- 骸編 -





ハヤトがアイドルとして世に降臨してから、早くも数ヶ月が経過していた。


元より容姿の可愛さ。それに天然、癒し系、守って下さいオーラ、意外に博学でピアノが弾けるというギャップ。


その他諸々が受け、ハヤトの人気は瞬く間に飛躍し。今や数冊の雑誌の表紙を飾るほどにまでになっていた。


「どう? 自分の顔が本になって売られていく様子は」


「あ、あぅ、その…恥ずかしい…です」


己の容姿に未だ自信を持てないでいるハヤト。沢田社長は苦笑しながら雑誌を開く。


「ほら。今週号凄いよ? ハヤトだけが数ページも陣取っている。このインタビュー内容は先週受けたものだよね?」


「あ、はいそうです! 社長とのインタビューのですね!! ハヤトのためにわざわざお時間を取って下さってありがとうございます!!」


「いいんだよハヤト。オレも楽しかったし」


にこやかな笑みを浮かべる沢田社長にはわはわと楽しそうなハヤト。


緩やかな時間が流れていた。そこに雲雀もやってきて。


「楽しそうだね。なんの話?」


「あ、雲雀さん! えと…この前の取材の時の話です」


おずおずとハヤトは雲雀にその雑誌を差し出す。…自分の姿が移っているのが恥ずかしいのか、背表紙を向けて。


「へぇ…綺麗に写っているじゃない。ハヤト頑張ってるね」


ご褒美とばかりに雲雀はハヤトの頭を撫でる。ハヤトは頬を紅潮させながらもやはり嬉しそうで。


「……………はぅ」


「あ、何それ可愛いー! なにハヤト頭撫でられるの好きなの!?」


沢田社長はまるで新しいおもちゃを見つけたかのような顔で聞いてきて。そしてそのままハヤトを雲雀から取り上げて撫で始めた。


「はぅ!? 社長!?」


ハヤトがいきなりのことで驚いている。しかしまたぽやーっと目がまどろんで。


雲雀はそれを見て穏やかに笑いながら。ハヤトが差し出してくれた雑誌を捲る。


そこにはハヤトが可愛らしい衣装を身に纏って笑っていた。インタビュー内容も写真に邪魔にならない程度に並んでいる。


雲雀がそれをなんとなしに読んでいると。


「………?」


雲雀の目がある一点で止まる。じっと、そこのページを見ている。


その間も沢田社長はハヤトを撫で続けている。コツを掴んだのかその手付きはまるで猫を撫でるかのように。


ハヤトはすっかりその手の虜になってしまったかのようにぽーっとしている。


「ふふふ…可愛いよハヤト。もっとしてほしい?」


「あ…はい、その…もっと…お願いします…」


「いい子だねハヤト。正直な子は好きだよ…」


「ぁ、は、はぅ…」


「はいそこえろい会話はおしまいにしなさい。取り合えずなにコレ」


雲雀が無理矢理二人を引き離して。雑誌のあるページを突きつける。そこには白のワンピースを着てにぱっと笑っているハヤトの姿。


「可愛いでしょ」


「確かに可愛いよ。でも僕が言ってるのはこのプロフィールについてなんだけど」


雲雀の言うとおり確かにそのページにはハヤトの誕生日、血液型、星座などが書かれていた。


「何か不審な点でも? その内容に誤植はないはずだけど」


「それはそれで問題なんだけどね…この十三行目のは何! ハヤトこれに答えたの!?」


雲雀の言う十三行目に書かれている文…そこには三つの数字が並んでいた。


それは俗に言う三サイズというもので。そこにはまぁ平均値の出しやすそうな数値が並んでいた。


「はぇ…? ハヤト知らないですよ? あ、ハヤトの好きなものがお姉ちゃんになってます!」


「あれ? 違ってた?」


「大当たりです! なんで分かったですか!?」


「いやハヤト。突っ込む所そこじゃないから。ハヤトが知らないということはこれ答えたの社長だね…まったく、一体なに考えてるのか」


やれやれと雲雀。しかし沢田社長は変わらず笑ったまま


「まぁオレの手にかかれば三サイズだなんて計らずも分かるよ。調子がよければ人の気持ちだって読めるしね」


「す、凄いです社長!!」


得意気に自慢する沢田社長と本気で感動しているハヤト。そしてため息を吐く雲雀。


「あれ? 信じてない雲雀? …じゃあ証拠を見せてあげるよ。えーっと…」


沢田社長はどれにしようかなと辺りを見渡す。暫し視線を泳がせたあとハヤトに辿り着いた。


「んー…そうだね。じゃあハヤトにしようか」


「はい?」


事情がよく読み込めてないのかくりっと首を傾げるハヤト。可愛い。


沢田社長の視線がゆっくりと下へ、下へと下がっていき…


「ハヤト。今日の下着は…白のフリ――」


「なにセクハラ働いてんだ」


ゲシッとリボーンが沢田社長に蹴りを炸裂させる。雲雀は『下着』の単語が出た時点でハヤトの耳を塞いでいる。


