ピアノの音色が聞こえると オレはそこへと駆け巡る。
そこに彼がいるかもしれないと。そんな淡い、薄い。そんなちっぽけで色あせた、そんな想いと共に。
もういない、どこにもいない彼を想って駆け巡る。
名の亡き曲
だってあの日。オレが彼と最後に過ごしたその日は。彼はピアノを弾いていたから。
彼は良く、ピアノを弾いていた。…ていうか、オレが聞きたいってせがんだんだけど。
彼は少し困ったような顔をして。けれどすぐに
貴方のためでしたら
なんて嬉しい台詞と共に。オレに、オレだけに演奏をしてくれて。
それが、どれほど嬉しかったかなんて。きっとキミには分からない。
彼の弾くピアノは、とても心地よかった。
その日のピアノは、聞いたことのない曲で。オレが何ていう曲? って聞いたら。彼はまた、少し困った顔をして。
すみません。分かりません。
彼はその曲を弾きながら。
この曲、昔屋敷を探索してたら倉庫から出てきた楽譜の曲で。でも、タイトルが書かれてなくて。…だから、分からないんです。
…――って。言って。
そうなんだ。
はい、そうなんです。
タイトルの分からない曲。名のない演奏。夕焼けに彩られたステージで。彼は独り、オレに、オレだけにその音色を送る。
長くて綺麗な指は鍵盤の上を滑り。その瞳は軽く瞑られていて。銀の髪が軽やかに揺れる。
―――嗚呼、なんてオレは、幸せなんだろう。
彼と一緒にいられて。彼を独占出来て。彼しか知らないみたいな、曲を知れて。
――10代目。
うん?
実はですね…楽譜と一緒に見つけたのですが、この曲にはある一つの物語があるんですよ。
へぇ…どんな物語? 教えてよ。
良いですよ。…遥か昔、ある小さな村に、一人の少年がいました。
少年は特に何か秀でているものがあるわけでもない、ごく普通の平凡な村人で。
毎日を退屈に、しかし平和に。暮らしていました。
―――ある日。その小さな村に、独りの娘がやってきました。
娘は美しく。男女関係なく村のどの人間も娘に惹かれました。
もちろん、その少年も例外ではありません。
娘は病に伏せっており、体調が少しだけでいい――良くなるまでこの村に置いて欲しいと願いました。
村人は快く承諾しましたが、娘の病は重く。医者のいないこの村では、娘が長く持たないのは誰の目にも明白でした。
誰もが娘の命を諦めます。誰もがせめて命尽きるまで、と娘に出来る限りの善意を働きました。
―――そんな中、一人だけ諦めない…諦めたくない村人がいました。
あの、少年でした。
日に日に弱っていく娘を、少年はどうしても助けたかったのです。
けれどどうしましょう、医者のいる町までは山を三つ超えなくてはなりません。
医者に診せる金銭もなければ、町に着くまで娘の体力が持つとも限りません。少年は途方に暮れてしまいます。
娘は少年に気に病まないで欲しいと願います。自分が死ぬのなら、それは天命だから。気に病む必要はないと。
娘にそう言われても。いえ、そう言われたからこそ。少年の娘を助けたい思いは積もります。どうしても、助けたいという想いが積もります。
ある日、少年は村の外れの森を歩いていました。あてもなく、目的もなく。故に意味もなく。
いつもと同じ風景。いつもと変わらない景色。娘を助けれる薬草など有る筈もなく。
…そこに、いつもと違うモノが現れました。
黒き法衣を身に纏った黒き魔女。手に持つ籠一杯の中には溢れんばかりのハーブがぎっしり。
その中の一つに、ああ、一体何の奇跡でしょう。娘を助けれる薬草もありました。
少年は魔女に頼みます。
お願いです、その薬草を譲って下さい。助けたい人がいるのです。
考え込む魔女に、少年はさらに頼みます。
私はどんな代価でも払いましょう。ですからお願いです。私にその薬草を譲って下さい。
少年に、魔女は言います。本当にどんな代価でも払うのかと。
ならば私はお前の命を望む。それでもお前は構わないのか?
