朝。
リボーンは電子音が聞こえて目が覚めた。携帯の音。自分のだ。
ディスプレイを見てみればそこには獄寺の文字。こんな朝早くからなんだろう。
「なんだ?」
『リボーンさん、オレ、目が見えなくなりました』
「そうか」
リボーンは特に何の驚きも感じず返答する。淡々と。
「それだけか?」
『………』
聞き返せば、獄寺は沈黙を返す。言うことがないのではない。そうであれば、そうだと告げている。
『実は、オレ』
「………」
『多分、近いうちに死ぬと思うんですよ』
「そうか」
リボーンはやはり淡々と言葉を返した。
寝惚け眼のツナに獄寺の目のことを告げてやるとツナは固まった。そして急いで身支度を整えた。家を出る。
リボーンはそれから暫くしてから家を出た。外は快晴で、いい天気だった。
獄寺のマンションに着く。合鍵を使ってドアを開く。
「リボーンさん?」
「邪魔するぞ」
歩き、獄寺の肩に乗る。獄寺は嬉しそうに笑った。
「来てくださったんですね」
「ああ」
「嬉しいです」
獄寺はそう言い、それから二人でゆったりとした時間を過ごした。
何をするわけでもない。何を言うわけでもない。ただ二人でいるだけだ。
それでも獄寺は楽しそうだったし、満足そうだった。
だがそんな時間はあっという間に終わりを告げる。
インターホンが鳴り響いた。獄寺は立ち上がり、壁に手を付きながら歩き出す。
歩いている間にもインターホンは鳴っている。獄寺を急かすように。獄寺の眉間に皺が寄る。
「誰だよ」
「隼人!!」
ドアを開けると現れたのはシャマルだった。獄寺も想像してなかったらしく少し怯んだ。
「何か用かよ」
「何か用ってお前………目が…」
「…リボーンさん?」
「オレは知らねーぞ」
リボーンが知らないのならツナだろう。獄寺の目のことは今のところリボーンとツナしか知らないはずなのだから。
「…嘘じゃねーんだな」
シャマルが呆然としたように呟く。ここに来るまで話半分に聞いていたようだ。
シャマルが獄寺を抱きかかえる。
「何すんだよ」
「病院だ馬鹿。こんなところにいちゃ治るもんも治らねーよ」
獄寺は何か言いた気だったが結局何も言わずにシャマルに病院に連れられていった。リボーンも続いた。
病院に着いてから獄寺を待っていたのは検査の嵐だった。車の中でシャマルが何か電話をしていると思ったらこれのことだったらしい。
リボーンは獄寺に当てられた部屋で待つことにした。白い部屋。白いベッド。これから獄寺が過ごす場所。
暫くして獄寺が戻ってきた。看護師にベッドへ誘導される。看護師が去り、室内には獄寺とリボーンしかいなくなる。
「戻ったか」
「え? リボーンさん!?」
リボーンの声に獄寺が驚いた声を上げる。まさかリボーンが待っててくれるとは思ってもみなかったらしい。
「うわ、す、すいません! 待っててくださったんですか!? 退屈だったでしょう!?」
「気にするな」
言って、リボーンは獄寺に寄りかかった。獄寺はまた嬉しそうな顔をした。
「ああ、そうだ」
リボーンは獄寺に本を渡す。点字の本。早見表もある。
「やる」
「わ…ありがとうございます」
獄寺は早速本を開いた。早見表を頼りに少しずつ読んでいく。
そうしていると、獄寺の携帯が鳴った。獄寺は指を止め携帯に手を伸ばす。
「10代目?」
口を開くと、向こうから切羽詰った声が飛び込んできた。
『獄寺くん! 今どこにいるの?』
ツナだった。獄寺はやばい。という顔をした。
「ああ…すいません。実は今、病院にいまして」
『病院?』
「ええ。なんかオレ、入院することになりまして…」
程なくして電話は切れた。獄寺は頭を抱えていた。
暫くしてツナが病室に現れた。山本もいる。
獄寺は物音に気付いてドアの方を向いた。その目には何も映さない。
「ご…獄寺くん」
ツナの声に、獄寺はようやく来訪者が誰かに気付いた。
「あ、10代目。来てくださったんですか。先程はすいませんでした」
「い、いや、オレの方こそ…」
今にも泣き出しそうな顔をするツナの後ろから、山本が話しかける。
「大丈夫か獄寺」
「チッ、なんだ、てめーも来たのかよ」
「来ちゃ悪いのかよ」
言いながら、山本は笑う。いつも通りの獄寺に安心したのかもしれない。
「あのあとシャマルが来て…ここに連れ込まれちまいました」
「シャマルが…」
「大袈裟ですよね」
獄寺は肩をすくめる。本当にそう思っているようだ。
ツナが泣きそうな顔をしたまま質問する。
「…目の、原因は分かったの」
「いいえ」
あっさりと答える獄寺に、ツナと山本は少なからず動揺する。
「分からないそうです。原因不明。色々検査させられたんですけどね」
「そう…」
落胆するツナ。色の変わらない獄寺。空気を変えようと山本が声を出す。
「まあまあ、すぐに良くなるって!」
山本の能天気な声が響く。
リボーンは黙って聞いていた。
それから暫くして、獄寺は周りの声に反応しなくなった。
ああ、聞こえなくなったのか。とリボーンはすぐに理解した。
ツナにそのことを告げてやると、ツナは目を見開かせた。
静かだった。
獄寺は病室で静かに本を読んでいる。リボーンはただ獄寺に寄り掛かっている。
