その子はずっとそこにいた。
オレが日中、中庭を走り回っているときも。
オレが夜中、勉強をさせられているときも。
その子はずっと、そこにいた。
枷せられた道
あの子はどうしてあんなところにいるの?
オレ、あの子と遊びたいよ。
あの子はなんでいつもあそこから出て来ないの?
オレ、あの子と友達になりたいな。
オレが周りの大人にそう問い掛けても。大人は不思議なことを言うばかり。
あの子? あの子とは一体誰の事だ?
あそこ? あそこはただの廃墟だよ。
友達? 貴方にそんな物は必要無い。
ところで―――あの子というのは、一体何の事だ?
オレには分からなかった。
大人が嘘を付いているのか。それともあの子はオレにしか見えない存在なのか。
だからオレは、夜中にこっそりとそこに行った。あの子を確かめるために。
いつもあの子がいるそこは、たしかに大人たちが言ってるみたいに廃墟にも見えた。
あの子はいつもその廃墟の中から、窓越しに外の世界を見つめていた。
あの子はそれ以外の事はしなかった。していなかった。オレにはそれが不思議でならなかった。
だって、外の世界は楽しいから。その事をオレは知っているから。
庭を思いっきり駆け巡ぐって。疲れたら噴水で水浴びして。眠くなったら木陰で昼寝して。
…でも。それをするのはいつも一人だけでだったから。それが少しだけ不満だった。
だからあの子と一緒に遊びたいと思った。そしたらきっと、オレもあの子も一日が楽しくなると思ったから。
…あの子はこんな夜中でもその廃墟の中から外を見ていて。空を見ていて。
オレも夜空を見上げる。月が大きくて綺麗だった。
そのまま惚けていたくもなったけど。それではオレの目的が果たせないから。
足元に転がっている小さな石を拾い上げて。オレはその子に気付いてもらえるようそれを窓に向かって投げた。
コン、と軽い音がして。その子はびっくりして。オレの方を見た。
…きっと床が高いのだろう、オレとその子の高さの距離は五メートルぐらいあった。
だからオレはその子を見上げる。だからその子はオレを見下げる。心なしか驚いた顔で。
「こんばんは」
「………」
オレは夜の挨拶する。その子はまだ驚いている。
「今日はとてもいい月夜だね」
「………」
その子は何も言わない。…何を言えば良いのか分からない、そんな感じだった。
「いつもそこから、外を見ているよね。ね、なんで出て来ないの?」
「………」
「………」
そして訪れるは、静寂。
ただ、その子が何かを言おうとしてくれてるのが分かったから。オレは焦らずに待った。
やがてその子は、静かに静かに口を開いて。言の葉を漏らしてくれた。
「…オレに……関わらない方が、良い」
でもそれは、オレの質問の答えではなかった。
「オレは――…幽霊、だから…」
「幽霊?」
はて。この子は死んでしまった子なのだろうか。ここから見えるのはその子の胴から上までだけど、もしかしたらこの子には足はないのだろうか。
でも幽霊というのは、たしか昼間は出てこないのではなかっただろうか。オレはこの子をいつも見ていた。それこそ昼も夜も。
オレがそんな事を考えている間も。その子は言葉を漏らす。
「オレに、関わると…きっと、ロクな事にならない。だから…」
その子の口調はとてもゆっくりで。何故か違和感を感じさせた。なんだろう。何故だろう。
「…でもオレは……キミと、友達になりたいな」
オレが素直にそうだと言っても。その子は顔を曇らせるだけだった。
そうしているうちに、オレを探しにか無数のライトがオレのいた建物からやってきた。
「…あちゃー…オレ、もう行かないと。…もう少しキミと話をしたかったんだけど――」
………あ。そうだオレ、大事な事をまだ言ってない。
「まぁ仕方ないね。じゃあオレ行くけど、また来るから」
その子は何も言わない。ただオレをじっと見ているだけだった。
「オレ、沢田綱吉って言うんだ」
その子の目が、少しだけ見開かれた―――ような、気がした。
「キミの名前…次に逢ったときに。教えてね」
それだけ言って、オレは眩しい光の差す元いた場所に戻っていった。
だから………
「そっか…あの人が……」
オレが去ったあと、あの子がとてもとても小さな声でそう呟いたなんて。オレは知らない。
知っていた。あいつがオレを興味深そうに見ていたことは。
だってオレがここに来てから。あんなにも大きく動くものは、他になかったから。
オレが今まで見てきた動くものといえば、それは木々の揺らめきとか、鳥の羽ばたきとか。そんなものばかりで。
だからあいつが来た日は。覚えてる。オレが今まで見てきて景色が一気に変わった日だったから。
…ああ、そうだ。あいつの正体を知ったからにはあいつなんて言ってはいけないか。じゃあ、あの人で。
とにかく、オレはあの人を見ていた。ずっと見ていた。ただ目線だけは合わせずに。それでぼんやりと見ていた。それだけだった。
別に、他には何も望んではいなかった。…でも、あの人はきっとオレの事を知らなかったのだろう。とにかく、あの人はオレの所へと来た。
そして話しかけられた。…人間扱いされたのは、久しぶりだった。
…というか、惚けていてオレはあの人に気付けなかった。ああ、あの時は本当に驚いた。
でも。オレはなるべくそれに気付かれないように素っ気無く話し返す。
オレに対する興味を失わせるように。
―――もう、来ないように。
…言葉を発するのは久しぶりだった。ここ数年、オレはたぶん何も言ってはいない。だから一つひとつ言葉を発するのに、実は苦労していた。
オレはオレを幽霊と言った。別に間違ってはいない。
―――何故なら。オレはもうすぐ――…
それに、周りの人間はオレをまるで見えてはいないのかのような対応を取るから。時には、本当にオレが見えてはいないかのように。
だからオレは幽霊なのだと。あの人にそう言って、初めて自覚が持てた。オレは幽霊だと。
オレがここに幽閉されて。唯一許された自由…窓の外の世界を見る事。それを、それだけを毎日やっていたら。やって来たあの人。
沢田綱吉。………マフィアの全てを束ねるボンゴレファミリーの、時期10代目。
オレとは世界が違う。だからオレの元へはもう来れないと思う。…来るべきではない、とも。
だってオレは、オレは………
ぽたりと、頬を何かが伝う。
手に取ってみると、透明な液体だと分かった。…知識としてだけで知っている涙だった。
初めて流したそれにオレは驚く。今までこいつを流したことなんてなかったのに。
いきなり親元から引き剥がされた時も。
突然ここに幽閉された時も。
あいつらに * * * と言われた時だって。オレは無感情に聞き流したのに。受け入れたのに。何故、今頃……
何が原因なのだろうか。何がオレをここまで弱くさせたのだろうか。それともオレの限界が近いのだろうか。
分からなかった。何もかもが、分からなかった。
オレ、沢田綱吉って言うんだ――
ふと思い出された、あの人の名前。
キミの名前…次に逢ったときに。教えてね――
ふと思い出された、あの人の言葉。
オレは次なんて来ない事を分かっていながら。それでも自身の名を思い出そうとして―――
そしてオレは、長い間 * * * としか呼ばれていなかった事に、有ったはずの名を忘れてしまっていた事に気付いて。
言葉を、失った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
思い出そうとして、頭が痛む。
→