オレの元にその指令が下ったのは、ついさっき。オレが済ました任務報告が終わった時だった。


「……え? リボーンさん、もう一度仰って下さい」


『だから。次のお前の任務は不審因子の抹殺だ』


「いえ、それは聞こえました。そのあとの…」


『ああ、そいつはボンゴレの私物を盗んでな。他にも上層部と揉め事を起こしやがった。このまま放っておいても…』


「いえ、ですから……」


本来、リボーンさんほどの大物の言葉を遮るなんてしてはいけないのに。オレはしてしまって。


「―――…その、オレが殺す奴の―――名前は?」


『ああ、そいつの名前は――』


リボーンさんは、無感情に、そしてきっと、無表情に――その名を告げた。


『山本武。………お前が、最後までマフィアになるのを反対していた奴だ』


言葉だけで意識が遠くなる体験は、初めてだった。



籠の中の小鳥



「な…」


何故。なんて言えない。理由は今聞かされた事だ。


「ど…」


どうして。とも言えない。本来なら、理由など与えられず、命じられた任務を遂行するのがオレの、オレたちの仕事なのだから。


「っ……」


だから。結局オレに言えたのは。


「…だから、言ったじゃないですか」


そんな、力無い言葉。


『ああ、そうだな』


「あいつには、向かないって」


『ああ』


「あいつには、日向が合ってるって」


『そうだな』


「リボーンさんの、バカ…」


『返す言葉もない』


それきり会話は途切れて。痛いぐらいの沈黙が流れる。



『―――なぁ、獄寺』



沈黙を破る。あの人の声。


『もしも。オレがお前に一つだけ願いを叶えてやるって、言ったら。どうする?』


ありえない事を呟く、あの人の声。


「…そうですね」


でも、これはきっと言葉遊びで。あの人にオレの願いを叶える気なんてきっとなくて。


「…じゃあ」


けれど、それでもオレはもしもの可能性を賭けて。


「10代目に、お取次ぎ願えますか」


オレのその言葉に、リボーンさんは止まってしまったかのように沈黙し。やがて珍しい――笑い声が聞こえた。


『ほ…―だか―…‥ただろ…最後は絶‥…――に頼るって』


リボーンさんの声は遠くから聞こえてきて。どうやらオレにではなく、別の誰かに言っているようで。


『…くくっ、いいだろう、お前の願い叶えてやる。好きなだけ話すがいい』


リボーンさんがそう言うと、電話の相手が変わった。…オレのよく知ってる、あの人だった。


『や。獄寺くん。あのリボーンの何でも叶えてくれる願いにオレを指名してくれて嬉しいよ』


「―――10代目っ!?」


オレは信じられなかった。あのリボーンさんがオレの願いを聞き届けてくれるなんて。思いもよらなかったから。


「本当に……10代目ですか」


『あははははっリボーン全然信用されてないね』


すぐそこにリボーンさんがいるだろうに、10代目は面白そうに、可笑しそうに笑う。


『…ま、オレは本物の綱吉だから。なんなら、オレと獄寺くんしか知らないような事をここで暴露してあげようか?』


「い、いえ…結構です」


『うん。オレもそうしたほうがいいと思う。………で、オレをわざわざ呼んだのって…』


「………」


『山本の、事?』


「……………。はい」


『ごめんね。オレには止められなかった。…それどころか、逆に山本に殴られちゃって…あはは。未だオレはダメツナのままのようだね』


悔しい、と苦い口調の10代目。自分を嘆いていた。


「…10代目。お願いがあります」


『…なに? やっぱり、任務破棄? だったら別の誰かにやってもらうけど』


気軽い口調で10代目はそう言って。でも、それをするのは言うほど軽いものであるはずがなくて。


―――けれど。


「…違います」


オレの口をついて出たのは、否定の言葉。


『…だろうね。そのくらいなら、リボーンに頼んでも良かった。わざわざオレに回したのは…何故?』


「―――10代目」


『うん』


オレは息をすっと吸って。覚悟を決めて。その言葉を放った。


「お願いです。山本を、堅気の世界に帰して下さい」



―――――時が。止まった。



暫く沈黙。誰も、何も話さない。話せない。


『…また、大きな事を言うね。未だかつてない、大事だ』


「分かってます」


『オレはボンゴレの10代目。そしてキミはオレの右腕。つまり部下だ。この意味、分かってる?』


「解ってます」


『オレの命にキミが動く事はあっても、キミの命にオレが動く事はない。あるはずがないって、判ってる?』


「判ってます」


わかってる故の―――願いなんです。


「10代目、これは、貴方の"右腕"のお願いではありません」


