それはとある寒い雨の日で。
道の端に、ゴミのように子供が捨てられていた。
こんな光景は治安の悪いスラム街ではよくあることで。
誰もがその子供を道端に転がる石ころのように、意識せず歩いていた。
そんな、誰の目にも止まらない子供を…一人の青年が抱きかかえる。
青年はそのまま歩き出す。途中、子供が怪我を負ってることを知って駆け足になった。
これが少年の、人生の転機。
少年は数日間、目を覚まさなかった。
疲労に怪我、それから栄養失調…少年の状態は芳しくなかった。
だから少年が目を覚ましたと部下から報告を聞いたとき、青年は本当に嬉しかった。急いで会いに行った。
「よお! 目が覚めたんだってな!! 気分はどうだ?」
「………」
明るく笑う青年に、少年はぎろりと睨めつける。
「おいおい怖い顔するなよ。それとも傷が痛むのか? まさかオレの部下が何か言ったか!? 後でオレから言っとくから、許してくれよ」
「………」
「まさか口が利けない…ってわけじゃないよな? 獄寺隼人」
青年のその言葉に、獄寺と呼ばれた少年が反応する。睨む目付きが更に鋭くなる。
「…なんで…オレの名前を……」
「お。やっと声を聞かせてくれたな。そりゃお前、オレはお前のファンなんだよ」
「は…?」
「悪童スモーキンボム。数年前からこの辺りを根城にしている悪ガキにして…あの獄寺の城の一人息子。オレお前のピアノの演奏会に行ったこともあるんだぜ?」
ピアノの演奏会。その言葉に獄寺は顔をしかめさせる。
「ん? どうした?」
「演奏会には…いい思い出がないんだよ」
「そうか? 確かに変わった演奏だとは思ったけど」
「……そんなお喋りをするためにオレを拾ったのか? キャッバローネ10代目跳ね馬のディーノ」
「ん? オレのこと部下に聞いたのか? 驚かせようと思って口止めしてたのに」
「隠しておきたいんならその刺青は見えないようにしておくべきだな。そいつは特徴的過ぎる。名札付けて歩いているようなもんだぜ」
「そうか…なるほどな。今度からそうするわ」
毒舌を吐く獄寺に対し、あくまでディーノは朗らかに、カラカラと笑う。
「起きたばかりで話させて悪かったな。まあ、怪我が治るまでゆっくりしていってくれ。大丈夫ここはオレのアジトの一室だ。安全な場所だぜ」
「………」
獄寺はディーノにどんな下心があるんだと、探るように見つめる。
それに気付いたディーノは、少しバツが悪そうに謝罪した。
「すまん。スモーキン」
「…?」
「お前を運んでいるとき、雨が降っていたからかよく滑ってな。滑って転んでお前の足折れたんだわ」
「いくつか覚えのない怪我があると思ったらそういうことかよ!!」
獄寺は怒り、怒鳴ったがディーノの近くにいる部下さえ何も言えなかった。
ディーノは毎日獄寺の見舞いに訪れる。
見舞いの品と、笑顔を持って。
「よおスモーキン! 調子はどうだ?」
「………」
基本的には、無視されるのだが。
しかしディーノはめげず…というか、気付かず。毎日獄寺の病室に宛てた部屋に訪れる。
「寝てるだけじゃ退屈だと思って本を持ってきたんだ。読むか?」
「………」
「市場で果物貰ったんだ。剥いてやるよ。……いて!!」
「………」
「今日客人からクッキー貰ったんだけど、食うか?」
「いらねえ!!」
獄寺はクッキーだけは異様なほど拒絶反応を見せた。
毎日毎日訪れるディーノに獄寺も根負けしたのか、少しずつ相手をするようになった。
「スモーキン、今日はな……」
「…毎日毎日よく来るな。仕事はいいのか?」
「いいんだよ」
「よくねえよ」
否定の声を出したのは、ディーノの右腕たるロマーリオ。
「ボス、仕事が溜まってるんだぜ? さっさと片付けてくれよ」
「いや、しかしだな。スモーキンが寂しがっちゃいけねえ。そうだろ?」
「誰が寂しがるんだ!!」
「悪童の坊やもこう言ってるぜ?」
「誰が坊やだ!!」
獄寺は概ね、キャバッローネファミリーの人間に受け入れられていた。
最も、中には数人。心無いことを言う人間もいたが…
「穀潰しの雑種が」
「いつまでここにいるつもりだ?」
「お荷物」
「早く出て行っちゃくれないか」
「それとも―――このままここに、図々しく居座るつもりか?」
「すまん!! スモーキン、本っっっ当にすまん!!」
