「どうして」 と。お前にそう問いかけるのは酷なことだろうか。


「そうだから」 と。そう言うお前は本当に納得していたのだろうか。


「仕方ない」 と。オレはそうお前に言い訳して逃げていたのに。


「今更」 と。例え全てに責められても。それでもオレは…



枷せられた道



「………記憶…を?」


「ああ、そうだ。自分が獄寺の子供で、実験体であるという事とかは覚えていたが…自分にどういう実験がされたのか。そして数多くいた兄姉の事をほとんど忘れていた」


階下へ降りる途中、シャマルに獄寺くんのことを聞いてみたら…獄寺くんの過去を少し。教えてくれた。


獄寺くんの身に降りかかった、その実験のことも。


最初の実験で、感情の大半を失ったらしい獄寺くん。……ああ、そうか。


たしかに獄寺くんは、感情を激しく表に出すようなタイプには見えなかった。生まれつきかと思っていたら、それは違ったのか。


「それで最後に五回目の実験を受けたんだが…そのときは身体に何も訪れなかったらしい」


「何もって…どういうこと?」


「だから。そのままの意味だ。何の変化も見られなかった。実験前となんら変わらなかったんだ」


「それって、実験は失敗したってこと?」


「たぶんそうだろうな。…だが、あいつらはそうだとは思わなかったんだろうよ。長期的に見て、何らかの成果を生み出そうとした。だから隼人はここに幽閉されたんだ」


「何それ…それって、ただ単に自分の失敗を認めてないだけじゃん…ああ、最後の実験体って、そういうこと…」



「―――そうだ。そしてその日から今日までの間ずっと、隼人はここで観察されて続けていたという訳だ」



カツンと、シャマルの靴が硬い石の階段に響いた。


「…ずっと?」


「当たり前だろうが。24時間体制で延々と―――隼人に何か変化が起こるまで。続けられた」


「―――――」


何かの変化が起こるまで、延々と…


オレは当たり一面石で出来た、この施設をぐるりと見渡す。


オレは最初、この施設の事を廃墟だと教えられた。


廃墟は人が住む場所じゃない。あいつらは獄寺くんの存在を知っていながら。この場所を廃墟だと言った。


ここは廃墟なんかじゃなかった。


オレは、この場所をまるで牢屋のようだと思った。


牢屋はまだ人が住める場所だ。…人権は認められていないけど。


…でも。違った。オレの認識は甘かった。


ここは牢屋でも…ましてや、廃墟ですらなかった。


――ここは…実験場だ。


いいや。もっと分かりやすく言うのなら。…ここは、試験管の中だ。


あいつらが獄寺くんの実験の過程をずっと観察していたというのなら。きっとそれが的確な表現。


ここは人が住むべき所ではなかった。人が住める所でもなかった。


この場所に人権なんてものは…最初からなかったんだ。


「…シャマル」


「なんだ」


「なんで…獄寺くんは、それを受け入れたの?」


正直。それは並の人間が受け入れられるような事柄には思えなかった。


大の大人でさえ反発しそうなその酷い扱いに。どうして獄寺くんが受け入れられたのかどうしても分からなかった。


「…それはこの前、オレが聞いたな。あいつは自分の立場が分かってるから・って答えやがったが」


自分の、立場…?


