それは茹だるような夏の日で。


アスファルトから陽炎が見えるほど暑い日だったことを、今でもよく覚えている。





     ―――カンカンカンカンカンカンカンカン





遠くから踏切の音が聞こえる。


その音は深く。意識することは出来ず、頭の中はぼんやりとしていて、足取りは覚束無かった。





     ―――カンカンカンカンカンカンカンカン





空には雲ひとつなくて、近くの木々からは蝉の鳴き声が聞こえて。


遠くからは電車の音。足元からは微かな振動が伝わってきていた。





     ―――カンカンカンカンカンカンカンカン





オレは油断していた。


オレは警戒を解いていた。


だから―――驚いた。


背後から、急に首を、絞められて。


いや、正確には、あれは別にオレの首を絞めようとしたわけではなかった。


オレの襟首を掴み、強引に引っ張っただけなのだから。


そして、急なことに身体を硬直させるオレの眼前を、電車が走り抜けた。


とんでもないスピードで、たくさんの命を乗せて。風を切るように巨体があっという間に通り過ぎた。


あのままぼんやりとしたまま進めば…進んでいれば。オレはその巨大な質量に巻き込まれ、轢死していたことは間違いなかった。



「危ないぞ」



そんな声が、背後から聞こえた。


オレの襟首を掴んだ、誰かの声。


その手の感覚はやけにはっきりしているのに、締まった首の苦しささえクリアに認識出来るのに。


どうしてだか、後ろに誰かがいると信じられなかった。


後ろを振り向く。


そこには、当然のように当たり前のように、何事もないかのように……一人の子供が立っていた。


年の頃と背はオレより少し下ぐらい。黒い帽子に黒い服。黒い髪の黒い目で黒尽くめ。


その人はオレが振り返る前に襟首から手を離し、数歩下がっていた。


そして、黙ったままオレを見上げている。


オレの目は確かにその人を捉えているのに、それでもその存在の気薄さは変わらなかった。


…けれど、それでも見えているのだから、やっぱりその人はそこにいるのだろう。


「………助けてくださって、ありがとうございます」


オレがそう言うと、その人の目が少しだけ見開かれる。


なんとなく、予想の付いた反応だ。


その人が口を開く。


「お前…オレが見えるのか?」


「ええ」


オレは頷く。


信じられないことに、その人は……その姿が半分、透けていた。





その人はリボーンと名乗り、


オレも獄寺隼人と名乗り返した。


あれから。


歩きながら、その場を離れながら―――オレたちは話をした。


それにしても、警戒心の強いお方だ。


オレはもうその気は、ないというのに。


人のざわめきから離れた踏切から、街の中心へ。


少しずつ人の数が増えてきて、そいつらの目線がオレを見る。


…リボーンさんの姿は、まるで見えないかのように、そこにいないかのように、存在しないかのように―――周りの視線から外れている。視界に入っているはずなのに、目に映っていない。


いや、まるでではない。


本当に―――見えてないんだ。


周りの奴らは、リボーンさんを避けもせず……意識せず、真っ直ぐ進んでくる。


リボーンさんはその必要もないのだろうが、いちいちそれを避けながらオレと話す。(衝突してもすり抜けるらしい。気分の問題だろうか?)


