オレの名前は獄寺隼人。
オレは携帯電話だ。色はシルバー。
現在の時刻は午前4時52分39秒。一日の最初の仕事まであと少し。
その時を今か今かと待つが、残念なことにいつものように不発に終わってしまうようだ。
主が起きてしまった。
主はベッドから身を起こし、オレを見下ろす。
「おはよう、獄寺」
「…おはようございます。リボーンさん」
「お前は朝はいつも不機嫌だな」
「一体誰がそうさせてるんですか」
オレは主であるリボーンさんを睨みつける。
まったく、この人ときたら。目覚まし機能をセットするのはいいのだけれどその時間になる前にいつも起きてしまう。
なのでオレはリボーンさんを起こしたことなど、買われてから今日に至るまで一度もないという悲劇に見舞われているのだ。
「オレ、一度ぐらいはリボーンさんを起こしてみたいんですけど」
「悪いな。寝起きはいい方なんだ」
「なら何故オレに朝起こすよう言うんですか」
「保険だ」
なんの悪びれもなく、いっそのこと清々しいほどあっさりと言い放たれ、オレは口を噤んだ。
リボーンさんはベッドから降り、身支度を整え始める。
オレはリボーンさんが出掛ける時まで何もすることがない。
メールも来ない。電話も来ない。何もない。ただ時を刻むだけ。
………あ。
「リボーンさん」
「なんだ?」
トーストにバターを塗りながらリボーンさんが答える。
「お腹、空きました」
「…なに?」
リボーンさんはナイフを持つ手を止め、こちらを見遣る。
そして席を立ち、机の中から充電器を取り出してくれた。
「すみません、お手数をお掛けしまして」
「構わん」
オレはリボーンさんと一緒に食事を取った。
人間の食事は早い。朝食だったら五分ぐらいで終わる。
…いや、リボーンさんが早いだけかな…? これは。
オレも五分ぐらいで満腹になればいいのだが、生憎そうもいかない。
オレはリボーンさんが食事を終え、食器を片付け、出掛ける支度をし終えるまでずっと食事を取っていた。それでも充電は終わらなかった。
「すみません…」
「気にするな」
そうは言われるも気にしてしまう。
オレは携帯電話だ。電池が切れたらただの置物になってしまう。
置物では何の役にも立てない。
オレはリボーンさんの役に立ちたいんだ。
オレは食事を途中で終わらせ、リボーンさんのズボンのポケットに入った。
外はまだ朝早く、歩いている人も疎らだった。
…あ。
手紙が届いた。
「リボーンさん。手紙です」
オレは歩くリボーンさんを見上げ呼びかける。しかし気付いてくれない。
「リボーンさん、リボーンさんー」
ぽふぽふとリボーンさんを叩いて呼びかける。それでやっとリボーンさんは気付いてくれた。
「…ん? メールか」
リボーンさんの大きな手がオレを持ち上げる。
オレはリボーンさんの長い指をぼんやりと眺めていた。
暫くして、やがて出来た手紙を受け取り送る。
うむ。やっと務めを果たせた気分だ。
「お。猫だ」
リボーンさんの声に視線を移せば、オレたちの目の前数メートル先に黒猫がいた。
「獄寺。カメラ」
「分かりました」
…バッテリー…大丈夫かな。
という一抹の不安が一瞬頭を横切るが、そのことはおくびにも出さずオレはカメラを準備した。
ピントを絞り、色を調整し、光の具合を調べ、シャッターを切る。
シャッター音に驚いた猫がこちらを見遣り、オレたちの前を横切って逃げていった。
黒猫が横切るのは縁起が悪いというが、リボーンさんはまったく気にしてない。
「いい写真が撮れたな。よくやったぞ獄寺」
「ありがとうございます」
褒められて、嬉しい。
上機嫌なリボーンさんを見れて、嬉しい。
リボーンさんを喜ばせることが出来て、嬉しい。
ああ、リボーンさん。
だいすきです。
ずっとお傍に、いさせてください。
それからは特に何の仕事もなく緩やかに時間が過ぎていった。
オレはリボーンさんのズボンのポケットの中で静かに時を刻む。
ここはあたたかくて安心する。なんだか眠くなってくる。
