……」


「どうしたもこうしたもない。オレは本来ならもう死んでるんだ。なら、取るべき行動は一つだろ」


その、なんでもないことを言うような、当たり前のことを言うような口調に獄寺の身体が強張る。


自分は死ぬべきだと、リボーンは言っている。


二度死ぬ道を選ぼうとしているう。


そのためにまたあの苦しみを味わう羽目になるとしても仕方ないと、その声が言っている。


ああ、どうしてこんなことに。


あの日自分がもっとしっかりしていれば、自分がもっと強かったならば。


あるいは…死んだのが自分だったならば、こんなことには。


「こら」


様々なことを思う中、リボーンの声が獄寺の頭にぶつかる。


顔を上げ、リボーンを見る。リボーンは少々怒っているような顔をしていて、


「そういえばお前、オレがぶっ倒れて何も言えないのをいいことに好き勝手してたな」


「す、好き勝手?」


「オレに謝ったり、自分を責めたり」


「それは…」


した。確かにした。そういえばあの時、リボーンは力の入らぬ身体で、開けるのも辛そうな目でこちらを見ていた。


「丁度いい。あの時言いたかったんだけど言えなかったからな。今言ってやる」


「は、はい」


恨み言でも言われるのだろうかと緊張し、身を縮めこませる獄寺。


そんな獄寺にリボーンは言う。


「オレは、お前を守りたくて守ったんだ。オレが負傷して死んだのはオレが未熟だったからで、お前に落ち度はない」


「で、ですが…」


「勝手に守られて、それで死なれて後味が悪いってことも分かるがいつまでも引き摺るなみっともない。お前はどれだけ気を病めば気が済むんだ」


「そ、そんなこと言われても、」


「うるせえ。…でも、こう言ったところでオレの気が晴れるだけでお前は気にするんだろうな」


「……………」


「…なら、仕方ない。オレにも考えがある。オレも気は進まないが…うじうじしているお前を見るのは忍びないし、お前がそうなったのもオレのせいだしな」


「…リボーンさん…? なにを…」


何故だか嫌な予感がして、獄寺はリボーンを呼ぶ。しかしリボーンはその声には答えず、


「なあ、獄寺」


「は、はい」


笑って、言う。


「もし誰かがオレを思い出したらオレがまた死ぬんだとしたら…その逆ならどうなると思う?」


「ぎ、逆?」


誰も思い出さない場合か? そうなれば現状維持ではなかろうか。


…いや、待て。誰も思い出さない? 誰も?


「…お前がオレを忘れたら、オレは一体どうなると思う?」


既に死んだ人間が何故だかそこにいて、けれど覚えているのは一人だけで、他の人間は誰も彼も忘れてて。彼の存在はなかったことにされて。


そんな中で、唯一彼を覚えている人間すらも―――彼を忘れてしまったら?


「り、リボーンさ…」


その結果どうなることか考えることも恐ろしく、条件反射のように思わずその名を呼んだときには既にリボーンは目の前まで来ていて。


トン、と軽く、獄寺の首筋に手刀を一つ。


たったそれだけで獄寺の意識はあっという間に刈り取られ、


意識は急速に闇の中へ滑り込む。


視界が途切れる寸前に聞こえた声は、


「眠っちまえ」


と言っていて。


耳の中に最後に入ってきた声は、


「忘れちまえ」


と言っていた。


リボーンは獄寺をベッドに寝かしてやり、マンションを後にする。


そして―――





そして夜が明けた。


朝の光に照らされて、獄寺が目を覚ます。


「………?」


一体いつの間に家に帰ってきたのだろう。何も覚えてない。


学校への支度をして、しかし玄関の戸を開けたところで今日は休日だと気付いた。


戻るのも面倒で、獄寺はそのまま外に出る。


道すがら、誰とも会わない。


河原の土手を歩く途中、初めて誰かと擦れ違った。


それは黒いスーツを着た少年で。


獄寺はその少年と目も合わせることもなく擦れ違う。


擦れ違って数歩進んだところで、獄寺は違和感に捕らわれた。


あの少年を、自分は知ってる気がして。


思わず振り返るも…その少年の姿は、もうどこにもなくて。


煙か幻かのように、跡形もなく消えていて。


ともすれば、それは寝惚けていた自分が見た夢か、気のせいかとも思えるような出来事だけど。


何故だか、どういうわけか、獄寺の両目からは大粒の涙があふれて零れた。


無意識の内に獄寺の口が動き、何かを呟こうとしたけれど。


「――――――」


その口からは、誰の名前も出てこなかった。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

オレの涙がやむ頃には、あなたが世界中のどこからもいなくなることを、あなたを忘れてしまったオレが知る由もない。