雨が、降っていた。
ざぁざぁと。
土砂降り雨の中、お前の存在さえも、流れていきそうで。
何とかお前を繋ぎ止めたかったけど、オレは指一つ動かすことも、出来なくて。
だからオレは、ただお前を見ていることしか出来なかった。
ただ、見ていることしか。
止まない雨
お前の笑っている顔を見るのが好きだった。
ツナの前だけ見せるような、あの満面の笑みを見るのが好きだった。
小僧にだけ見せるような、憧れと尊敬の入り混じった笑みを見るのが好きだった。
…オレだけに見せるような、あの不敵な笑みを見るのが好きだった。
好きだった。好きだった。お前が笑うだけで、オレは幸せだった。
だけど、ある日オレは気付いてしまったんだ。
その笑みの影で、お前が死ぬほど苦しんでいることを。
それは殺しの苦しみだったり、仲間の死の苦しみだったりと、様々で。
だけど、オレは馬鹿だから、それまでお前がそんなに痛みを感じていることにまったく気付かなくて。
そして、オレは思ったんだ。
お前を、守ろうと。
いつも無茶ばかりして。生傷を絶えず作ってきて。
どうでもいい傷は放っておくくせに、一番酷い傷は馬鹿みたいに上手く隠してみせて。
痛いはずなのに、痛くないなんて言って。
そんなお前を、守ろうと思ったんだ。
でもそんなこと言うとお前嫌がるだろうから。
だから黙ってお前を守ろうと、そう思ったんだ。
お前はオレが近くにいるだけで嫌がったけど。
お前が無茶をするのを防げるのなら、いくら嫌われても構わなかった。
お前の傷が少しでも和らぐのなら、いくら嫌われても構わなかった。
――お前が無理しないで笑ってくれるのなら、いくら嫌われても。
それからオレは、ボンゴレの正式なファミリーになって。
まぁ、お前と同じ任務に就けるならって条件を出したんだけど。
沢山のことをしてきた。お前と。
本当に、沢山のことを。
交渉も暗殺も、いつも期待以上の成果を挙げてきて。
いつしかボンゴレの右腕コンビなんて言われて。
お前はオレとコンビなんて嫌がってたけど、でもツナに褒められると嬉しそうに笑ってたよな。
あんまり一緒にいるからか、たまにオレたちの関係を誤解する奴もいたけど。
でもオレは、お前の笑顔を見れるだけで、それだけで幸せだったから。
―――――それだけで。
「おい、山本」
惚けていると、呼びかけられた。
―――獄寺に。
「ん? ああ、なんだ?」
慌てて返事を返すと、獄寺は不機嫌そうに
「お前な…今仕事中なんだぞ。もっとシャキッとしろ!」
「なに? 獄寺、心配してくれんの?」
「果てろ」
そう、今は仕事中だった。内容は最近力をつけてきた敵対マフィアのアジト潰し。
といっても、オレにとってはいつもやることに変わりはない。
お前を傷付けさせない、そのために行動するだけだ。
殺しの仕事は特に傷付きやすいお前。
もう何人もの人間の血でその手を染めてきただろうに、未だ殺しの後は夜も眠れないお前。
ならば、オレはせめてお前が血で染まらないようにと立ち振るうだけだ。
だけど今回の仕事は。
どうやら罠だったようで。
なんともオレにとって、戦いにくい、嫌な戦法を取ってきた。
すなわち。
―――獄寺を集中攻撃―――
獄寺だって、至近距離の敵も倒せるようにと、接近戦用武器の使い方も学んでいる。
だけどやはり長年愛用しているダイナマイトよりは負けてしまうわけで。
それ以前に、オレとコンビを組むようになってから、獄寺はナイフを初めとする至近距離武器を使っていない。
オレが、使わせなかった。
獄寺は切った肉の感触だけで、一ヶ月は肉料理を食えなくなるほどだから。
オレは獄寺を傷付けたくない。
オレは切った。敵を。何人も。
獄寺に近い奴から順に。
一人、また一人と切っていく。
遠くで獄寺の声が聞こえた気がした。やまもと、と。
オレはそれに振り返ることもせずに、ただ目の前に敵を切った。最後の敵を。
と、それと同時に背中を押された。どん、と。
後ろにいるのは獄寺だ。獄寺しかいない。だからオレの背を押したのも必然的に獄寺ということになる。
オレは振り返る。目の前には。
獄寺が。
その身を、赤く染めて。
そのナイフを、敵の喉下に突き刺していた。
―――――雨が降っていた。
―――ざぁざぁと。
「ごく…でら?」
震えている自分の声。
その声が届いたのかどうか知らないが、とにかく、獄寺は薄目を開けてくれた。
「んだよ……」
開けられた口から漏れた声は、オレの声よりも小さくて、弱々しくて……
