「―――ハヤト、こらハヤト。…起きろ」


「………ん、んぅ…」


優しい手に揺すられて、意識がまどろみの中から浮かび上がってくる。


窓の外を見ていたはずが…いつしか眠っていたらしい。


「よく寝てたな」


降って来た声の方を見てみると…その人は頭を撫でてくれる。


「もうすぐ駅に着くぞ。ほら、支度しろ」


「はい」


返事をして、荷物を片付け始めた。


…と言っても、元からさほど荷は少ない。整理もすぐに終わってしまった。


それでも荷物をまとめて、ふと窓の外を見てみた。…看板が目に入る。



―――終点、並盛町まであと二駅―――



「…すまないな」


「え?」


振り向くと、そこには少し苦悩に表情を歪めた…


「…そんなこと言わないで下さい」


「ハヤト?」


「ハヤトは、大丈夫です。だって…ハヤトにはパパがいるんですから!」


にっこりと微笑んで、ハヤトはパパのお膝に座り込みました。そしてパパを見上げます。


「お引越しなのも、パパのお仕事の為なら仕方ないのです。パパが謝ることはないのですよ!!」


「ハヤト…」


パパはハヤトをぎゅって抱き締めてくれました。ハヤトもパパをぎゅ―って抱き締め返します。


そうしているうちに汽車は駅に着いて、ハヤトとパパは新しい町…並盛町の土を踏んだのでした。



夢色恋物語



「お隣さんに、新しい方がやってくるそうですよ」


母さんがオレを抱きかかえながら静かに言ってくる。


そういえば隣の空き家に引っ越し業者のトラックが数台着ていた。それだろう。


「どんな方なんでしょうね」


「さぁな」


素っ気無いオレの言い方に母さんが苦笑している。そしてオレの頭を撫でる。


「もう…あなたは来年から幼稚園に行くんですよ? もっと他人に興味を持たないと周りから浮いちゃいますよー?」


脅しを含んでいるような、からかってくるような声にも別にオレは動じない。そんなオレに母さんは更に苦笑しているが。


「…さ、そろそろご飯の支度をしましょうか。何が食べたいですか?」


「塩と砂糖を入れ間違わないならなんでもいい」


「…あ、あれは少し疲れていただけで…二度とあんなへまは…」


「そこまで疲れているなら、たまには休んでもいいんだぞ?」


「え…?」


「母さんがいつも夜遅くまで働いているのは知ってる。今日はたまの休みなんだ。ゆっくり身体を休めても罰は当たらない」


母さんは暫しぽかんとした顔をしていたが…やがて笑って。


「ふふ…ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。あなたを見ていたら疲れなんて吹き飛びますから」


