翌朝。


獄寺は早朝に起き、身支度を始め早々と屋敷を出た。


今日は病気で入院している母の、見舞いの日だ。


少しは良くなっているだろうか。今日の体調はどうだろうか。見舞いの品は喜んでくれるだろうか。


様々な事を考えつつ、獄寺は道を急ぐ。


そうだ、と獄寺は思う。母に話す、話題の一つ。


2日前に会った、黒い少年の話をしよう。


年下のはずなのに、とてつもなく大人びて見えて、そうかと思えば何も知らぬ幼子のような反応を見せて。


強くて、冷静で、どこで仕入れたのかと思うような深い知識を持っている…言い方が悪いかも知れないが、人間離れした、あの人の話をしよう。


そう思えば自然、獄寺の頬が緩む。


次の瞬間、獄寺の頭に強い衝撃が走り、獄寺の意識は飛び、獄寺は気を失った。










「―――――は!?」


「気付いたか」





獄寺が勢いよく身を起き上がらせれば、そこは近くの公園で。


すぐ隣からは、冷静な声が聞こえてきた。


獄寺はどちらに意識を傾ければいいものか、瞬時に判断出来ず、少し時間を置いてから声の方―――リボーンの方を向いた。





「り、リボーン、さん?」


「そうだが、どうした?」





どうしたも何も、今日は会えないはずなのだ。自分はバスの始発に乗り、隣町の病院まで、母の見舞いに―――…


気付いた。


陽の位置が、異様に高い。


まるで昼過ぎのように。


公園に設置されている時計を確認してみる。


昼過ぎだった。





「な―――――!?」


「ど、どうした」





隣でリボーンが狼狽する気配。しかし獄寺はそれどころではない。


ここから病院まで向かうなら、始発のバスに乗っても昼過ぎにならないと到着しない。そして今がその昼過ぎという事は、どういう事なんだ?


何が起きたのか獄寺にはさっぱり分からないが、一つだけ理解出来たのは今日はもう見舞いには行けないという事。


がっくりと肩を落とす獄寺に、リボーンがおずおずと声を掛ける。





「その、何だ―――そんな、気を、落とすな」





ぎこちない声。自分がそんな事を言ってもいいのかと迷っているような声だった。


だがそんなリボーンの様子にも気付かず、獄寺はリボーンに向き直る。





「あの、リボーンさん、これは、一体…オレ、確かに朝、バス停に向かっていたはずなんですが……」


「ああ、お前は道端に倒れていてな。たまたま、偶然、通り掛かったオレがここまで運んだんだ」


「そうですか…」





倒れていた。どういう事だろう。不覚だ。疲れが溜まっているのだろうか。そういえば昨日も屋敷で転んでしまいあの馬鹿女に笑われた。くそう、今思い出しても腹が立つ。


それはそれとしてひとまず病院に連絡を入れねば。母は自分が来るのを楽しみにしていた。今日は来れないと告げるのは心が折れるが、時間的にもう無理だ。


リボーンに断りを入れ、公衆電話から病院に連絡する。心が重い。


しかし、そこで獄寺は予想外の言葉を告げられた。










「―――お待たせしました、リボーンさん」


「ん…ああ、どうした、変な顔をして」


「いえ、その…」





獄寺は現実味を実感出来てないまま、先程告げられた情報をリボーンにも告げる。





「オレが、乗るはずだったバスが…事故に、遭っていた、みたいなんです」


「そうか」


「オレ…倒れていなかったら、そのバスに乗って…事故に……」


「遭っていただろうな」





リボーンはきっぱりと告げる。教科書を読み上げるかのような、はっきりとした口調で。


獄寺にはその声が、何故か「死んでいただろうな」とも聞こえぞっとした。





「…こういうの、なんていうんでしょうね。病院のスタッフは奇跡と言ってましたが、そういうのとも違う気がします」





奇跡よりは偶然の方が近い気もするが、それでもまだ釈然としない。


リボーンは内心で「インチキだ」と呟いたが獄寺は気付かない。


ともあれ、リボーンは安堵していた。バスは事故に遭ったが、その中に獄寺はいない。


バスの事故で死ぬはずだった獄寺はバスに乗らず、助かったのだ。





「まあ、よかったじゃないか。素直に喜んでおけ」


「……そうですね」





獄寺は頭を抱える。まだ頭がくらくらする。貧血なのだろうか?


