サァアアアアァァァァアアァァァァ…
水が天から振ってくる。留めもなく。途方もなく。
雨粒は重力に従い地に叩き付けられる。その激しさは緩まない。
雨は地を叩く。屋根を叩く。木々を叩く。オレを叩く。そして―――
倒れている、彼を叩く。
サァアアアアァァァァアアァァァァ…
雨は止まない。思考は纏まらない。何もかも理解出来ない。
どうして彼は倒れているのだろう。早く起こさなくては。
暑くなってきたとはいえ、長時間雨に打たれていたら風邪を引いてしまう。
一歩。彼に近付く。彼の背に滴る水溜りだけ、どこか朱を帯びていた。
もう一歩。彼に近付いて―――
「…無駄なことは止めとけ」
無機質で無感情な声に、彼との距離を縮めるのを。遮られた。
嘘と雨
―――いつからだっただろうか。"10代目"の命を狙う刺客が増えてきたのは。
最初は、いきなりの出来事についていけなくて。
ある日突然、ナイフを突きつけられた。銃で撃たれた。爆撃を受けたときもあった。怪我も負った。
けれどオレの近くにはいつも彼がいてくれたから。彼が守ってくれたから。
だからちっとも。怖くなんてなかった。
そして、今日。
「―――10代目、こちらへ」
「う、うん」
下校途中、突然獄寺くんに手を引っ張られて。…直ぐにまた例の奴らだと悟って。
目指すは人気のなくて広い場所。彼の武器は広範囲に影響を与える。
暫く走った後で…前方の獄寺くんが小さく舌打ちする声が聞こえた。
ぽつり。頬に冷たい水が当たる。
…彼の嫌う雨だった。
小さかった雫のそれは、次第に力を強めてきて。髪に服にと染み込んでいく。
オレたちは人気のない倉庫へと逃げ込んで。…冬は通り過ぎたとはいえまだ少し肌寒いこの時期に雨は少し辛い。
「大丈夫ですか…?」
外の様子を見ていた獄寺くんが心配そうにオレに声掛ける。オレは大丈夫と返そうとするも上手くいかない。
「…10代目。何も心配なさらないで下さい」
獄寺くんは微笑む。オレを安心させるために。
「直ぐに帰れますから。大丈夫です」
そう言いながら見つめてくる彼が凛々しくて―――ああ、やばい。オレ惚れそう。
しかしそんなオレの思考に彼は気付かず。携帯を取り出して電話するも…またも小さな舌打ち。そして携帯を仕舞う。
「誰に掛けたの?」
「リボーンさんです。…でも通じませんでした。きっと跳ね馬もでしょう。――個別に狙われてるようです」
計画的犯行、と言うやつだろうか。オレの心に不安が広がる。
「―――…10代目」
また彼に見つめられる。その顔はこんな時だって言うのに笑っていて。
ちょ、やめてよ。そんなに見つめないでって。キミ格好良いんだから。どきどきしちゃう。
「…明後日。休みでしたよね。どこか遊びに行きましょうか」
「…え?」
「暫く篭ってばかりで外に出ませんでしたから。気分転換に町まで行きましょう」
暫く篭っていたのは。襲撃に臆病になっていて外に出るのが億劫になってたからで。でも彼はそんな事実忘れているかのように。
「海とかもいいですよね。でも晴れるかな…10代目はどこか行きたい所ありますか?」
笑いながら。そう問いかけてくる。
―――………。
「…そうだね」
思わず。笑みが零れる。不安が消える。
「獄寺くんの、うちが良いなぁ…」
「オレんちですか?」
「そう。獄寺くんの部屋で、獄寺くんと。一緒に過ごしたいな」
「…何もないですよ?」
「それでもいいから」
ぎゅっと。彼に抱きついて。お願いと頼み込む。
「…10代目。そんなにくっついてはいけません。風邪を引いてしまいます」
「良いの」
確かに彼の服はずぶ濡れで。冷たいけれど…その向こうの体温は温かいから。