検査と食事が終われば獄寺は本を開く。早見表を頼りに少しずつ解読していく。
そうしていると見舞い客が来る。その日はディーノ。部下を連れてこなかったせいか見舞いの品を獄寺にぶちまけてしまい、獄寺の怒りを買っていた。
「何しやがんだてめー!!」
「わ、悪ぃ…」
ディーノはおろおろしていた。獄寺を怒らせたことだけではない。獄寺のことが心配で、だ。
「大丈夫なのか?」
ディーノの問いに、答えはない。獄寺は聞こえないし、リボーンは黙っているからだ。
ディーノは重いため息を吐いた。
それに応えるものも、誰もいない。
夕方になるとツナが来る。山本も来る。ただ顔色は悪い。口数も少ない。笑顔もぎこちない。
それに気付いているのかいないのか、獄寺は笑っている。穏やかな顔だ。三人の温度差が激しい。
リボーンはただ黙って聞いている。
それから暫くして。
獄寺が口をぱくぱくと動かしていた。
声は出ない。いつもは出ていたはずなのに。
獄寺はそのことに気付いていない。リボーンはそれを見て、
ああ、声が出なくなったのか。と、気付いた。
そのことをツナに告げてやると、ツナは唇を噛んだ。
その日は、珍しい客人が来た。
「邪魔するよ」
雲雀だった。
リボーンは横目でちらりと雲雀を見て、また顔を俯かせる。
獄寺は本を読んでいる。雲雀の来訪に気付いていないのかもしれない。
雲雀は二人の反応を特に気にすることもなく、ベッド脇の椅子に腰掛ける。
それからは無言だ。誰も何も話さない。ただそれは、決して居心地の悪いものではなかった。少なくとも他の見舞い客が持ってくる負の感情を、雲雀は持っていない。
静かだった。聞こえるのは獄寺のページを捲る音。開けられた窓から聞こえる風の音。木々のざわめき。それだけだ。
やがてツナが来て、沈黙は破られた。雲雀は気が済んだのかツナが来るとさっさと帰った。
ツナは獄寺に触れる。獄寺がツナを見る。ツナは獄寺の手を握る。その手は震えていた。獄寺は心配そうな顔をツナに向ける。ツナは今にも泣き出しそうだ。
リボーンはその様子を、ただ黙ってじっと見ている。
ある日、獄寺の様子がおかしかった。
身を起こしたはいいものの、それ以上何もしない。
腕はだらんとしており、何もしない。いつものように点字の本を手に取ることすら。
獄寺は困った顔をしていた。どこか残念そうだ。
リボーンは獄寺の腕が動かなくなったことを悟った。
そのことをツナに教えてやると、ツナは耳を塞いだ。
獄寺は本が読めないことが不満なのか、どこかつまらなさそうだった。
見舞い客が訪れる。皆驚く。動かなくなった獄寺の腕。何も出来ない身体。
皆顔を俯かせる。泣くものもいる。おろおろするものも。
獄寺は気付かない。誰かに触れられない限り。
誰かに触れられて、やっと獄寺はそちらを見る。誰かに気付く。
誰かに気付いて、獄寺は微笑む。それが獄寺に出来る精一杯の歓迎。
誰かの身体が震えていると獄寺は困った顔をする。それが獄寺に出来る精一杯の気遣い。
誰もいない時は獄寺はただじっとしていた。その顔はとても穏やかだ。
平和だった。
平穏だった。
獄寺の目が見えないことも、耳が聞こえないことも、声が出ないことも、腕が動かないこともすべて嘘みたいだった。
それくらい獄寺は落ち着いていた。
まるで全てを受け入れているように。
そして。
ある日、獄寺はいつもの時間になっても起き出さなかった。
死んだか? と一瞬リボーンは思ったが、そうではない。獄寺の胸は上下している。
検査の時間になり看護士が獄寺のもとに来る。その手付きはまるで腫れ物を触るようだ。
獄寺は動かない。
動けなくなったのだ。
そのことをツナに告げると、ツナは涙を零した。
獄寺は寝たきりになった。
食事の時間もなくなった。代わりに点滴を受け、それで栄養を補給している。
静かに時間が過ぎていった。時計の音がはっきりと聞こえる。もしかしたら点滴の液が落ちる音すら。
見舞い客が来る。皆辛そうな顔だ。もう誰も獄寺が治るとは思っていない。
夕方になる。ツナが来る。
情けない顔だ。とリボーンは思う。ツナは獄寺に真っ直ぐに付き、声を掛ける。聞こえないのに。
触れられて、獄寺は誰かがいることに気付く。そちらを向く。
微笑む獄寺。
泣き出す寸前のツナ。
無表情のリボーン。
三者三様だった。
ある日、リボーンは視線に気付いてそちらを見た。
獄寺が、こちらを見ていた。
目が見えなくなってずっと受動的だった獄寺が、初めて自分から行動を取った。
「………」
リボーンはただ黙って獄寺を見ている。
ふと、獄寺の口が動いた。その唇はリボーンの名を紡いだ。
そして。
「――――」
見えぬ目でリボーンを見て、利けぬ口で言葉を紡ぐと、獄寺はそのまま深い眠りについた。
そしてそれから起きることは、二度となかった。
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ああ、ありがとう獄寺。おやすみ。
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