「? ?? なんですか雲雀さん。した…なんですか?」


「知らなくていいから。分からないでいいから。だから何も言わないで」


「???」


無垢な瞳で雲雀を見上げるハヤト。その目を見ると罪悪感に駆られるのは何故だろうか。


「…やれやれ。―――自分の記事見て浮かれるのもいいがな、同業者の情報も見ておけ」


「は、ははははははい! すいませんリボーンさん!!」


いきなり背筋をピシッと伸ばして謝罪するハヤト。ちなみに既に涙目。


ほらとリボーンが投げ渡す雑誌をハヤトは必死で受け止める。その雑誌には新人のアイドル・モデル・バンドなどが書かれていた。


「…あ。ほらハヤトもいるよ。期待の新人アイドルだって」


「あ…はい―――――あ」


ハヤトの目がある場所で止まって。雲雀の視線もそれに続く。


「ん? ハヤトこのグループが気になるの?」


「はい…少し」


「へぇお目が高いねハヤト。それに目を付けるとは」


頭に蹴られた足跡を残したまま沢田社長が復活する。ハヤトはちょっと驚いた。沢田社長はそれを気にせず、


「そこはねー、結構因縁深いかも知れないよ? ていうかこれから付くかも」


「なに。一体なんの話さ」


「えっと、このグループが所属している会社ね。このボンゴレプロダクションと同期でさ。結構色んな所が似てるんだよね」


曰く会社設立日を初めとしてその資金。資産。コネも似たような権力者で向こうの会社も実はボンゴレプロダクションのすぐ近くにあるとのことで客も半々だという。


「そしてこちらがアイドル出したら向こうも見計らったかのようにヴィジュアルバンドを出してきた…と。しかも男女ランキングの同一一位とか。…はぁやれやれ」


やれやれと言いつつも何故かどこか楽しそうな沢田社長。負ける気はないらしい。


「まぁ機会があれば会うこともあるだろうさ。もしかしたらなにかの企画で一緒になるかもしれないね」


「へぇー…でも一体どんな方なんでしょうね」


ハヤトはそのページを見ながら言葉を紡いだ。


「ヴィジュアルバンド『黒曜』のヴォーカルにしてリーダー。六道骸さんって」





その後。ハヤトへドラマの出演以来が回ってくることなる。


役柄は初ドラマにして初ヒロイン。そしてその相方…主人公を務めるのは、



ほんの数週間前に話題に上った六道骸であった。





「おやおや…お初にお目にかかりますハヤトくん。六道骸と申します。クフフ」


「は、はい初めまして骸さん! ハヤト…じゃなくて、わた、わたしは…ハヤトって言って、そのっ」


はわはわてんぱるハヤトを骸は微笑みながら見つめている。


「あの…? 骸さん?」


「ああ失礼。いや、雑誌で拝見した時よりもずっと可愛らしい方で驚いていたんですよ」


その言葉にかっと顔を赤くさせるハヤト。そしてあうあうあう。見ていて飽きない。


「クフフ。少し落ち着きましょうハヤトくん。…あ、ハヤトくんって呼んでもかまいませんか?」


「あ、はい。…骸さん、これからよろしくお願いします」


ぺこりと頭を下げるハヤトに骸も習って軽く頭を下げる。なんだか見ていて微笑ましい光景であった。


「ええ。こちらこそよろしくお願いします。共に初めてのドラマ出演です。頑張りましょうね」


「は、はい!」


ハヤトが強く意気込むと同時にお昼の鐘が鳴り響いて。二人の視線が時計へと向く。


「お昼…ですね。何か食べましょうか。ハヤトくん。宜しければ共にどうですか?」


「あ、はい是非! って、あ…」


同意したはいいものの、ハヤトはあることに気付いた。


「? どうしましたかハヤトくん」


不思議そうな顔をして聞いてくる骸に、ハヤトは俯いて答える。実は…


「その、お弁当…忘れてしまって」


そう。ハヤトは毎日お昼は雲雀特製愛情弁当を食べていた。いつも出かける前に雲雀が持たせてくれるのだが今日は忘れてしまったのだった。


「あはは。ハヤトくんはそそっかしいんですね。あ、なら僕のお弁当を半分っこしませんか?」


「え? ―――えぇ!? だ、駄目ですそんな! 骸さんにご迷惑を掛けるわけには…!!」


「そんな迷惑じゃないですよ。親睦を深めたいと思ったのですが…駄目ですか?」


そう言われてしまうと反論が出来ないハヤト。半ば強引に骸に頷かされてしまった。



「―――あ。このだし巻き卵美味しいです」


「クフフ。ちょっとした自信作なんですよ。でもハヤトくんと食べるって分かっていたら甘くしたんですけどね」


「いえ、これでも充分美味しいです! このお弁当骸さんがお作りになられたんですか? 凄いです!」


「ありがとうございます。ところでハヤトは料理とかするんですか?」