それは。自分が獄寺の子供だから。という意味だろうか。


獄寺くんはそうだという事実だけで。立場だけで。受け入れられたのだろうか。


「…本当に?」


それはシャマルに聞いた一言ではない。独り言のような薄い呟き。


―――だって。オレには信じられなかった。


たったその程度の理由で、あんなにも理不尽な扱いを受け入れられるのだろうか。


「…ちげぇよ」


オレの小さな呟きは他に音のないこの空間では思った以上に響いたようで。それにシャマルが応えてきた。


―――それは、違うと。


「…え?」


思わずシャマルを見上げる。シャマルは相変わらず前を歩いていて。その表情は見えない。


「あいつは苛まれてるだけさ。たったそれだけの事で、我慢しているだけだ」


「苛まれてるって……一体、何にさ」


そもそも、獄寺くんには苛まれるような事柄は一つもない。獄寺くんは、被害者なのだから。


「―――そらお前。あいつの前の実験体…兄姉たちに決まってるだろーが」


―――。


思わず足が止まってしまった。バランスを崩して転びそうになるのを、壁に手をつくことでやり過ごす。


その間に高速で思い出す。この前勉強し直した―――獄寺家の事。


獄寺家は自分の子供を実験体として兵器を開発する。


最初は獄寺の血を継ぐ子供だけだったが、ある日大きな抗争があって…


親無しの子供が、急激に増えた時期があった。


獄寺家の人間はその子供たちを引き取った。…獄寺家に来るか来ないかの自由は子供たちに任せて。もちろん実験の事なんて一言も言わなくて。


それを不運と呼ぶか、幸運と呼ぶかは意見が分かれている。


何故なら実験体として呼んだとしても、そこでは実験を受けるまでは生活は保障されるからだ。


身を守るための服も、温かい食事も、柔らかいベッドだって。彼らには与えられる。


スラム街で死ぬか、実験体として死ぬか。…それを天秤にかけろだなんて、それは酷な話ではないだろうか。


「…その兄姉たちは、獄寺くんに冷たく当たったりは。しなかったの?」


けれど彼らにも、騙されたという感情はあったのではなかったのだろうか。


そしてその矛先は、幼い、そして獄寺の血を引く獄寺くんに向かったのではないのだろうか。


けれど、そんなオレの考えはシャマルにあっさりと一蹴された。



「馬鹿言うな」



…それだけの一言に、全てが詰まっていた。


獄寺くんは兄姉に苛められはしなかったと。…むしろ、その逆だと。


「―――そっか。獄寺くんは兄姉たちに悪いって思ったんだ。だから、実験も受け入れたんだ…」


なんて、皮肉。


話を聞いた限り、それはそれは愛されてたであろう獄寺くん。


他の兄姉は獄寺くんに実験なんて受けてほしいなんて思ってなかっただろうに。


獄寺くんはその兄姉が実験を受けて、自分が受けないのは間違ってると。実験を受けないということは、逆に罪悪感を感じることなんだ。


「それで何回も実験を受けて。それでまだ生きているのだから…ああ、ホントに皮肉だ」


こんな悪趣味なこと、一体誰が仕組んだのだろうか。まるで終わらない悪夢のようだ。


「―――って、だったらそんな、のろのろと歩いていて良いの!? もっと早く行かないと駄目なんじゃない!?」


「行きたきゃ、先に行けばいいだろ。別にオレは隼人の実験を止めに行くわけじゃねぇからな」


―――は?


「何、それ…シャマルは、獄寺くんを助けに行ってるんじゃ、ないの?」


「…そんなこと一言すらも言った覚えはないが?」


「な・・・!」


ぐるぐると頭が回る。混乱する。


「じゃあ何で、獄寺くんの元へ行こうとしているのさ!」


「お前には関係ない。…行くのならお前だけで早く行け。もう実験が始まってる頃だ」


「―――――!!」


オレはシャマルに言ってやりたい文句も忘れて。前をゆっくりと進むシャマルを押し退けて。走り出した。





ボンゴレ坊主が走り去り。辺りは静けさを取り戻す。


聞こえてくるのは歩くたびに響く靴音のみ。なんて静かなこの空間。


こんな自分が動かなければ何の音もしない場所で。どうしてあいつは正気を保っていられたのだろうか。


…それは。やはり最初の実験の成果が原因だろうか。


あの実験の後。隼人は笑わなくなった。…いや。消え行く兄姉に嘆くことも。現れる大人に怒ることも。なくなった。


何もせずに毎日を過ごして。そして実験が行われる時は何の文句も言わずに研究員に着いて行って。


そして起こり得た結果に何の不満も持たずに。過酷な実験に生き残ってはまた何もしない毎日を過ごしていった。


そうした日々が通り過ぎて。あいつはここに閉じ込められた。それは不運か幸運か。


あいつが六回目の実験に呼ばれたのは、きっと変化が起きたからだ。


――昔の記憶が蘇るという、変化が。


本当に五回目の実験の成果なのかは知らない。もしかしたら四回目の実験の効果が切れただけなのかも知れない。


どっちにしろ、それには何かしらきっかけがあったのだろう。そうでなければタイミングが良すぎる。


「そのきっかけは、やっぱりあの坊主か…?」


自分と同い年の少年を見て。兄姉を思い出したのだろうか。


…ああ、だったらボンゴレ坊主を恨まなかった理由も。分かるな。


「あいつ弟がほしいって、言ってたからな…」


あいつよりもあとに出来た実験体は、全て孤児で。あいつよりも年上だったから。


さてっと。オレは白衣の中に、無造作に腕を突っ込む。


そいつの感触を確認して。これからすることを確認して。


そしてオレは、あいつの腹違いの姉の。最後の言葉を思い出す。



―――シャマル。いるのでしょう? Dr.シャマル。


わたしは、あなたの事なんてこれっぽっちも信用していない。


…でも。頼れる大人が、あなたしかいな事も。確か。


だから…お願いが、あるの。


シャマル。


どうか、隼人に実験なんてさせないで。


それが出来ないのなら…



あの子を、楽にしてあげて―――



オレが信用出来ないって。それはその通りだ。


何故ならオレは、彼女の最後の願い出さえ。どちらも叶えきれないでいるのだから。


彼女は自分がこれから実験に行くというのに。これから死ぬというのに。あの弟の事のみを心配したというのに。


そんな彼女の切ない思いでさえ。大の大人のオレは叶えきれなかったのだから。


…でも。


「ようやく。叶えてあげられそうだよ。…ビアンキちゃん」


誰にいう言葉でもなく。オレは呟く。


ボンゴレ坊主が何をするか。どうするかなんて関係ない。


―――もう、あいつの未来は決まっているのだから。





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さぁ、最後の子供を楽にしてあげよう。