ねぇ、ママン。
あの子ね…親に愛されたことがないの。
だから…お願い。
―――ママン、あの子を愛してあげて―――
あいをあなたへ
今日は休日。空はとってもいい天気。
あの子は少し前に出掛けて。それと入れ違いにやってきた可愛いお客さん。
わたしは「少し待っててね」って言って居間に通す。あの子はきっとすぐ帰ってくるだろうから。
…この子が来る日は、いつだってあの子は楽しそうだから。
今日も出掛ける前、とても楽しそうだったのを覚えてる。きっとどこかで勘違いがあったんだわ。
あの子は早とちりだから。でもすぐに気付いて戻ってくる。
あの子はそういう子だから。
食器を片付けて、お洗濯物を干して。
この天気ならすぐに乾くことでしょう。とても気持ちのいい太陽の匂いが沁みこむことでしょう。
その気持ちよさを想像したら、思わず笑みが零れた。今日はとってもいい日だわ―――
―――――と。
「あら…獄寺くん、眠いの?」
居間に戻ってきたら、やってきたお客さん。…獄寺くんはうとうとと眠そうにしていた。
「あ、お母様…いえ、大丈夫です」
「今日は温かいものね」
…あら、獄寺くんのお茶がもうないわ。お替りを淹れないと。熱いお茶なら獄寺くんの眠気も覚めるかしら?
獄寺くんの隣に座って。こぽこぽとお茶を注いで。
………あら。
獄寺くんは余程眠かったのかしら。かっくりと俯いてしまったわ。
「獄寺くん、大丈夫?」
わたしがゆさゆさと獄寺くんを揺すると、あらあら大変。
「………ん」
獄寺くんはわたしに寄り掛かってきたわ。…くす。寝顔も可愛いのね。
でも、寄りかかったままじゃ起きたとき身体が痛そうよね…
よし。
わたしはゆっくりと獄寺くんの位置を下へ下へと降ろしていく。目的地はわたしの膝の上。
そーっと、そーっと…
…うん、完璧。見事なまでの膝枕。
獄寺くんはまったく起きる気配がなくて、すやすやと寝息を立てている。余程疲れていたのかしら?
…そういえばと、いつの日にかのビアンキちゃんの言葉を思い出す。
あの時は、何の話だかさっぱりだったけど……
わたしが「なんのこと?」って聞いたら、ビアンキちゃんは「私たちにしているいつも通りの事をしてほしい」って…
いつも通りっていきなり言われても…何をすればいいのかしら。
………そうねぇ、とりあえず…
頭を撫でて、みましょうか。
そう思ってわたしは獄寺くんのさらさらとした綺麗な髪を、ゆっくりと撫で上げていく。
細かな髪が指の間に入って。すり抜けて。
…わたしの手、かさついてないかしら。…大丈夫よね?
だって獄寺くん、とても気持ちよさそうにしているもの。
………あら。
気が付けば、獄寺くんの手が。何もしていない方のわたしの手を握ってきていた。
でも、その手はとてもとても弱々しくて。本当にそうしていいのかどうか不安がっているみたいで。
………。
「大丈夫よ。獄寺くん」
小さく呟いて。わたしは獄寺くんの手を握り返す。
そうすると獄寺くんの手は、ゆっくりとゆっくりと。おどおどしながらも。わたしの手を握り返してきてくれた。
暫くそうしているとあの子が帰ってきた。入れ違いになったのに気付いたのでしょう。
「か、か、か、かーさーんっ」
走ってきたのでしょう。あの子は息も絶え絶えで、でも居間に着いて。わたしたちを見ると少し固まって。
…そんなに意外かしら。
「ツナ。悪いけど少し静かにしてね? 獄寺くん寝ちゃってるから」
「いいけど…なんで母さんが膝枕なんてしてるの?」
「羨ましい?」
「な…っ!!」
あら? どうしてこうも慌てふためくのかしらこの子は。
「まぁそれはともかく…ツナ、お庭から毛布持ってきてくれない? 多分、乾いてると思うから」
「え…? うん」
何に使うのかはあの子も分かっているのでしょう。すぐにあの子は庭に行ってくれて。大きな毛布を持って来てくれた。
わたしが何を言うまでもなく、あの子は獄寺くんに優しく毛布を掛けて。
そのあとは、ずっと二人で獄寺くんの寝顔を飽きもせずに見続けていた。
「………ん」
「あ。起きた」
「起きちゃったわね。残念」
「…オレ……」
「おはよう、獄寺くん」
「あ、はい。おはようございます10代目…」
「いい夢見れた?」
「ええと………え!? お母様っ!?」
あまりにも近過ぎる距離に驚いたのかしら。獄寺くんは見ているこっちが大丈夫かしら? って思うぐらいに慌ててみせて。
