薄暗い部屋。


灯りのない部屋に、それでも仄かに陽の光が差し込んでいるのは窓が一つだけあるからだ。


石畳で作られた、堅く、重い雰囲気を持つ室内。ドアも鉄で出来ていて、まるで牢獄を連想させた。


室内にあるのは一つのベッドと、一組の机と椅子。机の上にはぽつんと古びて壊れた鳥籠が一つ。その鳥籠に掛けられている帽子が一つ。




それがこの部屋の主の全てだった。




そして、その部屋の主たる人物がベッドの中で身じろぎする。


ぱっちりと目蓋を開き、その身を起こす。


今まで眠っていたというより、切れていたスイッチが入ったかのような動き。


その人物はまだ年端もいかない少年だった。10代になりたてか、もしかしたら10代にもなっていないか。


黒い髪。黒い眼。身に纏っている衣服も黒い。


彼は机の上に無造作に置かれていた帽子を手に取り、部屋を出る。鉄で出来ているはずの扉は軽々と開いた。


部屋の外も薄暗い通路が続いていた。室内と同じ石畳の道。窓はなく、代わりにランプが点々と続いて置かれ、辺りを照らしていた。


彼は迷いもなく堅く、薄暗い通路を進む。圧し掛かってくる重苦しい空気にも気付いていないようだ。


やがて彼はある部屋に辿り着いた。何の迷いもなくその扉を開け放つ。





彼が起きるという事は、仕事が入ったという事で、その仕事はこの部屋の主から与えられる。


彼はその仕事をただひたすら、黙々とこなすためだけに生きていた。





人間から見れば、それはおかしく感じるかも知れない。幼い少年が、こんな事を―――まるで牢獄のような場所でただただ仕事を―――しかも娯楽も何一つなく―――し続けているだなんて。


