寝ている。彼が寝ている。穏やかに、まるで何事もなかったかのように、眠っている。


けれど、彼の腕に刺された点滴が、夢で終わらせることを認めてくれない。



―――夢で終わらせてくれることを、許してくれない。



………彼が倒れて、オレは暫く呆然としてしまった。


だって、彼は今まで突拍子もないことばかりして、今までずいぶん無茶ばかりして、それでも元気に笑っていたから。


だから突きつけられた現実に、オレはまるで対応出来なくて。


オレはただ、最近シャレにならないくらい増えてきた煙草を控えてもらおうと思っただけで。


だからオレは、ボス権限で「獄寺くん煙草禁止令」を出して。


煙草禁止令、といっても、たったの三日で。


三日後、彼はダイナマイトの仕入れに、イタリアに飛んじゃうから。


だからそれまで、控えてもらおうと思っただけなのに。


その結果が、こんな現実。


目の前に、彼が、獄寺くんがすごい汗で倒れている、現実。


「―――――!!」


そうだ。こんなところでぼんやりしている場合じゃない。


医者へ、医者の所へ。


オレは獄寺くんを抱きかかえて、シャマルの所へと急いだ。


………抱いた獄寺くんは、驚くほど軽かった。





獄寺くんを連れて、シャマルのところへと赴く。


シャマルは獄寺くんの容態を見ると、いつもの昼行灯の姿を破ってすぐさま治療を始めてくれた。


オレには何も出来なくて。ただじっと、時折来るどうしようもない不安をどうにか追い払うことしか出来なかった。





暫くして、シャマルが出てきた。


シャマルは疲れたような、怒ったような、呆れたような顔をして、一言、「終わった」とだけ伝えてくれた。


オレは獄寺くんの元へ急ごうと、立ち上がる。


擦れ違うとき、シャマルの声が聞こえた。



「…馬鹿な事させやがって」



その声は、とても憎しみが込められていて。殺気とさえいえるものが、オレに向けられていて。


「………え?」


だからオレは、その場で立ち止まって、シャマルを見上げてしまった。


見上げたシャマルは、冗談でも比喩でもなく、まるで鬼のような形相でオレを睨みつけていた。


「なんの、こと……」


「煙草」


必要最低限の言葉。それだけで、オレの体はびくりと震えてしまった。


「…止めさせたの、お前さんだろ?」


「そうだけど、でも」


でも……まさかこんなことになるなんて……



言い訳だ。分かっていながら、止められない。



「ずっと隼人が吸っていたあれ。あれは煙草じゃない」


「…………え?」


「あれは薬だ。オレが調合した」


―――がぁんと、頭を大槌で殴られたみたいだった。


「…薬というか、ただの痛み止めだな。状態が良くなるわけじゃないから」


まるで自分を皮肉るように、シャマルは言う。


「あいつはボンゴレの仕事を片付ける際に、大怪我を負った。その時の怪我が未だに痛みを訴えてるんだ」


シャマルの声が、やけに遠くに聞こえる。だけどその内容は、頭にこびりついて離れない。


「その痛みを押さえ込んでいたのがあの煙草だ。量が多くなったのは、薬に耐性が付いてきて痛みが増えてきたから」


いつかの台詞を、ふと思い出した。昔、獄寺くんに煙草を止めないかと言った時、彼はこう答えた。



―――そんなことしたらオレ、死んじゃいますよ。



いつも真面目な彼が、冗談めかして言ったから、良く覚えている。


……でも、あれは本当のことだったのか。冗談でも、なんでもなく。


「……あいつは、もう長くない」


シャマルの声で、急に現実に戻された。


「―――――え」


「これはお前さんのせいじゃないがな。隼人は今日イタリアに飛んで、ボンゴレの仕事で自爆して死ぬ予定だった。これは前から決まっていたことだ」


「なっ…!?」


確かに今日、獄寺くんはイタリアに飛ぶ予定だったけど…でもそれは、ダイナマイトの仕入れであって…


「任務で自爆した後は、オレらが適当に嘘を吐けばいい。帰りの飛行機が墜落したとかな。後はてめぇらが勝手に泣いて、立ち直ればいい」


そのあまりにも突き放した言い方に、オレはカチンときた。


「な…んだよそれ! 勝手に泣いて、立ち直ればいいって…! ふざけるなよ!!」



「ふざ…けるな?」



ギロリ…まさにそんな擬音が似合いそうな眼をしながら、シャマルが応える。


「ふざけてんのはてめぇの方だろうが! オレがどれほど説得しても諦めさせられなかった隼人の計画をぶち壊しやがって! てめぇ何様だ!」


計画…飛行機事故に見せかけて、でも本当は、自爆して……


「お前がボンゴレ10代目候補ってだけで、隼人はお前に気を使って、自分の死の真相すら、欺こうとして――」


「………っ!!」


シャマルの言葉が痛い。だけど真実だ。


「お前が―――っ」


カコーンッ!!


遠くから、何かが飛んできた。それは真っ直ぐにシャマルにぶつかって、軽快な音を叩き出した。


床に落ちたそれは置時計。やってきたのはオレの後ろの部屋の中。思わず部屋の中に目を向ける。


部屋の中には、息も絶え絶えに、置時計を投げたであろうポーズのまま固まった、獄寺くんの姿があった。


「……こら、馬鹿医者……10代目を、いじめんな」


獄寺くんはそう言うと、ふらりと倒れこんでしまった。


「獄寺くんっ!!」


「隼人!!」


オレとシャマルは急いで獄寺くんの元へと走った。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

願わずにはいられない。

嗚呼―――どうか、全ては悪い夢であって…