部下の心無い発言を聞いたディーノは獄寺に平謝っていた。
心底すまなさそうに謝るディーノを尻目に、獄寺は憮然とした顔でそっぽを向いている。
獄寺としては、言われ慣れているといえば言われ慣れているのでいちいち腹を立てたりはしない。
何より別にディーノに中傷されたわけではないのでディーノに謝られても意味はない。ディーノからしてみれば部下の失態は自分の失態ということなのだろうが。
「あいつらも悪気があったわけじゃないんだ。あいつら最近入ったんだが、何か変な幻想抱いてきたらしくてな。想像と違ってて気が立ってたみたいなんだ」
それで八つ当たりされたのだとしても、獄寺としてはたまったもんじゃない。
「あいつらにはオレからきつく言っとくから、どうか許してくれ。…な?」
まるで雨の日、捨てらてた子犬が見つめてくるような目を向けられる。
相手は年上であるにもかかわらず年下を相手しているような気分になり、獄寺はだんだんどうでも良くなってきて肩を竦めた。
「なあ、スモーキン、スモーキン!!」
ある日、ディーノが声を弾ませて獄寺のもとに訪れた。
「な…なんだよ」
「ピアノ! オレピアノ買おうって思ってるんだけど!!」
「お…おう。好きにしろよ」
「買ったら一曲弾いてくれ!!」
「はあ…?」
子供のように目を輝かせて言うディーノに獄寺は呆れ声を返す。
何故、自分がそんなことを。
「やなこった。歌ってほしい小鳥が欲しいなら、ピアノとセットで買えよ」
「オレはお前がいいんだよー! お前のピアノのファンなんだよー!!」
「オレのピアノ…ねえ」
公の場で弾いたピアノなど、あんなの演奏ではない。意識を保つだけで精一杯で、楽譜を見る余裕すらなかったのに。
発表会の思い出はいつも同じ。毒を作る姉。息子の不調に気付かず背中を押す父。そして物珍し気に、舐め回すように見てくる観客の眼。
「絶対ごめんだ」
「えー!!」
ディーノはへこんだ。
「ちょっとでっかい山と今度激突するんだ」
ある日、ディーノはそう言ってきた。
「その日はファミリーの人間ほとんど連れて行くから、アジトは静かになるけどそういうことだから」
その話を聞きながら、獄寺は怪我の具合を確認しながら思った。
そろそろ潮時だな、と。
全快ではないが、スラムに戻れぬ程ではない。いや、逆に手負いの方が警戒心が持てていい方だ。
足の怪我も、大体治った。歩けるし、一応……走れもする。痛みも走るが。
いつまでもこんなぬるま湯のような生活を送るつもりは獄寺にはない。勘も腕も鈍ってしまいそうだ。
またあの街に戻り、その日暮らしを送り…どこかのマフィア入りを夢見る暮らしをするのだろう。
…ならば。それならば。いっそのことこのキャッバローネファミリー入りを頼み込んでみるのはどうか。
その考えは幾度か頭を過ぎった。
元より、獄寺はファミリーと見れば自分を売り込んできた。
…そして、その度に断られてきた。
容姿、年齢を理由に断られたこともあった。話を聞いてもらえない時もあった。暴力を振るわれたことも。
それでも、獄寺は諦めることをしなかった。諦める理由などなかった。
自分を嫌う人間など、成果を上げて無理矢理にも認めさせればいいというのが獄寺の考えだ。
しかし…ここに来て。見下される眼にあまり触れなくなって。その心地よさに気付いて。
時折、その心地よさに甘えてしまいそうになる。身を委ねてしまいそうになる。
だが…その度に、一部のキャッバローネファミリーに言われたあの心無き中傷の声が頭を過ぎって。
それに傷付く自分に驚いてしまう。あの程度の言葉、聞きなれてるはずなのに。
…もし、あんな言葉をディーノに言われたら。
入ファミリーを拒否されたら。
そんな想像をするだけで、獄寺の胸に刺されたかのような痛みが走る。
ディーノの方から言ってくれないかとも思った。
キャッバローネファミリーといえばボスであるディーノのスカウト率が高く、少しでも気に入った相手がいると誰彼構わず引き入れると聞いたことがある。
しかしディーノは毎日見舞いに来るものの、スカウトするような素振りは一切獄寺には見せなかった。
自分に愛想良くするくせに、ファミリーにはいらないのか。と腹立だしく思って。