けれどそれは、あくまで人間から見た見解であり、彼ら―――少なくとも彼―――にとっては普通の事だった。





彼―――少年の名は、リボーンといい、


リボーンは、人間ではなかった。


リボーンは、死神だった。










死神の仕事。それは人間の魂の回収である。


これから死ぬ運命にある人間の元へ赴き、死を見届け、そして亡骸となった肉体から出ていく魂を回収する。


リボーンは己が担当する人間の情報を主より聞き出し、人間の世界へと赴く。


今回の担当は少年だった。


といってもリボーンよりは―――リボーンの外見よりは―――年上ではあったが。



獄寺隼人。14歳。×月×日××時××分に、交通事故により死亡。



頭の中で先程聞いた情報を反復しつつ、リボーンは人間の世界へと降り立つ。


日付はターゲットである獄寺隼人が死ぬ日までおよそ3日程猶予があった。


これは別に何か間違いがあったとかではなく、一応死神には死神のルールや規則があるらしく死神はターゲットに数日前から接触するものらしい。


…といっても、そんなルールを守る者は稀で、大抵の死神はターゲットが死ぬ寸前に人間の世界に降り立ち、魂を回収し帰る。


ルールを守る者など希少で、そしてリボーンは希少の方だった。


リボーンが降り立った場所は人通りの少ない場所だったが、それでも何人かの人間がリボーンの近くを通り過ぎる。


彼らはリボーンの方など―――唐突に表れた、黒いスーツに身を包んだ少年になど―――見向きもしない。


それもそのはずで、普通の人間に死神の姿など見えない。


死神の姿が見えるのは―――





「おや、坊や、こんにちは」





ふと、老婆がリボーンに挨拶をした。


にこにこと柔和な笑みをした、人の良さそうな老婆だった。


リボーンは老婆に軽く会釈を返した。





―――死神の姿が見えるのは、死期の近い者だけだ。





リボーンは歩き出す。


今回回収する魂を持つ、獄寺隼人の元へ。










獄寺隼人は、人間の種類において比較的多く見られる、気の強い、血の気の多い―――要は短気な人物らしい。


引き寄せられるように向かった先、路地裏では獄寺隼人が数人の男と殴り合っていた。


ちなみに劣勢だった。


何故人間とはこうも争いをしたがるのだろう。とリボーンが首を傾げていると獄寺がリボーンに気付いた。


獄寺には路地裏に迷い込んだ幼い少年があまりにも暴力的な光景を見て固まってしまったように見えたらしい。リボーンに向かい逃げろと叫ぶ。


とはいえ、リボーンには逃げる理由が特になかった。獄寺の指示に従う理由はそれ以上になかった。


故にリボーンはそのままの体制でいた。すると獄寺を殴っていた集団もリボーンに気付いた。


追い剥ぎの類なのだろうか、質の良さそうなリボーンの衣服を見、嫌な笑いを顔に張り付けて向かってくる。


言葉もなく殴り掛かってきたので、とりあえずリボーンは避けた。意外そうな顔をする男に、何をやっているんだと他の男が嘲笑する。


何度もリボーンを殴ろうとし、しかしその度にリボーンは避け、リボーンを襲う人数は増え、しかしそれでもリボーンには当たらず。


だんだん面倒になってきたリボーンは多少反撃をし、それに予想外の怪我を負った集団は捨て台詞を吐き、路地裏から逃げ、そして―――


クラクションと、急ブレーキの音と、何かと何かがぶつかる音と。





―――悲鳴。





リボーンの姿が見えるという事は、死期が近いという事で。


どうやら彼らは、今がその時だったらしい。


同僚の気配を感じる。彼らを担当する死神が魂を回収しているのだろう。


彼らの仕事は終わりだが、リボーンの仕事はこれからだ。獄寺隼人との接触を開始する。





「大丈夫か?」


「あ―――」





大丈夫かも何も、大丈夫に決まっている。獄寺が死ぬのはまだ3日も先なのだから。


とはいえ、その事をこの場で知っているのはリボーンだけだ。人間との会話は人間と合わせなければならない。死神のルールは面倒だ。


声を掛けられた獄寺は、惚けた表情でリボーンを見ている。


どうしたのだろう、とリボーンは思う。頭でも打ったのだろうか。リボーンは獄寺に手を差し出した。





「立てるか?」


「あ…ありがとう、ございます」





獄寺はリボーンの手を掴み、立ち上がる。


獄寺の手は血の巡りが急激になっているからか、温かいを通り越して熱かった。あるいは、リボーンの手が―――手というか身体が―――冷た過ぎるだけか。





「あの、あなたは…?」





獄寺に問い掛けられる。自分の何について聞かれているのだろうか。人間は時に主語やら何やら抜かして聞いてくるので何を答えればいいのか分からなくなる。


そのくせこちらが見当違いな事を返せば怒り狂ったりするのだ。本当に人間と相手をするのは面倒くさい。


とはいえ、怒り狂われようとリボーンに答えられる内容は限られている。ここで「あなたの正体は?」と聞かれても「オレは死神だ。お前の魂を回収しに来た」と答えてはならないのだ。


まあ、多分、名前を聞いているのだろう。


リボーンはそう当たりを付けて、獄寺に答える。





「リボーンだ」





リボーンは、お前の名は? と獄寺に聞き返す。名前など知っているが、知っている事を知られては面倒なのだ。色々と。


獄寺は名乗る事すら忘れていた事に驚き、恥じり、謝罪し、そうしてやっと名乗った。知ってる通り、聞いた通りの名前。獄寺隼人。


そこから会話が始まった。路地から出ず、その場で、適当な岩を椅子代わりにして。表通りではようやく救急車が到着したらしい。魂がもうないのだから、何の意味もないのだけれど。


何があって襲われていたんだとリボーンが聞くと、獄寺は襲われていたのではなく喧嘩をしていたのだと訂正してから説明した。獄寺の中では襲われていたと思われるのは許せない事らしい。