『―――――え?』


「…貴方の、"友達"の、獄寺隼人個人の。お願いですよ。…沢田、綱吉さん」


『―――――』


「…オレの友達の山本が、今いちゃいけない世界にいるんです。どうにかして助け出したい…でも、オレ一人の力では無理で…貴方の、綱吉さんの力が必要なんです」


『…ごく、でらくん――』


「…オレのお願い、聞いてくれますか?」


まさかそんなことを言われるなんて思わなかったのだろう。10代目は暫く沈黙して――けれど、やがて。


『…友達の頼みじゃ、断れないなぁ……』


「10代目―――」


『友達はオレの事そんな風に言わない』


すぐさま駄目出しが飛んでくる。オレは苦笑を隠しながら言い直す。


「綱吉さん」


『うん。…仕方ないなぁ、獄寺くんは』


電話の向こうから、おいツナ、なんて。リボーンさんの咎める声が聞こえる。


『リボーンは黙ってて。…あの時、獄寺くんの警告に従わなかったオレたちにも責任はあるって』


「10代目…オレ―――」


『気にしないで。…獄寺くんは溜め込み癖があって困る』


「でも…」


『いいから。…山本は今、そっちに向かっている。上手く空港まで誘導して欲しい』


一度こうだと決めた10代目の行動は早かった。前々からの計画のように、てきぱきと指示を出す。


『獄寺くん…』


「はい?」


急に、10代目の声がしおらしくなって。指示を聞き漏らすまいとしていたオレは一瞬判断が遅れて。


『ごめんね…』


だから。その意味も理解することが出来なくて。


『気付くことが出来なくて…ごめんね』


「10代目…」


やがて。オレは理解する。10代目が謝るその訳を。


「…10代目が謝ることではないです」


『でも…オレは気付けなかった。一番キミの近くにいたはずなのに。…気付けなかった』


「それでも…やっぱり貴方が謝ることではないです」


だって。オレにとってはあれは日常で。当たり前だったのことだったのだから。


「…って、まさかその情報を10代目が知ったのって…あの馬鹿がですか?」


『あはは。そう。いきなりオレの部屋に乗り込んできて…』


「まさかあの馬鹿が10代目を殴ったのって…それが原因なんですか?」


『あはは…』


力なく笑う10代目に、オレは怒りを通り越して呆れてしまう。


「……なんか、あいつを助けたくなくなりました」


『駄目だよ。計画は実行する。必ずね』


さっきまでと言ってる事がお互い逆になってる。それが何故だか可笑しくて。笑ってしまう。


「そうですか…そうですね。必ず。成功させましょう―――10代目」


『何?』


「ありがとうございます。そして―――――…ごめんなさい」


『―――うん。でもその言葉は、オレに直に言って欲しいなぁ』


「いえ、きっともう。オレは―――貴方に逢えません」


『……え? ちょっと、獄寺くん?』


「だからこの場で…10代目、今まで、本当にありがとうございました」


『――獄寺くん…? …待って、獄寺くん!』


「オレは山本を空港まで送ったあと―――ミッション『オールデッド』に参加します」


『そんな―――オレは認めない! 獄寺くん戻って来い!!』


「10代目、オレがまともに動けるのは今回が最後になるでしょう。今回を逃したら、きっとオレはただの役立たずに成り下がります」


『だからって…!』


埒が明かないと悟ったオレは、10代目から意識を逸らす。


「…リボーンさん、聞こえているのでしょう? オレは『オールデッド』へ踏み込みます。許可を」


『ああ、どうせ最後だ。派手に散って来い』


リボーンさんが10代目の電話をもぎ取ったのだろう、声が聞こえた。


「…ありがとうございます。今まで、お世話になりました」


10代目の声が遠くで聞こえる。 止めろ 行くな オレは許可なんて出してない そんなことをしたらオレは一生キミを許さない!


携帯から聞こえる10代目の声の更に遠くから。何か音が聞こえてくる。それは人の足音。…あの馬鹿の、足音。


――さて、どう誘導しようか。嘘は嫌いだがこの際仕方ない。さてどうしようとぼんやりと考える。


…ぼんやりついでに、感情が凍結していくような錯覚を覚える。…まずいな、この感覚は確か、発作の前兆―――


思考が追いつく前に。その人物が現れる。閉じていたドアを乱暴に開けて。オレを見て。


「一緒に、逃げよう」


開口一番に山本はそう告げた。汗だくになりながら。それでもオレを真っ直ぐに見て。





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オレはお前を、何も知らない振りをしながら見返す。


空を見上げた深海魚」に続く。