「……リボーンさん、オレの少し前を歩いたらどうですか」


「その手があったか」


リボーンさんはオレの前に来て、オレの方に振り向き、後ろ手に歩く。


「それにしても、本当にリボーンさんは誰にも見えないんですね」


「そうだな」


「どうしてオレには見えるんでしょうね。半透明ですが」


「オレにも分からんが……だがお前がオレと話してくれる代わりに、お前が不審者がられているのが申し訳ないな」


「え?」


オレは辺りを流し見て、周りの奴らと目が合った。


そいつらの目は………ふむ。


奴らはオレと目が合うと気不味そうに背けて、早足に去っていく。


「周りから見たらお前は独り言を延々呟いているようにしか見えないだろうからな。悪い」


「いえ……別に」


さてどうしたものかと考えて、とりあえずオレは携帯を取り出して口元に当てた。


「誰かに電話するのか?」


「いえ、カモフラージュです。こうすれば少なくとも一人で話していても不審ではないかと」


「なるほど」


リボーンさんは納得した。


「…とりあえず、こっちに行きましょうか」


「ん? ああ」


オレは道を曲がり、リボーンさんもついてきた。


少し歩いて、オレたちは公園に辿り着く。


誰もいない公園。


寂れて、古くなって。誰も使わなくなった公園。


オレはその中に入り込み、手近なベンチに座る。


口元には一応、変わらず携帯電話。誰が通りかかるか分かったものじゃない。


リボーンさんはオレの前に突っ立っていた。目で促すと意外そうな顔をしてオレの隣に座った。


「立ったままの方がよかったですか?」


「いや、立つも何も、座ったことがなかった」


それはすごい。


オレは素直に感心した。


「リボーンさんは、あれですか。俗にいう幽霊って奴ですか」


「どうだろうな。その割にはお仲間とかいう奴を見掛けたこともないが。そういうお前は、あれか。俗にいう見える人って奴か」


「いえ、オレには霊感の類はないようで幽霊なんて見たことありませんね」


「そうか」


「ええ」


一区切りついて、それからは雑談に時間を費やした。


リボーンさんとの会話は、とても新鮮だった。


そしてその会話の終わりは、リボーンさんの一言であっさりと終わった。


「そろそろ、帰らなくていいのか?」


「え?」


気付けば辺りは夕焼けに照らされていて。


なるほど、世間一般的にはそろそろ帰路に着くべき時間、なのかもしれない。


…それに、まあ…もう潮時か。


「……そうですね。じゃあ、オレはもう行きます」


「そうか。それがいいな」


オレは立ち上がる。リボーンさんは座ったまま。


…リボーンさんは帰らないのだろうか。


まあ、いいや。


「さようなら。リボーンさん」


「ああ。じゃあな、獄寺」


オレは振り返ることもなく公園を後にした。


もう、会うこともないだろうと思いながら。





―――そう思ったのに。


翌日、再びオレたちは再会を果たした。


というか、リボーンさんは昨日別れたあの場所。あの公園のベンチに昨日のまま、そのまま座っていた。


「よお、獄寺」


「………気に入ったんですか? ここ」


「ああ、気に入ったな。ここはいい」


「そうですか」


「気に入りすぎて、お前とここで別れてからお前と交わした会話をここでずっと思い返してた」


「………」


どうやらずっとここにいたらしい。


「リボーンさんには…帰る場所は、ないんですか?」


「ねえよ」


あっさりと。


事も無げに…リボーンさんはそう言った。


「誰の目にも入らず、誰の耳にも届かないオレに、帰る場所なんてない」


「オレには見えて、聞こえてますよ」


「そうだった」


忘れられてた……


オレはリボーンさんの隣に座り、携帯を取り出して口に当てた。


「誰かに電話するのか?」


「あなたと話すんですよ」


携帯は昨日と同じく誰かに見られたとき対策だ。まあ、別に誰にどう思われても構わないけど一応。


「なんだ? もしかしてお前、オレと話に来てくれたのか?」


「いえ、むしろもう二度と会わないだろうと思ってました」


昨日のことは、夢だろうと、そう思ってた。