「あ、あぅ、その…全然出来ないです…」


「あれ? 先程お弁当を忘れたって…あ、お母さんが作ってくれてるんですか?」


「いえ、お母さんではなく雲雀さんという―――」


ハヤトが雲雀について説明しようとしたときでした。ドアが大きな音を立てながら開けられます。


「ハヤト! もうお弁当忘れちゃったでしょう…届けに来たよ、って…」


雲雀が見たのはこの数ヶ月で娘のような感情が芽生えたハヤトが、見知らぬ男と共に食事をしている姿だった。


「……………ハヤト。そいつ…誰?」


「えと…今度のドラマで共演する骸さんです」


「始めまして。六道骸と申します」


「取り合えずキミハヤトと距離近過ぎ」


さっと雲雀はハヤトの傍まで寄って。骸から引き剥がして距離を置く。


「おやおや。クフフフフ。過保護ですね雲雀さんとやら。まぁハヤトくんが可愛いっていうのは分かりますが」


「ハヤトを気安く呼ばないでくれる?」


雲雀は取り付く島すらないような受け応えでじわじわとハヤトと骸の距離を開かせていく。ハヤトはあうあうしている。


「あ、あの雲雀さん…! これはちょっと失礼なのでは…」


「ごめんハヤト。なんだかこいつ、信用置けないんだ」


「クフフ。本人の前で言うあたりかなり度胸据わってますね」


「度胸の一つや二つ据わっていないとこの業界やっていけないからね。…じゃあハヤト。お弁当確かに届けたからね? 僕仕事が入ってるから定時まで会えないけど頑張ってね」


「は、はい! 雲雀さんお忙しい中わざわざありがとうございます!!」


「うん。それじゃあハヤト。またあとで」


雲雀が来たときと反比例して静かに退場する。なんだか台風のような時間だった。



「えと…ではハヤト。お昼を再開しましょうか」


「あ、はい…そういえばハヤ―――…わたしが食べた分だけ骸さんのお弁当減ってしまいましたね。わたしの分をどうぞです!!」


「おや。いいんですか? では遠慮なく…」


折角雲雀が頑張って二人の距離を離れさせたのにあっという間に戻ってしまった。報われない雲雀であった。


「…なるほど、これは美味しいですね。僕のお弁当では敵いません」


「そんなことないです! 骸さんのお弁当もとっても美味しいです!」


「クフフ…嬉しいですね。あ、僕のからあげ食べてくれます? ちょっと自信作なんです」


「あ、はいっ」


ハヤトの返事を聞き入れてから、骸はそのからあげを箸で掴んで…


「はい、あーん」


「え、…へ? はわっ!?」


口元へ突き出されハヤトは流石に戸惑う。口を開ければいいのでしょうか? はうはうはう。


「あーん」


「え、あの…骸さん?」


「あーん」


骸は同じことを笑顔で繰り返すのみだ。ハヤトはおずおずと…


「あ、あ、ぁ、あーん…?」


口を開いて。そこに骸が一口サイズのからあげを入れる。もくもくもくもく。こくん。


「美味しいですか?」


「―――――美味しいです骸さん! これも骸さんがお作りに? すごいです!!」


「喜んで頂けたようで嬉しいですよハヤトくん」


にこにこと骸は笑っている。にこにこにこにこ。


「…えと、あの…骸さん?」


「はい。なんですか?」


にこにこにこにこ。


「……………」


にこにこにこにこ。


「あの…わたしも…ですか?」


「クフフ。そんな悪いですねぇ。催促した覚えはないのですけど」


催促した覚えはなくともその笑みは間違いなく確信犯のそれであった。


「えと…」


ハヤトはおずおずとタコさんウィンナー(無論雲雀作)を箸で掴んで。持ち上げる。


「む、骸さん…」


「はい」


返事はするが口は開けない。…言うしかないのだろうか。


「あ、あ、あの、あの、―――あー…」


「なにやってんだお前ら」


「はわ―――――!?」


突如乱入してきたリボーンの登場にハヤトは驚いて。お弁当を放り投げてしまった。


「おっと。危ないですねぇ」


お弁当は骸が無事キャッチ。転びかけたハヤトもリボーンが抱き寄せて阻止した。


「お前は一日何回転ぶ気なんだ」


「は、ぁう…すいませんすいませんリボーンさん!」


「まぁいいがな。…休憩時間は残り少ない。さっさと喰って午後に備えろ。いいな」


「は、はいリボーンさん!!」


リボーンが退出してハヤトの緊張が解ける。しかしそれも数秒で。


「は、お弁当です! あわわ、あと10分しかないですー!」


「クフフ。こわーいマネージャーさんですね。あ、はいどうぞハヤトくん。お弁当です」


「あ、ありがとうございます骸さんっ」


骸から弁当を受け取り慌てて食べ込むハヤト。しかしすぐに咽てしまう。


