- たとえ傷付き倒れても -
荒い息遣いが聞こえる。そしてそれは暫くしてから他の誰でもない、自分自身から発せられてるものだと気付く。
けれどそんな情報はどうでもいいと、オレは壁に背を預けながら辺りの気配を探る。
…いる。近くに。誰かが。何かが。
周囲に同化していて。辺りに溶け込んでいて。普段の自分では決して気付かないような、そんな微かな気配。
敵なのか。敵なのだろう。ここには自分と敵しかいないから。
向こうはこちらに気付いているのか。気付いているだろう。相手はかなりの手練だと言うことぐらいこんな自分にだって分かる。
力が抜けそうな身体を叱咤して。指に、足に力を込めて。引き金をそのすぐ近くまで来ていた稀薄な気配に音も立てず向ける――
―――と。指が思わず止まる。
…お互いに。
「…なんだ。お前か」
「リボーンさん…!?」
現れた相手は自分よりも一回りも年下の、けれどどうしても頭の上がらないヒットマンで。
「…なんで…?」
これは自分に与えられた任務のはずだ。故に彼に出番はなくて。
「ツナから要請命令が出た。敵増加の新情報により、お前一人じゃ任務成功は重いと判断されてな」
…ああ、なるほど。
「でもま…あまり意味はなかったようだがな」
流石はリボーンさん。一目見ただけで状況を判断するとは。
「ここまでのフロアの敵を全滅とは…な」
バンッ 銃声。
振り向きもせずにリボーンさんが撃った銃弾は、オレを狙っていたこのアジトの人間の眉間にまるで吸い込まれるかのように通関した。
「折角隠れながら休んでいたのに、なんてことしてくれますかリボーンさん」
「なんだそうだったのか。…なら、ここからの相手はオレがしてやるから。お前はアジトに戻っていいぞ」
ああ、それはとてもいい考えですリボーンさん。
リボーンさんなら誰にも負けないでしょうしね。じゃあオレは手早く素早くアジトに戻って今回の報告書をまとめることに専念したいと思います。
―――…なんて。そう出来たらどれほど幸せだったでしょうね。
「…いいえ。ここはオレが片付けますから。リボーンさんはこの資料を10代目の所へ」
銃をしっかりと握る。この手に伝わる熱いものは汗かそれとも。
「なんだ。オレが折角気を遣ってやってるのに。遠慮なんてしないでいいんだぞ?」
「あはは。余計なお世話です」
スーツが重い。それだけの水分を含んでいるからだろう。脱ぎ去ってしまいたいがそれ以上に寒いのでそれも叶わない。
「随分とでかい口を叩くようになったな」
「すいません…でもですね」
背を預けていた壁から離れる。
目に入ったその壁は…赤黒く。染まっていた。
「オレ、もう…助かりませんから」
「そうか? ボンゴレの医療班なら助かるかもしれないぞ」
「…オレにとっての助かるは、生涯を車椅子生活で終わらせることではなく。またマフィアとして復帰出来る事の状態を指しますから」
「なんだ。それなら無理だな」
「はい。無理なんです」
暫しの沈黙。微かに聞こえる大勢の足音。紛れもなくここのアジトの人間のモノ。
オレは無理矢理リボーンさんに資料を渡して。
「行って下さい」
「念のために聞いておこう。…もしも、嫌だと言ったら?」
その問いに、オレは迷う事無く即答する。
「自分の足を撃って、腱を焼き切ります」
「それはまた大胆だな」
「こうすればオレは役立たず以外の何でもなくなります。それでも戦えますが…倒せる敵の数が著しく落ちます」
「まぁな」
「…ですから。行って下さい。…出来れば嫌だと言わないでほしいです。オレ痛いの苦手なので」
「それは脅迫か?」
「まぁ、ある意味」
オレのその言葉に、リボーンさんは少し呆れたように。
「…まぁ、いい。じゃあまたな獄寺」
そう言って、リボーンさんはあっという間に姿を消した。
「…貴方らしくもない。またなんて日、訪れる訳がないことぐらい。…貴方は充分理解しているでしょうに」
最後に、そう毒吐いて。
少しでも体制を整える時間を得ようと、オレは近くの空き部屋へと移った。
さて。オレの命はここで尽きるだろうけど。けれど黙ってやられる義理はない。
まぁ精々派手にやらせてもらおう。一人でも多く道連れにしてやろう。
自身の身の危険を顧みずに戦うなんて、久し振りだ。それは何だか懐かしくて。
――そんなことを思っていたら。
「…獄寺。なんでお前笑ってやがるんだ? 気でも狂ったか?」
開け放たれていた窓から、ついさっき別れたばかりの。…リボーンさんがいて。
「どうしてって顔してるな。なに、資料ならたった今レオンに運ばせた。その方面での心配はいらねぇよ」
「いえ、でも…なんで」