「え、え、え…? オレ―――え?」
「獄寺くん、落ち着いて。…ね?」
「は、はい…その、オレ…?」
「獄寺くんね、ずっと寝てたんだよ?」
「きっと疲れてたのね…週末だもの。無理ないわ」
「え? 寝て…!? しかもずっとっ!?」
くすくすと思わず二人して笑ってしまう。ころころ表情を変える獄寺くんが面白くて。可愛くて。―――愛おしくて。
必死で謝る獄寺くんをよしよしとなだめていたら、あら。ツナってばやきもちかしら? むっとした顔でわたしを睨んで。
「獄寺くん! 起きたのならオレの相手をしてよ! いつまでも母さんの傍にいないで!!」
「は、はい!!」
慌てて急いでツナのところへ移動しようとする獄寺くん。…あ、待って。今は……
急いで移動しようとした獄寺くんの動きが急に止まって。ツナは少し怪訝そうな顔をして。
…ツナには毛布越しで隠れているから分からないかなぁ。
獄寺くんが毛布を取ってそれを確認する。顔が途端に真っ赤になってしまった。
「すすす、すみませんお母様ー!!!」
またも必死で謝ってくる獄寺くん。…そんなに気にすることじゃないのに。
…わたしと獄寺くんの手は、未だ繋がったままだった。
それから獄寺くんはツナと一緒に部屋へ行ってしまった。今日は何の遊びをしているのかしら。
時が過ぎて夕暮れになって。夕食の準備を始めていたら獄寺くんは帰り支度をし始めた。
「…夕飯、食べてけばいいのに」
ツナが獄寺くんを夕食に誘う。もちろんわたしも大歓迎。
「いいえ。そこまで、甘えるわけにもいきませんから」
わたしは甘えてほしいのにな。
………でも。
「…なら仕方ないかな? 今度来たときは食べていってね。おばさん腕によりをかけちゃから」
「…絶対だよ?」
わたしが獄寺くん寄りになると、ツナも渋々ながら諦めたみたい。…渋々、だけど。
「はい。…すみません気を使わせてしまって……」
「気にしないで獄寺くん。―――――から」
「はい?」
「また、いらっしゃいね?」
いつでも―――…どんなときだって。
「わたしは獄寺くんを―――待ってるから」
獄寺くんの目が少しだけ見開かれたような気がするのは、わたしの気のせいかしら。
獄寺くんは少しの間固まって。やがてはっとして。
―――走って、行っちゃた。
「…ツナ。わたし今おかしなこと言ったかしら?」
「いや…いつも通りだと思うけど?」
そうよね…
「…ごめん母さん! オレちょっと行ってくる!!」
「あ、ツナ―――」
止める間もなく、ツナは獄寺くんを追い掛けて――
…あの子も、変わったわね。
前はもっと淡白で、人生つまらないって感じだったのに。
獄寺くんのおかげかしら?
あの子が帰ってくるのをのんびりと、空を見上げながら待つ。
―――と。
「あらツナお帰り。…? 獄寺くんは?」
暫くして戻ってきた人影はツナ一人だった。…おかしいわね。あの子のことだから獄寺くんを引きずっても連れてくると思ったのに。
「そんなことよりも母さん。オレの質問に答えて」
「………? なに?」
「母さんは獄寺くんのこと、どう思ってるの?」
そのあまりにも素直で、直球で…あからさま過ぎる問いに思わず笑みがこぼれそうになる…けど。
この子はこの子で一生懸命なのだから、笑ったりしたら失礼に当たるわね。だからわたしも真面目に答える。
「そうね…最初は物凄く礼儀正しい子、かな? そしてツナの初めてのお友達」
「………最初は?」
「えぇ。最初は」
「…今は?」
少しむっとした表情でツナは続きを促す。…少し焦らしちゃったかしら?
「そうね…今は―――そう、まるで自分の子供のように」
本当の自分の子供のように。
「お母様って言われるたび、ああ、違った。違うんだって。思わされるけど―――」
でも、また暫くするとまたそうだって思っちゃって。
「本音を言うならもう少し甘えてほしいかな? いつまでも他人行儀で母さん、少し悲しいし」
お土産はいらない。敬語もいらない。もっともっと、寄り掛かってほしい。
「そうね…今は獄寺くんに……」
出来ることなら、お母様じゃなくて。
「―――お母さんって、呼ばれてみたいわね」
……………。
「…なんて、こんな言い方はずるいかしら? ―――――獄寺くん?」
「え…っ」
驚いたのはツナ。…ばれてないとでも思ったのかしら?
