―――思えば、オレはリボーンさんに支えてもらってばかりだったような気がする。


10年前のあの時を境に。



あれから日本に戻ってきて。リボーンさんはオレと一緒に暮らすと言い出した。


無論オレは反対した。


リボーンさんの任務は10代目を指導することで、10代目を護衛することだ。次期10代目である沢田さんの命を影から狙う輩どもを退治することもリボーンさんの仕事であることぐらい、オレだって知っている。


だからリボーンさんはオレなんかにかまけている暇はないはずです、と、オレはそう言って断わったのだが…



「心配すんな。既に9代目の許可は取ってあるし、ある程度のツナの指導と護衛はビアンキに任せてある。学校が終わってからはオレもツナの指導に入るしな」



と言われて、強引に話をまとめられた。


というか、



「それともお前、オレがずっと一緒にいるのは嫌なのか?」



この一言に沈黙せざるを得なかった、というか。


だってリボーンさん、ずるい。



オレが嫌なわけ、ないのに。



その日から、日本でずっと一人暮らしをしていたオレはリボーンさんと暮らすようになった。


リボーンさんとの生活に慣れるまで、随分と時間が掛かった気がする。


特に、寝るときとか。



急な話だったから何の準備もなくて。とりあえずオレは床で寝るのでリボーンさんはベッドを使って下さいと言ったら「アホかお前は」と言われた。


なんで家主のお前が床で寝るんだと。どっちかっていうと、床で寝るのはオレの方だろと。


けどまさか、オレごときがリボーンさんを床に寝させオレはぬくぬくとベッドで眠れるわけがない。つか何様だオレは。


というわけで暫く口論。そして結局………二人一緒にベッドで寝ることになった。というかそういうことで話が終わっていた。いつの間にか。


だけれど同じベッドで、共に眠る。とか。実は何気に初めてで。何故かオレはリボーンさんをおもいっきり意識してしまって。暫く眠れなかった。



―――誰かと一緒に眠るなどと、一体どれぐらい振りだっただろう。


子供の頃、まだオレが城にいた頃。シャマルに寄りかかって眠ってしまったとき以来ではなかろうか。



近くに誰かのぬくもりがあることが、こんなにも安心出来ることだなんて。知らなかった。


近くに誰かがいてくれることが、こんなにも幸せだなんて。知らなかった。



それだけで十二分幸せだったのに、リボーンさんはいつもオレのフォローに回っていてくれた。


声の出ぬオレの言葉の代役だとか。心無き言葉を投げつけられたとき、相手を冷静に(しかし容赦なく)たしなめたりだとか。その後オレを慰めてくれたりとか。



リボーンさんはずっとオレの傍にいてくれた。いつだって。どこだって。


だけどその頃のオレは、実はリボーンさんをちょっと過保護だと思っていた。


確かにリボーンさんがいてくれて、ものすごく助かってはいるけれど。実際オレ一人でも、何とかなるだろうなんて、勝手に思い込んでいた。



そんなことは、決してないのに。


そうだと分からないほど、オレは子供で、浅はかで、弱かった。



ある日のことだった。


リボーンさんが申し訳なさそうに、仕事が入ったから、行かなければならなくなった。と、オレに告げてきた。


オレはリボーンさんが深刻そうな顔をしているから、何事だろうと思っていたけど。話を聞いて、なんだそんなことですか、とちょっと拍子抜けしてしまった。



笑顔で送り出そうとするオレとは対照的に、リボーンさんは心配顔だった。


急いで仕事を終わらせて、なるだけ早く戻ってくると。何度もそう言ってくれた。


