まずどれから言えばいい?


まず何から責めればいい?


ああ、もう、待ってよ。お願いだから。


オレの元から獄寺くんを―――遠くへ連れて行かないで。



枷せられた道



長い長い階段を走って降りる。しかしどこまで行っても全く終わりは見えてこない。


焦りが出てくる。息が辛い。足が重い。けれど走ることを止めることは出来ない。


オレが休む間に、獄寺くんが苦しむのかと思うと―――


オレは更に速度を速めて走る。止まったら心臓がどうなるか怖いぐらい。


それでもオレは、足を止めることは出来なくて。急いで、急いで地下へ地下へと降りていった。


…一刻も早く、獄寺くんに逢うために。



どれほど、走ったのだろうか。気が付いたときには足はまるで棒のように動かなくなってて。


どこまで行っても変わらない風景に、本当に少しでも進んでいるのか確証がもてなくなって。それでも進んで。


そして、ようやく……辿り着いた。


階段は終わり、広い室内が現れて。


そこには白衣を着て、何かを一心不乱に書き込んでいる大人が二人と。


そこらじゅうに散らばった、なんだかよく分からない大きかったり小さかったりする毛の塊と。



……ぐったりして、まるで動かない獄寺くんと。



「ご、獄寺くん!」


思わず叫び声を上げるオレ。それでようやくオレの存在に気づいた大人。…獄寺くんは、何の反応も示さない。


不吉な念に囚われて、オレは獄寺くんの元へ駆け寄ろうとする。…役立たずとなった足が、痛みを訴えた。


「………っ」


膝を曲げる度に激痛が走るが、それでもオレは獄寺くんの元へと急いで移動して。


大人はオレを止めはしなかった。予想外のアクシデントも、実験の貴重なサンプルだと思っているのだろう。


けれどそれは今のオレにとってはありがたい事だった。転びそうになりながらも、オレは獄寺くんの所へと行けて。


…獄寺くんに近付いて、分かったこと。――あの、よく分からない毛の塊。


それは動物の死体のようだった。暗くてよく見えないけど…鼠に、兎に…犬、それに――狼?


何故そんなものの死体がこんな所にあるのか、オレには理解不能で。それよりもオレの胸にはさらに不安が横切って。


――この、動物たちの死体のように、獄寺くんも…なんて不安が胸を横切って。


「…ごく…でらっ――くん…?」


たった数十メートルの移動だったのに。体力の限界だったオレは獄寺くんの名を呼ぶだけですら息継ぎが必要だった。ああもうこの体力のなさが恨めしい。


獄寺くんはオレの言葉に少しだけ反応して。そしてゆっくりと顔を上げて。オレを見た。


「じゅ―――だいめ…」


良かった…生きてた。


けれどそのことに安堵の息をつく暇もない。獄寺くんはぽろぽろと大粒の涙を零していた。


「ご、獄寺くん大丈夫!? どこか痛いの!?」


いやいや違うだろオレ! 実験されたのに痛いも何もない! 早く休ませないと・・・! でもどこで!?


考えるオレに、獄寺くんは信じられないことを言う。


「オレから…はな、れてください……10代目…」


「なんで!!」


シュ…


―――それを。


避けられたのは、全くの偶然だった。


獄寺くんの―――


攻撃を、避けられたのは。


「ぇ―――」


小さく漏れた声は、オレのもの。頬から一筋の赤いモノが流れて。続いて痛みを感じて。


「…だから離れて下さいって。言ったじゃないですか」


その言葉を言う獄寺くんは、泣いていて…でも、無表情で。


それが、不気味に感じられて。


「…今からでも、間に合います。―――10代目、オレから離れて下さい」


じゃないと。と。獄寺くんは言った。続けて言い放った。


「オレ…貴方を、殺してしまいます」


涙はもう、零れてはいなかった。





いつの間にか、実験は終わっていたようだった。


何をされたのかなんて、もううろ覚えにしか覚えていない。鮮明に覚えているのは、いつも通り痛くて辛かったということ。


実験体のモルモットに麻酔なんて使わない。苦しむ姿すら実験の過程なのだから。


大体の人間は実験が終わる前に、その痛みで死に至るらしいのだが、オレは最初の実験で感情の大半が消え失せたらしいから。


だからオレはどんなに痛くっても。それを遠くに感じるので死ぬことはないと。そういうことらしい。


けれどやっぱり痛いことには変わりない。そして辛いことも。


――ここでは、オレはヒトなんかじゃないって。再確認されるから。


そうした思考や無数の薬物投与などに耐えているたら、あいつらはオレの元に動物を次々と投げてきて…


そいつらは薬か何かでだろうか――凶暴化していて。…オレに、襲い掛かってきた。


そしてオレの身体は、まるでオレの命令を聞かず。勝手に動きやがって。…その動物たちを殺していった。


もちろんオレの身体は長い間幽閉されていたり、…何より、幼い子供の身体なので攻撃だけでその部位に負担が生じる。


びきびきと関節が痛む。咬まれた部分が痛い。――でも、それでもオレの身体は止まらない。傷と痛みが増えていく。


暫くして動物たちが動かなくなって実験が終わって。オレの身に起きた変化といえば。恐らくは実験の副作用だろう――涙が零れて、止まらなかった。


拭っても拭っても、溢れ出るそれ。止まらないので放っといて。疲れたので横になっていたら。


…聞き覚えのある声が、聞こえたような気がした。


けれどそれは有り得ない事だとすぐさま理解出来たから。オレはそれを幻聴だと決め付けた。


―――決め付けたのに、どうしてこの人がこんな所にいるのだろう?