門柱の影から獄寺くんが気不味そうに出てくる。
「あの…その、いつから…?」
「ツナの「そんなことよりも〜」辺りからかしら。ツナが獄寺くんのことでそんなことを言うとは思わなかったから」
むっと、ツナが呻る。あらあら可愛い。
「でも…わたしは、ツナの問いにわたしなりに、真面目に…答えたつもりよ」
獄寺くんは戸惑ったように俯いてしまう。…迷惑、だったかな。
「ちょっと意見を押し付けすぎちゃったかしら…獄寺くん、ごめんね」
「い、いえ! 違うんですお母様…! オレの方こそ…」
謝るわたしに獄寺くんも謝ってくる。それに見かねたのかツナが間に割って入ってきた。
「あーもうもどかしい! 二人は何も悪くないんだから謝る必要はどこにもないって!」
「ツナ?」
「じ、10代目?」
「ごめん獄寺くん、やっぱりオレ母さんに話す! 母さん、獄寺くんね―――」
「え、わ、待って下さい10代目!」
何かを言おうとするツナに、獄寺くんは服の袖を掴んで抗議。けれどツナは気にせず続ける。
「獄寺くんがさっき逃げたのって、実はね――」
「10代目タンマです! 駄目ですってば!」
獄寺くんはさっきよりも強くツナの袖を引っ張って。…獄寺くんがここまでツナに反対するのは珍しい。
「母さんのこと本当の母さんみたいに思えて…」
「10代目―――!」
「思わず、甘えそうになったからなんだって!!」
「―――――」
ツナのその言葉を最後に、辺りは急に静けさを取り戻す。
ツナは滅多に上げない大声に身体が驚いているのか大きな息衝きを繰り返していて。
獄寺くんは顔を真っ赤にさせてどうしていいのか分からないようで。
わたしはというと。
ツナの言葉を理解するのに手一杯で。
えっと、ツナの言うことを纏めると…
「つまり…わたしと獄寺くんは両想いってことで。いいのかしら?」
「な―――んでそういうことになるんだよ!」
「え…? だってわたしは獄寺くんのこと自分の子供のように思ってて、獄寺くんもわたしのことをお母さんだと思ってくれてるんでしょう? 両想いじゃない?」
「そうかもしれないけど…その言い方だと、なんかさ」
ツナは何かぶつぶつと呟いている。…思春期の男の子って、難しいわね。
それはまぁ、ともかく。
「獄寺くん」
わたしが獄寺くんを呼ぶと、獄寺くんはびくりと震えてしまって。…そんなに驚かないで?
「わたしのこと…お母さんみたいだって、甘えたいって思ってくれてるって…本当?」
「そ、その…すみませっ」
「謝らないで獄寺くん。わたしはそう思われて本当に本当に―――嬉しいんだから」
「お母様…」
「ね、今から獄寺くんのこと、今まで以上に息子扱いしても…いいかしら?」
「は、はい! オレなんかでよろしければ…!」
「ありがとう、獄寺くん…」
―――いいえ、違うわね。息子扱いなのだから、ここはやっぱり…
「………いえ、隼人」
今更呼び名を変えるなんて、少しだけ恥ずかしいわね。けれど…それよりも嬉しさの方が大きいかも。
「母さんの夕飯。…食べていってくれる?」
獄寺くんは名前を呼ばれるなんて、きっと思ってもみなかったのでしょう。
獄寺くんは予想外の出来事に慌てながら、赤くなりながら、それでもはいと答えてくれて。
その意思が出た途端、獄寺くんはツナに家の中まで引きずられていってしまった。
…この様子だと、獄寺くんきっと今日は帰れないわね。うん、絶対ツナが帰らせない。
わたしはぐっと背伸びをして。落ちていく夕日をその目に収めながら今日の夕飯の追加メニューを考える。
今日はいつもよりも奮発しましょう。今日はわたしの子供が増えた、素敵な日なのだから。
…さぁ、そろそろわたしも戻りましょうか。急に騒がしくなった家の中で何が起こっているのかも気になるし。
そう思って踵を返して、わたしは愛しい子供たちのいる家の中へと戻った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、張り切ってご飯作るわよ。