「ね。良いでしょ?」
「…分かりました」
苦笑する獄寺くん。オレの心の中の不安はいつの間にか消えてしまっていて。
もっと獄寺くんの体温を感じていたいと思ったのに。彼はぱっとオレの身体を引き剥がして。さっき仕舞った携帯をまた取り出した。
獄寺くんはその電話向こうで誰かと話していた。
話の内容は分からない。少なくともそれは日本語ではなかったから。
ただ、獄寺くんの顔は真剣そのもので…今のこの事態を思い出される。
暫くして会話が終わったのか獄寺くんが携帯を切る。真面目な表情で俯いていて。
「…獄寺くん?」
「あ、はいっ」
「誰から?」
「―――リボーンさんです。やはりあちらも襲撃にあっていました。…これから来て下さるそうです」
「そっか…」
それは良かった。リボーンが来てくれるのならこの事態も好転するだろう。
―――と。
すっと、獄寺くんが音もなく立ち上がる。
「…獄寺くん?」
「――10代目はここにいて下さい。…ちょっくらあいつらを陽動してきます」
「え…?」
行ってしまおうとする彼を思わず捕まえる。困ったように振り向く。
「…10代目。離して下さ―――」
「行かないで」
彼の台詞を遮るように。少し強めに、大きな声で言ってしまう。けど。
「…10代目」
「行かないで」
何か言葉を紡ごうとする彼を更に遮る。オレは更に言葉を続ける。
「ここにいて」
獄寺くんは困った顔をして。獄寺くんを捕まえたその腕を解いて。
「大丈夫ですから。直ぐに戻ってきますから」
「やだ…やだよ。獄寺くん。オレ独りは嫌だ。傍にいてよ」
どんなに命を狙われても。どんなに物騒な目にあっても。それでも平気だったのは常に彼がいてくれたからで。
…その彼が一時でも離れるだなんて。考えられない。考えたくない。
「…10代目。どの道このままでは直ぐに見つかってしまいます。そうなったらオレは貴方を守りながら戦える自信がありません」
「でもっ」
「大丈夫です。ほんの少しだけですから。…リボーンさんが駆けつけて下さるまでの、我慢です」
ね? って。獄寺くんはオレに笑いかける。今から刺客の元へ行くというのに。笑っている。
「お願いします」
今度は頭を下げて。獄寺くんはオレに頼み込む。オレの許しを求めている。
―――………。
「―――…だからね」
「え?」
「怪我したり…したら。許さないんだからね」
それだけが、オレに言えた精一杯の一言。
獄寺くんはオレの言葉に嬉しそうに――…笑って。
「ありがとうございます」
最後にそう言って。…振り返りもせずに走って。あっという間に行ってしまう獄寺くん。
急に辺りが静かになって。今更のように気付く。
ああ、あの時ぱらつきながら振り出した雨は。こんなにも激しくなっていたのか。
―――――パァンッ
びくり。いきなりのその音に身体が震える。
不幸なことに聞き馴染みのある音。銃声。
それは一度鳴り出したら留まることを知らず。響き続ける。
建物の中にその音は反響して。…頭が痛い。まるで自分が撃たれているような錯覚。
彼は。
獄寺くんは無事だろうか。
さっきから彼の愛用の武器の音が聞こえない。大丈夫だろうか。
―――…ああ、そうか。あの爆撃音は聞こえないはずだ。
銃声と交じり合って更に雑音となっている雨音。
彼の武器は駄目になってしまったのだろう。水に負けて。
ならば彼もまた銃を使っているのだろうか。何回か…こんな雨の日に襲撃にあったときに彼は何度か銃を使っていた。
本当は苦手なんですけど、とか言いながらその腕は確かなものだった。
この響く銃声のどれかは彼のものなのだろうか。彼は無事だろうか。…獄寺くん。
雨は止まない。銃声は止まらない。部屋中に響く雑音。―――頭痛がする。