ああ、でもリボーンさんとお話もしたいなあ。
と言ってもリボーンさんは今仕事中だし、仕事中は手紙が来ても電話が来ても知らせないようにと言われている。
リボーンさんの仕事は何なのだろう。オレはリボーンさんの携帯ではあるが、リボーンさんの全てを知っている訳ではない。悲しいことに。
そもそもリボーンさんは携帯を二台持っている。プライベート用のオレと仕事用の姉貴。
そっとポケットからリボーンさんを見上げれば、リボーンさんは姉貴と何やら話をしていた。
…つまらない。
オレは不貞寝することにした。
リボーンさんは、オレに仕事の話はしたがらない。
だからオレはリボーンさんの仕事のことを何も知らないが、それでも何となく察しは付く。
リボーンさんの仕事というのは、恐らく危険で、酷く恐ろしいものなのだろう。
リボーンさんは、オレを仕事と関わらせようとしない。
オレをこの場に連れてくることさえ好んでいない。
けれどそれだとオレがほとんど外に出れなくなるので、事実、最初オレは外に出れなくて、オレは不貞腐れて、拗ねて、泣いて、今に至る。
それでも外に出れるのはほんの僅かな時間だけだし、リボーンさんが仕事をしている間は鞄の中で眠っていなければならない。
今こうしてズボンのポケットの中にいるのは、リボーンさんがオレを鞄に仕舞うよりも前に姉貴がリボーンさんを呼んだからだ。仕事の電話が来たのだと。
かくしてオレは、本来ならば見ることの出来ない仕事中のリボーンさんを覗き見ることが出来ていた。
本当なら、落ち着いたときにでもリボーンさんにオレを仕舞い忘れていると伝えなければいけないのだろうけれど。
オレの知らないリボーンさんを見てみたいという好奇心の方が強くて。
………。
リボーンさんは、いつもと全然違っていた。
目付きも、声色も、雰囲気でさえ。
リボーンさんは、この姿をオレに見せたくなかったのだろうか。
リボーンさんは、この姿をオレに隠したかったのだろうか。
オレは見てはいけないものを見てしまった気分になって、罪悪感に駆られた。
それからは本当に寝て過ごした。
オレは何も見てない。
オレは何も聞いてない。
オレは何も知らない。
でも、オレは。
あなたがどんな方であろうとも。
オレは、どんなあなたでも…
…………………。
……………。
………。
「…ん? 獄寺? どこだ?」
リボーンさんの声が聞こえて、オレは目が覚めた。
ポケットから顔を覗かせると、そこは室内ではなく屋外だった。辺りは暗い。
リボーンさんは電灯の明かりの下で鞄の中を漁っていた。
オレを探しているのだ。
「リボーンさん、オレはここです」
「ん? …ああ、なんだ。そこにいたのか」
オレの声で、リボーンさんはオレの場所に気付いた。オレを取り出し、少し神妙な顔をしてみせる。
「ずっとここにいたのか?」
「はい」
「………」
リボーンさんは次の言葉を吐くのに、少しだけ間を置いた。
「…見たか?」
仕事中のリボーンさんのことだろう。オレはとぼけることにした。
「何をですか? オレ、ずっと寝ていたもので」
「…そうか」
リボーンさんは心なしかほっとした様子だった。
これでいい。リボーンさんに余計な気を遣わせる訳にはいかない。
「寝ていたなら、別にいいんだ。そうだ、オレに何か来ているか?」
「ええと…」
オレは確認を取った。着信、なし。手紙……は…あった。
「手紙が二通、来ています」
「そうか」
リボーンさんが手紙を読む間に、オレは時刻を確認する。
確認して、驚いた。てっきり夕刻だと思っていたのだが時間は午前4時21分40秒。早朝だ。
「こんな時間まで一体何をしていらしたんですか?」
「仕事だ」
「こんな時間まで仕事ですか?」
「そんな日もあるんだ」
そうなのだろうか。
今日までこんな日があっただろうか?
あったような…なかったような?
思い出せない。
そうする間にリボーンさんはオレを定位置に仕舞おうとする。いつもの場所。ズボンのポケットの中。
………。
1.「リボーンさん」
2.「………」