この手を離してはいけない。


離したら最後、その瞬間―――





- この手を離す瞬間 -





目を開けると、真っ白な空間にいた。


「……?」


はて。どうしてオレはこんなところにいるのだろう。


ここはどこだろう。何の心当たりもない。


真っ白な部屋。大きさは学校の教室ぐらいか。その中にオレは一人、ひとつだけある椅子に座っていた。


辺りを見渡す。床壁天井全てが眩しいほどに白い。窓はなく外の様子は分からない。


ただ……ひとつだけ、周りと違うところがある。


扉が一つ、目の前に存在していた。


その扉の色は灰。白い空間の中、その長方形に切り取られたような扉だけが目立っていた。


今自分がどんな状況の中にいるのか分からないが…いつまでもこの空間の中椅子に座っているわけにもいくまい。


オレは立ち上がり、扉の前まで進み、左手で扉を開けた。





扉の向こうはオレの部屋だった。


「………」


後ろを振り向くも今オレがくぐり抜けたはずの扉はなくなっていた。


…ふむ。


オレは机の引き出しを開けたり、本棚を見たりする。オレの記憶にある通りのものが仕舞われていた。


ただし、窓はなかったが。


「……………」


考えるも何故だか思考が纏まらない。


この世界は"こういうところ"だと認識するのが精々だ。


オレは扉に足を向ける。


ドアノブに手を掛ける。


左手で扉を開けた。





オレの部屋は外に出ると廊下が広がっているはずなのだが、視界に広がったのは学校の教室だった。


一応後方を確認するが、やっぱり扉は消えていた。


オレは辺りを見渡す。


教卓。黒板。ロッカー。そして無数の机と椅子。


懐かしき並中の教室の一部屋だ。


ただし、授業中よくぼんやりと見ていた窓はやはりなかったが。


…窓のない教室というのは異質なものだ。


オレはとっとと別の場所に行くことにする。ドアに左手を掛け思い切り開け放った。





それからオレは様々なところを渡り歩いた。


どのような基準で移動しているのか、現れる部屋は突拍子もないものばかりだった。





ボンゴレの会議室。



学校の保健室。



日本にいた頃借りてたマンション。



八歳まで住んでた城。



10代目の部屋。





様々な場所を訪れ、窓のない部屋を通り過ぎ、誰もいない空間を渡り歩いた。


歩くけば歩くほど、進むめば進むほど、オレの脳内に疑問が沸く。


ここは一体どういうところで、


ここは一体どういう場所で、


オレに一体何が起こっている?


