…確かに、オレはきっと世の中ってのを甘く見ていたんだと思う。
教科書の中の残酷な話もどこか絵空事で。現実味がなくて。
だからオレは、きっと。…ずっと。
獄寺くんが実験体だなんて。信じていなかったんだ。
枷せられた道
「―――は? 今何て言ったの? シャマル」
「何度も言わせるな…ったく。――隼人の事は、忘れろ」
あいつの実験の決行日が決まったんだと。そういうシャマルの言葉を瞬時に理解したオレはすぐさま踵を反して。
あそこまで行こうとしたオレを、けれどシャマルが捕まえる。
「離せ! 離せよシャマル!」
「行っても。あいつはもうあそこいはねーよ」
「だったらオレが行ってもなんら問題はないだろ!」
「………。それもそうだな」
ポイって風に、シャマルはオレを離して。急の事についていけなかったオレは壁に激突して。
いつもよりも少しおかしいシャマルに疑問を浮かべながらも、オレは獄寺くんの元へ…いつものあの場所へと、走った。
いつもの場所。いつもの時間。なんら変わらない、いつもの風景。
…獄寺くんがいないということを、除けば。
見上げればいつもいつもいつも同じ場所に、そこに佇んでいたはずの獄寺くんも、今はいない。
―――どこにも、いなかった。
それは、まるで叩きつけられるような衝撃。堕ちるような感覚。
「分かったか? ボンゴレ坊主。…これが、世の中だ。自分の思い通りになんか、ならねぇ」
気がつくと、背後にはシャマルの姿があって。
「分かったら、忘れろ。…それで全てが終わる」
言って。言い捨てて。シャマルはその建物に近付いていく。
「……? シャマル。どこに行くの?」
シャマルは振り返らずに。歩みを緩めずに。…言い放った。
「どこって。決まってるだろ。…隼人の所だよ」
下る降る。階段を一歩ずつ、ゆっくりと降りていく。
あいつらはオレを急かさない。自由にオレを移動させてくれる。
…ただ単に、オレが最後に受けた実験の過程を観察しているだけなのだが。
オレが最後に実験を受けた時、オレにはなんら反応がなかった。
様々な調査をされたが、どれもこれも意味を成さなかったらしく。オレはそのままここに幽閉された。
オレにはどこに観察の目があるのか分からなかったけど。でもきっと、オレは延々と観察され続けていたのだろう。
…ああ、もしかしたら何か成果が出たのかもしれない。だから次の実験に移されるのかもしれない。
―――だとしたら。一体どんな成果があったのだろうか。
オレの身に起こった変わった事といえば…10代目と知り合ったこと。
…もしかしたら、10代目から引き離すために実験を早めたのかもしれない。そっちの方が納得出来た。
―――いや。それも違うか…?
オレと10代目が会ってから約一ヶ月…流石にそれは時間のかけすぎだ。オレを移動するだけなら、それこそ一日もかからないというのに。
だとしたら…他にある何か? 例えば昨日会った……シャマルとか。
シャマルと会って、オレに起こった変化…?
―――あぁ。
そういえば、あった。一つだけ、10代目に会ってからオレの身に起こった―――変わったこと。
ぽろぽろ。ぽろぽろ。
目から溢れ出る、止まらない液体。
―――隼人。
思い出せない、けれど優しい声。
誰の、声なのだろう。
シャマルは知っていたみたいだったけど。
……オレを、名前で呼ぶような大人は…シャマルの他には、いなかった。あそこには。…獄寺の、屋敷には。
なら。その人は大人ではないのだろう。けれどオレよりは年上な気がする。
なら…。
そうか。
何で今まで気付かなかったのだろう…その人はきっと、オレと同じ獄寺の子供だ。
パンッと、頭の中で何かが弾ける感覚。
その感覚は痛みすら伴い、オレは思わず顔をしかめる。
…なんだ?
それを追究する前に。
ドサ…
身体が、倒れた。
「―――ぇ」
頼りない、小さなその声はオレ自身のもの。突然の事に思考が着いて行けない。
あいつらはオレに何もしてこない。…いや、正確にはしている。
オレの、観察を。
遠目に見えるあいつらは、カルテのようなものに素早く何かを書いていて。確認するように見てくるその目は。
あの時と同じように、無機質で、無感情で―――
…あの、時?
パンッと、またも撃たれるような感覚。そして溢れ出だす記憶の数々。
思い、……出した。
それは懐かしくも、目を背けたくなるような。
それは思い出したくない、けれど忘れたくない日々の――…
ぎぃっと重々しい音を立てながら。その廃墟に入り口が出来た。
「…って、獄寺くんはここにはいないんじゃなかったの?」
「見える範囲にはな。…あいつがいるのは、ここの地下だ…つーかお前、着いてくるつもりか?」
「当たり前」
何を言われても。引くつもりなんてなかった。
身構えるオレの心情と裏腹に。
「あっそ」
シャマルは特にオレを追い返したりはせずに。そのまま廃墟の中へと入っていった。
予想外のシャマルの行動に唖然としながらも。オレは一歩送れてシャマルの後を着いていった。
その廃墟の中は外の世界と全く違った。
中に入った途端、ひんやりとした空気が来訪者を洗礼する。…なんだ、この温度差は……
続いて足に今までと違う感触を味わう。…この中には、硬い固い石しかなかった。
靴越しに、震えるほど冷たい温度がオレを襲ってくる。
そして、ここは暗かった。電気なんて洒落たもの、一つもなかった。
なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ・・・!
こんなところで、人は生活していけるのか? これではまるで牢獄ではないか。いや、まだ牢獄の方が救いがある・・・!!
「ボンゴレ坊主、どこに行くんだ? 隼人はこっちだぞ」
獄寺くんの部屋に行こうとしたオレを、シャマルが呼び止める…そうだ、まずは獄寺くんだ。
シャマルのあとを着いていって、オレは地下へ地下へと降りていった。
いつまで経っても起き上がる気配のないオレに、あいつらは痺れを切らしたかオレを荷物のように担ぎ上げて。運んでいった。
それに悪態をつく暇もなく。オレの頭には今まで忘れていた記憶が次々と蘇っていく。
それは周りの大人の奇異の視線とか、それに対する反発とか。
それは優しかった数多い兄や姉とか、数少ない幸せだった思い出とか。
流石に大人の足は速い。あっという間に降りていく。
オレの身体に力はもう入らず。されるがままな状態だった。頭に浮かぶ記憶が、痛い。
それは消えて行く兄姉とか。その疑問に答えてくれないみんなとか。
最後まで優しかった、そして消えてしまった。あの優しい姉の事とか。
―――そしてオレに降りかかった、苦しくも辛い実験の数々とか。
どれだけ降りたのか、ようやく終わりまで降りてきた。
この階段の、そしてオレそのものの。終わりまで。
奴らは直ぐにオレの実験の準備に取り掛かる。それもあっという間に終わって。
それすらも、オレにとっては最早些細なもの。オレの頭には色んなものが思い出されていて、それに興味を持つ暇すらなかった。
…最初の実験では、そう。オレの感情の大半が消え去ったらしい。
二度目の実験で、走ることが出来なくなって。
三度目の実験では内臓機能の低下が確認され。
四度目の実験でオレは―――そうだ。
オレの実験が始まる。それと同時に、オレは思い出した。あの実験で、オレは―――
それまでの記憶を、ほとんど失ったんだった。
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やっと思い出した。
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