もしかしたら、今この時だってオレの見る白昼夢かもしれない。


だけどそれでも。


またあなたと出会えたのなら、話したい。


と言っても、リボーンさんは基本受け手で、話すのはほとんどオレだけど。リボーンさんは相槌を打つばかりだけど。


それでもオレは楽しいし、リボーンさんにはそうせざるを得ない事情があるのだから構わない。


リボーンさんは、何も知らない。


何も。


…例えば、本がある。


リボーンさんは文字が読めるけど、どれだけ本に興味があってもその内容を知ることは出来ない。


本を持てないから。


本のタイトルを知っていても、カバーに書かれてあるあらすじぐらいは読むことが出来ても、内容を知る術はない。


例えば、料理がある。


リボーンさんは食材の名前を知っているけど、料理を見ればその名前ぐらいは分かるかもしれないけど、それだけだ。


その料理の味も、舌触りも、食感も分からない。


料理を食べれないから。


知識はあるけど、経験がまるでない。


それがリボーンさんだった。


「だとすると、ますますオレに触れられるのが不思議ですね」


「そうだな」


あの時、リボーンさんもまさか本当にオレに触れられるとは思っていなかったようで内心ではかなり驚いていたらしい。


「でも、本は見られなくても映画なら見放題なんじゃないですか?」


「映画……興味はあるんだがな。あそこに入るには料金がいるんだろ? オレは金を持ってない」


「いえ…ほら、誰にも見えないんですから、堂々と入れば……」


オレがそう言うと、リボーンさんはきょとんとした顔をオレに向ける。


「そんなことしちゃ、駄目だろ」


うわあ。


この人、いい人だ。


透明人間になれたら、とかいう議題で犯罪を行う人種に見せてやりたい。


まあ、それはともかく。


「じゃあリボーンさん、オレと街まで行きませんか?」


「ん? …ああ、そうだな」


立ち上がり、振り向いてリボーンさんに手を伸ばす。


リボーンさんは、腕を伸ばしてオレの手を掴んだ。


…触れられる。確かに握る手の感触が、ここにある。


リボーンさんは、ここにいる。





やってきた街の、ある一角。


そこにあるのは先ほど話題に出た映画館。


「リボーンさん、見るとしたらどの映画が見たいですか?」


「ん? ………そうだな…あれとか面白そうだな」


リボーンさんが指差したのは、どうやら犬が主役らしい映画。


…動物ものか…意外……いや、そうでもないか……?


「じゃあ、見ましょうか」


「そうか。行ってこい」


………。


会話が出来ていなかった。


いや、オレひとりで見に行ったら意味がないんですよリボーンさん…


「…リボーンさんも、よろしければどうですか?」


「オレ? どうやって中に入るってんだ」


「オレと一緒に行きましょう」


「だからオレは金が…」


「オレが出しますよ」


そう言って、オレは携帯を仕舞ってリボーンさんの手を引いて窓口まで歩み寄る。


子供二人分のチケットを買い、一枚を受付に出した。


流石にリボーンさんの見えない相手にもう一枚のチケットは出せず、こちらは財布に仕舞い込んだ。(それはそれで不審に見られた)


正規の契約は果たしてないが、金は払ったんだし事情もあるし、これで許してもらおう。というか、これはリボーンさんに納得してもらうための手続きであり別に誰かに許して欲しいわけではない。


そんなわけで、オレは映画館の中に入った。


リボーンさんと一緒に。


…………………。


……………。


………。





「ありがとうな」


一時間と少しの時間を座ったままで過ごして、映画館から出ると開口一番にリボーンさんにお礼を言われた。


「いいえ、オレもいいものが見れましたし」


「ああ、あの映画か。面白かったな」


オレの言う「いいもの」とは映画の内容ではないのだが、まあその誤解は解かないでおこう。


そもそもオレは、あまり映画を見てなかった。


オレの横で集中して映画を見る、リボーンさんを見ていた。


オレと話すときは、真面目に聞いているということは分かるのだが、どこか淡々としていてどこか浮世離れしていたのだが…映画館の中のリボーンさんはまるで年相応の子供だった。