一方で獄寺の頭部に打撃を喰らわせた張本人であるリボーンは強く衝撃を与え過ぎただろうかと内心でドキドキハラハラしていた。力の調整が難し過ぎる。


バスに乗り遅れる程度でいいと思って気絶させたはいいが、中々起きないのでもう二度と目覚めないのではないかと実は心配していたのだ。





「きついなら、横になっとけ。何なら屋敷か病院まで送ろうか?」


「いえ…」





屋敷に戻ればその途中、あの女が通り掛かるかも知れない。こんな状態、あの女には知られたくない。病院も…あまり好きではない。





「寝てれば、治ると思うんです。…ここで、横になってて、いいですか?」


「ああ、そうしたいなら、そうするといい」





リボーンの声を聞き、獄寺は再度横になる。


眼を瞑ると、すぐに眠くなった。本当に疲れが溜まっているのかも知れない。


獄寺は眠る。リボーンは獄寺の隣に座っている。本来の死は回避したものの、まだ油断出来ない。死はどこにでも潜んでいるものだ。


けれど夕暮れになり獄寺が目を覚ますまで何も起きなかった。世界は平和で、獄寺も生きている、理想の世界が広がっていた。


獄寺は夕方まで眠っていた事、そしてそんな時間までリボーンが隣にいてくれた事に大層驚いていた。そして恐縮し、謝罪した。





「す、すいません、リボーンさん…!」


「いや、気にするな」


「ですが…リボーンさん、今日は用事があったのでしょう?」


「それはもう流れた」





リボーンの用事とは獄寺の魂の回収だが、リボーン自身がそれを蹴った。主や同僚に何を言われようが知った事ではない。


ともあれ、夕暮れ。獄寺はもう帰る時間だ。そしてそれは二人の永遠の別れを意味する。


仕事を成功させようが失敗させようが、リボーンも帰る時間だ。


ベンチから立ち上がり、夕日に背を向ける。





「…リボーンさん?」


「オレも時間だ。お別れだな、獄寺」


「あ…」





獄寺は雰囲気で察する。


これが今生の別れであると。





「リボーンさん、オレ、リボーンさんに助けて頂いてばかりで…何も出来なくて……」


「いいんだ」





何がいいのか、獄寺には分からない。


何がいいのかと、聞き返していいのかすら。


しかしリボーンはそんな獄寺の思いも知らず、踵を返して行ってしまった。





「あ…」





一人残される獄寺。


呼び止める暇さえなかった。


いや、仮に呼び止めたとして、何と言えただろう。





―――何も、言えなかっただろう。





寝起きだからか、まだ夢の中にいるような感覚だった。


ともすれば、リボーンとの出会いから夢を見ていたような。


獄寺は頭を振り、その考えを振り払う。


リボーンが夢の住民だなんて、そんな馬鹿な。





…帰ろう。





もうじき、暗くなる。


獄寺は歩き出す。


帰路へ向かって。


屋敷へと向かって。


ああ、それにしても。





今日は、やけに、空気が乾燥している―――










「ふーん、失敗してきたんだ、リボーン」


「ああ、そうだ」





一方。


死神の世界へと帰ったリボーンは主へと報告していた。任務失敗の報告を。


予定時間よりも遅く帰り、しかも何の連絡も寄越さず、更に帰ってきたと思ったら何故か堂々と「任務失敗した」


しかしそんな事を告げられた主は怒る事もなく呆れる事もなくリボーンの話を聞いた。


死神自らターゲットの死を回避しようと奮闘した事を聞いてなお、主は怒らない。


死神としての業務放棄だ、と怒り狂いきつい折檻を与えるような事はしない。





ただただ、話を静かに聞いてるだけだ。





その顔は、まるで幼子が拙いながらも作った作品の説明を聞く父親のような。


そしてその裏で、何かを確認しているような。





やがて主はリボーンの話を聞き終わる。リボーンは何故か偉そうに踏ん反り返っている。


けれど、次の主の言葉で不意を突かれた表情を作った。





「まだ、キミの仕事は終わってないよリボーン。だから失敗もしてない」


「何…?」


「まだ彼は、キミのターゲットである人間は、死の運命から、オレたちの手から逃れていない」


「何を…あいつはバスに乗らなかった。死ななかったんだぞ?」


「オレがみんなに教えているのは、その人間の死ぬ確率が最も高い情報だよ。無論他の死に様も存在する」


「だが…」


「リボーン、その人間とお別れの挨拶をしたんだよね?」


「…ああ」





リボーンの肯定を聞き、主は笑う。


おかしそうに、愛おしそうに、笑う。





「リボーン、おかしいとは思わなかったの?」


「…?」


「キミらしくもないミスだね。寝過ぎて、まだ起きてないの?」


「勿体ぶるな。一体何の話をしている?」


「本当にその人間が助かったのなら、死神であるオレたちと別れの挨拶なんて出来るわけがないんだよ」


「―――」





そこまで言われて、ようやくリボーンにも主が何を言いたいのかが分かった。


死神の姿は、通常の人間に見えるものではない。


人間の世界に降りて、リボーンの姿を認めたのは通りすがりの老婆、獄寺を襲っていたごろつき、そしてターゲットである獄寺隼人。





死神の姿は、死期の近い人間にしか見る事が出来ない。





老婆は、寿命で死ぬのだろう。ごろつきは、出会ったその日に事故で死んだ。


そういう死の運命から、死神の手から逃れられたのなら、獄寺はリボーンの姿がもう見えなくなっているはずなのだ。


なのに、夕暮れになってなお、―――本来死ぬはずだった時刻を過ぎてなお―――獄寺はリボーンの姿を見る事が出来た。


それから導かれる答えは―――





リボーンは飛び跳ねるように踵を返し、部屋を後にする。


主はリボーンの背に「いってらっしゃい」と呑気に声を掛け、手を振った。










時は暫し戻り。


獄寺は自室のベッドに横たわっていた。


今日はほぼ一日中寝ていたというのに、まだ疲れが取れない。


ぼんやりとした頭の中、眠ろうとするがどうにも寝付けない。落ち着かない。


寝過ぎて眠れないのではない。獄寺はポケットから煙草を取り出した。





「………」





暫く、吸ってなかった。


病室の母を前に、煙草の臭いを漂わせるわけにはいかなかったので禁煙していたのだ。


けれど暫く病院へは行けそうもない。


身体はニコチンを求めている。





「………」





1. 煙草を吸う


2. 煙草を吸わない