有りし日の夢と



「………」


カツンカツンと音を立てて。一人誰もいない廊下を歩く。


…いや、誰もいないっていうのは誤りだ。今は授業中。教室の中にはつまらない教えを学んでいる生徒で溢れ返っているはずだ。


答えの解りきってる問題を長時間延々と聞き続けるなんて。それは最早拷問の類に当たる。


なので今オレがこうやって授業をサボっているのも、まぁ許されることではないだろうか。


「…少し屁理屈、かな」


一人突っ込み。少し寂しい。


足を止める。途端に急に静かになる空間。


さぁっと、空いた窓から風が吹き込んで。現在グラウンドは使用してないのか、何の喧騒も聞こえなかった。


―――何故か。この学校というものは好きになれない。


最初の数日こそ、物珍しさを感じはしたけど。


けれど、やがて面白みがない空間へと変わって。それは何が原因だったのか。


考えてもそれは分からず、それなら仕方がないと考えるのをやめまた一歩足を踏み出す。


カツンと靴が廊下に当たって。この静かな狭く、けれど長い空間に靴音が響いた。


「――――ぁ」


ああ、と。オレはなんとなしに理解した。オレが学校を嫌う理由というものを。


長い廊下、使われない空き教室、時計の音すら聞こえない―――この無音空間。


似ているんだ。あの屋敷と。


一歩、また歩く。


コツンと軽い、音がした。


…夜、水を飲みに部屋を抜け出た時。どうしても足音を消せなくて。自分の生み出したその音によく怯えたものだ。


それにこの長い廊下は、思い出す。ピアノの部屋までの道のりを。


ピアノを弾くことは苦ではなかったが、あの毒物が待ち受けていることを知ってからは地獄への通路に見えたものだ。


廊下だけじゃない。


オレは開いた窓から空を覗き込む。


――昼。よく三人で向かう屋上。


そりゃあ、あそこから見る景色は、あの屋敷のテラスから見える景色とは似ても似つかないけど。


けれど。ふと見上げる空だけは。どこにいても同じで。


…その時だけは。一瞬だけだけど、まるであの屋敷の中にいるような気がして。


なるほど。オレが学校が嫌いなわけだ。


この辺りにある、あの屋敷に最も近いサイズの建物だってこの学校だし。


それに、他にもあの屋敷を思い出す要因はまだある。


たとえば。それは保健室。


シャマルがいる。それだけで理由は十分だ。見知った顔がいるだけでオレはあそこを思い出す。


応接間なんてもってのほかだ。


あの雲雀の趣味なのかは知らないが装飾品の数々。屋敷の客間を思い出す。


それに―――そう。この横を見れば飽きるほどある空き教室だって。


あの屋敷にも、こんな風に何も使わない客間が沢山会った。よく隠れたから、よく知ってる。


……ことごとく、姉貴に見つかってしまったから見るのも嫌になったけど。


一つ分かれば、後はまるで土石流のように嫌いな理由が沸いてきた。


分かれば分かるほど。なんてここはあの屋敷にそっくりなんだ。


外見だけは似ても似つかないくせに。どうしてこんなにも思い出させるのか。


ああ、まるで性質の悪いレプリカ。模造品。この建物とあの屋敷は別物なのに。何故こんなにも繋がりがあるのか。


廊下から逃げるように、オレは手近な空き教室へと移動する。


中には当たり前だが誰もいなくて。日の光で適度に熱しられた机と椅子が心地良かった。


……教室だけは、あの屋敷とは繋がらないな。


確かにいつまでも無人な空き部屋なら飽くほどあったけど。こんなに机と椅子が並んでいる部屋はなかった。当たり前だが。


適当に椅子を引いて、座ってうつ伏せる。すぐに睡魔が襲ってきた。


…こうして眠れるということも、あの屋敷とは繋がらないな。あそこで眠るのを許されたのは夜だけだったから。


そんなことを思いつつ、特に抗う理由が見つからなかったのでそのまま眠りに付いた。





身体を揺すられて。意識が浮上する。


…こんなことをするのは誰だ。メイドのサリアか。レイシアか。それとも屋敷の警備をしているアールドか。まさかコックのアマディシス?