獄寺は見ただけで分かるほどの、致命傷を負っていて。
「獄寺! 獄寺ぁ!!」
オレはただ、叫ぶことしか出来なくて。
「うるせ…」
台詞の途中で、獄寺がむせる。その拍子に、口から血液が溢れた。
それは、命の源。
それは、命の灯。
それが失われていく。
………オレのせいで。
「いやだ…っ獄寺! 獄寺!!」
「……うるせえって…」
獄寺は呆れたような顔をしながら言う。けれど、今のオレに余裕なんてなくて。
獄寺が、獄寺が、そんなことばかりが頭を過ぎって。
止血とか、移動させるとか、やるべきことが沢山あるはずなのに、今のオレは一つも思いつかなくて。
「……山本」
獄寺がオレの名を呼んだ。オレは獄寺の顔を見る。
「…オレは、ここで……死ぬけど」
「獄寺!」
オレは獄寺の台詞を遮った。聞きたくなかった。そんなこと。
「山本!」
なのに獄寺はオレに聞かせようとする。とても残酷なことを。
「…オレはここで死ぬけど。お前、は…生きろ」
ああ、なんて残酷なんだ。お前は。
お前のいない世界に、何の意味もないのに。
「いや…だ」
「山本!」
嫌だった。お前が死ぬ現実を受け止めるのも。お前がいない世界で生きる決意をするのも。
「嫌なんだよ! お前がいない世界で生きていくなんて! お前が死ぬのなら、オレも…っ」
そこまで言ったとこで、殴られた。獄寺に。
それには、全然力が入っていなくて。
でも、確かにオレの所まで届いて。
「…生きろ」
「いやだ…」
「生きろ」
「やだ…って」
「お前は、生きろ」
「獄寺…っ!!」
お前は、なんて言うな。
オレは、お前に生きてほしいのに……
「お前までくたばったら、10代目はどうなる」
「ツナ……」
獄寺が死んだら、ツナはどうしようもないほど取り乱すだろう。
それほどこいつらの信頼関係は、厚い。
それと同時に、オレとツナの信頼も…
確かに、オレと獄寺が一度にいなくなったらツナは精神的に大ダメージを喰らうだろう。
そのことを獄寺が心配するのは分かる。
でも―――
「ツナは……大丈夫だよ」
10年前とは違う。小僧だっている。だからきっと、乗り越えてくれる……
「馬鹿。大丈夫なのは分かってる…あの人はお強い方だ」
ああ。そうだな。ツナは強い。
「でも、な…あの人は強いと同時に酷く脆いところもあるんだ……そこをお前が上手く庇ってほしい」
…まったく、本当にお前はツナのことよく理解してるよな。正直羨ましいよ。
でも―――
「その部分は…ハルが上手くやってくれるって……」
オレは、言えなかった。
生きる、と。
ただそれだけの、一言が。
それを言うだけで獄寺を安心させることが出来ると知っていながら。
言えなかった。
言いたくなかった。
獄寺はオレを真っ直ぐ見て――
「……じゃあ」
ゆっくりと、口を開いた。
「オレを、追って、来てみせろ」
酷くオレを、睨みつけながら。
「絶対、許さねぇ」
もう、呼吸するだけで苦しいだろうに。
「意地でも、地上に、帰してやる」
一言、一言。刻み付けるように。
獄寺はそれだけ言うと、一呼吸して――
「でも」
今度は打って変わって、穏やかな顔で、言ってきた。
「お前が、ここから生きて」
笑っていた。
「ずっとずっと、生きて」
それは、まだ10年前、いつも見ていた笑顔で。
「年喰って、禿げて、じじいになって、そんで死んだら」
――オレが、守りたいと思っていた、笑顔で。
「それでこっち来たなら、迎えてやる」
そんなことを
「笑って、迎えてやるよ」
そんなずるいことを、言ってきた。
「オレの笑顔を、守りたいんだろ?」
「……え?」
オレは驚いた顔で獄寺を見返して。
そしたら獄寺は確信的な笑みで、
「……気付いてないと、思ってたか、ばぁか」
血を流しながら、途切れ途切れの口調で、
「あー…もちろん、10代目もちゃんとお守りしろよ。お前よりも先に10代目が来たら、絶対、許さねぇ」
最後にそんなことを、皮肉った笑みと共に言って。
そして獄寺は……動かなくなった。
雨が、降っていた。
ざぁざぁと。
土砂降り雨は、お前の存在さえも、流していって。
何とかお前を繋ぎ止めたかったけど、オレは指一つ動かすことも、出来なくて。
だからオレは、ただお前を見ていることしか出来なかった。
ただ、見ていることしか。
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雨がお前を流す。オレの前にはお前の亡骸が横たわっている。