「さっきまたなって言ったろ?」
確かに言いました。確かに聞きました。…けど。それは理由になっていないような気がします。
「…分かった分かった。さっきな。レオンを飛ばしながらツナに連絡したんだ。それでその時お前の状態を聞かれてな…」
まさかよもやリボーンさん…
「ああ、事細かに真実を伝えてやった。ツナの奴、電話の向こうで顔色変わるのが分かるほど切羽詰った声を出してな。何があっても生きて帰せだと」
オレは流れ出る血液の事も痺れて思うように動かない指の事も息をするのも苦しいほどの痛みを発する背中の事も忘れてしまって。
そんなオレをリボーンさんは面白そうに意地悪そうに笑いながら見ていて。
「悪いな獄寺。オレボンゴレの小間使いだから命令には逆らえねーんだ。諦めて生き恥を晒せ」
「ちょ…そんな、嫌ですよ!」
「嫌か? なら仕方ないな。確かお前はオレが嫌だと言うと腱を切るんだったか?」
「え? ええ…言いました、けど」
しかしそれは最早あまり意味のないものへと成り下がった。腱が切れようと死にはしない。アジトへと連れ帰らせられる。
「仕方ねぇ。じゃあお前の頭を撃ち抜くか」
「なんでそうなりますか!」
思わず大声で言ってしまうオレにも、リボーンさんは楽しそうに笑いながら。
「いくらオレでも死体は生き返らせることは出来ねぇからな。ツナにはオレが戻ったときには獄寺は既に肉塊になってたって言っておいてやる」
…え。それは少しばかり待って下さい。それって…
「そうだな。ツナはこれでもかってほど悔いるだろうな。生涯の傷だろうな。しかもここの敵も一掃しないといけねぇからそれの損害で二重のショックだろうな」
「な…っここでオレが頑張ればそのショックも一つで済みます。そんな非合理的なことは止めて下さい」
「腱を切るとかいってた奴が何言うか。それに、お前がここから生きて帰れればショックは更に軽くなる。ツナの精神安定剤の為に生きて帰れ」
む…
「…リボーンさん、今日はリボーンさんらしくないです」
「そうか? いつものオレってのはどんな奴なんだ?」
「いつものリボーンさんは、オレみたいな使い捨ての駒なんてすぐに見切りを付けれる人です。そして極悪非道で鬼畜です。更に自分ひとりだけ楽しければそれでいいって、そんな人です」
「随分な言われようだな。しかしそういうお前こそ今日はらしくはないな」
「…そうですか? いつものオレって、どんな奴なんです?」
「いつものお前は馬鹿で一直線で人を疑うことを知らなくてそこが面白くて殺しても死なないような奴だ」
「…酷い言われようです。オレは傷付きました。10代目に言い付けてしまいます」
そう言うオレに、リボーンさんは少しおどけて。
「おお怖ぇ。で、少しは生きて帰る気になったか?」
「あは、そうですね…まぁ生きて帰って。リボーンさんが、10代目に怒られるのも…見てみたい気もしますが」
ぐたり、と倒れる。血の絨毯が広がる。
「身体…動きません」
それから眠いです。
「ああ、なら寝ていろ」
今寝たら、もう、起きそうにないのですけど。
「獄寺。寝る前にオレの認識を改めろ。オレは確かに極悪非道で鬼畜でお前の意見なんてこれっぽっちもきかねぇしオレだけ楽しければいいかも知れんが」
…何気に増えてます。リボーンさん。
「でもな。――気に入ってる奴を殺させない程度の甲斐性ぐらいはあるんだよ」
ああそうですか。
でしたら貴方こそ。オレの認識を改めて下さい。
確かにオレは馬鹿で一直線で人を疑うことを知らなくてそこをよくからかわれて殺されたら死にますけど。
「途中から変わってきてるぞ獄寺」
心読まないで下さいよ。いや、読んでていいんですけど。
…とにかく。流石のオレも殺されたら死にますけど、それでも…
―――…好きな人の前では、少しぐらい生き長らえようと。してみたりします。
数瞬の沈黙。そして押さえきれない声での笑い声。
…この人が笑うなんて。珍しい。
「ああ、そうか。なら生き長らえてみせろ」
オレが意識を保っていられたのはここまでが限界みたいで。今まで起きていたのが嘘みたいにふっと暗闇に飲み込まれていって。
…だから。あれはきっとオレの幻聴だろうと思った。
オレの意識が暗闇に沈む前。リボーンさんがオレに向かって。
「好きな奴ぐらい。オレが守ってやるから」
なんて。そんなあの人にしては珍しい、似合わない。
…けれど少しだけ嬉しかった、甘い言葉を吐いただなんて。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは夢。きっと夢。嬉しい夢。