獄寺の話によると、どうやらごろつきである彼らが町の子供を脅して金品を奪い取ったり盗みを働かせようとしている場面を目撃し、止めさせようとしたらしい。


しかしまあ、誰かに止めろと言われた程度で止めるようなら最初からしておらず、逆に怒鳴られ、殴られ、そして喧嘩になったと。





「お前は弱いくせに、何故そんな無茶をするんだ?」





リボーンとしては純粋な疑問をぶつけただけなのだが、獄寺はダメージを受けていた。弱い、の部分でざっくりと見えないナイフで刺されていた。だが大丈夫。血は出てない。傷は浅いぞ獄寺隼人。


獄寺は何とか弁解しようとしたが、リボーンに劣勢していた場面を見られていた事、そして多勢に無勢と言い訳しようとして自分より幼いリボーンが彼らの攻撃を華麗に躱し、鮮やかに反撃を繰り出していた事を思い出し黙り込んだ。


リボーンとしては、特に答えは期待してなかった。人間とは自分をよく見せようと矛盾した言動、嘘を言う者だ。だから獄寺の出した答えにも特に本気にはしなかった。





「…からです」


「ん?」





よく聞こえなかった。だから聞き返した。すると獄寺は少し顔を赤くして大きな声で言った。





「ですから、身体が勝手に動いたからです! オレああいうの見ると見過ごせないんですよ自分を騙してるみたいで!!」





言って、最後の一文は要らなかっただろオレ! と獄寺は顔を手で押さえていた。どうやら恥じらいを感じたらしい。リボーンにはよく分からなかったが。


そういう話をしていたら、表通りの方も静かになった。もう野次馬も警察も引き払ったようだ。


そろそろ出ましょうか、と獄寺が言う。暗くなってきましたし。と続ける。


確かに、気付けば陽が照っていた空は沈み掛け、世界は夕日で赤く染まっていた。もう少しすれば紫色に変わり、そして暗く黒くなるのだろう。


とはいえ、リボーンの部屋の方がもっとずっと暗いのだろうが。


二人、表通りに出る。予想通りもう人も疎らだった。地面にうっすらと赤い染みがこびりついていて、それを通行人が避けるように通っている事を除けばいつもの風景なのだろう。


獄寺はその染みを見て傷むような、あるいは悼むような顔をしていた。


3日後、お前もああなる。という発言はリボーンはもちろんせず、心の中だけで呟いた。










「今日は、ありがとうございました」





歩いている内にすっかりと暗くなり、ある分かれ道の前で獄寺はそう言った。


電気の切れ掛けた街灯の下、リボーンは獄寺を見上げる。





「リボーンさんは、あちらにお住まいなんですか? オレはこっちなんですけど」





獄寺は曲り道の一つを指さす。どうやらその道の先には獄寺の住む家しかないらしい。


そういえば獄寺の住所の情報もあったな、とリボーンは思いつつ獄寺の質問に答える。





「いや、特定の宿は決めてない」





強いて言えば死神の世界に自室はあるのだが、ターゲットと触れてない時は別に帰ってもいいのだが、リボーンはこの地に残る事を選んだ。


死神は休息を必要としない。リボーンが寝ていたのは、仕事のない時は起きている必要がないからだ。


一方、獄寺はリボーンの発言に反応していた。





「宿…? リボーンさん、旅人なんですか? 見ない人だとは思ってましたが…」


「全然違うが、まあそんなもんだ」





嘘の付けないリボーンの誤魔化しに獄寺は首を傾げつつ、提案する。


宿が決まってないなら、よろしければ、自分の住む家に来ませんか、とそんな提案。


一泊だけでも。せめて、食事だけでも。


礼がしたいと言う獄寺。リボーンは考える。ターゲットと接触する機会が多いのはいい事ではある。


いい事ではあるのだが………





1. 獄寺の提案に乗る


2. 獄寺の提案を蹴る