……いやいや。待て待て。オレは屋敷を出ていて。ここは日本で。学校で。


一瞬で間違いを正せたとはいえ、あの頃と間違えたのは不覚だ。眠る前に屋敷のことを思い出してたからだろう。


というか、身体が思うように動いてくれない。まだ身体は睡眠を求めているのか、今ここにある意識すら、気を抜くとまた失いそうだ。


誰かは飽きもせず、オレを揺すり続けている。しつこいな。起きてるよ。


そいつはオレに何か語りかけているようで。それは大気の振動で何となく分かるのだが肝心の内容がまったく聞こえない。


内容どころか声すらも聞こえないので、オレはそいつが誰なのかすらも分からなかった。


やがてそいつはオレを起こすのを諦めたのか、肩から手を離した。


そのままそこを後にするのかと思いきや――


―――………


そいつは、いきなりオレの頭を撫で始めて。


………


おいおい、男の頭なんか撫でて楽しいのか? こいつ。


暫く放っておくも、そいつはそれを止めようとはせず。


それが陽気の温かさとリンクして、あまりにも心地良かったから。


…そういえば、撫でられるなんて初めてだとか、そんな感想を抱きながら、オレは再び眠りの中へと意識を落とした。





目を覚ますと、当然のように、そこには誰もおらず。


時間は昼時なのか、廊下は喧騒で溢れていた。


教室を出てみれば、知った声が聞こえてきて。


「あれ? 獄寺くん」


「…10代目。購買ですか?」


「うん。獄寺くんは…サボリ?」


「あはは。つい、うとうととしてしまいました」


笑いかけながら言葉を紡ぐと、10代目は不思議そうにこちらを見ていた。


「…10代目? どうしました?」


「いや…獄寺くん、何かいいことあった?」


「10代目に会えましたよ?」


「―――っ、い、いや、それはそれで嬉しいけど…じゃなくて」


「…あ。そうだ10代目聞いて下さい。実はオレ、ついさっきまで学校ってあんま好きじゃなかったんですが」


「? うん」


「今は、ちょっとだけ好きです」


―――あの屋敷で誰もしてくれなかったこと。


ある日ふと窓の外から見えた、客人の親子がしていたこと。


…母親が、子供の頭を撫でる、ただそれだけのこと。


そんなことすら、オレは体験したことなくて。


だから、今日。


誰だか知らないけど、それをしてくれて、少しだけ……嬉しかった。


なんて。この年齢になってそんなこと言うのは恥ずかしいから絶対誰にも言えないけれど。


とりあえず、気分がいいから今日の午後は予定を変えて授業は出てみようかなんて。そんな珍しいことを思った。





*** おまけ ***



「……あ。10代目。いいことありました」


「え? なに?」


「さっきの教室が滅茶暖かくて。すごいいい気分で寝れたんすよ」


「へぇー…そうなんだ………って、獄寺くん?」


「はい?」


「―――その首…どうしたの?」


「首…? 何かおかしな点でも?」


「うん…何か、赤い跡がある」


「? 虫にでも刺されましたかね」


「いや……それは」


「はい?」


「いや…何でもない。ところで獄寺くん。寝ているとき、誰か来た?」


「あ。来ましたよ。寝ているオレを起こそうとして。すぐ行っちまいましたから、誰だかは分かりませんでしたけど」


「………へぇ」


「じ、10代目? 顔が怖いです…何かオレ、いけないこと言いました?」


「…んーん。全然。ただ、人の物を勝手に使われたことに腹を立てているだけ」


(………人の物?)



それから数日、何故かオレの知り合いが次々と謎の人物に襲われる事になる。



「10代目、何か知ってます?」


「疑われるは罪、だよ」





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? なんのことですか10代目。