受身の態勢の癖に、待ってるだけで文句を言う自分にも腹が立って。
だから、潮時だ。
体調などではなく、精神的な意味で。
これ以上ここにいたら、どんな情けないことをしてしまうか分からないから。
そして、滞りなく問題なくその日は訪れ。
ディーノ率いるファミリーのほとんどは外に出て、アジトには数人しかいない状況になるのを待ち。
獄寺は部屋から出た。
置手紙のひとつでも書こうかとも思ったが、結局やめた。何を書けばいいのか分からなかった。
アジトの廊下を、目立たないように歩く。誰かに見つかったら面倒だ。
道行く途中、とある部屋の扉が開いていた。
室内を覗いて見ると、そこには真新しいピアノが設置されていた。
ディーノが買うと言っていた、あのピアノだろうか。
「………」
獄寺がなんとなくそのピアノを見ていると……物音が聞こえた。
誰かが近付いているのか!? そう思った獄寺は思わずピアノの部屋に滑り込む。ドアを閉める。
息を潜め、物音の出所を探る。複数の足音。話し声。この声は…確か、自分に色々言ってきたあいつらか。
偶然なのかどうなのか、どうやらアジトに残っている人間というのはディーノが言っていた「変な幻想を抱いてきた」連中らしい。
「……………」
獄寺は息を潜め、奴らが去っていくのを待つ。必然的に彼らに集中し、会話が聞こえてくる。
その声は文句に苦情ばかり。やれここのボスはへなちょこだの、甘いだの、ぬるいだの。
概ね獄寺も同意見ではあったが、どうもその口調の端々に侮蔑や侮辱の色が含まれていて気に食わない。
何故だか獄寺は自分が罵倒された以上の怒りを覚えた。
思わず扉を蹴飛ばし、自分の存在を示す。
ぎょっとする彼らだったが、現れたのが獄寺だと知り直ぐに見下した笑みを浮かべ近付いてくる。馴れ馴れしく触れられる。気持ち悪い。
おいおいなんでお前がこんなところにいるんだよ。
立って歩けるようになったならとっとと出て行けよ。
オレたちみんなお前に迷惑してるんだ。
いつまでもボスに甘えてんじゃねえ。
それともあれか? もしかしてお前は最初からここに忍び込むことが狙いだったか?
なんて奴だ。何が目的だ? 金か? 情報か? それとも…ボスの命か?
ああ、悪い跳ね馬。
もう限界だ。
獄寺は目の前のそいつを殴っていた。
軋む身体と逆上する周り。
体格でも体調でも、数でも劣る獄寺はあっという間に囲まれ、殴られ、蹂躙される。
勢いだけで飛び出た獄寺に勝算などあるはずもない。
獄寺の身を纏うのは、不屈の精神だけ。
殴られようが蹴られようが…もしかしたら殺されようが、曲がることのない心。
反撃は通じず、塞がりかけた傷は開き、痛みが身体を支配する。
どれほどの時間が経ったのか、獄寺の意識が朦朧とし始めたとき……
「―――隼人!?」
声が、聞こえた。
獄寺の怪我は酷く、獄寺は再びベッドへと逆戻りする羽目になった。
落ち着いてきた頃、事の顛末を聞かされた。
ファミリーの人間が総出で出ていき、残った奴らは理想と違うキャッバローネから抜けようとしていた。
その際、多少の小銭をせびりながら。
そこに現れたのが獄寺であり、全ての話を聞かれたと思った彼らは獄寺を口止めしようとした。
獄寺は言われた言葉を思い出す。目的は金か、情報か…と。あれは自分たちにやましいことがあったから出た言葉らしい。
ディーノは酷く自分を責めていた。仕事が早めに終わり戻ってきたから良かったものの…そうでなければ。獄寺はどうなっていたのか。とディーノは拳を握り締めていた。
彼らの姿は今やどこにもない。ディーノ曰くきっちりけじめをつけさせたらしいが…どうなったのかは分からない。別に知りたくもない。
それより獄寺は前回よりも更に大きく謝るディーノをどうにかする方法が知りたかった。
ディーノは獄寺を(今は除籍したとはいえ)自分の部下が傷付けたということを酷く気にし、対抗策が打たれた。護衛とか付いた。
いらないと言っても聞く耳は持たれず、逃げることも出来ず、獄寺は燻りながら遅々と傷を癒した。
そうして怪我も治り、獄寺はキャッバローネから出ることをディーノに告げた。
「世話になったな」
「ああ…いや、半分以上はオレのせいでもあるから……」
あんな奴らとはいえ自分の部下であり、部下の失態は自分の失態と捉えているらしい。