オレはリボーンさんがオレのためにそこまで言ってくれるのが嬉しくて。だけど心配しすぎです。とも思ったりして。


ありがとうございます。でもオレは大丈夫ですよ、と笑顔でリボーンさんを見送った。


そして、オレの喉が潰れてから迎える、初めての一人での夜。



―――静かだった。



耳鳴りが聞こえるほど、静かな夜だった。時計の針が動く音と、時折響くシンクに滴る水滴の音がいやに大きく、はっきりと聞こえた。


そんな夜は、今までなかった。何故か。リボーンさんが傍にいてくれたからだ。リボーンさんが常にオレの傍で、話をしてくれていたからだ。



どうにも落ち着かず、その日はいつもよりも早めに電気を消して毛布に潜った。


…隣にあの人のぬくもりがない。そのことが、何故か物足りなかった。それまではずっと一人で暮らしていたというのに。



オレは寝返りばかり打って、全然眠れなかった。







早朝、鳥の鳴き声で目が覚めた。いつもの癖で隣を見てしまうが、誰もいない。当たり前だ。


一人でもそもそと朝食を準備する。前は朝は抜いていたのだが、リボーンさんにそれは駄目だと叱られた。



リボーンさん。出来ましたよ。



と、ついいつもの癖で二人分用意してしまった。


リボーンさんはいないのに。



………。



オレは用意した食事を手早く始末して。10代目を迎えにマンションを出た。


いつもよりもかなり早い時間だったけど。何故か一人だけの部屋にいたくなかった。





「今日は随分と早いね」


ちょっと早く目が覚めてしまいまして。



「リボーンがいないと、調子狂う?」


いいえ、そんなこと。リボーンさんにいつまでも迷惑も掛けられませんし。



と、今更ながら気付いた。今はリボーンさんがいないのだから、オレが思うだけで相手に伝わるわけがない。


オレは慌てて紙に意思を書いて、10代目に見せた。



「…やっぱりリボーンがいないと、不便だね」



返す言葉もなかった。







「大丈夫か?」


色々な不便さを体験しつつ、あっという間に下校時間になった。そして校門の前でシャマルに声を掛けられた。



大丈夫かって………何が?


「…はぁ。その様子じゃまぁ大丈夫そうだな。大丈夫じゃねぇようなら一緒に過ごせって、リボーンから言われてんだけどよ」


リボーンさんから!?



思わぬところから出てきた名前に驚いた。リボーンさんは本当にいつだってオレのことを考えてくれていた。思ってくれていた。


…だけど。



オレは一人でも大丈夫だ。つかシャマルでリボーンさんの代わりになるかよ。



リボーンさんの気持ちを、あの頃のオレに気付かせるには。オレの心は幼さ過ぎた。


一人でも平気だって。そう思っていた。何の根拠もないくせに、そう信じていた。



「…その顔じゃ、まぁ今のところ大丈夫そうだな。でもどうしても駄目だってときは連絡しろよ。暇だったら顔出ししてやる」


誰がするか。



オレは子供だった。


せっかくリボーンさんが頼んでくれたシャマルの有り難味が分からないほどに。


オレはマンションに荷物を置くとすぐに部屋を出た。10代目のところに夕暮れまでいた。そして二度目の帰路に着いた。





一人だけの帰路は、足取りがどこか遅かった。ふと、リボーンさんのいない夜を思い出して。一人だけの部屋に戻りたくないなんて。今更ながらに思ったりして。


そんな足取りの遅いオレを急かすように、ぽつりとオレの頬に何かが当たった。雨粒だった。気付けばどんよりと分厚い灰色の雲が辺りを覆い、ぽつぽつと雨を降らせていた。遠くでは雷の音も聞こえた。