「ああ、少し落ち着きましょう。はい、お茶をどうぞ」


「ん、けほ、ああああ、けほ、ありがとうございますっ」


んくんくとお茶を飲み干して。またお弁当へと戻るハヤト。


俯いて。そして少し急ぎながらあむあむと箸を突くハヤトを見て骸は微笑んでいる。


「くっはー…! これが噂の天然癒し系アイドルハヤトですかー…! 確かにこれは癒されますねー…!!」


「……………はぅ?」


ハヤトは小首を傾げながらもお弁当を口の中へと納めていった。





「でですね、初めての撮影もハヤトは台詞を間違えないで言えたんです!」


「ふーん…」


楽しそうなハヤトの一日の報告に、しかし雲雀は不機嫌そうな顔で応えるのみだった。


いつもなら笑って相槌を打ってくれるというのに。


「あの…雲雀さん? ハヤト…何か悪いこと言いました?」


「あ、いや…なんでもないんだよ? ハヤト…」


落ち込むハヤトに雲雀は慌てて笑顔を繕う。いけない、彼女に非はないのに。


「ただ…あの骸って奴が気になってね…」


「え?」


骸さん…ですか? とハヤトは首を傾げる。


骸。ライバル会社の人間とはいえ彼は紳士的な男だった。


にこやかな笑顔はハヤトを落ち着かせてくれて。


ハヤトが台詞を間違えないで言えたのも本番前に緊張するハヤトに骸が「大丈夫ですよ」と笑いながらいってくれたことも影響しているだろう。


「骸さんはとってもいい人ですよ!」


にぱっとしながらハヤトは応える。しかし雲雀の顔は少し不機嫌に戻る。


「そうだといいんだけどね…」


「雲雀さん…?」


呟いた二人の言葉が溶けて消え、暫く経ったのち雲雀は思い出したようにハヤトに声を掛けた。


「―――…そういえばハヤト。そのドラマってどんな話なの? 台本持ってる?」


「あ、はい…―――これです。あ、現本も頂いてますよ」


「うん。ありがとう」


ぱらぱらと目を通していく雲雀。しかし後半からページを捲る手がゆっくりになっていって…そしてある一ページで止まる。


「………っ、ちょ、ここまでやるの!?」


「へ?」


がたんと音を立てながら席を立つ雲雀。ハヤトも思わずそれに倣う。


しかし雲雀の目にハヤトは既に見えてないのかきっとある一点を睨みつけ、そこへと走る。ハヤトも何故かそれに倣う。


雲雀の足は速くあっという間に二人の距離は遠ざかり、とうとうハヤトの目から雲雀の姿が消えてどうしようかと少し悩む。しかしその悩みは両断されることになる。


「綱吉―――!!!」


珍しい雲雀の大声。と言うかハヤトは初めて聞いた。そしてその名が叫ばれると言うことは雲雀は社長室だろう。ハヤトはそこまで急いだ。





「ちょっと、これどういうことさ!」


「え、お、あ? え、なになに雲雀。キミが大声だなんて珍しくない? え、どうしたの?」


流石の沢田社長も雲雀の剣幕に驚いている。しかし雲雀は気にせず、


「何もなにも今度のドラマのことだよ! なに、キミこれを承諾したっていうの!? 信じられない!!」


雲雀の言う、これ。雲雀はハヤトに借りた本のあるページを指差して。


「このドラマ中盤にベッドシーンがあるじゃない! そんなのまだハヤトには早い! いや、ハヤトにそんなシーンは一生させちゃ駄目!!」


なんだか初期の頃のとは考え付かないほどの剣幕で沢田社長へと怒鳴り込む雲雀に、社長もまた驚く。


「な、ベッドシーン!? 何それオレ知らないよ!? ―――ったくこっちが出来たばかりの会社だからって舐めやがって!」


「早くそのシーン削るよういいなよ! そうでなければハヤトの主演は断って! …いいから早く!」


「分かってるって! えーっと番号は…いや、面倒だから向こうまで行ってくる! 雲雀は連絡しておいて!」


なんだか凄い勢いで話を進めている二人に、ハヤトはなんだか不安になってくる。また自分のせいでみんなに迷惑を掛けているのだろうかと。


「あ、あのっ」


堪らずハヤトは声を掛ける。二人は同時に見て。そして驚く。


「な、ハヤト!?」


「い、いつからいたの…? やば、気付かなかった…」


割と最初からいたのだが全然その存在を認めてもらえなかったことにショックを受けるハヤト。しかし負けず、


「あの…そんな、わざわざ話をせずとも…ハヤトが頑張ればそれで済む話ですから…」


「「なぁ!?」」


驚く二人。しかしそれも無理はない。ハヤトは今、自らベッドシーンを希望したのだ。


「ハヤト、よく聞いて? 確かにそれはあくまで役で、実際にするわけじゃない。それはあくまで仕事で、恥ずかしいことでもない。だけどね…やっぱりまだハヤトには早いと僕は思う」