見ていて、微笑ましかった。


…自分に、こんな感情があるなんて、知らなかった。


それからはオレたちはまたあの公園まで戻り、昨日と同じく夕刻まで話をした。


今回はオレの方が聞き手で、リボーンさんがずっと喋っていた。内容は言わずもがなあの映画。


どうやらあの映画のストーリーは飼い犬と主人が旅行先で離れ離れになってしまい、飼い犬が自力で主人のところまで帰るまでの話らしかった。


………オレどんだけ映画に興味がねえんだよ……


音声ぐらいは脳内に入っていたはずなのに。


…オレの分までリボーンさんが見てくれたのだと、そう思おう。うん。


そうしてその日は終わり、翌日オレはまた公園に向かった。


昨日の通りにリボーンさんはそこにいて。


未だになお映画の虜になっているようだった。


「リボーンさん」


「ん? ああ、獄寺か」


リボーンさんはオレに声を掛けられるまでオレに気付かなかったようだ。


よほどあの映画が気に入ったらしい。


「昨日は本当に楽しかった。礼を言う」


「いいんですよ、別に。それより…今日もまた出掛けませんか?」


「ん? いいぞ」


リボーンさんはひょいっと立ち上がり、オレの隣に並ぶ。


「今日はどこに行くんだ?」


「まあ、ひとまず歩きましょう」


「そうだな」


オレが先導し、リボーンさんが続く。


リボーンさんは歩いている時も昨日の映画の話で持ちきりだった。


………まだ語り足りなかったんですか。


しかしそれも無理からぬことなのだろうか。


オレには分からない。





それはともかく今日は、オレはリボーンさんを動物園に連れてきていた。


今回も前回と同じく、料金は二人分払う。


受付に怪訝な顔をされても気にしない。


それよりも様々な動物に驚いているリボーンさんの方が重要だ。


「………」


リボーンさんが固まっている。


やっぱりリボーンさんは犬猫やら、鳩や烏や雀やら、それぐらいの動物しか見たことがなかったみたいだ。


入口すぐにいるフラミンゴの時点で立ち竦んでいる。


「獄寺。大変だ」


「どうしました?」


「あの動物を見ろ。皮を剥がされて肉が剥き出しになってる。足に至っては骨だけだ」


「精肉店じゃないんですから」


あれは羽の色で、足に至っては元よりそのままです。


しょっぱなからグロテスクな発想を持たれてしまった……


しかしリボーンさんは挫けることなく、次の動物を見に向かった。


リボーンさんは動物についての知識はさほど持っていなかったようで、動物を見ての感想は聞いてて面白かった。


曰く。





「獄寺。猫だ。巨大な猫がいるぞ」


「あれはライオンです」


あんなのが街中を闊歩していたらダイナマイトでも所持していない限りオレは逃げる。





「獄寺。見ろ。巨人がいる」


「あれは象です」


確かに巨大だけど。





「獄寺。見ろ。妖怪だ」


「あれはパンダです」


面妖に見えるらしい。





「獄寺。こいつは知ってるぞ。あれだろ。飛べなくて走るでかい鳥……待て、今思い出す………こいつは…そう、ダチョウだな? 黒いんだな」


「いえ、こいつはヒクイドリです」


惜しい……とも、言えないか。





「獄寺。こいつこそ知ってるぞ」


「へえ。まあ、有名で特徴的ですからね」


「ろくろ首って奴だな?」


「いえ、こいつはキリンです」


しかし完全否定も難しいな……


ていうかよくろくろ首は知ってるんだ。





そんなわけで、そんな一例を示しつつ。


オレは閉館時間ギリギリまでリボーンさんと動物を見て回り、リボーンさんの感想をほっこりしつつ聞き、動物園を後にした。


そういえば昨日の映画でも動物もので、今日はそのまま動物園と捻りも何もなかったが……リボーンさんは喜んでくれたようだった。


リボーンさんを公園まで送り届け、オレは道を戻る。


オレの頭の中には、明日リボーンさんとどこに行くかという内容でいっぱいだった。





それからもオレはリボーンさんと出掛けた。様々な場所を訪れた。


水族館に、植物園。


美術館へ行き、舞台を見て。


山にも行ったし、海にも行った。


新鮮な反応をするリボーンさんを見るのは、楽しかった。


気付けばオレは、リボーンさんの虜になっていた。


最初は、リボーンさんの反応を見たいがためにあちこち連れ出していたのに。


今ではもう、オレがリボーンさんと一緒にいたいだけだ。


最初は、白状すれば、近くに住む猫を餌付け(ならぬ場所付けとでも言うのだろうか?)をするような感覚で、懐いてくれたらいいななんて。そう思っていたのに。


懐いて、離れられなくなったのはオレの方だ。


リボーンさんと、ずっと一緒にいたい。


それは、叶うはずもない願い事で、


その時が来たのは、リボーンさんと出会ってから、丁度一年後のことだった。