その魔女の言葉に、少年は―――
急に演奏は終わって。物語も一時中断。
…どうしたの? 続きは?
―――時間が、来てしまいました。
そう言う彼の言葉に時計を見れば、ああ確かに。下校時間まであと五分。この音楽室も鍵を掛けられる。
…あの風紀委員長には、融通が利かないからな。
彼はピアノに鍵を掛けて。オレは窓を閉めて。そこを後にする。
……ねぇ、獄寺くん。
なんですか?
あのあと、物語の続きは。どうなるの?
…駄目ですよ。今聞いても面白くないでしょ?
うーん、そうかもだけどさ。
では、10代目はどう思います?
―――え?
あのあと。物語の続きは。どうなると思いますか?
うーん、そうだね…月並みだけど少年は自分の命と引き換えに薬草を受け取って。娘は助かる…かな。
半分正解で、半分外れです。
えぇー、じゃあどうなるの!?
………今度、逢ったとき。お教え致しますよ。
ちぇ、今教えてくれたって良いじゃん!!
―――それでは10代目。オレはこっちですから。
あ、うん。………じゃあね獄寺くん。また明日。
………。はい10代目。また、です。
―――それっきり。
それっきり彼とは、逢っていない。
いきなり、彼はオレの目の前から消えた。
彼の。彼らの関係者に聞いた話では、イタリアに帰ったと。
イタリアに、彼の所属するボンゴレに帰ったという話で。
…大きな抗争があるらしくて。それの戦闘要員に―――捨て駒の一つに、選ばれたという話で。
オレは嘆いて、オレは怒って。オレは絶望した。
――それ以来だ。
オレがピアノの音色を聞くと思わずそこへと駆け巡るようになったのは。
もちろん、彼がそこにいるはずもなく。けれど、それでもオレはそれをやめることも出来ず。
月日が流れて。オレはイタリアに渡って。……マフィアになる気はないけど、でも。彼が最後に渡った地だから。
ボンゴレにはいかなかった。彼を殺した組織に行きたくはなかった。―――正確に言うなら。彼の死を。そうだと。認識したくなかった。
リボーンが意外にも許してくれて。オレは安アパートを借りて、住んでいた。
でも、そこでも何も変わらず、オレはピアノの音色を聞くと居ても立ってもいられなくて。走り出して。
…それが聞こえてきたのは、ようやくオレがイタリア語に慣れてきた頃だった。
―――全力疾走で、その音目掛けて。走る走る。
…いつもと何が違ったのかというと。その音色は、あの最後の日。彼が弾いてたあの曲で…
名を知らぬ曲。名を与えられなかった曲。彼が教えてくれた曲。
音色を辿って。着いた先にあったのは…協会。
門をくぐって。確認。その曲を、パイプオルガンを弾いてるのは―――見知らぬ神父。
「…お客様ですか?」
神父が、オレに気付いて声を掛ける。演奏はまた中断。
「………初めまして。貴方の弾いてるその曲に覚えがありまして―――その曲は、どちらで?」
オレがそう言うと、神父は少し驚いたようで。オレをお茶に招いてくれた。
その曲は神父が、数年前にある人物に教わったものだと。話してくれた。
その協会の孤児が怪我をして、入院した先の病院で。ぼろぼろのおもちゃのピアノでその孤児に弾いてくれてた曲だと。教えてくれた。
その人物は、何があったのか。酷い状態だったらしい。
眼は潰れ。言葉は話せず。歩く事すらも叶わなかった。
その人物の弾く曲は、大層その神父の心を掴んだ。神父がその事を言うと、その人物は笑って。話せないから、筆談で。答えた。
もしもオレの願いを叶えてくれるのなら。この曲を教えてやっても良い。
その人物の願いとは、とてもとても簡単なもの。
もしも。この曲の出生を問う、自分と同い年ぐらいの少年が現れたら。これを渡して欲しいと。
そう言って、神父がオレに手渡したのは。一通の手紙。宛名も、住所も。切手も貼られてない手紙。
オレはその手紙を受け取って。協会を後にしようとして―――振り返った。
「…ああ、そうだ。――失礼ですが神父。二つ、お聞きしたい事が」
「なんでしょう?」
「貴方は、あの曲に物語が含まれているということをご存知でしたか?」
「いいえ。彼が教えてくれたのは曲だけでした」
「そうですか…」
「もう一つの質問は?」