「オレも同意見だね。キミはまだ幼い。…ね。考え直そう?」


「お二人とも…ありがとうございます。でも、ハヤトはお二人の…この会社の為に頑張りたいんです!」


「ハヤト…」


ハヤトの必死の決意に、その想いに少し感動が沸き起こる。そこまで言うなら…と喉元まで出てきたそのとき。


「ところで、べっどしーんって何なんですか?」


「「―――――」」


思わず言葉を失う二人。そしてそれも一瞬で立ち直って。


「綱吉さっさと出る! 早く! 一刻でも早く話付けてきて!!」


「分かってる分かってるって! ああもう車のキーどこやったかな…もうタクシーでいいや!!」


「え、え、え、え? あの? あのあの?」


戸惑うハヤトをまるで見えていないのかのように振舞う沢田社長と雲雀。今ハヤトに構うわけにはいかない。


「え、あ、あの? べっどしーんて、その…?」


「ええい、ベッドシーンベッドシーン言わない! はしたない!!」


「えぇ!?」


ああ、無知とは罪なのか。いやそんなはずはない。知るための努力をしないことが罪なのだ。


しかしこんな年端もいかない女の子にどう説明すればいいのか。あまりショックも与えたくないし。


誰か助けて。二人がそう神に念じた時だった。神の見計らいか、それともただの偶然なのか社長室に第三者が訪れる。


「ツナ。お前宛に電話が…って、なんだ賑やかだな」


「あ、リボーンさん」


ハヤトの意識がリボーンに向いたとき。二人はチャンスとばかりに厄介事をリボーンへと押し付けることにした。


「あ、リボーンオレ今からちょっと出てくるから! 夕方には戻る!!」


「あ? だからお前に電話が…」


「ああそれなら僕が取るから! 二番? じゃあちょっと静かな所まで行って来るから!! ―――ハヤト、さっきの質問はリボーンにしなよ。きっと答えてくれるから」


慌しく二人は出て行き。残るはハヤトとリボーンのみ。


「なんなんだ…? 一体」


「あ、あの、あのリボーンさん!」


「ん? なんだ」


ハヤトは雲雀が部屋を出る合間に言ったことを忠実に従うことにした。すなわち。


「あの…―――べっどしーんって、なんですか!?」


「………」


その台詞には流石のリボーンも言葉を失う。古い付き合いである沢田社長がいたならば初めて驚いた顔を見たとからかったところだろう。


リボーンの目に社長の机に置きっぱなしの本の開かれた一ページが入って。それでなんとなしに察する。ああ、なるほどと。


視線を下げてハヤトを見ると彼女は今か今かと質問の答えを待っている。その瞳には無垢しか存在していない。


はぁーっと、リボーンは大きなため息を吐いて。屈んで、目線をハヤトに合わせて。


「……………いいかハヤト。ベッドシーンというのは―――――」





…それは丁度沢田社長がタクシーを拾った時。それは丁度雲雀が電話対応に一息入れた時で。



「――――――――――!?」



二人の耳に、声に鳴らないほどの叫び声が聞こえたような気がした。


(ああ、リボーン…)


(本当ごめん。でも僕には無理だよ…!)