虚ろな意識で。でもそこにいるのがあの人だと分かって。上手く声は出てくれなくて。


…また、身体が勝手に動こうとするけど、何とか我慢する…この人だけは、攻撃するわけにはいかない。


――いかないのに。ああ、どうしてこんなにも身体は無情なのだろう。少しずつ自由が利かなくなってくる。


離れろと途切れ途切れにそう言っても。あの人は全く離れてくれない。駄目だというのに、どうしてこの人は――


身体が勝手に動く。止まらない。止められない―――避けて下さい10代目!!


オレの願いがどうにか届いたのか、それとも10代目の身体能力が優れていたのか。…とにかく、10代目は避けてくれた。


…けど。それも完全にというわけではなくて。10代目の頬に傷がついてしまった。


「…だから離れて下さいって。言ったじゃないですか」


涙が止まったのが分かる。ただでさえ少ない感情が消えて行く。


「…今からでも、間に合います。―――10代目、オレから離れて下さい」


―――じゃないと。


「オレ…貴方を、殺してしまいます」



10代目は茫然としている。…それはそうだろう。いきなり殺されそうになったのだから。


ああ、くそ、思考が消える。意識が遠のく。この人は、この人だけは殺してはいけないのに。


頭が重くなっていって。…駄目だ。今暗闇に身を任せたら、…とんでもないことになる。


なのに…痛い。ああ、もう。駄目だって。誰か、誰か…オレを―――


―――パンッ


大きな音が、聞こえたような気がした。


続いて先程とは違う、抗いようのない意識の消失。


最後に、視界の中にあいつが収まって――…


そのままオレは、硬い硬い床に、倒れた。





物事がまるで閃光のように速く通り過ぎて行って。オレはただ黙って見ていることしか出来なかった。


何かを堪えているような獄寺くん。ゆっくりとこっちへ向かってきて。…その拳を、振り上げて。


…そっか。獄寺くんはオレを攻撃するんだなと、ふと理解した。なんでなんて。知らないけど。


獄寺くんはゆっくりと、オレを見据えて。その拳を、振り下ろそうとして―――


―――パンッ


乾いた音が、聞こえた。


獄寺くんがびくりと震えて…


ドサッと、そのままオレの目の前に倒れてしまった。


「…ごく…でらくん?」


ゆっくりと近付いて。触れる。しかし獄寺くんは動かない。


ゆさゆさ。揺すっても獄寺くんは身動き一つしない。ゆさゆさ。


「おき…てよ。起きなよ。獄寺くん」


ゆさゆさ。ゆさゆさ。


一体誰だろう。獄寺くんにこんなことして。先程の研究員だろうか―――許せない。


振り返ると、そこには一人の人間が増えていた。…Dr.シャマル。


シャマルのその片手には…黒光りする、ヒトを殺すだけの凶器が収められていて……


「Dr.シャマル! 何故邪魔をした!!」


大人がシャマルに突っかかってる。…大人にとっても、シャマルのしでかしたことは計算外の事だったらしい。


怒鳴られているシャマルといえば、面倒臭そうに大人たちを見ているだけで。


「――何故も何もねぇよ。実験体を扱う上での条令第32条に則って実験体を処理しただけだ。…お前らこそ、未来のスポンサーが殺されそうになっているって時に何突っ立って見ているんだ?」


大人たちが驚いてオレを見る。…どうやら、研究者という奴らは研究対象以外には無頓着のようだった。


獄寺くんでさえ知っていた、時期ボンゴレ10代目がオレであるということすら、知らなかったようなのだから。


シャマルは大人を引き離して。オレたちの元へと歩いてきては、獄寺くんをまるで荷物のように軽々と持ち上げて。


そしてシャマルはオレの事なんてこれっぽっちも見ておらず、飄々とした態度でとんでもないことを言い出した。


「じゃ、オレは今から条令第33条に則って実験体ナンバー: 8-810番を破棄する。異論はないな」


………破棄? 何を…? ていうか実験体ナンバーって…… 8-810番? …なに、それ。


大人たちは何も言わなくて。それを肯定だと判断したのか、シャマルは堂々と歩いていって。


「ちょ…! 待てよシャマル!!」


オレは慌てながら。シャマルを追いかけた。



「シャマル…! Dr.シャマルってば!!」


「あーあー、やかましいぞボンゴレ坊主。オレは女以外の呼び止めに応えねぇ主義なんだ。黙ってろ」


「なんで獄寺くんを・・・! 応えろ、応えろよシャマル!!」


「うっせーなぁ。オレの台詞が聞こえなかったのか? 条令第32じょ…」


「条令なんて知らないよ! 獄寺くんはシャマルを信頼していた…その獄寺くんを、どうして撃つことが出来るんだよ!!」


「信頼するこいつが馬鹿なんだよ。オレみたいな大人、信頼する方が間違ってる」


「なっ」


思わず言葉を失う。こいつ、今何て言った・・・?


話は終わりだといわんばかりに、シャマルは歩く速度を速めて。オレとの距離を開けていく。獄寺くんとの距離が、離れていく。


「ちょ・・・! 待てってば!!」


急いでオレも歩みを速めるけど、大人と子供の歩幅は全然違って。更にオレの足はさっき無茶した分がまだ効いているのかさっぱり進んでくれなくて。


―――地上に戻ってきたときには、既にどこにも。シャマルの姿はなかった。





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己の無力さにただただ茫然としてしまう。