それは茹だるような夏の日で。


アスファルトから陽炎が見えるほど暑い日だったことを、今でもよく覚えている。





その場所を通ったのは偶然で。


オレはそこが出会いの場所だということすら忘れていた。


オレにとってリボーンさんとの場所といえば、あの公園のイメージが強かったから。


だけどリボーンさんはしっかり覚えていたようで。


だからその場所に来たのは偶然でも、その話題を口にしたのは思うものがあったからだろう。





「獄寺」





踏切を通ってから、リボーンさんに後ろから呼ばれ、オレは振り返った。


リボーンさんは踏切を渡っておらず、オレと線路を挟む形でその場所にいた。


一年前、ほかならぬオレがリボーンさんに助けられた、命を救われた―――その場所に。


「…どうしましたか?」


オレがそう声を掛けると、リボーンさんは………静かな声で、声を届ける。


「もう、会うのはやめよう」


「え……」


オレは絶句した。


だって、そうだろ?


こんなこと、急に言われて。


「どうし、たんですか……リボーン、さん」


「オレといると、お前は駄目になるみたいだからな」


「駄目って…」


辺りに人がいないからだろうか。踏切越しで、そこそこの距離があるにも関わらず声がやけにはっきりと聞こえる。


今すぐリボーンさんの傍まで駆け寄りたいのに、足が地面に縫われたかのように動かない。


いや、そうではない。


手順を一歩でも間違えたら、その瞬間リボーンさんが消えてなくなってしまうかのような。そんな恐怖がオレの中にあった。


そんなオレの内心に気付いているのかいないのか、リボーンさんは言葉を続ける。


「まあ、異常なんだと気付くのにここまで時間がかかったオレもオレだが……お前。友達とか、家族とか、いないのか?」


「………」


「つっても、いないとしてもそれはそれで良い。いや、良いのか悪いのかは正直よく分からないが……それよりもお前、学校とやらはどうした」


「……………」


「お前ぐらいの年の奴は通ってるんだろ? だというのに毎日毎日オレと遊んで…いや、無論オレは感謝してるんだが、それとこれとは話が別だ」


「…………………」


「そういえばお前、オレと話をするとき携帯を使って周りの目を誤魔化していたが…それでも辺りの不信の目は変わらなかったな。あれは学校に通っているはずの子供がどうして街中に、という目だったんだな」


「………はっ」


今まで黙って聞いていたオレだったが、思わず笑ってしまった。


本当に、この人は―――何も分かっちゃいない。


そしてそんなところが、何よりも愛おしい。


なるほど、確かにオレには友などいない。作ろうとしたこともない。


家族はいるにはいるが、オレに金だけ与えて遠くに行った。どこにいるのか何をしているのかも分からない。知らない。興味もない。


そして、周りの目。


あの目の意味は、あいつらの目の真意は………


「あれは単に、オレを不気味がって、怖がって、気味悪がってるだけですよ」


「…む?」


リボーンさんが小首を傾げる。


意味が分からない。そういう顔だ。


「どういう意味だ?」


「そのままの意味ですよ」





     ―――カンカンカンカンカンカンカンカン





遠くから踏切の音が聞こえる。


その音は深く。意識することは出来ず、ただ目の前のことに…リボーンさんに集中する。





「リボーンさん、オレの目と髪。どう思います?」


「ん? どう思うって……」


リボーンさんはここまで分かりやすく言われてもやっぱり分からないようで、素直に嬉しいことを言ってくれる。


「綺麗だと思うが?」


「不吉なんですって」


他人の声のように、自分の声が聞こえる。


顔は恐らく笑っているんだろうけど、きっと薄っぺらい表情だろう。


リボーンさんが難しい顔をする。


「分からないな。どうしてそれが不吉なんだ?」


「さぁあ? オレにもさっぱり分かりません。ただ悪いことが起きればそれは全部オレのせいで、だからオレが罰を受ければそれで全てが解決するんだそうです」


「んな馬鹿な」


八つ当たり気味に言ってしまったオレに、しかしリボーンさんは気にした様子はなく呆れ顔でそう言った。


本当に馬鹿な話だ。馬鹿馬鹿しすぎて、そんな馬鹿なことも分からないような奴と同じ血がこの身体の中にも流れていると思うと発狂しそうになる。


奴らがオレに下した"罰"は、隠し通せるものではなく―――それ以前に隠す必要性すらないと思っていたらしく、ある日あっさりと世間様にバレて奴らは捕まった。


オレが不吉なんだから悪いと最後まで主張していて、どうやらそれは本気で本当にそうだと信じて疑っていなかったらしく、つまり自分に非があるなどと思いもよらず、最後まで罪はオレにあると言っていた。