そんなリボーンの犠牲の甲斐あってか、何とかドラマのベッドシーンは削れてくれた。





「クハハハハ。それは災難でしたねぇ」


「わ、笑い事じゃないんですっ…その、骸さんは…知ってたんですか?」


それはそのドラマのスタジオの控え室。


ハヤトは骸と一時の団欒を楽しんでいた。本日の話題は今朝後半から違うシナリオの台本を渡された経緯について。


ハヤトは当事者だからその事態になっても特に驚くこともなかったが他のみんなは違って。戸惑いを隠せてないようだった。


…ただ一人、六道骸を除いては。


「いえ、知りませんでした。ただハヤトくんの会社の社長が凄い剣幕でこのドラマのプロデューサーにそのシーンを除くよう言っていたシーンを目撃しまして」


「あ、あうぅ」


やはり色んな人に迷惑を掛けてしまったと、ハヤトは嘆く。ああ、やっぱり無理してでもハヤトが…いややっぱり無理ですごめんなさい。


「けれど、やはり僕達の年代でそんなシーンは問題があったと思いますから。結果的にはいい方向へと進んだと思いますよ?」


「…だと、いいんですけど…」


「ええ。でも僕個人の意見としてはちょっとだけ残念だったんですけど」


はぁ…とハヤトは流しそうになって。でもちょっと考えてん? ってなって。えーと…っと考えて…


「えぇぇえええええええ!?」


そのベッドシーンの相手役が骸であることを思い出して。思わず大声を上げてしまった。


「クハハハハハハ。やっぱり可愛いですねぇハヤトくんは。虜になってしまいそうです」


「と、と、と、と、虜ってなんですか!?」


「それは。もちろんですね…」


ずいっと骸は身を乗り出して。ハヤトに近付いて…


「近い」


そんな声が聞こえた気がした。そしてそれに意識を向けるよりも前に後ろの方へとハヤトは引っ張られて。


「クフフ。おやおや貴方ですか。やはりちょっとばかり過保護なんじゃありません?」


「…なんとでもいいなよ。あとで後悔するよりよっぽどまし」


「雲雀さん?」


声はすぐ真上からしたから、ハヤトは見上げてその人物を見る。そこにいたのはやっぱり雲雀で。


「お疲れ様です、雲雀さん!!」


「うん。お疲れハヤト。………いい? ハヤト。必要時以外あいつに近付いちゃ駄目だからね?」


「クフフ。本人の前で言うのって虐めですかこれ?」


「虐め程度でへこたれてくれればまだ可愛げすらあったんだけどね」


「…? え? はぇ? なんで近付いちゃいけないんですか?」


危機感ゼロなハヤトはまったく理解出来てない模様で。仕方無しに雲雀は説明してあげることにした。


「そうだね…例えば、飢えた狼の前に仔兎を放っちゃ…いけないよね?」


「そ、それは駄目です! うさぎさんが食べられてしまいます!!」


「うん。よく出来ました。つまりはそういうことだよ、ハヤト」


「???」


やっぱりよく分からなかったハヤトであった。


「ていうか貴方。お仕事の方はいいんですか?」


「今やってるよ」


「え?」


仕事中。しかし雲雀はハヤトを抱き締める以外、何もしていないように見える。


「ハヤトに悪い虫がつかないように見張ること。これも僕の仕事の一つになったから」


「はぁ…それはそれは」


やっぱり過保護ですねぇ、と言う言葉を骸は喉のぎりぎりで堪えて。


「ご苦労様です」


とだけ返しておくことにした。


「………さて。そろそろ時間です。ハヤトくん、参りましょう。…雲雀さん、まさかドラマの中にまでは来ませんよね?」


「出来れば行きたいんだけどね。ハヤトの仕事の邪魔はしないよ。…誰かが邪なことをしない限りはね」