考えても答えは得ず。


むしろ考えても思考は纏まらず。


オレは無意識の内に右手を握り締めていた。





そしてオレは今、狭い倉庫のような空間の中にいた。


色々な小物が埃を被って並び、誰かに発掘されるのを待っている。


しかしオレはそんなものに興味はない。今までと同じようにとっとと移動することにする。


扉の取っ手に左手を掛ける。


…開かない。


鍵が掛かっているわけではなく、錆び付いていたり何かに引っかかっているように感じる。


オレは力を込めて開けようとする。慣れない左手では上手く力が入らず中々開かない。


とうとう痺れを切らしたオレはドアを蹴り破った。あっさりとドアは崩れた。


そして広がる空間は―――――





最初の空間に戻ったのかと思った。


真っ白い部屋。床、壁、天井。最初にオレがいた空間と酷似していた。


違うのは灰色の扉がないということと……


誰かがいたということ。





その人は最初、オレが目を覚ましたときと同じように部屋の中に唯一ある家具の椅子に座っていた。


どこか憂い顔で、あらぬ方向を見ている。


オレは思わず一歩踏み出し、その人の名を呟いていた。


「……リボーンさん」


「…ん?」


オレの声が耳に届いたのか、リボーンさんがオレを見る。


リボーンさんは、まずオレの目を見て。


次に視線を右下に落とし…ふっと笑った。


「ああ、それ探してたんだ」


それ。


その言葉を聞いて、オレは初めて右手に何かを持っていたのだと知った。


ふと視線を右手にやれば…そこには黒い帽子。


リボーンさんの帽子。


「助かった」


気付けば、すぐ目の前にリボーンさん。


はて。オレはいつの間に歩いたのだろう。全然記憶にない。


オレの腕は勝手に動きリボーンさんの前に帽子を差し出す。


「ありがとう」


なんて、生まれて初めて聞くような礼の言葉を言いながらリボーンさんが帽子に手を伸ばす。


だけどオレは……


オレはその手を、離せない。


「獄寺?」


帽子を引っ張ってもオレが手を離さないものだから、リボーンさんがきょとんとしながらオレを見上げる。


オレが手にしているのはリボーンさんの帽子だ。


だからリボーンさんが帽子を求めるのは正しい。


オレは、もしかしたらリボーンさんを探していたのかも…この帽子を届けに来たのかも知れない。


だからオレはリボーンさんに帽子を渡さないといけない。


なのにオレの手は、帽子を離してはくれない。


いや、手のせいにするなどオレらしくない。


オレが、自分の意志でリボーンさんに帽子を渡すまいとしている。


オレは何をしているのだろう。


相手はあのリボーンさんなのに。


それにリボーンさんは、この異質な空間で初めて会った人だ。


ここは一体どういうところで、


ここは一体どういう場所で、


オレたちに一体何が起こっているのか。


この方は知っているのかも知れないし、


知らずとも、二人で考えることだって出来るだろう。


この人は気難しい方だから、オレは機嫌を損ねないように立ち振舞わないといけないのに。


なのにオレは、手を離せないでいる。





だって、オレはきっと知っている。


この手を離したその瞬間。





この世界は終わり、


この空間はなくなり、


この場所は失われ、





―――そして、あなたとお別れだ。





だというのに。


リボーンさんが力を少し入れただけで、あっさりと帽子は持ち主のところへといってしまった。


オレは手を、離してしまった。


リボーンさんは早速帽子を被っている。


世界は何も変わらない。


だけど。


リボーンさんは踵を返し、どこかへ行こうとする。


「リボーンさん」


オレは思わず声を掛ける。


リボーンさんが振り向く。その顔は「どうした?」と告げている。


「…どちらへ?」


そう聞くオレに、リボーンさんは黙って親指で向かう方向を指してみせる。


するとその向こうに、いつの間にあったのか。


この白い空間の中、オレがくぐった灰色の扉など霞んで見えるほど目立つ―――異彩を放つ、扉がひとつ。


黒い、扉。


「この先だが?」


「オレも―――」


オレは一歩踏み出す。リボーンさんへ向かって。


「オレも一緒に行っても、いいですか?」


オレがそう聞くと、リボーンさんは少し驚いた顔をして…そしてすぐに笑って、否定する。


「そりゃ駄目だ」


「何故…」


「お前の扉は、そっちだ」


言われた方向を見てみると、そこには白い空間が広がるだけで何もない。


…いや、あった。


白い床。白い壁。それに紛れるように、隠れるように。


真っ白い扉が、そこにあった。


それを認識すると同時。


オレはその扉の前に立っていた。


自由になった右手でノブを掴む。


開いた先に広がるは闇。


オレの足は勝手に進む。


振り向けばリボーンさんはオレを見ていて。


「じゃあな」


なんて笑って言って。


オレの手は勝手に離れ。


闇の先に足を踏み入れ。


ドアの先にあるのは真っ暗な部屋ではなく、何もない空間だったらしく。


オレはそのまま落ちていった。





目を開けると、見慣れた場所にいた。


抗争の中心地。その場所にオレは倒れていた。


…よく生きてたもんだ。


起き上がる。右手が目に入る。


…はて。オレは気を失う前、何かを右手に握り締めたと思ったのだが…何も持ってない。


オレは辺りを見渡し、状況を確認する。


…あの人がいない。


死んでもない限り、あちこちを動き回るのは当然だと思うのだけれど。





何故だかオレは、もうリボーンさんと会えないような気がした。





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そしてそれは、気のせいではなかった。