母さんはオレにありがとうございますと礼を言って、キッチンへと向かった。


そしてその日の昼過ぎに、隣の家に新しい人がやってきた。





「ここが…新しいお家ですか!?」


「ああ」


「わぁ…!」


ハヤトはぱたぱたと廊下を走って、お部屋中を回ります。見知らぬ場所に少し興奮気味なハヤトなのでした。


「ハヤト、適当に荷を置いたら出掛けるぞ」


「え? どこに行くんですか?」


ハヤトはパパの声に素早くリュックサックをその場に置いて、パパの下へと駆け寄りました。


「隣人に挨拶回りをするんだ。これから世話になるだろうしな」


「隣人…お隣さんですね!!」


「そうだ。相手先では失礼のないようにな」


「はい!」


元気よく返事をしたハヤトをパパは撫でて、そして手を繋いでお隣さんへと歩いていきました。


パパがお隣さんのインターホンを押して。…少しするとぱたぱたと足音が聞こえてきて。


ガチャっと、目の前でドアが開きました。


そこにいたのは―――…





いきなり、目が合った。


お互いが何も言えず…ただ母さんと相手の父親であろう男の話し声だけが過ぎていった。



「―――で、こっちが娘の…ん? どうしたハヤト?」


「は、はぅ!? あ…は…ははははは、ハヤトです…っ」


彼女…ハヤトは急に話しかけられてか驚き、なんとも言えずおなざりな挨拶を残すと素早く男の背後に隠れた。


「…? どうしたんだ?」


「あはは、きっと疲れているんですよ。ついさっきこの町に着たばかりなんでしょう? きっと何かしら負担がかかっていたんですね」


「そう…かもな。大丈夫かハヤト」


「は…はい! ハヤトは平気ですよ! 大丈夫ですよ!!」


と、言いながらも彼女はますます男の背後に隠れて。…男は少し困ったように嘆息した。


「ふふふ…緊張なさっているようですね」


「…すまないな。見苦しい所を見せた」


「いいえ。…あ、それでこの子がオレの息子で…」


母さんに促されて前に出される。ハヤトと名乗った少女がオレを見つめていた。


「リボーンだ」


完結に挨拶を済まして一歩下がる。…む、母さんにため息を吐かれた。


「…もう。…すいません。そういえば、これからお暇ですか? 町の案内でもしましょうか」


「ん? …それはありがたいが…迷惑じゃないか?」


「いいえ、実はオレもこれから買い物の用があるので…そのついでになってしまうのですけど」


悪戯っぽく笑いながらそう提案してくる母さん。男も失笑していた。


「そうか…そういうことなら、世話になるかな」


「ええ。任せて下さい」


二人は時間を決めて、一旦別れるみたいだった。



「…と、言うわけでオレはお買い物に出掛けますけど…あなたはどうしますか?」


朗らかに聞いて来る母さんの問いに、オレは―――…





「ハヤトも行きます! 行きますよー!!」


「お前…疲れてるんじゃないのか?」


「えーと…少し。でもハヤトもパパと一緒にお買い物したいのです!!」


お家に戻ってきたパパはハヤトを置いて賑やかな所に行くみたいなのでした。


ハヤトも行きたいのです!!


「…お前な。疲れているんなら、大人しく寝ておけ」


「あ、あぅ…でもハヤト………その、ひとりは…いやなのですよ…」


じっと、パパを見上げて恐る恐る言ってみれば…パパはむぅっと唸って…


「仕方ないな…でも大人しくしてろよ?」


「はい!」


元気よく返事をして、そしてまたパパとお外へ出ました。


お隣さんのおねーさんが笑って手を振っています。それにパパが片手を上げて応えました。


それを見てハヤトもパタパタと手を振ったら、ハヤトにも手を振ってくれました。


ただおねーさんのすぐ近くにいる…ちょっと目付きの怖い人は、黙ったままでしたけど。





「…あのお店は子供服も取り扱ってますね…それにおもちゃも少し売ってありますよ」


「そうか」


「それから向こうの角の…あの大きな看板のお店は雑貨屋で…結構品揃えいいんですよ? それから…」


おねーさんのお話にパパが頷いて応えます。


ちょっと、むー、なのです。なんだかパパをとられてしまった感じがしてしまうのです。


…と、ふと。横を向いてみました。


するとそこにはあの人がいて…ってわ。目が合ってしまいました。


「………」


「………」


―――ふぃっ


しかも逸らされてしまいました。


な…なんなのですか? 一体。


でも…なんだか…何故だか気になってしまいます…?


…って、あ……


歩いていると、視界にお店が…目に入って。


そこにあったのは…みわくの駄菓子屋さん。


はぅー…! あぅ、おいしそうなお菓子がたくさんありますよーーー!!!


チョコにわたがしにキャンディーにそれにゼリービーンズ!


おおお、おいしそうですー! はぅ、食べたいですよー!!


あ…でも駄目。駄目なのです。


パパにご迷惑をかけるわけにはいかないのですよ。あぅ…でも、あうううううー!


が…我慢です。ハヤトは我慢出来る子です。ええ。だってパパの娘なのですから!!


そうです! とってもいい子なハヤトはお菓子なんて我慢出来るんです! でも後日買ってもらいます! はい!!