最後の台詞はかなりマジな感情が込められていた。


「では、そうならないように祈っておきましょう。それでは僕達はこれで」


雲雀の目から逃げるようにと、骸はハヤトの手を引いてスタジオを後にした。





そうして日々を過ごしているうちに、ドラマも中盤というところまで来た。


ハヤトも骸も慣れてきて。骸に至っては所々でアドリブを入れてくるようにまでなっていた。


今日のシーンは主人公こと骸がヒロインことハヤトと悲痛な別れを告げるシーン。主人公は理由を話さぬままヒロインと離れる。



「―――どうして…なんですか!? わたしが…至らないせい、なんですか…?」


涙を流しながらハヤトは骸に問い掛ける。ハヤトの身体は小刻みに震えていて。


「…違います、違うん…です。僕は、―――僕だって、貴方と別れたくなんてないんです」


対する骸も辛そうに、悲痛そうに顔を歪めて。そんな骸にハヤトはなら何故と責め立てる。骸はハヤトを抱き締めて。


「分かって下さい。…これしか、方法はないんです」


抱き締められたまま、ハヤトは骸を見上げる。その顔は不安そうに。


「大丈夫です。また逢えますから。…それまで、どうか耐え忍んで下さい」


骸はそう言うと、ハヤトの頬に触れるだけのキスをして。その場から立ち去った。


ハヤトはその後姿を、ずっとずっと見続けていた…



「はいカーット!!」


暫くして監督の声が響き渡った。辺りの空気が弛緩して。骸も戻ってくる。


「骸くーん。困るよ勝手にキスシーンなんてやっちゃあ。沢田社長にきつく注意されたんだから」


「クフフ。申し訳ありません監督。でも役になりきるとあそこでのキスは必然なんですよ」


雲雀さんも丁度席を外していたことですし、と骸は無邪気に笑って。…けれどその笑みは、次の瞬間には凍りついた。



「へぇー…? 今とても興味深いことを言ったよね。…役になりきると、何が必然なんだって…?」


骸が振り向くと。


そこにはにっこりと…純なお嬢さんが真っ直ぐから見たら即恋に落ちてしまいそうなほど綺麗な笑みを浮かべた雲雀がいて。


それを見た骸は思った。


殺られる、と。


「―――言ったよね。ハヤトへの必要以上の接近は許さない、って」


雲雀の笑みが崩れる。けれど楽しそうな態度は変わらない。ああやばい。殺される。骸はそう直感した。


「ま、待って下さいよ。これは役で演技なんです。ハヤトくんだってそのことは重々承知で…」


と、助けを求めるように骸はハヤトへと視線を向ける。雲雀も続いて向ける。ハヤトがそうだと同意してくれれば取り合えずこの場はどうとでも切り抜けられる…が。


「……………」


「…ハヤトくん?」


静かに骸が再度問い掛けるもハヤトに反応はなし。試しにもう一度呼んでみるも相変わらず。


スタッフのランボが駆け寄って。目の前で手を振って―――…


「ショックのあまり固まっちゃってるようですー!!」


「………」


「………」


…にっこり。雲雀はまたも笑顔を浮かべる。けれどその目は笑っていない。


「さようなら。六道骸。キミのことはテレビで話題になった時だけ思い出してあげる」


「わー! タンマタンマなんですよ雲雀さん! どうかお許し下さい! ていうかそのトンファーどっから持ってきたんですかー!?」





逃げる骸に笑いながら追いかける雲雀。そして刺激が強すぎたのか未だ固まっているハヤト。


けれどそんなみんなの努力の甲斐があったのか、そのドラマはかなりの好反響を周囲に及ぼした。





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