―――神様。嗚呼、かみさま。


どうか、オレの願いを叶えて下さい。


オレも彼の願いを、叶えますから―――



貴方の為に 祈ります



彼がオレに話があるって言ってきたのは、少し前。



10代目。…すみません、少しばかり時間をお借りしても、よろしいですか?



その日は、オレが次期じゃなくて。正式にボンゴレ10代目になるのが決定した日で。



…10代目。オレの話を、聞いて下さい。



その日はオレが。彼にとても大切な事を教えてもらった日だった。



10代目、貴方がこれから足を踏み入れる世界は、…今オレがいるこの世界は。人の命があまりにも深く関わってくる世界です。


10代目、どうか、どうかお願いです。


どうか、貴方が人の命を奪う場面に遭遇したとしても。


そいつの命を、軽んじないで下さい。


命というものは、それだけで尊く、そして重いものです。


その命を奪うという事は、そいつの命を背負って、そいつの分まで生きる。ということですから…


決して、奪ったそいつの命を。無駄にするような生き方はしないで下さい。


―――お願い、します…


…オレがこんな強い口調で言ってますけど。


でも、実際は…そんなに命を尊く思ってる奴なんて、この世界にはほとんどいないんです。


確かに、人によっては命は軽くも重くもなります。


軽く見れば楽です。命を奪ってしまった奴のことは忘れてしまった方が人生楽に過ごせます。



でも10代目、それは駄目なんです。


そう成ってしまったらいけないんです。


分かって下さい、10代目…そして、理解して下さい。



命の、尊さを。



…そんな、彼の話を聞いてから。―――もう何日だろう、…とにかく、そう遠くない日。


オレは早くも、人の命を奪うという場面に遭遇していた。


…といっても。別にオレを殺しに来た奴を逆に返り討ち―――なんて、そんなモノではなくて。


オレが彼らの世界へと踏み入れる、その一歩となるべく用意された…いわゆる、生け贄。


その人は既に虫の息で。放って置いても死にそうで。


その人を目の前にしたオレの手には、弾丸の一つだけ入った拳銃が収められていて。


…これで、この人が死ぬまでに撃って。……………殺してみせろという。


それはオレが彼らの、マフィアの世界に入るのに必要な事であり。


彼が、あれほどまでに強い口調で言った命の尊さを知る為にも必要な事でも…ある。


…嗚呼、なんて矛盾。


命の尊さを知る為に、その命を奪うなんて。


オレの後ろには、見張り役として獄寺くんがいて。


……でも。彼もまた試されているのだろう。オレがこの人を殺すのを、止めるのかどうか。


もしも彼が、オレがこの人を殺せなくても何もしなかったら。そしてもしも、この人を殺そうとしたオレを止めようとしたならば。


彼はきっとボンゴレから裏切り者扱いされて、そして―――


………。


獄寺くんはとても疲れた表情をしていた。…きっと、同じ考えが堂々巡りしているのだろう。


オレはまた、思考をあの日に戻らせる。



―――すみません。


いきなり、こんなこといわれても。…何のことだかさっぱりですよね。


…でも、何の心構えもなくその場面に出会うよりかはいいと思いました。


―――10代目。


最初に言いましたよね。命はそれだけで尊く、そして重いものだと。


それを背負うなんて…しかも、何人もの命を背負うなんて。それはとても辛く苦しい事です。


出来る事なら、オレも貴方の重みを背負って。同じ苦境を共にしたいですけど。


…でも、これは。こればかりは。一人で背負って。耐えてもらうしかないんです。


奪った命は他人に任せてはいけませんから。…自分で、乗り越えないといけませんから。


…すみません。いつも、10代目の判断に任せますと言ってるくせに、こんな時だけ自分の意見を押し付けるなんて…最低ですね。


オレを嫌って下さっても構いません。


だから10代目、お願いします。


どうか、どうか……


命を、軽んじないで下さい。


重みを、分かって下さい。


その尊さを、理解して下さい…


お願い、です…



彼はきっと、必要最低限の命は奪いたくはないんだろう。


マフィアなんてやっていても。だからといって無差別に人を殺すなんて事はしなくて。


自分が…本当に本当にそうだと。奪うと決めた相手だけを。……殺して。


そして―――その人の命を背負って生きてきているのだろう。


そうでないならあの日。あんなことをオレに言うはずがないから。


彼は普段ならあんなことは絶対に言わない。あんなに強く、自分の意見をオレに押し付けるようなことは言わない。


いつもなら、"ああしたらどうですか"とか、"こうするといいですよ"とか。その方向へと導くような言い方で。最終的な決定権はオレにあるような、そんな言い方しかしないから。