「ええ、―――彼は貴方に曲を教えたあと。…どうなりましたか?」
広い海が視界一杯に広がる。海鳥が自由気ままに飛び回っていて。なんて平和で、なんて―――悲しい。
ここは海の近くの小高い丘。そこには彼が、眠っていた。
小さな墓標。掛けられたチェーンのシルバーアクセサリ。慣れてきたイタリアには違和感を覚える、けれど懐かしい…彼の名前。
獄寺隼人。享年14歳。結局彼は死んでいた。
彼は、獄寺くんは。神父にあの曲を教えて、手紙を渡した後。急に高熱を出してこの世を去ったらしい。
全く。獄寺くんはいつだって自分勝手なのだから。何が また、です だよ。…馬鹿。
残されたオレが。どれほどキミを想ったと思ってるの。
オレは彼の墓標の前に座り込み。彼がオレに託した手紙を開く。
見慣れた、懐かしい字。怪我が原因なのか、どこか歪で、曲がっていて…
不覚にも、枯れ果てたはずの涙が零れた。
10代目、貴方がこれを読んでいる頃には。きっとオレは死んでいるのでしょうね。
貴方の前にはオレはいないのでしょうが、またという約束を今守りましょう。
あのピアノの物語の続きです。――結構、あれは後味の悪い話ですよ? それでも聞きますか?
聞きたくなかったら、閉じた方が良いです。…物語は聞かない方がきっと救いがありますよ?
―――聞きますか。それともこれは、何年も経った後なのでしょうか。オレにはわかりませんが…では話しましょう。
少年は、魔女の言葉に耳を貸します。…娘の為なら、命すらも惜しくはないと。そう言って。
魔女はならばと、少年に薬草と、短剣を手渡しました。
娘に薬草を飲ませれば、短剣は自動的に少年を刺して。その命を中に封じると魔女は教えました。
魔女はさらにと。少年に魔法を掛けました。娘を想う限り続く魔法。娘を思えば想うほど、寿命が増えていく魔法。
それは少年の命の価値を、少しでも高くしようとした魔女の魔法――呪いでした。
けれど少年にはそんなこと関係ありません。一目散に村へと帰って。娘に薬草を見せました。これがあれば助かると。そう言いながら見せました。
娘はそれがこの近くに生えない薬草だとすぐに分かり、少年に問いました。どうして、このような高価な薬草がここにあるのでしょうと。
少年は答えました。魔女に貰ったと。己の命との代価とのことは流石に伏せて。
でも、娘はそのこともすぐに見抜きました。もしも自分がその薬草を口にしたらなば、少年はたちまちに死んでしまうと。そしてその命を奪うのが短剣だとも。
娘は短剣を手に取って。悲しげに微笑んで。少年に言いました。
この想いは伏せて逝くつもりでしたが…ここまで私を考えてくれた貴方に、最早隠す事は出来ません。
笑わないで聞いて下さいまし。私は―――貴方の事を、ずっとお慕い申し上げておりました。
娘はそう言うと、手にした短剣で。その喉元を貫きました。
少年は唖然とし、そして絶叫を上げました。いなくなってしまった娘を思い、もう逢えない娘を想って。
少年は自殺を図ります。愛しい娘のいないこの世界には、もう何の希望も持てなかったからです。
けれど―――…少年が自殺を図ろうとする度に、娘の命を奪ったあの短剣が邪魔をします。お前を殺すのはオレの役目だと言わんばかりに。
短剣が自殺の邪魔をして。言います。お前を殺させろ、早くお前を殺させろと。
しかし短剣が少年を殺すには、娘に薬草を食させねばなりません。その娘は、その短剣により死んでしまいました。
短剣にはそんなこと分かりません。探検が望むのはただ一つ。少年の命。
殺させろ、殺させろ。早くお前を殺させろ。
少年とて。殺してくれるのなら殺して欲しいです。娘のいない世界には耐えられません。
殺してくれ、殺してくれ。早くオレを殺してくれ。
少年は娘を想い、魔女の呪いにより寿命は増え。天命に召される事も出来ません。
自殺を図ろうとも、短剣が全てを邪魔します。少年を唯一殺せる短剣は、皮肉な事に少年をずっと生かしてるのです。
こうして少年は人間が望み、求める不老不死となり。今も亡き娘を想って。どこかで生きているのです。
―――おしまい。
…ね。10代目。この話、後味が悪くて。聞かなかった方が救いがあったでしょう?