「………そうか。だからあの時」


そう。だからあの時。


「お前は、自殺を図ったんだな」


オレは、自殺を図った。


奴らの乗る、汽車に轢かれて死んでやろうと。


最後の最後で、自分の意志で悪になってやろうと。


オレを散々不吉で、悪で、死んだ方がましだと言っていたのだから。


奴らの言った通り、言う通りになってやろうと。





     ―――カンカンカンカンカンカンカンカン





空には雲ひとつなくて、近くの木々からは蝉の鳴き声が聞こえて。


遠くからは電車の音。足元からは微かな振動が伝わってきていた。





「リボーンさん、自殺と分かっててオレを止めたんですね」


「ああ」


「よく分かりましたね」


「分からいでか」


馬鹿が、と呟かれた。


「あんなに警告機が鳴っているのに無視して進んで、遮断機が降りているのに乗り越えて。死ぬ気だったとしか思えねえよ」


「あはは」


そういえばそうだ。


オレとしたことが。


「どうして止めたんですか?」


「目の前に死にそうな奴がいたら、助けようとするものだ」


「誰にも見えず、触れられないのに」


「オレも驚いたよ」


あの時は本当に驚いた。


油断していた。警戒を解いていた。


誰にも邪魔されず、死ねると思ってた。


だって周りに誰もいないことなんて、とっくに確認済みだったのだから。


あなたに自殺を止められて、あなたの声を背中越しに聞いても、現実味なんてなかった。


誰もいないはずなのに、誰かがいるなんて考えれなかった。


あるいはオレはもう死んでいて、自覚のないまま死後の世界とやらに来たのではないか。とも考えた。


あなたの姿を見るまでは。


あなたの目を見るまでは。


誰もいないはず、とか。死後の世界かも、とか。どうでもよくなった。


あなたの目。


奇異の目じゃない、迫害の目じゃない、不気味がる目じゃない、気持ち悪がる目じゃない。


普通に、対等に、当たり前に―――オレを見てくれる、その目を見たとき。


そうだな、そうだ、その時だ。


オレがあなたの虜になったのは。


「オレはお前を助けようとしたけど、お前を助けられるとは思ってはいなかった」


リボーンさんの独白は続く。


「オレはまた、人の死を見る羽目になるんだと思ってた」


………ん?


また? 羽目?


今度はオレが小首を傾げた。


「そういえば言ってなかったな、獄寺」


リボーンさんはひと呼吸置く。


「オレが意識を止める人間は、オレが見るとすぐに自殺を図るんだ」


まるでオレが見たから自殺をするかのように。


そういうリボーンさんは笑っていて、しかしどこか薄っぺらい表情だった。


「最悪だ。辛い。オレは止めようとするんだが、分かっての通りオレは誰にも見えないし触れられない。オレの目の前で、オレのすぐ傍で、あいつらは死ぬんだ」


「………」


それは…どれほどの苦痛だろう。


目の前で死にゆく誰かを、止めようとしてもその手は届かず、届いてもすり抜けて。


どう足掻いても、願いは叶わず、だからと言って傍観することも出来ず、毎回無力に打ちひしがられる。


「だけど―――だから、お前を助けられたときは、お前に救われたよ」


なんて言いながらリボーンさんは…表情を一転させて、明るい笑顔でそう言った。


「どうしてお前に見えるとか、なんでお前に触れられるとか。理屈は分からないがそんなことがどうでもいいと思えるぐらい救われた」


………狡いなあ。


オレが言いたかったのに、オレが言う前に、言うなんて。


自殺を止められた程度じゃ、オレはまた自殺を図ろうとしただろうけど。


あなたのオレを見る目に、あなたのオレに対する態度に、オレだってあなたに救われたというのに。


自殺なんてどうでもいいと思えるぐらいに、救われたというのに。


だけど、ならば、だからこそ。


「じゃあ、もう会わないなんて言わないでくださいよ」


「………」


あの日、リボーンさんと会って、夕暮れになるまで話して、リボーンさんに帰らなくていいのかって言われて。


リボーンさんと別れるぐらいなら、帰らなくてもいいと思ったけど。そもそもオレには帰る場所なんてないけど。寝泊りする場所はあってもあそこを家とは呼んでないし思ってもないけど。