「………って、あれ?」


きょろきょろと、ハヤトは周りを見渡します。


「…パパ?」


パパは…どこにもいませんでした。





オレがそのことに気付いたのは、そうなってからどれくらい経ってからだったのだろうか。


「母さん」


服を引っ張り、呼びかける。


「はい? なんでしょう」


「ハヤトがいない」


我ながら簡潔すぎる言葉だとは思ったが、それでも大人二人には充分通用したみたいだった。


「え…っ!?」


「何…?」


二人は辺りを見渡すが、でもハヤトの姿はない。


「…すぐに探しましょう。きっと近くにいるはずです」


「ああ。すまないが協力してくれ」


「もちろんです」


急いで来た道を引き返し始める大人二人。


ちなみにオレは家に戻っているよう母さんに指示出されていた…が。


「鍵…持ってるの母さんだけなんだが…」


呟いた声は誰にも聞かれることなく。走って行ってしまった二人を追いかけることも出来ず。戻るべきところもないオレは宛てもなく歩き出した。


同じ子供同士、迷子になったときのことを考えればもしかしたら同じ所に行けるかも知れないからな。





「あぅ…パパ、パパ…?」


呼びかけても、応えてくれる人はいません。


といいますか…周りに人そのものがまずいません。


あの駄菓子屋の前で迷子になってしまったのだと気付いたハヤトは…急げばきっと追いつけるって、思って走って。


でもその途中、パパがいてハヤトは急いで追い駆けて…


けど…ハヤトがパパだと思ったパパは、全然違う人で。


びっくりしてまた走り出してしまって、大きなわんこさんに吠えられて、つまづいて、転んで…


…あぅ、おひざが痛い、です…


ここは…一体どこですか?


パパは…どこにいるですか?