戻りたくないなどと言ってる暇はなくなって。オレは徐々に勢いを増していく雨に打たれながら、急いでマンションに戻った。



地面を激しく打ち付ける雨から逃げるようにドアを潜った。扉にもたれ、後ろ手で鍵を掛けた。ため息を零せば、雨に濡れた髪から水が流れた。


明かりのない室内はやけに暗く感じた。扉越しに雨と雷の音が聞こえて。



―――思い出したくもないことを、思い出した。



オレは無意識のうちに喉元に手をやっていた。潰れた喉。潰された喉。


オレが襲われた日も、こんな天気だった。


じわり。と全身に嫌な汗が湧いた。


傷は治ったはずなのに、何故か傷みを感じた。



その日も、早めに眠ることにした。


隣にあなたがいないことが、とてもとても辛かった。


昨夜と同じく、中々寝付けなかった。



雨音と雷の音が、いつまでも響いていた。







目覚めは悪かった。



雨は一晩経ってもやまなかったらしい。窓の外から変わらず雨音が聞こえた。


その音を聞きながら、オレは喉を押さえた。傷みがまたぶり返していた。冷や汗を全身に掻いてて。気持ちが悪くて。


朝食は抜いた。当然のように食欲がなく―――よしんば無理に胃に押し込んだとしても。すぐに戻すであろうことは簡単に予想付いた。


リボーンさんに知られたら叱られるだろうな、なんてぼんやりと思った。実は前日の夕食も抜いたという事を知ったらなおさら。



だけど、叱られてもいいから。


リボーンさんに会いたいと。思った。



オレは頭を振って、支度をして部屋を出た。


外では、やっぱり大粒の雨が降り続けていた。



10代目に会うと、いきなり顔色が悪いと指摘された。


否定出来なかった。確かに気分はものすごく悪かったから。


大丈夫? と聞いてくる10代目にオレは笑顔で答えた。声が出たなら大丈夫です!! と言っていただろう。


それでも10代目は怪訝顔だった。当然だろう。見るからに大丈夫に見えないだろうし、何よりあの頃のオレは大丈夫かと聞かれれば大丈夫と答える人間だったから。体調関係なしに。



それからそのまま二人で学校に行って。


雨は変わらず降り続けて。


喉の痛みが、治まらなくて。


結局昼食も取らなくて。



帰り道、またシャマルに呼び止められた。顔色が悪いと。大丈夫かと。


その通り、気分が悪かった。体調が悪かった。だからそりゃあ顔色だって悪かっただろう。


だけどオレはシャマルに頼る気は起きなかった。オレは当事、大人に頼ることに抵抗を感じていた。例え信用の置けるシャマルであったとしても、最後の最後まで頼りたくなかった。


オレはシャマルを適当にはぐらかして。まるで避けるように部屋に戻った。


自室に戻ると、力が抜けたかのようにベッドに倒れこんだ。そしてそのまま動けなくなった。



―――遠くから、雨の音がする。雷の音がする。



その音を聞くと喉が痛む。息が苦しくなって。嫌な汗が身体を伝う。


思い出す。思い出したくないのに。あの日のことは。あの時のことは。





ああも真っ直ぐに殺意をいうものを向けられたのは、初めてだった。


憎むべき対象。忌むべき存在。この世にいることが許せないと叫ばれてるようだった。


情け容赦一切ない力で、首を絞められた。奴はオレを苦しめたかったのか、なんなのか、首の骨を折る前にオレの喉仏を潰した。


激痛が走り、血を吐いた。泡を吹いた。


奴はオレから離れない。


手を離さない。


そのままみしみしと、


音が聞こえるぐらい力を込めて、


オレを殺そうと。


オレをこの世から消そうと。


憎しみを持って。


怒りを持って。



手に力を―――――





「―――おい!!!」


―――!?





飛び込んできたのは、見慣れた天井と……オレの肩を掴んできた見知らぬ男。


誰? 誰!? 誰なんだ!? とオレは一瞬でパニック状態に陥った。先ほどまで見ていた夢と現実とがごっちゃになって。夢が現実のように思えて。現実が夢のように思えて。


喉が痛くて。外では雨が降っていて。遠くに雷が落ちて。目の前にはあの日の男が―――



うああああああああああああ!!!



オレの中に、あの時の痛みと恐怖が蘇った。思わず部屋の隅に逃げて、片腕で頭を覆った。もう片方の腕は喉を押さえていた。喉の奥から血の味を感じた。


「おい、隼人…!! 落ち着け、オレだオレ!!!」


と、急に辺りが明るくなった。男が電灯を点けたのだ。というか、



………シャマル…?