だけど、頃合いかなとも思った。


夢の終わりの。


正直、夢だと思ってた。


リボーンさんと別れて、寝て、起きて、朝を迎えたらリボーンさんは消えてなくなってるんだと、思ってた。


翌日あの公園に向かったのは、その確認のためだった。リボーンさんがいないということを確認するためだった。


だけど。


リボーンさんは、その場所にいて。


………夢じゃ、なくて。


現実で。


またリボーンさんと話せて。


嬉しくて。


嬉しくて。


光が差したと思ったのに。


「リボーンさんと別れたら、その時こそオレは駄目になりますよ」


「オレには、お前がそうやって決め付けて、勝手に諦めてるようにも感じるがな」


「それは酷い……」


あの日々の中で、あの目の中で。長年暮らして、無事な奴などいるものか。


それでも無事で普通というのなら、オレは弱くて構わない。


「誤解すんな。お前はこの一年しっかり休んで、回復したろ。目なんてまるで別人だ」


「………」


「オレがいたら、お前は前に進めない…いや、オレがいるから、お前は前に進まないんだ」


「それは…そんなことは……」


………。


ない、とは言い切れなかった。


リボーンさんが隣にいながら、他の誰かを見るなんて。リボーンさんを見ずに他の誰かと話すなんて。


「まあ、理由はそれだけじゃないがな」


「……え?」


「実はお前のことより、オレ自身の気持ちの方が強い」


「………もう、オレには会いたくないと?」


「言葉が足りん」


声の震えるオレに、しかしリボーンさんは気の張った声を出す。


「ちょっと欲が出た。オレも地面とやらを踏みしめてみたくなってな」


「……リボーンさん?」


「風とらやも感じてみたいし……つまり、あれだ。これから生まれてくる」


「生まれてくるって……」


「オレが成長するまで、お前は強くなれ。オレはもう弱いお前と会う気はない」


「………っ」


「つっても、オレはお前が強くなるって確信しているわけだが」





     ―――カンカンカンカンカンカンカンカン





今更のように警告機の音が聞こえる。その音は大きく、大きく、大きく。


「だから、獄寺」


リボーンさんは笑ったまま、話す。


大声を上げることなく、いつも通りの静かな口調。


だけどその声は警告機の音に紛れることはなく。


まるですぐ傍に、オレの隣にいてくれてるかのようにはっきりと―――





「また会おう」





オレの目の前を、汽車が通る。通り抜ける。


いつかの日のように。いつもの日のように。当たり前のように。多くの命を乗せて。


オレとリボーンさんの視界を遮る。


今すぐ踵を返し、どこかへ向かってしまいたい。


一刻も早く、この場から立ち去りたい。


そうしたいのに、出来ない。


分かりきった現実を、せめてもの足掻きに見たくないのに。


…あるいは、その思考こそがリボーンさんの言うオレの弱さかもしれないが。


汽車が通る。流れる。行ってしまう。


全ての車両が通り過ぎ、開けた視界のその先は、その先には―――


誰も、いなかった。





それから。オレは暫く不安定だった。


リボーンさんがいない。


それはオレにとってかなりの衝撃をもたらして。


リボーンさんのいない人生なんて。なんて思って、死を選ぼうとしたことは一度や二度ではない。


そもそもリボーンさんと初めて会った日も、オレは自殺をしようとしていたものだ。


それでもなんとか堪えて、自殺は未遂に終わり生き続けて、ようやく落ち着いてきて。


リボーンさんには強くなれと言われてけど、強くなるということがどういうことなのかよく分からなかったのでひとまず義務とやらを果たすことにした。


なんにしろ、人の目にも慣れないといけないだろうし。


オレは学校に通った。


一応、オレは学生だった。あいつらが遠くに行ってから役所とか支援団体とか、そういうのがそういう手続きを取ってくれていた。