ぽかぽか昇っていたお日様もいつしか大きな夕日に変わっていて…


あぅ…おなか空きました。


寒い…です。


ハヤト…もうあたたかいお家に帰れないのでしょうか。


パパのご飯も…食べれないのでしょうか。


いいえいいえ、それ以前に…



パパとはもう、会えないのでしょうか。



「う…うぅぅぅううううう…!」


思わず涙が溢れ零れました。それは嫌です。絶対嫌です。


「ぇぐ、ぅう…う…ひっく…パパ…ぱぱぁ…!」


一度でも涙が落ちたら、それは歯止めが利かなくなって。ぽたりぽたりと地面に落ちていって。


「ゃ…あぅっ、パパ、パパ、パパぁーーー!!!」


止まる様子のない涙を腕で拭いながらハヤトは叫びます。ハヤトのパパを。


ママがいなくなってから…ずっとハヤトを育ててくれたパパを。


お仕事だけでも大変なのに…お家のお仕事もしながらハヤトを愛してくれたパパを。


わんわんと泣いていると、不意に背後から誰かが来て…



「見つけた」



そこにいたのは…





辺りを歩き回り、けれど小さな姿は見当たらず。


それでも探してふらふらと彷徨っていたら聞こえてきた泣き声。


そこは灯台下暗しと言うか、家のすぐ近くの公園の裏。ちょっとした林になっている場所だった。


振り向いたハヤトは、思った人間とは違ったが…それでも自分の知っている人物に会えたことで気が緩んだのかオレに飛びついてきた。


「う…ひっく…うわーん、あああああああん!!!」


「こら、落ち着け。…もう大丈夫だから」


そう言うも、一向に泣き止む様子のないハヤト。心細いのかオレを離す様子もない。


ハヤトが泣き止むまで移動も出来なかったオレたちは、結局日が沈んでからの帰宅になった。


もちろん、その後それぞれの親にたっぷり怒られたのは言うまでもない。


いや…オレの場合は怒られたというよりも泣きつかれたのだが。


―――オレの生まれる前に亡くなったらしいオレの親父。


肉体的、精神的に大変だっただろうに母さんはオレに心配をかけないようにかずっと笑顔で…女手一つで育ててくれて。


なるべく母さんに負担をかけないよう過ごしてきたが…その分もあってか今回の母さんの取り乱しようは半端がなくて。


母さんは冷静になって自分がどれほど余裕がなかったのか分かったのか、少し恥ずかしそうに頬を赤らめていた。



…そんなことがありながらその日は終えた。



近所に同世代の子供はオレとハヤトしかいなかったから、必然的にオレたちは一緒に遊ぶことが多くなった。


その様子はそれほど仲良く見えたのだろうか。誰だったかいつしか「兄妹みたいだ」と言った。


それに感化されたのか、ハヤトはオレの事を兄として呼び慕うようになっていた。


けれど確かに、オレとハヤトは血の繋がった兄妹のように仲がよかったかも知れない。それほどいつだって一緒にいた。



春。命の息吹が吹く道を一緒に歩いた。


また迷子になるといけないからって。手を繋いで。



夏。蝉が鳴く木の下で一緒に昼寝をした。


起きると母さんが夕飯の準備をしていて。みんなで食べた。



秋。日が落ちるのが早くなってきて、それが少し不満だった。


少しでも長く一緒にいようと朝から晩までをずっと共に過ごした。



冬。寒さを言い訳にして同じ毛布に包まって眠った。


けれど確かに、一人よりも二人の方があたたかかった。



そして…出会ってから二度目の春が訪れた。



この頃にはもうハヤトに兄扱いされるのに何の違和感も感じないようになっていた。慣れとは恐ろしいものだ。


ハヤトの父親は多忙なようで、長く家を空けることも珍しくはない。


そんな日はハヤトはオレの家で過ごす。またオレの母さんが家を空けるときはオレがハヤトの家の世話になる。


そんな日々が当たり前になっていた。


ハヤトがオレを呼ぶたびに、まるで本当に妹がいるような錯覚を受けるが…でもそんなことはない。


オレとハヤトは赤の他人だ。仲はいいかも知れないが、本当の兄妹でもない。


…時折、その事を忘れそうになるが。



「おにいちゃん」


「ん…? ハヤト、寝たんじゃなかったのか?」


「うん…。あのね、おにいちゃん」


「なんだ」


「ハヤト…ハヤトね。………おにいちゃんのお嫁さんになりたいの」


包まった毛布の中での甘い告白。必要以上に密室した距離の中、見上げてくるハヤトの視線が真っ直ぐにオレに突き刺さる。


「………」


「おにいちゃん…?」


「お前が…泣き虫じゃなくなったらな」


「ふぇ?」


「お前が泣き虫じゃなくなったら…そのときは嫁にでも何でもしてやる」


「―――うん分かった! ハヤト頑張って泣き虫じゃなくなるから!」


だから、とハヤトはオレに小指を突き出してくる。


その意図が読めない訳もなく、オレも小指を出してハヤトのそれに絡めて。



―――それは幼い二人の、小さな指きりの約束。



ハヤトは満足したのか満面の笑みを見せて。オレとの距離を更に縮めて眠りについた。


程なくしてオレも眠りに落ちていった。





ハヤトが並盛町に来て、一年が経ちました。


とってもとっても頼りになるおにいちゃんが出来ました。ハヤトはお兄ちゃんがだいすきなのです。


でも…おにいちゃんは時々…本当に時々だけど、とっても遠い目をします。


そのときのおにいちゃんはなんだか知らない人みたいで…ハヤトはそれが哀しくて。


だからハヤトはおにいちゃんのお嫁さんになりたいです。


テレビで言ってました。"けっこん"して、その人のお嫁さんになればその人は家族になって…ずっとずっと、仲良く暮らせるんだって。


だから、ハヤトはおにいちゃんのお嫁さんになりたいです。


おにいちゃんは、ハヤトが泣き虫じゃなくなったらハヤトをお嫁さんにしてくれるって約束してくれました。


たくさんたくさん頑張って、ハヤトはおにいちゃんのお嫁さんになるのですよ!!


…だから、ハヤトが泣き虫じゃなくなるまで…ずっとずっと、待ってて下さいね。


おにいちゃん。





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いつかを夢見て、また明日。


ビビキミドリ様へ捧げさせて頂きます。