獄寺はディーノに背を向け、歩き出す。
背中に視線を感じていると…不意に後ろから抱きしめられる。
「………っ!?」
「―――やっぱ駄目だ!! 行かないでくれ!!」
「あぁ!?」
獄寺を引き止めた相手は当然というか、ディーノだった。
「頼む!! スモーキン、オレのファミリーに入ってくれ!!」
「な…にを、突然…」
呆気に取られる獄寺に、ディーノは告げる。
本当は最初から…それこそ獄寺を拾ったその日から、獄寺をファミリーに入れたくて入れたくて仕方がなかったと。
しかし最近、あまりにもディーノが無条件にスカウトするのに頭を痛めたロマーリオに自分からのスカウトを禁止されていたのだと。
何度獄寺をスカウトしようとしたか分からない。見舞いに行く度、言いたくなった。そしてとうとう、今、我慢の限界が来た。と。
「お前は然程、キャッバローネファミリーに魅力は感じないかもしれない。けど…」
「ま…待て。別にオレは魅力を感じないとは……」
「だって。スモーキンはマフィア入りしたくてあちこち自分を売り込んでいるのにオレには何も言わなかったろ? それってつまり…そういうことに……」
「いや、それは……」
「それは?」
「―――なんでもねえ!!」
言えない。まさか、断られるのが怖くて言えなかっただなんて。絶対に言えない。
ともあれ、どうやら自分たちは変なすれ違いをしていたらしい。獄寺のみその誤解を解く。
しかしここで、「分かった入る。これから宜しく」と素直に言えないのが獄寺である。
獄寺はしばらくなんと言うか逡巡し…そっぽを向いたまま、言葉を吐く。
「こないだの連中みたいな奴を疑いもなくファミリーに迎え入れてたんだ。そりゃロマーリオの懸念も頷ける」
「あ、ああ……」
「今回は小物だったけどな。てめえが好き勝手スカウトする度同じことが起こって、いつか取り返しのつかないことが起きるだろうよ」
「そ…そう、だな。オレのせいでお前は負傷して…はは、わり、こんなファミリー…」
願い下げだよな。
そう、言いかけたディーノの台詞を獄寺が遮る。
「だから…まあ仕方ねえ。オレが面接官してやるよ」
「…スモーキン?」
「一応世話になったからな。落ちぶれるのが分かってて黙って見てられねえ」
「えっと…それって……」
「…入ってやってもいいって言ってるんだ!! 察しろこのへなちょこが!!」
顔を赤くしながら吐き出す。ディーノはその声を聞いて満面の笑みを浮かべた。
「ありがとうな隼人!!」
「なんでいきなり名前呼びになってんだよ!!」
「え? だってもうファミリーなんだし、名前呼びでいいだろ?」
「…こないだもオレのこと名前で呼ばなかったか?」
「………え? いつ?」
覚えてないらしい。
「…ああ、もういい。一応お前はもうオレのボスだ。好きに呼べ」
「い、一応じゃなくて本当にボスだぞ? 隼人。あと何でそんなに偉そうなんだ?」
「何か文句あんのか?」
「ないです」
早くも上下関係が築かれつつあった。
「じゃあ早速みんなに紹介しないとな! 今日は隼人の歓迎会だぜ!!」
「歓迎会……ね。―――ディーノ」
「ん?」
「ピアノ。聞きたかったら弾いてやるよ」
「本当か!? あ…でも隼人、弾きたがってなかったろ? 気を遣ってるんなら、それは別に……」
「オレが弾きたくないのは、発表会用のピアノだ。……家族のために弾く、気楽なもんでよければ弾いてやるよ」
照れくさくなったのか、最後の方で獄寺はまたそっぽを向いた。ディーノはその言葉を聞き、また嬉しそうに笑う。
「そうか! じゃあ頼むぜ!! ああ、楽しみだなー」
獄寺の手を引き、歩き出すディーノ。
あたたかな手。あたたかな声。
拒絶されることなく、受け入れられる。
その心地よさを感じながら、獄寺はその手を握り返した。
これはディーノが昔の恩師に呼ばれ、ファミリーを引き連れて日本に飛び、一波乱が起きる数ヶ月前の話。
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キャバッローネに秘蔵っ子が出来た。という噂が辺りのファミリーに流れた。
リクエスト「もしも獄が拾われたのがディーノ(キャッバローネ)cpは自由でv」
リクエストありがとうございました。