…特に用事がある訳ではない。


さて、じゃあどうしようか。


…分からない問題があるから教えて―――駄目。こんな夜中に言うことではない。明日、学校で聞けばいいだけの事。


…貰った携帯電話の番号が合ってるかどうか試してみただけ―――却下。同じく真夜中にすることではない。


あれこれと電話する理由を考える。…あれほど苦手だった相手に、あれほどオレを慕ってくれてる彼に電話する理由を。


ああ、もう一体どんな心境の変化だろう。一体オレに何があった?


いつからだっただろう。彼をそれほど怖がらなくなってきたのは。


いつからだっただろう。彼の姿をいつも視界に納めていないと気が済まなくなったのは。


いつからだっただろう…彼を好いている自分に気が付いたのは。


かっと、顔が赤くなるのが分かった。自覚すると恥ずかしい。


―――そんな彼に貰った、携帯電話の番号。


夜になって。さぁ寝るぞー…なんて思ったらそれが出てきて。


彼の文字を見て。なんだか無性に…彼の声が聞きたくなった。


―――ああ、そうか。オレは。


彼の、獄寺くんの声が。今聞きたいんだ。


そう思ったら、なんかおかしくなって。声を堪えて笑った。


ああ、オレ、獄寺くんに夢中すぎ。


なんだか気が軽くなって、オレは電話のボタンを押していく。オレは携帯を持っていないから、うちの電話の子機を少し拝借。


ぷるるるると電子音が聞こえてきて。今更ながら寝てたらどうしようとか思ったけど、オレのそんな思考はいきなり途切れた。


圏外にいるか、電源が切られているとのメッセージが鼓膜を刺激してきたから。


………ちぇ。


オレは子機を仕舞って部屋に戻る。ああ寒い。早く温かい布団の中で眠ってしまおう。


自分の部屋に行く途中、カーテンが風になびいていた。窓が開きっぱなしだった。


…ったく、危なっかしいな。戸締りくらいきちんとしとけよな…


近付いて、閉める。冷たい風が身体を包んで―――近くの公園の中に、人影を見た。


こんな夜中に、こんな寒い日に。一体どこの馬鹿だと少し見てたら……


「…っ!?」


オレはその馬鹿の正体に気付き、急いで上着を羽織って家を飛び出た。


けれど。まさか。何でこんな時間に、あんな場所に―――?