でも。そんな彼がああ言ったのだから。…オレに嫌われるの覚悟で、そう言ったのだから。


あの日の話は。彼にとってそれほどまでの意味を持つ、という事だ。


…命の、尊さ。


そんなもの考えた事なかった。


でも…そうなんだ。オレが踏み入れる世界は、彼がいる世界は。そんな世界なんだ。


人の命が。幾つもの人の命が。失われてゆく世界なんだ。


その失われる命の尊さを、彼は知れと言った。


その尊さを知ったとしても。命を奪っていいことにはならないけど。


でも。きっと…これは最低限の礼儀なんだ。


これすらも守れなくなったら、きっとオレは戻れなくなる。


きっと道を踏み外す事になる。


マフィアだからといって、道を踏み外している訳じゃなくて。


本当に本当に道を踏み外すのは、きっと命の尊さを忘れてしまう事。そしてその命の重みに耐えられなくなって。奪った命を捨ててしまう事。


そうなったら駄目だと。そうなってしまったらいけないと。獄寺くんは教えてくれたんだ。



…一つ。深く。呼吸をして。教わった通りに銃の安全装置を外して。


―――その人の頭に。銃を構えて。


…今更ながらに手が震えてくる。標準が合わない。こんなに近い距離にいるのに、全然当たる気がしない。


どくんどくんと。心臓が早鐘のように高鳴っている。この静かな空間に響いてしまわないか場違いな不安をしてしまうぐらい。ああもう煩い。


―――落ち着け、沢田綱吉。解っているのか? 自分が今から何をするのか。何をしようとしてるのか。


お前は今から………人一人の命を―――



―――――奪うんだぞ?



それをそうだと。理解して―――しかけて。思わず気が遠くなる。


手の力が一瞬抜けて。手から拳銃が零れ落ちそうになって。慌てて握り返して。


そこに背後で獄寺くんが動く気配を感じて―――それに驚いてだろうか。指がびくりと痙攣して。


そして。たったそれだけのことで。


パンッ


乾いた音が。一度響いて。


ドサ…


その人が。撃たれた方向に倒れて…終わった。


赤い液体が―――どんどん、出てきて…


「あ…」


ああ、オレ、人を……


今。この手で。この手にある凶器で。人をころ 「―――10代目!!」


彼が。獄寺くんがオレに抱きよってきて。…そんな彼の身体は、震えていて。


オレは彼に何の反応も出来なくて。空の銃を手から離すことも出来なくて。放心状態で、ずっと同じ事が頭の中に流れてきていた。


殺した。人を。殺してしまった。


あんなに彼が尊いと。重いと。そうだと言っていた命を。奪ってしまった。


オレは理解しているのか? 自分のしたことの意味を。背負っていけるのか? 人一人を。


考えは留まることを知らず。またすぐに別の思考の波が流れていく。


それに流されていきそうなオレをどうにか引き止めてくれてるのは。抱きしめてくれてる彼の体温。


彼はオレの名前を叫んだっきりあとは何も言ってこない。


…そうか。


いつも言ってる「オレが貴方を守ります」なんて言葉も。今は言えないか。


だってそれは。獄寺くんが守ってくれるということは、その間、生きてる間。


オレが殺人に悩むということだろうから―――


だから彼にはもう何も言えない。何を言っても自分を、オレを苦しめることにしか思考がいかないだろうから。


…なら。オレが獄寺くんを助けないと。


「…獄寺くん」


びくりと大きく震える獄寺くん。まるで何かに怯えるように。


「大丈夫だから」


ぎゅっと。抱きしめられる力が強くなる。彼はまだ安心出来てない。


「耐えて見せるから」


未だ震えてる獄寺くん。もしかしたら泣いているかも知れない。


「…命を、背負って見せるから」


オレは彼の頭を撫でながら。


「命の尊さを、忘れないから」


オレも彼を抱きしめて。


「命の重さを、忘れないから」


ぎゅっと。抱きしめて。


「獄寺くんに言われた事―――忘れないから」


獄寺くんはようやく俯いていた顔を上げてくれて。


…その顔は、とても辛そうで、苦しそうで…そして、泣きそうだった。


「一生、着いて、行きますから…」


掠れた声で、そう言ってくれた。それは彼なりの答えだった。


「うん。ありがとう…獄寺くんにはオレ、一生着いて来てほしいよ」


オレが彼らの世界に踏み込む決意をしたのも、全ては彼の為と言っても過言ではないのだから。


…けれど。彼が今日という日からずっと。自分を責め続けるであろうことは想像に難くなくて。


それは。オレにはどうしても許せないことで。


―――でも、今。オレの持ってるちっぽけな力じゃ、彼を救うなんて事は出来なくて。


彼が想い悩んでいるのは他の誰でもない、オレ自身のことなのに。オレが手を差し伸べようとすると彼は逃げて、ますます自分を責めるだろうから。


どうすればいいのか、何をするのが正しいのか。分からなくなる。


…獄寺くん。お願いだから、そんな辛そうな、苦しそうな…泣きそうな、そんな顔をしないで。


オレはもう日常に戻れなくなったけど。この世界に足を踏み入れてしまったけど。


でも耐えて見せるから。この人の命も、背負って見せるから。


でも。そんなオレの言葉も今の獄寺くんには聞こえないんだね。


だから。オレは祈ります。今まで祈った事なんてないけれど。彼の為に祈ります。



―――神様。嗚呼、かみさま。


どうか、オレの願いを叶えて下さい。


オレは、彼の苦しそうな顔は見たくありません。


オレは、彼の辛そうな顔は見たくありません。


オレは、彼の泣き顔は見たくありません。


だからお願いです。


いつか、いつの日か。オレの頑張り次第で彼がまた心から笑えるような日を。そんな夢のような日を用意して下さい。


もしも用意して下さるのなら、オレは頑張れますから。彼の為に頑張れますから。


その為に、見守ってて下さい。


オレを。オレたちを。


その命の尊さを忘れてしまわないように。


その命の重さを忘れてしまわないように。


その命を奪うという行為の意味を、忘れてしまわないように。


見守ってて下さい。


お願いします…



オレも彼の願いを、叶えますから。





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どうか彼に。どうかオレに。あなたの慈悲を。