―――ああそうだね。獄寺くん。全くだ。
手紙にはまだまだ続きがあって。…でも。それはオレへの謝罪文だろうから。まぁ良いやと思って。
まったくなんだこの物語は。無茶苦茶にも程がある。救いがない。…作った奴の気が知れないよ。
…ただ一人の人物を想い、それ故に死せる事が許されぬ存在―――か。
―――もしも。を思う。
もしも。今ここで、オレが海に飛び込んだら。…キミの所まで行けるのかなって。そんなもしも。
想い人のいない世界で生きる辛さは。この少年ほどじゃないだろうけどオレだって味わってるし。自殺したくなる気持ちも分かる。
ああ、思いついたら物凄く魅力的な提案に見えてきた。この、彼と一番近いこの場所で、彼の元へ行くなんて。
ここには、自殺の邪魔をする憎たらしい短剣なんていないし。うん。じゃあ飛び込もうか―――
「…何してんだ? ツナ」
「―――見つかっちゃったか」
「それはこっちの台詞だ。隠していた訳ではないが、公開してた訳でもない獄寺の墓を。良く見つけられたな」
獄寺くんの…墓。
それだけの言葉に、ぐらりと世界が揺れるような思いになる。
「…でも。リボーンが短剣じゃ、自殺は出来そうにないな」
「何の話だ?」
「なんでもないよ」
―――でも。オレには呪いは掛けられてないから。いつかは彼の元へと行けるかな?
オレはまた獄寺くんの眠ってるそれの前に座り込んで。
「…取り乱さないだな」
「あれから、何年が経ってると思ってるの。この可能性は真っ先に思いついたもので」
真っ先に、否定したもので。
「――覚悟も、つけてたよ」
今にも、倒れてしまいそうだけど。
時が、流れ過ぎる。ゆっくりと。なのに確実に。
「―――そろそろ戻った方が良いぞ」
「もう少し…」
日が暮れる。赤い夕焼け。まるであの日に帰ったよう。
けど、ここにはキミはどこにもいない。どこを探しても、いない。
オレはゆっくりと立ち上がって。獄寺くんに背を向ける。
「…もう、良いのか?」
「リボーンが立ち去ってくれないんだもの」
「――自殺でもされちゃあ、困るからな」
「あはっ」
思わず笑ってしまう。
やっぱり。リボーンはオレの短剣だった。
リボーンがいる限り、オレは死ねない。
リボーンが死んで、オレが自殺するのが先か。それともオレがマフィアの任務で死ぬのが先か。分からないけど。
オレが獄寺くんの元へいけるのは、当分先送りになりそうだった。
さよなら獄寺くん、また逢う日まで。
オレは心の中で獄寺くんにそう言って、リボーンと共にその場を後にする。
頭の中では、獄寺くんが弾いてくれたあの曲が、いつまでもリフレインしていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その曲は、オレの頭からずっと離れなかった。
リクエスト「獄寺くんがピアノを弾く話」
リクエストありがとうございました。