…と。
いきなり。ぴたっと。唐突もなく。銃撃が止んだ。
聞こえてくるのは雨の音。サァサァと降っていて。己の存在を主張する。
音が止んだということは。それは。つまり。それをする必要がなくなったということ。
だから。つまりそれは。ああ考えが纏まらない。頭が痛い。
外。そうだ外。外へ行こう。彼を迎えに行こう。ぎゅって抱きしめて。そして。
長い間座り込んでいたからか立ち上がると足が痛かった。けれどそれは無視して。
恐る恐る。扉を開ける。辺りを見渡す。
―――すると、そこには。
サァアアアアァァァァアアァァァァ…
水が天から振ってくる。留めもなく。途方もなく。
雨粒は重力に従い地に叩き付けられる。その激しさは緩まない。
雨は地を叩く。屋根を叩く。木々を叩く。オレを叩く。そして―――
倒れている、彼を叩く。
サァアアアアァァァァアアァァァァ…
雨は止まない。思考は纏まらない。何もかも理解出来ない。
どうして彼は倒れているのだろう。早く起こさなくては。
暑くなってきたとはいえ、長時間雨に打たれていたら風邪を引いてしまう。
一歩。彼に近付く。彼の背に滴る水溜りだけ、どこか朱を帯びていた。
もう一歩。彼に近付いて―――
「…無駄なことは止めとけ」
無機質で無感情な声に、彼との距離を縮めるのを。遮られた。
「…リボーン」
遮ったのは、オレと彼と同じく。雨に打たれてずぶ濡れになっているオレの家庭教師で。
「無駄って…なんのこと?」
「言われなきゃ分かんねぇか?」
分からない。何のことだろうか。無駄? オレが彼に近付くことが? 何故。
サァサァサァサァ雨が鳴る。耳鳴りがする。頭が痛い。
一歩。また近付いて。彼の顔が視界に入る。
彼は眠っていた。目を瞑っていたから。
一歩。更に近付いて。彼の身体が視界に入る。
お腹に。穴が。開いていて。
そこから。赤い染みが。雨に打たれて背に流れていて。赤い…赤が広がっていく。
「ご―――」
「ツナ」
冷静な声。現実を見ろと。夢に甘えるなと。冷静な声がそう言っている。
…でも。だって。
―――…10代目。
彼は言った。確かに言った。
…明後日。休みでしたよね。どこか遊びに行きましょうか。
笑いながら。言っていた。
暫く篭ってばかりで外に出ませんでしたから。気分転換に町まで行きましょう。
オレが見えない影に怯えているのを助けようと。無理に笑って。
海とかもいいですよね。でも晴れるかな…10代目はどこか行きたい所ありますか?
そうして。彼のうちへと行くと。約束したのに。
サァアアアアァァァァアアァァァァ…
雨の音が止まない。耳鳴りがする。頭が痛い。
―――ああ、そうだ。忘れてた。
キミはオレに誠実なようで、その実はとんでもない大嘘付きな人だってこと。
キミはオレなんかよりも、結局の所自分本位な人だってこと。
だって。キミはいつも。
10代目は、オレが命に代えてもお守りしますから。
そんな。オレがいくら止めてって言っても。どうしてもそれだけは撤回しなかったから。
その事実を忘れてた。ああ、悔しいな。忘れてなければ。それでもきっと、こうなっていただろうけど。でも。
混乱する、纏まらない頭でも分かったのは。
彼はもう、目を覚まさないということ。
サァアアアアァァァァアアァァァァ…
雨は降り続ける。雨は降り止まない。雨はオレを、彼を打ちつけて。それでもまだ。止まない。
…それはまるで、オレの心境を表しているような天気で。
オレの心の雨も。当分止みそうにはなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
NEXT?