と言ってもオレはずっとサボっていて、正直無駄だと思っていたが……何がどう転ぶかわからないものだ。


ずっと通ってなかったから、もしかしたら退学扱いになっているかもしれないと思ったがそんなことにもなってなく。


しかし急に行くのは躊躇したのでオレは真新しい教科書の内容を理解してから行くことにした。


割とあっさり理解して、予定よりも早くオレは復学した。


しかしまあ、だからといって何かが劇的に変わるはずもなく。


しばらくはずっとひとり。奇異の視線にさらされ続けた。


だけど、いつからか。何がきっけかだったのか。


オレにも声を掛けてくるような奴が、現れて。


オレはこんなで、人付き合いというやつがよく分からなくて、よく衝突もしたけれど。(リボーンさんは例外だ。例外中の例外)


それでも次の日には―――早ければ数時間後には、また関わりを、持って。


オレにも友というものが、出来て。


リボーンさんと一緒にいる時でしか感じられなかった感情を、持つことが出来て。


……なんだかんだでオレは、その昔あいつらに言われたことが基盤になっていた。


あいつらが間違っていると思っていたけど、あいつらに言われ続けた言葉と態度を他人からも投げられるのだろうとも思っていた。


違った。


そんなことなかった。


オレが一方的にそう思っていただけで、オレから近付かなかっただけで、ただただオレが誤解しているだけだった。


それまで世界中がオレの敵だとすら思っていたこともあったのに。馬鹿みたいだ。


世界はオレを憎むために存在してないし、それほど暇じゃないし、そんなにオレに関心も持ってない。


それに気付くのは、単純に一歩踏み出せば、それで、それだけでよかったのに。


今までのオレは、その一歩すら踏み出さず、そうに違いないと決めて付けて、停止していた。


リボーンさんがオレを心配するのも頷ける。


でも。


もう、気付きましたよ。


オレは歩き出しましたよ。





あれから―――あの日から、もう10年が経ちましたよ。





喉が渇いたので、ジュースでも飲もうかと自販機の前に立つ。


財布を開け……小銭がなかったので札入れの方を見ればそこには一枚のチケット。


その昔、リボーンさんと初めて出掛けた日に見た、あの映画のチケット。


…10年もよくもったな……


捨ててもよかったのだが、どうしてもそんな気にはなれずずっと取っておいた。


無論、もう使えるものではないが……しかし懐かしいな。


これから映画でも見に行こうか?


そんなことを思ったら。





「獄寺」





声が。


懐かしい、酷く懐かしい、今思い出したばかりの、決して忘れたことのない、声が。


後ろを振り向く。





「やっと会えたな」





そこには、当然のように当たり前のように、何事もないかのように……一人の少年が立っていた。


年の頃は10歳ほど。背は小さい。黒い帽子に黒い服。黒い髪の黒い目で黒尽くめ。


無論、その姿が透けているということはなく。


その足はしっかりと大地を踏みしめて。その髪はそよぐ風に微かに揺れていた。


オレはなんと言うか悩み、財布に目を落とし、チケットの存在を認めて、





「リボーンさん。オレ、これから映画を見に行こうかと思ってるんですけど、よろしかったら一緒にどうですか?」


「動物ものがいいな」





あっただろうか。


最近の映画には詳しくないが、でも時間はあるし。ゆっくり探そう。


この人と一緒なら、きっとそんな時間ですら楽しい。


まるで以前からそう申し合わせていたかのように、オレたちは二人、一緒に歩き出す。


やっと会えた。また会えた。


その嬉しさは、きっと二人同じものだと思った。





―――それは茹だるような夏の日で。


アスファルトから陽炎が見えるほど暑い日だったことを、今でもよく覚えている―――





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お帰りなさい、リボーンさん。


某リトルバスターズ! Rネタ。