何かの夢なんじゃないかと思った。だって彼の格好はお世辞にも厚着とは言えなかったから。


外は無茶苦茶寒かった。思わず歯がかちかちと鳴る。出る息は真っ白で―――寒い。


でも、彼はそこにいた。もしもこれが夢だったら、あまりのリアリティに卒倒しているところだ。


…それでも、まるで彼が夢のように儚く感じたから。少し自信なさ気に彼の名を呼んだ。


「―――獄寺くん?」


暫しの沈黙。そして。


「………10代目?」


ゆっくりと。


本当にゆっくりと、そう呟いて。獄寺くんが振り返る。


…声を。聞いて。顔を。見て。獄寺くんだと確認出来た、はずなのに。


―――何故だろう。まるで獄寺くんが消えてしまうような…そんな印象を覚える。


「…どうしたの? こんな時間に」


オレの口から、そんな言葉が勝手に出る。


…違うだろ、オレ。言いたいことは、聞きたいことは…そんなことじゃない。


けれどオレの口は言い直すことを許してはくれず。結果的に獄寺くんの返答を待つ形になってしまう。


獄寺くんは、暫く考えて、笑った。


けれどその笑いは、いつもの裏表のない、気持ちのいい笑顔ではなく。


―――自分を皮肉った、見ているこっちが痛くなるような、そんな自嘲が含まれた笑み。


「…何ででしょうね」


「…え?」


オレの口から、そんな小さな一文字と、真っ白な息が吐き出される。


「本当、なんでオレ…こんな所に。いるんでしょうね……」


獄寺くんの口から出るのは言葉だけで。白い吐息はまったく出てこなくて。


「…獄寺くん、一体いつから。ここにいるの」


「分かりません」


獄寺くんは、また笑って。帰ります。って言って。…オレに背を向けた。


何故だかそれを見ただけで。まるで獄寺くんが消えてしまいそうだと思ってしまう。


「―――獄寺くん!」


思わず手を握って引き止める。


―――その手は、有り得ないほど冷たかった。


「…獄寺くん。一体いつから、ここにいたの」


「覚えてません」


「獄寺くん。一体いつ頃…外に出たの」


「知りません」


ああもう、この子は……


「もう、とにかくこのまま帰らせるわけにはいかないから! 獄寺くん家においで、まずは身体を温めないと…」


そう言って、獄寺くんを家まで引っ張っていこうとしても。…何故か獄寺くんの足は動かなかった。


そればかりか。


「――なに、言ってんすか」


彼の口から出たのは、まさかの否定の言葉。


「…こんな時間に、お邪魔出来るわけ、ないじゃないですか」


彼はオレの手を振りほどいて。距離を置いて。


「すみません。今のオレ、少しおかしいんです。…朝になったら、直ってますから」


彼のその発音に、少し覚える違和感。けれどそれを追及している暇はなく。


「――何言ってんの!」


オレはそのまま去ろうとしている獄寺くんに抱きつく。冷たい。まるで氷のように彼の身体は冷たかった。


「…こんなに凍えてる人を、そのまま見送れって、それこそ、出来るわけ、ないじゃない」


あまりの寒さに言葉を思い通りに紡いでいられない。寒い、冷たい、凍えて―――死んでしまいそうだ。


「…大丈夫ですから。オレは。…今日よりも寒い日を体験した事もありますし…」


獄寺くんは遠い目をして。一体どこを見ているのか分からない。


「―――それでも、駄目。絶対帰さない」


まるで意固地になってるオレに、獄寺くんは困ったように苦笑して。


「はぁ、どうしてそんなにオレを引き止めるんですか?」


その言葉にオレは、少し戸惑いながらにも言う。


「獄寺くんが…その、遠くに行っちゃいそうだから」


本当は消えてしまいそうだからって。言いそうになったけど。…言ったら本当にそうなりそうで何とか堪えて。別の言い回しにする。


獄寺くんはオレのその言葉にも表情を変えず、淡々と言い放つ。


「オレは遠くに行ったりしませんよ。…それに、―――オレが遠くに行ったとしても、なにがどうなるというわけでもありませんし」


………え?


「なに? それ…どういう、意味?」


「そのままの意味です。では」


彼の、そのあまりにも他人事のような発言に怒りを覚える。…他でもない、彼自身の事なのに。


「どうにもならないわけないだろ!!」


「っ!?」


オレが出したいきなりの大声に。獄寺くんが驚く。


「…え、あ―――はい?」


「獄寺くんがいきなり消えちゃったりしたら、オレは許さないからな!!」


「―――10、代目…」


獄寺くんの目が少し見開かれたような気がする。…何故かは、知らないけど。


「……はい」


控えめに開かれた口から、小さな声が漏れる。


「―――はい。…消えません。オレは」


気が付くと、獄寺くんの表情はいつの間にか穏やかなものに変わってて。それにオレは安心して。


「うん、よろしい」


オレの少し偉そうな言葉に、二人して思わず笑ってしまう。


ああ、よかった。……よく分かんないけど、獄寺くんがいつも通りに戻った。


「うんうん、何があったか知らないけど、とにかくよかった。じゃあ獄寺くん、家に行こうか」


「え…いや、ですから、そんな……」


「でももそんなもないのー。獄寺くんに拒否権はありません。ほらほら早くー」


オレは渋る獄寺くんを強引に引っ張って。家まで運んでいく。…今度は、ちゃんと動いてくれた。


寒い寒い冬の夜を彼と共に歩いて。―――ふと思い立って、彼の手を繋ぐ。


「………? 10代目?」


「…いや、なんとなく」


「――そんな事しなくても。オレは消えませんよ。…10代目が、オレを必要としてくれてる限りは」


「ああ、だったら一生消えないね。よかった」


冗談交じりにそう言っても。結構本気に思っても。…それでも、まだ何かしっくり来ない。


手から伝わる彼の体温は本当にあるのかどうか疑わしいほど冷たく。まるで温度を感じさせない。


…あ、そうか。


オレはまたぎゅむっと。手は繋いだままで獄寺くんにしがみつく。その冷たい身体に、身が凍るかと思った。


「10代目?」


「獄寺くん冷たすぎる。だから温めてあげるね」


と言ってはみても。オレの体温も今となってはかなり冷え切っていて、獄寺くんに与えられるだけの温もりはないんだけど。


「…大丈夫です10代目。今は温かいですから」


「そう…?」


「はい。……あった、かいです」


そう言っては、繋がれている手をきゅっと握り返してくる獄寺くん。


オレはまだまだ寒いんだけど、でも獄寺くんを見上げれば。確かに獄寺くんの頬には赤みが差してきていて。


「そっか…でも、まだまだ獄寺くん冷たいから―――…そうだ、同じベッドで寝ようか」


温めてあげるとそう言うと、獄寺くんの顔はもう赤みを通り越して真っ赤になっていて。


オレが、ね? って強調すると、獄寺くんはとても小さな小さな声で。肯定の意と。白い息を。吐き出した。





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じゃあ、行こう。