オレが怖がっていた相手は、男の正体は…シャマルだった。シャマルは怯えているオレに、少し怯んでいた。



「オレが…分かるか?」



シャマルの声に、頷いた。シャマルの目に安心が宿った。



「…手を伸ばしても…いいか?」



シャマルの声に、頷いた。許可を得た腕が伸びてきて…止まった。


伸びてきた手に、先ほど見た夢を思い出してしまったのかオレの顔が強張って、身体が震えた。そんなオレに、シャマルが恐る恐るという風にオレの名を呼んだ。


オレは…微かに頷いた。大丈夫だと。シャマルの手は、オレを傷付けないと。知っているから。


シャマルはオレの背に腕を回し、抱きしめてきた。


シャマルはあたたかかった。


泣くな、と言われて指がオレの目尻に伸ばされた。それで、気付いた。



いつの間にか自分が、泣いていることに。





「ったく、お前がこんなにも弱ってるとは思わなかった。この馬鹿が」


馬鹿、と言われて少しかちんと来る。確かにオレの行動は馬鹿以外のなんでもなかったのだが、当事のオレにはまだその自覚はない。


つか、なんでここにいるんだよ。


そんな思いを込めて睨み付けてやる。オレの視線に気付いたシャマルが、ああ、と言って。


「お前があまりにもふらふらしてたから、様子を見に来てやったんだよ。そしたらお前鍵は開いてるしお前はベッドの上でうなされてるしだ。本当に驚いたぞ」


驚いたのはオレの方だ。


さらに鋭く、シャマルを睨み付けてやろうとしたところで―――



オレの携帯が、鳴った。



その着信を告げる音は、暫く聞かなかったものだ。何故か。その人はいつもオレの傍にいてくれたから。


その着信を告げる音は、決して忘れられないものだ。何故か。あの人のための音だから。


その着信は、誰からか。



リボーンさんからだ。


オレは慌てて電話を取った。



『獄寺』



繋いだ途端、声が聞こえた。


いつもの、あの、落ち着いていて、静かな…リボーンさんの声が聞こえた。


リボーンさんの、オレの名を呼ぶその一声。たったそれだけで身体の震えが止まった。安心出来た。



『…やっぱりどうしてもお前が心配でな。少し時間が出来たから電話してみたんだが…』



リボーンさんの声は、どこまでもあたたかく、優しかった。


もう、過保護だとか心配性だなんて言葉は出てこなかった。オレはリボーンさんの正しさを知り、自分の過ちを知った。



『獄寺…? 泣いているのか?』



声の出ぬオレの気持ちなんて、電話越しで伝わるわけないと思ってた。


だけど。リボーンさんは。オレの気持ちなど全てが分かってるというように。



『…大丈夫だ。何も心配することはない。お前にはオレがいるし、今お前の傍にはシャマルもいるだろう? お前を怖がらせるようなものは何もない』



なんて優しい言葉を掛けてくれて。



『………どうやらかなり参ってるみたいだな。仕事は切り上げて早く戻ってきてやるから、それまでシャマルの言うことを聞いて、大人しくいい子で待ってろ。…出来るな?』



こくこくと、何度も頷いた。やがて、電話は切れた。オレは暫く携帯から手を離せなかった。





それからもリボーンさんは、帰ってくるまで時間を見つけては電話を掛けてきてくれた。


本当に早めに戻ってきてくれたリボーンさんをオレはすぐさま抱きしめて。…暫く離すことが出来なかった。



この一件で、オレは自分の弱さを知った。


オレは、自分が思っている以上に弱いと気付けた。


そう。それからだ。


強くなりたいと思ったのは。


せめて、リボーンさんがいなくても生活出来るぐらい。



リボーンさんは元々仕事中に私用の電話を掛けてくるような人じゃない。


そんな自分を曲げなくてはならないほど、オレは弱かった。


だからあの人の手を煩わせないでいいよう、強くなりたいと願った。



そして、それから10年が経った。










「……………」



オレは窓の外から空を見上げる。



…リボーンさん。


オレは強くなりましたよ。


あなたがいなくても、あなたが数ヶ月いなくても大丈夫なほど。強くなりました。電話がなくっても平気です。



喉も治りました。



あなたがずっと気に病んでいた、この喉も治りました。声が出るようになりました。


あとはあなたが帰ってくるだけです。



―――胸の奥を、不安が蝕む。



…いくら強くなったといえど、やっぱりオレは弱いままだ。


あなたがいないと、不安と恐怖で倒れてしまいそうです。



オレはそろそろ限界なんです。


早く帰ってきてください。


それが無理なのなら、せめて連絡をしてください。オレじゃなく10代目にでいいんで。



あなたの無事が、ただそれだけが知りたい。



どうしてあの日からずっと音信不通なんですか。


どうして予定日数を過ぎても帰ってこないんですか。


どうして嫌な予感が拭えないんですか。



いくらオレが強くなっても。喉が治ったとしても。


あなたが傍にいないのなら、何の意味もないというのに。



「リボーンさん…」



あなたに、言いたい言葉があるんです。


あなたに、告げたい言葉があるんです。



その夢を、どうか叶えさせてください。





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お願いします。